Responce【2】
「昨夜は、あのヒーローは俺んところで資料を作ってたんでな。カークランド卿も妙なことを言い出すものだと思ったのだが」
ルートヴィッヒは、今日の休憩時間のことをフランスシスにそう話したものだ。
「悪い悪い。アイツ、昨日は深酒が過ぎたみたいでさ」
「そのようだな。顔色もが悪くて疲れている様子だった。仕事の憂さ晴らしもいいが、ほどほどにしないと肝臓に悪いぞ。ヒーローには、誤解だったと教えておかなくていいか?」
「ホント、生真面目サンなのね。そっちは放っておいても大丈夫でしょ。坊ちゃんの方は、お兄さんがなんとかしておくし」
「なら、構わんが」
ちなみに、フェリシアーノがご祝儀仲間を募って大騒ぎしている件は、二人とも「あのアメ公が困る顔が面白いから」と、意図的かつ暗黙のうちにスルーしている。
「頼んだぞ」と言い残して熊のようにのっそり帰るルートヴィッヒを見送ると、フランシスはドッカとソファに体を投げ出すようにして座り込みながら「やれやれ。お兄さん、冷や汗かいちゃったぞ」とボヤいた。
「大丈夫ですよ。本人には『あの昨夜のことは酔ってみた夢だ』って言い聞かせておきましたし、本国に帰れば当分はお互い、会う機会もないでしょうから」
普段はおっとりしてて、いかにも内気そうなマシューが、むしろ笑顔すら浮かべながら、サラッと言い切る。
「それとも、いっそ正面切って口説き落として、本当に忘れさせちゃいます?」
「え、それでいいのかよ。つーか、それってお兄さん、マシューちゃんにフラれてるってこと?」
「とんでもない。僕、フランシスさんのことは大好きですよ。愛してます」
「ということは、逆に、お兄さんがアイツにチョッカイかけたことを怒ってるのかな? 返り討ちで力一杯ブン殴られたことだし、水に流してよ」
「だから、別に怒ってなんていませんよ……紅茶、おかわりいります?」
「あれ、なんだろう。お兄さん、君のことがちょっと分からなくなってきた。もしかして、毒とか盛ってない?」
その問いに「Oui」とも「Non」とも答えないのが何とも不気味だが、愛されながら殺されるなら本望だ! と腹を括って、差し出されたティーカップを受け取るのが、フランシスなりの騎士道精神だ。
「そういえば、その噂の坊ちゃんは?」
丁寧に淹れられ、馥郁たる香りを漂わせている紅茶を啜りながら、ふと、フランシスが尋ねる。マシューはフランシスの隣に、寄り添うように腰を下ろした。
「ピーター君を寝かしつけながら、自分が先に寝ちゃいました。仕方ないから、僕がさっきまで、ピーター君に絵本を読んであげてて……あの人、昔からああなんですよね。子供好きのくせに、子守りが下手というか、不器用というか」
「そ、そっか」
「手のかかる子の方が可愛いっていうけど……それだったら、僕もわがまま言って、あの人を困らせてあげれば良かったのかな」
「そんなことないさ。お前の方が、あのメタボよか断然可愛いさ。ホントだぜ?」
ちらりと視線をやると、マシューもこちらを覗き込んでいたので、額にチュッと軽くキスしてやった。亜麻色の髪を撫でてやると、コトンと胸にもたれかかってきて……と、ムードがほどよく盛り上がってきたところを、一気にブチ壊すようにドアが激しく叩かれた。
「マシュー、ここにいるんだろ? どうやら君が黒幕っぽいから、色々話を聞きたいんだぞ!」と喚く声は丸聞こえの筈なのだが、マシューは軽く眉をひそめると「あらやだ、騒がしい。不審者がいるって、フロントに連絡しなくっちゃ」と、素で内線電話を取ろうとした。
「まぁ待て。あれ、ヒーローの坊ちゃんだろ? さすがに通報するのは穏やかじゃねぇぜ。ここはお兄さんに任せて、可愛い仔猫ちゃんは寝室にでも隠れてな」
今にも蹴破られそうな勢いで叩かれまくっているドアを、裏側から指の関節でコツコツと軽く打つ。反応があったことで一瞬相手が静まったのを受けて、フランシスはそっとドアを開いた。
「こんな夜更けにどうしたんだい? 怖い夢でも見たのかな?」
「からかうな。マシューのヤツ、自分の部屋にいなくて……ここにいるんだろ? ちょっと聞きたいことがあるんだぞ」
アルフレッドが力任せに押し入ろうとするのを、フランシスは必死で遮る。
「ちょ、君。それって話し合いをするような態度じゃないよね?」
クッソ、ホントこいつ、馬鹿力だな。ドアチェーンかけておけば良かった。ちっこい頃はあーんなに可愛かったのに、よぉ。あの天使っぷりは、坊ちゃんがいつまでもあの頃の姿を忘れられないのも、理解できなくはねぇよ。あーもう、お兄さん、優男なのに。でも、伊達にあの坊ちゃんと長年つるんでた訳じゃないのよね。あの坊ちゃんも、昔はそれはそれはもう、手に負えないヤンキーでね。それを相手してたお兄さんも、普段はこーんなにエレガントでも、必要な時にはそれなりに、ね? 緊急避難ということで、蹴り飛ばしちゃおう。そのメタボなお腹だったら、ジャパニーズヤクザ・キックぶちかましても、怪我しないよね……と、フランシスが足を振り上げたところで、背後から「僕からは、何も話すことなんて無いよ」という声が投げかけられた。
「これは君の『仕事』じゃないんだ、アル」
ああああああ、もう、マシューもマシューで隠れてろって言ったろうが。しかも、わざわざそんな、神経を逆撫でするような言い回しをしなくても。お兄さん、もう知らないよ? フランシスは泣きたい気分になったが、アルフレッドの方も普段はおとなしい筈のマシューに毒気を抜かれたのか、ぽかんと口を開けて固まってしまう。その隙をついて、マシューが素早くドアを閉じて、アルフレッドを閉め出した。
どのぐらい前だったろうか。招かれたティータイムのカップがひとつ余分に用意されていると、気付いたことがきっかけだった。無意識にカウントされていたのがアルフレッドだと知ってからは、マシューは余分を指摘するのをやめた。精神医学的には『妄想は肯定しない方がいい』と言われているけれども、その夢で癒されるのなら、存分に見せてあげてもいいんじゃないのかな、と考えたからだ。心の安らぎを得ることでリフレッシュできれば、仕事の効率も上がるだろうしと、言い訳をしながら。
そうやって、幼く愛らしかった頃のアルフレッドの姿を反芻し、それが理想的に育ってくれた姿を妄想し、大きくなっても変わらず、家族として自分に頼ってくれるという、都合の良い幻想にまで織り上げていくのを、ずっとずっと黙って見守っていた。
「それにホラ。元々、妖精だのユニコーンだのがフツーに見えている人だもの。今さら、見えない『お仲間』が一匹ぐらい増えたところで、どうってことありませんよ」
「そんなもんかよ」
最初はダマしているような気がしてイマイチ気乗りしていなかったフランシスだが、愛しい弟分・マシューの頼みでもあるし、妙にしおらしくなっているアーサーが物珍しかったこともあって、その酔狂に付き合うことにしたのだ。アーサー自身も、この『疑似家族』の居心地は悪くなかったようだ。何も問題は無かった。少なくとも、幻の『本物』が眼前に現れるまでは。
「あのモヤシっ子め、言うに事欠いて『これは君の仕事じゃない』だってさ。関係ない訳ないぞ、立派に当事者だ。その証拠に、ドレスだのなんだのって、きっちり被害を被ってるじゃないか! ふざけんなクソッタレが。この俺が誰か分かってての態度なんだろうな。訴えてやるんだぞ!」
アルフレッドがギャーギャー喚くのを、本田はスマートフォンをぽちぽち弄りながらスルーしていた。
「ねぇ、ちょっと。ホンダ、聞いてる?」
「あーハイハイ。そのモヤシっ子に気おされて、尻尾くるくる巻いて戻って来たヒーローさんは、もう少し待っててくださいね。このミッションをクリアしてからじゃないと、ログアウトできないんです。ギルドの仲間との信頼関係と申しましょうか、しがらみが色々ありましてね」
「なんだい。君まで、目の前の現実よりもバーチャル優先かよ」
「わたくしのは三次元ですってば。端末の向こうに、ちゃんとした人間が……って、もうこんな時間じゃありませんか。そろそろご自分の部屋にお戻りになったらいかがです? これでは、今度はわたくしと貴方の仲が疑われます」
「アーサー相手よか、マシだ」
「わたくし、もうジジィなんで、色恋沙汰はゴメンです。これでも、若い頃は色々あったもので」
「そ、そうなんだ? 相手は誰?」
「ジジィの過去なんて、今さら蒸し返したくありません……ジジィついでに、もう寝たいんですよねぇ。ジジィだから朝が早いというのもありますが、明日は起きてすぐにチェックアウトしないと、帰りの飛行機に間に合わないんです。貴方にお友達が少ないのは重々存じ上げておりますが、いい加減にしてくださらないと、さすがのわたくしでも、そろそろ遺憾の意を発しますよ?」
その『イカンノイ』がどんな恐ろしい最終兵器かは詳らかに知らないが、昨夜のヒステリーよりも恐ろしいのなら、いくらヒーローでも手に負えない。さすがのアルフレッドも、たじたじになって部屋を出ようとした。
「でも、わたくし、本当に心から祝福してたんですよ。アーサーさん、ようやく家族じゃなくて、一人の男として、あなたを受け入れたんだなぁって」
「ハァ?」
そういえば、そんなことを言っていたような気もする。あの時は、パニックで細かい話の内容までは頭が回らなかったけれども。
「もしそれが夢だったのなら、本当にしちゃえばいいんじゃないですか? ヒーローなら、夢を現実にするのはお手のものでしょう?」
「その夢とこの夢は、意味が違うんじゃないか?」
「どっちも同じ “dream” でしょうに」
だからって、と怒鳴り返そうとしたアルフレッドの鼻先で、ドアが閉じられた。
そこに「あ。いたー」と、ふやけた声が投げかけられる。振り向くと、採寸用メジャーなのだろう、リボンのようなものを首に引っ掛けているフェリシアーノが、ほてほてと歩み寄ってきた。
「あのね、僕も明日の朝には帰るから、今夜のうちにサイズだけ計っておこうと思ったんだ。今度会うまでには、仕上げておくね」
「俺は、ドレスなんて、着ないって言ってるんだぞ!」
思わず大声になったが、フェリシアーノは「そうなの? ドレスはあっちが着るってこと? じゃあ、採寸してくるぅ」と、まったく動じた様子をみせなかった。コイツ、フワフワしているように見えて意外と図太いんだなとあっけにとられるが、よく考えれば、日頃からあのジャガイモ野郎にガンガン叱り飛ばされているのだ。これぐらいは彼にとって、ジャレている感覚なのかもしれない。
「アーサーも、明日の朝には帰っちゃうのかな」
「多分、そうじゃない? ルッツなんて、仕事があるから朝一のフライトに間に合うように空港ホテルに前泊するって、もうここを出ちゃったし」
「ルッツ? ああ、ルートヴィッヒのことか。君ら、本当に仲良しなんだな」
なるほど、道理で今、コイツのストッパーがいないわけだ。でも多分、アーサーに会おうとしても、フランシスとマシューのガードが固いと思うんだぞ……と助言しかけて、気が変わった。
「俺も一緒に行ってやる。多分、フランシスの部屋にいると思うんだぞ」
「ホント? ありがとう!」
「なぁに、俺はみんなのヒーローだからね。礼は要らないんだぞ」
寝間着姿のマシューは、薄く開いたドアの向こうから「アーサーさんはとっくに眠ってるし、僕らだってそろそろ寝るんだから。熊五郎さんに頭から齧られたいの?」と、不機嫌を隠さない表情でバッサリ断った。しかも、今回は(先ほどの失敗から学んだのだろう)しっかりとドアチェーンをかけている。
「……う、ヴぇぇー」
「泣いてもダメ。服のサイズが知りたいんなら、後で聞いておいてあげるから……大体、アル、なんでこの子、連れてきたの? まだ結婚式ごっこしてるの?」
「家族ごっこしてる君らと、おあいこだろ」
アルフレッドは腕組みをしながら精一杯の皮肉を言ってみたが、マシューは唇だけ笑みの形に歪めながら、あっさりと「そうだね」と認めてみせた。
「君は、ずっとアーサーさんに弟扱いされて、迷惑してたんだろ? そこから解放してあげたんだ。むしろ感謝してほしいぐらいさ」
ただ、氷河のクレバスの底のような、藍色の瞳の奥が、笑っていない。ホンダといい、彼といい、普段は怒らないタイプの方が怖いもんなんだなと、アルフレッドは妙に感心したが、ここでおとなしく引き下がるつもりは毛頭ない。大きく息を吸うと「アーサー、起きてこいよ! いるんだろ? この俺様が来てやったんだぞ。パスタ野郎も用事があるって言ってるんだぞ! ウェディングドレスの採寸をするんだってさ!」と、マシューの肩越しに喚いた。フェリシアーノも、アルフレッドの意図を察したのか、隣でヴェーヴェーと鳴き始める。
「ちょっ、アル!」
「マシューが邪魔して、会わせてくれないんだぞ。せっかく俺が来たっていうのにさぁ!」
「そんなに騒いだら、アーサーさんが起きちゃうでしょうが。ドア閉めるよ? ほらほら、指挟むから、手を引いて……だから、その手を離せって言ってるだろ?」
「離さないよ。なんなら、このドアを蹴破ってもいいんだぞ」
「あーもう……フランシスさーん、フロントに電話して、こいつら摘み出してもらって! 熊五郎さんでもいいや、こいつら追い払ってよ!」
それを聞いて、さすがのアルフレッドも万事休すかと諦めかけたが、そこに「紳士たるもの、そんな大声を出すものじゃない」という、静かな声が割り込んできた。
声の主は、寝巻きの上からカーディガンを羽織った格好の、アーサー・カークランドだった。
ようやく室内に招き入れられたとホッとしたが、アルフレッドとフェリシアーノ、ついでにマシューも三人雁首を揃えてソファに座らされ「こんな時間に騒ぐとは何事だ」と、小言が始まってしまった。
「アルフレッド、お前は図体ばっかりでっかくなって、中身は子供のままじゃないか。マシューもマシューだ。もうすっかり大人だと思っていたのに、アルフレッドと一緒になって大声を出して……紳士として恥ずかしいと思わないのか? ピーターだって、こんな時間まで起きて騒いだりしないっていうのに」
なんだい、保護者面しやがって。そりゃ、チビッコはとうに寝てる時間だろうさ……と、アルフレッドは反論したかったが、ここで火に油を注いでは、朝までお説教コースだ。ここは嵐が通り過ぎるのを待つしかなかろう。俺は『空気が読めない』んじゃなくて、普段は『敢えて読んでいないだけ』なんだぞ……だが、そう思った途端に、フェリシアーノが「あっ、あのね、あのね、ドレスのサイズを計りたかっただけなの。静かにするから、お願い」と、言い出した。
「ちょっ、フェリちゃんっ!」
「パスタァァアアアア!」
「騒ぐな」
途端に、アーサーの拳骨が、アルフレッドとマシューの脳天に落ちる。ただ、子供を相手にしているように手加減をしているのか、それはポーズだけで、あまり痛みは感じなかった。こんな仕打ちを受けるのは、どれぐらいぶりだろう? と、アルフレッドは頭に残る拳の感触に、手を添える。いや、子供の頃だって、躾と称して叩かれたことなんか無かったような気がする。彼の庇護から独立しようと、反抗したときだって。
「で? フェリ、ドレスって何だ? 次の会議のレセプションで、女装大会でもするのかい?」
「うん、イギイギはウェディング着るの」
「俺が? 勝手に決めるなよ」
結婚相手が誰か、などという詳細をまったく気にしている様子がないのは、アーサーが『女装はパーティの余興なのだろう』ぐらいに受け止めたからに違いない。マシューが、とっさに「標準体型だろうから、わざわざサイズを計る必要は無いって、僕は断ったんだけどね」と、その流れに乗った。
「でも、こうして改めてみると、アーサーさんってば、ウエストがちょっと細いかもね。だったら、プリンセスラインがいいかな」
一瞬出遅れたアルフレッドを取り残して、マシューはアーサーの手をとると「服を脱いだ方がいいだろううから、あっちで採寸しようか。フェリちゃんもおいで」と、微笑みかけた。
「お、おい。俺は?」
「アーサーさんの採寸に来たんでしょ。この子が測り終えたら、さっさと帰って」
そう吐き捨てると、マシューはアーサーとフェリシアーノを寝室へと押し込み、後ろ手にドアを閉じた。椅子か何か……と左右を見回し、荷造りの済んだ重たいカートをドアの前に置いて、通せんぼしておく。
「俺がプリンセスラインのドレス、ねぇ。胸がねーんだから、貧相にならねぇ? まぁ、マーメイドラインよかマシか。あれは、ボンッキュッボーン! だもんな」
ただの仮装だと誤解しているせいか、アーサーは妙にノリノリだ。
マシューが苦笑しながら「だったら、ボリュームを出すために、腰から下はドレープたっぷりのスカートにするとか? トレーンは長めで、こう、フリルもいっぱいつけて、ね」と、話をあわせる。それを聞いたフェリシアーノが「ちぎぃいい! ドレープ作るの、布がいっぱい要るし、縫うのも大変なんだよぉ! 一人じゃ無理ぃいい!」と悲鳴をあげたが、当然、これはマシューのさりげないイヤガラセだ。
「ロヴィーノお兄さんや、仲良しのアントーニョさんに手伝ってもらったら? ルートヴィッヒさんは縫いものってイメージ無いけど……ローデリヒさんなら得意そう」
「ローデリヒさんは、すっごい凝り性だから、仕事遅いんだよ」
「未だに紀元前のコロシアムが未完成なお国の方に、仕事が遅いなんて言われたくはないと思うけどなぁ……袖は長袖にします? それとも袖のないビスチェタイプ? 肌が隠れた方が上品だとは思うけど」
「長袖は、さすがに縫うのが大変なんじゃないか? パゴダスリーブにするとか?」
パゴダスリーブとは、上部は細くて腕にぴったりしていて、肘から下が袖先に向かって広がった袖のことだ。翼のようにヒラヒラと広がった袖口は、これまた重なって広がるフリルがたっぷりのデザインで、型紙を起こすことを考えるだけで(いくら己が言い出しっぺとはいえ)、フェリシアーノは気が遠くなりそうだった。もし、ここにルートヴィッヒがいたなら「自業自得だ、馬鹿者」と罵られたに違いない。
「あっ、あのっ。ア、アメリカンスリーブじゃ、ダメ?」
恐る恐るフェリシアーノが提案したのは、肩を大きく露出させた形のノースリーブで、開放的な印象が命名の由来だ。もちろん、制作の手間も、袖や衿
が無い分、少しはマシな筈……だ。
「え。名前がなんとなく、やだ」
「ぴぇえええ! そんな理由っ!?」
半べそをかいているフェリシアーノに任せていたら、いつ終わるか分かったものじゃない。ここはササッと片付けてしまおうと、マシューはせっせとアーサーにメジャーを当てては、数字をメモ用紙に書き込んでいく。騒ぎで起こされてしまったフランシスとピーターは、状況が飲み込めずに、ポカンとその様子を眺めていた。
「ハイ、こんなもんかな? あとは適当になんとかしてね? じゃ、お裁縫頑張って。バイバイ」
ドッコイショとカートをのけてから、今度はフェリシアーノの手首を掴むと、寝室から強引に引きずり出す。アーサーはキョトンとしながら、それを見送り……フランシスと顔を見合わせると「プリンセスラインってことは、ティアラを用意すべきかな。それともクラウンの方がいい?」と、小首を傾げた。
「お前、気にするところ、そこ?」
「違うのか? で、お前は何着るの?」
「なんも着ねぇよ!」
「えっ、お前、全裸なの? それってどうなの? せめて股間ぐらいは隠しておけよ。それとも花婿さんの衣装にするか?」
「ハァ? なんでおまっ、まさか昨日の、覚えて……!?」
「覚えて? なんのことだ? そうだ、アルフレッド。お前、次もついてくるんなら、それに間に合うように、可愛いお洋服を仕立てような」
ピーターが「だから、僕、嫁子じゃないですよ」と反論するのも聞かず、アーサーはピーターを両腕にかき抱くと、ぱったりとベッドに倒れ込んだ。
「ビギャアアア! 重いですよ、どきやがれですよ」
ピーターが足をばたつかせるが、アーサーは既にすぅすぅと寝息を立てていた。
マシューがシロクマを召還したこともあって、あの後は結局、まんまと追い出されてしまった。せっかく、直接顔を合わせるところまではできたのにな。パスタのように強引に話を持ち込めば良かったのかな。話って、何をどうやって?「君、僕の幻覚を見てるって本当かい? ワオ、ストーカーみたいで気持ち悪いネ!」とか? それじゃ逆効果だろうな。どうしてあの人が相手だと、そんな言い回ししかできなくなるんだろう。直接顔を合わせると素直になれないなら、メールでも……と思って、自宅のパソコンでメーラーを立ち上げてみたが、一語書いては消し、一文書いては消しを繰り返すばかりで、結局、文章にならない。
『どうしたらいいと思う?』と本田にメッセンジャーアプリで尋ねてみたが、既読マークがついたものの返信がない。アルフレッドと本田のお国とは時差があるので「着信は確認したが、今は返事できない」という理由だろうが、実はそれはタテマエで「いい加減、コイツ面倒くさい」と意図的に放置されている可能性も、残念ながら否定できない。
「そういや、パスタ野郎のヤツ、ホントにドレス縫ってるのかな」
進捗状況を聞いてみようと思いついたが、フェリシアーノの連絡先を知らないことを思い出した。ルートヴィッヒもフランシスも……友達といえば本田だが、前のメッセの返事も来ない状態では期待できない。マシューなら近所だから直接訪ねて聞くという手も有るけど、素直に答えるとは思えないし。そういえば、昔うちに住み込みで働きに来てた子がいたけど、あの子は知らないかな。ちっこい、働き者の、名前は、えーと。
あれ。もしかして、俺って「ぼっち」なのか?
いや、友達がいないわけじゃないぞ。俺には、トニーとかいるもんな。ただ、他の連中とは付き合いが無いから、トニーに聞いても、パスタ野郎のアドレスは分からないというだけで。アーサーは知ってるだろうけど……って何、この堂々巡り。
気分転換にゲームでもしようと、イライラしながらスマートフォンを弄っているうちに、誤って通話のアイコンに触れてしまったらしい。あっと思った時には、プププ……という微かな電子音に続いて、呼び出し音が鳴っていた。慌てて消そうとしたが、向こうで受話器をとったらしく『ハロー』という声が聞こえて来た。
「アーサー?」
『違うですよ。ピーター君ですよ。嫁子ですか?』
「ピーター? あれ、この番号って、アーサー・カークランドの自宅じゃなかったっけ?」
『カークランド家ですよ。アーサーは、ピーター君のお兄ちゃんです。アーサーは今、スコーン焼いてるから、手が離せねぇでやがるです』
ああ、あのガキか、と思い当たる。あのチビっこいの、ピーターっていうのか。そんで、相変わらずあのバッサバサでモッサモサの堅いスコーンを食わされてんのか。アイツの料理は、肉は堅くて焦げてるし、茹でた野菜に塩っけは無いし、魚料理は生臭いし、フライの油は使い回しすぎでドロッドロだし……そして、アーサーが笑顔で食べ終わるのを眺めてるんだよな。隙あらば保護者ぶって「ほらほら、ほっぺについてるぞ」って、手を差し伸べて、指で拭ってくれて。
「ワオ、ご愁傷さまだね。ゲロマズいだろ、アイツの料理」
『でも、ピーター君はアーサーと食事するの、嫌いじゃねぇですよ』
「えっ、そう……なんだ」
『マシュー兄ちゃんが遊びに来て、一緒に食べることもあるですよ。マシュー兄ちゃんは、自分の分だけ、こっそりメイプルシロップとかケチャップかけたりして、ちょっぴりズルイでやがるです。あと、最近、フランシス兄ちゃんが料理してくれることがあるから、そん時はすげぇ楽しみです。フランシス兄ちゃんは、クールジャパンのアニメとか玩具とかくれるし、あとね、あのね、あのね』
今でも、彼はあの笑顔を浮かべながら、食卓についているのだろうか。
めまいがして、胸の奥が重く、息苦しいのは多分、子供のキンキン声が勘に障っているからだ。アルフレッドは、無意識にシャツの胸元をかきむしるように掴みながら「今日もそいつら、来てるのかい?」と尋ねる。
『今日は来てねぇです』
「よし、だったら今から、そっちに行くんだぞ!」
受話器の向こうから『こら、電話は玩具じゃないぞ、誰からだ? 受話器をよこしなさい』という声が微かに聞こえてきて、急に心拍数が上がった。
『じゃあ、今日はカップを片付けないでおくですよ』
その言葉の意味は、その時のアルフレッドには分からなかった。
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某SNS内先行公開:2015年03月11日
サイト収録:同月13日 |