篝火花【2】
さらに昼には、ママンのリクエストで丸鶏だのクリスマスケーキを作らされた。
「つい先日もツレが来るからって、作ってるんだがな」
「さすがに作り飽きた? 兄さんも、意地張らないで、出来合いのものもうまく活用すれば楽なのに。ほら、絞るだけのクリームとか売ってるでしょ? ほらほら、丸鶏に入れるピラフだって冷凍ものを使ったらいいのに」
多摩子がそう言って、カウンター越しにニヤニヤ笑っているせいで、かえって手を抜けないのが、余計に腹がたつ。
「へーえ。そうやって鶏のお尻からピラフ突っ込むのね。そーいうプレイ?」
「どういう意味だ」
「べーつにぃ? でも得意でしょ?」
「多摩子。兄をからかってるのか」
八軒が、皿や鍋を洗ったりして手伝ってくれるうえに、味見をさせるといちいち大袈裟に感激するのが可愛らしく、それに励まされてなんとか仕上げに漕ぎ着けたようなものだ。多摩子には鼻で笑われる細かいこだわりも「これって、ちょっと普通のと違いますよね? 絶対こっちの方が美味しいです!」などと、舌で感じ取って反応してくれるのが、嬉しい。
「さて。そろそろ帰るわね」
口元をハンケチで拭いながらママンがそう言ったのは、息子が作ってくれた豪華ランチをゆっくりと平らげ、食後の紅茶を嗜んだ後であった。
そういえば、ここに来た目的である見合い写真はどうしたんだろうと、稲田は首を傾げたが、今ここでそれを口にすれば「あら、見てくれるの?」と嬉々として広げ始める地雷になるのは想像がついていたので、ぐっと飲み込む。
「その、色々とありがとうございました」
八軒がぺこりと一礼すると、ママンはその頭を撫でながら「今日はユウちゃんが居てくれたおかげで、真一郎も素直になってくれてて嬉しかったわ。いつもは照れて、まともに会話もしてくれないのよ。これからも仲良くしてあげてね」と囁いた。
「は、はい!」
「いいからもう、とっとと帰れよ、お袋。荷物はこれで全部だな? 家に送り返しておくから……あと、多摩子も帰れ」
「そんなに露骨に邪険にしなくてもいいじゃない。じゃあ、八軒も一緒に帰る?」
促された八軒が素直に(そうだな、俺も帰らなくちゃいけないんだ)と、カバンを引き寄せたのを見て、稲田の表情が引きつった。ここで「八軒だけ残れ」というのもおかしいし、八軒を引き止めるために多摩子も残っては、本末顛倒もいいところだ。
「ホホホ、冗談よ、兄さん。ちょっとからかっただけじゃない。そんなに怖い顔をなさらないで。八軒はもう少しゆっくりなさい」
「えっ? あ、いいの?」
「私とママはこれから、駅前で女同士の買い物をする予定なのよ」
そういうと、多摩子は軽くウインクをしてみせてから、コートを羽織った。女二人が出て行くと、稲田はまさに嵐が去ったような、という形容がぴったりの虚脱感に襲われた。なんだったんだ、一体。ソファにぐったりと腰を下ろす。
わざわざ玄関まで二人を見送りに出ていた八軒が、小走りにリビングに戻って来て「じゃあ、この飾り付け、片付けますね」と、壁のモールに手を伸ばした。
「そんなの、いつでもいい」
「え、でも。俺がこれ散らかしちゃったんだし、俺が片付けないと」
「いいから、来い」
語気が少し強過ぎたようで、八軒が怯えてビクッと身じろぎをした。泣きそうな顔になって「その、ごめんなさい」と呟く。その卑屈さが余計に苛立ちを募らせたが、稲田は軽く息を吐くと「いや、お前に怒ってるわけじゃないから」と、むしろ自分に言い聞かせるように言った。
「おいで」
手招きをすると、おずおずと近寄って来る。その腕を掴んで、強引に引き寄せた。
(だって、やっと先輩の近くにいられるのに、ホントに、先輩なのに)
微妙にその言い回しが引っかかっていた。まるで、今まで別の誰かがいたような、その罪滅ぼしに自分を使いたがっているような……実際に、ルームメイトがカレシ役として色々世話をやいていたようだが、本当にそれだけなんだろうか。揚げ足を取るようで自分でも嫌になるが、肌で感じるザラついた違和感は拭えなかった。いや、多分、俺自身が気がたっているせいで神経質になっているだけだ。なにせ『お預け』が長かったものな。
寝室に移動するだけの僅かな時間も待ち切れず、その場で組み敷いていた。さすがに少し驚いたようで「ちょっ、先輩……」と嗜めるように肩を押し返してきたが、それがかえって逆上させる結果になったのか、その手首を掴むと力任せに床に押し付けた。そのまま、自分が押さえ切れずに強引に服を剥ぎ取り、露わになった肌に食らいつく。
都会から来たもやしっ子だって聞いてたけど、ホントだなと、沸騰している頭の片隅でボンヤリ考えている。簡単に握りつぶせそうな華奢な骨格と薄い筋肉。それを覆う肌は柔らかく、滑らかだった。脚の間に膝を割り入れて、押し拡げる。八軒の携帯電話がノンキな着信メロディを鳴らしたことすら(どこの誰からだ)と、やけに癇に障り、腕を伸ばして勝手にその電源を切ると、乱暴にブン投げた。
「……先輩? ホントに先輩、ですよね?」
他に誰が居るというんだ。それとも、誰か、居るのか? 誰だ? 苛立ちをぶつけるように一方的に貪り、登り詰め……ふっと我に返った時には、滴り落ちる汗を拭いながら軽く自己嫌悪に陥った。コイツに八ツ当たっても仕方ないのに、こんなつもりじゃなかったのに……吐き出したモノをティッシュで拭って、ゴミ箱に放り捨てる。
「その、ごめんな。痛くなかったか?」
「いえ、大丈夫です」
本当は怖かったろうし、痛かったろうに。涙ぐみながら「それだけ強く、俺のこと欲しいと思ってくれたんでしょ? すごく、嬉しいです」などといじらしく答えられてしまうと、なんだか面目ない気分になった。次はちゃんと目一杯優しくしてやろう、と心に誓う。
「ベッドに移るか?」
朦朧としながらも、こっくりと頷く姿がやけにあどけなく見えて、また劣情をそそられる。抱き上げてやろうとしたが、八軒は今さらのように照れて「大丈夫、自分で歩けるから」と断った。
そういえば、さっきメール来てたっけな。また迷惑メールかな。最近多いんだよな……と思いながらも、念のためにと八軒が携帯電話を拾い上げて電源をオンにすると、西川や多摩子からのメールが何通も追加着信した。どうしたんだろう、なんか急な用事でもあったのかなと首を傾げながら、眼鏡をかけて覗き込んだ途端に、今度は見覚えのない携帯番号から電話が掛かってきた。
「え? 誰?」
怯えて稲田を振り返る。手を差し出されたので、八軒は素直に端末を渡した。稲田が代わりに電話に出る。
「もしもし?」
『あれ? この番号って、勇吾のケータイじゃなかった?』
聞こえてきたのは、妙になれなれしい男の声であった。稲田は顔を引きつらせて「どちら様?」と尖った声を出したが、向こうはあっけらかんと『俺? 勇吾の兄ですけど、おたくは?』と打ち返してきた。
「八軒の……お兄さん?」
そう言われて、夏祭りの殺人焼きそばを思い出した。手に触れた食材を全て激マズ料理にしてしまう、伝説の悪魔の手。
「兄貴が? 何の用だろ」
「なんだ。お兄さんの番号、登録してなかったのか」
兄弟なら、口調が過剰にフランクであっても(個々の家庭の事情や個人間の感情はさておき、一般常識的には)おかしくない。
「だって兄貴のケーバンなんか知らないし、メアドも聞いてないし、そもそも連絡なんて取りたくもないから」
『なるほど、アンタが俺か。先生に連絡するように、勇吾に伝言しといてくれ。あと、ケーキ差し入れといた』
そういうと、通話が切られた。稲田は毒気を抜かれて「アンタが俺か、って……あと、先生に連絡しろ、ケーキ差し入れといた、だとさ」と鸚鵡返しにしながら、八軒に端末を返した。
「あっ……兄貴のヤツ、寮に顔出しやがったのか!」
さすが兄弟というべきか、兄の断片的な台詞から、八軒はかなり正確に状況を理解したらしい。
「どういうことだ?」
「外泊届けの理由、兄貴との面会ってことにしてたんです」
「は? ウソなんかつかないで、正直に書けば良かったのに」
「だって、ヘンでしょ。先輩の家にお泊りって。テキトーに書いてもどうせバレないと思ってたのに、まさかノコノコ直接乗り込むだなんて……どんだけ疫病神なんだよ、クソ兄貴」
ならば、西川らからのメールは「ヤバい、バレた」の類いだろう。もしかしたら「ケーキをつまみ食いしたら、倒れた」というのも混ざっているかもしれない。
こりゃ、ベッドでの第二ラウンドは無いな。バスタブに湯でも溜めるか……と、すっかり白けて服を拾い上げ、もそもそと袖を通していると、次はキッチンカウンターの上に置いていた稲田の携帯電話が、ガタガタと振動して踊った。
「多摩子か」
『八軒、まだそこに居る? なんか、連絡つかないんだけど』
「ああ、さっきまで電源切ってて」
『兄さんところに居たって、証言しておいた方がいい? なんか、行方不明扱いでえらい騒ぎになりかけてるから』
「八軒のお兄さんから、先生に連絡しろって伝言はあったけどな……とりあえず、多摩子からもうまく言っておいてくれ」
『分かったわ。トナカイの写真が役に立つわね』
なぜそこで唐突にトナカイが出てくるのか、稲田は理解に苦しんだが、賢い妹のことだから、なにか考えがあるのだろう。
「多摩子から、ウチに居たって言っといてくれるとさ。お前からも、下手に言い訳しないで、正直にそう言っておけ」
「あ、はい」
こわごわ寮に電話を架けると、すぐに宿直の先生が出た。
「八軒です。その、済みませんでした」
『おう、八軒か。まったく人騒がせだな。何のために外泊理由を書かせていると思ってるんだ、バカタレが』
怒鳴られるかと思ったが、なぜか先生は笑いを噛み殺している様子だ。ついさっき、えらい騒ぎになりかけていると言っていた筈なのに。ほんの一、二分の間に、一体何が起こったのだろうと首を傾げていると『道理で、二人仲良く外泊許可を取った訳だ』と言われた。
「えっ、ああ、多摩子と?」
『一緒に居たんだろう? 恥ずかしいのは分かるが、嘘はいかん、嘘は』
「え?」
恥ずかしいのは分かるって……一体、多摩子のヤツ、先生に何を言ったんだ? というか、多摩子と不純異性交遊しているだなんて勘違いされてるんだったら、嫌だ。嫌すぎる。
『トナカイとか、色々見せてもらったぞ』
「え? ああ、なるほど」
昨日から今日にかけて一緒に居た証拠として、多摩子はデジカメの画像を見せたらしい。
確かに、トナカイのカチューシャをつけてはしゃいでいる姿は、おとなげなかったかもなぁと、八軒はちょっぴり反省しながら「すぐに帰ります」と告げて、電話を切った。
「ただいまァ」
寮に戻ると、皆の視線が妙に痛い。確かに兄貴の出現で騒ぎにはなったようだけれど……と首を傾げながら、部屋に戻る。
「その、ハチ。正直すまんかった」
西川が妙に神妙な顔で出迎えた。
「いや、確かに兄貴との面会っていうのは西川のアイデアだったけど、俺もいい代案が浮かばなかったから、仕方ないよ」
「いやぁ、それもそうだけど、パンツがな」
「え? ああ、牛柄の? それは相川のせいだから、西川は悪くないっしょ」
「その場に居て、止められなかったからさ」
「先輩はあまり気にしてなかったみたいだから、いいよ別に」
そう言いながら、学習机の上に載っている一見するといかにも美味そうなケーキ(※但し、兄貴作)を容赦なくゴミ袋に叩き込み、コートをハンガーに掛け……ついでに着たきり雀だったTシャツも替えようとした。その上半身を見た西川が「げっ、ハチ、それ……今日は風呂、やめとけ、な?」と、恐る恐る注進した。
「え? なんで? いや、先輩んちでシャワー浴びてきたから、今日は別に入らなくても平気だけどサ」
八軒はキョトンとしているが、その首筋や胸元などには鬱血の痕や引っかき傷などがいくつも浮いている。姿見を見るように促されて、八軒は初めて己につけられたキスマークに気付いたようだ。
「うわ、すごい熱烈」
「そういう問題か? なんか、えらい手荒にされたみたいだな」
「そうかな。嬉しいけど」
「嬉しいって、マゾか! つーか、一日ぐらいじゃ、消えんべな、それ」
「え、消えたらもったいないじゃん」
「どうしてそうなる!」
「だって、先輩のものになってるって感じ、するっしょ」
いやいや、フツーにDV案件だろ。ダメだ、ハチのやつ、完全にお花畑モードに入ってる。それだけ心ゆくまでイチャついてきたということだろうけど……軽くムカついたので、西川は「俺も、しょっちゅう寝ぼけてるハチにそーいうの、つけられてるけど?」と、皮肉ってみた。
「それとこれとは全然別だから。これは愛があるの、愛が」
けろりと宣言されてしまう。
なにそれ、なまら腹立つ。畜生、爆発しろ……いや、別に妬いている訳じゃないけどさ。
浮かれていた八軒がどん底に叩きつけられたのは、その日の夕飯時だった。正確に言えば、食堂に向かう途中、告知板に貼られた紙にちらりと視線をはしらせた時、だ。
『八軒勇吾:外泊届の虚偽申告により、一週間の便所掃除を命ず』
そこまではいい。バレた時点で、ある程度の覚悟はしていた。
問題は、その隣に画鋲で留められていた写真だ。バスルームで着替えていたところを多摩子に盗み撮りされたのだろうか、ホルスタイン柄のビキニ一丁姿の八軒の姿が、バッチリと写されていた。なるほど、これは恥ずかしい。
それを見た瞬間、八軒は、先ほどの西川の態度や寮生や先生からの奇妙な視線の意味を理解し、がっくりと両手を床についてうなだれてしまった。
【後書き】クリスマス当日は多分本編で触れるだろうから二次ではさわらねーよ、と思ってたのですが、クリスマスにリアルチャット状態でいざきさんとメールしたのが面白かったので、思い切って捏造してみました。
タイトルはシクラメンの別称。クリスマスの花でもあるとのことなので。花言葉は、内気、はにかみ、遠慮がち。赤い花は嫉妬。白い花は清純。 |