Baci di Dama/下
「んで? 新八ィ、何使って掘るんだ?」
「何って何ですか。何を掘る気ですか」
「ナニでナニを掘るアルか?」
「神楽ちゃんんんんんんっ! それダメだからっ! その発言、アウトだからっ!」
「大丈夫アル。フォモが嫌いな女性は居ないって、姐御が言ってたヨ」
「姉上は、腐女子なんかじゃないいいいいいいいいいっ!」
「諦めろ、新八。おめぇだってキモいアイドルヲタクなんだ。それに職場で毎晩毎晩、現実社会の醜い野郎共の姿をさんざっぱら見せられて、三次元に幻滅してるのかもしんねぇし、そうでなくても思春期の女性ってのはオメェ、恋愛ってぇのにフワフワーッとした幻想持ってるもんだからよ、そーいう年頃は、ついフラフラーッと同性愛とかに憧れるもんらしーぜ? 第一アレだ。腐女子を卑下しちゃいけねーよ。現代の経済を支えるマーケティグターゲットは、今やオタクではなく、よりディープな腐女子層だよ? 江戸の経済活性化のためにもっと生温かい目で見守ろうじゃねぇか、新八」
「うるせーよ、うぜーよ、訳わかんねーよ! ひとの家族を勝手に分析してるんじゃねーよ! いつの間に経済の話にまで発展してるんだよ! てゆーか、ボウリングの話でしたよね!?」
「玉を転がして、棒の奥の穴に突っ込むプレイだって、聞いたアル」
「神楽ちゃん……その説明、間違ってないけど、微妙にオカシイよ。なんか、さっちゃんさんの発言みたいだよ」
「そう、私が教えてあげたの」
「でたぁああああああっ! てゆーか、帰れストーカーっ!」
「ああん、もっとなじって、もっと貶して、もっと罵って、その言の葉のひとつひとつが、私の活きる糧になるぅぅぅう! 玉を転がすとか、棒を狙うとか、そーいうマニアックなプレイは、私に任せておきなさいっ!」
「マニアック……ですかね。まぁ、きょうび、あんまりボウリングってしませんものね。長谷川さんぐらいの世代だったら、メジャーなスポーツだったのかもしれませんけど……って、真面目にゲームで勝負するんだったら、長谷川さん呼んで来た方が良いんですかね。僕、売り子代わってきてあげようかな」
「わざわざ呼ばなくてもいんじゃね? 良く分からねぇけど、要はこの鉄の玉転がしゃあいいんだろ?」
「まぁ、銀さんにはその程度の説明で十分かもしれませんね」
ハァと溜息をついている新八を尻目に銀色の玉を構え、いざ投球動作に入ろうとした銀時は、思いがけないものを目にして足を滑らせた。後ろに振り上げられた銀玉は、そのまま豪快に後方目がけてすっ飛ぶ。
「あぶないいいいいいいいいっ! 銀さん、殺す気ですかあぁあああっ!」
「やんっ、こんな大きいので迫られても、さっちゃん困っちゃうんだゾ。できれば、ぎっちゃんの生身がいいんだゾ」
「軍曹、標的は前方であります! これは、軍法会議ものでありますアル!」
「うるせーっ! それどころじゃねーよ!」
銀時は血相を変えて、つかつかとやや離れた位置のレーンに向かう。そこに見慣れた巨大な白い不思議生命体を見付けて、新八も唖然とした。
「てめっ、真選組の幹部がウヨウヨしてるとこに、何をちょろちょろ現れてるんだ、ヅラっ!」
「ヅラじゃない。ヅラ子だ」
「知るかっ! まったく、何考えてんだよテメーはっ」
銀時が『ヅラ子』に扮している桂を、小声で詰問する。本当なら、ついでに胸倉のひとつも掴みたいところであったのだが、あまりにも完璧な女装なだけに、さすがにそれは躊躇われた。
ちなみに、一緒に居るエリザベスもくちばしに赤い紅を差し、脳天に巨大なリボンをつけている。
「何って、スマートボールで勝負をして優勝すると、銀時を嫁に貰えると聞いたのでな。俺としてはどちらかというと、嫁というより婿に欲しいのだが、まぁ、いずれにせよ夫婦仲良く攘夷活動ができるというのは実に好ましいことだと思ってな」
そう言いながら、ヅラ子がキュッとたすきをかける。
藤色の着物の袖からすらりと伸びた腕は白くしなやかで、確かにこのまま女だと言い張って逃げることは可能かもしれない。だが、だからって、だからって!
「ボウリングだっつの! スマートボールじゃねぇっ! つーか、天人到来のこの御時世に、スマートボール知ってるヤツの方が少ねーよ! なんで俺がそんな絶滅危惧種みてーな遊戯の景品にさせられてんだっ! おまえはどーしてそう、世間様とズレてんだよ! ともかく、万が一正体がバレたらおおごとになるし、周りの客にも迷惑になるから、帰れ帰れ」
「周りの客のことなら心配いらないぜよ、金時。このボウリング場ばぁ、借り切ったぜよ」
「また、ややこしいヤツが出てきたぁあああああああああああああっ!」
「時に銀時。スマートボールの台が見当たらないのだが……玉はどこで買うンだ? あのカウンターでか?」
「だから、ねーってそんなもんっ!」
ちなみにスマートボールとは、パチンコの前身に相当する、賭博性のある遊戯台の一種で、現在でも関西の某界隈には専門店が生き残っているし、お祭り等の屋台で見かけることもある。
ボウリングがド素人という連中が居る一方で、練習開始早々、ストライクを連発しているチームもある。
「近藤君に、こんな特技があったとは意外だったね」
「まぁ、アレだよ。偉いひとと付き合いがあるとよ、接待ゴルフだの麻雀だのがあるからよ。そんなこんなで、付き合いでやらされることもあってよ……見回り組の佐々木殿なんて、上背があるからフォームが豪快で、見事なもんだぜ」
「なるほどね、まぁ、僕も似たような理由だよ」
そうやって和気あいあいと話しているのが面白くなかったのか、沖田が「俺もやっていいですかイ」と割り込んだ。
「お? 総悟もか? よしよし、俺の番んときに代わりに投げろや……そーいうとこは、やっぱり、まだまだ子供だな。昔からそうだもんな、俺がなんかやってたら、真似っこというか、一緒にしたがってよ」
そう言いながら、沖田の頭をわしわしと撫でてやると、沖田は猫のように気持ち良さげに目を細めてから「じゃあ、遠慮なくイかせて頂きやすぜイ」と言って、おもむろにバズーカー砲を構える。
「ちょっ、総悟くんっ!? 何してんのぉおおおおおっ!」
「何って、ボウリングでさぁ。あのピンを全部吹っ飛ばせばいいんでやんしょ?」
「いや、バズーカーはダメだから、バズーカーはっ!」
「心配いりやせん。ちゃんとボウリングの球を詰めてやす」
「そーいう問題じゃないのっ! てゆーか、そんなもん詰めて暴発したら危ないから、らめぇええええっ!」
バズーカーを取り上げようとする近藤と沖田が揉み合っているのを、伊東はシラーッと眺めていた。
「やはり、こいつらバカ共は味方とするに足りないな……篠原君、旧知の君がこっちの陣営に来てくれたのは、非常に嬉しいよ」
そう言われて、篠原は(いやいや、今回は『打倒ザキ』で利害が一致しただけですけどね)という本音を押し殺し、にっこりと笑ってみせた。
「俺が、先生のお力になれるかどうかは分かりませんが、そう言って頂けるのは、光栄です」
あれアイツさっき伊東のこと呼び捨てにしてなかったっけ何故トートツにセンセー呼びに切り替えてンの何枚猫かぶってるんだよキモチワルイあのブリっコ誰ですか等々、監察仲間のツッコミの視線が痛いぐらい篠原の背中に突き刺さっているが、そんなことで顔色を変えるようでは監察など勤まる訳がない。
「最後に勝たれるのは、先生だと俺、信じてますから」
そう囁いて、篠原はそろそろと手を伸ばし、備え付けのプラスチックの椅子のひじ掛けの上にある伊東の手の甲にそっと触れる。堅物の伊東には刺激が強すぎたのか、色白の頬にみるみる朱が差した。
「……し、篠原君?」
「ほら、先生の番ですよ?」
「あ、ああ」
マイボールを手に立ち上がった伊東の背を見詰めながら、篠原は(さすがに、伊東が勝っても「キスの権利を譲ってくれ」とか言えないかなぁ。まぁ、今回はザキとくっつくのを邪魔するだけで、十分か)などと考えていた。
伊東の腕が飛び立とうとする白鳥を思わせる優雅な動きで振り上げられ、滑らかなステップを踏みながら今、まさに放たれようという瞬間に、ワッという歓声が起こった。伊東はその声に集中を乱され、トトトッとタタラを踏んだ。
「な、何事かね、篠原君」
「さぁ……なんか、あっちのレーンで、凄いスコアが出ているようです」
「なんだと? この僕を差し置いて……そして、その誰かさんに、損害賠償を請求せねばならんな。さっきので指を痛めた」
「えっ、大丈夫ですか? というか……指、抜けます? それ」
いかにも心配そうに篠原は伊東の手元を覗き込むが、その内心では(やっぱ、イザとなると使えねぇボンボンだよなぁ、伊東って昔から)と思っていたとか、いないとか。
「銀さん、あれ……あのハイスコア出してるのって……エリザベ子さんと……か、金丸ぅ!? ちょ、なんで金丸うっ!? 坂本さんが借り切ったから、ここ部外者居ないんじゃなかったんですか、なんで金丸うっ!?」
「いや、あれはマスコットの古橋さんだ」
「しるかぁあああああああああっ! 見分けつかねーよ!」
「金丸君は肘の辺りから、口径の大きなサイコガンを搭載していて、古橋さんは手首のやや上の辺りから、口径の小さなサイコガンなんだ」
「どっちでもいいよ! どっちにしろ部外者じゃねーかよっ!」
「いや、彼らは万事屋のプロトタイプだ。部外者じゃねぇだろ」
「もう関係ねーだろ! てゆーか、時間軸設定まるで無視して登場してんじゃねーよ! 大体、あのオバQ的な指のない手と、サイコガンの右腕で、そもそもどうやって投げてるんですかぁああああっ!」
「こう、あるんだよ。心のバズーカー的なものが石油を掘り当てるんだよ」
「ちげーよ石油採掘じゃねーよ、てゆーか心のバズーカー的なものって訳わかんねーよ……って、エリザベ子さん、口から手ェ出てるぅううううっ! 裾からおっサン的なすね毛ボーボーの足もチラチラ出てるぅうううううう! 気持ち悪ッ! 小説だとヴィジュアルイメージ伝わりにくいけど、なんか想像すると気持ち悪ッ!」
「ぱっつぁん、説明的な台詞、ご苦労アル」
一方、土方と山崎も異様な姿の二人が次々とストライクを出している様を、唖然と眺めていた。
「もしかして、俺のキスの権利って、あの訳わかんない半裸のレゲエとオバQ的な化けものに奪われるんだろーか」
「まぁ、恨むんなら、そんなもんを賭けの景品にしようとした、テメェの浅ましさを恨みな」
土方は苦笑しながら、拗ねくっている山崎の頭を、ポンポンと軽く叩いてやる。
「まぁ、それを言っちゃぁ実も蓋もないんですけどね。だって、せっかくのデートだったのに」
山崎は、その頭上の手に触れてそっと引き降ろし、頬をすり寄せた。
「誰かに見られる。よせ」
「だぁってぇ」
「よせっつの」
むにっと頬をつままれた。その途端に、再びワッと声があがる。土方も、山崎の頬をつまんだまま、振り向いた。
見れば、レーンの奥に身体ごと突っ込んでいくレゲエ男の尻が見えた。
「な、なんだぁ?」
「さぁ……どうやら、サイコガンの先端をボールの穴に突っ込んで投げていたのが、抜けなくなったようですね」
「いや、それにしても……アイツさ、あそこに落ちて、どーなるんだ、ザキ? ボールだったらこう、機械ン中通って、そっから出てくるだろ?」
「まさか、同じように頭部がそこからポコッと……!? いや、無い無い。そんなスプラッタな光景、無いから」
「ち。市民の安全を守る身としては、助けに行くしかねーか?」
土方が面倒くさそうに片肌脱ぎだった着流しの袖に腕を通し、衿を直しながらそちらに向かおうとすると、ポテポテとレーンの上を、白いオバケが駆けていくのが見えた。
「お、仲間を助けようとしてやがんのか、感心だな」
「大丈夫ですかね。レーンの上って、油を塗ってるから、結構、滑……ってああああああっ!」
お約束のようにオバケが足を滑らせ、自力で這い上がろうとしていたレゲエ男を巻き込んで、奥へと落ちていった。そこでサイコガンが暴発したのか、小規模ながらも爆発まで起こる。
「おーい、バカモト、あの修理代もテメーで出せよな」
「わしも出してやりたいのはヤマヤマなんじゃが、陸奥が許可してくれるかのぅ」
そんな会話が聞こえて『なんだ万事屋のツレか』と思うと、市民を助けようという土方の職務意識はすっかり失せてしまった。山崎の傍に戻り「で? 結局、スコアはどーなってんだ?」と尋ねる。
ストライクを連発してパーフェクトゲームを目前にしていたレゲエとオバケは、ゲーム途中でリタイヤ。マイボール持参で勇んで登場した伊東も負傷でリタイヤ。そこそこ出来たらしい近藤さんも、途中で沖田と揉めたらしく試合放棄状態。
「なんだかんだ言って、当初の勝負のまんまみてぇだな」
「だったら、俺の勝ちってことで、いいですよね……って、アレ?」
スコアが表示されているボードを眺めていた山崎が、思わず凍り付いた。
「んだ? なんか居るみてぇだな」
「ちょっと呼んできます」
「オマエ、こーいう地味なこと得意アルな、やっぱり地味キャラだからアルか?」
「神楽ちゃん……それ、褒めてくれてるんだよね、褒めてるつもりなんだよね?」
「オマエが優勝なんて、面白くないアル。かぶき町の女王神楽様よりスコアが高いなんて、空気読めてない証拠アル。ここは遠慮して手を抜くのがマナーアル」
「そんなこと言っても、神楽ちゃん、ほとんどガータだったじゃないか……神楽ちゃんより低い点数出そうとする方が難しいと思うんだけど」
「新八のくせに生意気アル。銀ちゃん、あっちでオカマとモジャモジャと遊んでて、全然構ってくれないし」
「何これ、放置プレイ? 放置プレイなのね、いいわ、乗ってあげようじゃないの。待たされれば待たされるだけ、愛の炎は熱く燃え盛るのよっ!」
僅差で己を上回るスコアを出していたレーンに近づいた山崎は、そこのメンツに目を丸くしていた。万事屋の連れている子供ふたりと、お庭番衆の猿飛あやめが居たからだ。恐る恐る「もしもーし? 山崎ですけどー……もしかして、あの点数……新八君?」と、声をかける。
「あ、そうなんです。なんか、周りがあんな感じだから、ひとり黙々と投げてたら、あんな点数に……って、そうだ、これ、なんかの勝負だったんですよね。優勝したら、景品に土方さんがどーのこーのって」
「そうそう。だから、ちょっとこっち、いいかな?」
にこやかな笑顔で新八の肩を抱くようにしながら、くるりと一同から背を向けると、一転「何してくれちゃってんの、新八君っ! その勝利の権利、俺に譲れ?」と小声で凄む。
「え? 何なんすか、その勝利の権利って……せっかく勝ったのに」
「いいから、新八君が貰っても、嬉しくないものだから」
「そんなこと言っても……土方さんになんかおねだりできる権利っていうんだったら、今月の家賃分、カンパして貰おうかなーとか思ってたんですけど」
「いや、そーいうんじゃないから」
「じゃあ、なんですか?」
そんな押し問答をしながら、山崎がずるずると新八を『連行』してきたので、土方は細い目を見開いた。
「んだ、万事屋んとこのボーズじゃねぇか」
「あの、なんか、土方さんから景品が出るって聞いてるんですけど」
「景品つーか。コイツが勝ったら、接吻してやるっていう賭けだったんだがな」
「へ?」
「いや、俺ら、デートしてたからさ、デート。だから、新八君が勝っても意味がないの。分かった?」
「デートって……だって、土方さんと山崎さんとで?」
状況を理解できずに二人を見比べていた新八であったが、次第に飲み込めてきたのか「まぁ、土方さんぐらい、キレイな人だったら、そーいうのもアリなのかもしれないですね」と呟いた。
「おいコラ、ボーズ、アリってなんだよ、アリって。第一、男が男にキレイなんて言われても、あんまり嬉しかぁねぇんだぜ」
土方は苦笑すると、新八の独り言をどう解釈したのか、まだ山崎に抱え込まれたままの新八の顎にツイッと手をやった。長い指だなと新八が思わず見愡れていると、不意に視界が暗くなった。息苦しくなり、口腔にヌルッとしたものを感じる。
「ン……? んんんんんんーッ!」
「ちょ、おいイイイイイイイイイイイッ! 副長、アンタぁあああああっ!」
「オイオイオイオイ、オーグシ君、うちの若けーもんに何してくれちゃってるの、淫乱警察24時ですかコラ」
「んだよ、ちょいと口吸ったぐれぇで、ガタガタと」
「口吸ったぐらいって、アンタさっき、舌入れてませんでしたぁ!?」
「うるせーな、減るもんでなし」
土方はしれっというと、腰帯に提げた煙草入れから一本抜くと、微かに濡れて艶かしく光っている唇に挟み込む。
新八は何が起こったのか把握できずに己の唇に指を当てていたが、やがて何かに思い当たったのか、ガクッと膝の力が抜けた。肩を担ぐようにしていた山崎が、慌てて身体を支えてやる。
「ちょっ、新八君っ、大丈夫!?」
「あ、その、ちょっと僕、ビックリしちゃって、あ、は、ははは……は」
「まぁ、驚くよね、男相手に突然じゃあね。新八君、気持ち悪かった?」
「気持ち悪いというか」
むしろ、なんか温かくて、妙に気持ち良かったんだけど……というのは、とてもじゃないが言えない。よく手入れされているらしい土方の滑らかな肌には髭のざらつきもなく、男相手だということさえ意識しなければ、唇は柔らかくて仄かに甘い味がして。
「ぱっつぁん、顔真っ赤アルよ。照れてるのか、男にキスされて照れているか。ティンコ勃ってきたアルか。めっさキモいアル」
「か、神楽ちゃん、なんかさっきと言ってること、えらく違くね? さっき、フォモの嫌いな女子は居ないって」
「リアルで見ると、やっぱキモいアル。しばらく話し掛けないでほしいアル」
「ちょ、なんで! ファーストキス奪われて、それでキモいって罵られて……僕はむしろ被害者じゃないか!」
「なんだ、ボーズ初めてだったのか。そいつぁ悪ィことをしたな。返そうか?」
「どーやってですかぁ!」
「んーそうだな、口移しで?」
「無理ぃいいいっ!」
半べそから本泣き状態になった新八を見下ろして、土方は悪戯が過ぎたと苦笑する。
「ああ、わーったわーった悪かった。今度、何かで埋め合わせしてやっから」
「は、はい……じゃあ、ひとつ、お願いできます?」
「ん?」
眼鏡を外して、バイトのユニフォームの袖で涙を拭っている新八の口許に、土方は長身を折るようにして、耳を寄せてやる。ボソボソと囁かれ、土方は「そらぁ……今すぐここで、は無理だな。後でな」と答えた。
「え、本当に? ダメモトで言ったんですけど……あ、ありがとうございますっ!」
「ちょ、副長、なんの約束したんですかっ!?」
「てゆーかオーグシ君、うちの子をそっちの道に引きずり込まないでくれるぅ? ゴリラ女に殺されるじゃねぇか、俺が!」
「いやぁん、銀さんが居ない世界なんて耐えられないわっ、私が銀さんをゴリラ女から守ってあげるわっ!」
「沸いてくんな、このストーカー女がぁ!」
「ああん、もっと蹴ってぇ」
「お妙さんはゴリラじゃなあああああああああいっ! お妙さんは菩薩なのっ! 菩薩のような心を持ったちょっとシャイで不器用なだけの女性なのっ!」
「お前もだ、このストーカーゴリラぁ!」
「銀時、スマートボールの在り処が分かったぞ! さぁ、いざ共に往かんッ!」
「まだ居たよ、ストーカーテロリストが……どんだけぇ!」
「貴様、もしや桂っ!?」
「しまった、逃げるぞ、エリザベスッ!」
桂が懐から何やら丸い球を取り出すと、床に向かって叩き付けた。途端に七色の煙幕が立ち上って視界を覆う。咳と涙が止まらない状態で、皆が這うように煙から抜け出した頃には、桂と思しき女と白い巨大なオバケは姿を消していた。
「あの場ですぐにできないような埋め合わせって、一体何すか?」
帰り道すがら、山崎はずっとそれにこだわって、何度も土方に尋ねていた。土方はその度に面倒くさそうに「大したことじゃない」「お前に関係ない」「あんなボーズ相手に妬くな、みっともない」と受け流して、取り合おうとはしない。
「そりゃあ、妬きもしますよ。せっかく勝ち取れると思ったアンタの唇が、奪われたんですよ。いや、あの状況じゃ奪われたっていうか、アンタが奪ったという方が正確なのかもしれませんけど、ともかく、新八君をこうやって抱えていたんだから、もう、目の前も目の前、ほんの10センチか20センチって距離でっ!」
「あーそうだな。悪かったな」
「ちょ、なんかそれ、すんげー棒読みなんですけどぉ!」
「うるせぇ」
「それとも、なんですか、言えないようなことを約束したんですか?」
あまりにも山崎がしつこいので、ぶん殴って黙らせようかとも思ったが、周囲に人通りがなくなったのを確認して手を振り上げてみせても、山崎が怯むことなくまっすぐに見上げて来るのを見て、気が変わった。
代わりに、ひたりと柔らかく頬に触れてやる。
「ホント、おめぇが想像してるようなことじゃねぇんだぜ?」
そういうと、山崎の耳元にボソボソと息を吹き込むように囁いた。山崎が目を丸くする。
「へ? そうなんすか?」
「だから言ったろうが、大したことじゃねぇって」
「まぁ、それは……その場ですぐは無理かもしれませんね」
「だろ?」
そして、そのまま掠めるように唇を重ねてやった。
「帰ってきたかい、穀潰し共が。明日までに、せめて1カ月分でも家賃入れないと、本気で追い出すからね。分かってるのかイ」
万事屋三人が帰って来たのを、家主のお登勢が見咎めて声を掛けた。
「立テコモッテ逃ゲテモ無駄無駄、セイゼイ日雇イバイトデ稼イデキニャンボワザー」
「訳わかんないヨ、今どき語尾でキャラ作ろうなんて発想がそもそも古いアル。その猫耳引きちぎって、平凡な団地妻にされたいアルかっ!?」
「アルアルって語尾につける神楽ちゃんが言っても、あんまり説得力ないけどね」
「うるせーよホモメガネ。キモいから、しばらく話し掛けんなって言ったろーが」
「えっ!? なんで突然、標準語っ!?」
「まぁ、語尾はともかく……今日も日雇いバイトに行ってたらしいけど、少しは足しになったのかい、銀時」
お登勢が煙草をくわえて火をつけると、銀時が人さし指と中指を立てた片手を口許にやってみせる。お登勢は「てめぇで買う金も無いのかい、情けないねぇ」とぼやくと、煙草入れを差し出してやった。
「稼げども稼げども、定春の餌と糖分を優先させたら、煙草銭なんて残らねぇんだよ」
「菓子代だけでも、家賃に回しな、このヒョーロク玉が。で、今日の稼ぎはどうなんだい」
「ああ、それなんだけど。とりあえず一カ月分は、なんとかなりそうで」
「ほーう?」
お詫びがてら、今月の家賃分、援助してくれます? 6万円。
そんなには、財布に持ち合わせがねぇな。
「よし、新八、あのマヨラーの愛人になって、援助交際しろ。俺が楽できる」
「ちょっ、なんで僕がっ!? てゆーかそれと銀さんが楽できるって、どういう図式ィ!?」
「口吸い1回で、6万円引っぱれたんだぞ。ケツ貸したら、もっと取れるぞ」
「鬼かっ!? アンタ鬼かぁ!? つか鬼だよっ、その発想、鬼そのものだよっ!」
「……パピー、マミー……地球は怖いとこアル。ホモだらけアル」
「そういえば、僕ら、何か忘れているような気がするんですけど……何でしたッけ?」
逃げ遅れて、ボーリング場を破壊した連中の一味と看做された長谷川が修理費をおっかぶせられて、それを払い終えるまでの間、そのビルでタダ働きさせられていたというのは、後に聞いた話であった。
了
【後書き】5月23日に、AKIさんに某所のキリ番を踏みにじられ、その日がたまたま『キスの日』だったということで「土方の唇争奪戦で」というリクエストを頂きました。ボウリングは高校生の頃に1回か2回しかしたことの無いのですが、ボウリングのサイトなんぞを見て調べながらも、出て来るキャラクターやドタバタのやりとりはすぐに思い浮かんだので、一気に書き上げました。
山崎と土方のイチャコラも久々に書けて、楽しかったです。
タイトルは『Baci di Dama』(伊)チョコクリームのビスケットサンド。邦訳すると「貴婦人の唇」
【追記】続編書いてみました。よろしかったらどうぞ。
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