おとしだま/上
もう幾つ寝ると……と、指折り数えていた子どもの頃じゃあるまいし、オトナになってからのお正月の楽しみといえば、お屠蘇にお節に、あとはせいぜい福袋かテレビの正月番組……ぐらいなのだが、真選組の監察方には、さらに「副長から貰うお年玉」というのがある。
土方のポケットマネーから出る寸志を頂く……という、ただそれだけのことなのだが、ひとりずつ副長室に呼び出されて一言労いの言葉を添えて、というのがポイントだ。
そこで飴と鞭でいうところの「飴」を与えて、今年もキリキリ働かせようという魂胆なのだが、それに喜んでホイホイ乗せられてしまうあたり、監察方が『土方のハーレム』と呼ばれているのもむべなるかな。
ちなみに貰える順番は序列や功績とは関係ないらしく、その年は吉村折太郎が一番手であった。
……篠原がまだ仲間だった頃のお正月。
「ただいま、っと。次は服部、おめぇだ」
寝泊まりしている大部屋に戻り、そこで屯ろしていた監察仲間のうちのひとりに声をかけてから、どっかと自分もその輪の中に入った。輪の中心には、ささやかな暖房器具として小さな火鉢があり、それに手をかざす。
「服、煙草の匂いが移ってるんだけど。おまえ、副長に何してきたんだ?」
正月らしからぬ不機嫌な顔で、その吉村をジロッと睨むのは、篠原進之進だ。
「どうした、しの、生理か?」
ケロッとした顔でそんな冗談を言えるのは、ベテランの吉村ならでは、だろうか。他の監察勢は真っ青になり、固唾を飲んでそのやり取りを見守っている。
「生理もなにも、孕むようなことは、とんとご無沙汰だよ」
「孕むようなことって、オマエ」
吉村は苦笑しているだけだが、他の、たとえば尾形や芦屋なんぞは『いや、篠原さんだったら男の身体でも妊娠できるかもしれないすよ。だってこの人、天人だもん。あの性格の悪さは絶対、地球人じゃないもん』という台詞が喉の辺りまでこみ上げて来ている。そんな気配を察したのかどうか、篠原の黒目がちな眼がちらりと流れ、ふたりは慌てて視線を逸らす。
「まぁ、お互い様なんだから、何をしてたか尋ねるのは野暮ってことでいいじゃねぇか」
「ふーん?」
それ以上の追及を諦めたらしい篠原が吉村の背後に回り込むと、代わりにその背にぽふんと額をつけてその移り香を吸い込む。尾形らは『ひいいいいいいっ! 背中刺されるっ! 吉村さん逃げて! 超逃げて!』と叫びたいところだが、吉村は「なつくな、ボケ」と、その頭をぽかんと引っ叩いた。
その間に服部が戻ってきて、篠原と吉村のやりとりに顔面を引き攣らせるが、吉村に「お次は?」と尋ねられて「ああ、尾形……だとさ」と呻くように声を絞り出す。
「なんだ、しの。ただの欲求不満か。なに見境なくサカってんだよ」
よせばいいのにわざわざ挑発するのは、監察筆頭としての地位だけでなく、土方の寵愛も奪い合うライバルである山崎退だ。
「ただのとは何だ、ただのとは……大体ザキ、お前が邪魔なんだよ」
「溜まってんなら、ヌきゃいーじゃないか……まったく女みたいに五月蝿い」
「ンだと? 単純にできてる奴ぁいいねェ、幸せで」
今にも掴み合いを始めそうな雰囲気に、吉村が見かねて「おいおい、おまえら」と割って入ろうとしたところで、尾形がニコニコしながら戻ってきた。
「副長に頭ナデナデしてもらったァ! 次、芦屋だって」
別に、撫でられたぐらいどうということもなかろうが、言ったタイミングが悪かった。
尾形はかわいそうに、山崎と篠原にスラックスの裾を掴まれて引き倒されたうえに、ヤツ当たりがてら(柔術が得意な)篠原の腕ひしぎ十字固めと(実家が鍼師の)山崎の四の字固めを、同時に食らうハメになる。
「いだだだだだだだだ! ギブ、ギブぅ! ぎぶあっぷうううううう!」
利き腕は固められているので、空いている左手で畳を叩いて尾形が喚くと、同室の他の隊士らから「オイ、監察方、うるせーぞ」という野次が飛ぶ。
やがて戻って来た芦屋が「次、新井さーん……えへへ。副長にちゅーして貰いましたァ」と見栄を張って言ってみたが、さすがにそれはリアリティに乏しかったのか、監察方全員に「それはない」と、異口同音にコキ下ろされてしまった。
「俺がナデナデなんだから、芦屋は足の裏でも舐めさせてもらったんだろ」
関節技でも腕を競い合うふたりにそれぞれ極められ、まだ違和感が残る肩や足を揉みほぐしながら、尾形が恨めしげに呟く。
「違うもん! 俺だって頭撫でて貰ったもん!」
「篠原さん、こいつにも腕ひしぎ十字固めかけてください。じゃないと、割に合わないっす」
「尾形、俺に命令するようになるなんて、偉くなったモンだねぇ」
そう言いながらも、篠原はゆらりと立ち上がるや芦屋の胸倉を掴み、あっと言う間もなく背負い投げ……たかと思うと、ぶち倒れた芦屋の右腕を掴みあげるや、その腕と首とを脚で挟んで締め上げる、いわゆる三角絞めを極めてしまった。公式仕合では反則技扱いになることもある頸動脈への絞め技なので、芦屋の顔はみるみる赤くなり、降参の声も出ない。
「暴れるなよ、火鉢こかしたら怒られんぞ」
「おーい芦屋ァ、生きてるか? やだやだ、欲求不満のヒスは怖いねぇ」
「つか、白目剥いてない? 篠原さん、そろそろ勘弁してあげてください」
篠原がチッと舌打ちして足を緩めると、尾形が(自分が煽ったくせして)真っ青な顔でオロオロと同僚の頬を叩いて介抱する。
障子をカラリ開けた途端にその惨状を目の当たりにした新井は、数拍の間絶句していたが、山崎と篠原の視線に、電撃にでも当てられたようにハッと我に返り「あ、えーと……次、ザキさん、副長室だって」と呻いた。
「オッケー。すぐ行くよ」
山崎は、ニッと勝ち誇ったような笑いをわざわざ篠原に向けてから、立ち上がる。
新井は入れ違いに監察勢の輪に戻り「いや俺、別に何もしてません。寸志の封筒、受け取っただけだから」と言い訳のように呟いて、俯く。
「ふーん? どうだか」
「まぁまぁ、その……しの、おまえもどうせ呼ばれるんだから。もうちっとの我慢だから、落ち着け、な?」
吉村にそう宥められ、篠原は(そうだな、俺が最後ってことは、後のことを気にしなくてもいいってことだよな。ばーか、今に見てろ)と内心呟いて「そうだね、もう少しの我慢、だね」とニッコリと笑ってみせた。
さて、一方、副長室では、正月ぐらいはと珍しく可憐な一輪挿しを飾った床の間の前で、胡座をかいた土方と、折り目正しく正座をした山崎が向かい合っていた。
「おう、ザキ……今年もせいぜい気張って働けよ。ミントンしてサボんじゃねーぞ……っというわけで、これな」
「はいっ! 今年も粉骨砕身、頑張らせて頂きますっっ!!」
差し出された封筒を受け取るべく、山崎が膝でにじり寄ると、何を警戒したのか、その顔面に封筒がべしっと押し付けられた。そしてもう用は無いとばかりに、傍らの漆塗りの膳に視線を注ぐ。文盆代わりのその膳には、山崎に渡されたものと同じ白封筒が一通、ちょこんと載っていた。
「あとは……篠原、か。呼んで来いや」
「ちょ……っ、その前にっ……こう、新年なんですから……もう少し……!」
押し付けられた封筒を懐にねじ込んで山崎が喚くのを、土方は眉をしかめて「もう少し、なんだ?」と面倒くさそうに見下ろす。山崎はここで引き下がってなるものかとばかりに、強引に土方の手を取った。
「他の連中には、オマケ付けてやったっていうじゃないですか。俺には何も付けてくださらないんですか?」
「オマケ? 何の話だ? 別にこれぐれぇしか渡して……ああ、頭撫でてやったとか、そーいうんか?」
「そうですよ、俺、毎回、カラダ張って頑張ってんですよ? 崖っ縁すれすれで」
その言葉に嘘は無い。
山崎の得意は潜入捜査だ。敵地に潜り込み、いつ正体を見破られるか分からない状態で情報を探って持ち帰るのは、並大抵の技術や根性でできるものではない。それもひとえに土方への忠誠心が為せる業なのだから、年に一度のこういう機会にぐらいは、きちんと労って貰わないと。
「わーったわーった……ほれ」
土方もさすがにそこは理解したらしく、苦笑しながら山崎の頭をわしわしと撫でてやった。しかし、なぜか己の身体は離れた位置にあるままだ。
「副長、すっげぇ嫌々やってません?……って、なんで離れてるんです?」
「いや、別に? まぁ、てめーはしょっちゅう俺に懐いてるから、別に今さらどーでもいいだろうがよ」
「なんか気になります。副長、スカーフが乱れてますよ?」
「なんでもねーっての。ホレさっさと、しの呼んで来い」
「衣服の乱れは心の乱れに通じると言っているのは、副長でしたよね? ちゃんと直して差し上げますよ」
見咎めた山崎が膝でいざり寄ると、土方がじりっと後ろに下がる。だが、床の間を背にしているだけにそう逃げ回れるほどの距離はない。
たちまち間合いを詰めると、山崎が手を伸ばして、シュルッ……と素早く白スカーフを引っこ抜いてしまった。
「ちょっ、いいってテメッ」
土方が慌ててそれを取りかえそうと手を伸ばしたが、いくら鬼の副長でも瞬発力で監察方に適う由もない。そのスカーフで隠されていた首筋には、ポツンと小さく赤い花のように痣が浮いていた。
予想してたとはいえ、想像通りの『証拠』を前に山崎の顔が一瞬引き攣り、次の瞬間には底意地の悪い笑顔が浮ぶ。
「新年早々虫に食われたんですねぇ。じゃあ、もう一匹くらい食われたっていいですよね?」
「冗談じゃねーよ、そう何人も食いつかれてたまるかよ。ち……やらかしそーなのを後送りにしたのに、まったく、番狂わせったらねぇ」
「何人も? 他に誰が食いついたんですか? 吉村以外に」
吉村は確実に、なんかやらかしているに違いない。監察の中でも唯一、山崎、篠原相手に遠慮ない口がきけるベテランなのだ、それだけ長く土方を慕って仕えているということでもある。何もしていない由が無い。だが、何人もということは……他に誰か、そんな大胆不敵な行為に及んだヤツがいるのだろうか。
「別にどうでもいいだろ。つか、教えたら虐めるだろ」
「俺が後輩虐めてるとでも思ってます?」
「さぁ、そこいらは知らねぇよ。下の連中が虐められてるとは、ちらほら聞くが、誰にとまでは言わねぇからなぁ、あいつら」
「虐めてんのは篠原です。ついさっきだって芦屋に三角絞めかけてましたよ、アイツ。少なくとも俺は、むやみに虐めたりしないです。ただですら少ない人員だからこそ、俺はキッチリ育ててんのに」
というか、後輩虐めなんて根の暗いコトなんざ、どう考えても篠原しかやらかしそうに無いと思うのだが……一体何匹猫をかぶっているのか、土方は篠原の本性に気付いていないようで「そうけぇ。ま、育成してくれるのは結構なこったがな。シゴきすぎんなよ」と、山崎の訴えなど丸で信用していない口調で適当にあしらわれた。
「そんな訳で、虐めないんで教えてください。誰なんです?」
「別に誰でもいいだろうが……分かった分かった、口ぐれぇだったら吸わせてやっから」
土方は苦笑すると、山崎を手招きする。口ぐらいだったら……というのは、それならこれ以上痕をつけられることもないだろうという計算もある。山崎は尻尾をパタパタ振らんばかりにすり寄った。
「んじゃ遠慮なく、頂かさせて頂きます」
「変な日本語だな」
土方はクスッと笑いつつ、山崎の肩に手をそっと添えると目を閉じてやった。山崎は閉じられた瞳の長い睫に見とれ、誘い込まれるように唇を寄せると、数度、その形の良い桜色の唇を軽くついばんでから、さらに深く口付けた。舌を割り入れると、案外あっさりと顎が弛んで受け入れてくる。飴でもしゃぶるように舌を絡めると、唇の合わせ目から漏れる吐息に、徐々に熱がこもっていくのが感じられた。
「ンッ……ア……こら、調子にのんな。もういいだろがよ」
土方が、ポンポンと山崎の肩を叩いて促すが、山崎は「もう少し……」と囁いて、すっと身を屈めたかと思うと……仰け反って露わになっていたその首筋に、思いきりかじり付いた。肺腑の力の限り、スッポンよろしく吸い上げる。
「いでっ……こ、コノヤロウ……っ! 誰がそこまでしていいと言ったっ!」
ドンッと胸を突き飛ばされ、山崎はスッ転んで「いってぇぇぇぇぇぇぇ」と喚くが、土方はそれには頓着せず、文机の抽き出しから小さな鏡を取り出すと覗き込む。最初に付いていた痣を狙って、同じ場所に吸い付いたらしく、そこがさらにくっきりと色づいている。
「あーあ……チクショウ、しっかり痕になってやがるじゃねぇか。ち、今年は順番失敗したな」
「だって、ちゃんと『消毒』しないと、でしょ? てゆーか、一番最後に俺を持ってこれば、そんな心配もなく、もっとして……」
「もっとして、なんだ。バカヤロウ。ほれ、もういいだろ」
すっかり番狂わせを食らった土方は、不機嫌この上ない表情で、ひらひらと手を振る。それに対し、山崎が「年中無休で『副長成分』の補給が必要なんで、満足することなんて無いです」と、胸を張って主張するも「おめぇはしょっちゅう、補給と称してセクハラしてやがんだろーが。いいから最後のん、呼んで来いや。終わらねぇだろ」と、その頭を引ッ叩かれて追い出された。
寄りにも寄って、篠原に座を譲りに行くのかと思うと、山崎の気は重い。雨に振られて尻尾も耳もぺったんこに垂れた犬のような気分で、とぼとぼと縁側を渡って大部屋に戻る。
障子を開けると、そろそろ退屈し始めていたのか、服部がUNOのカードなんぞを配っているところであった。
「おう、おかえり」
自分の手持ち札をあらためながら、吉村がそう声をかける。ちなみに、火鉢が真ん中ではUNOがやりにくいので、先輩権限で吉村の傍らに移動されたようだ。
「……15分ぐらいか」
同じく先輩権限で、暖かい火鉢の横に陣取っていた篠原は、自分の前のカードには目もくれず、懐中時計をチラッと見て呟いた。山崎はちょっとムッとして「一ラウンドしてくるには、充分だったよ」と負け惜しみを言う。
「3こすり半?」
尾形が冷やかすように声をかけると、ジロッと睨んだ篠原に腕をひねり上げられた。一見、何気なくやっているようだが、さりげなく関節を固められているのか、尾形が思わず悲鳴をあげる。
「最後、しのだろ、虐めてねぇで行って来いよ」
「そうだね。それじゃ行ってくるから」
吉村が止めに入ったので、篠原は素直に尾形を解放してやると、腕を抱えてブチ倒れているのには目もくれず、上機嫌で大部屋を出ていく。その後ろ姿を見送り、見えなくなったのを確認してから「……で、えちーしてきたんですか? 山崎さん」と、芦屋が興味津々で尋ねた。
こうなると、とてもUNOどころではない。
「それは、副長と俺だけのヒ・ミ・ツ」
「しのも『副長成分』を補給……つか搾取してくるんだろうな、あの機嫌だと」
「お前も搾取しただろ」
山崎がじろっと吉村を睨むが「さぁ? 何のことだか」と呟いてシレッと視線を逸らす辺り、吉村の方が年の功よりも亀の甲、一枚上手のようである。
「あのキスマーク、吉村さんだったんすか」
ぼそっと呟いたのは新井だ。
芦屋は「キスマーク?」と、おろおろしている。
「他にも、搾取したのがいるみたいだけどね」
山崎はそう言うと、全員を見渡した。
「そこは恨みっこなしだろ。そんためにひとりずつ呼ばれてるんだし、おめぇだって、なんかやらかしてきたんだろ、ザキ」
「まぁ……うん、それは、よしの言う通りだけど」
吉村に正論を吐かれては、それ以上山崎も追及できず、篠原が座っていた辺りに腰を下ろし、配られていたカードを拾い上げる。篠原の体温で生ぬるい畳はキモチワルイが、火鉢が近い場所は後輩には譲れない。
腕をへし折られかけてた尾形は、ようやく起きあがると「3こすり半? 俺、ホントに頭ナデナデだけだったのにー……くそぅ、俺もちゅーして貰えば良かったぁ!」と嘆いた。
「ちゅーなんて、下手にすっと、しのに殺されるぞ」
「だって、吉村さんとか山崎さんとか、ズルイぃいいい!」
「ズルくねーよ。おめぇらも技磨いて実績上げて、副長にご褒美貰えるようになりな」
「吉村さんにそれを言われると反論できないじゃないですか! てゆーか、誰か、篠原さんが出て行ってから、測ってる人いる? 一刻(2時間)以内に戻ってくるンだろうか」
思い出したように芦屋が言うと、新井が「……6分25秒」と呟く。本当に測っているのかと一同呆れ、吉村は「とっとと戻って来ると、また生理不順みてぇなツラでヤツ当たられるから、いっそすっきりヌいてくりゃあいいんだ」などと暴言を吐いた。
「それはそれで面白くないだろ、よし」
「まぁ、な。でもサカりがついた猫みてーに喚かれるのも、鬱陶しいじゃんか」
「吉村さん、それってオトナの余裕ってやつですか?」
「当然……むだにガッついてご馳走食えなくなったら損だからね」
「な、なるほど……! で、吉村さんはご馳走食べてるンだ」
芦屋はソンケーのマナザシを先輩に注ぎ、吉村は「まぁな」と呟くと、そっと視線をそらした。そこに、尾形が「なんで目ェ逸らすんですかぁ!? ホントは食べてないんじゃ?」と、わざとつっかかる。これが篠原や山崎相手なら、性懲りもなくまた関節技をかけられるところだが、吉村は苦笑して肩をすくめてみせただけであった。
「もう16分経過しましたよ……勘定方の河合が緊急に副長のハンコが要るとか、伊東参謀が篠原呼び出すとか、近藤さんが初詣で行こうとか言って乱入するとか、そーいうのないんかなぁ」
新井が、時計を眺めてボソッと呟くと、尾形が「3こすり半には充分ですよね」と、山崎にチロッと視線を投げる。
「くっそーーーーーー!」
「で、ぶっちゃけザキ、おめぇ、その15分でヤれたんか? ヤってねーんだったら、副長の姫始め、しのってコトになるかもな」
「よし、お前も未遂か……良かった……って良くねぇ! 良いのかそれで!?」
「俺は姫納めだったから」
吉村がしれっと言い切り、山崎は唖然として、酸欠の鯉よろしく口をパクパクさせる。
「いいなぁ、あの3人」
「俺なんて頭ナデナデだけで……そりゃ、副長は仕事できるようになったら好きにさせてやる……ってゆーけど、あのトップ3人が居る間は、到底、無理だよなぁ」
「篠原がいなくなるだけでも、かなり楽になるとは思うけどな」
後輩らがボソボソとそんなことを囁きあっているのが聞こえたのか、山崎はニタリと笑うと「だから、早くしのに入れ替われるレベルに育てって言ってんだよ」と、声をかけた。
山崎が潜入捜査での情報収集に長けているのなら、篠原はその情報を整理して分析する能力に長けている。だからこそ、元々伊東の派閥だったのを引き抜いてまで、土方が可愛がって重宝しているのだ。単純に、篠原を邪魔者扱いにして追い出せない理由は、そこにある。
「ううっ、が、頑張ってるつもりなんですけどぉ。だって入れ替われるレベルって簡単に言いますけどね。篠原さん、記憶力とか計算とか、すっげーんですよぉ」
「気組であれのテクを盗み取るこったな」
「気組でなんとかできるような、生半可なレベルじゃないんですっ!」
「確かに、資料室の整理とかは、手伝って手順覚えろって、副長にも言われてますけどね……でも、篠原さん『これは俺の仕事だから』って、触らせてくんない」
山崎はチッと舌打ちをすると「ま、アイツならそうだろうな」と吐き捨てる。後輩育成が自分の追い落としに繋がっていると察しているのか、単に後輩が土方の関心を得ていくのが面白くないのか……それにしても、戻ってくるのが遅いなと呟くと、すっかり時計係になっている新井が「もう四半刻(30分)過ぎましたもんね……」と、相槌を打つ。
「芦屋、間違ったふりして、アイツのケータイ鳴らせや」
「わ、分かりました」
芦屋がスラックスのポケットから己の携帯電話を取り出して、ぺぽぺぽとボタン押して数秒後……ぶーぶーっと、テーブルの下の袋から音がした。見れば篠原の私物入れらしく(他の誰も、篠原を怖がって手を出さないので、消去法的に吉村が)その中を覗き込むと、携帯電話が着信メロディの代わりに振動していた。
ふと思いついてそれを取り出し、折り畳んでいるのを広げて、中のデータを覗き込もうとする。
「ワザと置いていったのか。邪魔するのにケータイ鳴らすって、読んでたな……ち、しかもロックかけてやがるっ! ザキ分かるか?」
「貸して……んのやろ……改造でもしてんのか!? 開かねぇっ!」
「じゃあ、副長にかけてみます?」
今度は自分の出番とばかりに尾形も携帯電話を取り出すが、絶対他の連中だとダマくらかされるだろうと、それを押しとどめて山崎が自分の携帯電話を引っ張り出す。
だが、トゥルルーという軽快な呼び出し音の後、出たかと思うと即、プッと途切れてしまった。
「ちょっと様子伺ってくる」
副長は職務上、緊急の連絡に対応するべく、どんなに機嫌が悪い時でもあんな即切りは絶対にしない。十中八九、あの化け猫の仕業だ……と、カッとした山崎が立ち上がると、吉村が「……いってら」と、苦笑して手を振る。
「いいんすか? こんなに時間かかってるってことは、確実にヤってるだろうに、ザキさんを行かせて……正月早々修羅場じゃないすか?」
新井が、その山崎の後ろ姿を見送って、心配そうに尋ねる。
「何かあったら、副長がキレっから、すぐ分かるだろ」
「く、苦労してんすね、吉村さん」
芦屋も、吉村の顔色を伺いながら、おずおずと声をかける。
いつもニコニコして皆の仲裁役に回ってくれる存在なだけに、吉村まで機嫌が悪くなったらどうして良いものやら、見当もつかないのだ。
「しのとザキの喧嘩、他の誰が止めれるってんだよ……ったく」
「確かに、そうですよね……」
あのふたり、どちらか一方だけでも後輩勢が束になっても歯が立たない傑物なのに、それをまとめて相手して鎮めようというのだから、その労力や如何ほどのものか……尾形が心から同情したように、合掌してみせた。
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