当サイト作品『みるく』の続編。
稲×八前提です。予めご了承ください。

ちょこ【1】


田舎では分家筋として常に比較され続け、一念発起して内地の大学付属高校に進めば、故郷を捨てた薄情者と後ろ指をさされ、大学を卒業し地方公務員になればなったで税金泥棒と陰口を叩かれながら、生きてきた。酔いの勢いで結ばれ授かった女房と息子を本家に披露する機会もなく「よしやうらぶれて異土の乞食となるとても、帰るところにあるまじや」と、室生犀星なんぞを口ずさんで己を慰める人生だったが、その苦難の日々もいよいよ終わりかと思うと、やたらと心は晴れやかだった。自分よりも一回り以上若いセールスマンが救世主のようにすら思える。

「この坪単価なら、豪邸が建つな。狭い賃貸マンションとはおさらばだぞ」

本家の屋敷と遜色ない家を建てて、見返してやる……もう長いこと足を踏み入れてもいなかった郷里に、本心ではこれほどまでに拘っていたとは自分でも驚きだったが、その怨念めいたものがあったからこそ、これまで酒も煙草も嗜まず、特に趣味も持たず、旅行も行かず、歯を食いしばるようにしてひたすら蓄財に励んでこれたのだろう。そう、全てはこの鮮やかな逆転劇のための布石だったに違いない。

「でも、田舎なんでしょう?」

訝る女房に、セールスマンが「大丈夫ですよ、奥様。すぐ近くに空港がありまして、東京まで一時間ちょいですから。下手をすると、東北や南関東よりも便利かもしれませんよ」と口添えした。

「でも、こんなところに知り合いもいないし」

「それも心配要らないさ。実は、この地域の農協の組合長が、僕の縁戚に当たるんだ。ウチの苗字を出したら、皆、一目置いてくれるさ」

その途端に、セールスマンの顔色がサッと変わった。手早く資料を片付け始め、受け取った筈のパンフレットまで回収してしまう。

「あ、あの?」

「スミマセン。ちょっと次のアポイントの時間が……ああ、頭金はここに振り込んでおいてください。詳しい資料は今度、領収書と一緒に持って参ります」

ぺこりと一礼して、セールスマンは逃げるように帰ってしまった。手元に残されたのは、ボールペンで振込先が記入されたメモ用紙が一枚。女房は「怪しいわ。詐欺じゃないの?」と首を傾げていたが、長年に渡るルサンチマンを晴らす好機を逃したくなかったので、その紙を丁寧に折り畳んで、手帳に挟み込んでいた。



※ ※ ※




「要は、ソイツとヤりたいんだろ?」

さらっと言いながら、運転中の大川は左腕を伸ばして、八軒の前にあるエアコン送風口を弄っていた。

「ちょ、危ないですって、前、見てください」

「だってオマエ、放っといたら暑いとか寒いとか、我慢するだろ。過ごしやすい温度にちゃんと調整すりゃいいったって」

「します、しますから、前!」

「大丈夫だっての。このままメールだって打てるぜ、俺」

「自慢になりません! というか、運転中だったら、すぐにメール返してくれなくたっていいんですってば」

「ウソツケ。すぐに返信しないと、何してるのだの、どこにいるのだの、追撃してくるくせに。それにこんな片田舎の一本道、事故なんか起こしようもねーよ」

「キツネとか出るじゃないですか。こないだも雉が飛び出してきて、横切って驚いたって。それに雪道ですよ。ブラックアイスとかミラーバーンとか、色々危ないんですから」

八軒がぎゃんぎゃん喚いていると「ハイハイ、分かった分かった。悪かった悪かった。運転中のケータイはやめるから」と頭を撫でられた。

「いや、だから、それ! 運転に集中してくださいって言ってるんですよ、俺は!」

「あーもう、ウルサイなぁ」

大川がボヤくと、自動車を道路脇に寄せて停めた。周囲は森林で、寮へは二、三十分程度の距離だ。

「これでいいな?」

そういう論点なんだろうか。いや、間違っていないけど……と、納得のいかない表情を浮かべながらも、大川が改めて頭をぐしゃぐしゃと掻き回すのは拒まなかった。そのまま、顔を覗き込まれ「で、実際んとこどうなん?」と、尋ねられる。

「どうって……何の話でしたっけ?」

「だから、お前がしばらく会ってないってヤツ。ぶっちゃけ、ヤらせてくれって頼んだらいいだけの話じゃねーかなぁ、って。受験生っていっても、センター終わったらあとはもう、今さらジタバタしてもどうしようもねぇべ。逢おうと思えば時間ぐらいいくらでも作れるべサ。ちゃっちゃとヌいてもらえって」

そういえば、そんな愚痴に付き合わせるために、ドライブに連れていってもらってたんだっけな。クルマの中で話をするのは、相手の顔を見なくてもいいので緊張せずに済むうえに、他人に聞かれる心配もない。

「俺、ヌいてもらおうとか、そういうつもりじゃないし、そういう目で見たことないです」

「でも、会ったら、ヤりたいんだろ? それとも顔だけ見てお茶でもして、バイバイって帰って、満足できる?」

「う、できないかもしれない」

これが御影相手なら、ふたりでお茶でもしたら、それだけで感激して舞い上がってしまうに違いないし、じっと見つめられたら、セックスどころか手を握ることすらできそうにない。毎日顔を合わせているから『会えなくて寂しい』と思うこともないけれど……それだけでなく、多分、御影相手とあの人相手では『好き』の種類が違うのだろう、というところまでは、自分でもぼんやりと分かっていた。具体的にどう違うのかと突き詰めると、大川の指摘はあながち間違いと言えないのかもしれない。

「でも、だからって押し掛けて、ヤらせてください、なんて言えないです」

「俺には、寂しいからドライブ連れていけとか、気軽に言えるくせになぁ」

「ただ、話を聞いてくれるだけでも、すごく楽になるんです。その、ありがとうございました」

「根本的な解決にはなってねーけどな……さて、そろそろ帰らないとマズいかな?」

大川は苦笑いしながらそう呟くと、再び車を走らせ始めた。車窓の景色が流れていくのを眺めながら、八軒が「確かに、根本的な解決にはならないんですよね」と、ボソッと呟く。

「そういえば俺、御影が悩んでた時にも、話を聞いてやるしかできなかったんだっけな」

「でも、聞いてもらうだけでも、楽になったんだろ、お前は。御影も同じじゃね?」

「そうなのかな? そうだといいんだけど。先輩にそう言って貰えると、ちょっと気が楽になります……って、俺ばかり楽になってちゃ、ダメですよね」

己の不甲斐なさが情けなくて涙が滲んできたので、眼鏡を外して、シャツの袖で目尻を拭う。大川はチラッと視線をよこすと「箱ティッシュ、ダッシュボードにあるわ」と言って、八軒の前に手を伸ばしてきた。

「だ、か、らっ! 運転しながらはダメですって! それぐらい、自分で取りますから!」

「大丈夫だって。豊西なんか逆に、峠転がしてる時でも、ペットボトルが開かないって、平気で俺によこしてくるぞ」

「こぇええ! 豊西先輩こわい!」

ギャーギャー喚いているうちに、涙も乾いてしまった。
車を校門の少し手前に停め「んじゃ、な」と、八軒の頭を両手でぐしゃぐしゃと掻き回す。

「バイバイのちゅーは?」

「ばか」

笑いながらポコンと頭を叩かれて、追い出された。




部屋に帰るや否や、八軒はベッドの上でぽちぽちと携帯電話を弄り始めた。ほんの数分もしないで、着信アラームが鳴る。

「だーかーらー…危ないから、すぐに返信しなくっていいのに。仕方ないから、着いた頃を見計らって返事してあげようかな」

口調こそ迷惑そうだが、携帯電話のディスプレイを見つめている顔がやたらとニヤついている。西川がそれを見て「先輩からか?」と尋ねた。

「うん、先輩から。運転中は危ないって言ってるのにサァ」

「へーえ。タマコの兄ちゃん、免許持ってたんだ」

「え? ああ、違う、違う。大川先輩。馬術部の」

「は? じゃあ、ここ最近、熱心にメールしてたのって、馬術部の先輩相手?」

「うん。色々相談に乗ってもらってて」

西川はポカンと口を開けていたが、やがて我に返って「ハチ。とりあえず、ここ座れ」と床を指差した。

「え? なんで?」

「いいから座れ。正座な」

「えー…タイル冷たいから、座布団かなんか敷いていい?」

「いいわけあるか。お前な、いつの間に馬術部の先輩に乗り換えたんだよ」

「え? 別に乗り換えてないよ。大川先輩には、愚痴聞いてもらってるだけだし」

はぁ、と溜息を吐いてから、西川は気を取り直したように八軒の正面で仁王立ちした。

「あのな、愚痴聞いてもらってるっつー人間が、そんな嬉しそうにいそいそメールするかよ。まさかとは思うけど、それ以上のことはしてないだろうな、その、肉体関係みたいな?」

「肉体関係ってほどのことはしてないよ? 頭撫でてもらったりとか……ぐらい、かな?」

「ホントーか? 接触事故的なものも無いよな?」

「事故っていうか、頭ぐしゃぐしゃってする勢いで、おでこにちゅーされるぐらい、かな」

「は?」

「いつもじゃないよ」

そういう問題じゃないと西川が怒鳴り返そうとしたところで、八軒の携帯電話が鳴った。取るな、と言おうとしたが、その前に八軒がそれを拾い上げてパクンと広げた。

「返信が無いから心配って、どんだけ俺、即レスすると思われてんだろ? わざわざ運転終わるまで返信するの待ってるのに……西川、ちょっと待っててね」

「待つかボケ。いいから、それ置け!」

「何カリカリしてんのサ」

「あのな。俺は今までルームメイトとして、告白の練習するのも、デートする勝負パンツ選ぶのも、色々手伝ってきたけど、お前をそんなビッチに育てた覚えはないぞ」

「もしかして西川、妬いてんの?」

真顔で問い返されて、西川はガックリと脱力して、床に手をついた姿勢でうなだれてしまった。八軒はそんな西川を尻目に、ポチポチと手早くメールを打つ。

「送信、と」

またすぐに返信が来るんじゃないかと、八軒は何度も新着メール問い合わせのボタンを押しながら「要は、ヤりたいだけなんじゃないか、って言われちゃったんだよね」と呟いた。

「は?」

「稲田先輩とのこと。だって最後に会ったの、クリスマス前だよ? 正月は面会できなかったし……もう二月になるし」

「つまり、ヤりたいんだ?」

西川が頭を上げて尋ねると、八軒もまだ床にうずくまったままのために、お互いの顔がかなり近く……相手の瞳の中に、自分が映っているのが見えるほどの距離にあった。吸い込まれるように、唇が重なる。

「馬術部の先輩じゃなくていいのかよ?」

「大川先輩には、愚痴聞いてもらってるだけだし」

八軒の携帯電話がまたも着信を知らせていたが、虚ろな表情で惚けている八軒が我に返る前に、西川は素早く拾い上げて電源を切った。




いよいよという土壇場で、顔面を思いっきり掌で押し返された。

「あ……やっぱムリ」

「おまっ、ここまでシておいて、それはねーべ!」

「ムリなもんはムリ。どいて」

「少しぐらい、いいべサ、ちょっとだけ。先っちょだけ、な? すぐ終わるから」

「すぐイけそうなら、自分で処理しろよ」

「誘ったのはそっちのくせに……せめて、口で抜いてくれね? 手でもいいや」

「やだ。きもい」

「きもいって、オマエだって同じモンついてるだろーが!」

八軒の我がまま気ままが腹立たしいが、そこを無理やり押さえつけてヤり遂げてしまうほど、西川は非情でもなければ、腕力も無かった。諦めて体を起こすと、パッと逃げるように離れてはだけた服を直していた。

「ハチだって、途中までノリノリだったくせに」

「だって、寂しかったんだもん」

「あーそーですか、そーですか。えーわ、もう。俺、自分のベッドに戻る」

「あ、寝るのは隣に居てほしい。寒いし」

「オメ、どんだけ自分勝手なんだよ!」

「そういえばケータイどこ? さっきメール来てたよね」

日頃は『真面目で素直で一所懸命な優等生』で通っているだけに、タガが外れると抑えがきかなくなるらしい。そういえば携帯電話を熱心に弄っているときも、単に楽しそうというよりは、執着しているというか……どこか病的な感じがしていた。
コイツ、中学んときはノイローゼだったっていうし、元々が豆腐メンタルなんだろうから、情緒不安定なのはしゃーないのかな、とは思うが……他人を巻き込まないで欲しい。いや、まんまと巻き込まれたこっちも、意志薄弱だったかもしれないけれど。

「ともかく、ちょっとシャツ替えてくるわ。このままだったら風邪ひく」

寝間着代わりのTシャツが、互いの汗を吸ってぐっしょり濡れている。のそりとベッドから下りると、ちょうどそのタイミングで「西やん、ぼちぼち終わった?」と扉の向こうから声をかけられた。

「終わっちゃねーけど、もういいわ。つーか、いつの間にか部屋出ててくれたのか、悪かったな」

「いいよ、別に。食堂で女子がこそこそチョコ作ってんの、手伝ってたし」

「なんだそれ?」

「ほら、バレンタイン近いでしょ? でも、堂々と調理室の使用許可を取るのが恥ずかしいからって、皆、夜中にコソコソとね。料理苦手な子が多かったせいか、なんかモテモテだったよ、俺」

「そいつぁ、良かったな」

んだよ、俺だけ貧乏くじかよ、と西川は不貞腐れながら、脱いだシャツを八つ当たりがてら、乱暴に洗濯かごに叩き込む。

「試食貰って来たけど、西やん食べる? まだちょっと固まりきってないのもあるけど」

「へーえ。美味そうじゃねーか。ハチも食うか?」

声をかけてやるが、返事が無い。まだ拗ねてんのか? 泣きたいのはこっちの方なんだがな。まったく厄介なヤツと相部屋になったもんだよ……と、内心ボヤきながら、ベッドのカーテンを引く。

「ハチ?」

覗き込んだ西川の体が固まった。有り得ない。

「……ハチ?」

念のためにもう一度声をかけると、子豚がベージュのパーカーの衿からちょこんと顔だけ出しながら「ブィ」と、返事をした。


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初出:2013年02月14日
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