最終武装定義/上
こう、無造作にばさっと脱がれるよりも、きっちりと着込んだものが崩れてちらりと見えるほうが、色っぽいと思う。
少なくとも、そう思っていた。
でも、それに大きな問題も潜んでいることに、山崎が気がついたのは、ごく最近のことだった。
その日は非番ということで、土方は昼近くまで自室である副長室でごろごろして、外に出てこなかったようだ。
「副長、お昼どうしますか?」
山崎が屯所に戻ってきたら、部屋の中にいる気配がしたので声を掛けてみると、中から、あーとかうーとかいう呻き声がする。
「はい? 開けますよ」
何を言ってるか分からないが、とりあえず障子を開く。その瞬間…もわん…と、煙が流れ出してきた。
「副長、天気いいんですから、ちょっとは障子開けといてくださいよ」
「お前が開けたからいいだろう」
抜け出した布団をそのままに、土方は片膝立てて煙草を吸いながら、週刊誌をめくっていた。
「なんか面白い記事でもありました?」
その雑誌を覗き込もうとして……間違いなく雑誌を見ようとしたのに、山崎の目が止まったのは、割れた袷(あわせ)から剥き出しになった土方の太腿だった。
普段陽に当たらない場所だけに、白いその内側に、何か赤いものが付いている。
「大したもん載ってねぇ……って、どこ見てやがんだ」
山崎の視線に気づいた土方の裏拳が飛んでくる。
「でっ!! また虫さされですか……その足」
それを受けておいて、山崎は膝をついて、その土方の足の赤いものに触れる。
「あ、それは……」
「……沖田隊長が来たみたいですね」
山崎の帰りが遅くてそのままバタンキューする日を狙ったかのように、沖田は土方の部屋に忍んでくる。
もちろん、沖田にしてみれば「それはてめぇの事だろうが、ああん?」と凄みたいところだろう。そして、わざわざこうやって、山崎を牽制するかのように情事の痕を残していく。
「そっちの足にも付いてるとか言うんじゃないでしょうね」
膝の上の雑誌を払いのけ、反対側の裾もめくり上げる。
「何しやがんだ、バカザキっ!!」
「何って…確認作ぎょ………」
だが、確認しようとしてめくって見えたのは太腿だけではなかった。いい言い方をすれば、黒い着物の奥にチラリと見える、白い下着。
「ちょっ……好みは人それぞれっすけど、副長……」
この人……見た目が端正なくせに、こんなところで、なんでこうなんだろう。
悪い言い方をすれば、いかにも野暮ったい下穿き……いや、これでも手ぬるい。
思い切って、ざっくり言えば。
もっさり白ブリーフ。
百年の恋も冷めそうな萎えアイテムに、山崎は両手を畳についてガックリと項垂れる。
「んだよ、テメー感じ悪ィなぁ……そういえば、何の用だったんだ?」
「ああ、そうでした……あの、副長……飯は?」
「食ってない」
想定していた問答ではあったが、それにしてもあまりにも予想通りの回答に、山崎は脱力するしかなかった。
「どうして」
「自分で作るのが面倒くさい」
「外食するか、出前でも取ったら?」
「それも面倒だ」
「はぁ」
このまま放っておいたら、この人は面倒くさがって、丸一日、何も……煙草以外口にしないまま過ごすに違いない。むしろ、目を覚まして布団から抜け出したのが、奇跡的だ。
ホントに仕事が趣味というか、生活の全部というか。真選組が無くなったり、定年退職でもしたら、一瞬にしてボケるか餓死するに違いない……まぁ『真選組の職務を全うする』という理由で妻帯しないと決心できたほど仕事熱心な人なのだから、非番の日なんてどうやって過ごしていいのか分からないのだろう。
「……何食います?」
「さっぱりしたものが食いてぇな」
腹は減っているわけか。
だったらなんかてめぇで作って食べろと言いたくなるが、そう言えば伝家の宝刀「面倒くさい」が返って来ることは確実で。
億劫がる土方を引きずるようにして、屯所内の食堂に連れて行き座らせる。厨房に入って冷蔵庫を開けてみると、ゆでうどんの袋が大量にあった。
「ラッキー……冷やしうどんでも作りましょうか……具、何でもいいですか?」
ぼーっと煙草を吹かしている土方に声をかけると「あぁ」と言う気のない返事。
「どっちにしろマヨネーズかけるんですから、副長のはサラダうどんにしますね」
てめぇ独りの時は『ゆでうどんてぇことは、もう茹でてあるんだから、別にいいじゃないか』と言い訳して、そのまま食べる山崎だったが、愛しい上司に食わせるのだから、一応、レシピ通りに軽く湯がいてやろうと思いついて、大鍋に水を張ると火にかける。それにアレだし。茹でないで食ったら、もっさりするし。なんか、今日はもっさりは勘弁してほしいというか、もっさりいらねぇよという気分だし。
湯が沸くまでの間に具を準備しておこうと、同じく冷蔵庫から取り出して来たカニカマボコとレタスを、甲斐甲斐しくも手早く刻む。
「おめぇは、何にするつもりだったんだ?」
「はい、大根おろしに、柚子胡椒を混ぜた出汁をぶっかけようかと」
「……んじゃ、それを3つ追加で頼みまさぁ」
突然割り込んで来た声に振り向くと、入口には隊服姿の沖田と、浴衣姿の近藤と原田の姿があった。
「こんな時間に何してんだ、近藤さん。あんた今日、非番じゃねぇだろ?」
局長と副長が同時に休みをとるなんてシフトは、本来ならほとんどあり得ないだけに、土方は近藤の浴衣姿に唖然としている。それに確か近藤は、昼過ぎの九つ半から、幕府のお偉い方との会議が入っていたはずなのだ。あまりの事態に数秒間、固まってしまい、くわえ煙草の灰がほろりと落ちそうになる。
「そうなんだけどよ、想定外のことが起きちまって」
「は?」
「……局長、鳩の糞被ったんだってよ」
奥歯にものが挟まったような近藤に代わり、にやにやと笑いながら答えたのは、原田だった。
「おう、実は……そういうことなんだ。後頭部にべったりとな。当然、着替えるしかないわけなんだが、予備の隊服はたまたまクリーニングにいっちまってて、取りあえず非番だった原田君のを借りようと思ってな」
「道理で、頭が濡れてる訳だな」
「感謝してくだせぇ。わざわざパトで拾いに行ってやった上に、糞まみれの頭まで流してやったんですから」
「糞まみれ言うな! 聞いてくれよぉトシ、総吾のやつ、井戸水ぶっかけようとしたんだぞ」
「……いや、俺もそうする。で、結局、ひとっ風呂浴びた訳だな」
「そういうこった」
大根をごりごり4人分もすり下ろしながら、そのやり取りを背中で聞いていた山崎の頭の中には『メシの支度の後は、風呂掃除か』ということが、ぐるぐる回っていたのは言うまでもない。
当初は、土方に昼飯を食わせたら、食後のデザートに副長を(以下略)……なんてヨコシマな考えもなかった訳ではないが、この状況では、まず風呂の床だけでも磨いて来いと命じられそうな気がする。
まったく、こいつらときたら、監察の仕事を雑用係かナンかだと勘違いしてるんだから。
ぐらぐら煮立った湯に『てぼ』という1人分ずつ麺を湯がくための柄付き網を、5本まとめて放り込む。面倒なので、湯から引き上げた後は、てぼごと氷水に晒した。冷めるのを待つ間に、冷蔵庫からめんつゆの元を取り出し、八つ当たりのように瓶を振る……これ、何倍に希釈するんだ?
茹でて冷ますだけとはいえ、人数が増えるとそれなりに手間がかかる。アンタら少しは手伝おうって気は……無いんでしょうね。ええ、無いでしょうとも。
出来上がった皿を厨房まで取りに来てくれるとか、てめぇの箸とお茶ぐらいてめぇで出すとか、それぐらいしようという気は……無いんでしょうね。ええ、無いでしょうとも。
後は、ざっと麺の水を切って、盛り付けるだけ。
「はい、お待たせしました」
内心ブチ切れ寸前の山崎は、しかしその憤りを顔に出すことなく笑顔を作って、各々の前にうどんが盛られた皿を出した。相手は、原田含め全員幹部クラスなのだ。山崎だって、副長直属の部下に相当する助勤なのだから、序列的には各斬込隊長とそう変わらないはずなのだが、そこはあくまでも『平隊士待遇』の悲しさだ。
「おっ、うまそうだな」
「この間、調査で行った店で出してたのを思い出して、作ってみました」
「ザキちゃん、器用だなぁ」
ようやく山崎も椅子に腰を落ち着けた。扇風機の風に当たって汗が引いてくると、先ほどまでのイライラもなんとか収まってくる。多分、ただでさえクソ暑いところにもって、湯気に当てられて気が短くなっていたのだろう。
「で、なんで土方さんだけ、カニ……」
ブチュブチュブチュという音が、沖田の言葉を遮る。
「そーいうことですかイ」
沖田は『犬も食わない黄色いあんちくしょう』になってしまった土方スペシャルぶっかけうどんを前に、吐き気をこらえる顔になる。
「一応、考えてそうしました」
まったく。一体どこをどう見たら、これが「さっぱりしたもの」なんだか。
一応、サラダうどんだから、マヨネーズがかかっててもおかしくない。多分、おかしくない。なんか、うどんの姿がみえないような気がしないでもないけど、でもこれ、一応、サラダうどんだから。
しばし、一同がうどんをすすり込む音だけになった。
「それにしても、原田さんがいるなんて珍しいですね。休みだと大抵、外出なのに」
山崎が、空になった皿を重ねながら、思い出したように尋ねる。
「……これから」
「ヘルス?」
「いや、給料日前だから、フーゾクは行かねぇよ。デートだ、デート」
「はあ、時間外営業で、それから同伴ですか。で、どこの店のキャバ嬢ですか」
頭から『相手は素人ではない』と決め付けている山崎の質問攻めに、原田は苦笑してタコ入道の己の頭をぺちんと叩いた。
まぁ、確かに野郎ばかりのむさい職場には、女の子との出会いもへったくれも無いわけだが。
「原田さん、ちゃんと勝負パンツ履いて行きなせぇ。商売女でも、ひょっとしたらひょっとするかもしれませんぜい」
沖田もそう言って、はるかに年上の原田をおちょくる。
とても十代の少年の発言とは思えないのだが、それは土方の躾が悪かった……ことを差し引いても、年上のガラの悪い荒くれ男どもに囲まれていれば、自然とそうなってしまうのだろう。
「勝負パンツって、なんだそれは。決闘でもするんか?」
土方がぼそっと尋ねた。
「こう、いざという時に備えての下着に決まってるだろう」
意外や、その質問に答えたのは、勝負パンツのパの字も縁がなさそうな、近藤であった。
「そう、ズボン下ろされて笑われるようなパンツ履いてちゃダメってことですぜ」
沖田が土方をちらりと睨みながら、当てこするように言う。その口調に、山崎は先ほど目にした土方の下着を連想していた。
「はん、そんなもん気にしてどうする。日常生活においてが一番だ」
「副長の言うことも、もっともだけどな、やっぱりココって時に、こう……敵方を、グッてさせないと」
山崎は『原田さん、その通りです』と、腹の底で激しく賛同していた。
ホントに土方さんときたら、こんなにきれいな顔立ちしてて、むせかえるような色気を振り撒いてて、時折ドキッとするような優しさまで見せてくれるというのに……やっぱりココって時に、こう、ガックリさせるんです。そりゃあもう、酷いもんなんです。
「そうそう、もっさり白ブリーフじゃ、勝負出来ませんぜ、土方さん」
山崎の血を吐くような叫びが伝わったのか、沖田がそう言った。いや、沖田自身が同じ理由で、何度もガックリさせられてきたのだろう。
「なぁにが勝負だ。どうせ脱ぐモンだろうが」
「分かっちゃねぇよ、アンタ。パンツってぇのはいわば、最終武装ですぜイ。パンツは心の鎧、いわばサムライハートでさぁ。ここで勝負しねぇでどうしやす」
「ブリーフのどこが悪い。天下の将軍様も代々ブリーフだ。いわばセレブなんだよ、セレブ。立派に勝負できらぁ。第一、そんなチャラチャラしたのんと違って、機能的じゃねぇか」
「まぁ、確かにブリーフなら、不安定になるってことはないな」
原田がそう言ったのは、やはりボロ道場で共に竹刀を振り回していた同志だったからだろう。
土方が、我が意を得たりとばかりに「そうそう。トランクスだと、ぷらぷらして踏み込みきかねぇんだよ。なぁ?」と言いつのるが、肝心の元・道場主の近藤は「そうかなぁ?」などと、けろりと言い放った。
「あんたの場合は、インキンだから通気性が必要……って理由もあんだろうけどな」
「だから俺、インキン違うってば、トシ!」
「……でも、暑いときにパンツ一丁で涼んでて、辛うじて恰好付くのは、トランクスですよね」
山崎がそう呟いたのは、真夏の大部屋に大量発生する、見苦しいマグロの群を思い出したからだ。いや、カラフルな布地だけに、マグロというよりは季節外れの鯉のぼりの群というか。
「士道不覚悟だ。んな恰好。大体、山崎、てめぇ、忍び装束とかの時は、ピッタリしたの履いてやがんじゃねぇか」
「まぁ、俺は変装用の衣装によって使い分けてますから、そういう時は動きやすい方が……でも、白ブリーフは無いです。それだけは無いです」
「あぁ、ザキちゃんのパンツ専用の行李、増えたもんな」
「仕方ないでしょう。そういうとこでアシついたら困るし」
「んな、ちゃらちゃらしたもん、わざわざ選んで履く気がしれねぇ」
「てゆーか、なんで山崎のパンツなんて知ってるんだよ、土方コノヤロー。つーか、もしかして、もっさり以外持ってねぇとか」
やたらもっさりを連呼するあたり、沖田は土方の白ブリーフによほど恨みがあるのだろう。
「一応、あるけどな。あれ、トランクスってぇんだろ」
「まさかそれ、昔、道場のコンペの景品にやったモックとガチョペンの……じゃねぇだろうな?」
ジョーク下着の品のないガラを思い出しながら、恐る恐る近藤が尋ねると、土方は極めて真顔で「そうだが?」と即答する。ここまであっさり開き直られると、一同、ため息しか出てこない。
「んだ、なんか文句あんのか?」
「トシ、そんなんだから女にモテねぇんだぞ」
近藤に、ため息混じりで肩をぽむっと叩かれたのが、よほどプライドを傷つけたらしい。土方がじろりと瞳孔が開き気味の視線をよこした。
「あんたに言われたかねぇよ、インキンでケツ毛ボーボーのくせに、エロゲーマニアのストーカーのドMじゃねぇか。大体、真選組局長の身でありながら、あのフンドシ仮面にパンツを恵んで貰ってたろう、近藤さん」
「そういう土方さんだって、もっさりブリーフのくせに貧乳フェチのロリじゃねぇですかい」
なぜか、それに応戦したのは、近藤ではなく沖田であった。
相当、色々と根に持っているらしい。
「ちげーよ!! なんでそーいう話になんだよ、総悟ォ!」
ムキになって土方が喚き返したのは、それなりにやましい心当たりがあったからに違いない。山崎も立場上(?)それをフォローも否定もできずに、苦りきって「最初に言い出したの、副長ですよ……」となだめるのがせいぜいだ。
「うっせえよ。つまり、アレだ。てめぇでわざわざ金出して、そんな下着買う趣味はねぇってこった」
その土方の苦し紛れの言い訳に、原田が食いついて「じゃ、なんだぁ? 貰ったパンツならいいってのか?」と混ぜっ返した。
「まぁ……ありゃあ、履くかもな。まぁ、俺にパンツ貢ごうっていうバカもいめぇが」
ふと顔を上げた沖田と山崎の目が合う。
あれば、履くのか。
それはふたりにとって、コペルニクス的展開であった。
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