※当作品は、実在の国、史実等には一切関係ありません。
前作「Responce」から派生した前/後日談になります。
DK.NA【1】
そういえば『不思議の国アリス』に出てくる、いつまでも終らない奇妙なお茶会……あれ、なんていったっけ。確か、いかれ帽子屋のパーティ、だったかな。
マシュー・ウィリアムズはベッドから上体を起こした姿勢で、隣でまだ眠りこけている義兄のアーサー・カークランドを見下ろしながら、そんなとりとめのないことを考えていた。
「……もう朝?」
「まだ寝ててもいいよ。朝ご飯は用意しとくから」
ちょっぴり寝癖のついた髪を撫でてやると、アーサーは安心したように再び寝入ってしまう。
マシューはしばらくその寝顔を眺め……やがて溜め息を吐いてベッドから降りると、身支度をして厨房に向かった。先に起きたフランシスが食料庫をゴソゴソ漁っていたが、マシューの気配に気づいて振り向き「坊ちゃんは?」と尋ねる。
「爆睡してますよ」
「マジでか。アイツの飯、朝食ぐらいしか取り柄ねーってのに……おチビちゃんが腹減ったって騒いでるんだけど、クロワッサンとかバケットとか、どこだっけか」
「パンならそこらに置いてる筈なんですが……別に朝食なんて、シリアルでササッと済ませばいいでしょうに」
「そーやって、朝食がミョーに雑なとこは、誰に似たんだろうなぁ、マシューちゃん。ヒーローの坊ちゃんもそんなとこあるけど」
「げっ。アレと一緒にされるくらいなら、なんか作って足します。目玉焼きとハッシュドポテトと……ソーセージでも焼きます?」
「それよか、なんか甘いのが食べたいなぁ。シリアル、チョコレート味ある? おチビちゃんもそっちの方がいいよな? あと、ココア」
「おやつじゃないんだから……虫歯になりますよ」
ワイワイ言いながら、朝食の支度を整える。紅茶を淹れて、そろそろ寝坊助を起こさないとな、と思った矢先、本人がふらっと食堂に現れた。
「マシューか。アルフレッドは?」
フランシスがチラッとマシューに視線をやったが、マシューは眉筋ひとつ動かさずに「ああ、さっき帰りました」と受け答えた。
「そうなんだ? さっき、アルフレッドが飯の支度するって言ってたからさ」
「寝ぼけて、夢でも見たんじゃないですか? ろくに料理なんかしないでしょ、アイツ。朝っぱらから、ピザとかハンバーガーとか食べてそう」
「そうなのかな。朝まで一緒にいた筈なんだけど……挨拶もなしに帰るだなんて、仕事がよほど忙しいんだな」
「ホント、薄情なヤツですよね。僕はこれを食べてから、ちょっとゆっくりして……フライトの時間があるんで、お昼頃には出ますね」
マシューはぬけぬけと言い放って、アーサーの前に紅茶を注いだティーカップを置き、返す手でさりげなく、テーブルの上に置かれていた未使用のカップを下げた。キッチンの洗い桶にカップを沈めて……ふと「いや、三月ウサギ、だったな」と呟いた。
三月は恋のシーズン。焦がれ焦がれて気がふれた、野ウサギのお茶会。
「バス停まで送るよ」
フランシスが、マシューのボストンバッグをヒョイと取り上げて肩に担いだ。カークランド邸からメインストリートまでは、結構な距離がある。
「お気づかいなく。自分で持ちます。結構、重たいですよ」
「つれないこと言うなよ、仔猫ちゃん。せっかく二人きりになれるチャンスなのに」
フランシスが片手を空けて差し出すと、マシューは素直に握り返してきた。そのまま指を絡めた状態で、ただ黙々と歩く。愛があれば言葉なんていらないとはいうものの……終着点である空港行きのバス停が見えてきたので、フランシスは「なぁ。昨日、坊ちゃんと寝てたの、お前だろ?」と、言葉を絞り出した。
「え? ああ、そうですけど」
その話をするために見送りに来たのかと思い当たって、マシューは軽く眉をひそめた。そりゃ確かに、アーサーさんの前では話しにくい話題だろうけど。
「坊ちゃん、勘違いしてたみたいだな」
「ええ、あのメタボと寝てたつもりだったようですね。僕も最近、ちょっと肥っちゃったから、そのせいかな。ダイエットしなきゃ」
「そうなのか? 全然そう見えないぞ。着やせするタイプなんだな……じゃなくて、えーと、その……寝てた、だけか?」
マシューはそれには直接答えず、代わりに「アーサーさんの中では、アイツは『可愛い弟』のままみたいですよ」と、苦笑いしてみせた。
「来週も、お茶会しに来るのかい?」
「さすがに僕も、毎週は難しくて……えっと、スケジュールが調整できたら、連絡します」
(結局、何も聞けなかったな)と、フランシスは肩をすくめた。
死ぬ気で泳げば渡れる程度の「ご近所さん」である自分には大した負担でもないが、マシューは遠路はるばる、だ。移動時間も交通費もバカにならないだろうに、よくやるよ。お兄さん、仔猫ちゃんに無理して欲しくないんだよね。肥ったっていうのも、多分ストレスが原因だと思うんだよ。だから、つらいとか虚しいとか疲れたとか溜め込まないで、遠慮なく愚痴ってほしかったんだけど……カークランド邸に戻ると、中庭ではピーターがひとりでボール遊びをしていたのが見えた。
フランシスは、両手で己の頬をパンと軽く叩くと、笑顔を作って「アロー、おチビちゃん。1 on 1 する?」と、明るく呼びかけた。
「ピーター君、サッカー強いですよ。だって、お兄ちゃんのアーサーんとこは、サッカーの母国っていうです」
「マジでか。お兄さんとこのチームも、世界最強って呼ばれてんだぜ」
爪先でボールを掬い上げ、ポンポンと膝の上で転がしてみせると、ピーターが歓声をあげて飛びついて来た。地面に転がしたボールを挟んで仲良くフェイントの掛け合いを始める。そのうちに興奮したピーターが、シュートを打つように力一杯ボールを蹴り飛ばした。フランシスが「ヤベッ」と呟いたのは、ボールを奪われたからではなく、その軌道の向こうにジョウロなんぞを手にしたアーサーが、ぼんやり突っ立っていたからで。
「おい、危な……ッ!」
ボールはアーサーの後頭部を強打した後、さらに跳ね上がって、屋敷の窓ガラスを派手にブチ破った。
「あーあ。おチビちゃん、この屋敷の使用人か、メイドに連絡できるか? あの窓の片付け、手配してもらえ。俺は……坊ちゃんを寝かせてくるわ」
「あ、ハイです!」
ピーターがパタパタ駆けて行くのを見送り、フランシスはアーサーの側に歩み寄った。
「血……は、出てないな。おーい、聞こえるか? 吐き気とかしないか? ああ、無理に起き上がらなくていいぞ」
地面が柔らかく伸びた芝生だったのも、幸いしたのだろう。そっと抱き起こした腕の中で、アーサーは「ベースボールとかいう下品な遊びに夢中なお前が、紳士のスポーツに興味を持ってくれたのは大歓迎だがな、中庭でボール遊びをするなと昔から言ってるだろうが」などと小言を並べ始めた。フランシスは「あー…」と息の抜けた声を漏らしたが、気を取り直してアーサーを抱き上げる。
「あのねぇ、こーんなエレガントなお兄さんと、あのメタボをどうやったら……まぁ、いいや。それだけ文句が言えるようなら大丈夫そうだな。念のため少し横になっとけ。な?」
「こら、アルフレッド、人の話は真面目に聞け!」
坊ちゃんの可愛いメタボ野郎は、朝早くに帰った設定じゃなかったっけ? と訂正するのも面倒なので、ギャーギャー喚くのを「ハイハイハイ、わーったわーった」などとテキトーに聞き流しながら、部屋に連れて行く。ベッドに放り投げ「スラックスにシワが寄る」などと暴れるのを押さえつけて靴を脱がせ、強引に布団をかぶせたところで、ドアの向こうにピーターが立っているのに気付いた。
「ハウスキーパーのおばちゃんに電話したです。明日とりあえず応急処置して、修理のひとを探してくれるです」
「そっか、明日か。まぁ、この国にしちゃ上出来だな」
「あと、ピーター君は、アーサーにゴメンナサイしなくちゃです」
ちょっぴりしおらしい態度で部屋に入ろうとするのを、フランシスは衝動的に遮った。アーサーは(頭をぶつけた影響か、それとも元々オカシイのか定かではないが)意識が混乱気味だし、この子だって、他人の名前で呼ばれるのは面白くないだろう。
「アーサーはちょっと疲れてるみたいだから、ゆっくり休ませてあげような」
不安そうに頷く子供の頭を撫でてやりながら、フランシスは(コイツもしょーもない兄貴を持って、苦労してんな)と、軽く溜め息を吐く。
「おチビちゃんは、お友達んところにでも遊びに行っておいで」
「いいんですか? アーサー、ピーター君がいなくて、大丈夫ですか?」
「お兄さんも晩には帰るけど、それまでは看ておくから、心配いらないよ」
ピーターを送り出して、フランシスが部屋に戻る。それを待ちかねたようにアーサーが起き上がってきた。肩を押して寝かしつけようとするフランシス
の手を掴み「アルフレッド、そろそろお茶の時間だ」と、にっこり笑う。
そんな危なっかしい状態でも、仕事はまともにこなしているらしかった。少なくとも、地域圏会議でちょこちょこ会う時、自分やルートヴィッヒに議論を吹っかけてくる言動はいつも通りで、オカシイところは見受けられない。いっそ仕事に支障が出てくれれば、上司の連中も彼の異変に気付いて、強制的に入院でもさせてくれただろうに……と、フランシスは思う。
念のため、ピーターに「お前の兄ちゃんのオツムがいよいよヤバくなったら、駆けつけるからな」と電話番号のメモを渡しておいたが、とりあえずSOSの連絡は来ていない。
ただお茶会だけは、時が止まったように繰り返される。
* * * * *
「そういえば、アーサーさんとこにも中華街がありましたものね。むしろ、世界中にあるというか」
世界会議の日程中、一緒にディナーに行こうと提案されたときには「意外なチョイスだ」と驚いたマシューだったが、よく考えたら彼のところは、中華とフレンチぐらいしかまともな外食先がないともいわれるお国柄だ。割と食べ慣れているのだろう。
「チャイニーズレストランには、欧州とは違う、ちょっと変わった酒もあるんだぜ。氷砂糖をぶち込んで飲むヤツとか」
「聞くだけで悪酔いしそうですね……っていうか、それってそもそも、粗悪品が多かった時代の飲み方だったような」
「禁酒令の頃に、薬物まがいの密造酒をバンバン作ってたお国柄のおまえが、それを言うか?」
それはアルんとこの話で、ウチではフツーに製造・輸出してましたが、なにか……というツッコミを飲み込み、代わりに「ウォッカの代わりにオーデコロンや殺虫剤飲んでた連中よか、マシでしょ?」と、かわした。
「あいつら、しまいにパンに靴クリーム塗って、アルコール成分をしみ込ませて食ってたらしいな……美味いのかな」
「さぁ? 気になるんでしたら、今度イヴァンさんに聞いてみたらどうです? そんなのわざわざ好き好んで飲まなくても、堂々と美味しいお酒が飲める時代ですけどね……アーサーさんは酔ったらクセが悪いから『いくらでも』とは言えませんけど」
「誰のクセが悪いって?」
マシューは「貴方ですよ」とは敢えて答えず、代わりに「へーえ、この辺りにも地ビールがあるんだ? 試してみようかな。貴方は?」などと言いながら、メニューブックをアーサーに差し出した。
「お前、ビール党か。腹出るぞ」
「ひどいなぁ。ビールで太るってのは、迷信ですよ。ビール酵母は脂肪を燃焼してくれますし、美肌効果もあるんですっ!」
ほらほら、すっかり酔い潰れて……フランシスさんに一緒に来てもらえば良かったかな。
アメックスが使えなかったらどうしようと、内心ビクビクしながら会計を済ませ(うちは優良店だから、クレカもTCも使えるヨ、と笑われた)、アーサーの肩を担いでなんとか立ち上がる。東洋人の店員が「王氏の紹介だから、店の奥で休んでも良いゾ」と提案してくれたが、ぐでんぐでんのアーサーの様態が1、2時間で回復するとも思えなかったので、代わりに近くにモーテルでもないかと尋ねた。
「一応或る。でも、チョト良くない。迎賓館、戻るよろし。ハイヤー手配するヨ」
「ありがとう。でも、少し僕も夜風に当たりたいから」
それは半分本当で、半分嘘だ。
少しはマシだと教えられた、エスニック調の(そして、ちょっとだけ下品で安っぽい)内装のモーテルに転がり込み、アーサーの体をベッドに転がした。ネクタイ、苦しいでしょう? ほらほら、ワイシャツにシワが寄りますよ……などと促して服を脱がせるのが、我ながらわざとらしい。
「酔いが冷めてきてるのかな。肌寒いんだ……暖めてよ、アルフレッド」
「全然、冷めてないね。貴方、絶賛酔っぱらい中だよ」
それでも差し出された手を握り返してやり、胸にすがりついてくる華奢な体を抱き取ってやった。
ねぇ、知ってる? 貴方が欲している人物は、こんなふうに貴方の希望に応えたりはしないんだよ。現実のアイツは「ワオ、アーサー。君ってそんな趣味があったのかい? さすがエロ大使だね。まったく、ドン引きだよ」なんて軽口を叩いて、容赦なく貴方を傷つけるだろう。それでもまだ貴方は、アイツを呼ぶの?
「なんだか、僕もちょっと酔ってるみたい」
自分に言い訳するようにそう呟くと、マシューはアーサーの体の上に覆い被さった。アーサーが怯えて身をすくめるのを、強引に抱きすくめる。
「ねぇ、いつまでも、可愛いだけの弟だと思ってた?」
「だって、アルフレッドは俺の……血は繋がっていなくても、俺の弟、だし」
「ふーん。じゃあ『可愛い弟』じゃなくなったら、もう、好きじゃなくなったりする? だったら、兄弟やめちゃおうか」
僕もあまり恵まれた体格ではないけど、それよか小さくて、細くて……貴方、よくぞこの体で闘って、世界の列強をねじ伏せてきましたね。太股の間に強引に膝を割り込ませると、涙ぐんだ目で見上げてきた。
「アルフレッド、これが宗主国にすることか」
「イヤならイヤで、嫌いになってくれても良いよ。いっそ『アルフレッド・F・ジョーンズが大嫌いだから、金輪際、顔も見たくない』って、宣言してよ……こんなところをおっ立てて言えるものならね?」
押し付けている膝で、熱く膨らんだ感触を感じる。煽るように擦り付けると、下着の内側でニチャニチャと粘っこい音がした。
「へーえ。貴方は、可愛い可愛い弟相手でも欲情できるんだ。それとも、背徳感にそそられる?」
「言うな、バカァ」
アーサーがうっとりと唇を寄せてきたのを、マシューはとっさに避けていた。アイツと勘違いされたままで、キスはされたくない。代わりに、下腹部に指を這わせた。既にだらしなくヨダレをたれているコックを握ると、その動きに合わせるように、艶かしい喘ぎ声が漏れた。
「これで、お前がまた、俺を好きになってくれるんなら、それでもいいんだ」
「ハァ? なにそれ」
アルはずーっと貴方のことが好きで、だからこそ弟扱いで誤摩化されるのが嫌で、貴方のもとから逃げたっていうのに。貴方はそれでもいいの? アイツのためにどこまで譲歩するの? 僕なら、貴方の望むままのファミリーでいてあげるのに。
「お前がそう望むのなら、ちゃんと恋人のキスだってするから……だから、帰ってきて、アルフレッド」
もう、それ以上聞きたくない。そんな世迷い言を並べ続けられたら、さすがにキレてしまいそうだ……片手をアーサーの口元に押し付けて塞ぐと、それをどう解釈したのか、指や掌にねっとりと舌を這わせてきた。己の手指が義兄の唾液で濡れたのを見下ろし、マシューは「これだけ濡らしてくれたら、ローション、いらないよね?」と、唇の端を吊り上げて笑った。
「力を抜いて、抵抗しないで……貴方だって、同じ占領されるんなら、武力制圧されるよりは、無血開城の方がマシでしょう?」
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