COME BABY


悪夢から醒めると、なぜか緑谷出久が隣にいて、自分を見下ろしていた。

「轟君、うなされてたよ?」

「ああ、俺、お前んちに泊まってたのか」

体育祭が終わり、轟焦凍が母親の見舞いに行った帰り道、たまたまクラスメートを見かけて声をかけたら、あれよあれよという間に家に引きずり込まれたのだ。

「出久のお友達が遊びに来てくれるなんて、嬉しいわぁ」

ふくよかな緑谷母がにこにこしながら言うので、ついつい夕食までご馳走になった上に、夜まで居座ってしまった。
今までわだかまりのあった母と逢うのは、己の心を整理するために必要な儀式だったとはいえ、やはり多少緊張し、精神的に疲れたのだろう。ヒーロー育成に特化した自分の家とは全く違う、緑谷家のユルさが、今は妙に心地良かった。

「寝苦しかった? 僕、ギプスしてて場所取っちゃってるから、ごめんね」

「いや、そんなことはない」

悪い夢を見ただけだ……と言いかけて、どんな夢だったのか、記憶がボロボロと剥がれ落ちて思い出せない。ただ、寝汗が酷かった。汗の滴が頬から頬へと伝っているのを、寝間着代わりのTシャツの袖を引っ張って拭った。

「あの、お節介を承知でいうんだけど、轟君、お父さんに殴られたりとか、してたの?」

「え? ああ、寝言かなにか口走ってたのか。確かに、ウチはスパルタだったからな」

「そ、そうなんだ」

轟は寝直そうとして、自分の手指がこわばっているのに気づいた。何かを力一杯握り締めていたような。

「もしかして俺、お前の手か何か、掴んでたのか?」

「大丈夫、気にしなくていいから」

「お前、あちこち傷だらけだろうに。痛くなかったか?」

「夢の中の轟君の方が、ずっと痛そうだったから」

隣に横たわった緑谷が、ギプスをはめていない方の手で、轟の髪や火傷の痕を、愛しげに撫でる。普段なら決して許さぬ仕草であったが、なぜか自然に受け入れていた。多分、轟がうなされている間ずっと、緑谷はそうやって彼を撫で続けていたのだろう。

「見苦しいところを見せちまったな」

「朝までまだ時間があるから、今度はいい夢が見れるといいね」

それにどう答えていいのか分からず、轟は「おう」と空気が抜けるような返事をしたが、緑谷はそれをどう受け取ったのか、ニコッと笑いかけてから目を閉じた。





理想のヒーロー、理想の個性、我が最高傑作……執拗にそう繰り返しながら、全身を無遠慮になぞりあげ、舐め尽くし、強引に体を重ねていく。圧倒的な体格差の前に、抵抗は無意味だった。ただ、大きな体に押しつぶされて呼吸が止まりそうになったときだけは、本能的に喘いで空気を吸った。

嫌い、嫌い、嫌い、嫌い。

首を振って逃れようとした頭を押さえつけられ、顎を掴まれる。強引に開かせた唇を割るように、喉の奥まで巨大なものが突っ込まれた。胃の中のものが逆流してきたが、吐き出すこともできずに、ただひたすら嵐が通り過ぎるのを耐える。その苦痛は永遠には続かないと学習しているからだ。

「よく頑張ったな。我が仔よ。褒美をやろう」

口を解放され、体液と反吐を吐きながら咳き込んでいるのもお構いなしに、足首を掴まれて仰向けに引っくり返される。

「おお、おお。あの出来損ないの女よりも、格段に素晴らしい」

突き上げられ、体の中心が切り裂かれていく痛みに、それまで堪えていた悲鳴が漏れた。

「轟君、大丈夫? 起きて!」

揺さぶられても、まだ現実との区別が付かず、自分を抱え込む腕から逃れようと身をよじる。

「大丈夫だから、怖くないから」

上四方固めさながらに雁字搦めに抱きすくめられて、ようやく我に返った。





汗だくで、心臓が破けそうな勢いで早鐘を打っている。さっき見ていた夢も、同じものだったのだろう。

「緑谷、ゴメン、俺……どうかしてた」

「落ち着いた? 水でも飲む? 汲んでこようか?」

「いや、いい。少し、このまま、頼む」

自分より一回り小柄な緑谷の、貧相な胸板に額を押し付けてもたれると、背中を撫でられた。その優しい手の動きにすら、体がぴくんと反応してしまう。

「あ、ごめん。痛かった?」

「痛くは、ない。むしろ、お前の腕の傷に負担かけてねーか?」

「僕は平気だよ」

俺がこんなみっともない、らしくない姿を曝け出してしまうのは、緑谷が優しすぎるせいだ。

「さっきの話。少しだけ訂正する。殴られていただけじゃない」

「そ、うなんだ」

緑谷の表情が曇ったのは『だけ』じゃない要素が何か、察したからだろう。

「だから、余計にアイツが憎かった。腕力もついた今はもう、そんなことさせないけど」

「その、余計なお世話かもしれないけど、嫌な記憶だったら、上書きして消しちゃえばいいと思うんだ」

その言葉に轟が視線をあげると、お互いの顔の位置がやけに近かった。緑谷が乾いた唇を舐めたのが、妙に艶かしく視界を占めた。

「余計なお世話は、ヒーローの本質なんだろ? だったら、助けてくれよ」

そんなこと『デク』なんかにできるものならな、と付け加えるつもりであったが、その前に拙いキスがかぶさってきた。





ぽっかりと目を覚ますと、まるで泣いた後のように、気分がスッキリしていた。いや、実際に泣きじゃくったのかもしれない。カーテン越しの朝陽とシーツの白が、やけに目に痛い。

「とっ、とととと……とどろ……きく、ん、ごっ、ごごご、ごめっ、めっ」

「あん?」

隣で、緑谷が顔を引きつらせてガタガタ震えていた。どうやら昨夜のことを、今さら自覚したらしい。

「ぼっ、ぼくのっ、あの、とっ、とどっ、と……ごめんっ、そのっ……えっと、そのぼくのをっ……あの」

「何言ってるか、全然わかんねーぞ」

むしろ、いつもの『デク』の姿に、轟は安心した。
服は乱れていない。緑谷は怪我で腕の自由が利かないこともあって、ただ、抱き合って互いを愛撫するのが精一杯だったのだ。それでも、奥手の緑谷にしてみれば、まさに清水の舞台から飛び降りる思いだったに違いない。

「この俺を助けたつもりなら、もっと堂々としろ」

それでも緑谷が怯えているのにイラっとしたので、相手の癖っ毛を鷲掴みにした。強引に引き寄せて額に唇を押し付けてから、至近距離で顔をじっと覗き込む。

「助けられて、怒るわけねーだろ?」

「う、うん」

実際、助けられたのだと思う。今までずっと、どんな目に遭わされても、追い詰められていた母はもちろん、他の誰かに抱きしめられるもことなく生きてきたのだから。氷と炎の両極端しか知らなかった轟にとって、人肌の温度は快かった。
この温もりが残っている今なら、父・エンデヴァーとも屈託なく接することができるような気がする。
轟がふうっと息を吐くと、手を離した。緑谷は、まだ半信半疑という顔で、キスされた額に触れている。

「変なことに付き合わせちまって、かえって悪かったな。忘れてくれ」

「でも、あの、あんなことでも、少しでも轟君が楽になってくれたんだったら嬉しいし、また何か、僕にできることがあれば……だって、友達だろ?」

「友達、だっけか」

単なるクラスメートというだけで、体育祭以前は、あまり会話すらしていなかったような気がする。逆に言うと、そんな相手にあっさり肌身を許してしまった昨夜の精神状態が異常だったのかもしれない。

「そういえば、轟君とはメアド交換してなかったよね。教えてくれる? 僕が君に助けを求めることも、今後あると思うし」

そっちの方が現実的にあり得そうだなと妙に納得しながら、轟は携帯電話を取り出した。





「わったっしっがっ! 社会の窓をっ! 全ッ開で来たっ!」

「うわっ!」

相変わらず、オールマイトは神出鬼没だ。轟を見送るという名目で家を出て、まだ日が高いからと一緒にプラプラと繁華街をぶらつき、緑谷がゲームセンターでトイレに寄ったときであった。小便器の隣に立って豪快に放尿しながら「見たところ、轟少年とやけに親密になっているようだが?」と話しかけてくる。

「親密というか、ちょっとね。メアド交換したんだ」

「メアド交換。そうか。メールアドレスを交換したのか。 GOOD! 非常にGOODだぞ、緑谷少年!」

逞しい親指をグッと立てて、オールマイト(露出)が無駄にいい笑顔を浮かべる。

「そんで、お昼ご飯はお蕎麦屋さんに行く予定なんだ。カツ丼が好きだって話したら、確かメニューにあった筈だから、って」

「OH! まるでデートだね! イイネ! 実にイイ! 青春だね! エンデヴァーと私は、ライバル意識のあまりに友情を育むことがついぞできなかった。君たちが羨ましいぞ」

「デート、なのかな……実は昨夜、その、お泊まりしたんだよね。で、ちょっと色々あって」

「WAO! マジでか!」

驚愕したあまり、オールマイトはジッパーに大切なモノを挟んでしまったらしく、股間を抑えて「OUCH!」とシャウトしている。

「緑谷、おせーぞ。おいてくぞ」

そこにひょっこりと轟が顔を出し……脂汗を流しながら悶絶しているオールマイトを見つけて、目を丸くする。

「これは一体、どういうことだ?」

「えーと。自爆したみたい」

「そ、そうなのか? 大丈夫なのか?」

さすがの轟も動揺していると、オールマイトは内股になって震えながらも、親指を立てて「ノープロブレム! ノープロブレムなのだよ、轟少年!」と宣言した。もしかしたらトゥルーフォームへの「時間切れ」も近づいているのかもしれないと察した緑谷が「問題ないみたいだから、僕たちはおいとましよう」と、轟の胸を押してトイレから出た。





「休みの間に、轟君と何かあったの?」

ズバッと正面切って緑谷に尋ねたのは、カエルの能力を個性として持つ少女、蛙吹梅雨だった。
学校が再開してすぐの、授業の合間の休み時間だ。

「何かって、い、いやややや、なっ、ななっ、別にっ、なにもっ……!」

「言いたくないなら、別に無理に言わなくていいわよ。ちょっと気になっただけだし」

お互い改めて示し合わせた訳でもないが、あの夜のことを蒸し返すことはしなかったし、今までと態度を変えることも特になかったつもりだ。
もしかしたら、先日一緒に街を歩いていた姿を、誰かに見られたのだろうか。手を繋ぐような露骨な真似はしなかったつもりだが、オールマイトですら「まるでデートだね」と表現した程だから、どこか甘い雰囲気が漂っていたのかもしれない……と、緑谷は冷や汗をかいた。

「体育祭でお互いの本音をぶつけあったから、多少は気心が知れた……ってところかしら?」

「あ、そ、そうなんだよね。そうそう、あ、あはははは」

「苦しいわよ。でも、そういうことにしといてあげるわ。仲良きことは麗しきかな、ですもの」

蛙吹は大きな目玉をぐりぐり動かしながらそう言うと、ポケットから包みを取り出して、緑谷に差し出した。

「なにこれ、軟膏? 痔のクスリ?」

「お尻は大切にするのよ」

「は?」

おつむの回転はそこそこ早い緑谷であったが、蛙吹の発言の意図を察するには、たっぷり数十秒かかった。

「えええええっ! い、いやいやいやいや、違うし! 僕たち、そーいうんじゃないし!」

慌てて否定したときには、蛙吹はとっくに緑谷の前から姿を消していた。
第一、前回はそこまでしなかったんだし。というか、あの流れなら、受け入れる側は僕じゃない……とは、敢えて口には出さなかった。確かに、ふたりの体格差や気性からすると、蛙吹が邪推したような組み合わせの方が自然に見えるのかもしれない。

「参ったなぁ、これ、どうしよう」

だからといって、轟君に渡したらぶん殴られそうだな、と緑谷が頭を抱えていると、尻が思い切り蹴られた。体ごと吹き飛ばされて、頭から派手に机や椅子にぶつかる。

「いったぁ……かっちゃん、酷いよ! お尻が割れたらどーしてくれるんだよ」

「尻なんか、最初から割れてるだろ。良かったな、これで薬塗り放題じゃねーか、ホモナードが」

「塗り放題とか、そういう論点じゃないし!」

さすがに、緑谷と親しい飯田天哉や麗日お茶子が見るに見かねて「あんまりじゃないか」と割って入ろうとし、教室の隅で他人事のような顔をして本を読んでいた轟も、面倒くさそうに振り向いた。本に栞を挟んで閉じると、ゆっくりと立ち上がる。それを迎える爆豪は、猫背に両手をだらりと下げた姿勢で、唇の端を吊り上げて不敵に笑った。

「何が気に食わないのか知らないが、男のヒステリーは見苦しいぜ、爆豪」

「んだと、コラ」

一触即発かと思われたが、ちょうどその時、教室の引き戸が開き、のっそりと相澤先生とミッドナイトが入ってきた。

「あらやだ。何してんの? 授業始めるわよ?」



END

【後書き】毎週、少年ジャンプを買って読んでいるんですが……なんか轟君ってパパンに性的虐待されてそうとか、デクとは結構体格差あるのかーとか、いつの間にメアド交換する仲になったんだろうとか、そんなことをツラツラ考えていたら、ついカッとして書き下ろしてしまった。としのりの扱いは、正直すまんかった。
初出:2015年07月29日
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