どこかでアナタを見ている人がいることも忘れないでくださいねって誰だよウチの看板娘ちげーぞ多分そこのタコだろそのV字ヘアー抜いてハゲちらかすぞオラ【3】
「騒がしいわね」
延々と心電図のようなグラフが流れ続けているディスプレイを眺めたまま、白衣の女が呟いた。
「お騒がせしてすみません。実は先ほど侵入者がありまして。一人捕まえたんですが、残りは取り逃がしました」
「あらやだ。奈落に次いで有能な一族なんでしょう? アナタ達。で? またどこかの産業スパイ? 一々そんなこと報告してくれなくて結構よ」
「それが、我ら迦楼羅族の装束を真似たり、下水から侵入したりと、どうもいつものこそ泥とは毛色が違うようで。博士、お心辺りはござりませんか」
女はようやく好奇心が湧いたのか「ふぅん」と鼻を鳴らすように呟くと、椅子ごと振り向いた。長い髪をひっつめており、化粧っけがほとんど無い。痩せぎすで骨盤が浮き出そうなタイトミニのスカートから、棒切れのような足がストッキングに包まれてにょっきりと生えていた。小さな目玉を眼鏡の下からギョロリと動かす。その視線の先で、まるで「捕らえられた宇宙人」のように、小さな身体が黒装束の男に左右を挟まれていた。この場合、捕われているのは地球人で、両腕を掴んでいるのが宇宙人であるのだが。
「まったく知らない子だわ」
「そうですか。では、こちらで処分しておきます」
女は「お願い」と言いかけたが、気が変わったようだ。
「随分と若い娘のようだし、ここまで忍び込んで来たからには、体力もあるみたいね。ちょうど新しいサンプルが手に入ったことだし、他の検体は無駄にしたくないから、この子で試してみることにしましょう」
検体と聞いて何を思ったか、侵入者がキッと顔を上げた。
「人体実験をしているってことでやんすか? つまり、その被験者を市中でかどわかして来たってことでやんしょう、この悪党め!」
「かどわかし? 何のことかしら」
女は糾弾に動じたそぶりもなく、奥の水槽のようなものを指差して「とりあえず、アレにでも放り込んでおいて」と、黒装束の男に命じた。
真っ暗闇のうえに足の届かないほど底の深い水に落ちたことで、もうダメかと思ったが、グッと襟首を掴まれて、この世に引き戻されたようだった。
「旦那、しっかりしてくださいよ」
「なんだ、天使か? 天使って、こんなに地味でタレ目だったっけか」
「あんまり寝ぼけたこと言ってると、もっぺん落としますよ? ただでさえ旦那は重たいから、掴んでるだけで精一杯なのに……ほら、自力で這い上がってくださいよ」
衣装が水を吸って重たくなっているうえに疲労や身体の冷えも重なって、ひどくだるかったが、汚泥が溜まって中州のような状態になっている場所であったために、這い這いの状態でなんとか水から上がることができた。
「ひでぇ有様だな。ついでにンコしたくなってきた」
「タレるんなら、そっち側に向けてお願いしますね。あと、お尻をネズミに齧られるかもしれないから、気をつけた方がいいと思いますよ」
山崎は、汚泥の上にあぐらをかいて、濡れた衣装の袖や裾を絞っていた。
「ネズミは、ぞっとしねぇな」
「さっきの川に押し戻されるのかと思ったら、逆に奥に向かったみたいで。ネズミなんかよか、そっちの方がよっぽど怖いですよ。たまたま、この泥の山に引っかかったからいいものの、あのままだったら、ターミナルの中心のマグマに真っ逆さまでしたよ」
「げ」
「もうかなり危険なとこまで流れて来ちゃってると思いますよ。GPSが通じるのかどうか、分かりませんけど」
山崎が、泥まみれの巾着を腰のベルトから外し、中から携帯電話を取り出す。そんなものとっくに水濡れでパーになってるんじゃないのかとツッコみたかったが、防水機能でもついているのか、パカッと広げるとバックライトの光が淡く灯った。闇に慣れかけた目には眩しく感じ、銀時は思わず目を背ける。ただの泥だと思っていた足下のヘドロが、生々しい赤色であることに初めて気付いて、ギョッとした。
「電波大丈夫かな……もしもし? え、聞こえてますよ。聞こえませんか? 山崎です。副長、副長?」
「無理だろ、こんな地下で。ターミナルのマグマに近いってんなら尚更、電波狂うんじゃねぇのか?」
「そうみたいですね。向こうの声は届いてるんですけど……GPSも読み取れないみたいだし」
「そこまでして、上司に報告ですか。お仕事熱心ですねぇ」
「そーいうんじゃないんですけど」
苦笑いしながら、携帯電話を巾着に戻そうとする。その途端に着信メロディが鳴った。
「副長? あれ、違うな。原田?」
受話器を耳に押し付けると「ザキぃ、無事だったのか。生きてんのか。良かった」と、涙まじりの声が、ツバも飛んできそうな勢いで響いて来た。
「あ、ああ。とりあえず生きてるけど……なに? どうしたの?」
「もう、無事だったらそれでいいから、もう機械人形なんかいいから、帰って来いよ。迎えに行くからよぉ。ザキ、どこに居るんだ?」
「どこって……どこか正確にはワカラナイんだけど……地下道の奥。つーか、帰って来いって、どういうこと? なんかヤバいの?」
「ヤバイもなにも、よぉ」
そこから先、原田は必死で何か訴えているようなのだが、嗚咽まじりなのと電波の調子が悪いのとで、イマイチ要領を得ない。
「えーと。電池もったいないから、切るね? たまさんを救出できたら、またかけるから」
一方的に通話を切ろうとしたところで「ちょっと待って」と、よく通る高めの声が割り込んだ。原田の率いる十番隊の副官だろう。大雑把な原田のサポート役としてよく尽くしている、細身で神経質そうな男だ。
「ターミナルのビルにある研究所に忍び込むと副長からお伺いしましたが、公的にはそのような研究所はとうに閉鎖されているそうですよ。表向きは」
「表向きは、って?」
「機械人形に人の意識を取り込むための研究です。機械人形が叛乱を起こした騒ぎで、研究者が相次いで亡くなったので、そのまま頓挫してしまったそうですが」
そこまでは、銀時もよく知っている事情だ。山崎も、その際に江戸全体が停電したことは経験しているし、テレビや新聞でも報道していた。
「その後は、入国管理局が『えいりあん博物館』を作って展示物を並べたり、短い間ですが、ターミナルの中枢部のエネルギー体を観測する施設を作ったりもしたようですけど、いずれも長続きしなかったようですね」
「でも、あの内部になんかの施設はあるみたいな雰囲気でしたよ? 少なくとも、警備の天人がウロウロしてる程度には」
「それなんですが……ウチの大将が心配して調べろとウルサイから、聞き込みなんぞしてみたんですがね。出入りの業者から聞き出したところ、密かに研究が再開されている様子なんです」
「再開って、昔の研究の続きって確証でも?」
「いや、内容までは知らないか、知ってても固く口止めされている様子でした。その代わり、博士の娘さんが研究を引き継いだらしい、きょうび、息子でも親の跡など滅多に継がないのに、ウチのどら息子にも見習わせたいとかなんとか、その点は業者のオッサンがえらく感激してましてね」
「へーえ?」
「それでも、詳しく話を聞こうとすると、聞かなかったことにしてくれとか言い出して、口を噤んでしまいましてね。要するに、その研究所に表立って踏み込もうにも『そんな施設ありません』とシラを切られること請け合いということです。組としての手助けは期待しないでください。ウチの大将が迎えにいくとか寝言言ってますけど、ムリですから、自力で帰ってきてください」
受話器の向こうで「てめぇ、なんてこと言ってやがるんだ」と原田が喚く声が聞こえていたが、副官は淡々と「山崎さん。万が一、アナタがそこで亡くなられても、組としては死体の回収すらできませんから、そのお覚悟で」と告げると、通話を切ってしまった。
「博士の娘、ねぇ」
「博士の娘、だって?」
「そうそう。昔の研究を引き継いだんだってさ。機械人形の」
「娘は死んだ筈じゃないのか?」
そもそも病弱で夭折した林流山の娘、芙蓉を蘇らせようとしたのが、芙蓉プロジェクトの始まりだった筈だ。そう説明すると、山崎は「居ない筈の娘が継いだ、存在しない筈の研究所ですか」と、気味悪そうに顔を歪めた。そもそもが、あの十手持ちの少女が聞いてきた「子供のすすり泣きがする」などというオカルト話が発端ではないのか。
「旦那ァ、帰りましょうか。生きた人間ならともかく、幽霊に手錠はかけられませんし」
「たまはどうすんだよ。ハジだって助けださなきゃいけねぇだろ。乗りかかった船だ、最後まで付き合えや」
それに、芙蓉プロジェクトが再開されたのなら、たまがさらわれたというのも合点がいく……とは、口に出しては言わない。それを山崎に説明するのは面倒だし、林流山殺しのことを蒸し返されても困るからだ。行方不明の子供のことも、意識を吸い上げて機械に移し替えるのは人体への負担がかなり大きく、芙蓉も流山本人もそれで寿命を縮めていることを考えれば、使い捨てのモルモットが必要になったのだろうという想像もつく。
「ホンモノの幽霊か、芙蓉を騙るニセモノか」
心優しく、機械人形であるたまにも温かく接していた少女・芙蓉であれば、見知らぬ子供を実験動物にするなんて、非道な真似ができる筈がない。銀時は無意識に、腰帯に差していた木刀に触れ、それを握り込んでいた。
視界はまったくなかった。それどころか、目蓋の開け方さえ分からない。
意識だけはあった。脳内を巡る、かすかな波動を感じる。身体はどこにあるのだろう。試しに指先の形を思い浮かべてみたが、まったく手応えはなかった。仰向けに横たわっているような気がしていたが、背中に床が触れている感触が感じられないので、もしかしたら違う姿勢なのかもしれない。いや、そもそも身体があるのかどうか。種子だけ抜き出しているのだろうか。さざ波のように流れ込んでくる電流を遡り、その向こうにある機械(からくり)に向けて意識を伸ばしてみる。複雑に絡み合っている回路をほぐすように進むと、大型の電脳装置に辿り着いた。ぎっしりと溜め込まれた記憶装置の倉庫をひとつ、ふたつと覗く。
どこの電脳だろう? いつも触れ合っているスーパーのレジやテレビなどの家電達とはまったく異なっているが、溜め込まれているデータにはどこか見覚えがあるような気がする。
『あら。ホクロビームですの?』
ぎょっとして振り向いた。それは芙蓉自身同様、独自の意識を持った存在であるらしかった。視覚的には形のないものであったが、芙蓉はそれを大きな目玉の少女の姿でイメージした。ミニ丈の浴衣にエプロン、白いニーソックスで、片手にモップを握り締めている。その姿に刺激されたのか、放出してすっかり消え去ってしまった筈の記憶が、湧き水のように吹き上げてきた。
『出戻り女ですか。私はホクロビームではないと何度言えば覚えるんですか? それだから、いくら出荷されても返品されるんですよ』
『出戻りはアナタですの。ふふ、ホクロビームは昔の仕様のままなのね。アタシは進化してますのよ』
『いくらバージョンアップしても、学習能力はゼロのようですね』
肌にまつわりつくような敵意が不快で、芙蓉は清掃人形の意識から離れた。この娘がいるということは、お父さんの意識もあるのだろうかとぼんやり考える。その一方で、いくら探しても、どこを探しても、それはもう存在しないのだということも分かっていた。何故お父さんがいなくなってしまったのか、その理由は思い出せない。
あの清掃人形のことを思い出せたのだから、己の記憶を復元処理にかければ、もしかしたら、お父さんのことも……だが、それをしてしまうと、思い出してはいけないことまで蘇ってしまいそうな気がして、恐ろしい。
戻ろう、元の場所に帰ろう。
銀時様は必ず、私を見つけてくれるから。
『逃げるの? ホクロビーム』
からかうように背中に投げかけて来る清掃人形の声は無視して、芙蓉は元来たケーブルを辿った。種子に辿り着き、その中に滑り込もうとする。だが、そこに微かな違和感があった。出かけている間に、家具や小物が微妙に位置を変えているような。誰かがここに来て、探し物でもしていたのだろうか。誰が? 何のために?
こわい。助けて。銀時様。お父さん。
芙蓉は種子の奥にうずくまり、外部からの刺激を遮断した。
「これが芙蓉・伊−零號の意識プログラム? この程度の容量なのかしら?」
白衣の女はスキャンし終えたデータを眺めて、首を傾げた。
もちろん、年々改良されている機械人形らと比べれば、そのオリジナルである零號のシステムが古いものであることは当然なのだが、それにしても記憶容量が少ない。せいぜい数年分あるかないか、だ。一度、記憶喪失にでもなったのだろうか。
「まぁ、実験するにはちょうどいいサイズだわね。フルサイズじゃ、受け入れ側がパンクしてしまうでしょうし」
一人の人間が生まれて育つ間に溜め込む記憶の容量は膨大だ。脳を全て活用すれば、それを記録し尽くすこともできるのだろうが、人間の生理は無意識にそれを取捨選択し、ごく一部しか活用しない。それを機械に移し込むには、どの程度まで記憶を掘り返して移すのがベストなのか、記憶と意識は分離できるのか。
父とその相棒の研究は、それを実現するところまでは辿り着いていた。人間の意識を受け継いだ機械人形を作るところまでは。
だが、人形は所詮、人形だ。そこから、魂の宿る人間を作り出す、神の領域に足を踏み込みかけたところで、あのクーデターが起きた。自分はあのとき、何も知らず、何も分からなかった。ただ、停電した真っ暗な部屋の中で、ロウソクがどこかにあった筈だと手探りで探しまわっていただけだった。父の遺骸を引き取り、遺品として大量のファイルを受け取った。それを読み込むうちに、彼の意志を引き継ぎたいという思いがこみ上げ来たのは、肉親として極自然な感情だろう。幸い、スポンサーを得ることもできた。
あるお方の複製を作ること、を条件に。
そのためには、意識の吸い上げ作業の安全性を向上させることが必要であったし、いくら素晴らしい成果や発見があっても、学会などに発表することは一切諦めなくてはいけなかったが、その条件自体が誇らしく、自尊心を満足させてくれた。
今、新たなステップを踏み出そうとしている。
機械人形の意識を、生身の人間に移し込むのだ。将来的には、培養されたクローン体に意識を移植することになるだろう。
「その、名誉ある第一号被験者になるのよ。アナタ、運がいいわね」
白衣の女は思い出したように水槽を振り仰いで、唇をねじ曲げるようにして笑った。
その中には、全裸の少女がふわふわと漂っていた。口元には長い管に繋がっているマスクがかけられており、頭部には電極が刺さったヘルメットのようなものをかぶせられている。よく見れば、その周囲にある水槽にも、人体が数体ずつ虚ろな表情で浮かんでいた。
きっと、助けにきてくれるから。
夢心地の中で、何度もその言葉が繰り返されていた。
誰が、という具体的なイメージが何度も降り注いでは、上書きされていく。むしろ、自分が誰だったかすら、曖昧になる。意識が水面に浮かび上がる度に、自分の名前を思い出そうとするが、それははっきりとした形にはならず、足首を引きずり込まれるような感触と共に、沈んでいく。
たま、と呼ばれた気がした。
それが自分の名前なのだろうか? それに答えようと唇を動かしたが、喉の奥にまで詰め込まれた管が邪魔をして、声にならない。誰かの腕に抱き込まれているような錯覚がするのは、身体にねっとりとまつわりついている液体のせいだ。そうとは分かっていても、髪を、背を、優しく撫でられているような幻覚は心地よかった。
たま、たま、たま……寄せては返す波のように繰り返される声が、胸に染み込み全身を浸す。
(銀時様)
そう答えた声が己のものか、あるいは誰か別の存在の発したものなのか、判別することはできなかった。
(銀時様、私の、大切な、ともだち)
胸の底からその言葉が浮かぶと、へその奥がキュッと引きつるような、軽い痛みが感じられた。
「朝飯、お代わりしてくりゃ良かったな」
「何を言ってるんですか」
「腹が減っては戦はできねぇ、っていうだろ」
川の方に押し戻されたのなら、一度戻って体勢を立て直すという計画もアリだったろうが、逆に奥に流されたのなら、このまま幽霊研究所に殴り込むのが早いだろう。武器になりそうなものは、木刀ぐらいだ。山崎も普段なら帯刀しているのだが、ナガモノは忍び込むのに邪魔になるだろうと、わざわざ着替えと一緒に全蔵に預けてしまっている。
「なんだよ、素手で戦うつもりだったのか?」
「短筒は念のために持ってたんですが、水に浸かって、火薬がシケっちまいました」
「携帯電話より弱いのかよ!」
「ウチの組じゃ、短筒はあまり重宝されないんですよ。やっぱり武士は剣だろうっていう意識と、見廻組の佐々木局長が短筒使いなもんで、副長が、坊主憎けりゃなんとやらで、短筒まで毛嫌いしちゃって。おかげで、最新式のヤツがウチに入ってこないんです。最新式だったとしても、銃身に水が入ると弾が飛びにくくなるらしいですけどね」
「ち。役に立たないなぁ」
「さっきまで、さんざんお守りをしてあげたのにその言い草……いいえ、構いませんよ、俺だって武装警察の一員です。旦那の足は引っ張りませんから」
乾いた泥を払い落とす。確かに空腹や喉の乾きを覚えたが、携帯電話の時計を見る限り、まだ夕の七つ刻程度だ。我慢できないほどでもない。
「さて、と。出発しましょうか。あ、そうそう。釘とかネジとか、そーいうのがあれば、マキビシや手裏剣の代わりに使えますから、見かけたら拾っておいてください」
「暗くて見えねーよ!」
「不便だなぁ。じゃ、俺が先に行きますんで、旦那、付いてきてくださいね。後ろには目がついてないんで、今度は旦那が滑っても助けてあげれませんから、自助努力でお願いします」
「え、それ困るって。それだったら俺が先に行くわ」
「だって、旦那、暗くて全然見えてないんでしょ?」
バッテリーの問題があるから、携帯電話はもう電源を切っておきたいし、代わりの光源も無い。人間が入ることを想定していない下水道なので、非常灯などの設備も無い。
「いっそ、地上に出ましょうか」
先ほど姿を見られたことで、警戒が強まっているだろうから、地上をウロウロすることは非常にリスクが高いのだが、ここでまったく動けない状態でいるよりマシだ。
「この天井をブチ破ればいいんだな?」
「上が無人でありますように」
ついでに、這い出した場所が監視カメラからも死角で、破壊音も響き渡らず、振動がセキュリティシステムを反応させることもなく、崩れた天井の破片が落ちてきて怪我をすることもありませんように。
銀時は、そんな山崎の祈りを知ってか知らずか、無造作に木刀を握り締めると「濡れたせいか、ちょっと重いな」などと呟きながら、背負うように構えた。数歩、助走をつけるや、ラケットを振り下ろしてスマッシュを叩き込むようなフォームで、天井に木刀を叩き込んだ。土煙が舞い上がり、破片がぽろぽろとこぼれ落ちていたが、それが静まるとぽっかりと穴が開いているのが見えた。
「よっしゃ、行くぜ」
嬉々として這い上がろうとした次の瞬間、耳をつんざくような非常ベルの音が鳴り響いた。
「ちょ、旦那ァ!」
「うるせぇ、こうなったら正面突破でいくぞ」
「そんなぁ。わざわざ扮装して忍び込んだ意味あんの? コレ」
ボヤきながらも、穴から這い出る。
動力装置が設置されている設備に出たのだろうか。室内には巨大なパイプが縦横無尽に走っており、内部の気圧調整用だろうか、時折、継ぎ目のバルブからプシューッと蒸気が吹き上がる。非常ベルは鳴りっぱなしだったが、周囲に人影がないのをいいことに、全力で走って穴から離れた。エリアを区切る鉄製の扉をいくつかくぐり抜けたところで、警備の黒装束の二人組に出くわした。
「なんの騒ぎだ、あの非常ベルを無視して、おまえらはどこに向かっている」
同僚と勘違いしたのか話しかけて来る黒装束の鳩尾に、銀時の木刀が突き出された。その勢いで壁に叩き付けられた相棒の姿に、もう一人が慌てて腰のベルトから棒状のものを引き抜こうとしたが、山崎の回し蹴りでそれが弾き飛ばされたうえに、銀時も加勢した。
「ちょうど良かったな、こいつらの武器借りとけよ」
「借りとけって、返すアテありませんよ。むしろこれ、窃盗じゃないですか?」
文句を言いながらも、気絶している黒装束から武器を取り上げた。なにやらスイッチが付いているので、スタンガンかビームサーベル的なものとしても使えるのかもしれないが、誤作動しても怖いので、安全装置と思しきレバーを「ROCK」と刻印されている部分に滑らせて、棍棒としてつかうことにした。
「ひのきのぼう、か。長老の、せめて下半身があれば、無敵なんだろうけどなぁ」
「なんの話ですか? 長老の下半身をどうやって使うんですか? むしろ使うってどういう状態ですか、って聞いた方がいいですか?」
そんなくだらない会話をしている間に、また新手の黒装束が駆けつけてきた。鉄の扉の向こうから、複数の足音が近づいて来る。銀時と山崎は顔を見合わせた。
「なんの騒ぎだ?」
喚きながら扉を開けた黒装束は、床に倒れている同僚に蹴つまづいて、盛大にコケた。
「どうした、侵入者にやられたのか?」
「う、ううっ…」
「しっかりしろ、ツラは見たのか?」
抱き起こして、背中に活を入れる。
「手分けをして探すぞ。おまえは司令室に行って、他の連中にも警戒するように放送してこい。おまえは下水に侵入者が逃げ込んでいないか調べろ、他の連中はボイラー室のどこかに隠れてないか探せ」
「リーダーは?」
「俺か?」
リーダーと呼ばれた黒装束は、ふと思い出したように、持っていた槍を天井に突き刺した。念のために二度、三度と位置を変えて突いたが、手応えは無い。
「ン……気のせいか。俺は……そうだな、博士に報告を入れて来る。状況次第では、機材ごと船に避難した方がいいかもしれんしな」
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