犬 の 生 活
「土方さーん、入りますぜ」
中からの返事も聞かず、沖田は障子に手をかけた。
「あ、沖田隊長」
そこにいたのは、簡易机を持ってきてなにやら書類と格闘している山崎一人だった。
「…土方さんは?」
「副長は局長に呼ばれて…」
山崎の視線の先をたどると、今さっきまで誰かが座っていたと明らかに判る中央の凹んだ座布団。
「で、犬っころはここで何してやがんで?」
面白くないというオーラを遠慮なく発して、沖田は山崎を見下ろす。
「夕べの捕物についての後始末の手伝いを」
「あぁ、そうけぇ」
昨夜の捕物はそれほど大掛かりにしないということで、事前調査に入っていた山崎の先導で、土方以下一番隊で踏み込んだ。
その際に予想外の抵抗にあい、土方を庇って山崎は負傷。割って入った沖田によって切り捨てられたその男は『確保』が目的であった。
返り血を浴びてはっとする沖田に『お前は責務を果たしただけだ、気にする必要はない』と責任を求めることをしなかった土方だが、朝から近藤の元と副長室を行ったり来たりを繰り返しているようである。
「…土方さんに刃を向けた野郎には当然の報いでさぁ」
ぼそりと沖田の口から漏れた呟き
自分の不始末であることは判っている。
だがそれでもあの瞬間、沖田は刀を振り上げずにはいられなかった。。
「…俺もそう思いますよ」
いつもならば何かと反論してくるであろう山崎の口から出たのは、それへの同意だった。
「はぁ?」
予想外の言葉に沖田は思わず聞き返す。
「副長の手前、俺は言えないだけで…もしあそこで引っ掛けられてなかったら俺が切り捨てたかったですよ」
呟いた山崎は包帯が巻かれた左腕を見る。
「いてぇのかィ?」
山崎の前にしゃがみこんだ沖田の口から珍しく心配するような言葉が出る。
「副長が無事でさえあればこれくらい痛くも何とも…」
「その傷ひっぱたくぞ?」
「慎んでご遠慮しますっ…!」
一瞬前のそれはどこへやら。
今にもにっこり笑顔で傷口に唐辛子味噌を擦り込みかねない沖田に慌てて山崎は手を引っ込めた。
「…俺は庇うための盾にしかなれないけど、沖田体長は守るための剣になれるから羨ましいと思うんですよね」
暫し続いた沈黙を破ったのは山崎だった。
「俺には隊長みたいな剣の腕もないからそれしかできないけど…。もし俺がいた場所に隊長がいたら・・・どうしてました?」
「…少なくともお前ほどドン臭くない分、怪我はしねぇだろうけどな」
羨ましそうに言う山崎に沖田は毒気を抜かれたかたちになる。
「ったく…このバカ犬は何を言い出すかと思えば…俺に塩を送ってどうするんでぇ…」
「あ、そう聞こえます?だからと言って俺は引いたりなんてしませんからね?」
はぁ、と大げさにため息をつく沖田に山崎は苦笑する。
「それとあんまり犬っころ犬っころ言わないでくださいよ」
「事実じゃねぇか」
「…ここの連中はみんなご主人様を守る犬ですよ。それぞれ守る対象は違ってるかもしれませんけどね」
言われてみたら確かにそのとおりである。
この組織自体も幕府の犬と呼ばれるような組織なのだから。
「さしずめおめぇはご主人様に噛み付く駄犬かバター犬ってとこかィ?」
「隊長も人のこと言えます? わざわざキッチリと副長の首筋とかに噛み痕付けて」
「人の餌を盗み食いするちび犬が何を言いやがる…」
「そのちび犬だってちゃんとご主人様に可愛がっていただいてますが、何か?」
「ご主人様を噛むような躾の悪い犬は調教しねぇとなぁ」
「ご自分のこと棚に上げます?」
双方共ににっこりと笑顔だが、見えない刃が多量に飛び交っている。
「…お前そのうち本気で死ぬぜ?」
「畳の上で死ねるなんて思ってませんから・・・っと」
その時、廊下の向こうからの足音を先に捉えたのは山崎だった。
「…あ、帰ってきましたね。 さっきのことは内緒にしといてくださいね」
「ふん、てめぇもせいぜい立派な盾になるこったな」
ぺたぺたぺた・・・と近づいてきた足音が止まる。
「山崎、今から現場… なんだ、お前見回りに行ったんじゃなかったのか?」
戻ってきた土方は沖田を見て怪訝な顔をする。
「これから行くんでさぁ。現場検証なら俺が行ってきやすぜ」
土方の手の書類を覗き込んで沖田は立ち上がった。
「・・・昨夜の目撃者もいなかったから正当防衛ってことにしちまいません?」
「お前も俺に労災書類を偽装しろというのか・・・」
ばさばさと山崎の前に放りだされたのはそれに関する書類と要項だった。
「はぁ? こいつの怪我労災でやろうってんですかぃ?本人かすり傷だって言い張ってますぜ?」
「任務中の怪我だ、出してやらねぇとだろう」
「舐めてやりゃ治るんじゃねぇですか? なぁ、山崎」
一瞬の沈黙。
「・・・そりゃ、はい」
「何、顔赤らめてやがんだ、てめぇっ!! 総悟っ!!」
「ははははは、じゃいってきやーす」
怒鳴る土方を無視して沖田は部屋を出て行った。
「・・・ったく・・・調子狂っちまったなぁ」
既に本日何度目になるか判らないため息。
「あのバカ犬も知恵つけやがったな・・・」
まさか自分に対して真正面から向かってくるとは思ってなかった。
今来た方角を振り向くと、うわーとかぎゃーとかいう悲鳴と土方の怒声が聞こえてくる。
「障害は・・・叩っ斬るだけだぜ? 山崎よぉ」
この勝負、またまだ長く続きそうである。
END
【後書き】突然ナニカが降りて来た・・と、北宮紫さんが書き上げてくださったSSです。この話が伏線になり「夜明け前」に続く・・んだそうです。
つか・・・バター犬ってアンタ(笑)
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