みるくしする/上
「は? 万事屋が?」
クソ忙しい最中だというのに携帯電話で飛び込んで来た連絡に、土方は露骨にイヤな顔をした。
「なんでも、取り調べに対して、副長に聞けば事実が分かるとかなんとか、訳の分からないことを言ってるようなんですよ」
取次ぐ側の山崎も、電話口の向こうで半ばうんざりした態度を隠せない。
なにしろ正月まったり……と休むどころではない真選組、せめてもの寸暇にお節でもつまんで正月の気分を味わってもらいたいという、ささやかな愛情表現も『お、なんだお節か。俺にもひとくち』と、ゴキブリのごとく湧いてくる同僚に食い散らかされて、さんざんな目に遇っていた。この調子では愛する副長の口にひとくちも入らずに消えてしまいかねないという危機的状況下で「追い剥ぎ容疑で捕らえた白髪侍が副長を呼んでいるから、連絡をとってくれ」などと呼び出されたのだから、そりゃ機嫌も悪くなろうというものだ。
「仕事が終わるまで、待たせておけ」
「終わったら、俺とお節食べる約束じゃ……あと、姫初めも!」
「仕事中に寝言を言うな、ボケが」
土方がばさりと吐き捨てて、通話を切った。
「副長がお戻りになるまで、待っていろとのことだ」
取調官が居丈高にそう告げて銀時を取調室から連れ出すと、薄暗い拘置所の一室に押し込めた。
固いコンクリートの床は冷たく、防寒はすえた匂いがする古毛布だけだ。他にも五名の『同居人』が居て、ふてぶてしい表情を浮かべている入れ墨男、青冷めて震えているチンピラ、壊れたようにケラケラ笑っている浮浪者ふうの男と、かなり個性豊かだ。
「アンタ正月早々何したの? あたしゃ、ニューイヤーパーティの準備中に踏み込まれてね」
「別に、何もしちゃいねぇよ」
「そうお? アンタみたいな男は、どでかいことをやらかしそうな気がするのよねぇ、アタシ」
「寄るな」
「そんな冷たくされると、余計に萌えるわぁ」
よほど好みのタイプだったのかオカマがすり寄って来たが、何日勾留されているのか獣じみた体臭がきつい上に、顎ヒゲがボーボーに繁っている状態ではゾッとしない。
「ねぇねぇ、それはそうと実はアンタ、男もイケるクチでしょ。アタシ、どっちでもイけるのよ?」
「は?」
「姐さんのアレは、真珠入りってヤツだろ。もう何百回も聞いたぜ」
一番奥で壁にもたれていた、一見フツーのサラリーマンふうの男が、やけに凄みのある声を出した。人は見かけに寄らないというか、ホンモノはいかにも、という紋切り型の姿はしないということか。
「いやぁね、ホントなのよ、見る? 自分で埋めたから、ちょっと不格好だけどさ。それがまた、イイとこにコリコリ当たるって好評でさぁ」
「いやいやいや、結構です、要りません、見ません、勘弁してください」
「遠慮することは無いのよぉ?」
今にもズボンを下ろしそうなオカマを必死で制しながら、内心で(フクチョーさぁああああんっ! 早く来てくれないと、銀さん、オカマにオカマ掘られちゃうううううううう!)と、必死で叫んでいた。
仕事を終えた頃には、土方はすっかり丸ッと哀れな万事屋のことなど忘れていた。副長室に戻ってみると、山崎が精一杯着飾った姿で正座で控えており、朱塗りの膳の上には重箱が載っていた。
「出来合いばっかりだな。大体、お節にローストビーフや唐揚げなんか入れるか?」
「ホントは全部、手作りの予定だったですよ。ちゃんとしたヤツ。でも、吉村とかがつまむから無くなっちゃって」
「ほう? まぁ、アイツらもお節のんびり食ってる場合じゃねぇからな。つまみ食いでも正月料理が食えて良かったじゃねぇか」
上着を脱ぐと、新妻のような甲斐甲斐しさで山崎が受け取って、ハンガーにかける。土方はベスト姿のまま、首元のスカーフを緩めると、膳の前にあぐらをかいた。
祝い箸を取り出し「黒豆ぐれぇは、てめぇで煮たヤツだろ」と尋ねる。
「あい。それから、栗きんとんと……煮染め、追加で作ったから味があまり染みてないかもしれないけど…それから、伊達巻き! 自分で巻いたんすよ。もう、あいつらのせいで俺、今回、何本巻いたか分かりませんよ。おかげで上達しましたけど」
「唐揚げが美味いな」
「ちょ、それはどうでもいいですっ! こっちの食べてくださいよ、こっち!」
「マヨは」
「かけちゃ駄目です」
「ちっ。マヨネーズなくして何が正月だ」
「副長由来成分のマヨネーズなら、正月だろうと平日だろうと、いくらでも食えますけどね、俺」
「ばぁか」
「バカですよ、どうせ。ねぇ、お節だけじゃなくて、俺も召し上がってみません? お雑煮、その後でもいいでしょ?」
さり気なく下品なことを言いながら、山崎が土方ににじり寄る。そっとその白い首筋に腕をまわそうかという頃合に「副長ぉ、戻られたら、万事屋さん迎えに、拘置所に行かれる予定じゃなかったでしたっけ?」と、障子の向こうから不粋な声がかかった。
「お。そういえば、そうだったな」
土方がそれを聞いて、埃でも払うように山崎を振り落とす。
「よぉしぃむらぁあああ! テメェコラ、邪魔すんなぁああああ!」
せっかくのチャンスだったのにと地団駄を踏む山崎を尻目に、土方は立ち上がると、一度は脱いだ上着に袖を通した。
副長直々にお越し頂くとはと、恐縮してぎこちない敬礼をしてみせる取調官から、供述調書を受け取って目を通す。取調官の文字はどうしてこうも達筆で、型通りの文章に仕立て上げるのが得意なんだろう。
読みづらいその調書にザッと目を通した土方は、ボソッと「パイ(釈放)してやれ」と告げた。
「は、いいのですか?」
「確かにこの時間、俺が一緒に居たんだよ。着物の持ち主も知ってるし、受け取った現場にも立ち会っている」
「畏まりました」
取り調べ用の粗末なパイプ椅子と机、そしてスタンド。辛うじてアルミの灰皿が置いてあるのを見つけると、土方は内ポケットから煙草を取り出してくわえた。
その一本目に火をつけて、三分の一も灰になったろうかという頃に、銀時が腰縄手錠のまま、取調官にしょっぴかれて来た。
「もっと早く来てくれよぉ! 銀さん、貞操守るのに必死だったんだからぁ!」
「クソ忙しい合間縫って、わざわざ来てやったんだ。グダグダ抜かしてねぇで、感謝しろ」
くわえ煙草のまま、取調官が差し出した鍵束を受け取り、銀時の手錠を外してやる。手首が太くてごつい彼の手にはややサイズが合わなかったのか、鉄の縛めの痕で肌が朱く染まっていた。
「大体ナニ、あのすっげぇ怖い雑居房! もうLAのダウンタウンも真っ青の治安の低下っぷりは! あんな危険なオカマ、国内に留めておいちゃダメだよ、銀河系外に追放しなきゃだよ!」
「んだ、あそこに放り込まれてたのか」
どうも彼はある種の有名人らしく、土方が苦笑する。
「大体、あの真珠のオカマ、何してあそこにいんの?」
「男相手の連続強姦致死」
サラリと言い捨てて、土方が先に部屋を出る。銀時は涙目で「銀さん頑張った、新年早々、すっげぇ頑張ったよ、銀さん」と己を慰めながら、それに続いた。
「シャバの空気だぁ! 一日だけでもなんかこう、違うわ。俺、ぜってぇに悪いことはしないね。あんなとこ、銀さん、もうこりごりだね」
拘置所の敷地から出るや、銀時は大袈裟に背伸びをして深呼吸をした。
「さすがに悪かったな、万事屋。何かおごってやるわ」
土方が苦笑混じりにそう言いながら、乗って来た白いクーペ(多分、覆面パトカー)に乗り込むと、銀時も助手席に座った。
「え? マジで? でも、それで誤認逮捕をウヤムヤにしようって腹でしょ」
「ウヤムヤもナニも、大概は何日拘留しようと、パイだけなんだがな」
「そういうモンなの? まぁ、いいや。せっかくの機会だし、何タカろうかなぁ」
「好きにしろ……おい、シートベルトしろや」
罪が確定していない人を『預かる』という名目の拘置所の弁当は、刑務所のモッソ飯といわれるものほど粗末ではない筈なのだが、とても喉を通るどころではなかった。
この仕打ちの埋め合わせに何をねだったものかと、銀時の脳内でパフェだのプリンアラモードだのが駆け巡る。悩んでいる間に、まだ新年に浮かれている街のイルミネーションが、色鮮やかな筋になって後方に流れて行った。
「あ、そうだ。メシも嬉しいけど……その前に風呂入りてぇな。カラダ冷えてるし、くせぇしで」
「風呂ぉ? 健康ランドなら二十四時間営業だぜ」
「おまっ、健康ランドなんて、そんなやっすいトコであげようって魂胆かよ!」
「風呂なんざ、他にどこに行けってんだ。熱海まで走れっていうのか」
「そんな長距離ドライブ、俺だってごめんだよ……近場でいうと……ラブホ?」
「またラブホか。まぁ、そこなら風呂もあるし、メシも食えるわな」
「え、マジで? 冗談だよ、冗談、なんだってテメェと……!」
銀時が喚いた時には、時既に遅し。土方はハンドルを切って、見覚えのある『空室あり』の看板が光っているガレージに、車を突っ込ませていた。
自動車から降りた土方は、上着を脱ぐと銀時の頭に引っ被せた。その際にわざわざ上着を裏返したのは、表側だと銀モールが目立って、幕府の関係者であることが一目で知られてしまうからだろう。
「わっ、やだ。こうやって服かぶせられるの、逮捕された時と同じじゃん」
「いちいち文句が多いな」
「土方君がかぶっててよ」
「誰がカネ出すと思ってるんだ」
「ひでぇ、なんかカネで買われたみてぇ、俺」
「ほれ、もう少し屈めや」
銀時の肩に腕を回して、頭を押さえ付ける。そのまま、引きずるようにして、裏口のような控えめな玄関からホテルに入った。
フロントで受け付けてキーを渡す店もあるが、ここのは室内写真のパネル下にカードキーを差し込んである。天人との混血なのだろうか、肌の色がやけに青いフロント係は、監視モニターからちらりと視線を上げただけで、長い鈎爪で客室パネルを指差す。勝手に選んで入って行け、というのだろう。
促されるまま一枚抜き出すと『空室』のランプが消えた。一昔前には最新式だったのだろうそのパネルも古びて、よく見るとヒビが入っていた。
「長谷川さん、また解雇されたのかな」
「知るか……あ、こないだのとこか、ここ」
「なに、偶然? わざとかと思った」
目的階にあがると、どの部屋かなと探すまでもなく客室のルームナンバーパネルが点滅していた。室内はデザイナーズマンションの出来損ないのような、モノトーンを基調にした多角形の部屋だった。ベッド脇には腕ほどの太さのパイプが走っている。壁の一面に剥き出しのコンクリート打ちっぱなし状態を残していたことも相まって、おかしな設計のせいで配線が飛び出たのだろうか、それともこの部屋は未完成なのだろうかと銀時は首を傾げたが、そこに視線をやったのも一瞬のことだ。
「さぁて。パフェって、ルームサービスにあるのかなぁ」
さっそく銀時がサイドテーブルに立ててあったメニューブックを取り上げた。広げると、中に挟められていたアダルトグッズの案内チラシやテレビの番組表がひらひらと床に落ちる。
「ルームサービスっていっても、どうせここで作ってるわけじゃなくて、宅配モンだろ。溶けんじゃねぇか?」
「そうなん? とりあえず、これとこれと……あと、これね。オーダーの仕方よく分からないから、注文しといてよ。じゃ、その間、銀さんお風呂入ってくるし」
メニューブックを押しつけて飛び込んだバスルームは、浴槽や床に黒タイルが使われていた。パッと見た印象は前衛的とも都会的ともいえる色使いだったが、そのタイルは磨きあげられすぎたせいか、鏡張りのように入浴者の姿を下方から映し出していた。
「うわ、てめぇのケツの穴までバッチリ見えやがんの。趣味悪ィ!」
それに気付いた銀時が思わず喚いたのが、何か呼び掛けられたと勘違いしたのだろうか、扉向こうの土方が「あん?」と声をかけて来た。
わざわざ解説してやるのも面倒なので、銀時はそれ以上は(なぜか金色の天使の像があるとか、シャワーの横にビデやローションが設置してあるとか、腰掛けが金色で凹型をしてる等々、ツッコみどころが満載なのは一切無視することに決めて)黙ってシャワーを浴びることにした。
たった一日でも、あのすえた勾留所の匂いがこびりついたような気がして、使い捨てのボディスポンジにボディシャンプーを染み込ませると、力任せに擦った。あの気色悪いオカマに掴まれた部分などは、特に入念に、肌が赤くなって晴れ上がりそうな勢いで神経質なまでに洗い上げた。伸びかかっていたヒゲも、ホテル備品のチャチなT字剃刀で剃る。
ようやくひと心地ついて、全身の泡を洗い流そうという時になって『こんだけ時間かけて身体洗ってるんだったら、その間に湯舟に湯を張っておけば良かった』と、チラッと後悔した。
結局シャワーだけで済ませて、バスローブに着替える。胸元にホテルのロゴがでかでかと縫い込まれているところを見ると、こんなものでも記念に持ち帰る不心得者が居るのだろう。安っぽい木綿地だが、ビニールパックに包まれていただけあって、清潔であることに間違いはない。洗い上げた肌には心地よく感じた。
「パフェとピザとラーメン、届いた?」
寝室に戻ると、ベッドに腰掛けて、部屋の広さには些か不釣り合いなサイズの巨大テレビに視線をやっている土方の横顔が見えた。
「パフェ溶けてるぞ」
「ちょ、その前に『ピザ勝手に食べちゃってゴメンナサイ』が先じゃね?」
「カネ出してんのは、俺だ」
視線をモニターにやったまま、文句あるかと言いたげに、もう一枚拾い上げて口元に運んでいる。もう片手では、テレビのリモコンをカチカチとせわしなく切り替えていた。
「なに、フクチョーサン、エロビデオ見てたの? このスケベェ!」
「ここ、裏モノ流してるな」
「え? マジで! 見たい見たい!」
「刑法175条・猥褻物頒布罪」
はしゃぐ銀時とは対照的に、土方はつまらなそうにボソリと吐き捨てて、スイッチを切った。
「ちょ、さっき一瞬、すげぇオッパイだったのに! バインバインツインビーム発射! ってオッパイだよ?! 副長さん、オッパイに興味ねぇの?」
「うっせぇな」
「え、マジでねぇの? オッパイは漢の浪漫だよ? 人類の歴史それ則ち原始から未来へと連綿と続くオッパイの歴史であり、オッパイを巡る漢達の物語だよ? オッパイを顧みないなんて、もしかして副長さん、確定ホモ?」
「誰が確定ホモだ。あんな脂肪の固まりに、いちいち大騒ぎしねぇだけだ」
「あ、貧乳マニア? それともロリとか」
そういやぁ、トッシーもロリキャラ好きだったもんなぁ。美少女侍トモエちゃんだったっけ……と、銀時は妙に納得しながら、麺が伸びてしまっているラーメンの丼を手に取った。割り箸の中ほどを横ぐわえにして、歯と片手で器用にパキンと割ると、右手に持ち直す。見本の写真とは大違いのちっぽけなチャーシュー片をつまんで口に放り込むと、安っぽい中華ダシの化学調味料の匂いがした。
テーブルの上には、土方のものらしい札入れが無造作に乗っている。多分、ルームサービスは即金で、その代金を払った後にそのまま置いたのだろうが、警察の人間のくせに、不用心にも程がある。というか、それがやたらと膨らんでいるのが『俺は貧乏なのに、人の血税でこいつらぬくぬくと。ピザのチーズをこぼしてやろうか』と思うぐらいに、ムカついた。
一方、土方はリモコンを放り出すと、そのままベッドに倒れ込むようにして横になった。胸ポケットから煙草の箱を取り出してから、うつぶせに身体を転がして灰皿を引き寄せる。
「それ食って落ち着いたら、帰るぞ」
「えー? なんかあんまり優遇された気がしねぇんだけど」
「ご要望通りに、風呂入ってメシ食ってるだろうが」
「そうなんだけどぉ、こう、なんかモノ足りないっていうの?」
ラーメンを平らげ、溶けたパフェをシェイク感覚で飲み干してから、なにげなくチラリと視線を落とすと、寝煙草を吹かしている土方のうなじが妙に白く見えた。
その透き通るような肌に誘い込まれるように、銀時の指が触れる。
「んだよ、指つめてーぞ、万事屋」
険しい口調で尋ねられたが、己がなぜそういう行動に出たのか、銀時は自分でも分からなかった。
「遊んでいきてぇのか?」
沈黙をどう解釈したのか、まだ半分ほど残っている煙草を灰皿に押し付けて消すと、蛇が鎌首をもたげるようにして、土方が視線を上げた。その台詞は音楽的に鼓膜を快く刺激するが、言語としての意味はほとんど伝達しないまま、聞き手の首を軽く縦に振らせていた。
「まぁ、そういう場所だしな」
『そういう場所』がどういう場所なのか、理解できないで固まっていると、土方の首筋に触れていた指がじわりと握られる。誘い込まれるように目を閉じれば、唇に柔らかくて生温かいものが押し付けられた。
|