HAPPY TOY/上
「なんだそれは。神聖なる職場だぞ、ここは。テメェ万事屋ナメてんのか、ナメてるんですか、あん?」
銀時だって、朝からそんな野暮は言いたくなかったが、出勤してきた新八が鞄にコッソリといかがわしげな本を忍ばせているのを見てしまった。上司としては一応、ここはガツンと一発言っておかないと。
「だって、うちは姉上がいるんですよ。こんな本見付かったら、何こそ言われるか」
「俺なら見付かってもいいのか。うちには、年端のいかない、いたいけな少女だって居るんだぞ。教育上良くねぇじゃねぇか」
変な知恵つけたら、アイツのおやっさん、あの海坊主だぞ、殺されんぞ……とは言わない。やはり銀時も成人男子、ちらりと見えた艶本に興味が沸いて「没収だ」と口調だけは厳かに、しかし目が笑うのは隠しようもないまま、それをわし掴みにした。
「なんですかコレは? ご主人様の仰せのままに、萌え系からくり嬢・艶ほとがら? おまえ、こういう性癖あんの?」
「性癖言わないでください! 違いますよ、特集んとこですよ! 萌えボイス歌姫ランキングで、お通ちゃんが3位になって、インタビュー受けてるからっ!」
「そんな理由がちゃんとあんなら、テメェんちで読めよ」
「いや、でもイヤらしい写真載ってるし」
「まあ、どっちがメインでもいいけどね」
銀時は応接セットの長椅子に身体を投げ出すようにして寝転がると、その本を広げた。人間と寸分変わらない、いや造りものであるためにより一層、男性の理想そのままの形を与えられた肢体が、命じられるままに媚びるような視線や、淫猥なものを連想させる姿態、あるいはそのものずばりセックスのポーズをとって、カメラを見上げている。
「銀さん、神聖なる職場ですよ、ここは。銀さん、万事屋なめてんすか、なめてるんですか?」
「まぁ、うちには神楽がいるからなぁ。教育上良くねぇから、こんな本、滅多に買ってこれねぇんだよなぁ」
「アンタ、さっきと言ってること全然変わっちゃってるよ」
「からくり嬢とやら見た後で、生身の女の写真見ると、なんかイマイチ薄汚くみえるのはどうしてなんだろうなぁ」
「ナニソレ。まさか、お通ちゃんのこと? 薄汚く見えるって、お通ちゃんのことかコノヤロー! その暴言、僕が親衛隊長志村新八と知ってのものかぁあああああっ!」
ぷっつんキレて飛びかかって来た新八の腹を、銀時が長い足で蹴り飛ばす。
「それが上司に対する態度か」
「上司ヅラは、まともに給料払ってからにしろぉっ!」
たちまち取っ組み合いになった。
すぐに勝負がつくかと思われたが、親衛隊長モードが入った新八はなかなか粘る。これ以上長期戦になると、さすがにしんどいから、とっとと片付けてしまおう……やりたくないが本気モードでぶん殴るしかないなと、銀時が拳を振り上げた瞬間に。
凄まじい轟音と爆圧がした。
一瞬、鼓膜が破れたようになって聴力が失われる。激しい耳鳴りに、吹き飛ばされて転がった姿勢のまま、両手で耳を塞いでいた。ふたりとも大声で喚いているはずだが、その自分の声すら数秒間、聞こえなかった。
「っくしょー……誰だっ!」
視界を被っていた爆煙が消えるのは、聴力の回復よりも早かった。
そこには、やけに端正な容姿の女性がモップ片手のエプロン姿で、しかし笑みひとつ浮かべずに突っ立っていた。
「うわわわ、た、たま? 家賃じゃないだろ、まだ家賃払う日じゃないだろ、こないだまとめてもぎ取られたから、滞納もしてないだろがよ」
不自然なまでに無表情なのも道理、彼女は今は亡き機械技師・林流山の作り上げた機械人形の最高傑作、芙蓉零號であった。だが、銀時らに拾われてからは「たま」と呼ばれており、今はお登勢に引き取られスナックの手伝いをしている。
「なんの本ですか? 銀時様はこういうのがお好きなんですか?」
芙蓉が床に落ちていた冊子を取り上げると、パラパラとめくった。
「こういうのって、どういうのだ……おめえ、それが何の本か理解できるのか?」
「冒険の書ではないようですね。銀時様はRPGより格闘ゲームがお好きなのですか?」
淡々とした口調に、埃を払って立ち上がろうとしていた銀時は、がくっと脱力する。
「か、格闘ね……まあ、おめえの目からみりゃ、レスリングみてぇなもんかもな」
「こういうのがお好きなのですか?」
面と向かって言われると鼻白むが、頬を軽く引きつらせながらも「まあ、こういうのが嫌いな男はいないだろうな」と答える。
「了解しました。銀時様はレスリングがお好きと、データに記載しておきます」
「いや、そんなん記載しなくていいから」
おもむろに冊子を取り返そうと掴みかかるが、相手は腕力も瞬発力も常人以上の能力を持つ機械人形、さすがの銀時も敵わない。
「……なるほど、外装パーツは要らないのですね」
下着姿や全裸の人形達の写真を見て、芙蓉は自分なりに解釈したらしい。いきなり、自分の着物の衿を押し広げた。だが、人工皮膚は首までしか貼られていなかったらしく、乳房の代わりに現れたのは、鈍色の平たい金属板であった。
「どうですか?」
「どうも何も」
芙蓉は不思議そうに、苦笑する銀時と本をしばらく見比べていたが、やがてぺったりと床に座り込むと「外装パーツは要らなくても、バンパーオプションはあった方が良いのですね」と呟く。
「は? バンパー?」
「心臓動力部を保護するフレームです。特に女性型は骨格部が華奢なので、衝撃を吸収するように、ここに、液体を詰めた袋をオプションとして内蔵しています」
「ああそう……いや、人間の場合、別におっぱいは、衝撃を吸収するためのモノじゃないんだけど」
芙蓉は、自分の胸をしばらくじっと見下ろしている。
「ああいう人形の方が、お好きですか?」
「好きというか、こーいうのは別モノというか、その」
「銀時様が、ああいう人形の方がお好みでしたら、改造してもらいます。費用でしたら、お登勢様から頂いたお金がありますから心配ありません」
「いや、そのちょっと、マテ、こーいう人形が何するためのモンか、分かってんのか? その、ダッチワイフみてーなもんだぞ。いや、ダッチワイフって言っても知らねぇかもしれねぇが、その、おめぇはそういうための道具として作られたわけじゃねぇだろ。人形のくせに、なにオトナの世界に目覚めてんだ? スナックの客になんか吹き込まれたのか?」
一気にまくしたてながら、冊子をようやく取り上げる。
「そのような機能がないのは、もったいないと言われました」
「んなこと言いやがったのは、どこのどいつだ。今度来たら呼べ。頭カチ割ってやる」
「でも、銀時様はとても熱心にその雑誌をご覧になっていました。そのような機能をご要望ならお応えしたいと思います」
思いがけない芙蓉の提案に、銀時と新八は唖然として顔を見合わせる。
「た……たまさん?」
「おめぇ、マジかよ?」
芙蓉はこっくりと首を振る。
「そ、そうか……ちょうど良いじゃねぇか、新八ィ、筆下ろしして貰えや。源外のジジイが気ィきかせて、股倉にオナホールでも付けてくれるかもしれねぇぜ」
「なっ……相手は機械人形ですよ、人生で1回しかない初めてを、そんなモンに捧げろと言うんですか!?」
「おめぇ、オナホールを馬鹿にしちゃいけねぇよ。シリコンは現代科学の粋の結晶だよ。下手なソープよか、ぜってぇに気持ち良いぜ?」
「なんでそんなこと知ってるんですか。使ってるんですか。愛用してるんですか。僕は、そんなもののお世話になんか、なりたくありません……銀さんどうぞ」
ふたりが不毛な譲り合いをしているのを聞いているのかいないのか、芙蓉がニコッと笑うと「では、銀時様。今夜お迎えに参ります」と言った。
「アイツ……結局、何しに来たんだ?」
「てゆーか。今……たまさん、銀時様って言いましたよね。銀さん限定っぽいですよね。僕、眼中に無いんですかね」
ホッとする反面、あまりに露骨に無視されると、さすがに凹む。
「お前、アレだからじゃね? 新八だからじゃね? キャラが立ってねぇから、モブと間違われたんじゃね? ほら、新八だし」
「やな言い方しないでくださいよ。なんかその言い方、僕の存在全否定されてません?」
「まあ、お前が代わりに部屋で待ってろや。俺ァ適当なとこに泊まってくらぁ」
「適当なとこってどこですか。大体、神楽ちゃんどうするんですか。連れて出てくれるんですか?」
「神楽なんざ、おめぇんちに泊めてやりゃいいじゃねぇか」
「なんて言って連れて行けばいいんですか」
「なんでもかんでも教えて貰おうとすんなや。アレか、今流行の教えてチャンですか、教えてチャン気取りですかコノヤロー自分で考えろや……考えて思いつかないときは……そうだな、おめえも家に戻っておけよ。誰も居ない状態なら、たまのヤツも諦めるだろ」
「そ、そうですね。なんかちょっと、もったいない気もしますけれど」
「ばぁか。相手は機械人形だぞ」
銀時は、そう吐き捨ててきびすを返す。
こいつらが万事屋に転がり込んでくるはるか前に、住み込みの用心棒として雇ってもらった楼閣があったなと、銀時は思いついていた。長らく縁が切れていたそこを頼ろうと考えたのは、芙蓉が知っている相手や行ったことのある場所を頼っては、突き止められる可能性が高いからだ。
階段を降りる途中で、お登勢とすれ違った。どこに行くんだイと尋ねられて、銀時はなにげなく「昔の馴染みに」とだけ答えた。
いつまでも若造りで年齢不肖の女主人は、快く銀時を迎え入れてくれた。
女主人は、傍に控えていた神楽と同じ年の頃の『かむろ(侍女)』を振り返って「朱華、銀の字を部屋に案内してやんな」と命じる。
「あい、姐さま」
恥ずかしそうに、たもとで顔を隠す仕種も愛くるしい美少女に連れられて、三階の一室を宛てがわれた。唐障子を開け放つと、雪洞の灯に浮かび上がった花街の表通りが見渡せる。不審な客が入ってくるのが見えたら、助太刀しろという訳だ。
「一応、見ておくから、もういいぜ。何かあったら呼びに来いや」
「あい」
楚々とした仕種で戻っていく後姿に、うちのジャジャ馬どもとはえらい違いだと、銀時は苦笑する。
欄干にもたれて秋めいた風に吹かれながら、昼下がりから夕方過ぎまで往来に人が往き交う時間帯はそれなりに目を配っておく。やがて夜も更けて、人通りもパタッと消える。今日は何もなさそうだなと室内に戻って、懐に持ち込んでいた漫画雑誌を広げると、どうやらふすま一枚向こうの部屋にも客が入ったらしく、男女の話し声が聞こえて来た。
浮き世の話を廓に持ち込むなど野暮天のすることだが、隣の旦那はどれほどの佳い男なのか、ついた新造はやけに親身に男の愚痴を聞いているようだ。別にそんなもの盗み聞きする趣味も無かったが、妓があんあんとアダっぽく啼く声を聞かされるよりは、よっぽどマシかもしれないと苦笑しつつ、銀時はジャンプをめくる。
今週も、ギンタマンは打ち切りを逃れたらしい。
「……で、そいつがよ。てめぇで押し掛けてきておいて、一体自分のどこが良くて傍に置いてくださるんですか、なんて眠てぇことを問い詰めてきやがってよ。どこがいいもねぇもんだ」
「あらまぁ……アタシも、旦那ほどの男を落とす秘訣ってのを聞きたいわ」
「別に……単に、根負けだよ」
「それじゃあ、あんまりですわ。こういうのはどうかしら?『今の世は天人開化の世の中よ、フェースやスタイルに惚れはせぬ、ハートに惚れるが真のラブ』……って、花柳界の流行唄ですのよ」
「ち。冗談じゃねぇ。俺がどのツラ下げて、その小唄ァ歌えというんだ……ああ、今日は独りで寝るから。おめぇ、俺に構わずよそに客取りにでも行けや」
障子向こうの男の愚痴に、銀時は思わず口許が緩む。
どんな色男かは知らないが、押し掛け女房に振り回されて逃げて来たらしいという、似たような境遇に親しみが沸いたのだ。
「あら、つれないのね。それともそのひとに遠慮して、操でも立ててるの?」
「それだったら、わざわざこんなこと来やしねぇよ。なんとかも食わねぇ繰言聞いてくれた礼のチップ代わりさ。遠慮せず稼いで来いよ」
「小遣い稼ぎによそのお客の相手をするぐらいなら、アタシ、旦那の傍に居たいわ」
「別に傍に居るのは勝手だが、俺ァもう、漫画でも読んで寝るつもりだぜ……オイ、ヤンマガはねーのか、ヤンマガは」
「いやぁね、ここは一応、楼閣よ。艶本の類いならあるけど、そういうのはちょっと」
「旦那ァ、ヤンマガはねぇが、ジャンプなら持ってるぜ」
銀時は、思わずふすま越しにそう声をかけていた。
「……ジャンプか。そんなん、ガキの読むもんだろ」
「いやいや、ジャンプも捨てたもんじゃねぇよ。友情、努力、勝利。人生の重要な要素がギュッと詰ってるんだからな」
「そうけぇ。ま、たまには悪くねぇか」
昔、どこかでこんなやりとりをしたような気がするなぁと思いつつ、ふすまを薄く開いてジャンプを押し込み、お互いの顔を見ることもなく閉じる。
「子の刻か……用心棒としての仕事も、今夜は無さそうだな。ジャンプもねぇし、もう寝るか」
青い匂いがしている畳に寝転がった。
妙な胸騒ぎがしていることもあって、万が一に供え、夜着には着替えなかった。
不意にガクッと衝撃を感じた。
いつの間にやら本当にすっかり寝入っていたらしい。目を開けると、引きつった少女の顔が見下ろしている。
「ん……神楽、どうした?」
寝ぼけた頭で反射的にそう呼びかけたが、次の瞬間には、ここは自宅ではなく楼閣であること、彼女は神楽ではなく、かむろの朱華であることに気付いた。
「お、女の人が、その、門を壊して、押し入って来て」
「女ァ? どこぞの野暮天の山ノ神か?」
低血糖、低血圧の身にはシンドイ所業だが、これもお仕事なので仕方ない。枕元においていた木刀を引っ掴んで起き上がる。その頃には、下男達が侵入者を止めようとしているらしい怒号と破壊音が階下から聞こえて来ていた。
「銀の字ィ、怖いッ」
「まぁ、ここに居な。おにーさんは、お仕事してくっからよ」
半べそをかいて縋り付いてくる美少女の背を惜しそうに撫でてやり、廊下に出る。丁度そのタイミングで、隣の部屋の客も「なんだァ、何事だァ?」と刀を片手に飛び出して来た。
警察を呼べと誰かが叫んだのに反応して、その男が「うろたえるな、俺が警察だ」と怒鳴り返す。
「ありゃあ……お隣の旦那は、おたくでしたか」
銀時のその声に振り向いた、瞳孔が開き気味の三白眼は、思いがけないものを目の当たりにして、一瞬ぽかんと口を開けた。
「万事屋? なんだって、ここに?」
「いや、俺ァ、臨時のお仕事で……そーいう副長サマは、市民の税金でいい御身分ですこと」
「うるせーよ! んで、なんだ、この騒ぎは」
「知らねーよ。俺も今、かむろの娘に叩き起こされたとこさ」
さらにドーンという爆発音が響いたため、詳しい話は後回しとばかりに、ふたりは階段に向かった。壊れた建物のコンクリや木片の破片が舞い上がっているのか、むわっと空気が煙っているが、幸い火事は起こっていないらしい。
「銀の字の旦那ァ! よく来てくれた、あの女、化け物みてぇで、俺らじゃ歯ァ立たなくて!」
後退してきたらしい下男達が、銀時を見てホッとしたのか、露骨に泣き出しそうになる。そいつらの前にズイッと出ると、霞んだ視界の向こうに、ほっそりとした人影が浮き上がっているのが見えた。
「ば、ばばば、化けモノだってさ、お、多串クン」
「だ、だだだ、誰が多串だ、こ、怖ぇんなら引っ込め」
「こ、怖くなんてねぇぞ。テメェこそ、手ェ震えてね?」
「ばっ、こ、これぁアレだ。武者震いってヤツだ」
大の男数人がかりでも歯が立たない女とは、どんな怪物なのか。そんなものを相手にしたくはないが、そこで逃げ出さなかったのは、単に互いの存在に対抗意識を刺激されたからだろう。
「警察だ、神妙にしやがれ!」
「どーもー万事屋でぇーす!」
蛮勇を振り絞るように喚きながら、我先にその人影に斬り掛かる。
「目標捕捉しました……銀時様、お迎えに参りました」
その硬い声を聞いて、銀時は唖然とするしかなかった。
土方の刀を平然と右の手指に挟み込んで抑え、さらに銀時の木刀を左手で握っていたのは、なんと芙蓉であった。
「なっ……た、たま?! なんでてめぇ、ここが……?」
「たま? いや、このツラは……林博士のクーデター未遂事件のキッカケになった機械人形……? 知り合いなのか?」
土方がじろっと視線をよこしてくる。
そうだ、コイツは一応、お尋ね者で……そう思った次の瞬間には、銀時は芙蓉の手を引いて走り出していた。
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