BE MINE/5
多分、お勝手口からコソコソ帰って来るんだろうなと轟姉は予想していたので「縁側から見える庭の花がきれいに咲いたから」とかなんとか適当な理由をつけて、父をお勝手口から遠い部屋へ促しておいたのだが。
「アンタ、なんて格好してるの。お父さんに見られたら、ヒーローたるものがナンタラって、またヒス起こされるわよ?」
上着やシャツが破れたとは聞いていたけど、まさか女物のワンピ姿で帰って来るとは思わなかった。母親似の女顔とほっそりした体型のせいで、妙に似合っているのが腹立つ。というか、なんで手入れしてないくせに足つるつるなのよ。
「靴は表玄関に持ってってあげるから、さっさと着替えてらっしゃい」
「そうする」
「あとね、アンタを心配してお友達が」
「あ、このサンダル、よかったら姉さんにあげる」
小言を遮られ、紙袋を押し付けられた姉は迷惑そうに顔をしかめたが、サンダルのブランドを見て「えええっ」と大声が出かかった。慌てて口を押さえる。
「どうした、焦凍が帰って来たのか?」
遠くからエンデヴァーが声をかけてきたが、姉はとっさに「違うの、ネコー!」と叫び返していた。
「アンタこれ、すっごく高かったんじゃないの? 小遣いで買える値段じゃないわよ」
「そうなんだ? 帽子もあるけど、いる?」
ポケットに無理やりねじ込んだために型崩れしている帽子をポンと投げ渡し、姉があっけにとられている間に、部屋に逃げ込んだ。
ワンピースを脱ぎ捨て(返さなくていいと聞いているので)丸めてゴミ箱に突っ込み、部屋着に着替える。親父が帰って来てるなら、このままバックれる訳には行かないな。そういえば、姉さんが何か言いかけてたけど、何だったんだろう?
深呼吸をしてふすまを開けようとして……引き手に手をかける前に、ガラッと開いた。どうやら、向こうからお出ましになったようだ。
ふすま、施錠代わりに氷結でもしておけば良かった。いや、向こうは炎使いなんだから、保って数秒の無駄な抵抗か。
「なんだ。やはり猫じゃなくて、焦凍じゃないか。あの破廉恥な服は着替えたのか」
「今、帰宅の報告をしようと思ったところです。遅くなりました」
いけしゃあしゃあと言い切った愛息子の胸倉を、ガシッと掴んだ。殴られるのかなと覚悟して歯を食いしばった次の瞬間、ビリっと派手な音がしてシャツが破かれた。ボタンが弾け飛ぶ。
「ちょっ、何しやがる!」
「フン、露骨に痕をつけるほどの間抜けではなかったようだな。だが、飯を食うのにシャワーなんか浴びる必要があるとでも?」
「は? なんの話だ」
轟が振り払おうとするのを、力任せに引き寄せて鼻をひくつかせる。
「誤摩化せるとでも? 石鹸の匂いがしてるぞ。それも安っぽいヤツのようだな」
まるで不貞の証拠を探すようなエンデヴァーのやり方に、轟はゾワッと鳥肌がたった。
「自分が疚しいことをしてるから、他の男も同じようにやらかすと思ってんだろ。野郎の嫉妬は見苦しいぜ」
「何ッ」
まるでゴミを見るような目で睨み返され、ついカッとして腕を振り上げたエンデヴァーであったが、ここで挑発に乗ってしまえば「野郎の嫉妬」を肯定したも同然だ。チッと舌打ちして「次は無いぞ。お前は私のものだ。勝手な真似は許さん」と捨て台詞を残して出て行った。
やけにアッサリ引き下がったな、てっきり襲われるかと思った……と息を吐いて、畳の上にぺったり座り込む。
「轟……くん?」
呼びかけられて初めて、制服姿の緑谷が居たのに気づいた。どうやら、エンデヴァーの後ろにいたらしい。なるほど、クソ親父でも一応は人目を気にしたのかと納得した。
「シャワー浴びたって、どういうこと?」
「その前に、なんでオマエがウチにいんだよ」
「それは……放課後になっても戻って来ないし、轟君が携帯置いてったから、GPSも使えないって言ってたし、その、連れてったって人からの連絡も無いから轟君が心配で、でも香山先生が、直接家に帰るようにメールで伝えたっていうから」
香山とは、ミッドナイトの本名である。
そういえば結局、としのりさんのフルネーム(あるいはヒーローネーム)を聞き損ねたな。名刺でも強請って、漢字の表記ぐらい教えてもらえばよかった。そんな知らない相手に、よくぞフラフラついて歩いたもんだと我ながら呆れる。でも、非常勤とはいえウチの講師なのだから、その気になればいつでも連絡がつく筈だ、多分。
ただの講師にしちゃ、やけにカネ持ってたけどな。体が弱いと言ってたが、ヒーローとして活動をしてたんだろうか。それも、トップクラスの。下世話な話だが、しょぼい活躍しかできない事務所は収入もそれなりだし、事件解決数トップを誇るエンデヴァーは札ビラで人の頬を叩けるほどの財を成した。爆豪がいつぞや「ヒーローになって高額納税者になる」と口走っていたのは、あながち間違いではないのだ。
「心配ねぇ? その割に、朝の俺のメール無視してたじゃん」
「そ、それは昨日スマホ割っちゃって、修理に出してたから。保健室にも、もっと早く行きたかったんだよ。でも、入れ違いになっちゃって」
轟が「そう、なんだ」と気が抜けたような表情で呟いて、破れたシャツの前をかき合わせる。もっと早くそう言ってくれれば……そうと分かっていたら、俺だってあんなふうに早まったことはしなかったのに。
それにしても、一日何回も服ボロボロにされるって、どんな厄日だよ。服難の相、なんてあるのかね。面倒なので、寝間着代わりのTシャツをひっかぶり……ふと、動きが止まる。
「ん? ちょっと待て。GPSが使えない、って?」
「ケータイ持ってたら、GPS機能で居場所が分かるのにって……靴屋から隣町に向かったらしいとこまでは、聞き込みで把握できたんだけど、防犯カメラとNシステムは警察の許可がいるから、って」
「はぁ? ストーカーかよ、あのクソ親父!」
スパイアプリでも仕込まれていたのか? 親権者には未成年者の端末を管理する責任があるといえばそれまでだが、そこまで監視して束縛するのは、一般的な親権者としての責務を逸脱している気がする。スマホを持ち歩かなくて良かった。位置情報を掴まれていたら「次はないぞ」と凄まれる程度では済まなかったに違いない。
「ねぇ、轟君。怒らないから、本当のこと話してよ」
いわゆる「宿泊施設」に立ち寄ったのは、事実だった。帰りたくないとゴネ倒した轟の粘り勝ちといったところだ。さすがにスイートルームを借りるほどの豪遊はできず、安いビジネスホテルのツインルームだったが。
「先に言っておく。私は昔、大怪我をしたせいで、すっかり体が弱くなってしまったんだ。セックスで君を満足させるほどの体力はないよ」
轟は靴擦れのできたサンダルとワンピースを脱ぎ捨てて片方のベッドに倒れ込み、上機嫌でシーツのぱりっとした肌触りとスプリングの弾力を楽しんでいた。
「構いませんよ。なんとなくアナタならいいかなと思ったんです」
悪夢を上書きするために始めたことなら、別の色で上書きして終わらせてしまいたい、と。単なる儀式のようなものだが、それで区切りがつくような気がしていた。少なくとも踏み越えてしまえば、もう戻れなくなる。
ぎしっとベッドが軋み、隣に気配を感じた。寝返りを打って、そちらを向く。相手は靴を脱いでベッドの上であぐらをかいていたが、寛いだ姿勢の割にはカッチリとネクタイを締めたままだった。
轟が、緋色の唇の端を吊り上げ、笑ってみせた。
「お手伝いしましょうか?」
寝転がったままそっと手を伸ばして、タイピンに触れる。シャツ越しに感じる貧相な胸板は、肉を削いだように痩せて、肋骨がゴツゴツと浮いていた。それだけでなく、傷跡なのだろうか、皮膚が微かに引き攣れていて……タイピンが外れにくく、じれて体を起こそうとしたところを、額に触れられて押し止められる。
「ハイ、じゃあ、そのまま下側の肘を立てて、体を持ち上げる。腰は曲げずに、体全体一直線にね……あ、できたら片足もまっすぐ伸ばしたまま、上げて」
「えっ?」
「サイドブリッジ。体を保持する筋力をつける筋トレの一種だよ。君は強力な『個性』に頼り過ぎる傾向があるし、ヒールも結局履きこなせなかったようだから、ちょっと体幹を鍛えた方がいい。本当は、床の方が安定するから楽なんだけど、ベッドの方が好きみたいだし」
「ちょっ……ええっ!」
「セックスでは満足させてあげられないが……昔、私もしごかれた筋トレメニューだから、全身クッタクタになるのは保証するよ。若者のモヤモヤは、運動して発散させるのが一番手っ取り早いからね」
目を白黒させているが、オールマイトは「そのまま、カウント60までキープ。ハイ、ぷるぷるしても腰を曲げない。足が下がってる。支えてない方の腕もまっすぐ伸ばして」と、お構いなしの口調で、パンパンと手を叩いた。
まったく、オトナをからかうもんじゃないよ。足腰が立たなくなるまで小一時間ほどしごいてやろう。
つまり、そういうこと。シャワーを浴びたのも、単に汗だくになったからだ。緑谷は真相を聞いて脱力し、畳に両手をついて失意体前屈状態になっていた。
「そ、そうなんだ。あの人なら大丈夫だって信じてたけど、もしかしたら、万が一のことがあったらって思うと、怖かったんだ……何も無かったんだね、良かった。本当に良かった」
その正面に座った轟はそれをシラーッと見下ろして「もし何かあったんだったら、どうしてた?」と意地悪く尋ねた。少なくとも自分はそのつもりだったし、何も無かったのは、単なる結果論なのだから。
緑谷が、バッと顔を上げて「えっ、でも、無かったんだよね?」と、念を押す。
「だから、例えばのハナシ。そこまでじゃなくても……例えばキスしたとしたら?」
「そんなの想像しても、どうしたかなんて分からないよ。例え話でも考えたくないし、もし有ったとしても聞きたくないから、聞かせないで。そんなの、嫌だよ」
「嫌もなにも、飯田と付き合うんだろ。麗日のことだって好きなんだろ。じゃあ、俺が誰となにしようと、お前にはもう関係ないことだろ」
「なにそれ。もしかして今、僕達、別れ話してんの? あの、麗日さんへの気持ちは、その、頑張る彼女を応援したいって感じで、好きの種類がちょっと違うっていうか別枠だし……飯田君とは一応、朝の告白は祟られてナシっていうか」
ぐだぐだと言い訳する相手にイラッとして「別れるもなにも、始まってすらいねーじゃんか」と、キツイ口調で遮った。緑谷が気圧されたのかビクッとしたのに気付いて「あ、わり、ちょっと感情的になった」と謝り……緑谷が唖然と自分の顔を見つめている、そのリアクションに戸惑った。どうした、と尋ねようとして、頬を撫でられる。
「そうだよね。僕じゃ不釣り合いなんじゃないかって勝手に尻込みして、ちゃんと言えなかったせいだね。ツーショット撮ったりとか、手を繋いだりとか、そういう恋人ってぽいこと全然してなくて。なのにヤることはヤっちゃうとか、我ながらサイテーだよね」
なんの話だ、と問い返そうとして、轟は声が詰まった。なぜかうまく声が出ない。頬を何かが伝う感触がこそばゆく、視界が所々でボヤッと曇る。
「ごめんね。泣かせちゃうなんて、ヒーロー失格だよね」
抱き寄せられて背中を撫でられる。ああ、自分は泣いていたんだと、ぼんやりと他人事のように認識していた。ただ、自室ということもあって、声だけは必死でかみ殺す。
「背中、こうやって触っても痛くない? 僕を庇って、こんなにいっぱい怪我したんだよね。なのに、僕は全然、気持ちを返せてあげられなくて……ありがとう」
そんなことない。アレは考えなしでやったことだから感謝される筋合いもないし、庇った直後に戦闘不能になるなんて、我ながらくっそダセェから蒸し返すんじゃねぇ……と言い返したいところだが、声が出ない。どのぐらいの時間、緑谷の小さな体にすがっていたのだろう。ぽつりと緑谷が「ねぇ。始まってすらいないっていうんなら、あらためて今から付き合おうよ」と囁いた。
「同情ならいらない。博愛ならもっといらない」
もっと言いたいことはたくさんあった筈だが、しゃくり上げながらの状態では、それだけ訴えるのが精一杯だった。
「そんなんじゃないよ。信じてくれない? じゃあ、せめてもう一度、友達からやり直しさせて」
まだ濡れている頬に、唇を押し付ける。そのまま抱きしめ、柔らかそうな唇に吸い付きたくなるのを堪えて、目を覗き込んだ。
「ほっぺにするのは、友情のキスなんだって。だから、さ」
緑谷は自分の頬に指を押し付けて「まずは、ここにキスしてよ。それなら、いいでしょ?」と、笑ってみせた。
「ずるい」
ボソッと轟が呟き、身を屈めて……意趣返しとばかりに、思いっきり緑谷のソバカスだらけの頬に噛み付いた。
「……痛いよ」
「場所指定しといて、贅沢いうな」
「そんなぁ」
そのまま、ずるずると床に崩れるように倒れ込む。畳の上で折り重なった格好で、緑谷は天井を眺めながら轟の背中を撫でてやる。腹の上にのしかかっている体温と重みが心地よく、石鹸の合成香料の安っぽい匂いすら、甘い体臭と混じり合って。首筋に吐息がかかって、くすぐったかった。
「あの……轟君、ゴメン、やっぱりシたくなってきちゃった」
「は? 友達から、じゃなかったのか。なにサカってんだよ」
「カッコつけちゃった後でナンけど……轟君だったら、こうやって押し倒されても全然怖くないっていうか、むしろドキドキするし。いいよね?」
耳元に吹き込むように囁かれ流されそうになるが、顔を背けてキスを避けながら「無理」と吐き出した。
「え、ここまでしといて、無理って即答!?」
「だって、親父いるし、足腰、筋肉痛でバキバキだし……そろそろお前も帰らないとダメなんじゃないか?」
緑谷は不満そうだったが、轟が壁時計を指差すと「あ」と声を漏らして、起き上がった。
台所で洗いものをしている姉の背に「友達を駅まで送ってくる」と声をかけて、家を出た。閑静な高級住宅街のせいか夜道は人通りが少なく、緑谷が遠慮がちに指を絡めてきた。
「そういえば、轟君は書庫のジンクスって聞いたことある?」
「書庫? 図書室のか」
「うん。あそこで告白すると破局するんだって。恋人か市民を助けるかって選択を迫られて、恋人を捨てて後悔したヒーローの霊が、呪ってるんだってさ」
「聞いたことねぇな、そんな事件」
轟が多少ギクッとしたのは、自分も今日、偶然そんな例え話をしたせいだ。
「コミックなんかじゃよくある展開なんだろうけど、現実のヒーローNO.1は人質に取られるような恋人を作らなかったらしいし、NO.2はクソ外道だから、嫁なんかサクッと捨てるだろうけどな。俺だったら……実際その場にならないと、どう決断するかなんて分からねぇな」
ヒーローは、誰か一人のものじゃない。誰か一人に縛られていてはいけないし、誰かを縛り付けることもできない。だから、身を引こうと思ったのに。緑谷はヒーローになりたい男で、自分もそのためだけに産まれてきたのだから。
だから、本当はこの手を振り払うべきなのに。頭ではそう思ってたのに。
「僕なら……いや、本物のヒーローなら、絶対に両方助けるよ。いや、助けなくちゃいけない」
「虻蜂取らずで、両方ともダメにするかもしれないぞ?」
「だからって、どちらも捨てられないよ。どうしたら可能か必死で考えるし、そのためにもっと強くなる。欲張りかもしれないけど、僕は絶対に諦めない。だって、それがヒーローなんだから」
あっけらかんと言い放った緑谷の態度に、轟は唖然とした。本当に、ずるい。緑谷らしいと言えば緑谷らしい無邪気な考え方だが、なぜかあの「ヒーロー殺し」の狂信的な「ヒーロー原理主義」を彷彿とさせる。この回答をとしのりさんに聞かせて、是非感想を聞きたいところだ。
「どうしたの? 僕の顔に何かついてる?」
「あ……うん、歯形。さすがに目立つから、駅前で湿布か何か買おうか」
「ちょ、面白すぎるから! 筋トレって、筋トレって!」
翌朝。話を聞かされたミッドナイトこと香山睡は、文字通り腹を抱えて転げ回っていた。
「笑うことないじゃないか。私の指導は超一流だぞ。モヤシっ子だった緑谷君も、短期間でムキムキになったからね」
「そーかもしれないけど、それでおとなしくしごかれる轟君も、アホの子だわ。なんだかんだ、従順な優等生なのね。爆豪君ならソッコーでキレて暴れてるわ」
「そうだね。エンデヴァー君の教育というか調教? の賜物かもね」
トゥルーフォーム姿のオールマイトが、気まずそうに頭を掻いた。
相澤はバカバカしくて付き合ってられないとばかりに、教室に行ってしまった。ちなみに校長の根津には「個人指導に熱心なのもいいけど、次はもうちょっと、場所とか立場とか考えてくれよ」と、釘を刺されている。
「でも、本当はちょっとヤバかったんじゃない? 一線超えちゃいそうで」
担当持ちの教師がほとんど出払い、職員室がガラガラになると、ミッドナイトがふっと真顔に戻って、そう尋ねた。
「バカを言いたまえ」
「うふふッ。別に隠さなくてもいいのよ? アタシ『18禁ヒーロー』って属性上、そーいう嗅覚は人一倍鋭いつもりなんだから」
確かに、力尽きた頃合いでクールダウンがてら、パンパンに張った手足の筋肉を揉んでやったら「意地悪」と拗ねられて……汗だくで朦朧とした表情のうえに、頬が上気して桜色に染まって、やたらと艶っぽかった。
甘えかかってくるのを「早まらないで、もう一度、緑谷君と話し合いなさい。それで仲直りできないなら、また相談に乗るから」と宥めすかし、ここ最近ご無沙汰のマグナムが起動しつつあるのがバレないうちに「汗を流しておいで」とユニットバスに追いやった。あそこでもう一押しされたら、正直ヤバかったかもしれない。シャワーの水音が聞こえる中、怒り狂っているエンデヴァーの顔やグラントリノによる地獄の訓練、妙齢(?)のリカバリーガールのセクシーショットなどを思い浮かべながら、なんとか鎮めようとしたものだ。
帰り際、轟をタクシーに押し込んで、乗務員に「これで、この子の家まで」とタクシーチケットを握らせる。やれやれ、これで解放されると思ったら、窓を開けて「としのりさん」と呼び止められた。
「どうしたのかな? ああ、せっかくだからこのサンダル、記念に欲しいのかな」
ぶら下げていた紙袋を差し出したら、その手を掴まれて引っ張られ……完全に油断していたので、唇に吸い付かれた。
「と、轟少年……バイバイのキスは、もっとこう……軽くするものだと思うぞ? その、舌を使うもんじゃない」
「わざとです。仕返しです」
ニヤッと笑って窓が閉まり……タクシーが走り去ってからも、しばらく唖然と突っ立っていた。唇や口の中に、甘くて柔らかい感触がいつまでも残っているようで。あの後、轟少年は緑谷少年と話ができたのだろうか。そして「次」に相談に乗るときは、あの先に踏み込むのだろうか。そんな機会はないことを切に願うが。そういえば今朝の緑谷少年、顔に大きな絆創膏をしてたようだが、まさか昨日、轟少年とケンカしたんじゃないだろうな。それはマズい、非常にマズいぞ……などとグダグダ考え込んでいたオールマイトが、ふと我に返った。
正面では、ミッドナイトが頬杖をつきながら「ふーん? やっぱり何かあったんだ? なになに? おせーて?」とニヤけていた。SM嬢ふうのセクシーなコスチュームから溢れそうなバストが(多分、他意はなく)デスクの上にお餅のようにだらしなく乗っかっている。オールマイトは慌ててそのボリューミーな脂肪の塊から視線をそらした。
「なっ、なんでもない」
「なーによォ。じゃあ、そこんとこ追及しない代わりに、轟君におごったっていうホテルのレストラン、アタシも連れてってよ。あそこの特製カレーって絶品なんだって。一度食べてみたいなぁ」
「そうなのか? たくさんあったから、カレーまでは食べれなかったな」
「じゃあ、一緒に食べようよぉ。ブランド靴買えとまでは言わないから、いいでしょ? 昨日はあなたの代わりにさんざっぱら怒鳴り散らされて、酷いめにあったんだからさァ」
「う、うむ。さすがにちょっと散財してしまったから、次の給料が出てからで……はうっ!」
オールマイトがなにやら慌てて、机の下に隠れる。え? 何? 地震? とミッドナイトが動揺していると、職員室のドアが開いた。
そこに仁王立ちしているのは、エンデヴァーだった。
「失礼、父兄の者だがッ、昨日、ウチの息子を連れ出したという非常勤講師の方ァ、今日はおられますかねぇッ!?」
END
【後書き】本誌でデク・飯田・轟が三人仲良く入院したくだり、本誌41号(57話)時点での先読み妄想で書いたので、それ以降の本編とは若干食い違ってるけど、こまけぇこたぁ(AA略
実際んところ、エンデヴァーが無理やり……なんてネタもやりたかった気がするけど、轟君がデク好きすぎるから、なんとか踏みとどまったよママン! これでヒロアカ妄想は止められる……と思う。うん、多分(目そらし)
タイトルは、クローバーの花言葉より。
初出:2015年09月16日
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