おとしだま/下


山崎が、足音を忍ばせて副長室に近づいて耳を澄ませる。防音効果などある由も無い唐紙障子一枚向こうからは、低く押し殺した声の篠原の恨み節に混じって「あン」とか「ンッ」という甘い吐息が漏れ聞こえている。元々口達者ではない土方のこと、言葉で説得するのが面倒くさくなって身体で黙らせようとしたのだろう。
『やんっ……こんなことで誤魔化されたくないです』という言葉だけが、なんとか聞き取れた。

(篠原テメェやっぱりそれが狙いだったかナァニがヤンッ、だ副長の前だけでは猫かぶりやがってそれにまんまと騙される副長も副長だけどサなに可愛い声あげてやがんだトットと本性出せこんちくしょう)

山崎が歯ぎしりしたくなるのも道理、本当にイヤなら、どんな巨漢や怪力自慢に組み敷かれようと、ヒョイとかわして関節技で切り返すなど、篠原にとってはお手のものなのだ。イヤよイヤよもなんとやら、そんな安っぽい芝居を仕掛ける篠原に反吐が出そうになる。いつ乱入したものかと、山崎がじりじりとタイミングを見計らっている間にも啜り泣きのような嬌声が続き、やがて一際高く啼いたかと思うと、静まり返ってしまった。

『ああ、悪かった……大丈夫か?』

『……はい』

いやね、こんだけ副長を狙ってる連中がいるんだから、誰かが貧乏くじ引くの分かってっけど、今年は俺かよ。締めを吉村に持ってかれて、姫初めも篠原なんかに持ってかれて……って、副長、また篠原に騙されてるし……と、山崎がボヤいていると、いつの間にか縁側を匍匐前進してついて来た芦屋が「山崎さぁん……ナンデスカあの篠原さんのキモチワルイ猫撫で声」と、半泣き声で訴えた。

『オイ、立てるか? 風呂、行くだろ?』

そして、不意に障子がガラッと開いた。篠原を抱え上げて両手が塞がっているので、足で障子を開けた土方が縁側に出てきて……平蜘蛛のように這いつくばっている山崎と芦屋を見付けて、唖然とする。土方の髪が汗ばんで額に貼り付いているのが、妙に生々しい。

「何してんだ、おめーら」

山崎は、踏みつぶされる前にぴょこんと飛び起きると、わざわざニッコリと笑顔を作り「お疲れ様です。副長のお手を煩わせるのもナニかと思いまして。芦屋、篠原を風呂場に連れてってやって」と、そらぞらしいまでに爽やかな口調で言う。篠原はそれを聞いて、させてなるものかとばかりに、ぎゅっと土方の首に腕を回してしがみつき、芦屋は(ひぃいいいいいっ! なんてタイミング悪いんだよ、俺ぇええええ! 篠原さんの目から殺人ビームが出てるぅうううううう!)と、固まってしまう。
山崎は『援軍』が役立たずなのを悟ると、立ち上がって篠原の体をべりっと土方から引き剥がした。

「篠原、副長のお手を煩わすなんて、助勤失格だろ?」

「てっ……」

てめぇ、という語が出かかるが、土方の前だと気付いて、篠原はそれを呑み込んだ。土方はそれに気付いたのか気付いていないのか、いかにも気まずそうに「いや、いい。俺が連れて行く」と、割って入った。

「何ですか? 副長でないといけない理由でも?」 

「いやまぁ……その、なんだ。やっちまったというか。ともかくおめぇらは大部屋んでも帰ぇれ」

「俺はちょっと、副長にお話が」

「話だったら、後で聞く。来い、しの」

「副長がああおっしゃるんだから、従うべきだろ? 山崎」

土方は自分の味方についていると確信している篠原がぼそっと呟き、山崎の頬が引き攣る。

「しの……てめぇ覚えてろ」

「覚えてろって何を? 俺、何もしてないのに……すみません、副長」

篠原はわざとらしく土方にしなだれかかって、ちらりと山崎に視線を送った。口許には不敵な笑みが微かに浮んでいる。そんな篠原の微妙な表情の動きには気付かなかったのか、土方は再び、よいせっと抱き上げてやった。

「首に手ェ回して、しっかり掴まってろや……って前よか、ちょっと肥えたか、おめぇ」

ボソッと篠原の耳元に囁いてニヤッと笑うと、土方はぺたぺたと廊下を歩き始める。




「くっそ……やられたっ……芦屋、強引に引きずってけよ」

「無理っす。だって、すっげー目で睨んでましたもん……あの目を見たら、副長だって考え直してくれると思うのになぁ。それに、篠原さんツヤツヤしてましたよね、どう考えても、自分の足で歩けるっつか、スキップだって、できそうでしたよね」

「それ、副長に言ってやりゃあ良かったのに」

「……って言えない。言ったら、篠原さんに殺される」

地団駄を踏む山崎と、涙目になっている芦屋の神経を逆撫でするように、廊下の向こうから『肥えたってひどいですよ、副長ぉ』などという、上機嫌な篠原のブリッコ声が響いて来た。

「はいはい、おまえら諦めて帰っておいで」

あまりに遅いので心配したらしい吉村が、ひょっこりとやってきた。

「諦めてって……よくそんなこと言えるな、よし。見たかよ、アイツのあの猫かぶりっぷり……キーッ!」

「ああ、聞いてたよ。あの声……どっから出るんだかなぁ」

「ですよねぇ。七不思議ですよねぇ」

「普段は聡い副長がどうして篠原には、あぁも簡単に騙されるのか、不思議でならないよ」

「それは俺もまったく同感だよ」

吉村は苦笑すると、副長室に入り込み、おもむろに文机の側の畳に刺していた、小さな押しピンのようなものを回収した。

「よし、なにそれ?」

「ん? 俺が一番手だったからな」

しれっと言い放った吉村の手元を、芦屋が覗き込んで「あ、高性能盗聴器……新製品?」と呟く。さすがにその類いは『商売道具』なだけあって、皆、そこそこ詳しい。

「使えるかと思って試してみたんだが、あんま性能よくなかったな。録音機能は無いし、ザキがどこまで手ぇ出したかとかまでは、よく判別できなかったし」

録音機能が無いということは、リアルタイムで副長室の内部を伺いながら、何事もないような顔で大部屋の連中をあしらってたのか……吉村がワンレングスの前髪を耳にかけると、それまで髪の毛に隠れていたイヤホンがちらりとのぞいた。

「出せてねぇよ……口吸って終わりだよ」

「誰がそこまでしていいと言った……って、副長が喚いてたから、もーちょいヤったんか思ったぜ?」

「あぁ、何か虫が吸い付いた痕あったから。その上からもっぺん吸って消毒してやった」

「虫が吸い付いた痕?」

「おまえが吸い付いた痕だよ」

「ああ、胸元に付けたやつか」

「胸元ォ!? なにぃぃぃぃぃぃぃ!? じゃアレは一体、どいつが!」

「俺じゃなーいでーす。あと、オガちゃんも頭ナデナデだけって言ってたァ」

山崎が怒りで顔面蒼白になっている横で、芦屋がなぜか妙に嬉しそうに挙手して、身の潔白を申告した。ついでに尾形も、同期のよしみで一応、庇う。

「消去法で絞られてきたな。ま、それ以上は追及してやるなよ、ザキ」

「くっそぉ、おまえらでいいとこ持っていきやがって」

「最後をザキにするか、しのにするか、相当迷ってたからなぁ。俺呼んだ時に、そんな愚痴言ってたぞ」

「俺も、最後にして貰いたかったなぁ」

芦屋がボソッと呟いて、山崎に睨まれる。
吉村が苦笑しながら「もしおめぇが最後だとして……しのがおめぇを呼びに来てくれると思うか?」と、尋ねた。芦屋はウーンと真顔で考え込むと、非常に残念そうに「絶対……ないと思います」と呻いた。

「……だろ? ま、しのが最後になった理由もそれなんだけどな。絶対ザキなんか呼びに行かねぇだろうなってんで、しのを最後にしたらしい」

「ナニ、俺の方がお人好しだってか。ち、せめて俺の気づかないとこでせめてやれよ」

「気付くも気付かないも、てめぇでのぞきに行ったんだろうが……修羅場になると思ったんだが、よく耐えたな。それは褒めてやるよ。じゃ、戻ろうぜ」

「踏み込む直前に、副長が出てきたんだよ……ホントついてねぇなぁ」

山崎が大仰に溜息をつき、吉村がポンポンとその肩を叩いてやった。






大部屋に戻ると、服部がカードから顔を上げて「遅かったすね。やっぱ、修羅場だったんすか?」と声をかけてきた。芦屋が「回避した。つか、怖かった」と答えてへたへたと腰を下ろすと、ジャンケンの行方によっては代わりに『援軍』に行かされていたかもしれない尾形が「お、お疲れ。俺、行かなくてよかったぁ」と呟く。

「ま、これでしのは何日か機嫌いいだろうから、安心しとけ」

皆の輪に戻り、自分の手札を拾い上げながら言い放った、その吉村の台詞と山崎の不機嫌極まる表情で、残っていた連中はなんとなく副長室の状況を理解する。

「ああ、ハイオク満タンってヤツね」

「何日保つんだか」

「燃費悪いもんなぁ」

「せめて、1週間ぐらいは保ってほしいんだけどなぁ」

「あ、ドボンであがっていい?」

ここで言う『ハイオク』とは、もちろん『副長成分』のことだ。本人が居ないと思って皆、口々に勝手なことを言っている。そんな中、芦屋はひとり悲痛な表情で「そんで、ご機嫌ついでに、あの場に俺が居たことを忘れてくれますように」と、ブツブツ祈っている。

「そりゃ無理だな。篠原の脳味噌は、常人の構造じゃねぇからなぁ」

「や、やっぱり無理ですよね、服部さんもそう思いますよね。あのアカシックレコードみたいな記憶力じゃ、忘れてくれるなんて到底無理ですよね。うううっ」

「んなもん、とんかちでブン殴っとけ」

「記憶どころか、生命まるごと消してしまいたいっつー殺意を感じますよ、ザキさん」

「気のせいだよ、気のせい」

「次、カード、新井の番だぜ」





それから、カードの勝負が2週めも終盤という頃。

「そろそろ戻ってきても良さそうなモンだけど、遅いな。そのまま副長室に戻ったのかな。今度は尾形、のぞいて来いや」

盗聴器を回収して来てしまったことを軽く後悔しながら吉村がそう言うと、残り2枚のカードを同時に放り出すようにして「ウノ、ダブルな」と勝利宣言した。

「へ……俺ですかっ?」

「ザキだとケンカになるし、俺が行ってモメると、収拾するヤツがいねぇだろ」

「分かりました」

先ほどの芦屋の怯えっぷりを目の当たりにしているせいもあって、かなり嫌々ながらも先輩命令には逆らえずに、副長室へ向かう。その背中に、山崎が「第2ラウンド始めてたら、俺にワン切りしろよ。殴り込みに行ってやるから」と投げかけた。

「それじゃあ、おまえじゃなく尾形を行かせた意味ねーだろが」

さて、尾形はといえば、障子に己の影が映って存在を気取られないように、副長室近くでは這うような姿勢になって気配を殺しながら、そっと中の様子を伺ってみた。
唐紙障子の向こうからは、女性かと思うほど甘い、くすくすという忍び笑いが漏れ聞こえてくる。

「どっからあんな声出すんだよ、あの人……完璧に別人じゃん」

そっと障子の隙間からのぞいてみると篠原は湯上がりの浴衣姿で、いつもの着流しに着替えた土方の膝の間に腰をおろし、その胸板にしなだれかかりながら、小腹がすいて取り寄せたらしい仕出し屋の重箱から、伊達巻きだのなんだのをつまんでは「はい、あーん」などとイチャついている。

「とりあえず山崎さんに報告……イ・チ・ャ・コ・ラ・し・て・ま……」

尾形がぴこぴこと携帯メールを打っていると、篠原がふっと視線をこちらに向けておもむろに祝い箸を取ったかと思うと、まるで手裏剣のように投げてきた。箸は障子紙を貫いて、尾形の頬を掠める。

「ひぃっ!」

「ち。仕留め損なったか……あ、いや、なんでもないですよ、副長。ちょっと野良犬がいたみたいで」

「ン? どんな野良犬だ?」

「いえ、副長が心配なさるようなことじゃありません」

篠原は甘ったるい口調のまま、土方の頬を両手で挟んで、自分に視線を合わせさせる。
メール送信どころではなくなった尾形は「だめぽ……かなわねぇ……」と、渡り廊下を匍匐前進で大部屋まで逃走した。いや、恐怖で腰が抜けて立ち上がれなくなり、そのままハイハイで逃げたという方が、正しい表現かもしれない。

「あーおかえり。どうだった? オガちゃん、ほっぺ血でてるけど?」

「副長の膝の上で、猫が尻尾振ってます。お節、あーんって。吉村さんボスケテ」

「誰がボスだよ。猫って、機嫌いいと尻尾振るんだったっけか? ほれ」

吉村は苦笑しながら絆創膏を尾形に差し出しただけだが、服部なんぞは「第2ラウンド突入寸前ってところか? さぁ、どうしたもんすかね、ザキさん?」と、よせばいいのに山崎を煽る。

「お膝で、あーん? 第2ラウンドぉ!? ふふふふふふふ……させてたまるか。邪魔しに行ってくる」

服部に言われずとも殺意満々の山崎は、口許にドス黒い笑みを浮かべてユラリと立ち上がり、吸い出されるような足取りで大部屋を出ていく。
監察方の連中がチョロチョロするから風が入って寒いじゃないかイイカゲンニシロと、文句を言おうとしたヤツもいたようだが(なにせ他の部署の連中も、それぞれ火鉢を囲んで寒さを凌いでいる状態なのだ)、山崎の放つ異様なオーラに圧倒されて呑み込んでしまったようだ。
吉村はハーッと露骨に溜息を吐くと「ち。服部のバカが。新井、バケツに水汲んで持って来い」と命じた。

「は、はいっ。み、水っすか?」

「サカってる犬猫のケンカには、水ぶっかけるのが一番だろ……さて、行くか」






今度はコソコソ行くつもりも無いので、のっしのっしと足音も荒く廊下を渡る。
副長室からは『そろそろ腹も膨れたし、昼寝でもすっか』『じゃ、お隣で寝かせて頂いていいです?』『おめぇまた肥えるぜ』などという会話が漏れ聞こえて来て、山崎の血圧をさらに上昇させた。
スパーンと勢い良く障子を開けるや「なに、新年早々甘やかしてんですかっ!」と叫ぶ。
押し入れから布団を取り出そうと立ち上がった状態の土方と、食べ散らかした折り詰めの容器を片付けていた篠原が、突然の闖入者に目を丸くしていた。

「ザッ…ザキっ、きさ……じゃない、お、おまえなぁ!」

「まーたお前か、なんだ、話、だっけか? 俺ァ眠いから後にしてくれ」

土方は面倒くさそうにボヤいて視線を逸らすと、ずるずると布団を引き下ろして広げ、枕をその上に放り投げた。しかも、ふたつ。

「テメェ、副長の前だけ猫かぶってんじゃねぇよ! いい加減、気が付いてくださいよ、副長も。コイツの根性の悪さ」

「誰が猫かぶってるって? 俺がそういう風に見えますか? 副長」

重ねて部屋の外に出すばかりにした重箱を傍らに押しやると、するすると土方にすり寄り、しなだれかかる。土方は、つり込まれるようにその黒髪をサラッと撫でてやると「ザキ、そういう根も葉もない中傷は言うモンじゃないぞ」などと、真顔で返した。

「誰が好き好んで、そんな嘘つきますか。大体ね、監察方の新人が育たないのは、篠原がいびるからだって、知ってます?」

今日こそは徹底的にコイツの旧悪を暴いて弾劾してやろうと腹を決めた山崎は、一歩も引かずに喚き散らし、一方の篠原も(余計なことを……)と、殺意に満ちた……例えるならば蠅ぐらいなら睨むだけでも殺せそうな……視線を山崎に返す。

「多少いびられたぐらいで辞める程度の根性なしには、勤まらないだろうよ」

「多少、ね。多少どころじゃないんですよ、副長。第一そいつ、新人育てる気なんて、これっぽっちもないんですから」

「何言ってるんだい、ザキ。俺が厳しくするのは監察としての任務の厳しさを教えるためだっていうのに、それを分かって貰えないだけじゃないか」

「まぁまぁ、俺が容赦なくコキ使ってる訳だし、任務もハードだし残業も多いし、なにかと労働条件悪いからな、監察方は。篠原が入る前も入ってからも、監察方の定着率が悪いのは、今に始まったことじゃねぇ……だから、特別手当てとして、今日も寸志配った訳だし……ていうか、なんで今、そんな話題なんだ? いいから、おめーら仲良く協力しあって後継育ててくれや。頼むから、な?」

「ハイ、当然です。副長のお役に立てるよう、頑張ります」

山崎の必死の直訴も、土方には糠に釘。どっかと布団の上に座るや、煙草盆を引き寄せた。さらに篠原はヌケヌケと心にもない誓いを立てて、その傍にいわゆる女座りで腰を下ろすと、ニッコリと土方を見上げてみせる。これが漫画なら、篠原の背後にはキラキラと点描とバラの花が飛び交っていたであろう。
(ぐぁあああああッどの口がガンバリマスだテメッこの口かぁあああああダメだ今ツッかかったら俺が完全に悪者じゃねーかクソッタレ)と、山崎が地団駄を踏む。
膠着状態に陥りかけていたその場に、吉村が顔をのぞかせた。本当に手にバケツを下げている。

「あれ。水ぶっかけるまでもなかったかな?」

「よし、しのの化けの皮剥がすの手伝え」

「正月早々、そんな不毛なバトルロワイヤルに巻き込まないでくれ……しかも徒手空拳で、か?」

そう言いながも、吉村がチラリと篠原に視線を送る。
篠原は、その視線から隠れるように身をすくめながら「二人して何の用? 後回しにできる要件なら、そうしてほしいなぁ。今から食休みするから、邪魔しないで欲しいんだけど」と訴えてみるが、吉村まで敵に回せば厄介だとは理解しているらしく、さすがに先ほどまでのふてぶてしさは失せていた。

「いや、それにしても、オーバースティしすぎだろ。休むんだったら、大部屋戻れや」

「んで? どうすんだ、しの? 吉村はああ言ってるけどよ。おめぇに任せるぜ」

どう見ても己の旗色が悪くなったのを察して、篠原はこれ以上押し切れないと悟り「副長のお邪魔しないよう、俺も戻ります」と、この場は『戦略的撤退』を選択することに決めた。執拗にゴネて土方の機嫌を損ねても逆効果、ここは素直にしおらしく振る舞って、同情票を押さえておくに限る、という計算も働いている。

「そうけぇ。じゃあな……ケンカすんじゃねーぞ、おめーら」

土方はそう囁くと、篠原の額に軽く口付けてやった。
吉村は「それがケンカの素だと思うんですが」と、ボソッとツッコみ、山崎はカッとして再び暴れそうになったが、辛うじて堪えた。

「では副長、何かあったらお呼びください」

篠原は、己の胸元の紅い刻印をわざと山崎に見せつけるような仕種で、ややはだけていた浴衣の衿を悠然と直すと、最後までポイントを稼ごうとしてか、やたら丁寧に一礼してから立ち上がった。
篠原を連れ出して障子を閉め、廊下を数間歩いて土方の視界から完全に消えたのを確認するや否や、吉村が篠原の後頭部をスパーンと引っ叩いた。

「まったく、おめーときたら……多少は大目に見るつもりだったが、いい加減、調子に乗り過ぎだ、ボケッ」

「でっ!! 揃いも揃って邪魔しやがって、てめーら」

「なんだ、ぶん殴られるだけじゃ足りないから、水もかぶりたいって?」

「んなわきゃねーだろ、キサマ、コノヤロウッ!」

すっかりアテが外れて逆上した篠原がぎゃあぎゃあと口汚く罵るのに任せ、それが一段落したのを見計らうと、吉村が銀色の万年筆のようなものをチラッと懐から取り出してみせた。それがボイスレコーダーだと気付いて、篠原の顔色がみるみる変わる。
後輩らが『直訴用』に録音だの録画だのを仕掛けるのは日頃から用心しており、片っ端からそれを暴いては「ハイ、よくデキマシタ。でも仕事に使えるレベルには程遠いねぇ。やり直し」などと嘲笑いながら、御丁寧に証拠隠滅してあげているのだが、まさか吉村にそれを仕掛けられるとは思わなかった。
吉村ともなればプロ中のプロ。『仕事に使えるレベル』なのは言うまでも無い。

「な、ザキ。素手じゃ、どうしようもねぇんだよ」

吉村が、ポイとそれを山崎に放ってやった。

「ナイス、吉村!」

「なっ!? てめぇえええええっ!」

慌ててそれを奪おうと飛びつくが、鈍くさい後輩ならともかく、こちらも『プロ』の山崎が相手だ。見事に空ぶりして、勢いで尻餅をついてしまう。

「さぁて、俺らも気分良く昼寝でもするか」

「じゃ、これ、預かっとくぜ……篠原ァ、日頃の行いがいいよなぁ、全く」

ケラケラと笑いながら、ふたりが上機嫌で戻っていく。
篠原は怒りで顔を赤くしたり青くしたりしていたが、今回ばかりは勝ち目が無い。ぺったりと冷たい渡り廊下に尻をついたまま「チクショウ! てめぇら、覚えてろぉおおおお!」と、負け犬の遠吠えさながらに喚くのが、精一杯だった。


【後書き】お正月休みを過ごしながらふと妄想したシチュエーションで、北宮さんと回したロルのリライト。ロルでの配役は、ザキは主に北宮さん、土方は伯方で、それ以外は割と適当です。
土方ハーレムの監察方の連中が結構好きなので、ロルもリライトも楽しく一気に仕上げました。まぁ、ザキ以外は……原作では篠原もチョイ役だったし、吉村もまだ名前しか判明していないし、その他の監察勢(服部、新井、尾形、芦屋)は、史実上の監察方の名前を借りただけで、原作には居ない人物なのですが……篠原が土方を裏切って伊東につく前は、こんな感じでぎゃあぎゃあ騒いでいたらいいなぁ、と思うとかなり萌えます。
この話以外にも、この連中がドタバタしている話のストックが実は結構、ありますので徐々に出して行きたいです……そんで、土方も結構、篠原には甘かったりするといいです。その方が裏切った後に、こう、色々と尾を引きそうで(笑)。
後編初出:2008年01月05日
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