約10年後を舞台にした捏造設定です。
プラスの完結編未読で書下しています。
予めご了承ください。
おにさんこちら
今日は、残業なしで帰れた。マンションに辿り着くと、ドアの向こうからカレーの匂いが溢れてきた。
「犬神君? 君も今日は早かったの?」
そう言いながら七星てんとが扉を開けると、鍋をおたまでかき回していたのは、ひょろっとしたモヒカンの男だった。しかも、フンドシ姿にレース付きエプロンという個性的なファッションだ。
「うわっ、猿飛君! また勝手に入ってきたの?」
通勤カバンを置き、よれたワイシャツのポケットから携帯電話を取り出すと、同居人の犬神暴狗から「今日は遅くなる」というメールが届いていた。彼は中学生の頃に司法試験予備試験に合格、すぐに司法試験を受けて弁護士として働くことを希望していたのだが、せめて大学は出てほしいという両親の意向もあり、現在は大学に通いながら弁護士事務所で事務のアルバイトをしている。
実は、裏で『厳しい現実を突きつけて、弁護士業を諦めさせてほしい』と依頼されているらしく(先輩諸氏のヤッカミもあって)日々コキ使われているので「今日は」ではなく「今日も」というのが、正確なところだ。
「アバクのやつ、そろそろ体壊すぞ。薬膳カレーだ。体力がつくように、ニンニクたっぷり入れてやったからな」
猿飛虎太郎は、証拠を集める己のスキルは弁護士よりも探偵業に向いていると判断。高校を卒業してからは、忍術の修行の傍ら興信所のスタッフとして働いているが、こちらは割と時間に余裕があるようだ。合鍵など渡していないのだが、自慢の技を駆使して刑法130条『住居侵入罪』を犯し、この部屋に入り浸っている。
「アイツが独立したら一緒に働くって約束をしてるのに、その前に倒れられたら困るからな。つーか、そんな意地悪ジジィのとこなんて、とっとと辞めちゃえばいいのに」
「僕も心配はしてるんだけど……独立するには法律だけじゃなく運営のノウハウも学ばなくちゃいけないから、いい機会なんだって言い張って、犬神君も意地になってるんだよね」
「何、負けず嫌いぶってるんだよ。昔は泣き虫だったくせに……よし、こんなもんか。アイツ帰ってきたら、温め直してやってくれな」
「えっ、それまで僕、これお預け?」
「当たり前だろ。そもそも、アバクのために作ったのに」
「でも、このカレー、ウチの食材も使ってるよね? ガス代だって僕も負担してるんだから、食べる権利はあるよね? もう、お腹ぺこぺこなんだけど」
「アバクだって、もっと腹すかせながら仕事してんだろーが」
「そりゃそうだけど」
耐えられないほどの飢餓状態ではないが、よりにもよってニンニクたっぷりのカレーだなんて、あんまりだ。腹の虫おさえに、お菓子の買い置きなかったかな……と、七星が戸棚を漁っていると、インターホンが鳴った。
「犬神君? 鍵なら開けてあるよ?」
「遅いぞ、アバク!」
猿飛が玄関に駆け寄って外開きの扉を開け……た途端に、ガンッと鈍い音がした。
「痛いわね、何すんのよ! 訴えるわよ! てゆーか、なんなのその格好! 刑法174条『公然わいせつ』じゃないの!」
額を押さえながらもギャーギャー喚いている黒髪の女は、綿貫(わたぬき)ゆい……旧姓・喜嶋であった。
「なんだ? 離婚相談か?」
「そんなクソつまんない法律相談なんか、アンタらに頼むまでもないわよ! アタシを誰だと思ってるのよ!」
「えーと。伝説の三舌の、拷問検事? ボディコン・厚化粧に縄跳びでノリッノリだった、ボンテージ小学生?」
「さ、猿飛君、さすがに、そこまで言っちゃダメじゃないのかなぁ」
おどおどと七星が諌めるが、綿貫は既に目を吊り上げ、ワナワナと震えている。
「ひっ、人が長年、封印してひた隠している黒歴史を、よくも軽々しく、ヘラヘラとぉおおお!」
「わわわわっ、綿貫さん、落ち着いて、落ち着いて。廊下で騒いだら近所迷惑になるから、とりあえず部屋に入っちゃって!」
逆上した綿貫が猿飛に掴み掛かり、七星は必死でその横をすり抜けて、扉を閉じた。
てっきり彼女は、元・子ども警察のエリート、東出秀一と結ばれると思われていたのだが、東出は現在、白鳥麗子と結婚前提で清いお付き合いをしているのだそうな。
「それを言ったら、アバクはてっきり、あの半熟検事とくっつくんだと思ってたわ。あのゴッツイお父様が、アバクか、そのレベルの男じゃないと交際を認めないって、大騒ぎしてるらしいし」
「なんだ、キジマ、結婚早まったって後悔してるのか」
「ハッ、冗談じゃないわ。誰があんな泣き虫となんか。あの娘と低レベル同士、お似合いじゃない。アタシの“ダァ”は、セレブなんだから」
「そんで、裁判沙汰はイメージダウンして迷惑がかかるからって、舌を封印したんだっけか」
「なによ、それがなにか問題ある!? てゆうか、さっさと服着てよ、見苦しい」
今にも第二ラウンドを始めそうな猿飛と綿貫の間に、七星がコーヒーカップを置く。綿貫がその意図を察したのか、気まずそうに軽く会釈をすると、素直にカップを手に取った。
そこからしばらくは穏やかに、クラスメートの消息やらニュースの話題やら、とりとめのない話をしていたのだが、ふと思い出したように綿貫が「それにしても、アバクがアンタと一緒に暮らしてるってのは、意外だったわ。あの子、本当にあの事件をふっきれたのね」と言い出した。
「えっ、ぼ、僕?」
お菓子をボリボリと貪っていたところで急に話をふられて、七星はうろたえた。
「俺もルームシェアに誘ったんだけどなァ。ま、俺の仕事の性質上、泊まり込みで張り込みとか、地方に出張とか、ちょこちょこあるから、お互い落ち着かないだろうって理由で断られたんだけどさ……でも『ずっと横にいろ』ってアバクに言われたのは、俺だったのに」
猿飛にも恨めしげな目を向けられる。七星は、肩を竦めながら消え入りそうな声で「そんなこと言われても、この部屋は事務所に通うのに都合がいいし、ぞうさん滑り台を思い出すからって、一方的に転がり込まれたんだし。犬神君が大家さんに交渉して同意を得たって言うんなら、反対する法的根拠もないし」などと、ごにょごにょ呟くしかなかった。
「そうだ、キジマ。用件ってのはなんだ? 俺だって元・三舌の子ども弁護士だぜ? どうしてもアバクが帰って来なくちゃ、ダメなのか」
「ええ。アンタの薄っぺらい頭脳じゃ、手に負えないと思うわ」
「なんだ、やっぱり離婚相談か」
「だから、違うって言ってるだろぉ、こンのサル頭ァ!」
綿貫が猿飛の襟首を掴んで金切り声をあげたところで、インターホンが鳴った。それも、一回ではなく、めちゃくちゃに連打している。
「あーあ。あんまり騒ぐから、苦情が来たのかなぁ」
七星が頭を抱えながら玄関に向かい……そっとドアを開けると、パリッとした麻のスーツ姿の青年が腕の中に転がり込んできた。ずり落ちそうになるのを抱きとめて、なんとか室内に引きずり込む。
「てんとォ、ただいま……なんか、きもちわるい」
「うわっ、犬神君? すっごくお酒臭いんだけど、どうしたの? 大丈夫?」
「吐きそう」
「えええええ、待って待ってっ……猿飛君、ちょっと手伝って!」
ユニットバスのトイレで、七星が犬神の背中をさすりながら吐かせている間に、猿飛が近所のコンビニまでひとっ走りしてインスタント味噌汁を買ってきた。呂律が怪しい酔っ払いの言葉を継ぎ合わせると、過去に取り扱った離婚案件の相手方が事務所に押し掛けてきて、未練たらしく『別れた女房に会わせろ』とゴネているのを、他の事務員から「テキトーにあしらっておけ」と押し付けられたのだという。これも修行、これも仕事の一環と己に言い聞かせながら居酒屋に連れていき、烏龍茶で付き合いながらハイハイと愚痴を聞いていたつもりが、いつのまにか烏龍茶割りにすり替わっていたらしい。
「やだ。これ、相談どころじゃないわね、出直すわ」
ソファに並んで座っている猿飛の胸にもたれて、ぐったりしながら味噌汁椀を啜っている犬神を見下ろして、綿貫が苦笑いを浮かべた。カバンをどこかに置き忘れたりせず、ちゃんと持ち帰ってきたのが、逆に不思議になるほどの見事な酔いっぷりだ。
「悪いな。そうしてくれると有り難い。土日の午前中は書類の整理で事務所に出てるけど、午後には帰れる。平日は、大学のランチタイムなら、時間がとれる……てんと、俺のデスクから名刺渡してやって。俺のケータイの番号とアドレス載ってるから」
「呆れた。アンタいつ休んでるのよ。労基法って知ってる?」
「鬼ヶ島小学校で法律を勉強した時に比べたら、自分で望んでやってる分、まだ、マシさ」
綿貫は何か言いたそうにしていたが、七星が差し出した犬神の名刺を、大きく開いたブラウスの衿からブラジャーの谷間にねじ込み「後でメールするわ」と言い残して部屋を出ていく。
猿飛は、いかにも心配そうに犬神の上体を抱きしめて「キジマの言う通りだぜ。オマエ、本当に無理すんなよ。なんなら、ウチつながりの弁護士事務所に移れよ。オマエんとこの陰険ジジィと違って、気さくで優しくてよく気のきく、いいセンセなんだぜ」などとかき口説き、さすがに照れくさいのか犬神が「うるせぇなぁ。お前は俺のお母さんか!」と、憎まれ口を叩いた。
「顔色悪いけど、カレー食えそうか? さすがに無理か。ダメなら冷蔵庫に鍋ごと入れておくから、腹すいたら食えよ? 鍋から温めるのが面倒なら、チンでもいいから。チンするなら、鍋ごとじゃなくて、金箔とかしてない耐熱容器に入れて、ラップはフワッとかけるんだぞ? それとも俺、泊まろうか? なんか欲しいものあるか? プリン、買ってこようか?」
「だから、大丈夫だっつーの。それに、その……てんともいるんだし」
「でも、よぉ」
猿飛がチラリと七星に視線をやった。その意図を察した七星が「お邪魔なら、僕、ネカフェにでも泊まろうか?」と尋ねる。
「お、気が利くな、七星」
「いや、この部屋の賃借人名義はてんとなんだから、てんとが出て行くのはおかしい」
「確かにそうなんだけどね、僕の部屋なんだけどね。でも、こう、ここにいるのは気まずいというか、なんというか」
血の学級会以前には、犬神の方が猿飛を「コタローちゃん、コタローちゃん」と慕って、ついて回っていたらしいが、天秤小で再会してからは良きライバル、良き相棒となり……やがて猿飛側は道ならぬ思慕へと深まったらしいが、犬神本人がそれに気付いているのか、いないのか。過去にいわゆる『行為』があったのか定かではないが、少なくとも七星と同居し始めてからの犬神は、学業とバイトの双方に追われて、そんなことをしている余裕はなかった筈だ。
「犬神君、疲れてるみたいだから、たまには猿飛君に甘えてもいいんじゃない? 大丈夫、いつも通りの5時半には、電話かけて起こすから」
「5時半って、そんな時間に起きてるのかよ。ホント冗談じゃねぇぞ、アバク。弁当作ったりしてるんだったら、俺が作ってやっから、ギリギリまで寝てろよ」
「ばぁか、そんな時間にこのサルが起きれるわけねぇだろ……いいからてんと、行くな」
虚ろな瞳で華奢な手を差し伸べられて、それを振り払うほどには七星も非情にはなれなかった。猿飛の恨めしげな視線がチクチク刺さるのを感じながらも、その手を握り返して「分かったよ。僕、どこにも行かないから」と答えてやるしかない。
「うん。てんと、ちょっとだけ休ませてく……」
最後まで言い切る前に、犬神はすぅすぅと寝息を立て始めた。猿飛は七星と顔を見合わせて気まずそうにしていたが、ハァと溜め息を吐いて犬神を抱き上げた。元々そんなに体格がいい方ではなかったが、ここ最近のハードワークでさらに痩せたようだ。
「えっと、犬神君の寝室は、こっち……」
「知ってる」
「……だよね」
ベッドに犬神を横たえてやってから、猿飛はネクタイを緩めてやるべきか、スラックスを脱がせるべきかと、迷う。
「えっと、その、下心なんてないんだからな。うん、フツーの介抱、フツーの介抱。ここには、七星もいるんだし」
「あ、いいよ。僕やっとくよ。慣れてるから」
「ちょ、慣れてるのかよ、七星!」
「だって犬神君、いつもバタンキューだし。麻はシワになりやすいから、遠慮せずにひっぺがしてくれって言われてて、ね」
「そ、そうなんだ」
さっそく(?)七星が犬神のメガネを外すや、躊躇なくスーツを脱がし始めた。猿飛は、頬を赤らめながら目を逸らし「その、俺、今度また来るわ」と呟いた。
「猿飛君、今日はカレー作ってくれて、ありがとうね」
さて、スーツをハンガーにかけておこうかと、七星が振り向いた時は、既に猿飛の姿は室内に無かった。確かに彼、忍者だけどさぁ、もっと、こう、常識的に、さぁ。侵入するのは鍵が無いから仕方ないとしても、帰りぐらいは……まぁ、いいや。
壁に据え付けられているハンガーフックに犬神のスーツをつり下げ、手で軽くパシパシと引っ張ってシワを伸ばしていると「てんと」と呼びかけられた。
「大丈夫、寝てていいよ。シャワーはいつも通り、朝に浴びるんでしょ? それともお腹すいた? 猿飛君の作ってくれたカレー食べる?」
「てんと、俺さっき、ちょっとだけ、嘘ついた。間違って飲んだのは、最初だけなんだ。旦那さんが帰ってからも、少しだけ、飲んでた」
「ハァ? 犬神君、自分の体をもっと大切にしないと……!」
さすがに叱ろうと顔を覗き込んだが、犬神の両腕がするりと柔らかく首に巻き付いてきたのに驚き、言葉が続かなかった。
「最初は、自分の無実を晴らすためだった。自由になってからは、自分と同じ、無実の人を救い出すために、子ども弁護士になろうと思ったんだ」
「う、うん。知ってるよ。何回も聞いてる」
「今でも、そう思ってる。今の仕事は、借金の整理とか不動産のトラブルばかりだけど……でも、今日の人、ウソの証拠をでっち上げられたんだって」
「え、でも、犬神君が勤めてる事務所で取り扱った案件なんだよね?」
「俺が入社する前だけどね。だから、助けてやりたくても、助けられる立場じゃないんだ。ああいう人を救ってあげたかったのに、何やってんだろう、俺って」
ここで『そこを割り切るのがオトナの社会ってもんだよ。犬神君は今、疲れているだけだよ』と片付けてしまうのは、容易い。七星も一応は社会人として働いているのだから、そうして思考停止するのが一番精神的に楽であることは、知っている。
さらに言えば、いつもの犬神なら、七星よりもドライに割り切ることができた筈だ。ただ、学業とバイトの板挟みで追いまくられ、心身ともに疲れ果てたタイミングでは、うまく感情を処理できなかったのだろう。だからといって今、その事件に首を突っ込むだけの余裕が残っていないのは、犬神自身も分かっていることだろう。そのうえさらに、綿貫が何かを依頼するつもりらしい……七星はただ黙って、犬神の背中を撫でてやるしかなかった。
「僕、誰にも言わないから、犬神君、強がらずに泣いていいよ。たくさん泣いて、ぐっすり寝たら、スッキリして忘れられるから」
犬神が顔を上げた。既に、その目いっぱいに涙が溜まっている。その表情があまりにあどけなくて、すっかり失っていた記憶の底にある、幼い頃の「アバクちゃん」の姿が蘇ってくるような気がした。七星はつい、つり込まれるようにその水滴に唇を寄せて、吸っていた。
「……てんと?」
「ごめんね。猿飛君の方が良かった?」
「いや、アレとはそーいうんじゃないし」
えっ、違うの? 猿飛君カワイソーと内心でツッコみながらも、七星は自分が止められなくなっていた。いつの間にか逆転した体格差に任せて、覆い被さって押さえ込む。
状況が理解できないまま、感情だけがオーバーフローして、ただただ、泣くしかできなかった。腰の奥に繰り返し押し寄せる波が、鉄格子越しに見ていた荒れ狂う潮を惹起させる。腹から胸へゾワゾワと這い上がる感触は、独房の石畳を這うムカデを見た恐怖に似ていた。時折口が塞がれて息苦しくなるのは、尋問を受けている最中に襲われた過呼吸の発作のようだった。うつ伏せに押しつぶされ、杭を打ち込まれるような痛みが体の中心へとねじ込まれていく。
こわい、ママ助けて。コタローちゃん助けて、ゆいちゃん助けて……てんと……助けて。
「なんて言ったっけな、こういうの。なんとかセラピー?」
珍しく揺り起こされる前に目が覚めた犬神は、ポツリとそう呟いていた。窓のブラインド越しに差し込む朝陽が、目にしみる。酔い潰れていたせいで寝入る前の記憶が曖昧なのだが、ひどく混乱して、泣き喚いていたような気がする。
「えっ?」
「ほら、泣くとストレス解消になるっていうだろ? 涙にそういうホルモンがあるとか、なんとか……法律以外のことは俺、あんま詳しくないんだけど
さ」
「ああ、そっちね。テレビか何かでやってたよね。クライングセラピー、だったっけか。それよか犬神君、ちょっと頭どいてもらって、いい?」
何のことか一瞬理解できなかったが、自分が七星の腕を枕にしていたことに気付いて、犬神は慌てて起き上がった。二人ともパジャマに着替えるのが面倒だからと、肌着にトランクス姿なのはいつものことだが、本来の寝室は別々だ。
「えっと、この状況って?」
「もう少し寝かせてあげたかったんだけど、腕が痺れてきちゃったし、そろそろ起きる時間だし」
「その、今なら弁護士さん怒らないから、正直に答えて欲しいんだけど、昨日の晩おまえ……いや、俺たち、何やらかした?」
「あれ、覚えてない?」
「全然、話がよめねーよ。ぶっちゃけ、昔の事件の後遺症なのか、今でも時折なんかの拍子に、記憶がスッポ抜けることがあるみたいでさ」
だからこそ、そんなトラウマを抱えているからこそ、彼の両親は弁護士への道を諦めてほしいと考えているんだろうに。ましてや、そのトラウマの源である七星と同居していると知ったら、どう思うだろう。
「じゃあ、昨夜、猿飛君と綿貫さんが来てたの、覚えてる?」
「……タヌキ?」
「ほら、喜嶋さんだよ。三舌の。名字が変わったでしょ」
「ああ、そういえば、名刺を渡したような……なんか俺に依頼するつもりだったみたいだな」
うまく話題を逸らされた気がするが、今日も休みはとれないので、あまりベッドでのんびりしていられない。
「依頼を受けること自体にはあえて反対しないけど、無理しないでね、犬神君。猿飛君に頼れるところは、頼った方がいいよ。僕も、昔は君の助手だったんだから、なるべく、手伝えることは手伝うし……昨日、猿飛君が作ってくれた薬膳カレー食べる?」
「朝から?」
「確かに、ニンニクたっぷりって言ってたっけな。じゃあ、今晩にしよっか……あ、忘れてた。犬神君、おはよう」
「あ、うん。おはよう」
朝食のトーストをかじりながら、判例ジャーナルと朝刊に目を通し……ふと、スマートフォンのメール着信履歴に気付く。電話帳登録はしていないが、アドレスに使われている単語から、すぐに相手の見当がついた。
「ソッコーかよ、あの鬼オンナ。俺を過労で殺す気か」
ぶつくさ言いながらも開封するあたり、犬神も律儀だ。
「別れさせ屋? ドラマかよ」
だが『事実は小説よりも奇なり』ということは、小学生の頃から痛いほど身に沁みている。
そのメールによると、彼女が友人から『浮気をでっちあげられている』と相談を受けたことが、ことの発端だという。その証拠はあまりに精巧で、とても素人の手で成るものとは思えない。しかし、今の彼女は平凡な主婦を装っているため、下手に動けない、と。
「おいおい。ずいぶん大掛かりな案件じゃないか。着手金ぐらい払ってくれるんだろうな」
苦笑いしてメールアプリを閉じてから、ハタと気付く。
昨日、飲んだくれていた旦那も、彼女と同じ連中にハメられたのかもしれない。この仮称『別れさせ屋』が私怨ではなくビジネスで動いているのだとすれば、同じ市内に複数の被害者がいても、なんらおかしくはない。昨日のオッサンの連絡先、どこにやったかな……そうだ、財布の中のレシートにメモしたんだっけ。
「てんと。さっそくお願いしなきゃいけないことが、いくつかできそうだぜ。あと、猿飛にもな」
「くれぐれも体調管理はしっかりしてね」
「てんとが昨夜、何してくれたのか知らねぇけど、今日は妙に調子がいいんだ。また倒れそうになったら、頼むわ」
「頼むわって、あのねぇ」
七星はしばらく頭を抱えて考え込んでいたが、やがて椅子から立ち上がって犬神の前へと歩み寄り、きょとんと見上げている顔を両手で挟んで、唇を重ねた。
「えっ、ええええっ!?」
「昨日のって、つまり、こういうことなんだけど、それでもいいの?」
「まっ、マジかよっ!? 覚えてない、覚えてない。全然、微塵も覚えてない。お前、そんな趣味が?」
「ないよ。全然。どっかの誰かと違って、昨日までは考えたこともなかったんだから」
七星は、耳まで赤く染めて悶えている犬神を、困ったような顔で見下ろす。
「ただ、犬神君の友達として、力になってあげたいと思ってるのは、小学生の頃から、ずっとだよ。その気持ちを『好き』と表現していいのなら、そうなのかもしれない……アイリンや白鳥さんに対する気持ちとは、ちょっと違うような気もするけど」
「なんだそれ、告白?」
「告白、なのかな。分からないや……あっ、犬神君、シャワー浴びてこないと大学に遅れるよ! その間にお弁当、詰めておいてあげるから!」
その後、過労死寸前になりながらも『別れさせ屋』の調査に奔走したり、その過程で猿飛が七星に嫉妬して、敵に情報を売り渡そうとしたり、そのグダグダっぷりを見かねた綿貫がつい昔の本領を発揮して離婚の危機に陥り、犬神に責任をとって入籍しろと迫ったりしたのは、それから間もなくのお話。
END
【後書き】ジャンプの連載終っちゃったのかぁ……と、スクラップを読み返していたら、なんとなく猿飛のアバクへの懐きっぷりに萌えたので、勢いに任せて書き下ろし。さすがに小学生はどーかと思ったので、成長させてみました……とかゆーて、カップリングちがうじゃん。こまけぇこたぁ(AA略
完結編を読んで、それに設定をすりあわせてからサイト収録しようかなぁと思いつつも、面倒なのでエイヤッと載せちゃいました。 |