雀百まで踊り忘れず産屋の癖は八十までお母さんのカレーは死ぬまで大好き/2
「金時、いいもの持ってきたぜよ」
そう言いながら、坂本が家に押しかけてきた。幼少の頃の記憶に介入してトラウマとかも治せる秘薬だとかなんとか、訳の分からないことを熱心に口走っているので、銀時が「証明してみろ」と、さんざっぱらバカにしながら、そのクスリを飲んでしまったのが、ついさっき。
「あの、どうしたもんでしょうかねぇ、これ」
「あれぇ? こんなハズじゃなかったぜよ。はーちゃん、なんぞまちごうたんかいのぅ。アッハッハー。ちょっと、はーちゃんに聞くワ」
「オイオマエ、酢昆布食べるアルか?」
「この状態に手ぇ出すほど、頭も変態じゃあるまい。いっそこのままにしておくか?」
一同の視線の中心に座っているのは、ひとりの幼児だった。主を失って床にわだかまった銀時の白い着物とスラックスに埋もれるようにして、銀時の黒い半袖シャツだけが辛うじて身体に残っている。それは、身体サイズが違いすぎるために、膝下まで隠れるワンピースのようになっていた。その幼児……ついさっきまで『坂田銀時』だった人物は、自身に起こった状況を理解できないのか表情を強張らせ、木刀にしがみつきながらオトナ達を睨み返している。
その緊張感をまるで無視して、芙蓉がいちご牛乳を盆に載せて、ヒョッコリと現れた。
「銀時様。先ほどご注文頂きました、いちご牛乳をお持ちしました」
芙蓉は、銀時の身体が小さくなっていることなどお構いなしに、いちご牛乳のコップにストローを挿して差し出す。小さな銀時は胡散臭そうにいちご牛乳と芙蓉とを見比べていたが、やがてコップを乱暴にひったくるとストローに吸い付いた。
「銀時様、こぼしていらっしゃいますよ。失礼します」
芙蓉は懐からハンケチを取り出し、銀時の胸元を拭ってやる。あまりにも平然とした態度のせいか、銀時は芙蓉を『警戒の必要が無い相手』と判断したらしい。
おとなしくされるがままになっているだけでなく、飲み終わるやコップを放り出し、己の目の前に膝まづいている、エプロンに包まれた膝によじのぼった。
「お代わりはよろしゅうございますか、銀時様?」
「あの、たまさん。ちょっとはツッコみましょうよ。驚かないんですか? 銀さん、ちっこくなってるんですよ、僕らのことも覚えてないみたいなんですよ?」
新八が恐る恐るそう声をかけると、芙蓉は小首を傾げた。
「でも、この方は銀時様です。固有の生命パターンを感じます。銀時様もお体のパーツを交換されたのですか? 私も時々『種』を別のボディに差し替えて、銀時様にお楽しみ頂きます」
「いや、たまさんは別のボディに差し替えることもあるでしょうけど……って、身体を差し替えて、一体何やってるんですかっ!」
新八が芙蓉にそう言い募ると、目の前にぐいっと木刀が突き出された。
見れば、銀時が木刀を小さな両手に掴んで構えていた。
「このメガネ、悪いヤツ?」
芙蓉を見上げながら、尋ねる。その目に冷たい殺意を感じて、狙われた新八だけでなく周囲の皆がゾクッと冷たいものを感じた。
「いいえ、新八様は私のお友達です」
「ふうん」
切っ先は下ろされたが、相変わらず木刀をお守りのように握りしめたままだ。
「ここの皆さんは皆、私のお友達です」
芙蓉がそう繰り返し、銀時の背をポンポンと叩いた。さすが、元はといえば子守用に開発された機械人形だけあって、やがて銀時の目がとろんとしてきて、手から木刀が滑り落ちる。代わりに芙蓉の襟元を赤子のように掴むと、その胸乳に顔を埋めるようにして、すやすやと眠ってしまった。
「中岡のアホは、何を考えてあんなクスリを寄越したんじゃ?」
通話を切って携帯電話を畳んだ坂本に、陸奥が冷たい声を投げかける。
中岡端太郎、坂本の古い同志だ。
「うん、それが、ワシのオーダー通りだったっちゅうか、記憶っちゅうもんの仕組みが、ワシらのイメージしちょるもんとちぃと違ったちゅうか、その」
坂本が説明しにくそうにうだうだ呟いていると、天井から何かがヌッと湧き出た。
「それについては、アタシから説明させてもらうわ、祇園精舎の鐘の音諸行無常の響きあり。始末屋さっちゃん参上!」
「さっちゃんさん!」
「オイ、メス豚。銀ちゃんようやく寝たところネ。騒いだら銀ちゃん起きちゃうヨ」
「なんじゃ、おんし。あの淫売天パのイロか?」
初対面の陸奥は猿飛に怪訝な表情を浮かべたが、坂本はその唐突な登場にはまったく頓着せず「おう、ネーチャン。代わりに説明してくれるがか。アッハッハー」などと笑っている。
「さっちゃんさんが代わりに説明って、何か知ってるんですか?」
「これはとある辺境の星にある『ワスグレサ』という植物の実を煎じたものでね。これを運んでいた貿易船が海賊に執拗に狙われたものだから。護衛をする関係上、単にこの珍しい荷が目的だったのか、それともこの貿易商がなんらかの恨みをかっていたのか、その背後関係を下調べしておくように、という特命を松平公から受けていたのよ」
「ほほう。幕府が保護に乗り出すとはずいぶん厚遇されちょる船じゃな。その船主、幕府の連中に鼻薬でも嗅がせたか?」
陸奥が面白くない、という表情を浮かべる。通常の商船は『外洋』である星間航行中は、たとえ海賊に襲われても自己責任が基本である。実際、快援隊の船も戦艦と寸分たがわぬ武装を施し、あくまでも自力で船を護っているのだ。
「まぁ、偉い人には偉い人の都合もあるんじゃろ。はーちゃんも、同じ文句を言うちょったよ」
「あのケツ野郎と一緒にするな、このモジャモジャが!」
「アッハッハー! 陸奥は怒った顔が一番キレイじゃのう。ネーチャン、それで? 取り急ぎ、ワスグレサについて皆に説明してやってくれんかの?」
「そうね。つまり記憶というのは言葉通りには消せない、ということよ。忘れたと思っても、実際にはその記憶へ繋がる回路が途切れただけで、記憶そのものが失われる訳ではないから、何かの拍子にフッと浮かび上がるの」
「そういえば、前に銀さんが記憶喪失になった時もそうでしたね。記憶がポローンと落ちたと言っても、完全に無くなった訳じゃなくて、何かのきっかけで記憶の枝がひとつ揺れたら、全体にそれが伝わって蘇るって」
「じゃ、この銀ちゃんも揺さぶったら元に戻るアルか?」
神楽は、今にも眠っている銀時に掴みかかりそうだ。
「元には戻るわ、半日ぐらいしたら……でも、いいえ、だからこそ、その間に」
猿飛はそういうと、神楽を押し退けて銀時ににじり寄る。
芙蓉が「銀時様が起きてしまいます」と固い声で告げながら、庇うように幼い身体を抱き締めたまま、尻でいざって後退りした。
「つまり、あのクスリは小さい体にすることが目的じゃなく、小さい身体でいる間の記憶を『幼い頃の記憶』として植え付けて摺り替えさせるためのものと、そういうことか。悪趣味じゃな」
陸奥が舌打ち混じりにそう呟き、坂本は「そういうことらしいぜよ」と肩をすくめる。
「悪い夢を見ると言うちょったし、なんとかしてやろうと思ったんじゃが、まさかこうくるとはなぁ。さすがのワシもチビッコ相手は苦手ぜよ、アッハッハー!」
「ふん、ザマァ無いな。とりあえず船に戻るぞ、頭」
陸奥が坂本の襟首を掴み、華奢な身体のどこにそんな腕力を秘めているのか、強引に玄関へと引きずって行く。
がらりと引き戸を開けたところに居たのは、黒ずくめの男ふたりであった。
「あのう、もしもし? 万事屋の旦那いますか? 実は旦那に依頼したい仕事がありやして。ええ、ちゃんと報酬は出ますよ?」
「もし居ねぇんだったら、必要ねぇ。大体、あんなヤツの手なんざ借りたくねぇんだ」
くわえ煙草の長身の男がそう吐き捨てる。
「居るといえば居るが、役に立つかどうかは知らんな」
陸奥がそう言って、ふたりを押し退けるようにして外で出た。
小柄な男がそれを聞いて「あ、居ることは居るんですね? ほら、入りましょ、副長!」と、入れ替わるようにしてくわえ煙草を引っ張り込む。
「万事屋の旦那ァ、頼みやすよ。とあるテーマパークに攘夷志士が逃げ込んだって情報がありやしてね、そんで変装しての潜入捜査ァすることにな……ったんで、す、が」
勢い良くベラベラと喋っていた山崎の声が、途中で大仰につまずいた。
見開かれた瞳の中で、どこかで見覚えがあるようで無いような幼児が、女性陣に囲まれてスヤスヤ眠っている。
「んだぁ? 万事屋のガキか?」
「ですかねぇ?」
キョトンと顔を見合わせている二人の背後で「銀さん、頼みたいことがあるから、ちょいと吉原まで来てくれって、母ちゃんが呼んでてさ」という子供の声が沸き上がった。
「ゴメンね、坊や、万事屋の旦那に依頼なら、こっちが先約だよ?」
「犬ッコロ野郎はすっ込んでろ。銀さんは吉原の救世主なんだイ」
「ちょ、ちょっとちょっと……山崎さんに、晴太君……あの、銀さんは今、ちょっと仕事とかそういう状態じゃなくて」
新八が慌てて割って入る。
その頃には騒ぎが耳に入ったのか、銀時が獣のように不機嫌に唸りながら、寝起きの伸びをしていた。
「銀時は俺だけど、なんか用?」
「はぁ? コイツが、万事屋、だぁ?」
土方と山崎は事態を理解できずにあんぐりと口を開けていたが、晴太は子供なだけに思考回路が柔軟なのか、すぐに事態を飲みこむや「ともかく母ちゃんの頼みだ。顔貸してくんな」と言い放った。
「母ちゃん? 俺に母ちゃんはいねぇよ?」
「何言ってるんだい。おいらの母ちゃんだよ」
「ふうん」
晴太が銀時の小さくなってしまった手を掴む。小さくなった銀時は、晴太よりも年少であるらしかった。
「ちょ、ちょっと待って晴太君! 銀さんホント、子供に戻っちゃってて何も覚えてないんだから、そのままだと……僕らもついてくから!」
「アタシも行くわ。銀さんと片時も離れる訳にはいかないもの! 小さくても銀さんは銀さんね、ああん、そんな冷たい視線を投げかけて、アタシを焦らすのね、アタシを見下して罵って、そうやって喜ばすのね。なんて憎らしくも愛しい人なの!?」
「母ちゃんは、銀さんに用があるって言ってたから、オマエらは……まぁ、いいや」
一同が部屋を出ていこうとするのを横目に、山崎が「俺らもついて行きます?」と土方に尋ねた。
「冗談じゃねぇよ。仕事になんねぇんだったら意味がねぇ」
「でも、考えようによっちゃ、子供の姿の方が、なにかと都合がいいのかもしれませんよ。だって、現場は遊園地ですし」
「まぁ、そうかもしれないがな」
あまり気乗りのしなさそうな土方の手を掴みながら、山崎が「じゃあ、行きましょうよ。新八君新八君、ちょっと狭いけど一緒の車に乗ってく?」と誘いかけた。
行き先が、幕府の支配が及ばない一種の治外法権地帯・吉原と聞いて、思わずハンドル操作を誤りそうになった山崎だったが、幸い、どこにぶつけるでもなく見返り柳に程近い駐車場に覆面パトカーを停めた。
「かあちゃん、ただいま。銀さん連れてきたよ」
かあちゃんと呼ばれた女はかつて吉原一の花魁であったという。名は日輪。しかし、車椅子の上でニコニコと笑っている姿は、美しいというよりはむしろ「愛嬌があるおっかさん」という印象であった。
「あらあら、銀さんちっさくなっちゃって。まぁ、こっちもいい男。本当は銀さんにお願いしたかったんだけど、このひとでもいいわ」
殺気すら漂わせている土方の不機嫌な表情にもまったく臆せず、日輪太夫はけろりとそう言ってのけた。もっとも、宇宙最強とも言われた鳳仙を檀那にしていた妓にしてみれば、これぐらいは屁でもないのだろう。
「お願い? なんのハナシだ、姐さんよ」
「うちの月詠を、デートにでも連れ出してくださらない?」
「ハァ? デートだぁ?」
ふざけんなと刀を抜きそうになるのを、隣の山崎が必死で引き止めるが、日輪は笑顔を崩さない。一方で、日輪の護衛だという女も「わっちもデートだなんて……わっちには、この街を守るという仕事がありんす」と、気色ばんだ。
「月詠、あなたはお休みをあげても、こっそり抜け出して仕事に行ってしまうし、楽しみながらできるはずのお仕事でも、全力でやりすぎてしまうから……でも、そればかりが人生じゃないのよ。たまには吉原を出て、遊んでくればいいと思ったの」
「オイオイ、そんな用件のためにわざわざ人を呼び出したのかよ」
「あら、とても重要な用件よ。アタシの大切な人に、人生で大切なことを教えるためだもの」
堂々と言い切る日輪に、土方は偏頭痛がしそうになる。
これだから、女ッて奴ぁ……物事の優先順位がめちゃくちゃで、公私が区別できていなくて、しかも図々しいときたもんだ。
「そうですね。俺らもちょうど遊園地に行く予定だし、ちょうどいいじゃないですか、ねぇ副長」
「ちょうどよくなんかねぇよバカ。俺らは遊びに行くんじゃねぇ」
土方はそう吐き捨てると、踵を返そうとする。
その袖が引かれた。見れば、エプロン姿の女が土方の袖口を掴んでいる。振り払おうとしても、その力は思いがけず強かった。
「私も以前、銀時様にガス抜きをするようにと、街に連れて行ってもらったことがあります。そして、役に立つだけでなく、そこにただ居て、ただ笑っているだけでもいいものもある、と。そうおっしゃってくださいました」
月詠の頬がぴくりと引きつった。
「銀時が、そんなことをぬしに?」
「ええ。そして、銀時様はそのとき、私にこのネジを買ってくださいました。だからきっと、その人も銀時様と同じように、あなたを思ってくださっているのだと思います」
芙蓉が、編み上げた己の髪に絡めてあるかんざしのひとつに触れてみせた。確かにひとつ、工業用のネジがひとつ留められている。
「なんでネジぃ?」
新八と山崎がハモりかけたところに、猿飛の声が「なんでネジなのよぉ?」と重なった。
「私が、ネジが欲しいと言ったら、買ってくださいました」
「ちょっと。アタシは銀さんに何か買って貰ったことないわよ。だったら何? アナタがナットが欲しいとかボルトが欲しいって言ったら、買ってもらえるわけ? アタシも銀さんの特大ドライバーが欲しいわよ、ブチ込んで欲しいわよぉ!」
「そうですね。ナットはいいですね。指に填めておけますし」
「まぁ、銀さんに指輪が買えるお金はないでしょうから、贈るにしてもナットがせいぜいかもしれませんしね……って、それなんて101回目のプロポーズぅ!?」
「わっちも煙管、まだ買うてもらっちょらん」
「はん……『そこにただ居て、ただ笑っているだけでもいい』なんざ、あの万事屋にしちゃ、てぇしたくどき文句だな」
芙蓉はこっくりと頷き、己の腰にしがみついている銀時の頭を撫でる。
「でもよ。俺らが行く予定のシナティパークは、攘夷志士が潜んでるって噂なんだぜ。それこそ、遊び半分の女子供を連れて行けねぇだろ」
土方が苦々しそうに呟いたのを聞き、神楽が目を輝かせた。
「シナティパークって、あのシナティパーク?! 開園したてでニュースになってたヤツあるネ! ねこエモンや偽(ぎ)ティちゃん、ペカチューといった著作権的に微妙なユルキャラが売りで、花野アナがピン子と一緒にレポートしてたヨ。アタシも連れて行けよコノヤロー! お子様が多い方が、オマエラも都合いいアル」
「あ、いいなぁ。おいら、遊園地なんて行ったことないよ」
「せ……晴太が行くのなら、仕方ないでありんす。晴太に万一のことがあってはならぬ。わっちも同行しよう。そういうことなら、行かせてもらう」
「まぁ、月詠ったら、どうしてもお仕事にしたいのね。でも、結果としては同じことだから、いいわ。よろしくね、色男のお侍さん」
土方の唇から、ぽろりと紙巻煙草が落ちた。
「てっ……てめぇら! 俺らは遊びに行くんじゃねぇぞ! 攘夷志士が潜んでるって言ったの、聞こえなかったのか!? 大体、今回の捜査協力を依頼するのは万事屋一人の予定で、それ以外を連れて行くかどうかは、近藤さんの許可をもらわねぇと……!」
「だったら、姉上も誘いましょうよ」
新八の提案が、いわばトドメであった。志村妙の名前を出されて、近藤がそれを却下する由もない。
土方は深い深い溜息を吐いた。
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