ゴスロリってゴシック&ロリータの略ってことはホントはゴスロリじゃなくてゴシロリじゃね?むしろすっごいロリの意味ってことでよくね?【上】


一瞬、我が目を疑った。
もちろん、疑ったといっても別に、眼球が単体で何かの犯罪を犯したという訳でもなければ、タレてるのが悪いとか、一重まぶたに色気がないとか、そういうハナシでもない。要するに、眼前の光景があまりにも信じ難いということだ。そして、もしこの網膜に映し出されているモノが現実世界の反映だとするのならば……今すぐ総菜屋に駆け込んで、豆腐の角で頭を打って氏んでしまいたい。苦しまずに逝けるのは木綿だろうか、絹だろうか、豆腐と納豆って名前逆なんじゃねーのって説があるけど、それデマなんだって。これ、豆な。豆ちわー……などと、脳内では猛烈な勢いでしょーもないことがぐるぐると駆け巡っているが、身体は硬直して動けない。

「あ、はは、は」

色々と言い訳したいことはあるが、引きつった乾いた笑いが漏れるばかりだ。
一方、遭遇した相手も、豆知識を披露する人気マスコット『豆ちわわ』のような大きな真っ黒い瞳を見開き、驚きを隠せない様子だ。
数秒間、耳鳴りがしそうな重苦しい沈黙が、空間を支配した。やがて、その豆ちわわがボソッと呟いた。

「サイアク……」

それが自分に対する批評なのか、豆ちわわ自身への自嘲なのか、それともこの邂逅についての述懐なのかは、パニックに陥っていた山崎は知る由も無かった。





話は多少、遡る。
日課のミントンの素振り中であった武装警察真選組・副長助勤監察方の山崎退が、わざわざ内線放送で上司に呼び出され、鮮やかな桃色の塊をぼさりと無造作に投げて寄越された。

「なんスか、コレ」

「見りゃ分かる」

「では、拝見します」

食べ物にしては妙にでかいなと訝りながら、ビニール袋から引っ張り出して広げてみると、それは白いレースがたっぷりと縫い付けられた女のものの衣装であるらしかった。

「なんかの事件の証拠物件ですか? それとも、このフリフリが攘夷志士か何かに繋がる手がかりとか?」

「まぁ、そんなもんだ」

「だったら、素手で触っちゃマズかったですかね?」

「いや、そういう心配はねぇ」

「なるほど……えらく大きなサイズですね」

「特注だ」

「へぇ、特注品なんですか? でしたら、これを作った工房に聞き込みをしたら、すぐに依頼主が分かりますね。ああ、その聞き込みを俺にやれと、そういうことですか?」

「ちげーよ」

「え? じゃあ、どういうコトですか?」

「どうって、そのアレだ……ともかく、アレだ。分かれ」

分かりませんよ、あんた口下手にも程がありますよ、つーかよくそれで社会人勤まりますね、この俺が気を使って頭捻って意を汲んで思うところを察して通訳して差し上げているから、外界と辛うじてコミュニケーションが取れているんだという事実を少しは自覚してくださいよ、と喚き倒したくなるのをグッと堪えて「つまり、この服を俺にどうしろっていうんですか? わざわざ俺を呼び出したってことは、俺じゃなきゃいけないってことでしょう? まさか、着ろっていうんじゃないでしょうね?」と尋ねてみる。

「その、まさかだ」

「え? そのまさかって、どのまさか? まさか着るの? 俺が? マジで? え、え、えええええええええっ!? 副長、そういう趣味が?」

確かに監察方の仕事のひとつ、潜入捜査に変装はつきものだし、そのために女装をしたことだってある。だが、基本的には、ターゲットの印象に残らない地味な格好が望ましい。このような派手なドレスなど論外だ。それをわざわざ着ろとはどういうことだろうか、それとも副長にはこんな趣味があったのだろうか……などと動揺を隠し切れずにいると「やかましい」と、脳天に拳骨が降ってきた。

落ち着いて話を整理すると、あるメイド喫茶店のオーナーが、攘夷志士との繋がりがあるとのこと。同じく監察方の吉村折太郎が、まずは客を装って探ってみたのだがうまくいかない。どうやら店の内部に入り込む必要がありそうだということで、次峰として潜入捜査のプロであり、女装の実績もある山崎に白羽の矢が立ったのだが、問題はその店の『メイド』と称するウェイトレスがゴスロリドレスで接客をするという点だ。山崎は男としてはやや小柄だが、同じ身長の女はどちらかといえば長身の部類に入るだろう。

「それで、特注したんだ」

「どうして俺のサイズを? もしかして副長ってば、俺のカラダのこと知り尽くしてるわけ? やーだーもう、俺ってば愛されすぎてて恐い。なんすか副長、ヤンデレですか、今流行のヤンデレなんですか?」

「何くだらん妄想してんだ、バカ。隊服は官給品なんだから、サイズを申請してあるだろうが」

「あ、そうか」

「そうか、じゃねぇよ、ド腐れが。で、だ。コレ着て、どうしてもここで働きたいんですって懇願して、ねじ込め」

「はぁ」

確かに、潜入するためにはまず採用されなければどうしようもないわけで、そのためになりふり構っていられない、という理屈も分からなくはない……が、それにしても酷いセンスのドレスだ。

「確かにこんなもんを着て働けるような職場が、この江戸に他にあるとは思えませんね。というか、あって欲しくない、というか」

ぶつぶつ言いながらも、仕事とあればやるしかない。
いっちょ、男山崎のドっ根性見せて……いや、今回は女山崎、か?

「一世一代の大手柄になるかもしれねぇんだ。うまくいきゃ、あの糞忌々しいエリートの鼻をあかせるぜ。死ぬ気でやれよ」

「死なない程度に頑張ります」

「死なない程度なんて甘えたこというな。手を抜かねぇで死ね」

「死んだら任務完遂できないでしょ。全力で頑張りますってば。頑張るからには、なんかご褒美ないんですか、ご褒美。俺が命がけでカラダ張って仕事するんだし、副長もカラダで払ってくれます?」

軽い冗談のつもりで口走ったのだが、次の瞬間、山崎は中庭の池に叩き込まれていた。

「喫茶紅桜、だ。着替えたらとっとと行って来い」





携帯電話を懐から取り出して着信履歴を見た篠原進之進は、首を傾げた。留守番電話にメッセージは無いが、俺は市中見回り、伊東先生は江戸城訪問とお互いに分かっているはずのところを敢えて電話を掛けてくるからには、何ぞ火急の用があったのだろう。

「ちょっと俺抜けるから、後はよろしく。うまく誤魔化しといて」

「ええっ、そんな、殺生ですよ」

「うん、殺生だよ。バレたら殺しちゃうからね」

「ね、じゃないですよ。なに爽やかに恐いこと言ってるんですか! 篠原さんの鬼ぃ!」

べそをかいている尾形鈍太郎を放置して、篠原は踵を返した。
江戸城の在る方角は確かにこっちだが、一口に江戸城と言っても些か広うござんす。お城の西だか東だか……いっそ、携帯電話に掛けて尋ねてみようか、と思いあぐねたところで「そこにいるのは、篠原君ではないかね」と声を掛けられた。
視線を上げれば、駕籠(タクシー)が停まっている。後部座席の見慣れた影に手招きされ、篠原もその隣に乗り込んだ。

「ああ、良かった。今、先生に電話しようと思ってたところなんです」

「見回りはどうしたね? ここは君の担当地区ではなかったと思うが」

「わざわざ自分のところまで来てくださるおつもりだったんですか? 先生から連絡があったものですから、見回りなんぞは同僚に任せてきました」

伊東は「そうかね」と呟いただけで、篠原の対応を良いとも悪いとも評価しなかった。代わりに運転手に向かって「大魔羅へ」と命じた。大魔羅といえば、江戸でも一、二を争う高級呉服店だ。一般庶民の篠原なんぞ足を踏み入れたことも無い。
先生のお召し物でもあつらえに行くのかな。でも、それはそんなに急ぐことでもないだろうし。それとも、店の関係者か上客に何らかの容疑があるとか? そういうことなら、俺ひとりではなく三番隊あたりを率いた方が良いんじゃないか……篠原が考え込んでいると、伊東は座席シートにもたれて正面を見たまま「土方君のところで監察方として色々仕込まれているようだが……君は潜入捜査とかは、どうかね。できるのかね」と、尋ねてきた。

「大魔羅に潜入するんですか?」

「僕は、できるのかね、と尋ねたんだが」

「一応、レクチャーは受けましたけど、実際にやったことはありません」

「できないのかね」と呟いた伊東の口調に、自分に対する失望が垣間見えたような気がして、篠原は必死で「いや、あの、やればできると思うんですけど、でも、この格好じゃ無理でしょう? だって潜入もなにも隊服そのまんまですよ」と、食い下がった。

「分かっている。だから、衣装を新調しに行くのだよ」

「へっ?」

「大魔羅は幕府御用達で、お庭番なんぞが変装するための衣装も取り扱っているのだが……君は監察方のくせに、そんなことも知らなかったのかね?」

「いえ、その、聞いたことぐらいはありますけど」

つまり、篠原が潜入捜査をすることは、伊東の中でとっくに規定路線だったということだろう。先生のご期待にそえてよかったと胸を撫で下ろす反面、こういうことは一応、前以って根回しすべきですよと、チクリと言ってやりたいところだが、敢えてぐっと堪えた。
そんなことを言った日には「君は全然分かっていない」だの「僕が信用できないのかね」だの、小一時間はぐだぐだ言われるのが関の山だと、長い付き合いで分かっている。

「で、その大魔羅で、どんな服を作ってどこに潜入するんですか?」

車内での沈黙に耐えられなくなって尋ねてみたが、伊東は答えずに顎をしゃくるような仕草をした。その先には、ハンドルを握る運転手が居る。篠原は数拍考えてから「ああ」と呟いた。
どんな格好でどこに潜入するか、などと具体的な話を第三者がいるような場所でうかつに口にするなんて、自分はなんて愚かなんだろう。篠原がしょんぼりと肩をすくめていると、さすがに伊東も気まずくなったのか「君ならできると思ったんだ。気を悪くしないでくれ」と囁いた。

「気を悪くするだなんて、そんな。先生のためなら、なんだってできますよ」

「それを聞いて、安心したよ。この任務が成功したら、土方を出し抜くことだって出来る大手柄になる筈なんだ。喫茶紅桜、というんだがね」

「へぇ。ずいぶんカワイイ名前の店ですね」

だが、それに続いた伊東の言葉を聞いて、篠原は安請け合いをしたことを本気で後悔した。このひとはホントに、根回し……とまではいかずとも、少なくともコミュニケーションの重要性というものについて、少しは考え直すべきではないだろうか。

「だから、君には女装をしてもらう」




窓のない半地下の部屋が、店の控え室になっていた。
従業員のロッカールームを兼ねているようだが、脱ぎ散らかした下着やサンダル、吸殻があふれそうな灰皿に飲みかけのジュースやお菓子の袋などが床を埋めており、女性従業員の部屋とも思えぬほど酷い荒れようだ。部屋の隅に申し訳程度に置かれているパイプ椅子の上にもぱっくりと口を開いた化粧ポーチや髪の毛が絡まった櫛などが放り出されており、腰を下ろすこともできない。

「篠原オマエ、なんつー格好で」

「ザキさん、なんでアンタが、そんな格好で」

ショックから立ち直ったふたりがほとんど同時にほぼ同じことを尋ねようと声を上げたところで、目の回りを真っ黒に塗った派手な化粧にフリルだらけの服をまとった少女が控え室に入ってきた。気まずそうに口をつぐんで突っ立っているふたりを見て「新人さん? 今日はもうカンバンだってよ」と、首を傾げる。

「あ、いや、その、僕達は」

「つまり、これから? 俺……いや、アタシ達、面接の順番を待ってるんですゥ」

「ふーん」

「ところで……オネェさん,ずいぶん若いみたいだけど、未成年?」

「ちがうよ。なんでそんなこと聞くの?」

山崎も(余計なことを言って邪魔するな)とばかりに、篠原を肘で小突く。
少女はふいっと顔を背けると、立て付けの悪いロッカーの扉をギシギシ鳴らしながら開けて携帯電話を取り出した。テーブルに尻を乗せて、ごてごてとデコレーションされた付け爪の指で、器用に弄り始める。山崎も篠原も互いに言いたいこと、聞きたいことが山ほどあったが、この少女の存在が邪魔してどうにも話ができない。室内にはピポピポというボタン音が微かに、しかし猛烈なスピードの乱れ打ち状態で鳴り続けていた。
やがて、扉がノックされ、廊下から「お次の方、どうぞ」と声をかけられる。

「あの、どっちですか?」

「ふたりご一緒で結構ですよ」

廊下で待っていたのは、のっぺりとした顔の中年男であった。渋い柄の和服に丁髷姿のせいか妙に貫禄があり、黒服や執事といった甲斐甲斐しい雰囲気は全くない。辛うじて、胸元に店内放送用小型マイクを留めていることから、確かにこの店の関係者と分かる程度だ。

「履歴書も拝見したんですが、お二人ともウチには向いていませんね。代わりと言ってはなんですが、アナタ達、芸能界には興味がありませんか?」

「へっ?」

「どんなデブスでもド音痴でも産廃ババァでも、人気スターに仕立て上げる凄腕のプロデューサーがいましてね」

「あ、いや、それは困ります。是非ここで働かせて頂きたくって、それで適性を見てもらおうと、この格好で」

「僕もです。実は、ずっとこういうメイドさんに憧れてまして、その、芸能界とかそういうのはちょっと希望と違うというか、困るんです」

中年男は怪訝そうに二人を見下ろした。
その当人同士も『自分は捜査で仕方なくやってるんだけど、実はコイツにはこーいう趣味があって、内緒でアルバイトしようとしてんじゃね?』と疑いの眼差しを向け合っている。

「では、ここにお掛けになって」

特に面接会場という部屋は無いらしく、店のフロアの端にあるボックス席のソファを勧められる。その向かいの席には黒尽くめの格好に黒眼鏡をかけた若い男が、ふんぞり返るように座っていた。

「拙者を産廃業者か何かと勘違いしてござらんか? そりゃあ、そろそろ新人を発掘したいから、採用からもれた子で目ぼしいのが居たら見せてほしいとは言ったが」

「ご謙遜を。ド音痴で可愛い盛りを逃した、あの下品なズベ公を見事、人気アイドルに仕立て上げたじゃないですか」

「あの娘は音痴でもくじけない根性があったし、なにより愛想の良さと天性のキラメキがあったでござる。ふたりとも地味すぎて、イマイチ華が無いでござるよ。それこそ、この店で使ってやれば良かろう」

「ウチの店でも使えませんよ。ウチのコンセプトはゴスロリメイドですからね。ゴスロリ。意味分かります? ゴシックなロリですよ。ゴスっていうか、すっごいロリですよ。ウチはそういう可憐でいとけない『美』を提供してるんです。こういう間の抜けた面や辛気臭い顔はお呼びじゃないんです。やちなみに、私はロリコンじゃなくてフェミニストですがね」

目の前で言いたい放題言われても、こちとらだって好きでこんな格好してるんじゃないやいと言い返すこともできず、山崎は顔を真っ赤にして爆発寸前、篠原は腿の上でスカートを握り締めて、今にも泣き出しそうになっている。

「やらせてみりゃいいじゃねぇか」

唐突に、そんな声がかかった。


初出:2011年09月11日
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