野菜の日☆眼鏡の日
「そういえば今日って、I LOVE YOUの日なんですってね」
万事屋に出勤してきた新八が、唐突にそんなことを口走った。
寝巻き姿で寝癖のついた頭のまま、扇風機の前に仲良く陣取っていた銀時と神楽が、キョトンと顔を見合わせる。
「銀ちゅあん……新八、壊れちゃったアルか?」
「まぁな。残暑きっついもんな。アタマおかしくなっても仕方ねぇな」
「そか。仕方ないアルか。眼鏡だもんな、新八壊れても仕方ないアルな」
「そそそ……ま、眼鏡もこっち来て涼めや」
そういうと、銀時が片手をひらひらと振って招いた。こっちに来いという意味なのかと新八がノコノコ近づくと、神楽がヒョイと眼鏡を取り上げ、扇風機の前にかざした。
「新八、良かったネ。涼しいカ?」
「おいコラ、涼むの、眼鏡だけかぁああああああ! つか、さっさと着替えろ、この社会不適合児どもが!」
「んだよ、せっかく涼ませてやってんのに。なぁ、神楽」
「うん、銀ちゃん」
「そんなん要らんわ。返せ」
ちぇー…などとブータレながら、銀時と神楽が重い腰を上げた。
「眼鏡、乙女の着替え見たら殺すアル」
「ハイハイ」
仕方なく新八は神楽に背を向け、窓から空を見上げる。
まだ夏を謳歌したい蝉が力強く鳴いているが、秋の虫もそれに混ざって遠慮がちにさえずっているのが聞こえてきた。日差しは相変わらず凶悪だが、風が吹けば多少は爽やかさを感じる。
こういう日は色々捗るだろうに……どうせ今日も仕事は無いんだろうな。暑いからって今月もサボりまくってたけど……家賃の支払い、どうやって逃げるつもりなんだろ。
「んで? なんで唐突に愛羅武勇? 8月31日っていえば、ヤサイの日だろ、野菜の日」
先に着替えて寝室から戻ってきた銀時が、背後から新八の頭を鷲掴みにしながら尋ねた。
「えーとですね。そういうと思って、ちゃんと調べてきました。I LOVE YOUっていうのが、8文字で3つの単語、1つの意味から成るっていうんで、831、ってのがI LOVE YOUを意味する暗号みたいに扱われているんだそうですよ」
「8文字で3つの単語なんて、他にもいくらでもあるじゃねぇか。I HATE YOUでも、I KILL YOUでも」
「そんなん、僕に絡まれても困るんですけど。つーか、なんで寄りに寄って、そんな物騒な単語をチョイスしてんですか」
「『愛してる』なんて、一生言うか言わねぇかだろ。愛してるっつー言葉よか、死ねボケカスぶッ殺すの方が馴染みじゃねーか」
「まぁ、そうですね。銀さんも坂本サンと仲いいけど、いつも死ねだの殺すだのしか言いませんものね」
「なんでそこで辰馬なんだよ! でもまぁ……そうだな、愛しの結野アナ相手だったらちゃんと言うな。毎日愛してるって言うわ。365日欠かさず言ってたわ」
「それをいったら、僕だってお通ちゃんに毎日365日欠かさず言ってます」
「だろ? 今日に限ったことじゃねぇ」
「ですね」
そこで会話が途切れて、ふたり並んで窓から空を見上げる。
別に、愛してる云々っていうのも深い意味はなくて、ただ単純に仕入れたばかりの豆知識を披露してみただけなんだけどな……あまり捻らずに「いつもインスタントとか卵かけご飯とか食べてるけど、今日は野菜の日だから野菜食べましょう」とでも言っておけば良かったかな……と、新八がぐだぐだと考えていると、銀時がそっぽを向いたまま「なぁ、ぱっつぁん」と呟いた。
「なんです?」
「それ、金儲けにならねぇかな。プロジェクト831とかいって、恋愛成就お手伝い、着手金+成功報酬、みたいな」
「アンタ、唐突に何を言い出すかと思ったら……お客になりそうな人に若干の心当たりはありますけど、ウチの姉上に迷惑かかりますから、イヤですよ」
「それもそーだな」
「でしょ? ねぇ、神楽ちゃん、そろそろ着替え終わった?」
新八がくるりと室内に向き直る。その途端に、顔面に何か硬いものが飛んできた。
「まだアル。靴下履いてないアル」
靴下ぐらい……と言い返そうとしたが、新八は声も出せずに床にへたり込んでた。俯くと、床にドス黒い液体が広がっているのが見えた。なにか泥水でもひっくり返したのかと思ったほど、痛みは不思議と感じられなかった。視界がボヤけているのは、眼鏡が吹き飛んだせいだろう。ただ顔に触れた手指が赤く染まっているのを見て、それが己の血だとようやく認識できた。さらにぽたぽたと雫が落ちる。指先がぷるぷる震えているのはショック症状ってヤツかな、それにしてもどこを切ったんだろう……と他人事のように考えていた。
「おい、神楽、何投げやがった? 灰皿か? そこのガラスの? そんなもんフツーの人間に投げつけたら大怪我するだろうが、バカ。地球人は夜兎族みてーに頑丈じゃねーんだぞ。バカはバカだからバカって言ったんだ、バカ。いいから、ちょっと下に行ってバーさんに救急車呼んでもらえ、救急車。それと、たまに濡れタオル持って来させろ」
そばでギャンギャン喚いているのが、頭の芯に響いて煩い……と思った辺りで、視界がすぅっと暗くなった。
薄ぼんやりした意識の底で「あ、やべ」と呟いた男の声と、ブチブチと何かを千切る音が聞こえた。ちょ、手術で縫い直しとかアリなのかよ……とツッコんだのは、誰だったんだろう。
やがて新八が目を覚ますと、薄汚れた木造の天井が見えた。隣に銀時が胡座をかいている。
「お。起きたか。浅い傷の割に出血が派手で、びっくりしたぜ」
「あれ? ここ、僕んち? 病院連れていってくれたんじゃなかったんですか?」
「入院ってことになったら、カネかかるじゃねぇか。傷も二針ぐれぇで済んだみてぇだし。あの医者は相変わらずのヤブだし。おめぇの保険証借りに行ったら、おめーのネーチャンがパニくっちゃって、そっちの方が大変でよ……ああ、まだ寝とけ」
見下ろす銀時の顔は、目の回りがパンダのように青あざになっているうえに、輪郭が歪むほど頬が腫れ上がっている。しかも、いつもの白い羽織の肩口から腹にかけて、まだ汚れた茶色に染まっていて、どっちが重傷か分からない状態だ。
「それ、僕の血ですか?」
「ン? ああ、病院連れていくのに抱き上げた時、ついたみたいだな」
そういえば、倒れる寸前、銀時の声がやたら近くで聞こえていた気がする。
あの時点で既に銀時に抱きかかえられていたのかもしれないが、血を見て動転していて周囲のことなど把握していなかった。あの時どうだったかなんて思い出せそうにもないし、今更そんなことを聞いて確認するのもおかしな気がするので「シミ、取れなさそうですね。血のシミって、大根の絞り汁使うんでしたっけ」と、話題をすり替えてみた。
「あー…そうだな、ちょっと目立つな。『教えて銀八先生』のコーナーでも言ったことがあるけど、同じ柄の着物、何着も持ってるから、こんなもん気にすんな」
「いやいやいや『教えて銀八先生』のコーナーって、そんなメタな発言」
どうやら新八が怪我をしたのは額だったらしく、ガーゼが貼り付けられている。
そういえば眼鏡はどうしたんだろう。割れたレンズで眼球が傷つかなかったのは、不幸中の幸いだったかもしれない。
「神楽も、死んじゃったらどうしようって泣いてたぜ。死にゃしないことは分かってたんだけど、良い機会だと思って『地球人は夜兎族よかデリケートだから、扱いには気をつけろ』って諭したら、一応アイツなりに反省してたわ。あんま責めてやんなよ」
「銀さんも心配しました?」
「は? んなもんするかよ。俺ァ、邪魔なガキなんていつでも死んじめぇ、いっそ殺してぇって思ってるわ、常日頃。ただ、その、アレだ。使用者責任っつーの? 雇い主だからな一応。あと、おめーのネーチャンこえぇ」
「はぁ、そうでしょうね」
その死ね、殺す、は、照れ隠しの憎まれ口のオブラートに包んだ親愛の言葉と受け取っていいんだろうか……と、直接尋ねても、ろくな返事が帰って来ないのは分かっていたので、あえて黙っていた。
その沈黙に何を感じたのか、銀時が「その……あ、そうだ。今思ったんだけど、831だったら、ぱっつあんの日、になんねーかな。8で八で、3でサン」などと、唐突に言い出した。
「1はどこに消えたんですか」
「んー…眼鏡?」
「どこまで眼鏡なんだよ、僕の存在眼鏡だけかよ。つーか、僕の日だったら、この災難はどーしてくれるんですか」
「ちぇ。ダメか」
ちぇ。ってなんだ。何かを誤摩化そうとしたのか? 何をだ? と、ツッコみたかったが、その前に銀時に「まぁまぁまぁ、その、なんだ。もう寝とけ、寝とけ。今日はもういいから」と囁かれ、軽く布団をポンポンと叩かれた。いつもはケチで足臭いクソ野郎の雇い主が、今日に限ってどうしてそんなに優しくしてくれるのか分からないが、貴重な機会だし、お言葉に素直に甘えておこう……と目を閉じる。のっそりと大きな気配が部屋を出て行き……ふと、枕元に何かが置かれているのに気付いた。
レンズが外れて、鼻のブリッジのところからまっぷたつに割れた眼鏡のフレーム……これだけなら「こんなにダメージがあったのか、大したことない怪我で良かった」と思うかもしれないが、レンズのところにレンコンの輪切りが載せてあった。
「なるほど、野菜の日だしね。レンコンは見通しが良くなるっていうからなー…って、こんなんで見えるかぁあああ! 馬鹿上司、弁償しろぉおおお!」
あまりの馬鹿馬鹿しさに新八が喚いていると、お妙が「目が覚めたの? 大丈夫、新ちゃん」と、部屋に駆け込んできた。
(了)
【後書き】何気なく某クリック募金で『8月31日のI LOVE YOUの日に云々』という記述を見かけたら、家人に「野菜の日じゃね?」とかツッコまれたので、ふと思いついて書きなぐったSSです。ちなみに顔面大出血&縫合縫い直しは実体験だ。人生、何事も経験だな。
8月31日には間に合わなかったけど、銀新好きのお友達だけ喜べばいいや、という感じでコッソリと公開……最近、斉木君ネタばかりで妄想してたから、銀魂のハナシ久しぶりに書いた気がするww |