【5】ぼくらはみんな生きている。


「ごめんだね」

新八の頼みを、お登勢はあっさりと断った。

「家賃も払わないで、保釈金出してくれだ? あの白髪天パ、大家をナメるのも程があるね。少しは臭いメシ食ってくりゃいいんだ」

「いや、その、どうせ返って来るお金なんですし」

「そうは行ってもねぇ。なんとしても、あんたらに罪を着せようってしてるんだろ? ホントに無罪になるのかい?」

確かに、今回の冤罪の背後には、近藤らも逆らえない地位の意思が働いているらしいだけに、絶対大丈夫とは言い切れない。

「あの、オカネでしたら、私が出しましょうか」

お登勢の隣で、うつむいて拭き掃除をしていた芙蓉が、びいどろ玉の瞳を上げて、そう言い出した。お登勢の店で働いて給金も貰っているのだが、芙蓉はもともと機械人形、多少のオイルと充電だけで活動できるのだから、そんなに散財することもないのだ。

「たま、あんたがそんなことしてやる必要はないよ。あんなグータラ男のために、コツコツ貯めた虎の子を出してやるなんて」

「でもお登勢様、銀時様や神楽様が居ないと、皆さんが寂しがります。私も……銀時様が居ないと寂しいと思います。だから、そのために使うのでしたら、私はちっとも惜しいとは思いません」

新八が、たまさんありがとうございます……と言いかけたのを、お登勢が「そういうのが男をダメにするんだ、たま、絶対に出しちゃダメだよ」と遮った。

「ダメにする、んですか?」

「そう。一度甘やかすと、女のカネを当てにするようになるからね。男なら自分の甲斐性でなんとかしなきゃ」

「カイショウというものについては、データが不足していて私には理解できません。でも銀時様は、私の中で最も強くて頼りになる存在だとイメージされています。それでもダメになりますか」

「ああ、なるね」

「でしたら、残念ながらお出しすることはできません」

お登勢の口車に乗せられ、芙蓉がきっぱりとそう言いきったため、新八はがっくりと肩を落とした。
お登勢の店を出ると、姉の志村妙が日傘を差しながら、そこに佇んでいた。偶然通りすがったのかと思ったが、日傘を差しかけてくれながら、一緒に歩き出したところを見ると、新八の戻りを待っていたのだろう。

「でも新ちゃん、これで良かったのかもしれないわ。銀さんがあのポンコツ人形に金で買われるとか、尻に敷かれるようになるとか、そんな事態にはならずに済んで」

「まぁ、たまさんは優しいから、そんなことを盾に取るような人じゃないと思いますけど」

「新ちゃん。それは偏見よ。男はメイド服とかそういうのを見たら、すぐに優しいとか家庭的とか、信じ込んでダマされて」

「姉上、それも偏見です」

「それに、それだけじゃなくて、その、女を食い物にするような、そんな男になってもらったら、その、困るじゃない」

「ちょっ、何を頬を染めてんですか。認めん! 僕はあの人を兄とは認めんぞぉ!」

「そうだ、お妙ちゃんと結婚して、新八君のお兄さんになるのは、この僕だ!」

このパターンで湧いて来るのは近藤の筈だが、なぜか今回、そう叫んで現れたのは、柳生九兵衛であった。そういえば、彼女も家は超セレブで、誕生日には各界の著名人を集めてパーティをするような家柄だ。

「あの、お願いがあるんですけど。ちょっと長い話になりますが」

「ふむ。だったら立ち話もなんだから、僕の屋敷に来るかい? お妙ちゃんのために植えた庭の花も、そろそろ見頃だし、美味しいお茶とお菓子でも食べながら眺めて欲しい」

そんな優雅なお茶会に相応しい話題とは到底思えないが、新八は「是非」と頭を下げ、お妙も「バーゲンダッシュのアイスがあるなら」と微笑んだ。




茶菓子とアイスを平らげてから、新八が恐る恐る、要件を切り出した。
お妙も詳細は今初めて聞いたことになるので、思いがけない事態に、言葉を失っているようだ。新八が語り終えてから、数拍たっぷりの間、重苦しい沈黙が茶室を支配した。

やがて「確かに」と、九兵衛が口火を切り、慎重な口調で「それぐらいのハシタ金なら、僕のポケットマネーでも十分に賄える。オトナでなければいかぬのなら、南戸か北大路でも使いにやればいい」と続けた。

「えっと……確か、赤毛のチャラい感じの人と、メガネのケチャラーの人?」

どちらも柳生家四天王だったと思うが、なにせお妙の争奪戦以来、会っていない。

「チャライとかケチャラーとかはよく分からんが、南戸が赤毛の男性器で、北大路が眼鏡を外すと目が『 3 3 』になるのは確かだ」

良かった、これなら銀さん達を助け出せると、新八は安心しかかったが次の瞬間、九兵衛が「でも、僕は引受人をするなら、お妙ちゃんじゃないとイヤだ」 と、真顔で言い出した。

「ええっ、そんな、お願いしますよ」

新八が必死で畳み掛けても、九兵衛は「お妙ちゃんを助けるためなら、僕はどんなことでもするが、お妙ちゃん以外の人間は正直、どうでもいい」と、言い放つばかりであった。

「まぁ、九ちゃんったら。九ちゃんだって、いずれは男の人と幸せにならなきゃいけないっていうのに、まだそんなことを言っちゃって。分かってるのよ。私が美しすぎるのがいけないのよね。美人って罪だわ」

「ちょ、姉上、そこは頬を染めて寝言を口走るところなんですか。ピンチなんですよ。銀さんと神楽ちゃんがピンチなんですよ」

「いや、若はシャイなだけでございまするぞ!」

不意に割り込んだ声に、志村姉弟と九兵衛が振り返ると、柱の陰から、九兵衛の側近、東城歩が顔を出していた。

「若だってそれ以外の人間を気になさることもございます。例えば、この東城がカーテンのシャーに巻き込まれても、きっと若は私を愛のためn……」

だが、九兵衛は顔色ひとつ買えず、ヤカマシイとばかりに一蹴した。

「あん、若のおみ足」

スリッパで叩かれたゴキブリよろしく、往生際悪く床をのたうっているのを、さらに二度三度と蹴り飛ばす。ぴくりとも動かなくなったのを見届けてから、くるりと振り向き「新八君。そういうことなんで、他を当たってくれまいか」と、告げた。

一度こうと決めたら決して譲らない九兵衛の気性は、新八にもよく分かっている。だからこそ、オンナを捨て剣の道に進み、そして一度は女同士にも関わらず、お妙と夫婦になろうと企てあの騒動を引き起こしたのだ。

「仕方ないですね。じゃあ、姉上に何かあったら、そのときはよろしくお願いします」

新八は潔く諦めて、ぺこりと頭を下げた。 大体、姉のお妙だって、キャバ嬢として働く傍ら、店の用心棒を兼ねているとのこと。いつ、トラブルに巻き込まれて警察のご厄介になるか、分かったものじゃない。

「あの、若、私がカーテンのシャーに巻きk……」

「知るかッ!」

今度はコックローチドSを取り出して、東城に吹き付けているらしい騒々しい物音を背中に聞きながら、新八とお妙は柳生家の門を出た。
さて、これからどうしたものかと、途方に暮れる。なにしろ、周囲のオトナは「身元のしっかりした」という条件が出た時点で、かなりフルイにかけられてしまうのだ。

桂小太郎、テロリスト。
エリザベス、謎の生物。
長谷川泰三、住所不定無職マダオ。
平賀源外、指名手配犯。
猿飛あやめは一応、幕府お抱えの忍びらしいが、実質的にはただのストーカー。
服部半蔵も猿飛同様、お庭番とのこと。大きな屋敷に住むボンボンだからカネには困らないだろうが、気まぐれによく分からない人に仕えたり、ピザの宅配をしたりと、こちらも身元が確かとは言いがたい。
また、オカマの西郷特盛、吉原の花魁・日輪や、死神太夫・月詠、ホストの凶死郎といった面々も、頼めばイヤとは言わないであろうが、彼らはどちらかといえば裏社会の住人だ。

「僕の周りって、ろくなオトナがいないんだなぁ」

「銀さんの影響かしら。ちょっと考えなくちゃいけないわね」

やはり初心に返って、お登勢にお願いしよう。僕らのおっかさんみたいなものだもの。誠心誠意お願いしたら、きっと腰を上げてくれるに違いない……そうは思うものの、やはり「家賃の支払いすら滞っているのに」と渋られれば、反論のしようもない。
重い足を引きずるように歩いていると「ボッスンのところの童ではないか。どうした。なんぞ困りごとか?」と、背後から声をかけられた。振り返れば、黒塗りの超豪華な唐車が止まっており、緋色の前簾をめくり上げて、うりざね顔の優男が顔を出している。
一瞬固まっていた新八であったが、その表情がみるみる崩れるように緩んだ。

「清明さん!」





「で? 俺らいつまでここに押し込められてんの?」

必死の訴えで、貞操の危機を感じるVIPルームから独房に移してもらい、ようやっと落ち着いた銀時が、見回りに来た山崎を手招きしてそんなことを尋ねた。他の牢役人が相手なら、この手の私語は「違反行為」として懲罰を受ける行為だが、山崎は鉄格子にすり寄って声をひそめながら「んーと。新八君が誰か身元引受人と保釈金を用意してくれるか……あるいは、あの怪物の密輸容疑を認めてくれたら、とりあえず拘置所からは出れますよ? その先は刑務所になりますけど」と、答えた。

「やってないモン、認めるなんてできるかよ!」

「旦那がそういうことをやっちゃないっていうのは、俺らだって分かってるんですが、そういうことにしておけって、お上からのお達しなんですよ。俺らも所詮はしがない公務員なんで、すんません」

「要するに、それをやらかしたどこぞのバカの代わりに罪を被れって? そんなのできるかよ! 大体、刑務所なんぞに入ったら、何年お天気おねーさんに逢えないと思ってるんだ!」

銀時の剣幕に押されながらも、山崎は「え? そういう論点なんですか? 旦那とって、お天気おねーさんに逢えないって、そんなに重要事項なんですか?」と、淡々とした声でツッコミを入れる。

「うるせーよ! 俺ァ結野アナを一日でも見ないと、禁断症状が出るんだよ! お目覚めテレビぐらい見せろボケ! 結野アナ!結野アナ!結野アナぁぁあああわぁああああああああああああああああああああああん!!!あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!結野アナ結野アナ結野アナぁああぁわぁああああ!!!あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハースーハー!スーハースーハー!いい匂いだなぁ…くんくん、んはぁっ!結野クリステルたんのライトブラウンの髪をクンカクンカしたいお!クンカクンカ!あぁあ!!間違えた!モフモフしたいお!モフモフ!モフモフ!髪髪モフモフ!カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!!ブラック占いスペシャルの結野アナたんかわいかったよぅ!!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!!お天気注意報続投決まって良かったね結野アナたん!あぁあああああ!かわいい!結野アナたん!かわいい!あっああぁああ!フィギュア新作も発売されて嬉し…いやぁああああああ!!!にゃああああああああん!!ぎゃああああああああ!!ぐあああああああああああ!!!」

ついに発作を起こして、銀時が喚き始めたが、いくら山崎が「旦那、勘弁してくださいよっ! ここ、壁がコンクリートで声が響くんですから!」と説得しようとしても、一向に収まる気配もなく「フィギュアなんてリアルじゃない!!!!あ…ブラック占いもお天気注意報もよく考えたら、こっちが一方的に見ているだけで手を握ってくれる訳でもない…これじゃアイドルの追っかけしてる新八と同類?にゃあああああああああああああん!!うぁああああああああああ!!そんなぁああああああ!!いやぁぁぁあああああああああ!!はぁああああああん!!お目覚めテレビぃいいいい!!この!ちきしょー!やめてやる!!視聴者なんかやめ…て…え!?見…てる?ブラウン管の向こうの結野アナちゃんが僕を見てる?結野アナが俺を見てるぞ!!お天気注意報の結野アナが俺に話しかけてるぞ!!!よかった…世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ!いやっほぉおおおおおおお!!!俺には結野アナがいる!!やったよママン!!ひとりでできるもん!!!俺の想いよ結野アナへ届け!!お目覚めテレビの結野アナへ届け!」などと、のたうっている。

「あーあ…もう、仕方ないなぁ。じゃあ、特別にテレビが見れるように申請してあげますから、それまで我慢してくださいよ」

「え? マジ? いつ? いつ俺は結野アナと逢えるの!?」

「えーと。申請書の受け付けが週に1回で、許可が降りるのが翌週の……」

「にぎゃあああああああ! そんなに待てないぃ! 銀時そんなにクリステルたんと逢えないの、我慢できませぇえええええん!」

「ちょ、旦那、キャラ崩壊しているよ! アンタ、どんだけテレビ見たいんだよ!」

他の牢役人も何事かとバラバラと駆け寄ってくる中、山崎の携帯が鳴った。いや、騒動の中で着信音は聞こえなかったが、スラックスの尻ポケットの中で振動したのに気づいたのだ。暴れる銀時と牢に飛び込んで取り押さえようとして、逆に吹っ飛ばされている牢役人らに背を向けて、葵の御紋が入った官製の携帯を耳に押し付ける。

「はい、山崎です。ええ、今、旦那んところで……身元引受人? 見つかったんすか? え? 今すぐ? ああ、ハイ」

パチリと携帯電話を畳み、くるりと振り向くと「旦那、出れるそうですよ」と呼びかけた。

「マジで?」

「ええ。本来なら保釈にも手続きがあって数日かかるんですが、どういうわけかすぐ出してもいいって。もう少ししたら、着くそうですよ」

「へっ、当たり前だろ。なんも悪いことしてねぇのに、こんなブタ小屋にいつまでも押し込められていてたまるか」

殴り倒した連中を見下して、ペッと唾を吐く銀時を、山崎が子供に言い聞かせる口調で「いや、あくまでこれは保釈ですからね。別に無罪放免という訳じゃないですからね」と諌める。

「出ちまえば、こっちのもんだよ」

「まったく。あ、まだダメですよ。ちゃんと呼びますから、それまでは中に居てください……あとね、今、暴れてたのは不問に伏してあげますから。ホントなら大問題ですよ、これ」

問題になれば、さらに勾留期間が延びること請け合いだが、こちらとしても一刻も早く出て行ってもらいたいのだ。どういう理由かは知らないが、すぐに出していいという許可が下りたのならば、そうしてしまいたい。

「じゃあ、荷物……と言っても、何もないだろうけど、テキトウに整理しておいてくださいね」

山崎はそういい残すと、ボロ布のようになっている牢役人らを促し、出て行った。





「へい、こっちでさァ」

ギギィと重たい鉄の扉が軋んだのに続いて、聞き慣れた乾いた声と革靴がコンクリートに叩き付けられる音が聞こえて、銀時は『待ち人』が来たと知った。鉄格子からは正面の廊下しか見えないが、顔を押し付けるようにしてなんとか向こう側をのぞこうとする。黒い服は真選組の隊服だろう。その後ろに白いヒラヒラしたものがいて、近づいて来る。

「お、おにーたまですか!」

「だぁれが、おにーたまだ、誰が」

その色白の公家顔が結野清明と知って、銀時は「すぐに出していいという許可」が下りた理由も見当がついた。なにしろ、彼は幕府の役職についているのだ。具体的な官職名を聞いたことは無いが、あの性格は誰かに命令されて働く下っ端とは到底思えないし、相当の高給取りでなければあれだけのセレブな生活は維持できなかろうから、かなりの高官に違いない。

「おにーたま、信じてましたよぉ。アレですか、将来の弟のために一肌脱いでくださったとか、そういうカンジですか? いや、どうせ脱いでくれるんなら結野アナの方が嬉しいんだけど、この際だからおにーたま相手でも銀時がんばる」

「だから、誰がおにーたまじゃ。貴様なんぞを弟にした覚えは無いぞ。つーか、そんな気色悪いことがんばるな」

「そんなぁ、だって、おにーたまがこんなブタ箱に御用があるっていったら、カワイイ義弟を助けに来たに決まってるでしょ。正直に言っておしまいなさいよぉ、おにーたまったらシャイなんだからぁ。アレですか、妹萌えの次はツンデレ属性?」

ジャレついている銀時の顔のすぐ側の鉄格子に、警棒がガンッと打ち付けられた。見れば、沖田が無表情に突っ立っており、なにしやがると睨みつけると「私語厳禁」とボソッと囁き返した。

「ちょ、沖田君。そりゃないんじゃない? もしかしておにーたまと俺の仲に妬いてんの? いや、俺らただの義兄弟なだけだから」

「馬鹿者。いつ、貴様と兄弟になった」

「旦那。このお方はアンタの身元引受人じゃござんせん」

「えっ?」

絶句して、ずるずると冷たい床にへたり込んだ銀時の表情があまりにも哀れを誘ったのか、清明は苦笑いをしながら「いや、わしは神楽殿を迎えにな。ボッスンにもちゃんと、引受人を用意しておるわ」と慰めた。

「ホント? 誰?」

「貴様に恩がある者じゃ」

沖田に連れられて、清明が通り過ぎて行く。その向こうに、神楽が収容されている揚屋(女子や身分の高い者のための房)があるのだ。
ぺたりと座り込んだまま、銀時は宙を見つめながら「おにーたまじゃなかったら誰だろう? もしかして結野アナ本人? そうだよな、いつぞやのお天気戦争んときだって、銀さん、がんばったもんな。報酬サイン色紙一枚で、片玉になる危険を冒して死ぬ気でがんばったもんな。その恩を今返すってことか。そうか、俺の愛についに応えてくれるってことか。銀時様に助けてもらったから今度はアタシが……ってか? 銀時様の身元を引き受けるから、今度はアタシを引き取って! なーんて言ったりして、そんで、銀時様についに直接お会いできるって聞いて、クリステル、がんばってカワイイ下着を……キャッ、やだ、ハズカシイ! とか?」などとブツブツ呟いていた。

一方。
神楽は、古びた備品のマンガを読むのも飽きたのか、壁をよじ登って高い位置にある窓に顔を押しつけ「ねこーねこー…チチチ、こっちおいでアル。おまえらイイナー自由でイイナー…そこの耳無いデブネコもこっちおいでアル。酢昆布あるヨ」などと言いながら、のんきに外を覗いていた。元来、過酷な戦場を生き抜いて来た種族なだけに、劣悪な環境にも適応能力が高いらしい。

「オイ、チャイナ、迎えだ」

声をかけられ反射的にムッとした顔で振り向いたが、憎たらしいドS野郎の隣に清明がいるのに気づいて、ぱぁっと表情を明るくした。

「妹萌え! 妹萌えが助けに来てくれたアルか」

「ふむ。新八殿に頼まれてな」

パタパタと駆け寄ってかきつこうとするのを、清明が扇をかざして遮り「喜ぶのは、ここを出てからで良かろう。ろくなものも食べておらぬじゃろうから、屋敷で食事でもするがいい」と囁いてなだめる。神楽の怪力っぷりは、呪法デスマッチので式神相手に拳をふるっているのを見ている。感情の赴くままに抱きつかれれば、腰骨が砕けてしまうであろう。だが、喜んでいる神楽は避けられたということには気づかず、ひたすら子犬のようにピョンピョンと清明の周囲を飛び跳ねながら「マジで? 妹萌えサンキューアル! おにーたま大好きヨ。こーいうの、なんていうアルか、オトナのミリョク? どっかのドSガキ野郎と大違いアル」と、はしゃいでいた。

「ケツの青いチャイナ娘に、ガキ呼ばわりされる筋合いはありやせんや。テメェこら、調子に乗りやがって。警官侮辱罪で勾留延長されてぇのかイ」

さすがにムッとした沖田が神楽に凄んでみせるが、天文方という馴染みのない部署とはいえ、幕府の重鎮だという公家が同席しているこの状況では、今回ばかりは分が悪い。だから土方さんが、絶対にイヤだって逃げたんだな。あのヒト、とことんこーいうタイプのエリートとかセレブとか大嫌いだもんな。ちくしょう、胸くそ悪い。土方さんのブリーフ全部裏返して、縫い針仕込むとか、毛ジラミを放牧してやるとか、ウンコ香水振りかけるぐらいはしてやんなきゃ、割に合わねぇ。

「ねぇねぇ、妹萌え。銀ちゃんは?」

「ああ、ボッスンか。ボッスンはな……」




しばらく呆けていた銀時であったが「旦那ァ、連れて来ましたよ」という声で我に返った。

「結野アナぁああああ!」

黒い服を着ているのか、同じく黒の隊服姿の山崎の後ろにいる人物のシルエットは、廊下の薄闇に半ば溶けていた。だが、肌の白さはそれとは対照的にぽうっと浮かび上がっており、銀時は鉄の扉が開かれるや、感極まってその影に抱きついた。髪からは、えもいえぬ芳香がほんのりとたっている。腕の中に感じる身体の質感は、想像していたよりもふくよかだった。
結野アナってば、意外とぽっちゃりなのかな、でも、こういう尻って安産型ってやつだよな。いい女は尻がこう、ぷりんとしてるって、源外のジーサンも言ってたっけ。うん、子供好きだよ、俺は。子供欲しいよな子供。できれば二人が理想だな。あれ、どっちが先の方がいいんだっけ、一富士二鷹三茄子、は違うな。一押し二金三男ぶり……ってのは女のくどき方だし、腿尻三年乳八年でもない。いや、男女どっちでも、結野アナの子供なら絶対可愛いに決まってる。そんで、子供の髪はストレートな。天然パーマの遺伝子なんて間違っても伝えないからな。遺伝子操作してでもそこは譲れない、そんな不幸の連鎖は俺の代で終わらせる。あと、名前は俺とクリステルから一字ずつ……ってとれねぇよ! どうしたもんかね、俺ァアレだよ、チャラチャラした今時のドキュンネームなんてつけねぇからな。『めけちゅー』とか『ふるもんてぃ』とかダメ絶対。あーでも『せれぶ』とかちょっとかわいくね? お金に不自由しなさそうで響きが可愛くてよくね? 男の子でも女の子でも使えそう……って、これ立派なドキュンネームじゃねぇか!  それにしても、尻やらけーのな……などと、ぼんやり考えていたら。

「おいこら、貴様! 牢から出られて嬉しいのは分かるが、暑苦しい、離せ!」

耳元で喚き声が聞こえて、銀時は我に返った。
え? 結野アナの地声って、結構、ドスがきいてる? いやいや、アナウンサー絶対音感で鍛えたこの耳が、結野アナの声を聞き間違える訳がない。恐る恐る、腕の力を緩めて抱きついていた相手の顔を覗き込んだ。

「うえっ、ちょ、テメェ、元旦那の!?」

「誰だと思ったんだ。力いっぱい締め上げやがって。痛いじゃないか」

そこに居たのは、巳里野道満であった。
なるほど、いつぞやのお天気戦争では『敵』であったが、銀時の働きがあって正気を取り戻し、そして生還した身。「貴様に恩がある者じゃ」という清明の言葉に偽りはない。

「いや、でも、なんだってそんなイイ匂いさせてんだよ! 男のくせに!」

「匂い? ああ、これか。職場で香を焚く必要があるから、どうしても匂いがつくんだ。好きでつけてるわけじゃない」

「なんで、職場で……ああ、そうか」

清明と同様、天文方に勤めているのだ。陰陽道の術や祈祷も業務の内なのだろうから、祭壇で香木や護摩を焚いていてもおかしくない。

「まったく。清明に頼まれて、江戸城から直接こっちに向かって来てやったのに」

ぶつくさ言いながら、道満が乱れた水干の袖を引っ張って直している傍らで、山崎は事態が飲み込めず「旦那、そういうご趣味が? もしかして、匂いフェチ?」と、恐る恐る尋ねた。銀時は、その肩を両手でがっしりと掴み「いや、その、ちげーって。ちょっと人違いしただけだ。人違い。気にすんなジミー、人間誰しも間違いはある! 忘れろ! 今見たものを忘れろ! 皆の銀さんの清いイメージを守るために記憶から抹消しろ! つーかむしろ、何も無かった! オマエは何も見なかった! いいな、分かったか!」と、迫る。
だが、その表情があまりにも鬼気迫っていたために、山崎はパニックになったようだ。

「うわぁああああ! だ、旦那に犯されるぅううう! たぁすけてぇええええ!」

「ちょっ、てめっ、ちげーって!」

その横で、道満が扇で口元を覆いながら「なんだ、坂田殿はそっちのケがあったのか? クリステルの熱心なファンだと聞いていたのだが」とドン引いている。さらにそこに「アレェ、山崎ィ、オメェ万事屋の旦那とデキてたのけぇ?」と揶揄する声が被さった。

「いや、だから、誤解だ!」

「銀ちゃん、不潔アル! そんなフシダラな子に育てた覚えはないアル!」

「そうか、ボッスンには既に連れ合いがおったのか。クリステルも憎からず思っておったようじゃし、外道丸も懐くぐらいじゃから人品骨柄卑しくはなかろうから、クリステルの再婚先の候補の一つとも考えておったのじゃが……残念じゃな」

「だっ、だから、ちっぐぁああああうっ!」

ついに銀時は、がっくりと両手を地面につけ失意体前屈のポーズで項垂れてしまった。これは俺のせいか? 俺が人違いしたせいか? いや、だって、イイ匂いしたんだもん。こんな匂いさせたヤツが男だとは思わないだろ、常識的に考えて。それにおにーたまが相手を誤解させるような言い回しじゃなくて、はっきり「道満だ」と言っておいてくれれば、こんな悲劇は回避できた筈なのに。そうだ、それにコイツがモヤシっ子なのが悪いんだ。道満がまともに体を鍛えていたら、抱きついた感触ですぐに男だって分かった筈なんだ。んだよ、ぷよぷよした尻しやがって……って、尻! とゆーことは俺、男の尻撫で回しちまったってことかよ! 手! 手洗わなくちゃ!

「その、手洗いあるか、ジミー、手洗い!」

「え? トイレなら房の中にもあったじゃないですか。そこでなさったらどうです? 用が済む間ぐらい、待ちますから」

「いや、そうじゃなくて、手、手、手ぇええええええ!」

半狂乱で喚いている銀時の後頭部に、沖田と神楽の蹴りがほぼ同時に決まった。





松平片栗虎は、椅子に反り返り、靴を履いた足をデスクにぶん投げた姿勢で、近藤から手渡された報告書に目を通しながら「よーぅ、ゴリラ。三人とも保釈したのは、ちーっとまずいんじゃねぇか? ええ?」と、吐き捨てた。

「おめぇの当初の話じゃ、たっての願いで一人だけ、って言ってたじゃねぇか。いやさ、同じように保証金と引受人つけたら、手続き上は問題無いよ? 問題無いけどさぁ」

じろり、とサングラス越しに近藤をにらむ。その渋面は常人なら震え上がるであろう迫力だが、近藤は「問題無いなら、いいじゃないですか。引受人も幕府の官僚なんだから、身分としちゃ申し分ない訳ですし」と、けろりとした表情で言い切った。

「でもさぁ、これじゃ、こっちが文句言われちまうでしょ。保釈ってことはさ、無罪放免にするか、裁判にするか、どっちにしろハッキリ決着つけないとダメなわけでしょ。ウヤムヤにしておいてくれって依頼だったんだからさぁ」

「そんなこと言ったって、不当逮捕で冤罪だって分かっていて、それで片付けちまう訳にもいかないでしょう」

「それで片付けちまいたかった訳よ、オジサンは。定年退職迎えて退職金が振り込まれるまでは、当たらず障らず無難に過ごしたいのよ。分かる? 上層部に睨まれたら、さすがのオジサンもプー太郎になっちゃうからね。オジサンこのトシでプー太郎になったら、再就職困難だからね。娘の栗子だって、まだまだ教育費だ結婚資金だって、カネのかかる年頃なんだからね。リストラだのクビだのは困るのよ、分かる?」

「分かりませんね」

松平と近藤がにらみ合いになる。
だが、数拍の沈黙の後、松平が「がっはっは」と笑い出した。

「ち。おめぇらはまーったく、俺の言うことを聞きやがらねぇな。野良だったのをせっかく拾ってやった恩義を、これっぽっちも感じちゃいねぇ。本当に困った奴らだ。回収を頼んだブツは取りこぼす、せっかく拘束している羊も逃がしちまう、挙句にそいつを化け物扱いして勝手に処分しちまうなんて、狂犬もいいところだ。オジサンまた始末書書く羽目になっちまったよ」

「えっ?」

「おめぇらが勝手に先走ってやらかしたことだが、部下の失態はオジサンの失態なんだよね、これが。でもまぁ、飼い犬の尻拭いはいつものことだな。下の躾のなってねぇ狂犬と分かっていて養ってんだから、仕方ねぇや」

近藤は、その発言の意図を測りかねてぽかんとしていたが、やがて、松平が、ガン、と派手な音を立てて革靴を床に叩きつけるように足を下ろした音に、ハッと我に返った。

「とっつぁん、えーと、その……ありがとうございますッ!」

深々と一礼し、長官執務室を出る。
その背後で、松平は「あーあ、オジサン参っちゃうなぁ、またオジサン、怒られちゃうなぁ」などと、延々とボヤき続けていた。


サイト収録:2010年09月13日
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