ア タ シ ハ コ コ ヨ /上
大きな商談を終え、快臨丸の自室に戻った坂本辰馬は、そこが無人であることに首を傾げた。
ひょっこりと現れたオンナを船に乗せることを許可したのは、数日前のこと。オンナは坂田銀時を名乗っていた。確かに着物の柄は坂本の親友の愛用品と同じだし、天然パーマ気味の銀髪のショートヘアは彼に似ていなくもない。聞けば、天人の仕業で性転換してしまったとのことだ。
「わしらが地球ば離れちょる間にそういう事件があったことは聞いているきに、全員元に戻ったと聞いちょる」
副官の陸奥はそういって訝ったが、坂本には、オンナが嘘をついているとは思えなかった。だからこそ「部屋は余っておらんぜよ。空いているとすれば倉庫ぐらいかの。それも積み荷優先じゃが」と陸奥が冷たく言い放ち、オンナはそれでもいいと俯いたところに割り込んで「わしの部屋で寝泊まりしたらよかろ」と提案したのだ。
「ウチに、無駄飯食いを養う余裕はないぜよ」
「なら、わしの部屋の掃除でもしなァ。わしが雇うことにすれば、無駄飯食いではなかろ」
「理屈じゃの。じゃが、余分な寝具も無いぞ。まさか、即席の女中ごときに客人用を出すつもりじゃなかろな?」
「布団も出さぬか。おまん、姑か。よかよか、わしの布団で寝かせちゃる」
陸奥は片頬を引きつらせたが、それ以上反対する材料もないので、不承不承引き下がった。嫌がらせとして、船員や女中に「あのオンナには水一杯出すな」と、こっそり命令しておくのが精一杯だったようだ。どっちにしろ、オンナは招き入れた部屋からはあまり出ようとせず、食事も坂本が持ち帰った膳をふたりで分けていたし、風呂やトイレも(坂本がしょっちゅうゲロを吐くから、という理由で)船長室に専用のものが備え付けられていたので、そんな露骨な悪意に晒されることも殆ど無かったと思いたいが。
「ギン子? どこに隠れちゅう?」
とりあえずゴミ箱をのぞき込んでみたが「んなところに入るわけねーだろ、バカ本」というツッコミは無かった。
「おおい、ギン子? 土産があるぜよ、おまんの好きそうな菓子じゃ」
とりあえず菓子折りは文机に置き、上着を脱いだ。
ここ数日は、オンナがするすると近寄って受け取り、衣紋掛けに掛けてくれていたのだが、そんな気配もない。どうしたもんかのうと、坂本は上着を畳に放り捨てて頭を掻いた。オンナが徹底的に嫌われているだけに、居なくなったと知らせても陸奥を喜ばせこそすれ、探すのを手伝ってくれるとは到底思えない。
船は宇宙空間を航行中なのだから、外に出て行ったとも思えない……いや、商売相手の船とはまだ連結用のブリッジで繋いだままだから、孤独(あるいは空腹)に耐えかねて、自分を捜しに行った可能性はあるか。
もしかしたら行き違いになるかもしれないので、菓子折りの上に「もし戻ったら、この部屋から出ないで待っているように。PS. このお菓子は食べていいけど、わしの分も残しておいてネ☆」と書いたメモ用紙を置いておく。
他人から向けられる敵意には、小さい頃から慣れっこになっていたつもりだったんだがな、と銀時は苦笑いしながら、男の胸に頬ずりした。
吉田松陽に拾われて栄養状態が改善されたおかげか、すくすくと身の丈六尺の威丈夫に育ち、相手にどう思われようが『こちらがその気になれば、いつでも叩き潰せる』という自信がついたせいだろうか。あるいは、いつの間にか……多分、お登勢の家に転がり込んでから、お登勢の人柄に助けられて……あの町と結びついて人情を知ったからだろうか。それらすべてを一気に失ったショックは、想像以上に大きかった。他の連中はそれなりに性転換した体を受け入れ、新しい生活に踏み出しているというのに、自分がそれに倣う気にはとてもなれない程に。
あまりの居心地の悪さに、スナックお登勢の裏路地側、二階の万事屋へ続く階段にボーッと長時間うずくまっていた銀時に向かって、たまこと芙蓉零號は優しく「大丈夫、何も変わっていませんよ。銀時様は銀時様です。容れ物が違っても、同じ魂が入っていることは、私には分かりますから」と囁いてくれたが、そもそもそう言って慰めてくれるのが機械人形一体きりというのも、虚しさを募らせるばかりだ。華奢な手首を掴むと、すんなりと芙蓉が隣に腰を下ろした。ほっそりした少女の体が、やたら大きくどっしりとしているように感じる……のは、やはり銀時側が小さくなってしまっているのが原因だろう。
「でもよ、このチッポケな体じゃ、以前みてぇにおめぇを可愛がってやることもできねぇんだぜ?」
「かまいませんよ。代わりに、私が銀時様をお慰めしましょう。下半身のパーツを交換すれば、簡単に対応できますから、どのサイズでもご要望に添えます。最初はやはり小さめの方がよろしいのでしょうか?」
機械ゆえに表情に乏しい芙蓉が真顔で、リアルな張り型のカタログをエプロンから引っぱり出すと、銀時は脊髄反射的に彼女を張り倒していた。勢いで芙蓉の首がすっ飛んで、路地の奥へと転がったのも見ずに、停めてあるバイクに駆け寄って、スターターリレーを蹴っていた。
あれから……どこをどう走り、どこでバイクを乗り捨てたのか覚えていないが、我に返った時には、宇宙ターミナルの貨物船エリアに居た。自分が何を探していたのか自分でも分からないまま、忙しそうな作業員の間をすり抜けるように彷徨い歩き、やがて旧友の船……快臨丸の赤いボディが目に入った。それを見た瞬間、俺はかぶき町どころか、地球すら離れたかったのかと気付いたが、それを叶えるために己一人で旅に出ようとする気概もなかったことも自覚して、かえって己を情けなく感じた。これじゃ、廚二病をこじらせただけとはいえ一人旅に出た神楽の方が、よっぽど立派じゃないか。
「辰馬ァ」
こんな時ぐらい、黒眼鏡を外したらいいのに。
坂本が自分を(坂田銀時であることには半信半疑ながらも)引き取ってくれた時には、正直ホッとしていた。これから先どうなるかはまったく見当もつかなかったが、雑巾でせっせと床を磨いている間などは無心になれた。意外と器用だもんな、俺。こうしてひっそり生きていくのも悪くないかもな。だってほら、今までの人生が波瀾万丈だったじゃん? もうこのまま枯れたって、人生のバランス的にはちょうどいいのかも……乾いた洗濯物を畳みながら、そんなことを考えたりもした。
『もしヒマなら、繕いものでもしてくれんかの、陸奥は不器用でのぅ、力加減がワカランで、すぐに布を破ってしもうて』と言われたときには、あの有能な副官にもできないことがあったのかと、優越感で口元が緩んだものだ。
「ン? なんじゃ、銀時」
「ふふ、やっとそう呼んでくれたな」
「だって、おまんがそう呼べって言うたぜよ」
破瓜の痛みは想像以上の激痛だったうえに、AVやエロ漫画とは違っていつまで経っても気持ちよくなるどころか、腰の辺りが麻痺して「繋がっている」という実感すら無かったが、それでも長い腕にすっぽり包まれ、素肌が触れ合っているのは心地よかった。波のように繰り返し突き上げ、引いていくリズムに流されながらも、銀時はふと、妙な違和感を感じた。
違う。
坂本は、何回頼んでも、いつも『金時』と呼んでいた筈だ。
だが、この心地よさを手放したくなくて、銀時はあえてそれ以上考えるのを止めた。相手が誰でも良い。今の、この体の自分を受け入れてくれる人なら、誰でも。例え、坂本でなくともいい。やがて、坂本は銀時の胎内で何度目かの精を放ったらしいが、額には薄汗ひとつ浮いていない。そのことすら、銀時は黙殺した。
だから、黒眼鏡を弾き飛ばしてしまったのも、ただ唇が欲しくて手を差し伸べたのが、誤っただけだ。
「あ、ゴメン、わざとじゃな……」
言葉が続かなかったのは、何時間も喘ぎ続けて喉が枯れてしまったというだけが理由ではない。
深々と番ったまま、銀時を見下ろしている『坂本』の眼球は、白目の部分も含めて赤い柘榴石のようだった。
まずは『そちらの船に、ウチの船の者が迷い込んでいないか』と、正面切って電波通信で問い合わせてみたが、なぜか応答が無かった。ついさっきまで重要な会談をしていた相手だ。まさか回線を切って露骨に無視しているということもなかろう。
「船体は繋いだままか?」
「はい。そろそろ、ブリッジ取り外しのための打ち合わせが入る筈なんですけど」
「そりゃそうじゃな。こちらからだけの作業じゃないきに」
どうしたものかと悩んでいると、そのやりとりを横目で見ていた陸奥が「向こうの船に行って、確認するしかないの」と言い出した。
「陸奥、一緒に探してくれるのか」
「何をじゃ。わしゃ、女中風情なんざ興味はなか。ただ、相手の船になんぞあって、せっかく取り付けた商談がパーになったら困るじゃろ。航行中の船は密閉空間じゃ。急な感染症なんぞが発生しておらんとも限らん」
「感染症は困るぜよ……マスクして行くかの?」
「伝染るものなら、とっくに伝染っちょる。ただ、発症までのタイムラグがあるから、正体さえ突き止めたら、対処法はある」
「そんな悠長なこというて、薬局まで間に合うかの?」
「だったら、今すぐ無理矢理ブリッジを外して駆け込むか? わしはそれでもよか」
坂本は鳥の巣のようなモジャモジャ頭を掻いていたが、やがてオペレーターに向かって「念のため、一番近い薬局を探して、着陸許可を貰っといてくれ」と命じた。
「すぐ、出られるんですか?」
「いんや。出航は……一刻(二時間)もあれば、この船に戻って、支度出来るじゃろ」
どうしてもかしらはあのオンナを探すのか、と陸奥はため息を吐いたが、そもそも相手の素性がどうであろうと、坂本はひとを見捨てることができないということぐらい、長い付き合いで分かっている。いや、そういう性根だからこそ、皆、このアホに惚れ込み、かしらと慕って働いてきたのではないか。
「わしも行く。マスクを用意せい」
「伝染るものなら、とっくに伝染っちょるんじゃないのか?」
坂本が混ぜっ返したが、陸奥はふいっとそっぽを向いた。
「念のため、こっちの船でも皆で手分けして探しておいてくれんかの。ひょっこり戻ってくれれば良いが、あのオンナ、たまに低血糖じゃいうて所構わず倒れることがあるきに」
陸奥は、幼い頃に聞かされた幽霊船の話を思い出していた。
宇宙空間にはバクテリアが居ないから、モノが腐るのが地上よりは遅い。そのため、なんらかの理由で船員を失った宇宙船は、なにもかもが『ついさっきまで誰かが居た』ように見えるのだとか。どこかが破損して空気が抜けたり、強力な宇宙線を浴びて強制的に殺菌消毒されてしまった船なら、なおさらだ。何年も、何十年も……下手をしたら何百年も昔に放棄された船がひょっこり現れるのは、この宇宙ではそんなに珍しいことでもないし、むしろ、そういう船を探しては換金価値のあるものを漁るハイエナのような連中……お宝ハンターか、探検家か、その自称は様々だが………もいると聞く。
だが、陸奥もさすがに幽霊船の実物を見た経験は無かった。
「ついさっきまでは、何も感じなかったんじゃが」
むしろ、多くの船員が規律正しくキビキビと働いていた筈だ。陸奥がこうありたいと考えている、理想の部下像そのままの姿で、いきいきと。それを目にしたからこそ、急に現れて取引をしたいと言い出した商船を信用するつもりになった。坂本が持ち帰った条件がやけに良かったのも、ああいう部下に恵まれて儲かっている証なのだろう、ぐらいにしか思わなかった。
「さすがに、変じゃ。化かされたか? いや、集団催眠状態だったのかもしらん。地球を離れてしばらく、皆、ぴりぴりしていたしな」
「ぴりぴりしていたのは、おまんだけぜよ、陸奥。わしゃ、特にいつもと変わりなか」
「そりゃ、かしらは愛人を囲ってご機嫌じゃろうな。しかも、食い扶持が一つ増えたのに、ここ最近はまともな商談ひとつ無くて、資金繰りはジリ貧だったというに」
「愛人じゃなか。女中ぜよ」
「ひとつ床に寝ちょるんだろうが!」
「そんなはしたないハナシ、大声でキイキイ喚きなぁ……手は出してなかよ」
坂本もひとけの無い船内を薄気味悪そうに見回しながら、歩いている。ふと、隣に居た陸奥の姿が見えなくなってギョッとしたが、振り向くと、陸奥が呆然と突っ立っていた。どうやら、途中で立ち止まっただけらしい。慌てて駆け戻り、細い肩を両手で掴む。
「なんじゃ、陸奥。なんぞ見えたか? しっかりしィ」
「本当に何もしてないんじゃな、あのオンナに?」
「なんじゃ、そこか。出すわけなかろが。どういう経緯か知らんが、自分を金時だと思い込んじょるオナゴにつけ込むような、卑劣な真似はできんぜよ。もしそれが金時に知られたら、わしゃ、金時に会わす顔が無か」
「そうか……そうじゃな」
自分が彼女を嫌って虐めたから、余計に庇わざるを得なかったのも理由としてあるんだろうなと、陸奥は反省した。ましてや、坂本が手を差し伸べなければ彼女は水一滴飲めない状況をわざわざ作っていたのだから。
「だから、逃げたのかもしれんな」
「は? ここの船員が、か?」
「アホ。ギン子の話じゃ。かしら、あれが坂田銀時じゃいうのを、信じておらんかったのじゃろ? あるいは、かしらの手を煩わせ続けるのが心苦しゅうなったのかもしれん」
「ウソはついてないと信じてるぜよ。ただ、そう思い込むだけの理由があったんじゃろ? 第一、別に煩わしいとも思っちょらん。繕いものなんざ、なかなか上手いものじゃよ」
「どうだか。かしらは微妙な女心にうとか」
「百歩譲ってわしがニブチンの朴念仁だとしても、コレの理由にはなっちょらん」
坂本が船内の壁を拳でコツコツと叩き、陸奥もそれは認めて素直に頷いた。
「ところで陸奥、無線は通じそうか?」
坂本が尋ね、陸奥は一瞬、その意味を計りかねたが、すぐに二手に別れるための通信手段を確認しているのだと察した。
「わしゃ、こんなところで単独行動は嫌じゃ!」
「なんじゃ、怖いのか。鬼の副官が」
「実態のあるものならいくらでも倒せるが、実体の無い幽霊相手はごめんじゃ。もし、わしらが催眠状態に陥ってるのなら、なおさら、一人になって身を守れるとも思えん」
「仕方ないの。じゃあ、一緒に居住区の部屋をひとつひとつ確認してから、念のために倉庫も回るから、予定よりも少し遅れると連絡しておくか」
「この船艦をくまなく探すのか。かしら、正気か?」
「この船が実は無人で、わしらは集団催眠にかかって商談している気になっちょった。それはそれで説明がつくが、今度は、ギン子が消えた理由になっちょらん」
「あのオンナも幻覚だった、でよかろうが!」
「この閉鎖空間を全部見て回って、それでも居なけれりゃ、わしもそう判断するしか無いのう。気が触れて船を飛び出して死んだと思うよりも、そんなオンナは最初から居なかったと考える方が、気が楽じゃ」
宇宙船で暮らす経験も浅く、狭いエリアに引きこもって、坂本以外とは誰とも話さずに過ごすオンナは、自分たちよりも発狂しやすい環境にあっただろうなとは、さすがの陸奥も口に出しては言えなかった。その罪滅ぼしにもなるまいが、せめて無事に保護(あるいは死体を回収)できた暁には、あのオンナに優しい言葉のひとつでもかけてやろう。
一刻半(三時間)もシラミつぶしに居住区域を見て回り、陸奥もさすがに「手分けした方が良かったのでは」と考え始めた頃、ふと、ある部屋の床がぬめ光っているのに気付いた。巨大なナメクジが這った跡のようにも見える。陸奥がそれを指さすと、坂本がかがみ込んで、その粘液に人差し指を突っ込んだ。親指をすりあわせてから離すと、赤みを帯びた半透明の糸を引く。まだ水分が残っているということだ。
「陸奥、幽霊船では水も残るのか?」
「いや、バクテリアによる分解は止まるが、さすがに水分は蒸発するぜよ」
「なら、これはそれほど時間が経っていないということじゃな。この色は……血か?」
坂本が確かめようと指を口元に持って行くのを、陸奥が慌てて叩き落とした。
「やめい。そんな得体の知れんもの舐めたら、腹を下すぞ」
「匂いを嗅ごうとしただけじゃき」
「どうだか」
陸奥は筋の前後を見回し、片方は反対側の出口に向かっている。もう片方が寝台に続いていると知ると、つかつかと歩み寄った。深呼吸してから、思い切ってシーツをめくる。そこには、血と粘液にまみれた球状のものが数個、転がっていた。素手で触るのは気が引けたが、思い切ってひとつ掴み上げ、床に叩き付ける。
「陸奥、何しゆう!?」
濡れた音に驚いて坂本が駆け寄ってきたが、床でのたうち回る小さな塊を目にして、ギョッとした。
「陸奥、そいつは何じゃ? エイリアンか?」
「ふん、やっぱりコイツか……閉鎖空間でのヒステリーだけじゃなく、もうひとつ、集団催眠を引き起こす原因を思い出したぜよ」
陸奥はそういうと、憎々しげに蝉の幼虫に似た(とはいっても、拳大ほどの大きさのある)その塊を踏みつぶした。
「空蝉(現し身、うつしみ)じゃ。相手の心を読み取り、望むがままの幻覚を見せる術を使う、化け物ぜよ」
「なんのためにそんな真似を?」
「蟲の気持ちなんぞ、わしゃ知らん。だが、理想の相手と見せかけて交尾を持ちかけ、卵を産みつけて養分を吸い取らせるのだと聞いたことがある」
そこまで言うと、陸奥は粘液の反対側に向かおうとする坂本の腕を掴んだ。
「わしが行く。かしらは、ここで待っちょれ」
「でも、こっちの先に『誰か』が居るんじゃろが。幻覚じゃなく、少なくとも、ついさっきまで生きていた人間が」
「いいから」
「貴様、アホ言いなァ」
強引に振り払われそうになったので、陸奥はとっさに坂本の体を壁に叩き付けていた。ヤバイ、コンクリートだと思った時には時既に遅く、坂本は目を回して気絶した。
「すまん。地球人相手に、やりすぎた」
軽く頭を下げてから、陸奥は粘液の跡を辿る。廊下の途中で、ひとつ、ふたつ、さらに卵の追加があった。腹の中にいた時間が長かったせいか、寝台に転がっていたもより大きめで、水分をたっぷり含んでいるのが見てとれる。
つまり、わしらにいくら幻覚を見せても、商売のことしか頭に無かったから、卵を産みつけることができなかったんじゃな。でも、多分、あのオンナは。
鉄製の扉に辿り着いた。
そろそろオンナも力尽きる頃だろうから、この扉の向こう辺りで(しかも、多分全裸で)倒れているに違いない。そんな姿を坂本には見せたくなかった。いや、それを見て悲しむ坂本の姿を、陸奥自身が見たくなかったのかもしれない。
「いたたた……陸奥、無茶しなぁ」
目を覚ましたらしい坂本が、自分を追って来たのに気付き、陸奥は「来るな!」と喚いた。
「何を言うちょる。その向こうに、おるんじゃろ?」
「しかし、その」
「おおい、ギン子ぉ」
坂本がのんきな声を出す。その途端に。
鉄製の扉が向こうから開かれた。
「あいよ」
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