当小説には、残虐で猟奇的な要素を含みます。
閲覧は、くれぐれも自己責任でお願い致します。
ゆで卵の薄皮ってアレ剥きにくいよね
「春雨の船だな」
「この格好で乗り込んだら、幕吏と間違われて襲われませんかね?」
天人の武器商人との商談中に真選組に踏み込まれたのは、昨夜のこと。
その場は辛くも脱出した高杉晋助とその腹心・武市変平太は、逃亡のために柄にもなく変装をしていたのであった。
「幕吏とはお仲間になってたろ」
それはあくまでも上層部の裏取引での決定事項で、下部組織の真選組までは浸透していないんですが、とツッコみたいところであったが、高杉はけろりとした顔で、空に浮かんでいる海賊船に向かって片手をひらひらと振っている。こういう、どこかネジがぶっ飛んでいる神経が、常人には理解できないところだ。
幸い、向こうも橋のたもとにいるのが高杉だと気付いたのか、一斉掃射をかけてくることもなく、静かに川面に着水すると、ハッチを開けて乗降ブリッジをするすると伸ばしてきた。
「ウサギのか」
「はいはい、昨夜は一足先に逃げたウサちゃんですよ。おサルさん達は無事だったんだ? なんか、頭数が足りてないみたいだけど」
ニタニタ笑いながら出迎えたのは、神威であった。
高杉はそれには直接答えず、代わりに「腹が減ったな」と呟いた。
「なんか食べるもんあったっけ? 卵焼きとか、幼虫の丸焼きなら、いくらでもあるけど」
「幼虫?」
「美味しいよ」
その隣で、阿武兎が嫌そうに口元を歪めているのが、対照的であった。武市はその表情を見て『美味しい』のが何か見当がついたようだが、高杉は「何か、船で飼ってるのか?」と首を傾げていた。
「見たい?」
「隊長、悪趣味ですよ」
「いいじゃん」
武市も高杉を引き留めようと片手を差し出しかけたが、高杉は素直に、手招きする神威に誘われるまま歩き出した。
「最近、卵の殻が柔らかいんだけど、カルシウムが足りないのかなぁ」
「卵? まぁ、卵の殻はカルシウムだしな」
「なんかやらなくちゃいけないのかな」
「松陽先生のとこで飼ってた鶏には、確か貝殻砕いたのんをやってたと思うが」
「貝殻ねぇ。なるほど、なるほど。餌とかは阿伏兎がやってるから、食わせるように言っておくよ」
下へ下へと続く階段を降り、鉄パイプが剥き出しになっている機械室のフロアよりもさらに下、貨物室のような場所に辿り着く。無機質な船内にはそぐわない動物の臭気が鼻をついた。敷き藁や馬草のような芳ばしいものではなく、糞尿を垂れ流したような、生臭くて不快な匂いだ。
「こんなとこで飼ってるのか? 何の獣か知らないが、たまに日光に当ててやんねぇと病気になるぞ」
「病気?」
「くる病とか、な。骨が弱って曲がる病気だ」
「へぇ。俺たちゃ、日光を浴びた方が体に良くないんだけどね。日陰モンでも、別に骨は曲がってないし」
「代わりに性格が曲がってんだろ」
「アンタに言われたくはないねぇ」
剣呑な会話の内容とは裏腹に、上機嫌にケロケロ笑いながら、神威は薄暗い船底の奥を指差した。高杉はその奥へ目を凝らし、それがヒトガタをしていることに気付くと「ああ」と小さく声を漏らした。壁際にへたり込むような姿勢で両足を投げ出しており、腹が異様なまでに膨らんでいる。服はボロボロで、萎びた茄子のように垂れ下がっている胸乳や、めくれ上がった陰部が無惨にも剥き出しになっており、目だけがぎょろぎょろと鈍い光を放っていた。
「華蛇か」
「春雨の師団長としてはもう価値のない女だけど、こいつらの種族にしてみれば、貴重なメスらしいからね。もともと、辰羅は個々の戦闘力よりも人数頼みの戦術を使う種族だから、多産系なんだね」
神威がそう説明している間にも、ヒトガタは大きな腹を波打たせて喘ぎ、枯れ木のような足の間から、ラグビーボールに似た細長い半透明の玉をひとつふたつ、ひり出し続けていた。
「女王アリみたいなもんか。そういわれてみりゃ、昆虫みたいな連中だったものな」
「ポコポコ産むから見ていて面白いし、卵が食いモンにもなるから預かったんだけど、そろそろ飽きちゃった。要る?」
「こいつらの群に帰してやりゃ、いいじゃねぇか。別にお仲間が全滅した訳でもねぇんだろ」
「あ、そっか」
数年前、春雨の船の牢獄で見たときも、やつれて正気を失っていたが、それでも当時の方がはるかにマシだった。少なくとも、あの頃はまだ「ヒト」としての何かが残っていた。
「よう、久しぶりだな。覚えてるか? お前を捕まえて、春雨に引き渡した高杉だが」
高杉が、華蛇の耳元に息を吹き込むようにして囁いた。華蛇の表情は虚ろなままであったが、神威が代わりに「ダメダメ、もうとっくに言葉なんて通じないし、感情とかも無いみたいだから」と、答えた。
「ふん、そうかい」
恐る恐る手を伸ばして、樹木の皮のようにボコボコに荒れている頬を撫でてやる。その指がさらに耳元から顎をなぞると、触感は残っていたのか、その目がくすぐったそうに細められた。
「へぇ、コイツに反応があるの、久しぶりに見た」
「ろくに可愛がってやってねぇんだろ」
「失礼だなぁ。皆して、こってりと愛情たっぷり可愛がってやったよ。卵産み始める頃には、すっかり緩んで使いモノにならなくなったから、口でさせてたけど」
「じゃあ、この卵はオマエらの子供か」
「あ、そっか。そーいう可能性もあるのか。考えてもみなかったな。全部、辰羅の幼虫だと思ってたから。どうせなら、アンタの種も植えてく?」
「いや、結構だ。それよか腹が減ってんだが」
「ああ、そうだったよね」
神威が、思い出したように部屋中に転がっている卵をいくつかポンポンと叩いて、三つほど選んで拾い上げた。
「スイカかよ」
高杉がぼそっとツッコんだが、華蛇は我が子が目の前でとられるのを理解できないのか、あるいは既に諦めてしまっているのか、表情を変えずに呆然としていた。半開きの口からのぞく歯がほとんど欠けているのは、虐待で折れたのか、卵にカルシウムを奪われたからか。
「ねぇねぇ、聞いてよ。阿伏兎は俺が人非人みたいに言うんだけどさ。でも、イキモノが生きる理由のひとつが、己の種を生み育てることなんだとしたらさ、同族のメスがほとんど居なくて滅んでいく運命にある俺らと、こうやって現に殖え続けているこの虫ケラ女と、どっちが幸せだと思う? こんな姿でも生かしてやってるんだから、十分優遇してると俺は思うんだけど、アンタ、正直どう思う?」
「そんなこと言って、せっかく産んだ卵を食うんだろうが」
「あ。そっか。だよね」
指摘されて初めて気付いたように、神威は目を丸くする。
去り際に、高杉は華蛇の頭を撫でてやる。その意味を理解しているのか、それとも単なる条件反射なのか、華蛇の目が再び細められた。以前は艶やかなストレートヘアだったのが、長いこと手入れをしていないために、脂と汚れでフエルトのように固まり、よく見るとダニのような小さな虫もわいている。多少の汚れや匂いには動じなかった高杉だが、さすがに虫にはギョッとして、手を上着にこすりつけて拭った。
来島また子はもちろん、マイペースな河上万斎すらも、高杉の安否が心配で気が狂いそうな思いでその帰りを待っていたのだが、当の本人は真選組隊士のコスプレ姿のうえに「土産だ」と瓜のようなものを包んだ風呂敷を持ち帰って来たと知って、ガックリと脱力してしまった。
「なんすか、これ、卵? 果物?」
「エイリアンの卵」
「エイリアン? 食えるんすか?」
「わさび醤油でなら」
「何言ってんすか、もう!」
だが、いくら問うたところで、この男が丁寧に解説してくれるような性格でないことぐらい、長い付き合いで分かっている。仕方なく、一緒に戻って来た武市に「武市先輩、つまり、どういうことッスか?」と尋ねた。
「晋助殿のおっしゃった通りですよ。今朝、第七師団に拾ってもらったんですが、そこで飼ってたのを、お土産に分けてもらったんです」
「第七師団! あの気違いウサギんとこですか。なんだって先輩、高杉様をそんな危険なところに連れていくんすか!」
「私じゃありませんよ、晋助殿の発案です。私の方が振り回されて生きた心地がしなかったんですから」
「それならそれで、ちゃんと引き止めてくださいよ、晋助様に何かあったらどうしてくれるんスか。そんときはきっちり腹ァ切ってもらうッスよ。介錯も楽には死なせないっスから、覚悟して貰うっス。タケミツで皮一枚ずつ捲るように削ぎ切りにしてから、呼吸が止まるまで延髄めった打ちにして殺してやるッス」
「更年期障害のヒステリーですか? 怖いですねぇ。イノシシ女の凶暴性に輪がかかってますよ、おお怖わ……あと、卵は生みたてとのことですが、早く火を通さないと中身が成長してしまうそうなので、すぐに厨房に持って行ったほうがいいですよ」
来島はそう言われて、薄気味悪そうに渡された風呂敷包みに視線をやった。確かに、妙に生温かく感じられる。
「火を通すって……茹でたらいいんすか?」
「念のために割って、中身を確認してから焼いた方がいいかもしれませんねぇ。夜兎の方々はぺろりと平らげていらっしゃいましたが、食べきれなかった場合は冷凍保存もできるそうです」
「はぁ」
確かに、このサイズの卵を卵焼きにして一気に食べるのは、普通の地球人にはちょっと無理そうだ。
「そうそう、また子さんみたいなガサツな方はご存じないかもしれませんから念のために申し上げますと、卵焼きを冷凍するときはよく冷まして水気をきってから、ラップに包むんですよ」
「え、なに? 誰? ウトメさん?」
この憎たらしい“姑”の卵焼きにだけ、画鋲かなんか混ぜてやろうか、何を仕込んでくれよう、などとブツブツ呟きながら、来島が厨房に向かった……が、それから一分もしないで「ぎゃあああああああああああああああっ!」という派手な悲鳴が船内に響き渡った。
半狂乱で駆け戻り「たっ、高杉様ッ、あれっ……あれ、ニンゲンッ? 人間の卵ぉ!?」と、問い質す。
「エイリアン」
「いや、そう言ってたけど、エイリアンって言ってたけど、そうじゃなくってぇ! その、人間の形してるんだけどっ! アレ、人間型のエイリアンなんスかぁ!?」
「産みたてって言ってたんだがなぁ」
高杉がしれっと呟き、武市も「ですねぇ」と頷く。
「また子さん、驚くことはありませんよ。有精卵ですからちょっと育っちゃってることって、鶏でもたまーにあるじゃありませんか。ヒヨコとか、そーいうカンジですよ。そもそも、その用心のために、先に割って頂いたわけで」
「全然ヒヨコじゃないっス! だいたい、卵焼きにするっていうから、エイリアンとかいっても、せいぜいダチョウみたいなのを想像するじゃないッスか! こんなん入ってるなんて、想定してないっス!」
ワナワナと怒りに震えながら、ぬめぬめしたヒトガタを武市の目の前の畳に、叩き付けた。人間の赤ん坊よりやや小さく華奢な頭部がトマトのようにクシャッと潰れ、キュウッ、と小さく鳴いたきり動かなくなる。
「ああ、言うのを忘れてました。育ったヤツも食べれるそうですから、そんな乱暴にしたらもったいないですよ」
「食えるかぁ! というか、あれ、あと三個も割るの、アタシ、もう嫌ッス」
「頑張ってくださいよ。屠殺とか虐殺とか、そーいうデリカシーのない仕事は、神経の図太いアナタが適任なんですから」
「無理、無理無理無理ぃいいいいい!」
それでも、来島が厨房に戻ったのは「そうやってグズグズしている間にも、卵の中身が成長しちゃいますよ」と、武市に脅されたからだ。そもそも、この面子にレディファーストとか思いやりとか、それに類いした崇高な精神など、期待するだけ野暮というものだ。
覚悟を決めて一個、短筒のグリップで殻を叩き割る。今度はサイズ違いの鶏卵のようなものが詰まっていただけであったので、ボウルに流し込めた。二個目は黄身に多少、血管のようなものが走っていたが、泡立て器で掻き回したら目立たなくなったので、見なかったことにした。
だが、三個目は殻を割る前に、内側に動く気配がした。
「やだ、もう!」
半べそをかいている間に、卵の殻がぐにゃっとへこんだ。どうやら、殻が柔らかくなっていたようで、よく見るとうっすら中身が透けている。そいつを抱えて再び、皆が寛いでいる部屋に戻り「こんなのシメて食うなんて、イヤですよ、アタシ」と訴えた。
「幼虫も、塩こしょうでバター焼きにしたら、そこそこ美味いそうなんですがね」
武市が顔色ひとつ変えずに呟く。高杉は長々と紫煙を吐き出しながら「まぁ、無理して食うもんでもねぇだろ」と言い、ポンと煙管の先を灰皿に叩き付けた。
「殺さずに、どうするんですか? 育てるんですか? また晋助殿の悪い癖が」
武市は溜め息を吐きながらそうボヤいたが、高杉は聞こえないふりをしてそっぽを向いていた。
もうとうの昔に廃人になっていると思っていた華蛇が、高杉に撫でられた時には反応を返していたと聞き、阿伏兎は夜中にこっそりと船倉に下りてみた。阿伏兎自身の夜目は効くが、相手もこちらの姿が見えないのは困るだろうと、小さな蝋燭だけは持っていく。その光と足音で目を覚ましたのか、船倉に着く頃には、華蛇は横たわったまま濁った眼球をこちらに開けていた。
「起こして悪かったな。ああ、メシの時間じゃない」
小声で話しかけながら蝋燭を壁の燭台に掛けると、しゃがみ込んでいびつに膨れた腹を優しく撫でてやった。薄い皮膚のすぐ下に、大小の卵が不規則にいくつも詰まっているのが透けて見える。
「アレ。カルシウムを補充してやりに来たんじゃないんだ?」
不意に声をかけられた。ギョッとして見回すと、部屋の隅に小柄な男が蹲っている。
「貝殻を砕いて食わせたらいいって、教えたのに」
「それ、鶏の話でしょうが。確かに栄養失調気味のようだけど」
「ふうん?」
神威はいつものヘラヘラした表情を浮かべている。
「あの猿に撫でられてソイツが反応してたって聞いて、阿伏兎、悔しかった? ヤキモチ妬いた? それとも、少しはオツムが治ったのかと期待した? でも、今も無視されてるよね。どうしてだと思う? もしかしたら、いくら話しかけても答えてくれないのって、ソイツが壊れてるからじゃなくて、単に阿伏兎が嫌われてたのかもしれないよね。その可能性は気付いてた? 気付いてたとしたら、どう思った? それとも嫌われてるって認めたくない? まだソイツのこと、好き?」
「隊長」
「好かれてる訳ないよね。寄ってたかって、こんな目に遭わせてるんだしさ。虐めるのもそろそろ飽きちゃったから、辰羅の群れに返してやろうかって話もちょろっと出たんだけどね」
それは良かった、さっそく辰羅族の居そうな星に連絡を取って……と言いかけた阿伏兎を遮り、神威は笑顔のまま「でも、やァーめた」と宣言した。
「は? た、隊長?」
「だって、ソイツが阿伏兎のことを嫌っているんだったら、わざわざふたりの仲を引き裂く必要ないもの。世話をすればするだけ鬱陶しがられて煙たがられるんでしょ。そしたら、阿伏兎もソイツのこと嫌いになるよね。心から憎むようになったら、許してあげる。阿伏兎の手で、さっくり楽にしてやるといいよ」
「なんですか、その超理論は」
さすがに呆れて語気を強めると、神威は年甲斐もなくぷっと頬を膨らませながら「阿伏兎、いつまでそのぼて腹撫でてんのさ」と、鼻を鳴らした。
「ああ、隊長、ヤキモチですか。そうですか」
がっくり脱力しながらも、阿伏兎は立ち上がって神威の傍に歩み寄り、その頭に手を乗せてやった。こうやって甘やかすから増長するんじゃないかとも思うが、突き放して暴れられても手に負えないのだから厄介だ。
「あの蟲を撫でてたのと同じ手は、ヤダ。こっちの手」
「どこまでワガママなんすか」
面と向かって罵っているのが通じないのか、神威は阿伏兎のごつごつした掌の感触を楽しむように、目を細めている。
アンタ、いつまでもオッサン相手に粘着してないで、適当に女ァ見繕って、適当に幸せになってくださいよ……と言いたいところを、ぐっと飲み込む。華蛇を少しでも庇うためには、どうしても彼の機嫌を取っておく必要があるからだ。そのために嫌われてもいい。いや、嫌われていた方が安全なら、いっそ、その方がいい。
「ねぇ阿伏兎、今度海に行こうよ。貝殻拾うの、手伝ってあげるからさァ」
こんなに衰弱しているヤツにマジで貝殻なんぞ食わせる気か、無茶言いやがって。単純にカルシウム摂らせたいならミルクかチーズで十分だろうが……と言い返すことはせず、阿伏兎は「へいへい」と答えると、しなだれかかってくる神威を抱きとって、見かけによらず筋肉でデコボコしている背中を撫でてやった。
(了)
【後書き】女体別館の『天にあらば』シリーズに掲載する予定の長編の一部ですが、神威×阿伏兎のハナシとしても読めると思ってこちらに先行公開することにしました。ストーリー的には【四天王編】から数年経っている設定ですが……まぁ『夜うさぎウサギ』と繋がっているから、いいか。
単に、リョナ&卵生腹ボテを書きたかったという説もある(爆) |