猩々木【3】


帰りの鉄道のボックスシートで、頬杖をついて真っ暗な窓の外を眺めていたら、肩にずしりと何かがのしかかってきた。何かと思って振り返ると、隣に座っていた池田が居眠りをしている。長旅のうえにテンション高めで歩き回って疲れたんだろうな、友達へのお土産とかいって駅でお菓子も買い込んでたし……と思って、あえて揺り起こすこともなくそのまま寝かせておいた。正面に相席している中年女性はカップルと思ったらしく、ニヤニヤとこちらを眺めているが、無視しておく。気を使って会話する必要もない分、寝ていてくれた方がかえって気楽だし、色気のない妹がいるせいで、年下の少女を異性として意識しないことにも慣れてもいたからだ。
それにしても、これだけ一所懸命にプレゼントを選んであげるような相手は、一体どこの誰なんだろうな。乗りかかった船だし、成就するように手伝ってやろうか……などと考えたのは、己の状況から目を逸らしたいが故の現実逃避なのだろう。
なにげなく携帯電話を見ると、多摩子からの着信が何回か入っていた。マナーモードにしていたせいで、気付かなかった。架け直すにも車内の通話はマナー違反だし、そもそも原生林や原野を走っている最中は、携帯電話の電波なんぞロクに届かない。やがて最寄り駅に近づいたが、少女の華奢な肩を叩いてやっても熟睡していたのかなかなか覚醒せず、目をトロンとさせている。仕方なく抱き上げて、やや強引に駅のホームに下りる。なにしろボヤボヤしていて乗り過ごしたら、Uターンできる上り列車がいつ来るのか分かったもんじゃない。ベンチを見つけて座らせると「切符、ある?」と尋ねた。

「んー?」

コートのポケットを探っていて、ひらりと落ちたのを稲田が拾い上げたが、池田はまだポケットをゴソゴソして首を傾げていた。

「見つけたから、もういいよ」

「はいー」

「立てる?」

池田がこっくりうなづく。ちっこい頃の多摩子の方がもっとしっかりしてたぞ、と内心笑いながら、手を引いてやって改札に向かう。気分はすっかり保護者だった。

「このまま帰れる? 俺んち近くだから、少し休んでいく?」

「うん」

「携帯、鳴ってるよ」

「あ」

池田が携帯を耳に当てると、なぜか突然、周囲をキョロキョロと見回し始めた。どうしたのだろうと稲田も視線を巡らせると、池田の友人のノッポ娘が手を振っていた。

「やっほー池っち迎えに来たよ……って、手ェ繋いでんの? もしかして邪魔しちゃったかな」

「違うの、そういうんじゃなくて、その、アタシ寝てたから、そんで、えっと」

池田があわあわとパニくっている様子が、どこぞの誰かを連想させた。今頃、アイツは誰といるのかな。どうせクラスメートや部活の仲間と一緒だろうと分かっていても胸の奥がかすかに軋む……それを紛らわせたくて、稲田はわざと少女の小さな手を握ったまま、その可愛らしい混乱っぷりを眺めていた。

「目、覚めた?」

「さっ、覚めました! 超覚めましたぁッ! あっ、あのっ、ごめんなさいっ!」

猛烈な勢いで、池田が手を振り払う。やっぱり憧れのカレじゃないとダメだったかな、からかって悪かったかなと、ちょっぴり申し訳なく思う。

「じゃあ、ウチで休んでいかなくても大丈夫かな?」

「あっ、えっ、そのっ……えっと、あー…」

「君も一緒に来る? ウチのマンション、すぐ近くだからお茶でも」

突然話を振られて、ノッポ娘がパァッと頬を赤らめた。
体格や顔立ちからサバサバ系の性格のように見えるし、小動物のように愛くるしい友人と並ぶと、どうしても引き立て役に回されてしまうようだが、本当は純情な子なのかもしれない。

「え? 私も? その、お邪魔じゃなければ。池っち、いいよね?」

「う、うん」




マンションの鍵を取り出すときになって、またも着信があったことに気付いた。
ドアを開け、宅配便の不在通知票が新聞受けに入っていたのを拾い上げる。多分、クリスマスプレゼントと称して、両親が何か送りつけてきたのだろう。客ふたりをリビングのソファに座らせてから、稲田はキッチンに入ると携帯電話を架け直した。向こうが電話をとったのを確認してから、端末を器用に肩と耳の間に挟み「今日は何回も架けてきて、珍しいな。何かあったのか」と尋ねた。空けた両手は忙しくお湯を沸かしたり、ティーセットを取り出したりしている。

『兄さん、今どこ?』

「部屋」

『おひとり?』

「いや、来客中。用件は何だ? 手短に話せ」

『デートは楽しかったかしら?』

「切るぞ」

『あら、つれないのね。八軒に長いこと会ってないでしょ。伝言ある?』

「特に。用があるなら直接かけてこい。冷やかしか?」

稲田は通話をブチ切った。端末を投げ捨てたい衝動に駆られたが、客人の手前、そっとキッチンカウンターに携帯を置いた。不在通知は……明日でもいい。

「紅茶で良かったかな? レモンとミルクと、どっちがいい?」

「ああ、どうぞお構いなく」

答えたのはノッポ娘の方だった。池田は落ち着かない様子でキョロキョロと室内を見回している。

「なんか珍しいものでもある? 気になるものがあったら、好きに見てもいいけど」

「あ、いや、その……なんでもないですっ、その、まさか先輩のお宅にお邪魔できるなんて思ってなくって、夢みたいで」

「お茶請け、駅で買ったクッキー開ける?」

「ああっ、先輩のお土産分ですよね、もったいないです。アタシのを開けますっ!」

「なんもなんも。どうせ自分用だし。そっちのお嬢さんも、どうぞ」

クッキーの袋を開けて、大きく広げる。最初は申し訳なさそうに手を伸ばしたものの、すぐに「おいしーい」と黄色い声が上がり、2個、3個と続いた。その旺盛な食べっぷりを眺めながら、八軒が女の子だったらこんな感じだったのかなぁ、とボンヤリ考え……ていると、玄関のインターフォンが鳴った。
そういえば、ツレが遊びに来るとか言ってたっけ、と今更のように思い出した。カノジョ持ち抜きで、リア充爆発しろとかいってクリスマスは喪に服すとかなんとか。自分もそのメンバーに入ってていいものかどうか悩ましかったが「カノジョじゃないから、セフセフ!」という謎理論で押し切られた。要するに、稲田をメンバーにしておけば、広くて駅近の会場が無料で確保できるうえに、美味い料理が食えるというのが理由だ。

「お客さんですか? 私たち、帰りましょうか?」

「客っていうか……クリスマスにはちょっと早いけど、冬休みに入ったら皆、実家に帰ったりして集まれないから、泊まりがけで騒ぐんだってサ。むさ苦しいだろうから無理強いはしないけど、チキンとかケーキとか出すから、良かったら食べてって」

ご参考までにと、用意していた丸鶏を取り出してキッチンカウンターに乗せてみせると、荷物をまとめかけていたふたりは一転「食べます!」と座り直した。こういうところは、さすが食品科だ。

「ちょ、なんだよ! 稲ちゃん、女の子連れ込んでるのかよ!」

「裏切り者! 爆発しろ!」

「あ、これ差し入れな」

そう口々に喚きながら、友人らがどやどやと上がり込んできた。

「片思いの相談に乗ってただけだ。怖がらせんなよ」

「今宵はリア充を滅ぼすつもりだったのに、手助けをするなどとは不届きな」

「なんか、お相手は三年生らしいよ。正月過ぎたら三年は余りガッコにも来なくなるから、クリスマスは最後のチャンスになるんで、喜んでもらえるようなプレゼントを選びたいって……で、一緒に買いに行ってたんだけど」

「うん、氏ね。爆発しろ」

「稲田じゃねーの? 俺らン中に居る?」

「相手が誰かはしらねーよ。名前までは教えてくれなくって。どんなタイプかは、本人に聞いたら?」

説明しながら、俺らも同じ条件なんだがな、このままフェードアウトしてしまうんだろうか……と、ぼんやりと考える。別にそれでも向こうが構わないというのなら、強いて追う必要もない。友達とつるんでいようが、彼女とよろしくやっていようが、八軒が楽しく過ごしているのなら、それはそれで、俺は別に……こんな考え方は、多摩子にはまた説教をされてしまいそうだが、今回は相手を巻き込んでいるわけでもないし、迷惑をかけているわけでもないつもりだ。
友人らが早速、可愛らしい池田を取り囲んで「どんな男?」「名前を教えてくれたらソイツ呼び出してあげようか」「むしろ、俺はどう?」「ご飯食べた後、カラオケにでも行かない?」などと口々に話しかけている間、稲田は持ち寄った料理を温めなおしたり、盛り付けたりしていた。ノッポ娘は、隣で甲斐甲斐しく皿を食器棚から出したりフォークを並べたりして、手伝う。

「君は、彼女の想い人が誰か、知ってるの?」

尋ねてみると、ノッポ娘は呆れたような顔をしていたが、すぐさま「先輩の好みのタイプってどんな娘ですか? やっぱ池っちみたいな、可愛い子ですか?」と打ち返して来た。

「タイプ、ねぇ。特に好きなタイプっていうのも無いけど」

そもそも、好みだったから好きになったという訳ではなく、ただ『なんとなく』としか言いようがない。その一所懸命さについ手を差し伸べたくなり、その手を握り返されたというだけで。その手を離してどこかに行くというのなら、それを引き止めるつもりはない。

「強いて言えば、素直で……飯を美味そうに食うヤツ、かな」

「へ?」

「そういう子と一緒の方が、楽しいだろ。君らもいい食べっぷりみたいだし」

納得がいったような、いかないような、複雑な表情を浮かべていたが、ノッポ娘が何か言う前に、携帯電話が点滅しながらガタガタと騒々しく振動した。ディスプレイに表示された名前を見た途端に、いつぞやの嗚咽に似た声やそれに重なった男の声が耳に蘇り、稲田は皿を取り落としそうになる。

「八軒か」

『稲田先輩? スミマセン。直接電話しろって多摩子から聞いたんで、失礼させてもらいました。あの、突然ですけど月曜の晩、会えません?』




待ち合わせ場所は、学校の正門だった。寮生以外の人間が寮に入るには先生の許可が必要だし、寮生が学校の敷地を出るには届け出が(本来なら)要る。かといって、下手にひとけのない校内施設を指定すると、雪に埋まっている可能性があり……と消去法で選んだ結果、もっとも無難な場所がここだったのだ。

「スミマセン、遅くなりました」

雪がちらつく中、三十分ほど(八軒自身が指定した)約束の時間を過ぎ、寒いからそろそろ帰ってしまおうかと思って「今、どこにいる?」と、稲田がメールを送ろうとした矢先に、ようやく現れた。未送信のメールを削除し、ポケットにしまい込む。

「誰かとメールしてたんですか?」

「いや、別に。それよりも忙しかったようだな」

「はい。寮でのクリスマス会の準備とか、その時に出す料理の下ごしらえとか、なんかバタバタしちゃってて。今日ならもう少し早く抜けられるかと思ったんだけど」

「楽しんでるようで、何より」

口にしてから、稲田はその台詞が皮肉に聞こえなかったかと気になった。だが、八軒は全く気づかずに「はい、とても」と、笑顔で答えていた。
それ以上会話が続かなかったのは、いつぞやの謎の電話の件が引っ掛かっていたからだろう。八軒が期待を込めてそっとコートの袖をつまんでくるが「そろそろ寮の点呼の時間になるんじゃないのか?」としか言えなかった。

「それは分かってますけど……キスぐらいなら、いいでしょ?」

それ以上のことは、他の誰かにしてもらうのか……とは言えないし、そんなことを考えてしまうことに自己嫌悪を感じる。コートのポケットの中にある包みに、指が触れた。池田から買い取った革の小銭入れが入ったままになっていたのだ。

「やる」

「えっ?」

「貰い物だけど、良かったら」

小さな包みを受け取って「開けていい?」と、子供のように尋ねる。

「やっぱり俺も何かプレゼント用意すれば良かった。買いに行くような時間もなくて」

こっちは三年生だというのに、札幌まで片道四時間、列車の旅だったがな……とは言えず、代わりに「気持ちだけでじゅうぶんだよ。時間作ってくれただけでも」と、当たり障りのない言葉を吐く。

「ありがとうございます、大切にします」

はしゃぎながら八軒が抱きついてきたが、稲田はどこか冷めた気分でおざなりに頭を撫でてやるしかできなかった。




寮に戻った八軒はベッドに寝転がりながら、小銭入れを眺めてひたすらニヤニヤしていた。御影とのことが原因ではない。あっちの方は、クリスマスも近いというのに、進展もフラグも無かったと聞いている。

「良かったな。ホモ充爆発しろ、畜生」

西川に罵られても、八軒はどこ吹く風状態だ。

「プレゼント貰って、ついでにイチャイチャしてきたの?」

下世話なことを尋ねたのは相川だ。八軒は首を振って「そんな時間も場所もなかったし」と否定しながらも「そうそう、頭は撫でて貰ったんだっけ」と思い出して、エヘヘ、と蕩けるように笑った。

「チューもなし?」

「これ貰ったし」

会話が微妙に噛み合ってないが、お花畑脳状態の八軒には通じていないようだ。相川は納得しかねる顔をしていたが、西川はこんな時のハチはスルーしておくに限る、と考えているようで、そっぽをむいてラノベ小説なんぞをめくっていた。
そこに別府がボソッと「食品科では、池田ちゃんと稲田先輩が付き合ってるって、噂になってたけどなぁ」と呟いた。八軒がガバッと起き上がり「はぁああ!?」と大声を出す。

「土曜日に、札幌までデートしてたって。円山も、駅で先輩が池田ちゃんをお姫様だっこしてるの見かけたって言ってたし」

「えっ、嘘、ナニソレ」

そういえば、さっき会ったときも携帯をいじってて、気まずそうに隠してたっけ。もしかしたら、その女とメールでもしてたんだろうか……と思うと、お花畑が一瞬にして焼け野原になった気分だ。ついカッとしたが、携帯電話はとっくに夜間回収されているし、外出も禁止の時間帯なので、どうにもできない。

「ふーん。まぁ、八軒君と先輩って、しばらく会ってなかったみたいだしねぇ。あのひとモテそうだから、彼女ぐらいすぐ出来るだろうし」

相川が淡々と畳み掛け、西川は余計な事をいうな、とばかりにふたりを睨みつける。せっかくハチの機嫌が良かったのに、また情緒不安定になったら迷惑じゃないか。

「明日、先輩の教室に行って確かめてみる」

鼻息も荒く、そう宣言してみせたのは、まだプレゼントを貰ったという高揚感があったからだろう。相川も毒気を抜かれて「はぁ」などと気の抜けた声を返すしかなかった。




最初は、体の上にのしかかっている温かい重みが心地よくて、両腕を相手の背に回して、滑らかな肌を撫でていた。先輩、と囁いても返事は無かったが、そうに違いないと思い込んでいたので、脚の間に膝を割り入れられても拒もうとはせず、むしろ協力的に腰を浮かせる。二人分の体重を受けて背中が柔らかく沈む感触に、自分たちが居るのは布団の上なんだろうか、とぼんやり考える。先輩とは、ちゃんとしたとこで寝たことないのに……ということは、これは夢なんだろうか。
夢なら……少しぐらい大胆でもいいよね、と首筋に噛み付く。いたっ、と聞こえた声が稲田とは違う気がしたが、顔を見上げても視界が暗くてよく分からない。やがて、パタンと携帯電話が畳まれる音が聞こえた。

(誰かとメールしてたんですか?)

(いや、別に。それよりも忙しかったようだな)

相手は誰だったんですか、どこの女なんですか。やがて「先輩、待った?」などと言いながら現れた少女が、稲田の腕をとる。顔は見覚えがあるようで、無いようで、あやふやだが、女子の制服の胸元のピンク色の大きなリボンだけが印象に残った。
え、やだ、なにそれ。そんな女と行かないでください。遠ざかって行く背中に手を伸ばそうとして、ふと気付く。だったら、今、自分と番っている人は誰? 喉の奥から絞り出すように悲鳴が上がった。パニックに陥って、覆い被さっている体を突き飛ばす。

「ハチ、大丈夫かよ、おい」

初出:2012年12月23日
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