【1】ぼくらはみんな生きている。


夜中にふと便所に起きると、台所に水を満たしたコップが置いてあるのに気づいた。喉の渇きを覚えて、なにげなくそれを取り上げて飲もうとすると、底に黒いものが固まって沈んでいるのに気付いた。
ぎょっとしてよく見ると、その黒い塊が一片、ひよひよと泳ぎだした。一瞬にして、眠気が吹っ飛ぶ。

「かぁぐぅらぁああああ! テメェの仕業かァああああ!」

近所迷惑も忘れて全力で喚きながら、銀時は玄関口の方に駆け込み、神楽がねぐらにしている押入れの戸を蹴破った。



叩き起こされた神楽は、年頃の少女とも思えない豪快な寝癖をつけ、目やにをぶら下げた顔を拳でこすりながら「ハイハイ何アル、こんな夜中に。ママンのオッパイが恋しいアルか。これだから男はダメアル」などと言い放った。

「誰のオッパイだ。てめぇ、前も後ろも分からねぇような平たい胴体しやがって」

「んだよ、私だってあと三年もすれば、すげぇくなるって言われたヨ、これから輝くんだヨ」

「誰に言われたんだ」

「オッサン」

「どこのオッサンだ」

「名前は知らないアル。聞いたかもしれないけど、忘れたアル」

「あのな、知らねぇオッサンの言うこと真に受けてんじゃねぇよ。大体、俺らサザエさん方式で年とらねぇんだから、あと三年っていっても永遠に来ないからね。バレンタインデーネタも正月ネタもクリスマスネタも、毎年律儀にこなしてるから、コナンみたいにあんだけ長年連載していて、実は三カ月間の出来事でしたぁーって、衝撃の事実は無いからね」

「マジでか! コナンって三カ月の間にどれだけヒト死んでるヨ、毎日大量殺人アルな、米花町の治安すげーなオイ、ジェノサイトアルな、バトルロワイヤルアルな」

「どこに食いついてんだよ! そうじゃなくて、これ! 台所にあったこれ!」

銀時が鬼の形相で、先ほどのコップを突きつけるが、神楽は悪びれもせずに「コレ? 夕方、新八帰るのを見送って戻ろうとしたら、ボトボトって降ってきたヨ」 と答えた。

「はぁ? 降ってきたって、コイツがか」

「コレ、水に住むイキモノだよネ」

「ああ、オタマジャクシだな。カエルの子供だ」

「水が無いところで跳ねてて可哀想だったから、拾ってあげたアル。つぶさないように、頑張ったアル」

神楽は、見かけは華奢な少女でありながら、凄まじい戦闘能力を誇る夜兎族である故、その怪力を制御するのは難しい。些細な動作で物をブッ壊すのは日常茶飯事。だからこそ、握りつぶしたりする不安もなく思い切り触れ合える巨大な狗神に「定春」と名付けて可愛がっているのだ。それを思い出して、銀時はあらためてコップの中を眺めた。

「そうかい、頑張ったんだな」

その神楽が頑張って拾った生物は、ほとんど潰れて得体のしれないヘドロのようになっていたが、奇跡的に生き延びたらしい一匹は、多少ひしゃげた尾を引きずりながらも、けなげに泳ぎ続けていた。

「皆元気ないから、心配してたけど、元気な子いるアルな」

「心配してたって割には、ぐーすか寝てやがったじゃねーか。つーか、こんなコップに入れておくな、ボケが。間違って飲むところだったろーが」

「コップしか、水入れるノ無かったヨ」

「うっせーな。なんでもいいだろーが。ともかく、コップはヤメレ、コップは。あと、死んだのも後生大事に入れておかねーで、どっか埋めて来い。水が腐って全滅するぞ」

「死んでル? 寝てるんじゃないアルか」

死んでいると聞いて途端にしょげてしまった神楽を見ていると、それ以上怒る気力が削がれてしまった。

「そうだな、下のバーさんに聞いたら、金魚鉢か何か出てくんだろ。この時間じゃバーさんもさすがに寝てるだろうから、明日にでもなんとかすっか」

「ホント? なんとかしてくれる? 銀ちゃん大好き。じゃ、寝不足は美容の大敵だから、おやすみ」

「へいへい。おやすみ」

コップからは既に、生臭い匂いが立ち上って来ている。こんな環境でコイツ朝まで生き延びられるのかいなと危ぶみながらも、そのコップを台所に戻すしか無かった。



翌朝は、神楽に叩き起こされた。

「銀ちゃん、オハヨ。キンタマカクシ、なんとかしてくれる約束アル。早く起きるアル」

「はぁ? キンタマカクシぃ?」

「昨日の、黒いの」

黒い金玉隠しって何だよ、そんな卑猥な物体をなんとかするなんて約束した覚えねぇ、つーか、変な単語覚えてくるんじゃねぇ。親バカのあのうすらハゲにブチ殺されるだろーがボケ……と、寝起きの朦朧とした頭で考え込む。

「コップの子」

そこまで言われて、オタマジャクシのことか、と思い当たる。

「あのな、キンタマカクシじゃなくて、オタマジャクシ、だ。オタマジャクシ。おめぇの星には居なかったのか?」

「うん」

神楽が生まれ育った星は、雨ばかり降って、ほとんど晴れないとのことだから、生態系も全く違うのだろう。
どうせ下のバーさんのところに顔を出すだけとはいえ、一応着替えようと神楽を一度部屋から追い出した。衣装棚になんか見覚えのあるM嬢が詰まっているのは華麗にスルーして、身支度を整えてふすまを開けると、神楽はコップを持ってスタンバイしていた。

「どれ、まだ生きてるか?」

「うん、一匹」

「とりあえず、バーさんに金魚鉢借りるか。そんで、死んだヤツ埋めて来い」

「死んじゃった子、可哀想アル」

「どうせ地面に落ちたんだったら、どっちみち死ぬ運命だったんだろ、コイツら。一匹だけでも生きてりゃ上等じゃねーか」

一緒に階段を下りて、万事屋の下のスナックに顔を出すと、家政婦型機械人形の芙蓉が店の掃除をしていた。

「たま。ババーいるか?」

「おはようございます、銀時様。お登勢様なら奥でお休みですが……呼んで参りましょうか?」

たかがオタマジャクシ一匹のために、わざわざ叩き起こすのも申し訳ないなとは思ったが、隣にいる神楽のことを思うと「頼むわ」としか言えなかった。
芙蓉がカウンターの奥に引っ込み、少しく待つと、化粧もせず髷も崩れた凄まじい面相のお登勢が、生あくびをかみ殺しながら「なんだイ、家賃持って来たのかイ」と言いながら出て来た。

「いや、家賃はまだ」

「んだとコラ。いい加減に払って貰わないと困るよ。なんだったらそのドンヨリした目玉か腎臓、売り払って来いやコラ……で、家賃じゃないとすると、何だい。人を叩き起こして」

家賃かもしれないと思って、熟睡していたところを這い出して来たのだろう。
途端に不機嫌になり、懐を探って煙草を引っ張り出す。その姿をみていると、日頃のババーはババーなりに見た目着飾って、見れるように頑張ってたんだなと、妙に感心する。スッピンで顔をしかめている姿は、むしろジジーと呼びたくなるほどだ。

「あー…その、金魚鉢かなんか、あったら借りてぇんだけど」

「金魚鉢ィ?」

「コレ、拾ったの。キンタマカクシ、生きてるアル」

お登勢は状況を飲み込めずに神楽と銀時を何度か見比べていたが、やがて「金魚なんて買ったことないがねぇ」とぶつくさ言いながらも、カウンターの奥に引っ込んだ。

「これだったら使ってもいいよ。引き出物か何かで貰ったヤツでさ。何枚かあればフルーツの盛り合わせにでも使えるったって、一枚しかないから店じゃ使えないし、かといって自分で使うようなサイズでもないしね」

そう言いながら持って来たのは、一抱えほどもあるサイズのガラス鉢であった。

「おう、十分、十分」

「ソレ、飼うのかい。飼うんだったら、水道水は使っちゃダメだよ。カルキで死ぬからね」

「そうアルカ? なんの水使ったらいいアルか?」

「汲み置きの水とか……でも、すぐに要りそうだね。だったら、とりあえず池か川から汲んで来たらどうだい?」

「オイオイ、勘弁してくれよ、こんな朝っぱらに叩き起こされてクソババーのスッピン拝むだけでも拷問だってーのに、さらに池にまで遠征って、なんの罰ゲーム?」

銀時は心底うんざりした顔をしたが、神楽は「銀ちゃん、行くアル!」とやたらと乗り気だ。

「水道水でもいいじゃねーか、どーせすぐ死ぬんだし……ってゆーか、池にまで行くんだったら、いっそ、そのオタマジャクシ、死骸ごと流して自然に返そうぜ」

「イヤアル。せっかく生き延びたのに、魚とか食べられたら可哀想アル」

「いや、いいんだよ、それで。生きとし生けるもの、これ全て大自然の営みだからね。死ぬも生きるも運命、食われても、その犠牲が一つの命を養うってことだからね。いわば命のリレーだからね。可哀想とかそういうモンじゃなくて、よ」

「銀ちゃん、なんとかしてやるって言ってくれたアル」

「あー……言ったな」

安請け合いなんかするもんじゃないなと心底後悔している銀時の目の前に、ヌッとバケツが突き出された。

「水汲んでくるんだろ。とりあえず、これ使いな」

お登勢はそう言ってバケツを銀時に渡すと「じゃあ、あたしゃ寝直すから」と言いながら、奥の部屋に戻ってしまった。

「ち、便所掃除のバケツじゃねーのか、コレ」

「お掃除のバケツでしたら、清掃後に私が洗っていますから、清潔です」

芙蓉がそう言うのを「いや、おめぇが洗ってんなら手抜きもしねぇだろうし清潔かもしれねぇが、そういう問題じゃなくて」などと、歯切れ悪くごにょごにょ呟く。

「私の仕事が不完全ということでしょうか? 雑菌の付着率は基準値をクリアしているとセンサーでは感知できますが……もう一度、洗いましょうか」

「いや、その、心理的にね。精神的な問題だから、実際に汚れてるとかバイキンがどーのこーのじゃねぇから。オメェを責めてる訳じゃねーよ」

「本当ですか?」

芙蓉の大きな目でじっと見上げられて、銀時は年甲斐もなく、しかも相手はただの人形だと分かってはいても、ついドギマギしてしまう。

「あー…ホント、ホント。オメェはいつもよくやってくれてるさ」

そう言いながら、つり込まれるように手が出かかったところで「何してるアルカ。ホラ、銀ちゃん、行くヨ」「おはようございます。アレ、朝から淫行ですか、銀さん」と、ムードぶち壊しの声がかかった。



ガラス鉢とコップを新八に預けて、水汲みに行く。
近くの大きな川が一番近いが、下水などが流れ込んで汚染されていそうだからと、魚釣りに行ったこともある池に向かった。一時は開発されてゴルフ場になる予定だったが、河童の呪いがどうとかいうことで再び売りに出されたものの買い手がつかず、そのままになっている。

「お。カッパのオッサン。久しぶり」

池のほとりでキュウリをかじっている、緑色の皮膚をした人物を見かけて、銀時が声をかけた。

「カッパじゃねぇ、海老名ってぇんだ……なんだ、アンタらか。また釣りか?」

「いや、水だけちぃと汲ませて貰いに」

「水? なんでまた」

「なんでっていうかなぁ。コイツがオタマジャクシを飼うっていうからよ」

銀時がそう言いながら、バケツいっぱいに池の水を汲む。

「降って来たアル」

神楽がそう補足すると、海老名は牛乳瓶の底のような眼鏡の下の目をすがめて「降って来た? ファフロツキーズ現象かい」とつぶやいた。

「え? 何、風呂付き現象?」

「最近、ちょくちょくあるらしいね。空から何か降ってくるってぇのが。大体が、鳥がこぼしたり、竜巻が運んで来たりするのが原因だが……船からの落とし物もあるらしい」

「詳しいね。アンタ、この池からほとんど出歩かないんだろうがよ」

「天人には天人のネットワークってぇのがあるのさ。それに伊達に長生きもしてない」

「ま、どっから降ってこようと何だろうと、オタマジャクシはカエルの子、だ。誰が落としたのかなんて、知ったこっちゃねぇや。水、あんがとよ」

「おう。水草もついでに持ってけや」

海老名が水かきのある手をヒラヒラと振り、神楽が「バイバーイ」と無邪気に返す。

「おい、オメェの方が力あんだから、テメーがバケツ持てや、バケツ」

「イヤアル。レディーファーストアル」

「だったら、何しについてきたんだよ」

文句を言いながらも運んでやるあたり、つくづく銀時も人がいい。



万事屋に戻って、ガラス鉢に池の水と、水草を放つ。

「キンタマ、私が水槽に入れてあげルヨ!」

「オメェは握り潰すからダメだ。新八、やってやれ」

「なんで僕が」

文句を言いながらも、新八はコップを傾けると、上澄みの方に半ば腹を見せて浮かび上がっていたオタマジャクシを手の平にすくい上げた。ガラス鉢に放されると、驚いたようにぶるぶると体を震わせる。

「餌はどうするんですか? 僕も小さい頃飼ったことあるけど、パンとかニボシとか食べますよね」

「そんなもん入れたら、あっという間に水が腐るだろ。水草があるから、これ食って育つさ……さて、神楽、あとは死骸の始末してこい。おめぇ、前にもフンコロガシの死骸埋めてたろうがよ」

「定春二号のことアルか? あのドSのせいで、定春二号、死んじゃったアル」

「いや、おめーが握りつぶしたんだろ。ソイツの隣にでも埋めて来い」

思い出したのかしんみりしかけた神楽だったが「そうアルな、定春二号の隣なら、この子達も寂しくないアル」と、顔を輝かせると、物置からスコップを引っ張りだして来た。

「じゃ、行ってくるアル」

「へいへい、いってらっしゃい」

怒濤のように、神楽が出て行った。
呆然と見送る銀時と新八とは裏腹に、新しい環境が気に入ったのか、オタマジャクシは元気よく泳ぎ出していた。




神楽がオタマジャクシのガラス鉢の前に寝転び、頬杖をつきながらジッと眺めている微笑ましい様子に、新八は「嬉しそうですね」と呟いて、苦笑いした。

「どうせ二、三日もしたら、飽きて忘れるって」

「そんなことないでしょう」

「いいや、あるね。定春の世話だって、結局俺がしてるもん。アタシが面倒見るアルーとか言って、口だけだもん。結局、オカーサンがするはめになるんだから、そうなるってオカーサン分かってたもん……って、アレ、俺オカーサン? もしかして俺、今流行の男の娘?」

「いや、違うと思います」

ボソッとツッコみを入れてから、新八も神楽の隣に膝をついた。

「オタマジャクシ、元気になって良かったね。名前とか、つけたの?」

「ジャスアント=弁慶」

「え?」

「定春二号みたいな悲劇を繰り返さないように、ごっさ強そうな名前つけてみたヨ」

「まぁ、確かに弁慶って名前は強そうだけど」

「弁慶じゃないヨ。ジャスアント=弁慶。ねぇ、ジャスアント=弁慶?」

銀時が、どっこいしょと声をかけながら腰をあげて、二人の頭越しにガラス鉢を覗き込む。

「オタマジャクシなんだから、タマキンでいいじゃねーか。タマキンで」

「いや、タマキンって銀さん、神楽ちゃんがタマキン連呼したらマズイでしょう」

「じゃあ、オタマジャクソン」

「それなんてマイケル!」

「銀ちゃん、タマだったら、たまとキャラかぶってるヨ。キャラがかぶってたらダメだって、ヅラも言ってたよ」

「いや、アイツが柳生の娘や月詠をライバル視してるのは、キャラかぶりっていうよりは被害妄想の域だからな。アイツほどのバカにかぶろうったって、そうそうかぶれるもんじゃねぇ。まぁ確かに、たまと紛らわしいのも困るか。でも、ジャスアントってオメーのゲームキャラじゃなかったか?」

「あ。そうだった。ジャスアントといえば、哀しき宿命を背負った狂戦士、カグーラ=ジャスアントのことネ。この子には幸せになってもらいたいから、ヴォルフガン坊=弁慶=アマデウスに改名するアル」

どこをどういう理屈で「ヴォルフガン坊=弁慶=アマデウス」だったら幸せになれるのか全く理解できないが、神楽なりに真剣に考えた結果らしい。

「んだよ、めんどくせー名前だな。オタマジャクソン高畑君でよくね? 高畑君でよくね?」

「いや、銀さんのネーミングセンスも変だから」

当のご本尊はまったく意に介さず、ひよひよと泳ぎ回ったかと思えば、水草に寄りかかって休んだりしている。


某SNS内先行公開:2010年06月17日
サイト収録:同年09月13日
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