当サイト作品『熏衣草』の続編。
稲×八前提です。予めご了承ください。

朔日草【1】


「こないだは、ゆっくり楽しんでこれたか? その、仲良く、さ」

他の部員が帰り、部室で片付けなどをしながら、依田が八軒にそう声をかけた。寮生はもれなくホルスタイン柄ビキニパンツの写真を見ているが、依田は不幸にして(というか、幸いというか)寮住まいではない。

「あ、はい。おかげさまで」

「そっか。よかった」

相当前に酔いの勢いでやらかしたこととはいえ後ろめたかっただけに、依田は救われた気分になって、ホッと息を吐いた。

「……これ」

八軒が何を思ったか、シャツの衿に手を掛けて引っ張ってみせた。依田が釣り込まれるようにして、シャツの中にちらりと視線をやった。

「……うわ」

首筋や胸元に、赤い痣が咲いている。

「これでも、かなり消えちゃったんですよね」

「それで幸せならいいけどさ」

「幸せ……なのかなぁ。センターも近いし、受験終わるまで会えないだろうし、終わったらすぐ卒業だし」

ああ、地雷踏んだな、と依田は己の失言を悔いた。

「三年だからなぁ。同じ三年でも、大川先輩は内定貰ったらあとは退屈すぎるって、車の免許とったら、豊西先輩のアッシー状態らしいけど」

衿を掴んだ手を見下ろすようにして俯いている八軒が不憫で、依田が頭を撫でてやる。男同士でこんな扱いをされたら嫌がるんじゃないかとふと思ったが、八軒はおとなしく撫でられるがままになっていた……だけでなく、コトンと依田の胸元にもたれかかって来た。

「さびしいのか? 相手は三年生なんだから、仕方ないだろ。いい子にして待っててやれよ」

「うん」

いやいや、コレはちっともいい子じゃないぞ、むしろ悪い子だぞ……と言いたいところだが、おとなしく待っていたところで、卒業してしまえば自然消滅してしまうだろうことも分かっているので、あまり無責任に「待ってたらおk」と言い切れないのも辛い。

「人肌恋しいんだったら、ルームメイトのカレにでも撫でてもらえよ」

「あいつとはそーいうんじゃないもん」

「だったら俺だって、そういう訳じゃないんだがさ」

「アレは依田先輩じゃなかったの? 確か、前に泊まった時に」

「あー…その、酒の上での出来心だから許せ。つーか思い出さなくていいっつーか、むしろ、犬に咬まれたとでも思って、積極的に忘れてください、お願いします」

バレたら、今度は胸倉を掴まれるだけじゃ済まない、という自覚はある。

「……駄目?」

可哀想とは思いつつ、依田は「ハイハイ、駄目だから」とわざと明るい口調で言って、胸から引き剥がした。




西川がいつものようにベッドでラノベを読んでいると、下の八軒が「なぁなぁ」と声をかけてきた。

「冬休みは、帰るの?」

「どうしようかなぁ。農作業は無いけど、雪かきはしろって言われてんだよなぁ。お年玉も貰う予定だし。ハチはどーすんの?」

「帰らないよ」

「正月ぐらい帰ってやれよ……寮の連中もかなり雪かき要員で帰らされるだろうから、寂しくなるだろ」

そこで会話が途切れたので、西川は気になってベッドから身を乗り出すようにして、下をのぞいてやった。八軒は背中を向けた姿勢で転がっていて、表情は見えない。

「どうしたよ」

「いい子にして待ってろってさ」

「は?」

よく分からないが、今日は部活から帰って来てから、ずっとこの調子で拗ねているのは明らかだ。しゃーないなぁ、と梯子を下りた。

「入るぞ、ハチ」

ベッドに上がって肩に触れてやると、いかにも煙たそうに振り払われた。なんだよ、慰めてほしいんじゃないのか、だったら二次嫁でも召還するかと思って背を向けたら、その途端にTシャツの後ろの裾を掴まれた。

「ちょ、オメ、嫌なのか居てほしいのか、どっちサ」

「ワカンナイ」

背中に子泣き爺ぃのごとくに引っ付かれて、参ったナーと思っていたら、別府が「ハチと西やんが残るんだったら、俺も残ろうかなぁ、皆で年越しってのも面白そうだし。調理室の使用許可とって、お節とか作ろうよ」と言い出した。

「あ、それ、ナイスアイデア。ハチ、どうよ」

「え、う、うん」

八軒が慌てて、西川の背中から降りる。別府は最近、そういうシチュをスルーするのには慣れたらしく、知らん顔をしながら「他に誰が残るだろうね、相川とか常磐あたり、どうかな。馬の世話があるから、円山とか木野君も残るだろうし、誘ったら来るかなァ」と続けた。




いつもつるんでいるメンバーのひとり、瀬勢速見が「悪いけど、ちょっと付き合ってくれないか」と、稲田に電話をかけてきたのはクリスマスも過ぎ、年の瀬が押し迫った頃。

「どうした? 煮詰まったか?」

「それもあるけど、ちょっと息抜きっつーにはヘヴィというか」

眼鏡をかけた真面目そうな男が、いかにも困惑しているのが受話器越しにも伝わった。

「どうしたよ? 別にいいけど。どこにいるんだ?」

「お前んちのマンションの下」

「おう。すぐ行くわ」

コートを羽織ってエレベーターを降りると、白いダウンジャケット姿の瀬勢と小柄な少女が見えた。

「あれ、君、一年の……」

「池田です」

その隣には、池田の友人のノッポの少女も居る。
なるほど瀬勢だったのか。それで、いつも一緒につるんでいるうえに、過去に話をしたこともある俺に、キューピット役を任じたという訳だ……と稲田は納得した。家に集まってたむろした時のメンバーにも入っていたから、そのときにでもお近づきになったのだろう。

「とりあえず、駅前でハンバーガーでも食べようかってサ」

「ダブルデート?」

「そんなとこ。頼むよ」

瀬勢は心底困り抜いたという表情をしている。稲田はニヤッと笑って「この色男が」と冷やかした。瀬勢は少女らに聞こえないように小声で「そうは言っても、プレゼントを貰った翌日から、毎日メールだの電話だの……今日も、冬休みで会えないからちょっとだけでもいいから会いたいとか、そんなんで」と、愚痴った。

「熱烈じゃないか。恋する乙女は積極的だな」

「こっちは受験生なんだから、少しは考えて欲しいんだけど」

「それだけ愛されてるってことだろ」

「ちぇっ、他人事だと思いやがって」

こっちはメールの一通も無い、まったくナシのツブテだけどな、とは稲田も口に出しては言わない。八軒だって何かと抱え込んで忙しいに違いない。とりあえず、ハンバーガー屋に連れていき、ボックス席を取った。瀬勢の隣には池田が、稲田の隣には友人の少女が、それぞれ座る。
なるほど、確かにこれはダブルデート状態だなと苦笑いしながら、塩辛いだけのフライドポテトを口に押し込んだ。




それからダラダラと、占いやらテレビドラマの話やら、女子主導の会話が続く。ああ、なるほど、コレはしんどいなと、心底同情しなしがら腕時計を見て「そろそろ、帰った方がいいんじゃないかな」と促した。寮生なら、そろそろ戻らないと夕食の時間に間に合わない。池田らは時計を見て「ああっ、ホントだ」と悔しそうに呟いた。

「じゃあ、寮の入口までは送ってあげるから……瀬勢はそのまま帰るか?」

少し早めに解放してやろうと考えた稲田がそう促すと、池田が「えーっ」と不満そうな声を上げた。ちょっと前まで、いかにも内気で奥手っぽい態度だったのだが、恋人ポジションを手に入れて少し図々しく、もとい逞しくなったようだ。むしろ、連れのノッポの娘の方が微妙にモジモジしている。

「でも、瀬勢んちは逆方向だし、なぁ?」

「あ、うん」

席を立って、バーガーの包み紙やカップを捨てていたところで「えーっと、トメさん?」と、背後から声をかけられた。

「ああ、アンタ、確か馬術部の……大川サン、だっけ?」

「トメさん、ちょっと顔貸して。そこの女の子は置いて来て」

えっ、と稲田と瀬勢で顔を見合わせる。やがて、瀬勢は肩をすくめながら「じゃ、俺が二人を送って行くわ」と諦めたように呟いた。

「あー…済まん。その、頑張れ?」




大川について店を出る。横道に入ると小型車が停まっており、助手席から豊西が降りて来た。カツカツとパンプスを鳴らして近寄ると、ガッと稲田のコートの衿を掴んで「いやぁね、いやらしい」と、吐き捨てた。

「は? ああ、もしかしてさっきの、見てた?」

「見てたも何も。窓際の席陣取って、女の子と長いことくっちゃべってたじゃない。あれ、一年生? 通りから丸見えよ」

「俺じゃなくて、瀬勢の付き合いだったんだけどな」

「八軒カワイソー」

なぜそこで八軒、と言いかけたが、一瞬早く「なぜそこで八軒」と大川がツッコんだ。

「女の勘よ」

「訳ワカンネー。お前が嫉妬して呼ばせたと思ってたのに」

「アンタは分かんなくていいの。稲田君が分かったら、それでいいから」

「はぁ」

「御影がさ、八軒の元気が無いって。お友達がガッコ中退しちゃったこと、まだ気にしてるんじゃないかって言ってたんだけどさ……それだけじゃない気がしてて。そんな状態でアンタ、女の子とデートなんかしてたら、可哀想でしょ」

「繋がりが全然ワカラン」

大川は煮え切らない表情であったが、稲田の方は、豊西の言いたいことの大凡の意味は理解できた。その『前提』がどこまでこの女にバレているのか、確認するのも怖い、と思っていたところで、豊西が声を潜めて「八軒についてたキスマーク、アンタでしょ?」と、大川には聞こえないように囁いた。

「えっ?」

「私は現物見てないし、ルームメイトだって噂だけど、絶対違うと思う。アンタでしょ。オムライスんときもムキになってたし、怪しいと思ってたのよ」

そんなものいつ……と言いかけて、先日、八軒を自宅に泊めたときの事を思い出した。
どこにどうやってつけたかなんていちいち覚えていないが、無我夢中の出来事だったし、都会のモヤシっ子で育ってきただけあって、肌がえらく柔らかかったのは記憶にある。
あーあ……と呻いて、稲田は頭を抱えてしまった。一方、豊西は言うだけ言って、スッキリしたようだ。

「さて、お腹空いたな……大川、なんか食べて帰ろ?」

「おごらねーぞ」

「分かってるわよ。なに拗ねてんの?」

そりゃ拗ねるだろ、カレさん妬いたんだろ……とは(言えば火の粉が降り掛かって来るだろうから)あえて言わないでおく。代わりに「ここいらだったら、そこの銀行の駐車場に入れて、駅ビルに入ったらいいんじゃね? 安い店あるし」とアドバイスしてやった。

「おう、そうする。トメさん、お騒がせして悪かったな」

そのトメさん呼びは止めてくれ、とツッコみたかったが、大川はサッサと車に戻る。豊西は「稲田君ちでご飯食べても良かったのになー」とボヤきながら「じゃね?」と手を振って、大川の後を小走りについて行った。

一体なんなんだ、もう。
ふと携帯を見たら、メール受信していた。八軒かと思って開いたが、多摩子であった。正月は実家に帰るのか、帰らないならお節を作るんだろうから、食べに行きたい、とのことだった。勝手にしろ、と返信しようと思ったが、ふと思いついて『八軒も連れてこい』と打った。
今年は受験生なんだし、お節なんか作るつもりは無かったのだが、元気が無いとかいう八軒を少しでも元気づけられるのなら……いや、飯食わせておけばいいなんて、ちょっと安直かな。
携帯を握ったまま、マンションに向かって歩きだすと、すぐに手の中の携帯が振動した。

『了解』

たった一言の返信だが、そのディスプレイから目が離せなかった。そのまま歩を進めていたら、自転車に乗って走っていた中年男性にぶつかりかけ「メールしながら歩くな、ボケ」と罵られたが、路面が凍るこの季節に自転車に乗っている方もじゅうぶん非常識なので、気にはならなかった。

初出:2012年12月31日
←BACK

※当サイトの著作権は、すべて著作者に帰属します。
画像持ち帰り、作品の転用、無断引用一切ご遠慮願います。