当サイト作品『熏衣草』の続編。
稲×八前提です。予めご了承ください。

蘋婆果【1】


罪の果実を
男は喉に、女は胸に。




昼休みに携帯を弄っていた相川が「これこれ、見て見て」と八軒を手招きしたのが、そもそもの発端であった。

「なにこれ?」

「拾ってきたハナシなんだけどね」

ディスプレイに表示されていたのは、数行の小ネタだった。いわく、媚薬をつくる最も簡単な方法は喉に噛み付くことです、と。

「喉には甲状腺があるからね。のど仏のすぐ下のあたり。ここから出るホルモンは心拍数を上げる効果があるから、刺激されてドキドキするから、もしかして恋かも、って思わせる効果があるんだってサ」

「ふーん」

「まぁ、実際んとこはどうか分からないけどね」

八軒が気乗りしないのを見て取ると、相川は苦笑いしながらパクンと携帯電話を折り畳んだ。まだ、なにか色々思い悩んでいるようだな。懲りないというか、飽きないというか。

「八軒君、今度は誰のことで悩んでるの?」

「他人のこと前提かよ」

「でも、そうなんでしょ? いつものことで」

「茶化すなよ……分かってるけど、ついつい、ね。ほら、他人のことを考えてる方がまだ、楽……といったら変かもしれないけど、建設的なような気がして。俺自身の悩みなんてさ、なんていうか、小さいっていうか、情けないっていうか」

「ハイハイ、ストップ、ストップ。分かった、分かったから」

「分かった分かったって、何が分かったんだよ、畜生」

八軒がイラッとして声を荒げかけたところで、常磐が空気を読まずに「ハチぃ。次の時間の宿題忘れちゃった。写させてぇ」と、割り込んできた。




「で、実際んとこはどうなんだろ?」

寮に戻って来るなり真顔でそんなことを言われても、西川は「熱でもあんのか、オメ。それとも、悩み過ぎて頭パンクしたんか?」としか答えようがない。

「もしそれがホントだったら、何か役にたつような気がしてサ」

「媚薬だろ? 恋のお悩み相談の救世主ぐらいにはなるかもな。あとは……なんだろ。商業ベースに乗せて一山アテるとか、か? タマコが本腰入れて企画したら、なんとかなりそうだな」 

「そうそう。で、検証に動物使うのは中島先生に叱られそうだから、まずは人体実験で」

「ハチ、オメェもすっかりここに染まったな。動物よか人体実験の方が先って。とりあえず俺、洗濯でもしてくるわ」

それとなくスルーしようとしたが、ガッと腕を掴まれてしまった。相変わらず、言い出したら引かない性格をしていやがる。

「一人じゃできない実験なんだから、手伝ってくれよ。友達だろ?」

「いや、そうは言ってもサ。つまり俺に、喉に噛み付くか、噛み付かれるか、どっちかやれっていうんだろ? それでソの気になっちゃったらどうすんの。友達なんだろ?」

「え? ソの気になるようなら実験成功ってことで、いいイんじゃないの?」

「いいのかよ! いや、それでオマエがいいんだったら、いいんだけどさ」

百歩譲って俺はよくっても、オメ、食品科の先輩がいるんじゃなかったのか……しばらく会ってないから、もうどうでも良くなったのかよ、と首を傾げる。
確かに、この時期の三年生は忙しいしな。コイツはコイツで相変わらず他人ことまで色々抱え込んで、駆けずり回ってるし。いや、会えない寂しさを紛らわせるために、わざと厄介事を抱え込んでいるのかもしれないな。こんなしょうもないことでも、少しは気晴らしになってコイツが楽になれるんだったら、それはそれで協力してやる価値はあるのかもしれない……と西川は溜め息を吐くと、洗濯かごを床に置いた。

「じゃあ、俺、どっかに行ってた方がいい?」

隣で話を聞いていた別府が気を利かせたつもりなのか、そんなことを言い出して腰を浮かせたが、西川は「いやいや、俺を見捨てないで。二人きりなんてしないで。マジ勘弁、頼むワ」とすがりついた。八軒も真顔で「そうだね、第三者っていうか、記録担当も要るだろうし」と、頷く。

「えーと。心拍数を測ったりするの? でも、俺そういうの詳しくないよ。詳しそうな人、代わりに連れて来ようか」

「なんだか、どんどん大掛かりになってるんだけど」

というか、そんな衆人環視の中で喉に噛み付いたり噛み付かれたりって、それなんてプレイなんですか……と思うと、西川は頭痛がしそうだった。相川のアホ、なんでそんなしょーもないネタをコイツに仕込んでるんだ。根が真面目クンなんだから、真に受けるに決まってるだろうがよ。
やがて、別府が戻って連れて来たのは、奇しくも当の相川であった。

「だって、獣医さん目指してるっていうから、脈を診たりとか、そーいうのもできそうだなって思って。俺、談話室でネットでもして待ってるから、終わったら呼んでねー」

「あ、うん。そうだよな。そういう意味では、確かに適任者だよな」

がっくり脱力して、西川は怒る気にもなれなかった。
八軒も「相川かよー」と不満げではあったが、実験を撤回するつもりはないらしく「あくまで、相川は記録担当だからな」と釘を刺した。いやいや、俺が記録担当で、相川が検体でも俺は構わないんですが……と言いたかったが、相川はニコニコと「ハイハイ、じゃあ、とりあえず平常時の脈拍数測るね」と言いながら、西川の手首をとった。親指の下側を探って動脈を見つけると、腕時計を見ながらブツブツと数を数える。

「えっ、俺が噛まれる側?」

「僕はどっちでもいいけど、八軒君が噛まれる側なら、八軒君の脈も診させて」

「手握られるのイヤだから、西川のでお願い」

「ちょっと待てコラ!」

さすがに理不尽だろうと西川は喚いて抵抗したが、身長差のある相川と、背丈こそ変わらないが肉体労働で筋肉をつけてきた八軒の二人がかりで、下段ベッドに押し込まれて組み敷かれてしまった。
仰向けに転がされた状態で八軒が腹の上に馬乗りになり、両腕は上げるような姿勢で相川が手首を掴む。

「これサァ、媚薬とか甲状腺が云々以前に、貞操の危機を感じて心拍数が上がるんじゃね?」

西川がボソッと抗議したが、相川はしれっと「僕、西川君相手じゃ欲情しないから、平常心でいてくれていいよ」と言い放った。

「そういう問題かよ!」

「怒らない怒らない。怒ると血圧上がるし、心拍数にも影響出るから…とりあえず、落ち着いてからだね」

相川が片手で、ペタペタと西川の顎から首筋に触れる。それがやけに冷たく感じるのは、逆に西川の顔が紅潮しているせいだろう。首筋の大動脈もドクンドクンと鳴っているのが自覚できた。このまま『落ち着かない状態』だったら、実験しないで済むのかな、俺ってアタマイイ! などとボンヤリ考えていると、相川が「そろそろいいかな」などと言い出した。

「えっ、ちょっ……」

反射的に首を引いて逃げようとした。ガンッと顎が八軒の顔面にぶつかったようだが、それにもめげずに掌底の要領で顎を押し上げて無理やりに上を向かせると、屈み込んで食いついてきた。

「……いだっ、ちょっ……、ハチ、歯ァ立てんな!」

「ごめん。どのぐらいの力で咬めばいいんだろ?」

「やだなぁ、八軒君。それを今、実験してるんじゃないか」

「そっか」

そっかって何だ、そっかって! 納得するな、納得するな、バカハチが! と、喚きたいところであったが、何故か息苦しくて声が出づらくなる。

「甲状腺は確かにその辺りだけど、あんまり強く圧迫して、気道を潰しちゃダメだよー」

「んー…難しいなぁ」

気道を潰すってなんだよ、俺を殺す気か……つーか、急所でもある喉元に噛み付くってこと自体、殺しにかかってるようなもんじゃん……と、ツッコもうにもツッコむ余裕もなく、意識が朦朧としかけたところで、激しく咳き込んだ。

「もう少し、甘噛みぐらいじゃないと。このぐらい。分かる?」

えっ、と思って上を見ると、身を乗り出した相川の胴体が視界を遮っていた。腰には、まだ八軒が跨がっている感触がある。ちゅっ、という濡れた音が聞こえた。ちょっ、こいつら、ひとの体の上で何やってんだよ。妙に腹が立ったが、まだ二人を押しのけるほど回復してはいなかった。
喉元に吸い付かれた八軒は、状況を理解できずにボーッとしていたようだが、相川に「ドキドキした?」と柔らかく微笑まれて、我に返った。

「いや、ちょっとビックリしただけ」

「んー…これぐらいじゃ足りないか。もう少し試す?」

「いや、俺の平常時の脈拍とってないし」

この際、そんなのどうでもいいと思うんだけどナァ……と肩をすくめながら、相川は仕方なく元のポジションに戻って、西川の手首を捉まえる。

「脈早いよ。さっきのからまだ回復してない? 落ち着いたら、甘噛みで再トライするけど」

「回復してないっつーか、なんつーか、さっきのお前らの」

「八軒君じゃなく西川君がドキドキしても、意味がないっていうか……噛み付いて心拍数が上がるかどうかの実験なんだからサ」

そりゃそうなんだけど、この状態で平常心でいろという方が無茶な注文だろがよ……と、反論するまえに、再び首筋に噛み付かれた。今度は、首の皮に吸い付いて、しゃぶるような感じであり、先ほどと違って痛くはないが、くすぐったい……だけではなく、背筋というか尻の辺りがむず痒くなるような気がした。

「ちょ、ヤベェ、タンマタンマ……ヤベェし、もちょこいし」

左手首は相川に掴まれているので、もう片手で必死で八軒の胸を押すようにして拒んだ。

「発情した?」

「うるせぇ、発情ゆーな。つーか、嬉しそうに聞くな」

「実験成功だね、相川」

だから、嬉しそうに報告するな……ともあれ、これで八軒の気が済むんだったら、まぁ、いいか。西川は溜め息を吐きながら「じゃ、どいて」と八軒を押しのける。

「でも、一例だけじゃなんとも言えないよね。もう少しデータとらないと。今度は、八軒君が噛まれる側してみる?」

「俺が噛むのかよ?」

「嫌だったら、西川君に記録係してもらって、僕がするけど」

「いや、絶対オマエがやりたいだけだよね、つーか、最初からそれ目的だよね……ハチ、どうするよ? どっちに噛まれたい?」

「えっ、どっちもヤダ」

きっぱりと言い放つ八軒を、西川が呆れながら「ハイハイハイ……」と撫でてやっていると「だからこそ、やる価値があるんじゃないか。最初から気がある相手に試しても、それが媚薬の効果なのか、他の要因の成果なのか、分からないでしょ」と、相川が言い出した。

「まぁ、確かにそう言われりゃ、そうかもしれんっけ」

「でしょ?」

「でも、だからって嫌がってるとこすることないべサ」

「嫌がっててもその気になれちゃうぐらいじゃないと、媚薬とは言い難いよね」

ダメだ、八軒と並ぶインテリキャラでもある相川相手に、口先三寸で勝てるわけがない。見事に言いくるめられてしまった気がする。

「ええっ、だったら、西川でいい」

「西川君の方がマシ? だったら、ますます僭越ながら僕が担当させてもらわなくちゃ」

「ええええっ、そんなぁ!」

「まぁ、確かにお前が言い出した実験だしな。頑張れ? ヤバくなりそうだったら、俺が止めてやるから」

「う、うん。絶対だよ? ちゃんと止めてよ?」

「酷いなぁ、そんなに僕、信用ない?」

相川はニコニコと愛想のいい笑顔を浮かべていたが、やがて「そろそろ、八軒君も落ち着いたかな? まずは平常時の脈拍数、測らせて?」と言って、右手を差し出してきた。




組み敷かれるのを警戒したのだろう。顔を強ばらせながら八軒が「なにも横にならなくたって、喉に噛みつくぐらいならできるだろ」と言い張ったので、ふたりはベッドの上で向かい合わせに座る形になった。
正確に言えば、枕側の壁に背中を付けるように座っている八軒に、身長差のある相川が覆い被さるようにして、首筋に唇を寄せている。西川が脈を診るのかと思っていたが、相川は片手を八軒の胸元に滑り込ませて「自分で診れるよ」と言った。
いや、それ脈診てるっていうよか、胸触ってるだけだよね。つーか、俺、居る意味あんの?……と、西川が気づいてツッコもうとした頃には「んっ、ふっ……」という押し殺した喘ぎ声が漏れていた。

「発情した?」

「し、してないっ……」

「そう? 体の力抜けちゃってるよ? 横になる?」

いかにも心配しているふうを装っているが、八軒は信用できないらしく、頭を振って拒んだ。

「大丈夫、平気……それよか、もう十分データとれただろ。どけよ」

「つれないなぁ。どう見ても、体は反応してるのにな。西川君もそう思うよね?」

ベッド脇に置いた椅子に腰掛けていた西川は、急に話をふられて「あ、ああ、その、なんというか……うん」と、言葉を詰まらせた。

「ハチが嫌なら、その、無理に続ける必要も無いかな、とは思うけどサ」

「今、中途半端に辞めるとかえって辛いんじゃないかな。ほら、八軒君のもパンパンになってるよ?」

八軒がハッとして、部屋着のトレーナーの裾を引っ張って股間を隠す。女子がミニスカートを押さえるような仕草に似ていた。頬を赤らめて膝をもじもじとすり合わせている様子からも、相川の指摘通りであることは明らかだった。

「み、見るなよ、西川」

「えーと、そうは言われても……俺、部屋出ようか?」

「それじゃ意味ないだろ! 止めてって言ってるんだよ!」

「あ、そっか。じゃあ……相川、もう辞めたげて?」

自分でも間抜けだとは思いつつ、一応、そう声をかける。相川は真顔で「僕は別にいいけど、実験は? ちゃんと効果が出てるかどうか、確認しなくちゃでしょ?」と、言い放った。

「それとも、発情してるかどうか、直腸検診でもして確認しようか?」

「ちょっとマテ。どうしてそこで、そういう発想になるんだ」

西川は呆れたが、相川は「どうしてって……酪農科だし」と、さも当たり前のように言うと、八軒の部屋着のズボンを引き下ろしにかかった。

「確かに野菜にコーモンはないもんな。酪農科だったら、直腸検診の実習もあるんだろうし……って、そういう論点じゃない!」

「そう? せっかく実験してるんだったら、データ取れるところは取らなくちゃ、でしょ?」

「俺の時は、直腸検診なんかしなかったろ。なんでコイツんときだけ」

「西川君も直腸検診されたかった? 後でしてあげようか?」

あれ、なんか会話おかしくね? これ、日本語通じてなくね?
西川が頭を抱えている間に、くちゅ、という濡れた音と押し殺した喘ぎ声が聞こえて来た。

「これ、どう診ても発情してると思うんだけどなぁ。どう、八軒君?」

「んっ……もう、発情で、いいから、もう、ヤ……あンッ」

「いいから、何? 指じゃないのが欲しい? でも、腸壁を刺激されて出た程度の体液じゃ、ちょっと足りないかな。西川君、ローションか何か無い?」

「そこで俺に話を振りますか! アンタ鬼ですか!」

「だって、八軒君に怪我させたくないでしょ?」

「それはそうなんだけど」

ローションか何かっていっても……オナニー用のヤツ? オナホの付属品の、残ってたっけ。潤滑油代わりになりそうなものねぇ。別府のオリーブオイル勝手に持ち出したら怒られるだろうな。手荒れ用のクリームなら、確かハチが持ってた筈……って、なんでそんなもん真剣に探してんだよ、乗せられるな! 冷静になれ俺!

「あ、西川君、無かったら無いでいいよ。なんか、八軒君も我慢できなくなってるみたいだし……八軒君の眼鏡、また壊したら困るから、ちょっと預かってて」

「えっ、ちょっ……ホントにいいのかよ、ハチ」

既に全身の力が抜けて弄ばれるままになっている状態だったが、朦朧とした表情ながらコックリと小さく頷いた。

「だって、もう……ずっと」

その言葉の続きは多分「会っていない」だと気付いた西川は、早まるなと止めようとしたが、声を出す前に八軒の腕が柔らかく相川の首に巻き付いていた。西川はいたたまれなくなって、部屋から逃げ出したかった。少なくとも目を背けてしまいたかった。だが、金縛りにあったかのように体が動かず、声も出なかった。


初出:2013年02月10日
←BACK

※当サイトの著作権は、すべて著作者に帰属します。
画像持ち帰り、作品の転用、無断引用一切ご遠慮願います。