もしもこのまま焦がれて死ねば/4


ふと、誰かに呼ばれた気がして、銀時は視線を宙にやったが、そこには雪に耐える裸の木々が並んでいるばかりで、野鳥の気配すら無かった。

「おきゃくさま、ちがう。こっち」

チビスケという名前を与えられた幼いレイが促す。もうかなり長い時間、この山道を彷徨っている気がするが、チビスケに何度尋ねても「まいごになってない」と言い張るのだから、仕方ない。同じところをぐるぐる回っている訳ではないことは、道の上にうっすら積もる新雪に足跡がまったくついていないところから理解できるが、だからといって、不安が払拭するというものではない。

「おーい、宿まで、あとどれぐらいかかるんだ?」

「もうすこし」

この会話も何回繰り返したことか。
もしかして俺、永遠にここから出られないんじゃね? ずっとこの世界でこうやって彷徨ってるんじゃね? この雪山でチビスケに連れ回されて、朽ちてミイラになっても歩き続けて、スタンドだけの存在になって……冗談じゃねぇ! かぶき町に帰りてぇよ。万事屋の新八だの神楽だの定春だの、あと、大家の糞ババァだのたまだの……キャサリンは、要らないな。忍耐もかなり限界に近付いて、喚き散らしたくなった頃、ようやく見覚えのある宿に辿り着いた。
土壁や屋根が朽ちて所々が剥がれ落ちており、人の気配もまるで感じられず、まるで廃墟のようだ。例え逗留客が他にいなかったとしても、田吾作、お岩夫妻まで不在なのはおかしい。だが、チビスケはケロリとした様子でガタつく引き戸を開けると、玄関に上がりこんだ。廊下にはうっすらと初雪のような埃が積もっており、ぺたぺたとチビスケが歩くと小さな素足の跡がつく。

「おいおい、ホントにここなのか? もう何カ月も空き家だったみてぇなんだが」

「だって、久しぶりのお客様だもの」

そういう論点じゃねぇと思うぞ……と、全力でツッコミたいところであったが、ここがレイの心の中の世界だとすれば、まったくあり得ないとも言い切れない。

「お部屋はこちらで」

チビスケが指し示した和室は、畳のい草が黄色く褪せて綻び、天井の隅には蜘蛛の巣すら張っていた。障子は穴だらけで、寒風が遠慮会釈なく吹き込んでいる。玄関の荒れ具合から大体の予想がついていたので、銀時は(スタンドが首吊りしてねぇだけマシか)と己に言い聞かせてドッカリと腰を下ろした。血糊のようなどす黒いシミが浮いた座布団なんざ、何の虫が巣食っているか想像すらしたくない。代わりに、新聞紙か段ボールがあれば、それなりに暖かいだろう。
小腹が空いて、なにげなくテーブルの上の菓子鉢をのぞき込んでみたが、中身は空であった。これだけ宿が荒れてるんだから当然だわな、と笑う。むしろ、中身が腐っていたり蛆が湧いたりしていなかった分、ラッキーだったのかもしれない。
そこにチビスケが「お客様、おやつどうぞ」と盆を捧げて入ってきた。見れば、ガラス製の高台小鉢いっぱいにアイスクリームが盛られている。

「ちょ、なんでアイス? このクソ寒い中、凍えてる人間にアイス食えってゆーの?」

「他に何も無いの。でも、お客様を、おもてなししなきゃいけないから」

しゃあねぇな、どれどれ厨房の冷蔵庫の中身見せてみろ、銀さんが残り物であったかくて美味しいモン作ってやっから……と言いたいところだが、立ち上がろうとするとチビスケが「お客様は座っていて」と頑なに制する。

「わーったよ。食べる、食べるよ。おめぇもここに座れ」

「ここってどこ? お膝?」

「そそそ。接待には無くてはならない、ピンクコンパニオンってやつだ。胴体が平たいうちは覚えなくていいぞ」

チビスケを抱き寄せて、太股に小さな尻を乗せてやる。身体が芯まで冷え切っていたが、そのまま腕の中にすっぽり収めていると、じわじわと接触面に熱が通い始めるのが感じられた。

「そーいや、バニラアイスに『味な素』をかけると美味いんだってさ。こないだの大江戸お目覚めテレビで、結野アナが言ってた」

「アイスに?」

「スイカに塩かけるノリなんだろ。甘さが引き立つんだろうな。試してみるか?」

「田吾作の旦那は、味噌汁とかラーメンとか、ご飯のおかずになら『味な素』かけまくってたけど」

チビスケが、まだ納得いかない様子で首を傾げている。
田吾作ぐらいのオッサン世代は確かに『味な素』好きが多いが、かけまくっていたという表現から察するに、お岩は料理がヘタクソだったんだろうか。確か俺持ってたよな、『味な素』……と、銀時が袂を探る。赤いキャップのガラスの小瓶を引っ張り出す。

「それにほら、ちょっと昔に塩アイスとか塩系のデザートが流行しただろ。それと似たようなもんだ」

「ウソ。信じない。まずいって、絶対」

なぜかイヤイヤと身体をくねらせる幼女を片腕で抱えたまま、キャップを口にくわえ、もう片手で瓶をひねって開封した。透明の結晶をパラパラとアイスにふりかけ、小瓶をスプーンに持ち替える。

「俺の結野アナがウソなんてつくわけないんだから、美味いに決まってるだろ。俺の天使だぜ」

一口分すくって、チビスケの唇にスプーンを押し込んだ途端、火がついたように激しく泣き叫びだした。まさか激辛アイスの類いだったのか、先に自分が味見をしてやるべきだったかと、銀時は慌ててそのスプーンを舐めてみた。

「おい、ちゃんと甘いぞ。泣くほど不味くなんかねぇって。もう一口食ってみろよ。それとも、冷たくて虫歯にしみたのか?」

誰かに聞かれたら、俺が幼女にイタズラしてると誤解されるじゃねぇか、俺はロリコンじゃねーぞ。お巡りさん、違います……と、銀時は激しく動揺し、なんとかチビスケを宥めようとさらにスプーンを差し出す。

「ほら、甘ぁい甘ぁいアイスクリームだってば」

「いやぁあああああ!」

胸を突き飛ばされて、銀時の身体が後ろに吹っ飛んだ。膝から転げ落ちたチビスケは、なぜか手足が細く伸びて見え、そのシルエットは蜘蛛を思わせた。

「あの腐れ巫女めぇ」

反吐を吐くような姿勢で喘ぎながら、蜘蛛女が掠れた声で呻く。いや、実際に蜘蛛女は口から血の混じった泡を吐いていた。喉笛からヒューヒューと空気が漏れるような音がしている。その姿には、全身がぷくぷくと膨らんでいる愛らしい幼女の面影はまったく無かった。

「チビスケ? いや、レイ……じゃないのか? 誰だ、お前は」

「アタシ? アタシは……」

答えようとした女の唇が、凍り付いた。アタシは……誰だったのだろう?




ここはね、迷っている霊を癒して差し上げて、気持ちよく成仏してもらうための宿屋なんだよ。お岩は何度も繰り返し、拾ってきた子供にそう言い聞かせていた。

「だから、いつかお前も出て行ってしまうんだろうね」

その言葉の意味は、幼いレイには分からなかった。ただ、田吾作やお岩の手伝いをするようになってからは、故郷のことをよく思い出せなかった。いや、自分に故郷があったのかどうかすらも。その代わりに、何度も雪道を彷徨い歩く夢を見た。手足が凍えてうまく動かない。しまいには立っていることすら難しく、這うような姿勢になり、喉がヒューヒューとおかしな音を立てて……それでも前進をやめようとしない。いや、違う。何かから逃げているのだ。何から? 思い出せない。そして、目の前に誰かが立って自分を見下ろしているのに気付いて……目が覚める。

だが、なぜか今日の夢は覚めなかった。
銀色の髪をした大男と、小柄な少女が、そこに居た。





気付くと、宿は消えており、再び雪深い森の中だった。寒さのあまりに幻覚を見ていたのだろうか?
チビスケは雪に半ば埋もれるようにして倒れている黒い影に近づいていった。

「アナタ、どうしてここで寝てるの? おきゃくさま? アタシ、宿のおきゃくさま、あんない、してるの」

黒い影が頭をもたげる。爛々と光る目と痩けた頬、そして喉にぱっくりと開いた傷口を見て、銀時はあの蜘蛛女だと気付いた。
そして、その正体がチビスケの胸元に生えている人面疽だということも。

「チビスケ、そいつぁ放っておけ。そんだけ喉を切られてちゃ、もう長いこたぁねぇ。いっそ助けない方が優しいって選択肢もあるんだ、多分」

「ギンもそうするの?」

「俺は……厄介事はゴメンだぜ」

「ほんとに?」

チビスケに念を押されて、銀時はたじろぐ。むしろ銀時こそ、好き好んで厄介事に首を突っ込んで、振り回されて、その重荷を背負わされて、貧乏くじを引いたと天を呪いながらでも、そうせずにはいられない性格なのではないか。

「俺は、その、いいんだ。オマエじゃ無理だよ」

この霊を憑依させれば、いつか、再び憑り殺されてしまうだろう。一度は成されてしまった現実を、ここで覆すことができるのかどうかは疑わしい。だが、平行世界とも夢の中の世界ともいえる『ここ』で、やり直しが許されるのなら。

「宿屋はもういい。お前はこのまま村に帰れ」

そうすれば、呪われた子と恐れられることもなく、両親に捨てられることもなく、友達に囲まれて、やがて大人になって恋のひとつでもして、嫁に行って。そんな平凡だが幸せな人生を歩むこともできるだろう。
一方で、この少女が仙望郷の女将に拾われることも、若くしてスタンド化することもなく、従って銀時と出会うこともなかったとしたら「今の、この状況」は生じないという、パラドックスが生じるかもしれない。銀時はこの平行世界のような空間に閉じ込められて、現実世界に戻れなくなるかもしれない。だが、それでも、銀時は少女の背中を押して「村に帰れよ」と繰り返した。

「このひとは?」

「コイツは……おめぇにゃ関係ねぇよ。気にしなくていい」

「すてちゃうの?」

「捨てるも何も、おめぇ」

チビスケはくるりと振り向くと、まだ地面に這いつくばって、もがいている女に近寄った。

「くるしいの?」

「苦しい苦しい苦しい……なんでアタシが……アタシだけが、苦しい」

「よせ、チビスケ、触るな。どうせ、痛いの苦しいの、そういうもんは、テメェで背負っていくもんで、いくら同情したからって、誰かが代わってやることなんてできないんだ」

銀時が、その小さな肩を掴んで引き戻そうとする。

「代わってあげられなくても、助けてあげられなくても、いっしょにいてあげることは、できるよ」

ね、とチビスケが笑いかける。その途端に、女の形が崩れた。骨が溶けて皮だけになってしまったように、ぺたりと干物のような姿で地面に張り付いたかと思うと、不自然に鎌首をもたげる。千切れかけた首が、ぷらぷらと揺れた。

「どうして? どうしてあなたはそうやって、笑っていられるの?」

ひどいことをしたのに。
あなたに取り憑いて、取り殺して……体を乗っ取ったのに。憂いのない無邪気さが妬ましかった。健やかで染み一つない体が羨ましかった。私はこんなに苦しんでいるのに。だから、同じように呪われて疎まれて、いつか同じように村人に殺されればいいと思っていた。結局は殺されずに、ただ飢えて凍えて力尽きたのだけれども。
なのに、どうしてそんなに優しくしてくれるの?

「あたしたち、ずっと、おともだちだったよ」

チビスケはそういうと、その鎌首に手を触れて、撫でてやった。
十数年前、奥深い山道で、この光景と同じことが起こったに違いなかった。




ふっと目を覚ました。何の音が意識を呼び戻したのか、一瞬、理解できなかった。甲高い子供のような、しかし本物の子供のものではない、鼻にかかった耳障りな歌声。
それが『美少女侍トモエちゃん』のテーマソングだと気付いて、土方は慌てて跳ね起きた。業務用とは別に持ち歩いているプライベート用携帯の着信メロディだ。誰の嫌がらせか、持ち主が知らない間にこんな設定を施されてしまったのだが、機械にはあまり詳しくない土方は自力で設定変更やマナーモードにすることができず、そのままになっているのだ。

「もしもし?」

通話ボタンを押し、口元を手で多いながら小声で応対すると『副長、今どこに居ます? 今日は非番なんでしょ?』という、山崎の声が(うっすらと恨みがましさを含みながら)返ってきた。

「非番なんだから、俺がどこに居ようが俺の勝手だろうが」

『アンタ、まさか浮気してませんよね?』

「は? 浮気?」

『俺というものがありながら』

「ちょっと待て。微妙に日本語おかしいぞ。俺がいつテメーなんぞと」

『ええっ、違うんですか』

「何言ってやがる、山崎の分際で。つけあがるな、ボケ」

電話を叩き切って、ついでに電源もオフにする。何を勘違いしてるんだ、あのバカ犬が……と、罵りながら、ベッドに戻ろうとしたところで、今度は無機質な電子音が鳴った。今度は、業務用の携帯だ。

「はい、土方……」

『ひどいですよぉ、電話切っちゃうなんて』

「こっちの電話に私用電話をかけてくんな、タコがっ!」

『だって、あっちの携帯、繋がらなくなっちゃったんだもん』

「ともかく! 俺は非番なんだから、好きにさせろ。非常事態じゃない限り、俺に連絡してくるな」

『立派な非常事態ですよ』

「なんだっていうんだ。テロでも起きたのか?」

『副長のお声が聞けないのは、俺にとって十分に非常事態です』

「うっせぇ、ボケ、死ね!」

全力で喚いて通話を切った。
副長たるもの、何時いかなる事態にも対応すべく、業務用は繋がるようにしておきたかったのだが、背に腹はかえられない。こちらも電源をオフにする。

「さっきの、トモエちゃんのテーマソングだっけ?」

背後から声をかけられて、土方はギョッとして振り向いた。そのベッドに横たわっているのは、若い女ではなく、むさ苦しい大男であった。

「うっせぇ、俺の趣味じゃねぇよ。それよか元に戻ったのか、テメェ。女はどうした?」

「お岩が拾ったときにゃ、もうチビスケは死んでたんだろうな。既にあの蜘蛛女にカラダを乗っ取られていて。あのまま素直に成仏してりゃ、てめぇの正体を思い出して再び苦しむこたぁなかったろうに。この世に引き止めて辛い思いをさせた分、俺にも多少は責任があったんだろうな」

「はぁ?」

「いや、こっちのハナシ」

銀時がのっそりと裸の上半身を起こすと、パラパラと細かい結晶が落ちる。例の顔状のイボは消えていた。だが、成仏するほど満足したとは思えない。

「あの女のスタンドは居なくなったのか? じゃあ、万々歳じゃねーか」

「まぁ、そうなんだがサ」

とりあえずひとっ風呂浴びようか。体が冷えきっている気がするから、湯を溜めた方がいいかな、と浴室に入る。バスタブに栓をして、給湯器のお湯張り設定をしていると「お客さま、お背中、流しましょうか?」と声をかけられた。振り向くと、見覚えのある女が笑顔で立っていた。

「レイ……いや、チビスケか」

「チビスケ? それ、アタシの新しい名前?」

「チビスケは、男みたいで嫌か?」

「ううん。新しい名前、嬉しい。お背中、流しましょうか?」

頼む、とスポンジを預けようとして、気が変わった。

「いや、こんなところじゃなくて、おめぇの宿で流して貰いてぇよ。宿屋にお客を呼んでもてなすのが、おめぇの仕事だろ? だから、宿で待ってろ。今度、行くから」

チビスケの胸元から『憎いひと』と、艶かしい声が聞こえたような気がしたが、チビスケのポッテリとしたあどけない唇からは「あい」という素直な返事がこぼれ……陽炎のようにその姿が揺らいで、やがて消えた。




数日後。芙蓉が首を傾げながら部屋に入ってきて「銀時様、葉書が届いています。処分しますね」と、告げた。DMの類いかと思ってスルーしかけた銀時であったが、なぜか虫が知らせて「ちょっと待て」と言うと、その紙束を引ったくった。
宅配ピザや不動産のビラに挟まれるようにして、絵葉書が一通。

「幽霊温泉からじゃねぇか。そういや、行ってやるって、約束してたっけな。こないだはレイが世話になったんだし、フクチョーさんも誘ってやろうかな……いや、ババァを同行させた方が、旅費とか全部出してくれるかもしれねぇな。どう思う?」

「存じ上げません」

芙蓉は不満そうであったが、銀時はその絵葉書を大切そうに懐にしまい込んだ。



【後書き】長らく未完のまま放置していましたが(なにしろ「1」の初出が、09年12月05日!)なんとか完成まで漕ぎ着けました。当初は逆に『チビスケ』を黒幕にしようかとも思ったのですが、書きかけの草稿をなるべく生かす形でまとめたら、割と素直な構図に落ち着きました。

タイトルは都々逸より「もしもこのまま焦がれて死ねば、こわくないよに化けて出る」。
初出:13年02年17日
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