罪の果実を男は喉に、女は胸に。


家賃を回収に来た芙蓉相手に「ババァはずりーよな、何もしなくても家賃むしり取れるんだもんな」と、銀時が文句を垂れたことが、そもそもの発端だった。

「銀時様に家屋を貸しているという事実がありますから、仕方ないですね。まったく何もしていないわけではなく、固定資産税なども払っているわけですし」

「ああ、権利収入ってヤツね。いいなぁ、羨ましいなぁ。俺もなんかそんなのねーかな。寝ていてもカネが入るようなヤツ」

「権利収入、ですか。著作権とか? 意匠登録や、一昔前はドメインや電話番号なども、人気の出そうなものを予め登録しておいて、欲しいという人に売る、というサイドビジネスがあったようですけど」

「著作権、なぁ。俺も悪路木名義で漫画描いてるけど、作画担当がね。作画がイマイチで売れてないんだよね。俺の原案は光ってるんだがなぁ」

「そうですか。他には……特許を取る、とかですかね」

「特許、特許なぁ。なんか、いいアイデアねーの? お前、人の役に立つことが使命の機械(からくり)人形だろ。家賃回収でバーサンに尽くすのもいいけど、その前になんか俺の役に立ってみろよ」

いつもの調子で絡んだだけなのだが、芙蓉は真に受けたらしく小首を傾げながら「考えてみます」と呟いた……のが、数日前のこと。




「簡単にできる媚薬の作り方、というのはどうでしょう?」

寝起きの銀時を叩き起こして、開口一番にそんなことを口走った。
血圧が下がっている銀時は、しばらく頭が回らなくてボーッとしていたが、芙蓉の真剣な表情を眺めているうちに、権利収入のネタの話だと気付いた。

「ホントに考えてくれてたのか。簡単にできたら、意味なくね?」

「ですから、そのノウハウを売るんですよ。ダイエットDVDやダイエット本のようなものです。媚薬というと薬事法に引っかかる可能性がありますので『恋に落ちる魔法』などと表記するといいかもしれませんね。ターゲット層はダイエットに釣られる層とほぼ同じと思われますので、充分に購買力があります」

「ごめん、一気に喋られてもアタマついてこねぇ……ゆっくり話して」

「……で、す、か、ら、そ、の、ノ、ウ、ハ、ウ、を、」

「いや、そういう意味じゃなく。ちょい待って」

もそもそと銀時が着替えている間に、芙蓉がいそいそと布団を畳んでコーヒーをいれた。ようやく頭が回転してきたのを感じながら、応接セットのソファに腰を下ろして「で? もういっぺん話してくんね?」と促した。芙蓉が律儀に同じ台詞を繰り返す。

「ふーん。で、その元ネタはどこから拾って来たんだ」

「電脳空間で探して来ました。手軽さと需要の高さから、これが一番だろうと」

「具体的にはどうすんだ」

「相手の喉を噛むそうです」

「は?」

「喉には甲状腺があり、これを刺激することでホルモンの分泌を促すそうです。甲状腺ホルモンは心拍数を上げる等の効果があり、つまり、ドキドキすることで恋をしていると錯覚する、いわゆる吊り橋効果と同じような効果が期待できるそうです」

そんなしょーもない豆知識をわざわざ買う馬鹿がいるんだろうかと疑問に思うが、例えば『お金がドサドサ入って来る方法』などというノウハウを電脳空間経由で買ってみたら「俺と同じことをしろ」とだけ書かれた紙一枚が入っていた……という詐欺まがいの話を聞いたこともある。オレオレ詐欺も迷惑メールも、引っかかるヤツが居るから滅びないのだろう。まさに『浜の真砂は尽くるとも、世に盗人の種は尽きまじ』だ。

「あんま、悪いこたぁしたくねーんだがな。こちとら、ただでさえ元攘夷志士ってバレててマークがキツくなってるうえに、お巡りさんのツレがいっぱいいるんだし」

「嘘じゃなかったら、詐欺にはなりませんし、実際に効果が出るか出ないかは個人差があります、と小さく書いておけば大丈夫です」

「売り出すにも、宣伝費とか、かかるだろ。先行投資するだけのカネはねーぞ」

「モニターは確保しています。実際に売り出す価格は決めていませんが、検証実験に協力してくれたモニター様には特価の三千円と設定させて頂きました。皆様、媚薬の作り方には並々ならぬ興味をお持ちで、銀時様が許可さえしてくれれば、すぐにお買い求めになられるそうです」

「なにその上げ膳・据え膳」

「今月のお家賃はそれで払うつもりだとお登勢様に伝えましたら、お客様に声をかけてくださいました」

なにそれ、結局ババァの収入になるのかよ。集客力と宣伝効果を考えたら仕方ないかもしれないけど……まぁ、家賃超えた分は、俺のカネ……になるんだろうな? 一人アタマ三千円ってことは、二十人以上に売らないと俺の財布には入らない計算なんだけど。

「んじゃ、まぁ、とりあえずくれる金はもらうわ」

「かしこまりました。では、心拍数を計測しますので、これを耳にかけておいてください」

芙蓉が片耳のヘッドフォンを外すと、銀時に渡した。

「え、俺が噛まれて実験するわけ?」

「ダイエット本などでは、まず発案者が実践して、その効果を検証した……というのが、宣伝文句のセオリーになっていますから」

そんなもんですかね。まぁ、期待しないでおくことだろうな、世の中ウマい話なんてねーよ。銀時は肩をすくめて洗面所代わりにしている台所に向かった。




顔を洗い終わって、なにげなく首を傾けると、すぐ目の前の壁や鏡にクナイが刺さった。

「銀さぁあん、逃げちゃ、イ、ヤ! 今すぐ恋に落として差し上げるわ!」

この女忍者がイの一番にこの話に飛びついたであろうことは、容易に想像がついていた。

「いや、喉に噛み付く前に、なんでいきなりクナイ? 殺る気満々にも程があるでしょうが!」

「こうすると、ドキドキが加速するでしょ?」

振り向いて怒鳴ろうとした次の瞬間に、さらに数本のクナイが飛び込んで来た。

「よしなんし、猿飛の。銀時が怖がっておるじゃろう」

「あのー怖がってるからって、なんで追撃? 言ってることとやってることがバラッバラですよ。まさか酔っぱらっているんですか、酒乱太夫サマ?」

「誰が酒乱太夫じゃ! わっちは死神太夫でありんす! その、媚薬が簡単に作れるのなら、吉原の同胞らの仕事の役に立つじゃろうと考えて、モニターに参加しようと思っただけじゃ」

月詠がアワアワと言い訳を始めたところで、猿飛あやめが「あーら、ホントは銀さんを狙ってるくせに。自分だけ優等生ぶろうだなんて、相変わらず下衆でイヤな女ね」と、せせら笑った。
いや、おまえらどっちも怖いし、どっちもロクな女じゃねぇ……と呟いて、そろそろと壁伝いに逃げようとしたところで、その壁に斜めの亀裂が走った。

「銀時の首から媚薬が取れると聞いた。薬の力に頼るのは本意ではないが、このままでは僕が工事を完了したとしても、お妙ちゃんから友情以上の感情を得るのは、難しい。僕とお妙ちゃんの幸せのために協力してくれ、銀時殿」

亀裂からずるりと壁がずり落ち、その向こうから現れた小柄な影は、男装の麗人・柳生九兵衛だった。

「いやいやいや、協力してもらうのはこっちというか、なんか根本的に勘違いしてないか? 俺の喉を噛んでも、俺が恋に落ちるだけで、あのボーリョク女は関係ねーよ。お妙の喉噛んで試して来いよ」

「なんだと? そうなのか?」

九兵衛は独眼の目を見開いたが、銀時が「そうそう」と囁いて九兵衛の肩をさすって宥めようとしたところで、その喉元を狙って薙刀が繰り出された。

「嫌だわぁ、銀さん。九ちゃんは男の人に触られるのが苦手なのに。その九ちゃんが勇気を振り絞って、銀さんの首を噛もうとしてるんだから、ちょっとは協力してあげたらいいのに」

「いや、これ、完全に狙ってたよね。噛み付く前に銀さんの首、串刺しになっちゃうところだったよね? つーか、おめぇも狙ってんの、銀さんの首」

「媚薬が簡単に作れるんだったら、お仕事に使えますもの。惚れさせるだけ惚れさせておけば、吸い尽くし絞り尽くしてケツの毛まで毟れますもの。大丈夫、私はあのアバズレ巫女と違って、貧乏になったからって捨てたりはしませんわ。腎臓に肝臓に目玉に血液、いくらでも換金はできるじゃない」

「こえぇえええ! このひと、こえぇええええ! いや、銀さんを絞っても何もでないから! 糖尿だから、銀さんの血液も内臓も使い物にならないから!」

喚きながら、なんとか玄関まで這うようにして逃げる。ブーツを履くのももどかしく戸外に転がり出ると、単車に跨がった。必死でスターターレバーを引いてキックする。そのベスパのハンドルが、いきなりまっぷたつになった。

「銀時の前立腺から媚薬がとれると聞いた」

「いや、前立腺は股間んんんっっっ!」

「こかん……バラした方が早い」

ふわりと舞い降りた黒髪ロングヘアの少女は、虚ろな目で長剣を構えながら、そう呟いた。

「いや、ちげーから、前立腺じゃなくて甲状腺! 股間じゃなくて喉! つーか、なんでオマエが媚薬なんか欲しいんだよ!」

「異三郎はエリートだから」

「エリートだから、何? ああ、庶民の下世話な愛情表現をしてくれないってこと? だから、それは銀さんのじゃなくて、あの鼻持ちならないエリートの首を噛めってーの!」

「異三郎の隙をつくのは難しい。バラして抽出する」

「やめてぇえええ! バラされたら銀さん死んじゃう! 主人公死んじゃう!」

第二波、三波の攻撃が押し寄せてくるのを、必死で木刀で防ぐ。
今井信女だけでなく、猿飛や月詠、九兵衛、志村妙も追いかけて来ていた。いくら女相手とはいえ多勢に無勢とあっては、三十六計逃げるに如かず。

「銀時、こっちだ!」

大声で呼ばれた声に反応して、銀時は路地裏に駆け込んだ。




突き当たりの窓の向こうに居たのは、親友の桂だった。窓からオフィスビルの一室に逃げ込み、追っ手が来る前にブラインドを閉める。こういう時に頼りになるのは、やはり男の友情だなと、ホッと息を吐いた。

「助かったよ、ヅラ。あの女ども、一匹ずつでも手に負えないのに、束になって来やがってさ」

「雌鶏が鳴けば国は傾く。やはり、主導権を握るべきは男だ。そうは思わないか、銀時」

まったくだな、と頷こうとしたところで、なぜか桂に顎を掴まれた。

「つまり女より男がいいだろう? ん? 銀時?」

「ええっ、えっ、そっち!? お前、そっちの人になっちゃったのか!? 人妻好きって設定はどこ行ったよ!」

必死で桂を振りほどき、這うようにして逃げ出す。追って来た桂が突然、吹っ飛ばされ……銀時の目の前に、ぬっと大きな掌が差し出された。

「大変だったわね、銀時。もう安心よ」

恐る恐る見上げると、そこに居たのは巨漢のオカマ、西郷特盛であった。青々としたヒゲの剃り跡の頬を緩めて、にっこりと優しく微笑む。

「いや、その……恋は盲目っていうけど、ほんとこえーよな。オカマは恋だの愛だの諦めてるだろうから、その点、冷静だろうけど」

その手を握り返して起こしてもらい……もう大丈夫だからと手を離してもらおうと軽く振ったところで、西郷の手指に凄まじい力がこもった。

「そうなのよ、アタシたちオカマには恋だの愛だの、夢のようなものだったわ。女に思いを重ねることは出来ず、普通の男を愛することも許されない。理解し合える同士達と悩みを語り合っても、そこに沸き上がるのは恋情ではなく友情。でもね、媚薬があれば、その苦しみから解放されるの、分かる?」

「ええっ、その……スミマセン、分かりたくないです」

指の一本二本千切れても構わないという勢いで、必死に腕を振る。手指を惜しんで首をやられたらシャレにならない。その鬼気迫る拒否っぷりに西郷が怯んだ隙に、なんとか手を取り返した。指先の血の気が失せて真っ白くなっているうえに、万力のような馬鹿力で締め付けられて筋でも違えたのか、痺れたような感覚がして動きがぎこちなくなっている気がするが、命あっての物種だ。

「銀時ィ! 乙女の純情を踏みにじるんじゃないわよぉ!」

「無理ぃ! 百万歩譲って乙女の純情は守れても、オカマの純情は無理無理無理ぃぃい!」

麻痺して棒切れのようになっている腕を振り回して、こっそり背後から首を絞めようと襲って来たアゴ美の鳩尾に一発ブチ込んだ。ウッと呻いてうずくまったところで、無事な方の手でアゴ美の顎を掴み、槍投げの要領でぶん投げた。アゴ美の人間ミサイルが狂死郎率いるところのホスト軍団の直中に飛び込む。もうもうと立ち上る爆煙の中、狂死郎が「我らは女性を恋に落とし酔わせるのが使命、そのためには媚薬とやらが是非とも必要!」と叫んでいた。

「銀時どこにいるべよ、銀時!」

元女であり巨大アフロ頭の用心棒、八郎が巻き上がった砂煙に咽せながら喚くのが聞こえる。

「ええい、こしゃくな!」

西郷がじれたように巨大な槌を振り回して壁をブチ抜く。空いた穴から新鮮な空気が流れ込み……すっかりクリアになった視界からは銀時の姿は消え失せていた。




「災難だったなァ、万事屋。こういう時は素直に警察を頼るもんだ。遠慮は要らんぞ」

パトカーの後部座席で呵々と笑っているのは、武装警察・真選組局長、近藤勲だった。銀時はちょうど通りがかった彼らのクルマに拾われたのだ。

「いや、そのケーサツの一員にも狙われたんだけどね。ほら、あの見廻り組の」

「ハァ? あいつらが何だって? その名前は聞きたくもねぇぞ」

助手席の土方十四郎がただでさえ切れ長の目をキッと吊り上げたが、近藤は「そう怒るな、トシ。あいつらではなく俺らを頼ってくれたという事実を見据えろ。つまり、万事屋は俺らの味方ってことだ。そうだろう?」と、取りなした。

「そうそう。なにしろ、旦那と俺らはなんだかんだいって、長年の腐れ縁ですものね」

ハンドルを握っているのは、山崎退だった。

「コイツと縁がどーのこーのっていうのも、気に食わねーよ!」

「だがなぁ、トシ。未来の弟の上司なら、俺にとっても縁者なんだ」

こいつ、意外といいヤツだな、と銀時はつい、ホロリときそうになった。いや、基本的にはいいヤツなんだろう。女にはモテないタイプだが、男同士の友情には厚くて頼れる。だからこそ、武装警察の要として務まってきたわけだし……但し、お妙のことさえ、絡まなければ。

「それはそうと、旦那ァ、その耳のヤツって、たまさんのじゃありませんか?」

バックミラーにチラッと視線を走らせながら、山崎がそう尋ねた。さすが監察方、細かいところをよく見ている。銀時はそう言われて、耳にかけっぱなしだった芙蓉のヘッドフォンの存在を思い出した。

「ああ、これか? まぁ、ある実験のモニターをするってんで、計測用にって」

モニタリングするどころじゃないけどなと苦笑しながら、それを外して懐に突っ込む。

「ある実験のモニターってアレか? 媚薬が簡単に作れるって噂のアレか?」

「噂のアレってなんだよ。あのババァ、どういう説明をして広めてんだか」

「万事屋が媚薬の作り方の秘密を知っているってことぐらいしか、俺は知らんがな」

「そうかよ。ま、大したことじゃねぇんだがな。この、喉の下の辺りから出るんだとさ」

「ほうほう」

「おかげで、皆に首を狙われて、命からがらさ」

銀時がのど仏をさすりながらボヤいていると、隣に座っている近藤が「その首から、か」と呟いた。次の瞬間、近藤が刀を抜こうとした。

「お妙さんと俺の幸せのために死ねぃ、万事屋!」

狭い車内だったのが幸いし、刀の柄が前座席のシートに当たって鞘が払えなかった。ぬぅ、と唸った近藤が小太刀を握り直すのと、銀時が後部ドアを無理やり開けるのがほぼ同時だった。法定速度とはいえ、普通に走っている自動車から飛び降りるのは些か無謀であったが、ガードレールの狭間のゴミステーションが視界に入った瞬間に、ドア枠を思い切り蹴り飛ばして飛んだ。
カラス避けのネットと複数のゴミ袋、そしてポリバケツが、銀時の体重×速度の衝撃を受け止めて、派手にブッ潰れる。バウンドして転がった際に思い切り歩道の縁石に肩を叩き付けて、痛みに動けなくなりかけたが、頭を打って気を失ってしまわなかっただけ、マシというものだ。

「銀時様、ようやく追いつきました」

静かな、しかしどこかぎこちない抑揚の少女の声に、銀時は痛みで脂汗が流れる中、気力を振り絞って視線を上げた。そこに居たのは芙蓉であった。一見華奢な、しかし機械仕掛けのために凄まじい怪力を秘めている白い手を差し伸べ、銀時を抱き起こす。

「追いついたって……俺を追いかけていたのか? よく、居場所が分かったな」

「お預けしていましたヘッドフォンで銀時様のご様子を確認しておりました」

「ああ、これか」

銀時は懐から丸い機器を取り出すと、芙蓉の耳にかけてやった。

「どうして、皆様に噛み付いて戴かないのですか?」

「噛み付かれる前に、バカ共に殺されてしまわぁ。とりあえず、逃げねぇと」

「逃げると仰られましても……歩けますか? 抱き上げましょうか」

「助かる、と言いたいところだけど、さすがにそいつぁ勘弁」

芙蓉の薄い肩を借りて、なんとか立ち上がる。そこに「銀さぁああん! 見つけたわ、逃がさないわよ! そこのポンコツ、どきなさいよぉおおお!」と喚くメス豚の声が飛び込んで来た。




それから何刻の間、逃げ回っていたのだろう。ようやく追手を振り切ったのは、日が傾いた頃。路地裏の奥に身を隠しながら、銀時は荒い息を静めていた。一緒に逃げてきた芙蓉は、機械人形であるために呼吸ひとつ乱れていない。

「検証、できませんでしたね」

まだそんなことを言っているのかと怒鳴りつけたくなったが、そもそもは芙蓉が純粋に銀時(の家賃滞納対策)のためにと考えて始めたことなのだと思い出して、ぐっと堪えた。

「やはり、喉に噛み付くというのは、難しいことなのでしょうか」

「そりゃあ、まぁ、人間の急所だもんな。おいそれと他人に触れられるわけにゃいかねーよ」

「そうですか。私は機械(からくり)なので、急所のことまでは考慮していませんでした。これでは権利収入どころではありませんね」

芙蓉がしょげ返ってしまったのをいい気味だと見下ろしていた銀時であったが、ふと溜息を吐くと「噛めよ」と呟いた。

「はい?」

「おめぇが噛み付いて、実験してみろって言ったんだ。つーか、最初からそうすりゃ良かったんだ」

「私で、よろしいのですか?」

「データとるにゃ最適だろ」

そういうと、芙蓉の片耳からヘッドホン状の機械を取り外すと、自分の耳に掛けた。ぽつり、と表通りの瓦斯灯が点いて、淡い光が差し込んでくる。それに照らされて、普段は隠れている芙蓉の白くて小さな耳たぶが露わになったので、ついつい引き込まれて指先で摘んでいた。羽二重餅のような、という月並みな比喩そのままの滑らかな肌触りとふっくらした感触が指に心地よくて、食欲すらそそる。

「コネクタの差込口をお探しですか? 無線でも計測できますから、ご心配なさらず」

「いや、コードを差し込もうと思って、触ってたんじゃねーんだけどよ」

芙蓉の玻璃の瞳にじっと見つめられて気まずくなり、銀時が手を離す。

「どうされましたか? 心拍数が上がっているようです。下げてください」

「いや、下げろゆーて下がるもんでもねーよ。それだったら俺だって、血糖値下げてーよ」

ブツクサ言いながらも、軽く深呼吸をしてみる。本気で検証しようというつもりは無いが、その真似事で芙蓉の気が済むのなら、喉ぐらい。

「では、失礼させていただきます」

ぺこりと一礼すると、芙蓉が軽く背伸びをしながら、銀時の首になよやかな腕を巻きつけてきた。身長差があるので、銀時の方から身を屈めて近づいてやる。

「もう少し、下げてくださいませんか?」

首に触れるか触れないかという、ぎりぎりのところで芙蓉が囁いた。その唇が動く感触がくすぐったい。やがて、ふにょふにょと妙に頼りなく軟らかいものが触れ、それが割れて硬化プラスチック製の歯が皮膚に押し当てられた。

「ちなみにお前、どんぐらいのモノなら噛み切れるんだ?」

「試したことがありませんので、どのぐらいと仰られてもお答えしかねますが……噛みあわせ荷重なら、少なくとも一屯以上かと」

「げ。頼むから、喉笛噛み切ったり、潰したりとかは、勘弁してくれよ。シャレにならん。やさしーくな、やさしく、ソフトに」

「かしこまりました」

おっかなびっくりといった様子で、ぎこちなく少女の顎が動くたびに、オイルと、それを誤魔化すために合成皮膚にはたいている白粉の匂いが立ち上って香った。化学繊維の髪の毛があごに触れて、ちくちくする。

「銀時様の心拍数が上がって参りました」

「そりゃ、こんなカワイイ娘にこんなことされてちゃ、な」

「媚薬の効果は感じますか?」

「そりゃ、こんなカワイイ娘にこんなことされてちゃ、な」

「恋に落ちそうですか?」

「そりゃ、こんなカワイイ娘にこんなことされてちゃ、な……大切なことだから、三回繰り返してみました」

そう言うと、芙蓉の額に唇を押し付けてやった。
芙蓉はイマイチ腑に落ちない表情で小首を傾げながら「つまり、私が皆さんに噛み付いたらいいのですか?」と畳み掛けた。確かに、これだけの美少女が相手なら、男性たるもの(甲状腺ホルモンの効果かどうかはさておき)アドレナリンがドクドク溢れて発情すること請け合いだろう。しかし、銀時はわざとしかつめらしい表情をつくって「いや、これは俺にだけ有効だ。間違っても、よそですんなよ」と、言い聞かせていた。

「それでは、お商売になりませんね」

「そうだな。残念だな。やっぱ人間、真面目に働くしかねーってこったな」

ヘッドホンを外して芙蓉に返してやると「さて、帰ろうぜ。おめぇも腹減ったろ。無駄骨折らせた侘びも兼ねて、おごってやるよ。レギュラーでよけりゃ、だがな」と、なよやかな白魚の手を掴む。芙蓉はぎくしゃくと頷き「銀時様にのみ有効。書き込み、完了しました」と、俯き加減で呟いた。




数日後には『やはり銀時の首からは媚薬が分泌されるらしい』という噂がまことしやかに流れ、再び激しい争奪戦(?)が繰り広げられたのであるが……そんな過酷な未来が待っていようとは、この時点の銀時は夢にも思わず、芙蓉の手を握ったまま「なにブツブツ言ってんだ? おい、見ろや、たま。月がキレイだぜ」と、のんきに空を見上げていた。



【後書き】元ネタはtwitterで流れて来た、この与太話です。
【媚薬の作り方】もっと簡単なのは首に噛み付くことです。首元には甲状腺ホルモンを生成している器官があるのでそこに噛み付くのです。甲状腺ホルモンには心拍数を上げる効果があり、噛み付く→密着する→心拍数上がる=恋?!となるわけです。簡単に言えば釣り橋効果と同じ!【臨床医学の産物】>RT
同じ元ネタを使って、銀の匙でもSSを書いています。よろしければ、どうぞ。
>> 『蘋婆果』 ※続き物。稲八前提です。予めご了承ください。
初出:2013年02月10日
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壁紙:素材屋Miracle Page より。

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