こちらのお話の続きです。
Biscuit Love
新八の様子がおかしい。
先日のボウリング勝負から帰って来てから、どこか落ち着きがないというか、上の空というか。試しに銀時がボールペンの尻でコツコツと机を叩いてみると、ビクッと反応した。
「ぱっつぁんよ、おめ、キョドっちゃって、ドーしたん? なんかヤマシイことでもあんの?」
「あ、ありませんよ、何言ってるんですか。いきなり音を立てるから、驚いただけですよ」
「あーそうけぇ?」
気まずく二人が黙り込んだところで、電子音が響き渡った。部屋の中央の応接テーブルの上に携帯電話が転がっている。寺門通の『おまえの母ちゃん何人だ』が着信メロディであることから、所有者は明らかだ。
一瞬膠着した二人であったが、我に返るのは銀時の方が早かった。さっとデスクから立ち上がると携帯電話を掴み上げ、アドレス帳に載っていない番号なのか、名前ではなく携帯番号がそのままディスプレイに表示されているのを確認したうえで、耳元に押し当てる。
「はーいもしもーし。こちらアイドルオタクですが、おたくどちら?」
「ちょっ、銀さんっ、勝手にひとの携帯に出ないでくださいよっ!」
慌てて引ったくり「済んません、済んません、ごめんなさい。志村です」と喚くと、受話器の向こうで「番号間違えたかと思った」とボヤく男の声がした。聞き覚えのあるその声音に、心臓が跳ね上がる。顔が赤らむのを自覚して、くるりと銀時に背を向けた。
「あの、なんで僕の番号を?」
「国家権力で」
面倒くさそうにそう答えた相手は、真選組副長・土方十四郎であった。
確かに、警察はいともたやすく電話番号を調べあげるほど高い情報収集能力があると、聞いたことがある。日頃、ちゃらんぽらんな姿ばかり見ているせいで、そんなことはすっかり忘れていたが。
「今、家か?」
「いいえ」
「そうか。市中見廻りで道場の近くまで来たから、ついでに例の金を渡そうと思ったんだが……じゃあ、そっちに回ろうか」
いや、僕がそっちに行きます……と答えようとした時には、通話は切られていた。ツーツーという電子音を聞きながら、呆然と突っ立っている。背中に銀時の視線が刺さっているのが感じられた。
今からこっちに来るって、今から……土方さんに会えるのか。うちから向かってるなら、もう間もなく着くだろう。なぜか鼓動が乱れる。援助してもらうと約束した現金を受け取るだけの筈だが、なぜか、銀時の目の前では嫌だった。
「おーい、誰からの電話だった?」
「いやあの……間違い電話でした」
「ふーん?」
「あの……ちょっと僕、あっちで片付けでもしてます」
新八は銀時の視線を避けて、逃げるように台所に引っ込み、積み上げられている食器を洗い始めた。最後の1枚をすすいで、ラックにかけようとしていた時に、玄関のチャイムが鳴った。
「はーい……」
「あ、銀さん、僕が出ますっ!」
慌てて出ようとして、手を滑らせた。皿が落下して、床で砕け散る。どうしてこんなときにと自分のドジさ加減を呪いたくなったが、後で片付けようと破片をそのままにして玄関に走った。
「銀さ……」
既に客の応対をしているらしい銀時の背中を押しのけるようにして、前に出る。
「ひ……」
じかたさん、という言葉は飲み込まれた。
確かに玄関先に黒い服の男は立っていたが、それは期待していた人物では無かった。
「じゃあ、もらっておくぜ。フクチョーさんによろしく伝えてくんな」
「はい。確かに渡しましたからね、旦那」
そこに居たのは、土方の直属の部下・山崎退であった。ニヤリと新八に笑って見せてから、出て行く。
その背中を、声も出せずに見送っていた新八の隣で、銀時は受け取った紫黒色の袱紗を広げていた。
「お、ちゃんと6万円入ってるな。これで今月助かったぞ。でもムカつくな。俺らがこんだけ稼ぐのにどんだけ苦労すると思ってんだよ、それをアッサリ出しやがって。元々は俺らの血税だっつーの、なぁ? じゃ、これババアに届けて来いや」
「あ、ハイ」
差し出された袱紗を手に持って、玄関を出る。
ふと思いついて、階段を駆け下りたが、左右を見回しても往来に黒い制服の後姿を見ることはできなかった。
お登勢が受け取ったのは、当然ながら現金だけである。
絹地で左三つ巴の家紋が入った袱紗は、茶封筒や銀行の現金封筒のように気安く捨てられるような代物ではない。当然返すべきなんだろうと思うと、また気持ちが揺らいだ。
別に、相手はなんとも思っていないだろうことはよく分かっている。自分が空回りしていることも、百も承知している。それでも、妙な気分は収まらなかった。
重い足どりで万事屋に戻ると、どうやら台所で割れた皿の破片を踏んだらしい神楽が大騒ぎをしていた。銀時が神楽をなだめすかしながら、足の裏から破片を抜いて、治療してやっているらしい。
「傷モノになってしまったアル。もうお嫁にいけないヨ。銀ちゃん、責任とってヨ」
「しらねーよ。俺のせいじゃねぇ。それをいうなら新八の責任だろ。あいつんとこに嫁にいけ」
「嫌アル。姉御の妹になるのは嬉しいアルが、新八の嫁は絶対ごめんアル」
「んじゃ、どこならいいんだ? ドSか? あのドSんとこのでも嫁にいくか? いいぞ真選組は。給料高いから、豪華な飯食えるぞ」
「毎日三食、卵かけご飯食べられるアルか」
「それにお新香と酢昆布もつけれんぞ」
「マジでか! 酢昆布もアルか! でもアイツ、ムカつくアル。やっぱ銀ちゃんがいいアル」
「そーかいそーかい」
ソファに座った銀時は、神楽の幼い口説き文句を右から左に聞き流しながら、自分の腿の上に投げ出された小さな足を、消毒薬を含ませた脱脂綿で拭ってやっている。
それはどうみても、相手を子供扱いしている態度だ。
「ほれ、あとは傷が乾くまでここで転がってろ。ま、てめーは飯にボンドかけて食ってるよーな回復力だから、心配いらねーだろうが、それでもバイ菌入ったら化膿するからな……まだ床に足つけんじゃねーよ」
「転がってるだけじゃ退屈アル。銀ちゃん、遊んでヨ」
「遊んでヨって、何しろってーんだよ。俺ァ忙しいんだよ、これでも……ジャンプ読んだり、ジャンプ読んだり、あとジャンプ読んだりしなくちゃいけねーんだから」
「ジャンプ読むだけじゃないカ、天パ」
「ジャンプを馬鹿にしちゃいけねぇよ、ジャンプを読むことでオメェ、そらぁ……あ、新八。台所の割れた皿、ほったらかしてんじゃねぇよ。片付けとけや」
声をかけられて、我に返る。
「どうした、ぼんやりして」
そう尋ねられても、答えようが無い。
ただなんとなく、神楽と銀時のやりとりが、そのまま鏡を見ているような気がしてならなかった。
その晩。
自宅に帰った新八は、何も手につかず携帯電話の着信履歴をずっと眺めていた。これは土方さんの電話番号なんだろうか……かけようとしては思いとどまり……を何十回も繰り返し、ついに思い切って通話ボタンを押した。
プププ……という音と共に、番号が読み込まれていくのを眺めて、途中で「切」ボタンを押してしまう。もしかして、ワン切り状態になってしまったんじゃないだろうかと思い悩み、いっそ本当にかけようと、再び押しては、また途中で思い留まる。それをさらに何回も重ねた挙句、しまいに切るタイミングを逃して「トゥルルー」という呼び出し音が鳴ってしまった。
ぎょっとして切ろうとした寸前に「もしもーし?」という不機嫌な男の声が聞こえた。
「あ、あの、もしもし……」
「はいはい。山崎です。新八君? どしたの?」
「え、この番号……って」
「俺の携帯だけど?」
「あ……そうなんですか。その、昼間、土方さんからこの番号でかかってきたから」
「ああ、俺の携帯からかけたんだけど。何か用?」
「えーとその……袱紗、どうやって返そうかなぁって」
「ああ、それ? 俺が今度、取りに行くよ」
「これも、山崎さんのなんですか?」
「いや、それは副長の」
「そうなんですか……その、土方さんにお金ありがとうございましたって、伝えておいてください」
そう言って、電話を切る。
なんだかどっと疲れてしまって、新八は携帯を握り締めたまま、その場に突っ伏してしまった。
袱紗も俺のだって言っておくべきだったろうかと、電話を切った山崎は気づいて舌打ちした。
悪い芽は、花を咲かせるどころか、蕾すらつける前に徹底的に刈っておくべきだ。
土方が市中見回りのついでに、昨日の金を届けに行くと言い出したときには、いの一番で「一緒に行く」と手を挙げ、万事屋に行くことになったときには、代わりに届けに行くからと袱紗を預かって、走ったのだ。危険因子を、半径200メートル以内に近付けさせる気は毛頭無い。
土方は「お前の被害妄想だ、考えすぎだ」と笑って取り合わないが、山崎の恋のライバル探知機はピコーンピコーンと点滅していた。
「若気の至りというか気の迷いだろうから、しばらく離しておいたら熱も冷めるだろうけど」
それはどちらかといえば、分析というよりも希望的観測に近かった。
どのぐらいの時間が過ぎたのかは分からない。ふと、芳しい匂いを感じて緩やかに意識が浮上した。気を失っていた訳ではないと思うのだが、気がついたら、かなりの時間が経っていた。
見回して匂いの源を探し、文机の上に載せていた袱紗に視線が止まる。まさかと思って手に取ってみると、ふわっと香った。つり込まれるように、鼻を押しつけて息を吸い込む。線香のような匂いだが、それよりはどこか華やかな……香でも焚きしめてあるのだろうか。
土方さんの持ち物なら、煙草の匂いが移っていそうなのに。
でもそういえば、あのときも特に煙草臭いなんて感じなかったよな……いや、ボウリングのプレイ中は喫煙できないからと吸ってなかっただけかもしれないし、動転していたから匂いを意識する余裕がなかっただけかもしれないけれども……そう考えていたら、不意に口付けられた時のことを思い出してしまった。息苦しくて、でも妙に気持ちよくて。
薫りが快かったせいもあって、新八は、そのまま袱紗を口に当てたまま、ぼうっとしていた。
「オマエ、それの匂い嗅いでハァハァしてるアルか、まじキモいアル」
「かっかぐ……くぁwせdrftgyふじこlp;@!?」
不意に背後から声をかけられて、新八は表記不可能の叫び声を上げた。
「なっなななな……神楽ちゃんっ、いつからいたのっ、なんでここにぃっ!」
「さっきからヨ。姐御が、お客さんにデッカい蟹もらったから晩ご飯に皆で食べヨって。新八いつまでも来ないから呼びに来たら、ハァハァしてたアル」
「なんだぁ新八、ハァハァしてたの? オカズ何よ、それか? おめぇ、それオカズにしてた訳?」
「銀ちゃん、オカズって何アルか。新八、匂いでご飯食べてたアルか。焼肉の匂いで白ご飯食べるよーなやつカ。でも新八ご飯食べてないアル」
「オカズっていえば、ホレ、そのオカズだよ、特殊なオカズ。なぁ新八」
「ちょ、僕に振らないでくださいよっ! ち、違いますからねっ、そんなオカズになんてしてませんからねっ!」
必死で否定すればするだけ頬が紅潮し、まるで肯定しているかのようになっていく。頭から湯気を出さんばかりに茹で蟹よろしく真っ赤になっている新八を見下ろし、銀時は「シャレになってねーよ」とボヤいた。
「メシくったら、ちっと淫乱警察んとこに抗議に行くか」
「えっ? 真選組に? なんで?」
「なんでじゃねーよ。おめーのせいだろ、おめーの」
「ちょっ、なんで抗議なんですか、なんの抗議ですか……ていうか、そんな理由なんて、やめてくださいっ!」
血相を変えて引きとめようとするが、当然のことながら、新八ごときが銀時を引きとめられる由もなかった。
「部外者を、それもこんな時間にお通しする訳にはいきません」
銀時らの顔を知らないらしい若い隊士がそう言って門前払いしようとした。銀時が「んな硬いこといわねーで、おたくのマヨラー呼べっつーの。万事屋銀ちゃんが来たって言ったら、分かるからよぉ」となどと喚いていると、奥からひょこりと当の本人が顔を出した。
隊服のベスト姿で、ブラウスを袖まくりしている。重たそうなファイルケースを抱えているところを見ると、書類仕事中だったのだろう。
「うるせーぞ芦屋、何の騒ぎだ……って、万事屋てめーかコノヤロー…おい、追い出せ」
面倒くさそうにそう命じて、踵を返そうとする。
「ちょっ、待って、土方さんっ! あの、僕ら、これ返しにっ……!」
銀時を押しのけて、新八が叫ぶ。
土方が胡散臭そうに振り向いたが、新八が手にしていた袱紗に気付いて「ああ、ボーズか」と小さく呟いた。
「別に、ンなもん律儀にけぇしてくれなくても良かったんだがな」
苦笑しながら、銀時らを止めていた若い隊士にドサッとファイルを手渡し、新八に手を差し出す。ファイルを受け取った若い隊士も新八も、みるみる頬に朱が差す。
それを見て、銀時が「オイオイ、フクチョーさんっ! うちの若いモンにヘンな事を教えんじゃねぇよって言ったじゃねぇか、バーローめ!」と喚いた。
「んだよ、ぐじゃぐじゃとウッセーな……ああ、コイツ、おめーの色子なのか? だったら悪かったな」
土方が顔色ひとつ変えずに、そう切り返した。
「いっ……色子ぉ!? コイツが、俺の? ちっ、ちげーよっ! 俺はまだ何もしてねーっ!」
虚を突かれた銀時が慌ててそう喚いたが、その発言がまずかった。
「ま……まだ? 銀さん、まだって、何?」
「これからナニかする気だったアルか」
「新ちゃん、何かされたら、ちゃんと報告するのよ、微に入り細にうがち、詳細に」
「あ、いや、ちげーからっ! 今のは言葉のアヤだからああああっ! いやいやいや、ないから。新八相手にそれはねーから。だってアレだよ、ダメガネだよ、ツッコミ担当だよ。うちのツッコミ要員がツッコまれたら、シャレにならないだろーがよ」
真っ赤になって否定して、しまいに頭を抱えてしゃがみ込んでしまった銀時を、いかにも面白そうに土方が見下ろしている。
「ツッコめねーんだったら、おめーが陰間してやったらいいじゃねぇか」
「無理ぃいいいいいっ!」
「銀ちゃん、カゲマって、何アル?」
「おめぇは知らなくていいっ!」
「神楽ちゃん、陰間っていうのはね、ネコの方というか、受けの方というか」
「姉御、ネコって動物の猫アルか? 新八、猫耳するアルか?」
「てめぇは余計な解説しなくていいーっ!」
「ガキのしつけもてぇへんだな」
けらけら笑いながら、土方はベストの衿から手を差し込むようにしてブラウスの胸ポケットを探り、煙草の箱を取り出した。その騒ぎに、山崎や沖田まで何事かと顔を出してきた。
「あのーぅ……僕の意志無視でハナシ、進行してません? なんか違う気がするんですけど……てゆーか、僕だってイヤですよ。銀さん相手なんて」
ギャラリーが増えて来たこともあり、新八はなんとかその場を収拾しようとしたが、ちょっとやそっとで御されるような生易しい連中ではない。
「違うヒトだったらいいのカ。銀ちゃんじゃなくて、マヨラーだったらいいアルか。キモいアル。ホモメガネ、当分話しかけないでほしいアル」
「まぁ、神楽ちゃん、BLは乙女の萌えよ?」
「だって姉御。新八はキモいアル。美しくないアル」
「だから違うって、神楽ちゃん、話を聞いてぇぇぇぇぇぇ」
「オイ、マヨラー。ホモメガネが、おめーの置いてった袱紗の匂いかいで、ハァハァしてたアルヨ」
「まぁ、そうなの? 新ちゃん?」
思いがけない神楽の爆弾発言のせいで、事態は収拾するどころかエスカレートしてしまったようだ。お妙は目をキラキラさせ、沖田と山崎は頬を引きつらせて凍りついた。
「ちいっ、また敵が増えちまったけぇ」
「し……新八君、ちょっと向こうで話そうか?」
殺意すら感じさせるふたりの視線に、新八は「あ、いや、その、あれは別にそーいう……」と、ごにょごにょ言いながら、身を竦める。
土方が見かねて「いや、あの袱紗は香の薫りがついてたから、物珍しくて嗅いでただけだろ」と、代わりに弁解してやったが、銀時は顔を引き攣らせながら「香って……そんな旦那遊びに持ってくようなモンを、うちの若い子に渡さないでくれる? 免疫ねーんだから」と、畳み掛ける。
「だからと言って、カネをナマで渡すわけにゃいかねぇだろうが」
「フツーに封筒でいいだろーがよ。封筒でっ!」
そのやりとりを聞いていた沖田が、ボソッと「ヤるときはナマの方がいいくせに」と呟いた。
「ちげーだろ総悟、ナマは勘弁しろって言ってんだろーがっ! ひとの話をちゃんと聞け!」
「ちょっ、副長、俺というモノがありながら、まだ沖田隊長とカンケーあるんですかっ!?」
「オーグシ君、お盛んなのは結構だけど、ビョーキになんぞ。ゴムちゃんとしねーと」
「お盛んゆーなっ! 大体、それを言うなら万事屋、てめーもそうだろうがっ!」
「俺ァ、新八に手ェ出すほど見境なくねぇよ!」
「別に、俺だって見境ねぇわけじゃねえ!」
「新八に手ぇ出した時点で、見境ねぇの確定だろ、ド淫乱っ!」
「手ぇ出した言うなっ! たかが口吸ったぐれぇで、ガタガタうっせぇ!」
お互いにフォロー不可能な暴露情報をタレ流しながら、土方と銀時が罵りあっているのを、神楽はキョトンと眺めている。
「ぱっつぁん、ビョーキって、ナンのビョーキね? オツムのビョーキか?」
「かっ……神楽ちゃんは知らなくていいことだから」
「さっきから、皆ばっかりズルいね。ワタシのけものネ」
「神楽ちゃんも、オトナになったら分かるわ……というか、新ちゃん、口を吸われたってどういうこと?」
「ダメガネだからアル。ファーストキス、男に奪われたダメガネだからアルな」
「まぁ、そうなの。それで相手は土方さんだったのね? 新ちゃん、詳しく説明なさい」
お妙の口調はあくまでも温かく優しいが、その内容はどこからツッコんでいいものやら検討もつかない。さすがのツッコミストの新八も(己の立場上、という理由もあるが)片頬を引きつらせただけで声も出なかった。
その新八の肩を、山崎がポンと叩く。
「ところで……単刀直入に聞くけど、新八君は副長を抱きたいの? 抱かれたいの?」
「そうね。そこが重要なポイントよ、新ちゃん」
「え、そんなこと……言えるわけないじゃないですか!」
「山崎、そんなぬるい尋ね方、おやめなせぇ。オイ、メガネ。ナニを根元から切り落されるか、ケツにカラーコーン根元までブチ込まれるか、どっちか選びなせぇ」
「何それっ!? それなんてエロゲー!?」
「そういうこったから新八、300円やるからまっとーな道に戻れ、今ならまだ間に合うから」
今にもカラーコーンを持ち出しそうな勢いの沖田から新八を庇うように、銀時が割り込んで、新八の肩を叩いた。新八の視線が、まだ未練がましく土方に流れているのに気付かないふりをして「ともかく、だ。うちの若いもんにヘンなこと教えるんじゃねぇぞ、この淫乱警察24時っ!」と捨て台詞を吐いて、強引に外へ引きずり出す。
抱きたいとか、抱かれたいとか、そんな大それたことを望んではいなかった。
ただ、男だとか女だとかそういうことを忘れるぐらい、すごくキレイな人で、触れた唇が柔らかくて甘くて。恋といえるほどはっきりした感情ですらなく、あの瞬間を思い出すと、胸がドキドキしたというだけで。自分なんか相手にならない高嶺の花で。そんな人にはとうに想い人がいるだろうというのも、ハナっから分かっていた。
それぐらい、ちゃんと全部、分かってたのに。
なにもみんなして潰しにかかることないじゃないか。
自室に戻った新八はがっくり脱力して、部屋の電気もつけずに畳に突っ伏した。
こういうときは、お通ちゃんの曲でも聞いて元気を出そう、お通ちゃん以外に目がいった自分の過ちなんだと自分に言い聞かせてみるものの、そのCDプレイヤーに移動するだけの気力すら残っていない。
うだうだしていると、近づいてくる足音がした。姉上だろうかと思いつつも、身体が動かない。
「おおい、ぱっつぁん、居るか? おい、大丈夫か?」
「銀さんですか」
心配してくれているのは分かるが、ぶち壊し組の筆頭だったくせにと思うと、腹がたって、つい口調がキツくなった。だが、新八のそんな心境にはお構いなしに、銀時は部屋に上がり込むと勝手に照明をつけて、すぐ隣に胡座をかく。
「んな暗いとこにいたら、目、悪くなんぞ。ただでさえダメガネのくせに」
「放っておいてください」
「そんなだから、いらんところに目が眩むんだ」
「放っておいてください」
「大体、アイツはテメェみてぇなガキなんざ、どーとも思ってねぇんだし」
「放っておいてください」
「オマエもアイドルおたくとかやってねぇで、とっとと彼女とか作れ? そしたら、今回みてぇな気の迷いもなくなるだろ」
「放っておいてください」
「だから、今回のコトは、とっとと忘れて……」
「だから、もう、放っておいてくださいって、言ってるだろぉ!? 何回言わせるんじゃ、このボケコラカスぅ!」
カッとして跳ね起きるや否や、新八は銀時に殴りかかっていた。もちろん、そんなダメガネパンチが当たる由もなく、あっさりと拳を掴まれる。殴り返されるかと思わず身をすくめたところで、力一杯腕を引っ張られた。体勢を崩してスッ転んだ先で、銀時の胸元に抱き込まれていた。
「……銀さん?」
「ああ、悪かった。アイツの愛人になって、援助交際して金絞れなんて煽った俺にも、責任あるわな」
大きな手で背中を撫でられる。温かいなとふと思ったその途端に、何故かぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
「ああ、泣け泣け。思いっきり泣いたら、スッキリすっからよ。忘れるのは無理でも……少なくとも、笑ったツラつくるぐれぇ、できるようになれや」
後半は新八に向けたというより、独り言のようだった。もしかして銀さんも忘れられないような恋をしたことがあるのかもしれない……そんなことを考えているうちに、涙は収まって来たが、代わりに鼻水が垂れてきた。何か拭うもの拭うもの……ハンカチもティッシュも懐に無いや……こっそりと銀時の着物の端で拭ったら、拳骨が降って来た。
ちなみにそれから数日間、銀時と新八は『オマエラ抱き合ってたアルきもいアル不潔アル』との咎で、神楽に口をきいて貰えなかった。
(了)
【後書き】某所で踏まれたキリリク小説『Baci di Dama』の続編です。中盤の屯所でのやりとりの一部は、北宮さんとのなりきりチャットのログをリライトさせていただきました。
タイトルはお菓子繋がり&歌詞内容で、岡村靖幸の曲『ビスケット・ラブ』より引用。
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