当サイト作品『熏衣草』の続編。
稲×八前提です。予めご了承ください。

篝火花【1】


せっかくふたりきりだと思ったのに。
思わぬ闖入者にさすがに稲田も表情を硬くしていたが、まさか母親を叩き出す訳にはいかないだろう。それでも「来客用の寝具なんて無いからな」と牽制して、暗にホテルに部屋を取るように促してみたが、ママンはけろりとして「大丈夫よ、毛布送ってあるから、床で寝るわ。空調効いてるし、床暖房だし」と、言ってのけた。

「あの、俺は床でいいです」

「アタシも床でいいわ」

いや、そこは空気読めよ一年コンビ。稲田も仕方なく「わーったわーった、じゃあ、お袋と多摩子が俺のベッド使ってくれ。俺と八軒はリビングで寝る」と告げた。

「兄さんと八軒で部屋を分けた方がいいような気もするけど」

ボソリと呟いた多摩子を、稲田がジロッと睨んだ。ママンは息子の淹れた紅茶を機嫌よく啜っていたが「そういえば、終業式だったのよね。成績表は貰ったの?」と言い出した。

「なんだよ、子供じゃないんだから、そんなもん見たがるなよ。良くも悪くもねーよ」

「私は、持って来るの忘れちゃった。まぁ、農業経営はぶっちぎりだけど」

「あらまぁ、この子達ったら」

それを聞いていた八軒は、何気なく提げていたカバンを漁った。通学用カバンをそのまま引っ掴んできたので、もしかしたらと思ったのだ。案の定、白い二つ折りの厚紙が百円パンツの下に紛れ込んでいた。でも、ここで俺が出すのも変だよな?

「あら、ユウちゃんは成績表あるの?」

「あっ、はっ、はいっ、そのっ、これっ!」

つい、差し出してしまったが、親に成績表を閲覧されるのは、今でも時折悪夢を見るほどプレッシャーになる習慣だった。チラリと一瞥した父親が「こんなものか」「こんなんで進学できると思っているのか」と呟くのならまだマシで、中三になった頃には舌打ちすらする価値がないと言わんがばかりに、テーブルに捨て置かれた。それを思い出して冷や汗が出たが、ママンは「まぁ、優秀ね」と明るい声を出した。

「札幌のいいところから来たっていうけど、本当に優秀なのねぇ。こんな息子さんを持てて、ご両親も鼻高々でしょう」

「いえ、そうでもないです。俺なんか出来損ないだって親に思われてます」

「そうなの? こんなにいい成績なのにねぇ」

「でも、実習では皆の足引っ張ってるし」

「頑張ってるって書いてあるじゃない」

ママンは八軒をチョイチョイと招き寄せて「いい子、いい子ねぇ」と、その頭を撫でてやった。

「先輩……俺、先輩んちの子供になりたい」

褒められた感激のあまり、御影の家にバイトに行ったときと同じ感想が口をついて出た。それを受けて、ママンはしれっと「じゃあ、多摩子のお婿さんになるか、真一郎のお嫁さんになればいいじゃない。そうしたらユウちゃんもうちの子よ?」と言ってのけた。

「え、多摩子はいいです」

「私だってお断りよ。従業員としてなら雇ってやってもいいけど」

「あらまぁ。だったら、真一郎が貰ってやれば?」

母親の悪のりに、さすがに稲田が呆れて「いつから、日本でも同性婚が認められるように法改正されたんだ」とツッコんだ。

「それはそうと、俺は軽く食べてるし、コイツも寮で食って来ただろうから、支度してないんだが……お袋、夕飯食ったのか?」

「勝手に台所を触ったら真一郎が怒るだろうから、食べてない」

「私は寮で食べたけど、もう一食ぐらいなら食べられるわ」

あーあ、仕方ないなぁ……とボヤきながら、稲田がキッチンに入る。

「丸鶏に入れる予定だったピラフなら有るけど……それでいいな? 鶏に入れる分は、また作り直せばいいし」

はいともいいえとも返事を聞かず、器に丸く盛りつけると、電子レンジに放り込む。ついでにハムでも焼くか、と冷蔵庫から取り出しているのを、カウンター越しに見ていた八軒が「あの、俺も食べたいです。美味しそう」と、言い出した。

「……あのなぁ」

稲田が呆れながらも、もう一皿追加してやる。
その様子を見ていたママンは、多摩子にこそっと「お見合い写真、要らないのかしら?」と囁いた。




「じゃあ、そろそろ寝室借りるわね」

ママンと多摩子がそういうと、寝室に引きこもった。夕食と風呂を済ませて、タラタラとテレビを見ていたら、すっかり零時を回っている。無意識に(ああ、四時間も寝れない)と思った八軒であったが、ふと、明日の朝練どうしよう、と気がついた。ここから行けなくもないが、それならもっと早く起きる必要がある。慌てて携帯電話を取り出した。
御影に架けようとしたが、稲田の家にいると言いにくくて部長の依田に架ける。

『こんな時間になんだ』

かなり不機嫌な声で受け答えた依田に「すみません、明日休ませてください」と告げる。

『はっ? ふざけんな。理由は何だ?』

「あの、外泊してるので、ちょっと遠くて」

『どこだ?』

「あの、稲田先輩んち……なんです」

ああ、と空気の抜けたような声が聞こえた。やっぱりダメかな、頑張って起きるかな、と諦めかけていたところに『明日だけでいいのか?』と尋ねられた。

「えっ、その……はい、一応」

『そのカラダっていうか、尻っていうか。その……いいのか?』

「えっ、ちょ……っ、いや、確かにそういうつもりだったけど、その、色々あって、でもだからって」

動揺して、ぐだぐだになっている八軒を隣で不思議そうに見ていた稲田であったが「俺が話そうか?」というと、ヒョイと携帯電話を取りあげた。

「もしもし? 稲田ですが。ご無沙汰しています」

『げぇっ……! あ、いや、その……馬術部の依田です。その節はどうも……なんか、八軒がお世話になるそうで』

「ええ、一日お借りします」

『借りるというか、その……こっちは構いませんので、いくらでもごゆっくりどうぞ』

依田は慌ただしく電話を切り、稲田は首を傾げながら八軒に電話を返した。

「いくらでもごゆっくりどうぞ、だとさ」

「はぁ。なんだろうね、依田先輩。変なの」

事情を知らない稲田と、すっかり忘れている八軒はキョトンと顔を見合わせたが、ともかく休みが取れたということは、ゆっくり眠れるということだ。

「そこのソファなら、手足伸ばして寝れるだろ。俺はそっちの独りがけ使うわ」

「え、俺が独りがけの椅子でいいですよ。その、俺の方がちっこいし」

「ちっこいとかそういう問題でもないとは思うんだが……ああ、テーブルに足乗せるなら乗せてもいいからな」

そういうと、稲田はママンの荷物の中に入っていた毛布を八軒に渡す。せっかく一つ屋根の下でお泊まりなのに、テーブルを挟んで別々に眠るのかと思うと不満だが、壁一枚向こうにママンと多摩子がいることを考えれば、致し方ないというところだろう。

「寝にくかったら代わるから、言えよ」

そういうと、稲田はソファにごろりと横になった。リモコンで電灯のスイッチを弄って、薄暗い豆球に切り替える。八軒も眼鏡を外してテーブルに載せると、シングルソファに座って、肘掛けにもたれたり、浅く腰掛けたり、逆に深々と座ってのけぞってみたりするなどして、楽な姿勢を模索する。どうやってもイマイチ寝にくいけど、自分よりガタイのでかい先輩だったら、もっと無理だよな、とも思う。ちらっと稲田の居るソファを見ると、既にうとうとしているのか、静かな呼吸が聞こえている。

こんなに近くに居るのに。

そう思うと、この距離が酷く理不尽に思えた。毛布を抱えたまま、そっと稲田が寝ているソファに近寄った。




頬に触れられた感触で、意識が浮かび上がった。眠気で目蓋が重くて開かないが、誰かが覆い被さるような姿勢になっているのは気配で分かった。しょっちゅう泊まりに来る悪友らが寝顔でも撮ろうとしているのか、あるいは額に肉などと落書きしようとしているのかとぼんやり考え、蹴飛ばしてやろうと軽く足を振り上げた。そのリアクションに怯えたのか、触れている手がビクッと震える。その反応で『今宵のゲスト』を思い出した。多摩子が相手なら別に蹴っても平気だろうし、お袋はうまく避けるだろうが、どちらもこんな可愛らしい反応は返さない。ということは。

「……八軒?」

「あ、その、すみません」

危なかった。稲田は一気に眠気が醒めた。

「あっちの独りがけ、寝にくかったんだろ。代わってやるわ。このソファ、いいぞ。手足伸ばせるだけじゃなくて、クッションも柔らかいし」

だが、起き上がろうとするのを押しとどめるように、胸元にしがみついてきた。

「そうじゃなくて、その、せっかくこんなに近くにいるのにもったいない、って思うと」

「いや、そんなこと言っても、隣……」

「分かってます。でも」

しばらくそのままの姿勢で、八軒の頭を撫でてやっていた。騒がしくはできないけど……キスぐらいならいいか、とその手を顎へ滑らせ、そっと持ち上げてやる。すぐにその意図を察したのか、ほとんど抵抗なく流れるような動作で体が近づいて来て、唇が触れ合った。すぐに離すつもりだったが、舌が強引に割り込んで来た。お互いの呼吸が早まっていくのは、単に息苦しいというだけの理由ではない。

「だって、やっと先輩の近くにいられるのに、ホントに、先輩なのに」

何度も何度も、うわ言のように繰り返している。稲田は、己の腹の上に乗りかかっているその胴をポンポンと軽く叩く。

「八軒、隣、分かってるだろ? だから、お預けな」

「だって俺……静かにしますから。声、我慢しますから」

必死で訴えかける姿についほだされそうになるが、それでもなんとか踏みとどまったのは、隣室の邪魔者の存在だけが理由ではなかった。もう一度だけ軽く口付けてやって「そろそろ寝ないと、明日起きられないぞ? 眠ってただけで休日が終わったら、それこそもったいないだろ?」と囁いた。




翌朝。ママンがリビングの窓を全開に開け放ち、入って来た冷たい空気に、稲田は無理やり起こされてしまった。

「おはよう。爽やかな朝よ。空気の入れ替えをしましょ」

「なんの嫌がらせだ、お袋」

「嫌がらせなんて失礼ね。ママのハグとキスで起こしてあげても良かったんだけど」

「よくねぇ!」

この人は本当にやりかねない……と、稲田は危機感を持って体を起こした。一方、稲田の胸にしがみつくようにして眠っていた八軒は、まだぼんやりしている。

「クーラーと床暖房じゃ、やっぱり寒かったのかしら? ストーブ焚いた方が良かった?」

いや、別に暖をとっていたわけではないんだが……と言いたいところだが、母親相手にそれを自爆するほど稲田もサバけているわけではない。時計を見ると、朝の七時を回ったところだった。

「寝過ぎで頭痛い」

悲しい習慣が身に付いてしまった八軒がボソッと呟くが、多摩子は「寝過ぎというより、むしろ寝ないで戯れてたんじゃないの?」とツッコんだ。

「休日なんだから、もう少しゆっくり寝かせろよ」

「お腹空いて目が覚めたんだけど、兄さんの台所、勝手に使っていいの?」

「あー…それはよくないな」

俺はおさんどんでもお手伝いさんでもねーぞ……とブツブツ言いながらも、稲田は八軒を胸から引き剥がしてソファに転がし、あくびをかみ殺しながらキッチンに入った。ベーコンが残ってたから、薄切りにしてカリカリベーコンにでもするか。洋風ということは……スープどうしようかな。先にコーヒーでも落とすか。

「そういえば、真一郎はクリスマスツリーとか飾らないの?」

ダイニングテーブルに座って、淹れたてのコーヒーの香りを嗅ぎながら、ふとママンがそんなことを言い出した。

「男の独り暮らしで、そんなん飾るかよ」

「面倒くさがりなのね。季節ごとは楽しまないとダメよ。それがメリハリってものなんだから。そんなことだろうと思って、色々準備してきたんだけど」

いいや、違うな。子供が家を出て夫婦ふたり暮らしになり、行事ごとではしゃぐことが少なくなった寂しさを解消しにきた、というのが正確なところに違いない。従業員やその家族を呼んで、会社としてのイベントをすることもあるが、それはあくまで福利厚生の一環としてであり、事業主の妻という立場から羽目を外す事もできないのだろう。
だからといって、金銀のモールやリボンや電飾を、息子の独り暮らしの家に飾り付けようというアイデアには賛成しかねる。

「トナカイのカチューシャもあるのよ」

「被らないぞ」

「真一郎がそんなふうにつっぱねるから、多摩子も無理に背伸びするのよ。本当に子供らしさがないったら……八軒君、被る?」

「あ、はい」

まだ寝ぼけてぼんやりしているのか、それとも『断らない男』の本領を発揮しているのか、八軒はママンが差し出した、玩具のトナカイの角付きカチューシャを受け取り、素直に頭につける。

「ほら、八軒君のトナカイ。だから、真一郎はサンタさんして?」

「八軒。本当に嫌だったら嫌って言っていいんだからな。俺のお袋だからって遠慮しなくていいんだからな。つーか、面白がってどこまでも調子に乗るからな、このヒト」

「いや、でも、ウチは父さんがこういう遊びは勉強の邪魔になるとかいってたから、こうやって行事ごとではしゃいだことなんか無くって、なんか新鮮で」

しみじみとそんなことを言われてしまうと、稲田も「はぁ」としか言えなくなる。
ママンもその告白には心を揺さぶられたようで「だったら、今日は一日、ウチの子になったつもりで、思い切り楽しんでお過ごしなさいな。おばさんのことはママと呼んでいいのよ?」と言い出す。

「は、はい! ありがとうございます!」

「八軒君もああ言ってることだし、サンタさん着なさいよ、真一郎」

「無理。少なくとも多摩子、そこのカメラをしまえ」

「ちっ、兄さんのそんな間抜けな姿、写真に撮ったら絶対に売れるのに」

「代わりに、そこのトナカイ撮ってやれよ」

八軒が着ているパーカーの色がちょうど茶系のために、余計にトナカイのようになっている。あの下のパンツはホルスタインだけどな、とはあえて言わないのが武士の情けだ。お袋に引っ掻き回されるのは業腹だが、八軒が楽しんでいるのならそれはそれでいいかと半ば諦めて、稲田はスクランブルエッグを作っているフライパンを揺すった。

裏ブログ部分公開:2012年12月25日
当サイト収録:同年同月30日
加筆訂正:2013年01月04日
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