うつぼかづら【下】
駆け付けた救急隊員らは『手錠や鎖などのイカガワしいアイテムが散乱した連れ込み宿に、裸の女一人と男二人』という状況を怪しんだようだが、佐々木が己の身分証明書を見せながら「事件性は一切ありません。それから、このたびの治療費は全て、診断書を添えて私のところへ請求してください」と告げると、イマイチ納得のいかない様子ながらも、敢えてそれ以上の追求はしてこなかった。
銀時が連れ出されると、ただでさえ多少殺風景な室内は、嵐が去った後のように侘しく感じられた。
「今回は、坂田さんにもあなたにも、済まないことをしましたね。最初はだまし討ちの形でも、肌身を任せさえすれば多少の情も湧くだろうと考えての荒療治のつもりでしたが」
だが、そのしんみりとした詫びの言葉など何処吹く風といったカオで、信女は毛布から腕をにゅっと出して、何かを掴みたそうに手をわきわき動かしている。佐々木は溜息混じりに肩をすくめ、ドーナツを差し出してみたが、信女が欲しかったものはそれではなかったようで、指先が触れても受け取ろうとしない。
「シナモンは嫌ですか? チョコレートがかかっているのがいいですか? それとも粉砂糖をまぶしているヤツですか?」
どれもイヤイヤと首を振った挙句に、信女が佐々木の手指をきゅっと握った。しばらく、その手と手を見つめていた佐々木であったが、やがて何か思い当たったのか「ああ」と小さく呟いた。
「でも、私はダメなんですよ? 私は選ばれしエリートなのですからあなたと家庭を持つことはできませんし、あなたがエリートの種を宿すことも許されません。私はあなたを『仕事上、都合のいい道具』として引き抜き、私の組織の歯車のひとつとして養ってきたに過ぎません。私はエリートですが冷たい男なんです。どこかに、私ではない誰か……例えエリートではない愚民であろうとも、あなたを幸せにしてくれる男がいるでしょうに」
懇々と咬んで含めるように言い聞かせるが、信女の心には届いていないのか、眉筋ひとつ動かさない。
「参りましたねぇ」
佐々木は深々と溜め息を吐いた。佐々木は長いことそのまま黙り込んでいたが、やがて思い切ったように「よっこらせ」と信女を毛布ごと抱え上げた。信女が両腕を佐々木の首にまわしてすがりつこうとするが、その前に乱暴にベッドに放り投げる。そのあられもない姿を見下ろしながら、佐々木は「信女。つけているものを全部外しなさい」と命じた。
信女は最初、その言葉が理解できなかったのかポカンとしていたが、やがてモゾモゾと己の体をまさぐった。髪の中に隠した小さな毒針、奥歯に仕込んだ酸のカプセル、胸乳の棘などが、シーツの上に投げ出される。身体の奥には、銀時に食いついたトラップがもう一組隠されていた。
「いつも、こんな小細工をしていたんですか?」
ここまで徹底されると、呆れるよりもホトホト感心してしまう。武装を完全に解いた信女の体はいつもよりも華奢で頼りなく見えた。信女はふるふると首を振り「よそにお嫁に出されるって、聞いたから」と消え入りそうなか細い声で呟いた。
「そうは言っても、私の家に迎え入れるのは無理だと、何度も言い聞かせたでしょう。どうしても佐々木家に嫁ぐというのなら、鉄三がいますが」
「絶対イヤ。あのデブ、キモイから嫌い」
「あの愚弟も、痩せたらそこそこイイ男になると思うんですがね。なにせ、半分は私と同じ、エリートの血が入ってるんですから」
「半分じゃイヤ」
だからって、こんな過剰な……と言いかけたが、そうでもしなければ己の身が守れなかったのだろう。現に今回だって、手枷のうえに視力や聴力も奪われていたのだ。
「アタシ、人斬りしかできないけど、異三郎が望むなら一所懸命斬るから。相手が誰でも、何人でも、全部斬るから。だから、側に居させて」
「あー…そういうことですか」
信女の幸せを考えて家庭を作らせたとしても、仕事上は今まで通り働いてもらう予定だった。追い出すつもりはサラサラ無かったんだけどなぁと、佐々木は頭を掻く。
「お互いの意志が通じてなかったわけですか。ホウレンソウ不足ってヤツですねぇ」
「ホウレンソウ? 新しいドーナツの味?」
「は? ああ、違います違います」
信女はじっと佐々木を見上げて説明を待っていたようだが、佐々木はそれに頓着せず、靴を脱ぎ落とすとベッドの上に上がった。どっかりと胡座をかいて己の太股を軽く叩くと信女が恐る恐る近寄ってきたが、ほんの少しだけ距離を残し、命令を待つ犬のような仕草で見上げる。
「ああ、違う違う、こう」
手を伸ばして裸の腰を引き寄せ、太股に座らせる。信女の体が、すっぽりと佐々木の腕に包まる格好になった。だが、そこから先どうしたものかと、年甲斐もなく途方にくれてしまう。少女の絹のような滑らかな髪を指先に絡めながら「本当に、困りましたねェ」と、こぼした。彼女とは元々身分に差があったうえに年齢が若干離れていたこともあり、今まで性的な対象として見たことは無かった。それこそ、つい先ほど他の男に抱かせている時ですら、特別な感情は何一つ感じなかったほどに。
「困りますか」
「だから、ずっとそう言っているでしょう」
そこでお互いに黙り込んでしまい、微妙に気まずくなった。煙草が欲しくなったが、箱ごと銀時にくれてやったのを思い出す。
「異三郎」
呼びかけられて、ふと信女を見下ろした途端、顔面に痛みが走った。口元を手で拭うと、欠けた前歯が血にまみれて転がり落ちた。片眼鏡も吹き飛んでいる。
「信女」
さすがにムカッとした佐々木であったが、眼鏡を拾い上げてふと見れば、信女も鼻孔から二筋、血を垂らしていた。唖然としていると、今度は唇に噛みついてきた。ガツンと歯がぶつかり合い、口の中に鉄の匂いが広がる。同衾して無惨に殺された男らの死骸の様がフラッシュバックのように脳内を駆け巡り、佐々木は反射的に小さな体を突き飛ばしていた。
「ま、待て信女、ちょい待て。お預け、待て、伏せ」
半ば混乱しながら喚いた佐々木であったが、再び飛びかかろうとしていた信女は、まさに訓練された犬のようにぴたりと動きを止めた。
「その……とりあえず、鼻を拭きなさい」
「はい」
信女がシュンと俯きながら、素直に手の甲で顔を拭う。てっきり頭突きを食らったものと思っていたが、第二弾とのコンボから察するに、どうやら接吻が勢い余った結果らしい。
女らしい生き方を知らない信女なりに頑張った結果なのだろうと解釈すると、急にその失態がいじらしくすら感じられた。佐々木は眼鏡を外してサイドテーブルに置くと、シャツのボタンを緩めた。信女の耳元に唇を押しつけるようにして「考えてみれば、妾一人を養うぐらい、造作もないことでした。なにしろ、私はエリートですから」と囁く。
「それから……こうしている間だけは、上司でも部下でもないのですから、私のことはさぶちゃんと呼んでもらうことにしましょうか」
「さぶちゃん?」
「そう、よくできました」
抱き寄せて、そのままゆっくり倒れ込む。信女の腕がおずおずと男の背中に回された。
レントゲン写真で診ると折れた肋骨が内臓に刺さっている可能性もあるとのことで、銀時は緊急手術のうえに即入院と相成った。病室のベッドで全身麻酔から醒めると、まだ股間は危険な帽子をかぶったままだったで「ついでに、これも処置してくれりゃよかったのに」と、半べそをかきながらナースコールする羽目になったのは、ご愛嬌。
「これ、外してよかったんですか。てっきり、オシャレでつけているんだと思っていました」
ハサミを操りながら、いけしゃあしゃあと口走るブラックジャックもどきにドス黒い殺意を覚えたが、大切なイチモツの命運を文字通りに握られている状態では、如何ともしがたい。切り裂いたラテックスをピンセットで摘んで慎重に剥がすと、医者はプラスチック製の小瓶と脱脂綿を取り出した。
「場所が場所だけに絆創膏も貼れないし、化膿止めの軟膏にはステロイドが含まれているので、ここには塗らない方が良いでしょうね。時々、傷口をこうやって白チンで消毒するぐらいで、あとは自然治癒に任せましょう。チンだけに」
『誰がそんなうまいことを言えと』と、ツッコミを入れようとした矢先、消毒液が傷口に沁みて声が出なくなった。
「消毒液と脱脂綿はここに置いておきますから、明日からはご自分で処置なさってくださいね。では、お大事に」
医者は悠然と立ち去り、銀時はベッドの上で股間を押さえて「無理無理無理無理、自分で塗るなんて絶対無理」と呟きながら、ぷるぷると子犬のように震えているしかなかった。
やがてその痛みも鎮まり、もぞもぞとパンツを履いて落ち着いた頃。病院側が気をきかせて連絡をとってくれたらしく、新八、神楽と芙蓉が病室を訪れた。
「救急車で運ばれてそのまま入院って、ビックリしましたよ。佐々木さんからの依頼って何だったんですか? 銀さん、僕らに行くなと言ってましたけど、ホントに危ない仕事だったんですか?」
「エリートめるめる、チンチンも危ない仕事だったアルか」
助手二人が真顔で尋ねてくるが、どう返して良いものやら見当も付かず「あー…うん、まぁ、その、そんなところだ」などと生返事をするしかない。
「銀時様。お着替えとバスタオルと洗顔セットとお箸です。入院に必要とのことでしたので、お持ちしました。ここに置いておきますね」
「すまねぇな……あ、着替え、一着出してくれねぇか」
「かしこまりました」
芙蓉が銀時の身体を抱き起こし、まだ生々しい手術痕に障らぬよう気を遣いながら、甲斐甲斐しく着替えを手伝い始める。汗をかいているからとタオルで背中を拭ってくれるのに身を任せながら、銀時は『今回こんな酷い目にあったのは、こんないい女が傍にいるくせに、カネ目当てで浮気なんかした罰が当たったから、なんだろうなぁ』などと、ぼんやり考えていた。
「浮気? 銀さん、どういうことですか?」
新八に尋ねられて、銀時はハッと我に返る。芙蓉もタオルを手にしたまま、硬い表情で自分を見つめていた。
「所詮、男なんてそんなものだって、マミーが昔、言ってたアル。浮気は男の甲斐性だから、許してやらないと、っテ」
「神楽、ども。おめーのかーちゃんも苦労してたんだな……つーか、もしかして俺、さっきの口に出してた?」
うんうん、と三人が首を縦に振る。
「で、誰なんですか? 浮気するほど魅力的な人がいたんですか?」
「いやいや、新八君。もう済んだことだから。銀さんそーいうの引きずったりしないし、向こうもそういう気は無くって、浮気っていうよりも、その……なんていうか接触事故、みたいな?」
「でも、罰が当たるようなことしたんでしょ? 銀さん、不潔ですよ!」
童貞少年ゆえの潔癖さなのか、新八がヒステリックに叫んで平手打ちをお見舞いし、神楽も「そんなアバズレに育てた覚えはないアル」と、ペッと唾を吐きかける。
「その、ちげーって。いや、違くはねーけど……その、申し訳ありませんでした。ご免なさい、済みません。許してください。もう浮気なんてしません。この通りです」
何故、恋人でもない新八と神楽相手に謝罪しているのだろう。そもそも悪いのは自分ではなく、仕掛けた佐々木ではなかろうか。なのに何故、俺が責められているのだろう……と、いささか理不尽な気もするが、この場は土下座でもしなければ収まりそうもない。
「で、誰なんですか? 佐々木さんの関係ですか?」
「その……いや、やっぱダメだ。相手の名前は勘弁してください。つーか、一応仕事の依頼人のプライバシーはね、尊重しないとね、ウン」
「そこまでしても浮気相手を庇うんですね、銀さん。サイテーです」
「そのまま、腐れ落ちちゃえばいいアル」
二人は足音荒く出て行く。それを追おうとした芙蓉の細い手を掴んで「その、たま。聞いてくれ。俺ァ……」と、必死で呼びかけたが、無言で振り払われてしまった。しばらく呆然としていた銀時であったが、やがてヨレヨレとナースコールのボタンを押した。
「坂田さん、どうされました?」
「看護婦さん。心が、痛いです」
いつの間にか眠ってしまっていたらしかった。窓から入ってくる光が太陽光ではなく、中庭に立っているガス灯の青白い炎に代わっている。いい年齢をして少々頑張りすぎましたかねと、佐々木は苦笑いを漏らした。
室内の照明をつけようと上体を起こし、ベッドから身を乗り出すようにして、天井からぶら下がっている紐に手を伸ばす。ちょいちょいと指先が軽く宙を掻き、届くと思った矢先、横からぴょいと白い手が横取りした。
「起こしてしまいましたか」
「見えないでしょ?」
何の話かと思ったが、すぐに佐々木の左右の視力が大幅に違うことを指しているのだと気付いた。
「慣れてますよ」
ぱちりと室内灯が点き、まぶしさに目を眇める。時間を確認しようと、枕元をまさぐって携帯電話を掴む。片目をつぶったままディスプレイを覗き込むと、メールが届いていた。通常勤務が滞りなく終わったという業務報告が一件、迷惑メールが二件、入院する羽目になったテメーのせいで俺の信用台無しだ覚えてろ等という銀時からの泣き言が五件ほど。てっきりもう夜中かと思っていたが、まだ戌の刻に入ったばかりだった。
「そういえばドーナツがまだ余ってますよ。あのソファの上です。よろしければ、お食べなさい」
メールの返信をぽちぽちと打ちながら、佐々木は信女の方を見ずに声をかける。 信女はうなづいてベッドから降りるとドーナツの箱を取りに行き、裸のまま再びシーツに潜り込んで来た。佐々木の胴に猫のように肌身をすり寄せながら、もしゃもしゃとドーナツを頬張る。
「ドーナツの粉がこぼれるんですが」
「これ、異三郎の分」
「全部食べて結構ですよ。そして、私のことはさぶちゃんと呼びなさい」
「さぶちゃん」
「だから、ドーナツはあなたのだと……」
振り向くと、差し出されていたのはシガリロの箱であった。
確か、煙草は坂田さんに恵んでやった筈なんですが……と、佐々木は首を傾げたが、よく考えたら彼の羽織を預かっていたのだから、その懐に入っていたのだろう。箱から一本抜き出して、唇に挟む。火をつけようとライターをカチカチと鳴らすと、信女がドーナツの粉だらけの手を出してきた。
「そんなに私の目が心配ですか? 大丈夫ですったら」
煙草1本分の距離で手元が狂う由もない。優雅に煙草に火をつけると甘い煙を吸い込んだ。おもむろに、腕をサイドテーブルへと伸ばす。ガラス製の灰皿の上で、トンと指で煙草を叩いて灰を叩き落とし……灰皿よりも手前の位置に灰が落ちた。
失敗ったと思って信女を見やると、案の定、真っ黒い瞳でじっとこちらを見つめている。
「これは、その……ちょっと目測が……いえ、手が滑っただけです。眼鏡をかけたら問題ありません」
なぜか気まずくなって片眼鏡を取り上げようとしたが、動揺のせいか、あるいは遠近感が完全に狂っていたせいか、指先で吹っ飛ばしてしまった。
「ほら」
信女は短くそう呟くと再びベッドからするりと降り、佐々木の片眼鏡を拾い上げた。その「ほら」に『だから言ったでしょう』というニュアンスを感じ取って、少なからずムッとした佐々木ではあったが、なぜか誇らしげに差し出す仕草には見覚えがあったので、佐々木は「ハイハイ」と呟きながら、腕を伸ばして信女の頭を撫でてやった。
「人斬り以外にも出来ることが増えたようですね」
「ん」
信女が満足そうに目を細める。いや、軽く唇をつぼめているところを見ると、ナデナデ以外のものも強請っているのだろう。だが、佐々木はわざとそれには気付かないふりをした。
「そろそろ起きましょうか。急げば病院の面会時間に間に合いそうですから、坂田さんのお見舞いがてら、羽織を返してやらないといけません」
「さぶちゃん」
「妾ごっこはおしまいです。いつも通りにお呼びなさい」
「さぶちゃん」
「あんなことの直後ですから、あなたが坂田さんと顔を合わせたくない気持ちも分かります。先に帰っても構いませんよ。歩いて帰れる距離ではありませんので、駕籠を予約して差し上げましょう」
だが、佐々木が折りたたみの携帯電話を広げると、信女はシュンと俯いて「また今度、妾ごっこしてくれる?」と、か細く呟いた。
「え? あ、まぁ……そうですね、信女が良い子にしていて、お仕事でたくさん人斬りをしてくだされば」
我ながらずるい言い方だとは思うが、それでも信女には嬉しかったのか、こっくりと頷いた。
「じゃあ、ついてく」
別に無理しなくてもいいんですよ……と言いかけたが、その言葉を遮るように電話が繋がり『はい、駕篭の重音屋です』と、オペレーターの声が飛び込んで来た。宿の名を告げると、近くを流している車両があるので、すぐに駆けつけるという。どうやら、のんきにシャワーを浴びている暇はなさそうだなと、佐々木は肩をすくめた。
「坂田さァん、お見舞いですけどォ」
中年の看護婦が、のっそりと病室に顔を突っ込んできた。
「うっせぇ! もうたくさんだ!」
ヒステリックに喚きながら、銀時が枕を投げつける。なにしろ患部の部位が部位だけに、見舞いに来る連中が皆こぞって、股間の傷を冷やかしては「使い物にならなくなるぜ」と脅していく。ただでさえ激痛のために精神的にも弱っているところを、駄目押しのようにからかわれ続ければ、どんな偉丈夫もヒステリックになろうというものだ。
だが、枕は看護婦の顔面にヒットする直前に、耳をつんざくような音を伴って空中で四散した。枕に詰められていた羽がふわりふわりと舞い落ちる中、看護婦の後ろに居た佐々木が、拳銃をゆっくりと下ろす。
「ご心配なく。時間も時間ですし、預かり物だけお返しして、すぐに帰ります。逢いたくなったら、いつでもメールください。さぶちゃん宛てで」
しれっと言いながら、銃口から立ち上る硝煙をフッと吹き、ホルスターにしまい込んだ。
看護婦は、状況を理解できずにポカンと口をあけて固まっていたが、佐々木に「案内、ご苦労でした」と囁かれて我に返り、逃げるように立ち去る。
「そんなもん振り回してんじゃねーよ! ババァも怖がってたろーが。つーか、弾が人に当たったらどうすんだ!」
「狙いを外すことはまずありませんし、万が一当たったとしても、護身用ですから死ぬほどの威力はありません。不幸にして当たり所が悪かったとしても、いくらでも揉み消せますよ。なにせ私はエリートですから」
「そういう論点じゃねぇ! 大体、全部テメーのせいだっていうのに、よくもノコノコと来れたもんだな!」
「要らないんなら構わないんですが、あの羽織り、坂田さんの一張羅でしょう?」
佐々木が振り返る。その腰に信女が、人見知りする幼子の仕草でしがみついていた。片腕に風呂敷包みを抱えている。その姿を見た瞬間、銀時は怒る気力がごっそりと削げた。
「ほら、信女。その荷物を坂田さんにお渡しして……嫌ですか?」
「そりゃ、俺のツラなんざ、しばらく見たくねぇぐれぇだろうからなぁ。カワイソウだから、んなとこ連れてくんなよ」
「しかし、付いて行くって言ったのは、本人なものでして」
信女の腕から風呂敷包みを取り上げ「ハイ」と差し出してくる。
その動きで空気が揺れ、ふわっと微かな香りを感じた。整髪料? いや、甘い……シガリロの移り香? 違う、もっと柔らかい……つい最近、どこかで嗅いだような記憶があるのだが……と、銀時は首を傾げていたが、ふと「あ」と声が漏れた。
「はい?」
「いや……なんでもねぇ」
女の肌身の匂いだと気付いたが、本人を前にして「オマエラ寝たのか」と尋ねるほど、銀時もデリカシーに欠けているつもりはない。それに、いくら佐々木が冷血漢といえども、あれだけ慕っている姿を見せられては、情に絡めとられてしまったとしてもおかしくはない。
だが銀時にしてみれば、今の己の身の上(というか身の下)の不幸の元凶である二人がそういう関係になったというのは、かなり理不尽に感じられた。少なくとも、最初からそうしていてくれれば、自分が身代わりになってこんな酷い目に遭うことはなかったのだ。それを責める代わりに、銀時は風呂敷包みをひったくるようにして受け取り、乱暴に結び目を解く。中身は、確かに自分の羽織りらしかった。
「せっかく差し上げたのですが、受付で聞いたら肺も傷ついているとのことなので、今回はお渡ししないことにしました。すみません」
一体何の話をしているのだろうと銀時は訝ったが、佐々木が右手の甲を向けて指二本を立ててみせた仕草で、そういえばシガリロを貰ったんだっけ、と思い出せた。ケロッと忘れていたくせに、貰える筈だったと思った途端に惜しくなってしまうのは、貧乏性の性だ。反射的に「えーっ」と声が出た。
「肺の傷が苦しいのは、よく知っていますからね。当分、煙草どころじゃないでしょう。退院した頃にメールください。ワンカートンほどお送りしますよ。では、お大事に」
芝居じみた仕草で一礼して踵を返した佐々木の背中に、銀時は「ご親切にどうも。あんたらもせいぜい、お幸せに」 と、精一杯の皮肉を返してやった。
了
【後書き】バラガキ編だけのゲストキャラかと思ったら、傾城編でまさかの再登場で、さぶちゃんキターーー! と盛り上がって妄想……現時点ではまだ刺されたまま病院ですけどね、さぶちゃん。
まぁ、死ぬことはないだろうと先読みして「傾城編のその後」の設定で書いてみました。 |