DK.NA【2】


窓の外が妙に薄暗いので、もしかしたら夕方まで寝過ごしたかと焦ったが、むしろ、まだ夜明け前であるらしかった。寝直すのは危険だな……と、あくびをしながらベッドから降りる。
可哀想な義兄をダマして弄んでしまった罪悪感はもちろんあるが、アイツに抱かれたんだと思い込んで、幸せそうにしている寝顔に、正直ムカつくのも事実で。もう一点、なんかあったような気がするけど何だっけと、ポリポリと頭を掻いて……ふと、サイドテーブルに視線がいった。外したメガネと携帯電話が放り出してあり、携帯電話のランプが点滅している。溜まりまくっている不在着信履歴が全てフランシスからだと気付いて折り返すと、呼出し音が二回もならないうちに、回線が繋がった。

「心配したよぉ、どこに行ってたの、マシューちゃん」

「ああ、すみません。アーサーさんが酔いつぶれたから、ちょっと休ませてて……今、チャイナタウンのモーテルです。場所は、ええと」

灰皿の中に置かれている粗悪な紙マッチにモーテルのロゴがデザインされていると気付き、その下に印字されている住所を読み上げた。

「了解。迎えにいくね」

「え。お気持ちは嬉しいけど、その、えーと。急がなくていいですよ」

ああ、そうだ。僕、フランシスさんとも付き合ってたんだっけ。だから、表立って「アイツを諦めさせてあげるから」とも言えない。でも、アーサーさんが心配で、アルなんかに渡したくないというのも本心で……我ながら矛盾しているという自覚はある。いっそ、この体を分裂してしまいたいと思うほどに。
とりあえず、フランシスさんが来る前に、なんとか取り繕っておかなくちゃな。シャワーでも浴びて、室内にも匂いがこもってるから、換気扇を回して……アーサーさんの服、どうしようかな。このひと、酔っ払って全裸になるのはいつものことだから、ほったらかしでも大丈夫かな。それに、バレたところで……フランシスさんだって、いっつも女の子ナンパしてヘラヘラしてるんだから、おあいこじゃないか!





領事館ナンバーの車を使うのは職権乱用だと分かっていたが、外交特権を振りかざせば信号無視もスピード違反もお咎めなしの(字義通りの)スーパーカーが手中にあるのに、わざわざ民間のキャブなんぞをチンタラ使っていられない。超特急でお目当てのモーテルに辿り着き、運転手に先に戻っているよう告げる。ドアを蹴破りかねない勢いでフロントに押し掛けたフランシスは、流れるような優雅な仕草で店番とおぼしきオバチャンの手を(今にも警備会社へ通報するボタンを押そうとしているのを、さりげなく阻みながら)掴んだ。

「アロー、お美しいマダム。ここに泊まっている客を迎えに来たんだけど、もちろん入っていいよね?」

「あ、ハ……ハイ。えーと、内線でお呼びしましょうか?」

年甲斐もなくボッと頬を赤らめているオバチャンは、フランシスの碧い宝石のような瞳に見つめられて、もうすっかり正常な判断力をなくしている様子だ。

「いや、こっちから部屋に行くよ。部屋の鍵を、まるでマダムのハートの宝箱のように開けてくれると、嬉しいな」

「なら、ご案内しますわ」

カウンター横にあるキーボックスから、マスターキーとおぼしき鍵を一本取り出し、スカートの裾を直して少女のように恥じらいながら「こちらです」と、薄暗い階段を指した。

我ながら美しい顔に産んでくれて、ありがとうママン。
フランシス、色々便利。

お目当ての部屋のドアを開けてもらい、チップ代わりの投げキッスを一つ、オバチャンに捧げておいた。

「さて、と」

窓の外は少しずつ白みかけているが、室内は枕元のランプひとつでは、まだ薄暗い。
シャワールームを誰か使っているようだが……狭い室内をデーンと占領しているベッドに、もう一人がシーツにくるまり、背中を向けて横たわっている。二人ともブロンドの髪だし、肌は抜けるように白いから、顔が見えないとよく分からないな……と思いつつも、フランシスは根拠もなく「俺の可愛い可愛い、仔猫ちゃん♪」と呼びかけていた。
だって、ウエストすっごい細いし、シーツ越しに見えるボディラインがエロいんだもん。ちらっと見える耳たぶも、可愛らしいチェリーピンクで。寝ぼけているのか、顔を隠すようにシーツを引っ張り上げる指先が真珠細工のようだった。

「あれ、裸? 仔猫ちゃんってば、お兄さんに隠れてイケナイ遊びをしたのかな?」

シーツの上からガバッと抱きしめると、驚いたのか軽く身じろぎしたものの、嫌がる様子はみられなかった。その髪や肌から立ち上る甘い匂いを、フランシスはよく知っているような気がする。首筋にチュッと唇を押し付けると、それを何の合図と解釈したのか、クルリと体を反転させて、ほっそりした腕を首に巻き付けてきた。

「あれ、この反応って、俺だって分かってる? それとも坊ちゃんと間違えてるの?」

どっちでもいいけどネ……目を閉じて唇を重ねると、たちまち舌が割り込んできた。まるで独立した生物であるかのようにゆるやかに這い回ったかと思うと、狂おしく踊る。互いに深く、浅く絡み合っては、向きを変えて小さく息継ぎをして、再び沈み込んでいく感触に煽られて、体の芯がじんわり熱を帯びる。あれ、お兄さんもキッスのテクニックには自信があるんだけど。何たって、世界ランキング2位だぜ……と、意味もなく対抗意識を燃やし、滑らかな頬を両手で挟んで、サァ、本腰を入れるぞ、という時に。

「何してるんですか、アンタ」

冷たい声で、呼びかけられた。はっとして振り向くと、そこにはモーテル備え付けの薄っぺらいガウンを羽織ったマシューが、あきれ顔で突っ立っていた。

「えっ、マシューちゃん? なんで?」

「なんでっていうか、安ホテルのシーツって、なんとなく痒くなる気がするから、シャワー浴びてたんですけど」

そういえばマシューちゃん、ちょっと肥ったって言ってたっけか。こんなに痩せっぽちなわけがない……ということは、コイツは……と、あごひげをべったり濡らす唾液を手の甲で拭いながら、恐る恐る見下ろした。そこにいたのは、キスのテクニック世界ランキング堂々の首位を誇るお国柄で……考えてみれば、彼が幼い頃はたくさんハグをして可愛がり、長じてからもケンカするほどナントヤラの永い永い腐れ縁だ。肌の匂いぐらい、覚えていてもおかしくないのかも知れない、が。

「てっ、てめぇ、このド腐れワイン野郎! アルフレッドがようやくキスしてくれたと思ったのに、何してくれてんだ! そのヒゲ全部ブチ抜くぞコラァ!」

アーサーもようやく覚醒した様子であった。状況を把握して涙目になりながらも、そこはさすがに元ヤンキー。渾身のストレートパンチを放って、フランシスをぶっ飛ばしたのであった。





結局、俺の仔猫ちゃんは、あのエロ大使の毒牙にかかっちゃったの? どうなの?

気にはなるが、自分が豪快にやらかしたせいで、どうにも面と向かって真相を聞きづらいフランシスであった。一方のアーサーは、ただでさえ脱ぐわ吐くわ記憶を失うわの泥酔っぷりで悪名高いお国柄。当然まともに覚えている筈もなく、けろっと「昨夜はアルフレッドと一緒だったぞ。朝は、マシューとふたりして、迎えにきたんだろ?」などと言い切って空想のノロケ話を延々と展開する始末で、全く役に立たない。
まぁ、もし何かあったんだとしても、もうお互い子供じゃないんだから、お兄さん、別にとやかく言わないつもりだけどね。ホラ、男っていうのは、恋多き生き物なんだし。

「ねぇ、仔猫ちゃん。その可愛いお膝でお昼寝させてくれたら、騙されててあげる。ほら、寝不足は美容の大敵だし」

いくら寄り道をしててもいいよ。最後に、俺のもとに戻ってきてくれるんなら。
休憩室のソファに寝転がり、マシューの太股に頭を乗せる。確かに、スラックスの下にむっちりした肉の感触があった。なるほどこれは、坊ちゃんがあのメタボと間違えるわけだ。二の腕も柔らかそうだよなぁ、ふにふにしたいなぁ。揉んだらさすがに怒るかな? 唇もすごくふわっと美味しそうで……などと漠然と考えているうちに、心地よい眠りに誘われかける。
そこに……フェリシアーノが紙切れ片手に、パタパタと駆け込んできた。

「フランス兄ちゃんも参加して?」

フランシスは物憂げに肩まで伸びた金髪をサラサラとかき上げ、その紙を受け取った。

「なんだこりゃ。参加ってことは、なんかのイベントの名簿か?」





実はアレ、僕だったんですよと、ネタばらしをしたくなる衝動を堪えながら「アーサーさん、貴方、酔っぱらって夢でも見たんでしょう」と説得すると、思ったよりアッサリと「そうだよな。俺も、アレは夢じゃないかとは、薄々思ってたんだ」と頷いた。

「そうなんですか?」

「大体、おかしいとは思ったんだよ。アルフレッドなら、こう……もう少し重たいだろうし」

「そこですか」

確かに、僕もあそこまでメタボじゃないしな。マシューが苦笑いを浮かべながら、なにげなく紅茶のカップを口に運……んだ瞬間。アーサーが「それにアイツのセックスがあんなに気持ちいい訳がない」などと言い出したので、豪快にむせてしまった。

「あ、オイ、マシュー。急にどうした? 水、飲むか?」

アーサーが、子供にしてやるように、マシューの背中を優しくさする。マシューにとってはそんな扱いも(アルフレッドとは違って)不快どころか心地よいので、遠慮なく甘えて、撫でられるままになっておく。

「あ、ありがとうございます。もう、大丈夫……で、その……そんなにヨかったんですか」

お褒めに預かり光栄です。僭越ながら、かろうじてランキングトップ10ですとも……とは言わない。

「ぶっちゃけ、な。だってホラ、アイツんとこってホラ、ワーストから数えた方が早いんだろ。つまり、まだまだアイツはガキってことさ」

「はぁ」

「そうそう。もう一点、いつもアイツが首に掛けてる、ドッグタグが無かった」

「ああ、あの犬の鑑札みたいなやつ」

兵士が戦死したときに備えて身につけている、名前や所属などを刻印した小さなプレートだ。そういや、アイツ、そんなの提げてたっけな。アーサーさんとはたまにしか会わないのに、そんな細かいところまで、よく見てるよな、感心するよ。それとも、アイツだからこそ、そこまで見ているのか。だとしたら、すごく、嫌だ。

「でもなぁ。どうせ夢なら、恋人のキスぐらいさせてくれても良かったのに」

「あれ、アルに占領されたかったんですか?」

「冗談じゃねーぞ。もし、まかり間違ってそんな機会があったら、今度こそ宗主国の意地ってもんを見せてやる。向こうがそんなに『弟じゃない』って言い張るんだったら、こっちだって容赦しねーからな」

なんだよ、結局アレと寝るつもりなんだ? という野暮なツッコミは敢えてせず、茶化すように「御武運を」と煽っておいた。そういえば、アーサーさんとこは、アルよか下位……ってか、むしろブービーだったような。ま、アルが痛い目みるなら、それでもいいや。



* * * * *



あれから、アーサーさんからのお茶会のお誘い、ないな。
マシューは玄関ポーチ先に設置した自宅の郵便受けをのぞいて、軽く溜め息を吐いた。今日だけで、もう何回こうやって、郵便物をチェックしているんだろう。アリスの世界にある“三月ウサギのお茶会”だって、永遠に続いたわけじゃないというのに。
今頃、あの人は多分、空のティーカップ並べたりすることもなく、現実のアルを紅茶……いや、多分コークかコーヒーで……もてなしているのだろうか。我ながら、とんだ道化だったな。
玄関へと戻る足どりが重く、マシューはフラフラとしゃがみ込んでしまった。

「アロー。こちら、三月ウサギさんのお宅?」

背中に投げかけられた声に驚き、頬を伝う涙を拭うのも忘れて振り向く。そこに立っていたのは、でっかいバラの花束を無造作に担いだフランシスだった。

「そろそろお茶の時間だと思って、フィナンシェ焼いたんだけど」

「は? えっ? なんで?」

「おチビちゃんの絵本に載ってた。一応、いかれ帽子屋さんのシルクハットも用意したんだけど、なんかブリティッシュスタイルって妙にダサいんだよね。でも、ちゃんと“眠りネズミ”も連れてきてるから、いいよね」

フランシスの背後から、ひょいと顔を出して「クマ次郎さんと遊びにきたですよ!」などと笑ったのは、ピーター・カークランドであった。

「は? あの、フランシスさん。よそ様の子供連れて、よくもまあ通報されませんでしたね」

「ああ、入管職員が女性だったから、つるつるッと顔パスで」

「何そのイケメン無罪みたいなの。理不尽極まるんですが……入管は男女混成チームにするように、通達を出した方がいいのかな」

「大丈夫、お兄さんの美貌は男にも通じるから!」

「いやいやいや、万一未成年略取誘拐扱いされたら、さすがの外交特権でも見逃して貰えませんよ。ウチ、そういうの厳しいんですから……なんで、ピーター君まで連れてきたんです?」

「んー? 緊急避難的な?」

何事かと思ったが、話を聞いて、マシューは頭を抱えてしまった。いわく「アルフレッドと仲直りのお茶会をするけど、二人きりだとなんか気まずいから、テメェも来い」という上から目線のお誘いがあったのだそうな。ちなみに「マシューは?」と聞いたのだが、薄情にもコロッと存在を忘れていたようだ。

「アルフレッドは、どうせ紅茶飲まないんだろ。コーヒーがいいか? コークもあるぞ」

アーサーがそういいながら、黒いペットボトルを取り出す。アルフレッドは何気なくそれを受け取り、蓋を開けようとして、ふと、眉をひそめた。

「ねぇ、アーサー。これ、一度栓を開けてない? そんなことしたら、炭酸が抜け……」

次の瞬間、瓶の口から凄まじい勢いで泡が吹き出した。アルフレッドはヒャアと変な声をあげて、ボトルを取り落とす。

「ちっとも抜けてなんかねーじゃねーか」

「いや、絶対にオカシイよ、コr……ぶぁっ!」

ボトルはコーラの泡を吹き出しながら、フローリング床で思い切り跳ねた。まさにロケットのような勢いで、アルフレッドの顔面を直撃しテキサスを吹っ飛ばしてから、テーブルの上で大回転して、アーサーご自慢の年代物の燭台やらケーキスタンドやらをなぎ倒す。アンティークのティーセットが容赦なく床に叩き付けられ、可憐な音を立てて割れた。

「ちょっ、てめぇっ! なんてことしやがるんだ!」

「俺のせいじゃないよっ!」

悲鳴や破壊音の嵐の中、ピーターが「ロケットってか、ミサイルですね」と呟いたのを聞きとって、フランシスは事態を把握した。先日、マシューがピーターに作り方を教えていた、メントスコーラ・トラップじゃないか。アルフレッドとアーサーは、お互いに相手のせいだと思い込んで、猛烈な勢いで怒鳴り合っている。

「……そこで、ほとぼりが冷めるまで逃げておいた方が得策と判断して、その場をそーっと離れてきたってわけだ。つーか、これって半分、お前のせいだよな」

「本当に引っかかったんだ、ざまぁみろ。あのバカ、やっぱバカだ」

そして、そんなバカに引っかかるアーサーさんは、もっとバカだ。
さらにいうと、そんなアーサーさんが気になって色々やらかした自分が、一番バカなんじゃないか。

「あの、フランシスさん。本当はこの前、僕……」

フランシスは、人差し指をマシューの口元に立ててその先を遮ると「さ、お茶しようか。お兄さんとこの紅茶も、あの眉毛んとこには負けてないんだから」と柔らかく笑ってみせた。マシューはコクンと頷いて、手の甲で顔を拭う。

「あと、不思議の国っていうからには、やっぱり“アリス”役のおにゃのこがいた方がいいのかと思って、セーちゃん呼んであるから……そろそろ着くんじゃないのかなぁ?」

「は? いやまぁ、あの娘とは仲良しだし、貴方とも交流あるから、おかしくない組み合わせですけど」

確かに人数が多い方が楽しいけどね……と、首を傾げていると、フランシスがマシューの肩にグッと腕を回し、耳に息を吹き込むようにして「つまり、いかれ帽子屋さんだって、水銀中毒だけが理由で狂ってたわけじゃないかもしれない、ってこと」と、囁いた。

「……ハイ?」

「そーいう鈍チンなとこは、アーサー似なのね。ホラ、お泊まりするときに、おチビちゃんの子守役がいたら、遠慮なく二人きりになれるだろ。そんで、夜のワンダーランドに、ね?」

ニヤリと笑ったフランシスの足を、耳まで赤く染めたマシューが思い切り踏みつけた。



END

【後書き】ヘタリアについては前作1本だけで終らせるつもりだったのですが、あまりにもマシューの黒いところがツボったのと、エロ成分が少なかったので、補充がてらに書いてみました。ちなみに、世界ランキングがハマってて地味にウケたわ……キスでトップのくせに、セックスでワースト2のイギリスってば、一体。
タイトルは「Responce(回答)」に関連して「Don't know/No Answer(無回答)」の略語より。デンマークとナミビアには何の関係もありません。
初出:2015年03月24日
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