白雲に羽うち交はし飛ぶ物怪の/上


「山崎はどうした、山崎は」

「どうしやした土方さン、痔ですかイ。ボラノギールでもきらしたんですかイ」

「誰が痔だ」

イラッとした口調で吐き捨てるや、ガラス製の灰皿が飛んで来た。もちろん、そんなものを顔面で受け止めるような間抜けな沖田ではない。軽く首を傾けると、灰皿は吸い殻をまき散らしながら、障子を突き破って中庭へ落ちていった。

「山崎は、どっかでミントンしてんじゃねぇんですかい、ミントン」

今度はコーヒーカップやら硯やらが投げ付けられた。コーヒーや墨汁が飛び散って室内は酷い有り様になるが、副長室がどうなろうと、沖田の知ったことではない。

「ちっ。山崎呼んで来い、山崎」

「畳でも拭かせるんですかい? アンタが自分で汚したんでやんしょうが」

「いいから、呼んで来い」

別にあんな地味な奴、居ても居なくてもいいだろうにと呆れるが、山崎の代わりに掃除をしてやるつもりは無い。

「どこに居るか、なんて知りませんぜ」

「いいから、つべこべ言わずに捜して来い! 多分、あのハゲ……いや、その……十番隊の詰め所だ!」

「なんだ。捜すも何も、居場所が分かってんだったら、土方さんが自分で行きゃいいのに」

「うるせぇ」

言葉に詰まって、今にも鯉口を切りそうな土方の形相に、沖田は「おお、こわ」とおどけてみせながら、縁側へと逃げ出した。






十番隊といえば、スキンヘッドが特徴的な原田右之助が隊長だ。伊予の生まれとはいえ、若い頃に武州に流れついた『武州組』の男なので、永倉、井上と並んで、沖田にとっても古いつきあいになる。いや、土方だって、勤務をサボって一緒に『えいりあんVSやくざ』の映画を見に行っていたぐらいだから、決して仲が悪くはない。

「原田さーん。バカ犬、来てますーう?」

詰め所に顔を出すと、豪快な巨漢の隊長とは対照的な、神経質そうな痩身の副官が振り向いた。とても性格的に合いそうになかろうと他人事ながら心配になるが、案外、こういう凸凹コンビの方が、お互いに無いものを補完しあってうまくいくのだろう。

「ああ、沖田隊長。山崎君なら来ていますよ」

隊長の代わりにまとめているらしい資料の山を整理しながら、副官はバカ犬呼ばわりをしれっとスルーして、筆を握ったままの手で奥を差した。

「私は忙しくてお茶も差し上げられませんが、どうぞ」

「十番隊でそんなレポートに追われるようなデカいヤマ、ありやしたっけ? うちじゃあんめぇし、始末書でもないでやんしょうし」

沖田率いる一番隊では、詰め所が埋まるほどの始末書の処理に追われることがしばしばあるが、有能な副官に恵まれている十番隊での始末書地獄は、聞いたことがない。

「奥を見たら、分かりますよ」

副官はそう言うと、視線を書類に落とした。
沖田は首を傾げながら「じゃ、お邪魔しまーす」と、奥の座敷へと上がり込んだ。





「おーい、バカ犬ぅ……って、なんだァ?」

大抵の物事には動じない自信がある沖田だが、さすがに今回は口がぽかんと開いた。十畳はある板の間には確かに原田と山崎が居たが、それだけではない。

地球上の生き物とは思われない白いもこもこした生き物が何体も転がっている。一尺(約30センチ)ほどの大きさで、アザラシにも似ているが、後肢は無い。また、大きな袋の中にも何かが詰められているのか、中でうごうごと暴れながら、きゅーきゅーと甲高い声で鳴き喚いてるようだ。

「ああ、沖田隊長」

「何ですかイ、コレ」

ぽてぽてと歩み寄って来た愛らしい生き物に、サディスティック王子の沖田は、躊躇なく踵落としをキメる。ぐにゅっとした手応えがしてあっけなく潰れるが、それは身体をアメーバ状に分裂させたかと思うと、みるみる二匹に殖えた。

「げぇっ、何ですかイ、コレ」

「切っても叩いても、そうなるんだよ」

「水に漬けて溺死させようとすると、水を吸って膨らむし、火や酸で殺そうとしても、小さな『核』が燃え残って、これがまた水に触れると、元に戻っちゃうんですよ」

「なんでイ。動物虐待実験?」

興味をそそられて、沖田もふたりの間に座り込む。
すり寄って来た生き物を捕まえて、中途半端に引き裂き、双頭の個体をつくり出す。それをさらに弄くっているうちに、みるみる、頭ばかり七つも八つもある奇形を造り出してしまうあたり、さすが真性のドSだ。

「どうにかしねぇと、この江戸中がこの化け物で埋め尽くされるだろ。別に毒もねぇし噛みつくわけでもねぇとはいえ、こう簡単に増殖しちゃ、うっとぉしくて仕方ねぇ」

「はァ。また、央国星のバカ皇子が持ち込んだんですかイ?」

動物好きの皇子は、その地位と財力にものを言わせて、珍しい動物を集めるのが趣味だ。いつぞやも宇宙ゴキブリに『五郎』と名前をつけて連れ込んだ挙げ句、うっかり逃がしたとかで江戸中に三、四尺はあろうかという巨大ゴキブリが繁殖し、街全体がパニックに陥ったものだ。

「最初はそう考えて、央国星の大使館に連絡してみたんですが、どうも違うようです。代わりに、これが降って来たのと同時刻に、赤っぽい屋形船に似た飛行船を見たという証言がいくつかありまして」

沖田の腕の中でのたうっている奇形個体に顔をしかめながらも、山崎が律儀に説明する。

「赤い船? まさか、高杉?」

沖田の形の良い眉がぴくりと動く。原田に視線をやると、同じことに思い当たっているのか、頷いた。

「もし、これが鬼兵隊の投下したものだとすれば、何かの罠かもしれねぇからな。で、監察方とうちの隊が出張って、できる限り回収して来たってワケだ」

「なるほど。で、ハゲと地味とで額突き合わせて、対応策を考え込んでたって訳ですかイ」

そういうことなら、山崎が副長室に顔を出すヒマが無いというのも納得が行く。
だが、その誤解を親切に解いてやるような沖田でもない。

「で、俺になんか用だったんですか、沖田隊長。副長が、煙草きらしたから買って来いとか?」

そう尋ねられて、口元に綻ぶような笑顔を浮かべると「いんや、なんでもねぇ。ボラノギールは自分で買いに行くから、当分は副長室にツラださなくてもいいって、土方さんから伝言を預かったんでイ」と、答えていた。





沖田が副長室に戻ると、土方がふて腐れた態度で自分が汚した畳を拭いているところであった。

「山崎はどうした、山崎は。畜生、シミが取れねぇじゃねぇか」

「畳の汚れはどうしようもねぇんじゃないですかイ? いっそ張り替えた方がよござんすよ」

「そんなのはどうでもいいんだ。山崎はどうした」

「畳屋、呼びやしょうか? 張り替えシーズンでもないから、安くつくかもしれませんぜ」

「いいから、山崎は」

「ああ、ついでに参謀室の畳も張り替えて貰いやしょうかね。あそこ、伊東先生が餌付けするもんだから、野良猫が居着いて畳だの柱だの、ボロボロで……」

「だから、山崎ッ!」

癇癪を起こした土方が、濡れ雑巾を投げ付けるが、今度も沖田にヒットすることはなく、障子にぶつかって唐紙をべろりと剥きながら畳に落ちる。

「なんですかイ、山崎山崎山崎山崎山崎山崎山崎山崎山崎山崎山崎山崎と。そんなにアレが居なくてケツが寂しいんですかイ? あーあ、学習能力のねぇお人だ。こりゃ、障子も張り替えですねぇ。畳屋じゃなくて、工務店を呼んだ方がよさそうだイ」

「テメェ、十番隊の詰め所に行ったんだろうが」

カッとして汚水入りのバケツを掴んだ土方であったが、学習能力が無いと言われて、さすがにその中身をブチまけることは思いとどまったようだ。

「行きやしたよ」

「で? 山崎は」

「居ましたよ」

「それで、なんで山崎がここに来ねぇんだ」

「さぁ? 何かってゆーとすぐ虐待したりコキ使ったりする鬼上司よりも、心安い相手んとこの方が、居心地がいいんでやんしょ? あんまりカリカリすると、痔が悪化しますぜ」

土方の表情が強張るのを見て、沖田は口元が緩みそうになるのを必死で堪える。
まったく、なんてぇ分かりやすい人なんだか。

「土方さん、アンタ、もよおしてるんだったら、俺が手伝いやしょうか? 亀甲縛りでもローソク責めでも尿道プレイでも、なんでもおつき合いしやすぜ? スカトロは苦手だから浣腸はちぃと遠慮してぇが、土方さんがそういう特殊性癖の持ち主なら、俺も頑張りまさぁ。牛乳とコーヒーとどっちが良ござんすかイ?」

「そんな性癖なんかねぇわ、ボケ! おおよそ要らねぇ!」

「もよおしてる、のは否定しないんですねぇ」

「なっ……!」

まんまと口車に乗せられた土方は、完全にパニックに陥って酸欠の金魚のように口をパクパクさせるしかできない。

「まぁ、朝っぱらから寝覚めの一服に朝食のマヨと食後のコーヒーを調達させて、仕事中は使い走りにミントンさぼりの折檻、昼飯のマヨに食後の一服と、アンタの生活は山崎無しには回りませんものねぇ」

「そっ、その、当たり前だろーが。アレは副長助勤、いわば俺の直属の部下なんだからよ」

「なるほど、役職を利用してのパワハラにセクハラってことですねイ」

「いや、だから、そんなんじゃねぇよ」

深呼吸ひとつすると、土方はようやく気を取り直したらしく、懐を探って紙煙草の箱を取り出した。くしゃくしゃに握り潰されているその箱から、最後の一本を引っぱりだしてマヨネーズボトルを模したライターで火をつける。

「じゃあ、どんなん?」

「てめーにゃ関係ねーよ。いいから、山崎見かけたら、引きずって来い」

「なんでイ、山崎山崎と」

沖田も次第に不機嫌な表情になる。桜色の頬を膨らませていたが、ふいっと部屋を出ていってしまった。入れ代わりに顔を出したのは、近藤だ。

「どうしたよ、トシ。総悟と喧嘩でもしたのか? アレはまだガキなんだから、オマエの方でオトナにならねぇと。同レベルで張り合うんじゃねぇって、いつもいつも言ってるだろうが……なんだ、ひでぇ有り様だな」

「ああ、別にあのサド王子と喧嘩した訳じゃねぇから、心配しないでくれ」

さすがに近藤相手では気まずいのか、土方は歯切れ悪い口調で、この室内の惨状を弁解する。

「じゃあ、どうしたんだ、これは」

「いや、その。なんでもねぇ。で、山崎に掃除を手伝わせようと思ってんだが……近藤さん、あのバカ見かけなかったか?」

「さぁ。どっかでミントンでもしてんじゃねぇのか? それはそうと、鬼兵隊と思われる船を見たって通報があったって、見回り組から連絡があったんだが。監察あたりから情報入ってねぇか?」

「なんだって? そんな報告、あがってきてねぇぞ。あのバカッ!」

土方が血相を変えて、電話に飛びつく。

「なんだ、携帯にかけてなかったのか。用事があるんだったら、デンワかけりゃ良かったのによ」

「なんで俺からわざわざアイツに……それに、そこまでの用事じゃなかったんだよ」

そんな言い訳をしながら、短縮ダイヤルに入っている山崎の番号を呼び出す……と、押し入れから妙に陽気な着信音が響き渡った。

「はぁ?」

受話器を握ったまま固まってしまった土方の代わりに、近藤が押し入れに歩み寄って、一気にふすまを開く。その勢いで、ぽろりと布団に挟まっていたらしい携帯電話が床に落ちた。

「なんだ、昨夜、一緒に寝てたのか?」

「ち、ちげーよっ!」

「まぁ、夜遅くまで缶コーヒー買いにパシらせたりとかしてるもんな。そんときに落としたか? コキ使うのも程々にしてやれよ、トシ?」

近藤はあまり深く追及せずに、拾い上げた携帯電話を土方に渡してやると「じゃあ、俺ァ詳しい話を聞きに、見回り組の佐々木組長んとこに行ってくるから、後は頼んだぞ」と言い残して出ていった。






どうしても正体が掴めない生き物であるうえに処分の方法に困ったが、これ以上ぐだぐだしていても仕方ない。生きて動いているのをとりあえず袋詰めしたうえで、鬼兵隊関連の情報だけでもまとめて(正確に言うと、十番隊副官がまとめてくれたものを)、副長室に持っていこうとしたところで、再びひょっこり沖田が十番隊詰め所に顔を出した。

「俺が持っていきやしょう」

「え、いや、これは監察の俺の仕事っすから」

「書類を持っていくだけなら、子供の使いでもできまさぁ。オメェはもっと大切な任務につかねぇと。そうだ、原田さんと一緒に市中見回りにでも行きなせぇ。まだ、あの白いのんが残っているかもしれねぇし」

「市中見回りなら、十番隊の隊士が行ってくれてますけど」

「いいから、つべこべ言いなさんな」

沖田は、山崎から力づくで書類を取り上げると、原田の方へと押しやった。

「そうだな、監察方の目からみたら、俺らでは見落としてるのも見つけられるかもしれねぇしな」

原田は素直に納得して頷くと、副官に支度をしてくれるように言い付けた。

「見回りついでに、副長にボラノギール、買って来てあげた方がいいんですかねぇ?」

先ほど沖田の吹いたホラが脳裏に引っ掛かっていたのか、山崎がそんなことを呟きながら首を傾げる。

「ああ、そうだ。牛乳浣腸の方がいいって」

「はぁ? マジで、副長がそんなことを仰っていたんですか?」

山崎と原田が顔を見合わせるが、沖田は自信満々の表情で「ええ。大マジで」と答えていた。






副長室に戻る途中の廊下で、沖田は土方にばったりと逢った。
どうやら、おとなしく副長室で山崎が来るのを待っていることに、ついに耐え切れなくなったらしい。

「どうしましたイ。ケツが疼いて座ってられなくなりましたかイ?」

「なにがケツだ。あのアホ、鬼兵隊が江戸に出没したってぇのに、報告ひとつ上げやがらねぇで」

沖田を押し退けて通り過ぎようとする土方の背中に「山崎なら、出て行きやしたぜ」と、投げかける。振り向いた土方の瞳孔は、逆上のあまりに全開状態であった。

「んだとぉ?」

「原田隊長と一緒に」

「んなっ……!」

「で、これ、山崎からの鬼兵隊の報告書」

土方に分厚い封筒を差し出す。

「なんで、山崎が直接持ってこねぇ」

「これを手渡すだけなら、別にアイツでなくてもいいでしょ」

この報告書を受け取って仕事モードに入るべきか、あくまで山崎を引きずってくるべきか。近藤が出ていったのだから、自分は屯所に残るべきだろうということも、理屈としては理解していた。それでも、ここで引き下がるのは釈然としない……と、土方の内面の葛藤を反映して、その表情がくるくると変わった。
沖田はそれを、嬲るような視線で見据える。

「副長室に置いておけ。後で読む」

迷った挙げ句に、そう告げた。

「なんですかイ。鬼兵隊のことよりも、山崎優先?」

「ちげーよ」

どこが違うんだと言いたいところだったが、土方はそれには答えず、そのままズカズカと立ち去ってしまった。沖田は「なんでイ」と拗ねて、その封筒を中庭の池に放り捨てようとした。辛うじてその衝動を押さえ込んだのは、あくまでも土方の命令を容れたということではなく、鬼兵隊絡みの案件の重要性を、沖田自身も十分に理解していたからに過ぎない。せめてもの嫌がらせに、沖田は医務室に立ち寄った。






原田と一緒にどこに行ったというのか。
まったく心当たりが無かった土方は、とりあえず十番隊詰め所に立ち寄った。留守居をしている副官なら、何か知っているだろうと考えたのだ。生真面目そうな副官は、提出したばかりの報告書に不備でもあったかと一瞬、緊張した面持ちであったが、用件を聞いて「ああ」と気の抜けた声を出した。

「アダルトショップだと思いますよ。買い物に行くといってましたから……ここから一番近いところとなると、かぶき町方面でしょうかね」

「はぁ!? その、原田君と一緒に、か」

「ええ。ああいうモノは、普通の店ではちょっと置いてないでしょうから、多分、その手の店じゃないと」

「ああいうモノって……!」

あいつらってば、そういう仲なのか?
土方は目の前が真っ白になるのを感じる。ただの親友ぐらいに思っていたが、いつの間にそういう仲になったんだ? そういえばさっき、総悟も言ってたっけ「何かってゆーとすぐ虐待したりコキ使ったりする鬼上司よりも、心安い相手んとこの方が、居心地がいいんでやんしょ?」って。

茫然としている土方に、副官がシレッと「もし、お捜しに行かれるんでしたら、これ、近所のアダルトショップの住所と連絡先。ご参考までに」と、検索した結果をプリントアウトした紙切れを手渡した。


某SNS内先行公開:2008年10月03日
サイト収録:同月11日
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