Responce【3】


カークランド邸の庭園はよく手入れされていて、夕陽を浴びながらバラが何輪も咲いていた。いささか子供っぽい趣向の小人の置物や、妙にリアルな動物の陶器人形、クマやらウサギやらを象った庭木の刈り込みも昔のままだ。ハンギングバスケットから垂れ下がる星形の葉、あれは確かアイビーとかいったかな。
ヨットパーカーにジーパンという、いつものラフな服装では、こころなしか肌寒く感じた。

「おかえり、アルフレッド」

不意に呼びかけられて、条件反射的に「ただいま」と答えてしまった。いやいや、俺はとっくに独立して、ここを出ていったんだぞ、と抗議しようとしたが、アーサーの顔を見たら、声が出なかった。久しぶりにプライベートで会ったアーサーは、糊のきいたワイシャツにウエストコート(ベスト)、ピシッと折り目のついたスラックス姿であった。

「お前、ヒッピーみたいな格好のくせして、ずいぶん遅かったじゃないか。お前の分の紅茶、すっかり冷めちゃったから、淹れ直そうか」

「ヒッピー言うな。こういうのが普段着っていうんだぞ。君こそ、よくそんな格好で寛げるね。それに遅いもなにも……準備万端整えた状態でも、フライトだけで半日かかる距離なんだぞ」

なにしろ昨日の電話は、俺んちからかけてたんだから……と、続けようとして、ひょいっと先ほどのピーターの言葉を思い出した。

(じゃあ、今日はカップを片付けないでおくですよ)

いつも、俺の分のティーカップを出してるんだろうか? 正確に言えば、俺の姿をした、俺じゃない、妄想の中の『アルフレッド』のための、カップを……そこに思い当たると、カッと頭に血が上った。

「カップは替えてくれ。そのカップじゃ、いやだ」

「は? いや、別に構わないけど……昔から使ってる、いつものカップだぞ?」

「いやだったら、いやだ」

「どうしたんだ、急にわがままを言い出して」

「俺がわがままなのは、いつものことなんだぞ」

「そういえば、そうだな」

アーサーは素直にうなづくと、屋敷に戻って行った。いやいや、そこは納得する場所じゃないんだぞと内心ツッコみながら、その背中を追う。昔はあんなに大きく見えたのに、あらためて見ると小さく、儚くすら感じる背中……磨き上げられているフローリングをスニーカーで踏むと、ギュッギュッと耳障りな音がした。

「他には、来客用のカップしか無いんだが」

「俺は来客だぞ」

「どうしたんだ? いつもはそんなこと言わないのに。お前は本当に子供だなぁ……ああ、そこのソファにかけて待っていてくれ」

「……あのねぇ。だから、さぁ」

それでも嬉しそうにパタパタと支度をするアーサーの後ろ姿を見ていると、それ以上の文句は、とてもじゃないが言えなかった。そんなに俺の来訪が嬉しいのだろうか。そんなに俺を子供扱いするのが楽しいのだろうか。背負っていたバックパックを足下に置き、ぬめるような黒い本革のソファに腰を下ろした。アルフレッドの(重量級の)体重を受けてもクッションは沈まないし、肘掛けは飴色に磨き上げられた木製だ。この相変わらず堅苦しい座り心地も、なんだか懐かしい……などと思いながら、ぐるりと室内を見回す。

「そういえば、あのチビっこいのは?」

「ピーターか? 待ちくたびれたとかいって、ライヴィス君のとこに遊びに行ったぞ。そろそろ帰ってくるとは思うが……お前と違って、アイツは友達が多いからな」

「俺と違って……って、どういう意味だ。失礼なんだぞ」

「失礼もなにも、そのまんまだよ。お前、ちっこい頃は俺にべったりだったじゃないか。ピーターのやつ、ベールヴァルドんちでは、ままごとしてるんだってさ。あそこのバカップル夫婦の息子って設定で」

アルフレッドは、ぽかんと口を開け……適切な言葉を見つけられずに散々ぐるぐると考えた挙げ句、ようやく「家族ごっこなら、君らもしてたじゃないか。ホンモノの俺を除け者にしてさ」と、吐き出した。

「は? 何を言ってるんだ、アルフレッド」

「心当たり、あるんだろう? リアルの俺は、もうずいぶん長いこと、君とお茶なんてしてないんだぞ。昨日も、その前の日も、さらにその前の日も……何年もずっと」

ティーポットを持ち上げようとしていた、アーサーの動きが止まった。いきなり核心を突くのはさすがにマズかったかなと軽く後悔したが、どうせ自分には、ホンダが得意な「オブラートに包むような言い回し」なんてじれったくて、できやしない。背中を向けて、軽くうつむいているので、アーサーの表情は分からなかった。
ふと『あのまま動揺してポットを取り落としたら危ないな』と思い当たって、アルフレッドはソファから立ち上がると、そっとアーサーのそばへ歩み寄った。ポットの取っ手を掴んで、アーサーの手指から引き剥がす。ハッとして振り向いたアーサーの姿が、怯えている小動物を連想させた。

「今、目の前にいるのは、本当にアルフレッドなのか?」

「当然、ホンモノに決まってるじゃないか……って言っても、言葉だけじゃ信じられないか。偽者が現れるのはヒーローものの王道パターンとはいえ、どうしたもんかな。うーむ」

漫画の中のヒーローは、どうやってこんなピンチを切り抜けていたんだっけ。何回も似たような話を観たような気がするけど、なぜか思い出せない。ジーザス、俺まで記憶障害かよ。きっとこれは、時間が何百年も止まっているかのような、アーサーの屋敷が悪いんだ。この屋敷の空気のせいで……畜生、こんなお化け屋敷、近未来ふうに改装しちまうぞ。
ぶつぶつ呟いていたアルフレッドの頬に、アーサーの手がふわりと触れた。

「疑って、ごめんな。そんなに困らせるつもりはなかったんだけど」

「いや、そこで君に謝られても」

困らせているのは、俺の方なのに。見上げてくるアーサーの翡翠色の瞳が、やけに近い位置にある。ヒーローなら、ここはキスで解決、なぁんてね。何を考えてるんだ、俺。ばかばかしい……と思いつつも、年上とは思えない滑らかな頬や、ふっくらして艶やかな唇が誘っているように感じられて、ついつい吸い込まれ……そうになる寸前に、電話のベルが鳴った。
アーサーが受話器を取ろうとするのを、とっさにアルフレッドが奪う。

「ハロー? カークランド家は今、居留守なんだぞ」

マシューやフランシスからの電話なら、速攻で叩き切るつもりだったのだが、受話器越しに聞こえて来たのは『ハーイ、ピーター君ですよ。嫁子ですか? コトメ様は、今から帰るですよ』という、幼い声だった。

「ああ、お泊まりね。明日の朝にでも、迎えに行くから」

『ハァ? 人の話をちゃんと聞きやがれですよ。今夜のビーフシチューはとても楽しみにしてるから、帰って食べるのです』

「へーえ? ビーフシチューは、バカップルんところで食べるって? 了解、了解。アーサーには、ちゃんと言っておくから」

向こうでビービー喚いているのを一切無視して、アルフレッドは強引に通話を切った。

「……だってさ」

「そうなんだ? ベールヴァルドんちには、よくお泊まりしてるから、心配はしないけど……いつも押し掛けてるお詫びを兼ねて、今度、スコーンでも焼いて持って行くべきかな」

「いや、それは逆に失礼というか、純粋にテロ行為だと思うんだぞ」

すっかり調子が狂ってしまって、アーサーとアルフレッドは気まずく見つめ合った。

「えーと。とりあえず、紅茶飲むか?」

「いいや、紅茶なんてまっぴらだ。コーク……は、君んところには常備してないか。インスタントでもいいから、コーヒーが欲しいんだぞ」

それを聞いたアーサーは、泣き笑いのような表情を浮かべて「ああ、あんな紳士的でないドリンクを飲みたがるなんて、確かにホンモノのアルフレッドだな。そういやお前んとこは、ドリップできないからって、ドラム缶でコーヒー豆を煮るようなガサツなお国柄だもんな。すっかり忘れてたぜ」と呟いた。





「そういえばお前、何かの用事だったんじゃないのか?」

くっそ不味い夕飯のビーフシチューを(あのガキになんか残してやるもんか、という大人げない意地で)食べ尽くし、胸焼けを起こしてゼーゼーいっているアルフレッドを見下ろして、アーサーがふと思い出したように尋ねた。

「あ、えーと……そうだ、パスタ野郎の連絡先を聞こうと思ってたんだっけか。君は知ってるんだろ?」

「まぁ、付き合い長いし、それなりには。お前がアイツに連絡、ねぇ? 珍しいな」

「そもそも、君が原因なんだぞ。ウェディングドレスを断らないから」

「ウェディングドレス? ああ、次の会議のレセプションの余興ってヤツ? 型紙を起こしたから、サイズとデザインのチェックをするって言って、こないだ兄弟して来てたぞ。フランシスは全裸にバラとか言ってたけど、お前は何着るの? ああ、お前の衣装もアイツに頼むのか」

あっけらかんと言われて、アルフレッドはただでさえ気分が悪いのに、さらに頭痛まで加わったような気がした。片手で眉間を揉みながら「あのさぁ、俺も大概だという自覚は、不本意ながら持っているつもりなんだけどさ。君だって、俺にとやかく言えるほど友達には恵まれてないんだぞ……誰にも真相教えてもらえてないって、どんだけぼっちなんだい。あのモヤシっ子ぐらいは、フォローしたんだと思ってたのに」と、ボヤく。

「うるせぇ、俺のは戦略的ぼっちなんだよ。栄光ある孤立ってやつなんだよ、ほっとけ」

「それとも、俺の花嫁になるのが、そんなに嬉しいんだ?」

「は?」

「いや、君なら嬉しい筈だよね。独立して家を出た俺と、もう一度『家族』になれるってことだからね。そうだろう? だったら、本当に俺の花嫁になっちゃうかい?」

まるでプロポーズだな、という自覚はあった。相手もそう受け取ったのか、アーサーの顔色が赤くなったり、青くなったりと目まぐるしく変わる。さすがに殴られるかな。それとも胸ぐらを掴まれるかな。今この状況で腹を殴る蹴るされたら、ビーフシチューを戻してしまいそうだから、お手柔らかに。ツンデレな照れ隠しビンタぐらいで勘弁願いたいんだぞ。だが、アーサーの右手は振り上げられたまま宙で停まっていた。たっぷり十秒ほどの間をおいてから、両手で己の顔を覆って、ぺたりと床に座り込む。

「えっ、なにそれ、そのリアクション。そこまでショック受けることなの? そんなに俺が嫌なの? それはそれで、傷つくんだぞ」

仕方なくアルフレッドもしゃがみ込み、アーサーの薄い肩に触れて、さすってやった。そのまま抱きしめてやりたい衝動に駆られるが「相手が泣いてるところにつけこむのは、ヒーロー失格なんだぞ」と己に言い聞かせて、ぐっと堪える。
そうやって、しばらく落ち着くのを待っていると、アーサーがぼそぼそと「嫌じゃない。あの夜も、兄弟としてじゃなく、恋人として見てほしいって言われたんだ……でも、後でそれは夢だったって、マシューに言われて、やっぱりか、って」と、呟いた。

「ああ、こないだ中華レストランに一緒に行ったってやつ? そいつは夢だね。夢であって欲しいね。どこかの誰かが、俺に成りすまして、君にそんなことを囁いて、その……君を奪っただなんて、面白くないんだぞ」

まだ目の回りをほんのりと赤くしているアーサーが、幼子をあやすように優しく髪を撫でながら「そんなに怖い顔するなよ。俺の夢は俺の問題で、お前が気にすることじゃないだろ?」と囁くのが、余計にアルフレッドの神経を逆撫でした。

「君だけの問題じゃないだろ。俺だって、立派な当事者なんだぞ」

「ああ、そうだな。肖像権とかうるさいもんな、お前んところ。訴訟大国だっけ?」

「違う、そうじゃない。俺が言いたいのは、そういうことじゃなくて、えーと。俺は……俺は、ヒーローなんだぞ」

「ん? う、うん。お前はヒーローだな。それは知ってる……床は冷えるから、そろそろ立とうか。デザートにプディングも作ったんだ。甘いもの、好きだろ?」

先に衝動的に座り込んだ側が言うのも妙だが、確かに石造りのアーサーの屋敷は、季節を問わずひんやりしている。ほら、と促すように腕に触れてきた手指を、逆に捕まえた。関節の浮いた手首は、握りつぶせそうなほどほっそりしている。

「ヒーローのお仕事は、夢を現実にすることなんだ」

「は? プディングは?」

「君は、嫌じゃないんだろ? だから、異論は認めないんだぞ」

アルフレッドは一気に立ち上がると、状況が理解できずに固まっているアーサーを抱き上げた。採寸の時にウエストが細いとか言ってたけど……腕の中に感じる義兄の質感は、確かに華奢で頼りなくすら感じた。





我ながら「どうしてこうなった」という気分だが、もうずっと前から、自分は彼とこうしたかったような気もする。ただ可愛がられるだけの、かよわい『弟』じゃなく、対等な、時には逆に守ってあげられる存在になりたかったんだ、と。そんなささやかな願いは、いつの間にか意識の底の底に押し込められて、自分自身でもすっかり忘れてしまっていたけれど。
アーサーの部屋はよく覚えている。間取りが変わっていなければ、蔦の模様に飾られた階段を上ってすぐ、だ。壁に掛けられた肖像画は昔と変わらないが、枕元に飾られたコルクボードには、最近撮ったとおぼしきピーターやマシューのスナップ写真がべたべた貼付けられていた。いささか少女趣味な天涯付きのベッドにアーサーを放り投げ、自分もベッドに乗り込もうとして……スニーカーを脱ぐのに、ちょっとだけ手間取る。

「なぁ、アルフレッド。こないだの夢の再現、ってことでいいのか?」

「そ。ファックしたんだろ?」

体格差に任せて覆い被さり、強引にキスを……って、せめて口直しのプディングを食べるか、歯を磨けば良かったと軽く後悔したのは、お互いの唇に先ほどのシチューの後味が残っていたからで。だが、アーサーの腕が緩やかに首に巻き付き、舌がぬるりと滑り込んできてからは、その感触が心地よくて、あまり気にならなくなった。さすがはエロ大使、変態紳士のお国柄……と感心していると、いつの間にか体の位置が入れ替わっていた。しかも、アーサーの細い指が、アルフレッドのTシャツをめくり上げて胴をなぞり上げ、ジーンズのベルトも……って、アレ?

「ちょっ、待て待て。俺はヒーローであって。ヒロインじゃないんだぞ!」

「ン? だってお前、男相手のやり方、分かってんの? その歳でこの腹じゃ、女相手の経験があるのかも怪しいところだけど」

アーサーは、まるで何かのスイッチが入ったように底意地の悪い笑顔を浮かべると、アルフレッドの脇腹の肉をむにむにと掴んでみせた。

「おい、何をするんだ、それは立派なハラスメント行為だぞ! 訴えてやる!」

「ほらみろ、やっぱり訴訟大国じゃないか」

「そうじゃなくて、えーと……俺はずっとずっと一人きりで、そんな相手なんていなかったんだぞ。君には誰かがいたのかい? ずるいよ」

「妬ける? 俺に任せておけよ。悪いようにはしないから」

チュッと額にキスされて、誤摩化されてしまった。悔しいが、ここは経験値で勝てそうもない。せめてもの意趣返しに「というか、ひとの腹を揉んでおいて、よく勃つよね。さすがは自動車ともファックできるお国柄だよ。ドン引きなんだぞ」と毒づいてみたが「女の胸だって脂肪だろ。同じようなもんじゃないか。それに、お前のだって、キスだけでこんなに大きくなってるし」と、軽くかわされただけだった。
アーサーがちろりと唇を舐めて、身を屈める。あっと思う間もなく、アルフレッドのディックは温かく軟らかい感触に包まれて……眼前の状況を頭で理解したときには「そんなことされてしまうなんて」という羞恥心やら「お仕えされている気分で悪くないな」という征服欲やら、長年抱え込んでいた劣情やら、その他いくつもの名状し難い感情がないまぜのままこみ上げてきて……耐える余裕もなく、果ててしまった。

「たっぷり出たね。もう疲れちゃった? 可愛いよ」

ぎゅっと抱きしめられながら耳元で囁かれ、アルフレッドはうっとりと頷いた……が、達したばかりでまだピクピクしている敏感な中心をギュッと無造作に握り込まれ、その強すぎる刺激に甘ったるい気分は吹っ飛んだ。さらにその後に続いた台詞を聞いて、彼が欧州のエロ担当という不名誉な称号を戴いていることを思い出し……アルフレッドは、まるでホラー映画の絶望的なバッドエンドを観ているような気分になった。

「でも、若いからまだまだイけるだろ? 夜は長いんだ」





ぽっかりと目が覚め、しばらくの間、自分がどこにいるのか分からなかった。いつの間にか、気を失うようにして眠ってしまったらしい。ただ、昨夜の出来事が夢でなかったことは分かる。その証拠に……サイドボードに乗せられたテキサスに手を伸ばしただけで、全身の骨がギシギシ軋んでいる。目はシバシバするし、キスしすぎた唇も腫れぼったくて、自分のものじゃないような違和感があり、当然、口に出して言えないような部位も沁みるように痛い。シャワーを浴びずに寝たせいで、体中に汗やら唾液やら、なんだかよく分からない体液の残滓がこびりついてカピカピしてて気持ち悪い。この酷い待遇に抗議してやろうと、ロボットのようにギクシャクした動きで振り向いてみたが、隣には誰もいなかった。

「アーサー!?」

慌てて跳ね起きて……腰に力が入らず、ふにゃふにゃと倒れ込んでしまう。畜生、納得いかないんだぞ。次の機会があったら、絶対にリベンジしてやる。この俺が本気出したらどうなるか、覚えてろ。こっちの方面でだって、俺は対等か、それ以上じゃなきゃ嫌なんだ……と、ブツブツ言っていると、遠くでアーサーが誰かと話しているのが聞こえた。
「わざわざウチまで連れて来てくれて、すまないな」などと言っているところから察するに、あのバカップルがピーターを送ってきたのだろう。

「良かったら、朝ご飯を食べていかないか? アルフレッドも食べるかと思って、張り切って作りすぎてしまったんだ。昨夜ので良ければ、プディングもあるぞ」

ちょっと待て。アーサーの飯は、朝食だけは美味しいんだ。俺の分は残してくれるんだろうな? つーか、そのプディングは俺のなんだぞ! だが、全身の自由が効かずに、柔らかい羽毛布団の上でウダウダしているうちに……再び寝入ってしまい「おーい、そろそろ起きてシャワー浴びて来い。そろそろパスタ兄弟が着くぞ」と、アーサーに揺り起こされたのは昼過ぎだった。

「ハァ? あいつらが? 何の用で?」

「やっぱりウェディングドレスはお前が着るべきだと思ってな。ちょうど今お前が来てるんだから、採寸し直しに来るように連絡しといた。まだ布を裁断していなかったらしいから、サイズ変更は間に合うぞ。良かったな」

「ハァ? 良くねーよ!」

やっぱり、快楽に流されず、意地でも「上」をキープしておくべきだった。ヒーローはいつもトップのポジション、それがお決まりじゃないか。せめてもの抵抗に、アルフレッドは「君の方が華奢でほっそりしてるから、似合うのに」と、精一杯ゴネてみたが、アーサーはしれっと「お前はとっても可愛いぞ、アル」などと言い放った。

「あーでも、その腹なら、プリンセスラインじゃなく、マタニティータイプかなぁ?」





「ハァ、それはとんだ災難でしたね。あの方はあー見えて、あーですから、お若く経験の浅い身では、太刀打ちできなくても仕方ないかと。このたびはご愁傷さま……いえ、ご馳走さまと申し上げた方がよろしかったんでしょうか」

話を聞かされた本田は、いかにも深刻そうな仏頂面を作って友人への深い同情を装っていたが、漆黒の瞳の奥が明らかにニヨニヨと笑っている。

「なんだい。アイツのことをよく知ってるみたいな言い草じゃないか。もしかして、ホンダの昔の恋人って……?」

「おやおや、ヤキモチですか? おお、こわ。統計では、アーサーさんところは、キスが世界一お上手なお国柄といわれているらしいですよ」

「そうなのか? そんなの納得いかないんだぞ。なんでもいいから俺が世界一であるべきなんだぞ。誰がどうやってそんなことを調べたんだ。責任者を呼んでくれたまえ」

「そんなことを仰られましても。話は変わりますが、ウェディングドレスはどうなったんですか? 本当に女装大会にしちゃおうかってメールが回って来ているんですけど」

「その件は、なんとか回避した……っていうか、そもそも腰が抜けて立てなかったから、採寸どころじゃなかったんだぞ。おかげでヒーローの面子丸つぶれだ。不愉快極まりないんだぞ、あのブリテン野郎。好き勝手しやがって……今度は、こっちがキャンと言わせてやるんだからな」

あらあら。雨降って地固まるという言葉もある筈なんですが、せっかくご両人結ばれたというのに、なんだか前よりも仲が悪くなったように見えるのは、気のせいですかね。ここでお赤飯なんか炊いたら、逆に叱られてしまいますでしょうか。

「はぁ。わたくしはゲイシャガールをリクエストされたので、振袖を用意してたんですが……ところで、YOUは何しに、我が国へ?」

「男相手のやり方」

「ほえっ?」

「……の本、持ってるんだろ、ホンダ。なにしろ君は、アジアのエロ担当だもんな。俺んとこに持ち込もうとしたら税関で没収される可能性があるから、わざわざ読みに来たんだ。リベンジしたいんだぞ」

「誰がエロ担当ですか、と申し上げたいところですが、あながち否定しきれないところが誠に遺憾です」

「もちろん、それだけじゃなくて、その、俺からもヨくしてやりたいっていうか。だって、彼は口うるさいし、眉毛だし、料理は壊滅的にヘタクソだけど……笑った顔とか、ふとした仕草が、その、とても年上とは思えないぐらいスィートでキュートなんだぞ」

あらあら、やっぱり赤飯を炊きましょう。食紅と……アルフレッドさんのお好みに合わせて、特別に食青も買ってきて、カラフルにして差し上げますね。





人生において「バカバカしいと思われること」をランキングしてみたら「恋愛相談に乗る」という項目は「酔っぱらいの相手をする」と並んで、かなりの上位に食い込むに違いない。自称・恋の伝道師たるフランシス・ボヌフォワですら、そう思う。

「見ろよ、この写真。可愛いだろ? 天使みたいな寝顔だろ? こーんなカワイイ天使が無我夢中になって、ぎゅーってしがみついてくるんだぜ、ぎゅーって。羨ましいだろ? 欲しいだろ? でも、焼き増しなんてしてやんないからな」

「あーハイハイ。良かったねぇ、坊ちゃん」

どう見ても『いい年齢をしたヤローがだらしなく大口開けてる写真です。ありがとうございました』状態なのだが、すっかり脳ミソお花畑状態のアーサーには、フランシス渾身の皮肉も通じない様子だ。

「だってアイツ、弟じゃなく男としてみてくれって、背伸びしちゃって、さぁ」

「いやいや、そこはリクエストに応えてやれよ。そうじゃないと、おまえら結局、何も変わってないってことじゃないか」

「だって、図体ばっかりでかくなっても、可愛いんだもん。仕方ないだろ。こないだなんか、わざわざ郵送でメッセージカードをよこしてきたんだぜ。このインターネット全盛のご時世に、IT大国が手書きで、さぁ……カード見たい? 見たい?」

例えるなら、でっかい犬に懐かれて可愛い、という感覚かね。向こうは『可愛い』なんて言われても、喜ぶどころか鬱陶しがるだろうに。そこらへんの意識のズレはお互いに擦り合わせしておかないと、後々炸裂するだろう巨大な地雷になるのは見え見えなんだが……少なくとも今のアーサーは、そんな忠告を聞き入れてくれそうにない。
一方、マシューはフランシスの隣で、素知らぬ顔で紅茶をすすっていたのだが、ふと思い出したように「お兄さん、やたら元気そうだけど……最近は、君をあのデブと間違えたり、カップを余分に出したりしてないんだ?」と、ピーターに耳打ちした。ピーターはフランシスの手土産のマカロンやらパイ菓子やらを夢中でショリショリ食べていたが、大きな目をパチクリさせて頬張っていた分を飲み込み「そういえば、そうですね」と答える。

「その代わりに最近、冷蔵庫に変な黒いボトルが入ってて、なんだか気持ち悪いでやがるです」

「黒いボトル? ソイソースかな……いや、多分コークだな。アルのために用意してるんだろうな……それね、メントスいれておくと面白いよ。小型ロケットが作れるんだ。こう、蓋をあけたら中に落ちるように、糸を通して、こう、ね」

「ロケット?」

子供らしく目を輝かせたピーターのために、紙ナプキンに『メントスコーラ』の罠の作り方をメモしてやっているマシューを見て、フランシスは不安そうに「お兄さん、なんだかマシューちゃんがちょっぴり怖いんだけど」と呟いた。

「えっ? どうしてですか? アーサーさんの具合がすっかり良くなったようで、なによりじゃないですか」

「そ、そうなんだ? まぁ、そうなんだけど」

フランシスは苦笑いを浮かべると、マシューの柔らかい猫っ毛を撫でてやる。血が繋がっていない兄弟に対してこんな言い方はおかしい気もするが、素直じゃないのは彼らの『血筋』なのかなと、フランシスは思う。頑固で融通のきかないアーサーや、色々こじらせているアルフレッドだけじゃなく、一見素直そうなマシューだって……もう少し本音を吐き出してくれればいいのに。
やがて、そろそろお開きという頃になって、マシューがふと思い出したように「そういえば、あのドレスの件ですけど……エプロンタイプにして、後ろで調節するデザインにしたら、採寸なしでも作れるんじゃないですか?」などと言い出した。

「アーサーさんのところの、ホラ、執事カフェってあるじゃないですか。ああいう感じで」

「なるほど、いいアイデアだな。早速、パスタ兄弟に頼んでみるぜ。どうせウェディングドレスを作る予定だったんだから、布は余ってるだろうしな。さすが、マシューは賢い子だなァ」

ええと、その執事カフェって、ちょっと前に話題になった、ケツ丸出しのウェイターの店だよね。そんな代物をあのメタボに着せようって、凄まじく嫌がらせだよね。やっぱり地味に怒ってるよね、仔猫ちゃん……そりゃ、いくら温厚な君でも、腹立つよね。あんだけ人様に心配かけさせておいて、礼のひとつもなく能天気にそれかよ、って。そういう気持ちは分かるけど、さぁ……まぁ、いいや。お兄さん、もう君たち兄弟にはあえて何も言わないわ。

「オトナって、本当にオトナげないでやがるですね」

「ああ、まったくその通りだね、おチビちゃん……さて、今度のお茶会には、どんなお菓子を作って来てあげようか。フィナンシェがいいかな、それともエクレア?」





世界会議のレセプションで、笑顔で裸エプロンを要請したアーサーにアルフレッドがブチ切れて「やっぱり君なんか大嫌いだ」宣言をしたり、ルートヴィッヒが「なんか、ロディが用意してくれたんだが」と言いながら広げたドレスがフリッフリ&スッケスケの総レース仕立てだったり、またもやついてきた勇洙が本田の振袖の帯で『お代官様ごっこ』を始め、場内大騒ぎになったりした……のは、それからしばらく後のお話。



END

【後書き】なぜかいきなり、今更のように炎上した英米英萌えの昇華のためだけに書きました。自分が萌える要素だけをみっちり詰め込んでいるので、時代考証、設定等は一切無視しています。
なお、各国の名前については、Butler's life 様を参考にしました。

タイトルは「なんとなくイメージかな」と思って、書きながらずっと聴いていた Aimerの『RE:I AM』より。機動戦士ガンダムUC ED6の曲なんですがね……こまけぇこたぁ(AA略
初出:2015年03月13日
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