当サイト作品『熏衣草』の続編。
稲×八前提です。予めご了承ください。

猩々木【1】


夕食後から風呂までの自由時間。
八軒はベッドに寝転がって携帯電話を眺めながら、ニヤニヤしていた。先日、多摩子から兄・真一郎の連絡先と写真画像数枚を『買って』から、暇さえあれば、ずっとこの調子だ。西川が呆れながら「らぶらぶメールでもしてんのか? おやすみなさい、チュッ☆とか」と、冷やかした。

「してない」

「なんで?」

「なんでって……恥ずかしいもん。それに、勝手にアドレス貰ったの、叱られるかもしれないし」

「教えてもらっただけかよ。そのアドレスに一万円だか払ってんだろ? それじゃ意味ねぇだろ」

「意味なくないよ。なんかあったときに、連絡取れるし」

「なんかって何」

「分かんないけど……でも、繋がってるってカンジするっしょ」

「はぁ」

らぶらぶメール交換や写真を眺めているのならまだしも、ただの英数字の羅列を眺めているだけでも幸せになれる乙女全開のお花畑回路が、西川には信じられない……というか、キモいので信じたくない。

「ところでハチ。馬術部の彼女のアドレスは貰ってんの?」

「貰ってるけど?」

「彼女のアドレス見て、ニヤけたりはしないのか?」

「いや、別に。御影とは、センセから携帯返してもらう前に、毎朝、厩舎で会うし……メールが来るとしても、どうせ次の休日当番、とかの事務的な連絡事項ぐらいしか、やりとりないし」

「はぁ、そんなもんですか」

寮では夜間、ネットやゲームが学習や睡眠の妨げになるのを防ぐために、個人の携帯電話を部屋ごとに回収している。先日の山小屋事件で、誰も八軒の携帯に直接連絡しようとしなかったのは、八軒が夜中に抜け出して、そのまま戻ってきていない=携帯を持っていない、と、予め分かっていたからだ。

「まぁ、お前がそれでいいなら、いいんだろうけどさ」

多少、トゲのある言い回しになってしまったが、八軒にはこれっぽっちも刺さらなかったらしく「うん、いいんだ」と上機嫌で返されてしまった。どーしたもんかと苦々しく思っていると、賑やかなアラーム音がした。

「んだよ、別府のケータイか。あいつ、机の上に携帯ほったらかして、何処いったんだ?」

「俺、探してくる」

八軒が、別府の携帯電話を持って部屋を出て行き……入れ替わるように、今度は八軒の携帯電話が枕元で留守番していることに、西川は気付いた。なにしてんだか、と拾い上げる。もしかして、待ち受け画面も先輩(あるいは先輩幼少時のロリ画像)にしてるんじゃないだろうな……と危ぶみながら広げてみたが、さすがにそこまでビョーキではなかったらしく、仔豚の画像だった。豚舎での掃除の合間にこっそり撮ったらしく、ピントが甘く、少しブレている。

ふと、悪戯心が湧いた。
メール作成画面を呼び出し、ぽちぽちと打ち込んで送信し……元通りにベッドの上に転がしたところで、八軒が別府と一緒に戻ってきた。ギリギリセーフ、と西川は胸を撫で下ろす。

「さっきのアラーム、風呂の時間だって。西川も行こ?」

「お、おう」

いつバレるかな、それともスルーされるかな……と、内心ドキドキしながらも、西川はなにげない顔で風呂の仕度をした。




15分きっかりの風呂から上がって、部屋に戻る。
留守番をしていた八軒の携帯電話がメールを着信して、ぴこぴこと光っていた。

「あれ、誰だろ。常盤かな。アイツ、しょーもないことでメールしてくるから」

八軒が首を傾げながら、携帯電話を拾い上げる。
思ったよりも反応が早い気もするが、西川はこれから訪れるであろう修羅場に備えて、さっさと二段ベッドの上に逃げ込んだ。案の定、数秒後には「あああああああああああああっ!」という悲鳴が上がる。

「ちょ、こんなん誰が……って、西川かっ、てめぇ!」

それ来た。
梯子をよじ登って乗り込んでくる顔面に、抱き枕をぶつけるようにして応戦する。

「まぁまぁ、落ち着けよ。どーせお前、せっかくゲットしたメアドなのに、照れて何も送れないだろ。もったいないから、ちょっと代筆してやっただけじゃねーか」

「よくねぇっ! 全然よくねぇよっ!」

「喚くな、近所迷惑だし」

「だってッ、だってぇええッ!」

めちゃくちゃに腕を振り回して殴りつけてくるのを、抱き枕を盾にして防ぐ。愛しの二次元嫁には申し訳ないが、抱き枕は実に攻守両面に優れた能力を発揮してくれるアイテムだ。やがて、八軒が泣き崩れることで、嵐は収束した。

「で、なんて返ってきたんだ?」

西川が送ったメールは、件名が『メアド教えてもらいました』で、本文が『さっそく、おやすみなさいのチュッ(ハートの絵文字)』だ。それに対する返信は、件名はそのまま『Re:メアド教えてもらいました』で、本文は『もしかして八軒君?』と一行だけ。迷惑メール扱いでスルーされなかったのは、メールアドレスが本名をもじっていたせいで、なんとなくそれと気付いたからだろうが、稲田先輩もノリが悪い。

「先輩怒ってるよ、絶対……こんな悪戯みたいなメール……勝手にこんなん送るなんて、酷い」

「泣くほどかよ、大袈裟な。つーか、恋人同士って、こーいうメールやりとりするもんだろ、フツー」

「知らないよ、そんなの。メアド、知ってるだけで良かったのに。メール交換とか、そんなん考えてなかったのに」

「軽い冗談のつもりで、悪気はなかったんだよ。わーったわーった、悪かったってば」

そろそろ宥めないと、本当に隣室から苦情が出る……だけでなく、宿直の先生にも気づかれてしまう。喧嘩も便所掃除の罰当番の対象だ。頭でも撫でてやろうかと手を伸ばすと、ハエを叩き落とすかのような勢いで払いのけられた。

「悪気はなかったってのは、加害者の台詞じゃねーよ!」

そう捨て台詞を吐くとベッドから降り、そのまま部屋を飛び出してしまった。

「ちょ、おま……どこ行くんだっ!」

慌てて引きとめようとしたが、間に合わなかった。
痴話喧嘩(?)を生温かく見守っていた別府と、顔を見合わせる。

「そろそろケータイ預けて、外出禁止になる時間だよな。ヤバくね?」

「とりあえず、センセが点呼に回ってきたら、代返しとく?」

「その方がいいかもな」

脱走犯を庇い立てしているのがバレれば、連帯責任として同室のメンバーも便所掃除の刑を食らうハメになるのだが、自分の悪戯が発端だけにそれも仕方ない、と西川は腹を括った。それに、今回は携帯電話を持っていることが分かってる分、この間の失踪よりはずっとマシに違いない。




宅配便は、こんな時間には来ない。新聞屋もNHKも契約していないし、勧誘なら時間外の筈だ。近所からの苦情を貰うような心当たりはないし、ツレと遊ぶ約束をした記憶もないので、居留守を決め込んでいたが、インターフォンは何度も何度もしつこく押され続ける。
根負けして腰をあげ、玄関扉のドアスコープに目を当てる。誰かがいるようだが、顔までは見えない。警察に通報するべきか、携帯で大家あたりに助けを求めるべきかと迷ったが、傘立てから丈夫そうなコウモリ傘を一本引き抜いて握り締め、恐る恐る開けてみた。

「依田先輩……来ちゃった」

そこに居たのは、後輩の八軒勇吾であった。




「ここまで歩いてきたのか。はんかくせーんでねぇの、お前」

思わず、素直な感想が口を突いて出た。自転車でも相当の距離がある。ましてや夜道だ。

「だって、西川が悪いんだもん」

「しかも、そんな薄着で。寒かったろうにサ」

「俺、ここしか知らないし」

会話がまったく噛み合っていないが、ともかくこんな夜更けに、しかも札幌出身でここらの土地勘がまったく無い人間を無碍に追い出す訳にはいかないだろうと、依田は不承不承ながらも八軒を部屋に上げてやった。

「こないだみたいな騒ぎになると厄介だから、朝の部活のタイミングで帰れよ」

「うん……アレ? 先輩、掃除してたの?」

コタツの上に並んでいる缶ビールを見咎めて、八軒が首を傾げる。

「ちげーよ、飲んでたんだよ。誰がこんな時間に掃除なんかするか」

「ええっ、もしかして依田先輩って、実は二十歳越えてんですか?」

「んなわけないだろ……お前も飲むか?」

口止めをすると称して弱みを握られてしまうよりも、この際、巻き込んで共犯になっておいた方が安全だろう。まだ缶に半分残っているビールをグラスに注ぎ、差し出す。
八軒はおずおずと口をつけて……「苦い」と呟き、顔をしかめた。

「じゃ、こっちなら飲めるか? カクテル。甘いからジュースみたいだろ」

「あ、うん」

ホントに断らないな、コイツ。いや、意味がちょっと違うけど。
歩き詰めで喉が渇いていたのか、あっという間に缶カクテルを飲み干し、さらに梅酒サワーの缶にも口をつけた。

「おい、大丈夫か?」

「うん。これも美味しい。こっちのもいい?」

美味しいとかそういう問題じゃない。ペースが早過ぎだ。ちょっと水でも飲ませておくか、と依田が台所に立とうとしたタイミングで「依田先輩、どこ行くの?」と甘えかかってきた。

「もう酔っ払ってんのか。はやっ。顔、真っ赤じゃねーか。そこの布団で少し横んなっとけ。俺は水汲んでくるだけだから、な?」

「だって、西川とは喧嘩しちゃったし、稲田先輩はきっと怒ってるし、先輩にまで置いてかれるの、ヤダ」

「なるほど、全然ワカラン。いいから、手を離せ。すぐに戻るから」

アルコールを飲ませるなら、もうちょっと事情を聞いてからにすれば良かったと、依田は後悔した。寮を飛び出してここまで来るくらいだから、通常の精神状態ではないことも予め勘案すべきだったかもしれない。

「やっぱ俺、要らない子なんだ」

「だから、そうじゃないっての……絡み酒か? クセ悪いなぁ」

なんとか体を引き剥がして、台所に入る。
水と……多分、アレ、吐くだろうからバケツでも用意しとくか。依田が戻ると、八軒はこたつテーブルに突っ伏していた。寝潰れたかと思ったが、肩が時折震えているところを見ると、泣き上戸でもあるらしい。

「ほら、水飲んで……吐きたくなったら、ここな」

「すみません、その……帰ります」

「いや、その状態で夜道歩くのは色々危険だし、寮に辿り着いたら辿り着いたで問題になりそうだから、ちゃんとアルコール抜けてからな。布団敷いてやっから、もう寝ろ」

依田は、泣いていること自体にはツッコまなかったし、その理由を聞きたいとも特に思わなかった。どうせアルコールでタガが外れて、日頃溜め込んでいる鬱憤が吹き出てきただけだろうし、こういう手合いは大概、サンザっぱら泣き喚いて周囲を心配させておいても、翌朝には丸で覚えておらずに「昨日の飲み会は楽しかったねぇ」とケロッと言い放つもんだ。むしろ、気が済むまで泣かせておいた方がいい……って、多分コイツ、今何しても覚えてないんだよな……待て俺。何考えてんだ、バカバカしい。
こたつテーブルを部屋の端に寄せて、敷き布団ごと三つ折りにしてあった布団を広げる。

「ほら。朝になったら、引きずってでも部活に連れていってやるから、安心して寝とけ」

八軒はまだ何かブツブツ愚痴っていたようだが、横になった途端にドッと疲れが出て来たようだ。

「先輩は寝ないの? 一緒に寝よ?」

「一緒に寝よって、男同士だっつの。ま、寝るけどさ。朝早いから寝ないと死ぬし、布団それしかねーし」

寝る前にやり忘れていたことは無いかチェックしてから、歯磨きをして、明日着る服を出しておいた。朝の10分は夜の1時間に相当するのだ。朝と昼の弁当のおかずだって晩酌前には準備してあるし、炊飯器のタイマーもかけている。

「言っとくけど、フツーに寝るだけだからな」

「うん、こないだも同じこと言ってましたよね」

「その稲田先輩だかの家、教えてもらって、今度からはそっちに行けよ、頼むから」

「だって稲田先輩に迷惑かけるの、嫌だもん」

「俺なら迷惑かけていいのか」

「そういう訳じゃないけど」

「ハイハイ、わーったわーった。寝ろ」

依田はあくびをかみ殺しながら隣に足を突っ込み、ややおざなりな仕草で八軒の頭を撫でてやる。その腕が柔らかく掴まれて引っ張られた。




名目はテスト勉強だが、受験生といってガリガリと勉強するような連中でもない。テスト期間ということで午前授業で解放されたうえに部活も引退しているということで、独り暮らしのヤツの家に転がり込んで、ぐだぐだと管を巻いていた。
寮生は規則があるので晩飯の頃には帰ったが、自宅住みや下宿住まいの連中は駅前で牛丼などをカッ食らった後、河岸を替えてAV鑑賞会でもしようか、ということになった。どうせ帰っても勉強する気などないし、こうして集まっていられる期間はもう残り少ないのだ。

「稲田んちのテレビ、なまらでかかったろ。確かデッキもいいの持ってたよな」

「ちっこいのでいいって言ったんだがな。張り切って買ってきやがって。あれだけ大枚はたいてくれるんだったら、なんか調理器具でも頼めば良かった」

「実家、セレブだもんな」

「ハードはあるけど、鑑賞するようなソフトは持ってねーよ。つーか、高画質過ぎてアラが目立って、あーいうの向いてない」

「それでも一応試したのかよ。オレの持ってくるわ。オレのコレクションなら、ハイビジョンでも戦える!」

「戦うのか」

「稲ちゃんのためにホモのも用意しようか? さすがにオレもそっち系は持ってないけど、レンタル屋で借りて来る。八軒みたいなタイプを探せばいい?」

「ウチの肉切り包丁の切れ味を試してみるか? 骨ごとばっさりいけるぞ」

「こえぇ! いや、嘘です、冗談です」

「で、俺んちなのは決定なのか」

駅近・広めのマンションという好条件では、悪童どものたまり場になってしまうのは仕方のないことだろう。こちらも両親が、稼業を継ぐ気のサラサラないドラ息子可愛さにかなり気合いを入れて探したという。

「酒ねーの、酒。料理すんだろ、酒ぐらいあるだろ」

「豚肉煮るつもりだった焼酎とビール、料理に使ってて栓あけてるワインが赤と白……ぐらいかな。菓子つくるつもりだったラムとキルシュとブランデーは少ししかねーから、やらねーぞ。あとは、そのまま飲めない料理酒と味醂」

「チューハイとかカクテルはねーわな、そりゃ。誰か老け顔のヤツがコンビニで買って来りゃいいか」

「それ、完全に指名してるよね、確実に約一名、買い出し役に任命してるよね!」

そういう訳で、総勢六名ほど転がり込んで、深夜までワイワイやっていた。
さすがに客用の寝具はないが、ただでさえどこで寝ようが平チャラな健康優良欠食児童のうえに、北海道の片田舎には珍しいクーラーでばっちり空調が効いているのだから、寝具の心配などない。企画としてはユニークだかいまいちヌけなかったAVに飽きて睡魔に襲われた順に、床でもソファでも好きなところに転がっている。稲田も寝室の自分のベッドで寝ようと思えば寝られたのだが、付き合いよくダイニングテーブルに突っ伏してうつらうつらしていた。
突然、大音響がしたような気がして、ビクッとして顔をあげる。テーブルに載せていた携帯電話が震えてながら点滅していた。マナーモードのままだったんだな、と納得して引き寄せる。見覚えのない番号からの着信だった。今日はなんなんだ、知らないアドレスからメールも来てたし。もしかして八軒かと思って返信してみたら、反応が無いし。

「もしもし?」

すぐには返事が無かった。耳をすませば泣き声のような喘ぎ声のようなものが聞こえるような気がしなくもないが、印象としては、カバンやポケットに入れていた携帯が、偶然リダイヤルボタンを押されるなどして誤発信した感じであった。

「もしもし? 切りますよ?」

先輩、と聞こえたような気がした。
その声は八軒か、と問いかけようとした途端に「ちょ、かかってるぞ、バカ」という男の声が覆い被さって来て、ブツッと切れた。唖然として、ツーツーという電子音を吐き出している端末を見つめる。男の声にも聞き覚えがあったような気がするが、思い出せない。というか本当に八軒だとしたら、一体どういうシチュエーションなんだ。眠る寸前までイカガワしいものを見せられていた影響か、ろくな想像が浮かんで来ない。

着信履歴に架け直してみたが、電源を落とされたようで『おかけになった番号は……』というアナウンスが繰り返されるばかりだ。八軒の番号だったら妹が知ってる筈だから照合できると思いついて、ボールペンを手に取り……反古紙の類いが見当たらなかったので、左手の甲にその番号を書き写した。続いて妹の番号に架ける。だが、こちらも同じアナウンスが流れた。よく考えたら、寮では夜間、携帯電話を使えないんだっけな。八軒も寮生だから、この時間に架けてくることなど有り得ない、筈だ。

間違い電話かイタズラ電話、だよな。忘れよう。

そう自分に言い聞かせて着信履歴を削除したが、モヤモヤした気分はなかなか吹っ切れそうにない。ナイトキャップがてら紅茶にブランデーでも落として飲もうかな、それとも牛乳を温めようかな、などと考えながらキッチンに入ったところで、起きてしまったらしい友人に「あ、稲ちゃん、夜食かなんか作るの? 便乗していい?」と、声をかけられた。

初出:2012年12月23日
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