雀百まで踊り忘れず産屋の癖は八十までお母さんのカレーは死ぬまで大好き/5


「社長」

呼び掛けられて、坂本は我に返った。
決済待ちの伝票やら、売買契約書、見積もり書などが山積みになっているのが視界に戻る。どうやらデスクワーク中に、印鑑を握りながら眠ってしまっていたらしい。机の傍らで仁王立ちしていたのは、攘夷時代からの同志で、今は坂本の商いの手助けをしている中岡端太郎であった。

「なんじゃ、寝言でも言うてたんかな、ワシ?」

顎を伝っていたヨダレを手の甲で拭う。
そういえば、夢を見ていた気がする。宇宙に出る前のこと。狭い地球を這いずり回って、血みどろの白兵戦に明け暮れていた昔の頃の。

「実は、あのワスグレサの件ですが、多少厄介なことになりまして」

「厄介なこと? しばらくしたら元に戻るんじゃろ。後遺症も少ないと。なんぞ、遊園地にでも行ってるらしいから、楽しい思い出ができて良いじゃろ」

小さな銀時は可愛らしくて、もう少し愛でていたい気持ちはあったが、仕事の都合上、坂本の船はもう、地球を離れようとしている。

「飲んだ本人はどうでもいいです。その、あの薬には妙な利権が絡んでいるらしい、ということは報告していましたよね?」

「ああ、幕府の一部がどーのこーの言うちょるやつじゃな」

「自分、どうやらヘマをしたようでして」

中岡の緊張した表情に何を感じたか、坂本が立ち上がった。へらりとした顔をぶら下げたまま、内線電話を取り上げて、まるでコーヒーブレイクの一杯をねだるような口調で「陸奥、どこの船に尾行けられちょる?」と尋ねる。

「片目のじゃ」

答える陸奥の声も、どこか緊迫感を欠いていた。





閉園半刻前、打ち合わせ通りに続々と皆が社員食堂に戻ってきた。

「成果は無しか?」

土方が着ぐるみ姿のまま、壁にもたれて煙草をふかしている。その傍らには、晴太がいた。先ほど、晴太が見かけた不審な団体は、実は客に扮した隊士であったのだ。確かに目つきの悪い大男らが、徒党を組んでウロウロしていたら、怪しく見えても仕方ないだろう。増してや帯刀していたのだから、晴太が勘違いしたのも無理はない。
月詠が真っ青な顔で食堂に飛び込んできたので、土方は晴太を彼女に見えるように押しやった。月詠は安堵のあまりかへなへなと座り込み、晴太が逆に「はぐれちゃって、心配かけてゴメンね、大丈夫だから」と、その肩を軽く叩く。
土方はハンと軽く鼻を鳴らし、ふたりから目を逸らした。そこに「副長」と、ドレイモン姿の原田が声をかける。

「フードパークエリアの隅で、ゴミ箱を漁っていた不審な男はいました。こやつ、職務質問に答えないものだから、念のために連れてきました」

そういうと原田は、ドレイモンの妹・マゾミちゃんの扮装をしている副官に「連れて来い」と顎をしゃくる。マゾミ副官に連れてこられたのは、レンズが割れたサングラス姿の、三十代後半ぐらいの男であった。

「名前と住所を言って身分証明書を出せば即、放り出すんですがね。攘夷志士が潜んでいるかもしれないという状況で名前すら黙秘では、釈放するわけにもいかなくて、困っているんです」

マゾミ副官の説明を聞きながら、土方がチラリとその男を見やる。その表情に「おや?」というものが混じった。どこかで見た覚えがあるような気がする。だが、その記憶は非常に場違いなものだ。

「近藤さん、こいつ……ちげぇよな?」

この顎髭といい、サングラスといい、入国管理局の前局長に似ているような気がして仕方ない。もちろん、記憶にある姿よりもやつれ、遥かにみすぼらしい格好ではあるが。セクションが違えども局長クラス同士には多少の交流もあることから、土方は近藤にいわば「面通し」を頼んだ形になる。近藤はその男を見て「あ」と小さく声を漏らした。

「知ってるのか、近藤さん」

「ああ、まぁ、知ってるというか、な。パイしてやれ」

「一応、不審人物として拘束して、職務質問に答えないという科でしょっぴいてるんだ。氏名だけでも知ってるなら、教えてやってくれねぇか?」

男が、近藤を拝むように両手を合わせていた。それをちらりと見やった近藤は、あらためて「局長権限だ、パイしてやれ」と繰り返す。

「俺の知ってるヤツだ。トシも直接じゃねぇが、会ったことがある筈だ。ほれ、伝説のM」

「なんとかハンターだかいうネトゲーに、そういうハンドルのプレイヤーが確かにいたのは覚えてるが、リアルのツラは見てねぇし、ハンドルネームじゃ調書は書けねぇよ。近藤さん、そいつ知ってるのか?」

「えーと。その、本名は知らねぇということにしておいてやるのが、ネチケットだ」

近藤が必死でフォローをし、土方はいまいち釈然としないながらも「近藤さんの知り合いだそうだ。釈放(パイ)だとよ」と、マゾミ副官にそう告げた。
手錠を外された男が、己の手首をさすりながら廊下に出ると、近藤がその背を追う。

「すまねぇな、長谷川さん。捜査網を敷いてたんだ」

そう囁いて、マダオこと長谷川泰三の肩を叩く。記憶にあるよりもやつれ果てて、頼りない手応えだった。今でこそ『丸でダメな男』のダメ称号を背負ったホームレスだが、彼もかつては幕府の重鎮・入国管理局の局長だったのだ。

「こっちこそ助かった。こんなに落ちぶれてしまったら、昔のことは、なるべく蒸し返したくねぇんだよ」

ましてや、ゴミ箱を漁っている時に、職務質問されただなんて。

「その、良かったら、とっておいてくれ」

近藤がそう呟いて、札入れから一万円札を一枚引っ張り出すと、手早く二つ折りに畳んで長谷川の胸ポケットに差し込む。かえってプライドを傷つけるだろうかと危ぶんだが、長谷川は「すまねぇ、助かる」と、高官だった頃には想像もできなかった下卑た笑いを浮かべて、あっさりと受け取った。



その他の『成果』についても、大体似たり寄ったりであった。痴漢一名、盗撮ニ名検挙、カップルの大喧嘩の仲裁と迷子の保護……だが、これらは本来、パーク内の警備員の仕事だ。

「こらぁ、ガセだったかな。まぁ、こんな目立つところに分かりやすい悪党なんざ潜んでる訳ねぇんだろうし。監察方の報告を聞かねぇと百パーセントとは言えねぇがな」

土方がそうつぶやくと「悪い人、いたよ?」という声がした。

「なんだ万事屋。どこで見た?」

「そこ」

小さな指先は素波園長を指している。土方は間髪をいれず、その脳天に拳骨を振り下ろした。

「こりんやっちゃな、テメェは。これだからガキは」

「いってぇ! ホントなのに!」

「トシ、やめてやれ。こんな小さな子供相手に。総悟がちっこい時だってそうだったが、オメェは少しは手加減というものを覚えろ……ほれ、こんなコブができちまって」

長谷川を送って戻ってきた近藤が、さっそく見咎めて、大きな掌で銀時の頭を撫でてやった。銀時は一瞬ギョッとして、その手から逃れようとする。

「ん? どうした?」

「おっきなオトコのひとは、らんぼうだからキライ」

「あー…そうかそうか、トシがぶん殴ったりしたからな。怖かったのか? ゴメンな。痛かったろ」

近藤はしゃがみ込んで視線を合わせると、ニッと笑ってみせた。

「俺が代わりに謝ってやるから、トシのことは許してやれ。仕事でカリカリしてるんだ」

まだ怯えたように身をすくめていた銀時だったが、やがて警戒を解いたのかこっくりと頷き、近藤は犬にでもするように「よしよし、いい子だいい子だ」と囁いて、ぐしゃぐしゃと頭を撫で回した。

「近藤さん、万事屋なんか甘やかしても、タメになんねぇぜ」

土方がその様子に呆れたように呟き、一連のやりとりを無表情に眺めていた沖田は、ふらりと銀時に近づくと、やおら細い足を振り上げ、ブーツを履いた踵をその小さな頭にハンマーのごとく振り下ろした。拳とは比較にならないほどの衝撃に、小さな身体は床にのめり込みそうな勢いで叩きつけられる。

「そっ……そぉおおおごくんんっっ!?」

「近藤さんが旦那可愛がってるの見てたら、なんかムカつきやした。近藤さん、俺の分も謝っといてくだせぇ」

「ええええ? そんな理由ぅうううう!? ちょ、トシっ! おめぇの教育が悪いからっ!」

「んなもん、近藤さんが総悟を甘やかし過ぎた結果だろ」

近藤がうろたえていると、銀時は「やっぱりキライ」とべそをかいて逃げ出し、芙蓉の側に駆け戻るとその腰に抱きついた。エプロンに顔を埋めると、芙蓉がコブだらけの小さな頭を撫でてやる。

「それはそうと、あのバカ、遅いな。アイツまさか、フリチン姿でミントンなんかしてねぇだろうな」

土方がふと呟き、未だにドレイモン姿の原田が「俺がザキちゃん、探してこようか?」と声をかける。それを見て、土方は自分もまだペカチューの格好をしていることに気づいた。

「とりあえず今日は皆、もう着替えてよし。女子供は……閉園まで適当に遊んでろ」

そう指示しながら、土方は『そういえば眼鏡とチャイナが見当たらないな』と、内心気付いていた。だが、あえて口に出してまで、彼らがどこに居るかを尋ねることはしなかった。





「高杉様、良いニュースと悪いニュースがございます」

武市変平太がのっぺりとした面をぶら下げて、鬼兵隊の首領・高杉晋助の自室を訪れた。高杉は着物の裾が乱れるのも構わず着流し姿であぐらをかいて、煙管を弄んでいた。返事をするのも物憂そうに、隻眼の視線を流してよこす。

「良いニュースとは、匿われていた同志が無事に脱出したとのこと。悪いニュースは……ワスグレサの荷を抜いた不心得者を追っていた河上殿の報告によると、どうやら快援隊の一員だったとのことで」

高杉のこめかみが、ぴくりと神経質に引きつった。
『快援隊』はいわば一介の商船でしかなく、鬼兵隊とは直接の利害関係はまったく無いが、その首領はかつての戦友の一人、坂本辰馬だ。完全に袂を分った形の桂小太郎、坂田銀時とは若干、事情が違う。だが、地球を捨てて早々に宇宙に出た坂本と、未だにあの戦争に拘っている自分とは相容れる訳がない。率直な感想を述べれば『関わりたくない』。

「で?」

「捕まりました」

当たり前だ。海賊が跋扈している外洋を渡って商う船は、ただでさえ各々自衛のために武装しているのだ。資金の潤沢な坂本の船にどれほどの火器が積まれていることか。河上は個人的な剣術の腕は大したものだが、全体の戦局を見通す能力は無いようだ。いつぞやの伊東のクーデターの際も個人的な感情を優先したために詰めが甘くなり、真選組を壊滅させるには至らなかったのだ。
高杉の反応を見せないことにじれたか、武市が「どういたしましょう」と畳み掛ける。

「捨てておけ」

「そうですか。返してくれるとのことなんですが」

「だったら、勝手にしろ」

「高杉様とお会いできれば、との条件付きで」

高杉が煙管を力任せに灰皿に叩き付けると、ボキリと音がして竹製の羅宇が折れ、雁首が落ちた。武市は、その高杉の癇癪を「これがドジっこというものですね」と思いつつも、あえて見て見ぬふりする。

「アレは面倒だ」

「もう来ているようですよ」

だったら最初から「どういたしましょう」なんて尋ねるんじゃねぇと、喚き散らしたいところをグッと堪える。既に手筈が整っていると告げたら告げたで、俺に指図するなとキレるところだ。武市はさすがは年の功で、その辺りのギリギリの線を心得ている。放り出していた太刀をひっつかみ、こじりを畳に突き立てると、それを支えに重たい腰をあげる。
ここで、刀が畳に刺さって抜けなくなったら、いくら幼女専門の武市といえども「萌え」てしまったに違いないが、幸いそのように道を踏み外すことは回避された。



甲板に出た高杉は、対峙している船に背の高い人影を見つけた。派手な朱いコートに鳥の巣頭は、見間違えようも無い。

「おおーい、ちんすけ、久しいの」

「ちんすけじゃない。晋助だ」

カッとして怒鳴り返した時には既に、あのバカモトの術中にハメられている。

「幕府に護衛がついちょるいうハナシじゃったから、せいぜい春雨が出てくる思うちょったが……おんしらがあのワスグレサの利を握ろうとしちょったのか?」

「俺はあんなつまらねぇドラッグに興味はねぇ。欲しがったのは幕府さ」

「上様じゃなかろ。幕府を牛耳ろうちいう、天人のご所望か? 上様でも洗脳しようとしちょったか? おんしが本当に恨んじょったのは、上様よりもむしろ、その天人じゃった筈ぜよ。それが、逆に天人の番兵に成り下がったとはの」

高杉は顔を歪めた。のほほんとしたバカ面をぶら下げておきながら、ざくざくと痛いところを突いてくる。

「ま、そんなことはどうでもよか。ちんすけは相変わらずキレイな顔しちょるの。眼福眼福」

「けっ。この半分潰れた醜い顔がか」

「美しかよ。まさか、もう一度拝める機会があるとは、思っちょらんかった」

シレッと言い放ち、アッハッハーといつもの高笑いを響かせる。

「坂本。要求は何だ。テメェこそワスグレサに手ェ出して、何を企んだ?」

「おんしの良いところはそのキレイなツラで、悪いところはアタマが良すぎて、深読みしすぎるところぜよ。ワシャ本当に、そのツラ久しぶりに拝みたかっただけじゃ……ワスグレサは、金時に使うたがの」

高杉のこめかみがピクリと動いた。その名前だけは聞きたくない。その心情をまったく解さずに、坂本はさらに「ちっこい頃の金時はかわいかなぁ。あれが鬼子と呼ばれていたとはなぁ」と、畳み掛ける。しばらく高杉は言葉に詰まっていたが、やがて大きく息を吐いて「オマエに政治的な意図が無かったのは、よく分かった」と呟いた時には、いつもの不遜な調子を取り戻していた。

「だが、荷抜きは頂けねぇな」

「海賊のお仲間に、荷抜きを説教されるとはのぅ。それはうちの部下の手癖が悪かったきに、謝る」

坂本は素直にそう言って、頭を下げてみせた。

「なぁ、お詫びの印にと言ってはなんじゃが、今度、皆で飲まんか? 昔の仲間が争うちょるのは、心が痛むぜよ。おんしが敬愛していた師に拾われた銀時には、なんぞ色々つまらん恨みもあろうからともかく、桂はおんし、好いとったじゃろうに……あ、フラれたんだっけか」

「昔の話はやめろ」

高杉はカッとし、うっとおしい蝿でも追うように片手を振り上げた。恨むなら、テメェのおしゃべりを恨め。だが、ふと何かに気付いてその手を下ろすことができなくなった。坂本が背負っている船、その艦隊全ての砲台がこちらを向いており、その砲身の奥が微かに輝いている。あれはエネルギー砲が発射準備をしている光だ。

「どうした? ちんすけ。撃たんのか?」

「貴様を撃ったら、代わりに俺……いや、奇兵隊を船ごと吹き飛ばすつもりか」

「さぁ? 陸奥はいっそワシをブッ飛ばしたいと思うちょるだろうがな……ああ、そっちのお仲間の船を返す準備が出来たそうじゃ」

坂本が片手を耳に当ててそう言う。
どうやら、天然パーマに隠れていたようだが、メインブリッジとの通信用のイヤホンを耳に当てていたらしい。

「別に返してくれなくてもいいがな」

河上万斎の、何を考えているのか分からない無表情な顔を思いだして、高杉がかなり本気で呟く。ここに顔を出したのも、高杉に拒否権がなさそうな状況だったから仕方なく顔を出した、というだけの話で、河上のためというつもりはサラサラ無い。

「つれない事いいなぁ。あの巨大ヘッドホン、おんしのこと、愛しちゅうゆうとったぜよ。良かったのう、ちんすけ」

なんだってあのバカは、わざわざそんな暑苦しいことを、寄りにも寄ってこの無神経男に話すのか。やはりここは全力で見捨てて、勝手にどこぞの星にでも捨てるかどうにか始末してもらうべきだったか。高杉がやり場のない怒りに硬直していると、船に何かが衝突でもしたのか、足許が激しく揺らぐ。その腕を誰かに支えられたので我に返って振り向くと、いつの間に来たのか、来島が隣に立っていた。

「高杉様、あのバカの船の曳航準備ができたそうッス。戻りましょう」

「快援隊は?」

聞くまでもなく、巨大戦艦は視界から飛び去っていた。
やはりアイツは掴みどころが無くて、いけ好かない、と高杉は溜め息を吐く。




なぁにが、かわいかなぁ、だ。
アレは「人を殺しては、荷を奪って食らっていた」と恐れられていた鬼子だ。
松陽先生は何を思ったのか引き取ったが、その当時ですら酔狂なことよと噂されていた。その師の本意は知らない。自分が一番、師の教えを理解していた筈なのに、師の愛情は最も不真面目で出来の悪い拾い子に向けられていた。師にあれだけ熱心に文武の手ほどきを受けていたのに、鬼子はそれに報いることもなかった。今、アイツの生活を松陽先生が見たら、どれほどお嘆きになるか。

しかし、自分の姿も、そう褒められたものではないかもな。

そこまで考えが至ると、ようやく落ち着いて一服する気になった。先ほどの煙管が折れたままなので、煙草盆の抽き出しを開けて紙巻き煙草を引っ張り出す。それを見計らったように、ふすまが開かれた。

「晋助、拙者を助けるために坂本と交渉してくれたらしいな。そこまで拙者のことを愛してござったか。日頃は何も言ってくれないが、晋助の愛情表現もなかなかロックでござるな」

河上がそう口走って懐いてこようとしたので、高杉は眉筋ひとつ動かさずに煙草を力一杯吸ってから、その手の甲に赤く焼けた先端を押し付けた。





「銀時様、疲れましたか?」

ベンチに座り込んだ銀時の隣に、芙蓉も腰を下ろした。陽が傾いて、空がほんのりと朱く染まっている。不意にその背後から、冷たいものがぺたりと芙蓉の頬に押し当てられる。
芙蓉がゆっくりと振り向くと、着流しに着替えた土方が缶ジュースを持って立っていた。どうやら、冷たいものでビックリさせようとしていたらしく、芙蓉の反応があまりにも鈍いことに対して、逆に驚いている様子であった。

「これは?」

「オメェ、炎天下ずっと掃除してて何も飲み食いしてねぇだろ。喉渇いたろうと思ってよ」

芙蓉の手に缶を押し付けると、ベンチの正面に回り込んで銀時の反対側にどっかと座る。芙蓉は缶ジュースを両手に包むようにして小首を傾げていたが、ふと思いついたように「銀時様、飲まれますか?」と尋ねてプルトップを開けてやった。

「いらねぇのか」

「砂糖水は、私の身体には合いません」

「そ、そうけぇ。甘くねぇ茶とかの方が良かったのか? 悪かったな。買ってきてやろうか?」

「私のことはどうぞお構いなく」

土方は芙蓉の対応に多少の気まずさを覚えながらも、己の分の缶コーヒーのプルトップを開ける。一口啜って少しくの間、なにやら考え込む。やがておもむろに沈黙を破り「なぁ、オメェ、そういえば誰かに似てるとか言われたことが……」と芙蓉に語りかけようとした土方の顔面に、空き缶がヒットした。

「ぶぁっ!」

からからと音を立てて地面に転がった缶の銘柄を見るまでもなく、それは今しがた芙蓉が銀時に手渡したジュースであった。

「何しやがる!」

「おねーちゃんにヘンなことするな」

逆上しかけて立ち上がった土方であったが、銀時が芙蓉の細い胴にしがみつきながら自分を睨んでいることに気付き、唇の端を上げてニヤリと笑った。

「なんだ。ヤキモチ焼いてるのか、いっちょまえに」

「おねーちゃんにヘンなことするな」

「ヤキモチってぇのはな、股ぐらに毛が生えてからするもんだ。チビスケが」

銀時はそう言われて気になったらしい。
着ているものは成人サイズの半袖の黒シャツだが、腰回りを三尺帯で締めているためワンピースのようだ。その下には、手拭いをふんどし代わりに締めており、それをめくって自分の股ぐらを覗き込む。

「ほれみろ」

土方がせせら笑いながらベンチに戻ろうとするより一瞬早く、銀時が顔を上げるや土方の腰に飛びついた。着流しの裾をまくり上げ、一気にその下のブリーフを引っ張り下ろす。土方のイチモツがぽろんと転がり出た。

「ぎゃっ!」

「もーじゃもじゃ! へへーんだ!」

「てんめぇ!」

自分の尻ぺたをぺんぺんと叩いて、銀時が逃げ出す。土方はあまりのことに下半身丸出しで固まりかけていたが、我に返ると白ブリーフを引き上げて着物の裾を直し、全速力で銀時を追い駆け始めた。芙蓉は状況を理解できないらしく、キョトンとその様子を眺めている。その背後から、近藤がのっそりと顔を出した。こちらも着ぐるみを脱いだ私服姿だ。

「いやぁ、我々の捜査につき合わせて済まなかったなぁ。お女中」

「私たちはお役に立てましたでしょうか?」

「お役に立てたっつーか。その、捜査は空振りだったが、俺ァ、お妙さんと居られたし、トシもその、なんだ。ああしてる姿をみると家族みてぇじゃねぇか。アイツもそろそろ所帯を持たせた方がいいかなぁ、とか思ってよ。そのついでに俺もお妙さんと所帯を……」

「なにドサクサに紛れて、キモチワルイこと言ってるんだぁ、クソゴリラぁ!」

近藤の頭に踵落としが決まって、近藤の顔面がベンチを砕いてコンクリートの地面にめり込む。その後頭部をさらにぐりぐりと踏みつけながら「まぁ、でもたまさんが土方さんとお似合いなのは確かねぇ。いっそ、付き合ったらいかが?」と、芙蓉に微笑みかける。

「それはわっちも賛成でありんす。主ら、そうしなんし」

「付き合う? 土方様は銀時様のお友達ですから、私にとってもお友達です。それではいけないのでしょうか?」

「だから、そうじゃなくて、もう一歩踏み込んで恋人になったらどうって言ってるのよ」

「まぁでもアレですよ、お妙さん、まずは友達から始めてですね、そこから友達以上恋人未満、恋人と段階を踏めばいいのですよ、俺達のようにね!」

「ゴリラは黙ってろぉ! 誰のようにだとぉ?! ゴリラは金ヅル以上通報以下じゃあ!」

お妙が足に力を入れて、ぐりっとさらに深く近藤の頭を地面に押し付けた。近藤は地中でもごもごと何か呟く。ほとんど聞き取れなかったが「愛が痛い」だの「激しい照れ隠しですな」の類いだろう。

「ん? お妙殿と局長殿も付き合っているのでありんしょう?」

「誰と誰がよ。アナタ、顔だけじゃなくて、眼球も怪我してるんじゃないの? 銀さんみたいなチャランポランな男にはね、しっかりした女性が必要なのよ」

月詠の頬の端がピクリと引きつる。この無礼な発言に対して、クナイで八つ裂きにするのを堪えた理由は、単にここが彼女の『シマ』である吉原の外であるからに過ぎない。

「心配しなくても、銀時は吉原の主人。わっちと……吉原の妓みなで面倒を看るでありんす。キャバ嬢なんぞは必要ない」

「なんですってぇ!?」

掴みあいになりかけたところで、遠くで怒号と悲鳴が沸きあがった。

「銀時様の声です」

芙蓉が立ち上がり、近藤もガバッと起き上がった。


初出:2009年09月07日
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