夜うさぎウサギなにみて刎ねる【下】
「そういえば今日は中秋の名月でしたね。地球を離れていると、すっかり節句など忘れますが……今宵の月は見えずとも、月見うどんなんていかがでしょうかね。ねぇ、また子さん」
地球に向かう航路を確認するために鬼兵隊の宇宙船ブリッジで海図を広げていた武市が、ふと、いかにも大問題を思い出したかのような口調で言い出した。
「嫌っスよ、いかがでしょうかねって、アタシに作れって言ってるんですか? 面倒くさい」
「面倒くさいってアナタ、うどんなんて茹でるだけでしょう。ただでさえ腐れ羊水の分際のくせに、そんなことではお嫁にいけませんよ」
誰が腐れ羊水だと怒鳴り返したいところだが、愛する高杉の許に嫁げないと脅されては、イノシシ女の来島といえども堪えるしかない。
一方、そんな来島を横目に、河上万斎は「古いしきたりなんてド演歌モドキ、我々のロックな魂にはこれっぽっちも響かないでござる。むしろ、そんな世界をブチ壊すことこそが我ら鬼兵隊のやりかたでござろうが」などと鼻で笑うが、武市はあくまでも真顔で「ススキを飾るのも忘れていました。テロリストといえども、いや、明日の生死も分からぬテロリストだからこそ、美を愛でることも必要でしょう」と力説した。
「ならば、武市殿は月に何をか願うつもりでござったか? どうせまた、ロリロリ美少女と縁がありますように、とか、そーいう類いでござろう」
「縁結びを願掛けするのは、むしろ王道ですよ。それから、私はロリコンじゃありません、フェミニストです」
鬼兵隊の連中がそんなたわいもない雑談をしていると、ひょっこりと神威が現れて「じゃあ、俺は俺を倒せるような強いやつと出会えるように願掛けしたい」と言い出した。
「願掛けってどうするの? 何かに書くの? どうやったら叶うの?」
まるで子供のように神威は目をキラキラさせながら尋ね、武市らは訝しげに顔を見合わせた。
「その、毎年の行事ごとですから、そんなに期待するほどのものでもありませんよ」
「で、どうすればいいの? 月を見たらいいの? 月はどこ?」
「どこと言われましてもねぇ……航路図によれば、月はちょうど地球の向こう側ですしねぇ」
「じゃあ、月、見れないじゃないか! 月! 月!」
しまいに、駄々っ子のように足をバタバタさせて暴れだしたので、武市らは困惑しながら顔を見合わせた。華奢で小柄な見た目に似合わず怪力の持ち主だけに、このまま放置していれば、船底のひとつやふたつブチ破りかねない。
「あ……そうそう。代わりにお団子を食べたらいいんスよ。満月のお月様みたいに真ん丸いでしょう?」
来島が子供をあやすように言い聞かせると「お団子?」と呟いて、神威の動きが止まった。
「そうそう、お団子」
「オバちゃん、お団子作ってくれるの?」
「誰がオバちゃんだコラ! 蜂の巣にされたいっスかっ! オネーチャンとよびなさい、オネーチャンと」
「オバちゃん」
「ぐぁあああああ! むかつく! このガキ、めちゃくちゃムカつくんですけどぉおおおおお!」
「この子をガキ呼ばわりする時点で、貴殿、じゅうぶんにオバちゃんのカテゴリーでござるな」
「ちょっ! 河上先輩までっ!」
今にも拳銃を乱射しそうな来島を無視して、神威はふとキョロキョロと周囲を見回して「あれ? 阿伏兎は?」などと言い出した。
「さぁ? こちらにご一緒に来られたんじゃないんですか? 第七師団の方々は、向こうのエリアでお休みになっているわけですから」
いずれにせよ、宇宙空間を飛んでいるのだから、船外ということは有り得ない。
地球までの長旅、ヒマを持て余しながら戦艦の居住区のどこかをぶらぶらしているのは間違いなかろう。
「阿伏兎」
呟いて神威が出て行った。嵐が過ぎ去った、とはまさにこのことだ。ちょっとした虚脱感が、ブリッジのクルーも含めた全員を覆っていたが、やがて武市が思い出したように「で? お団子も作るんですね?」と来島に尋ねた。
うどんなんてと簡単に言うが、いざ作る側になれば一仕事だ。ましてや大鍋がぐらぐら煮立っている厨房は地獄のような暑さだ。ただそこにじっと立っているだけでも汗が滴る環境下で、手漕ぎボートのオールのような巨大しゃもじで麺がくっつかぬようにかき混ぜていると、今にも発狂しそうになる。
そろそろ茹で上がったろうと、来島が鍋つかみを取り上げると「お手伝いしましょうか、お嬢さん」と声をかけられた。
「えっ? お嬢さん? 今、お嬢さんって言った? いやん、照れるっス。お嬢さんだなんて、そんなぁ……もっと言って! ぴちぴちのお嬢さんとか、美人のお嬢さんとか、もっともっと言って!」
笑顔いっぱいで振り返ると、くすんだ色のマントを羽織った大男が突っ立っていた。その無精ひげに見覚えはあったが、いまいち名前が出てこない。
「えーと、アンタ、第七師団の?」
「ぴちぴちで美人のお嬢さん。とりあえず、その鍋の中のもんを、ザルに移したらいい?」
来島の質問には答えず、無精ひげの男は素手で鍋を掴んだ。
「ちょっ、火傷っ!」
「心配ご無用。こっちの腕は義手でしてね。便利なモンですよ」
「はぁ。あざーっした」
毒気を抜かれたように、来島が頭をぺこんと下げる。無精ひげは片手をひらっと振りながら「なぁに、いーってことよ。これぐらいお安いご用」と、謙遜してみせた。
「手伝って貰えるんなら、ついでに葱を刻むのも頼めるっすかね。鬼兵隊全員分作ろうと思ったら、大変なんすよ」
「へいへい。で、交換条件というのもおこがましいんですがね、なんかつまめるモンを恵んでやってくれますかね」
「お腹が空いたんスか? もうすぐ出来上がるっスよ」
「俺じゃなくて、その、晩飯というよりおやつというか、差し入れみたいな?」
「はぁ……さっき作った団子ならあるっスけど」
来島はそう言うと、厨房の片隅に置いたステンレス製の大きなバットを指差した。その上にはラップシートが敷かれ、団子が並べられている。
「アレはそのまま食うの?」
「そのままで食べれなくはないけど……きな粉まぶしたり、餡ころ餅にしたり、醤油ダレかけたり……シロップに浮かべてもいいだろうし、どうせ何作っても好き嫌いで文句いうから、もうそれぞれ自分でテキトウにしてくれってカンジ? そこに器もあるっス」
「シロップか。シロップはいいかもしれねぇな。じゃあ、もらってくぜ」
「だから、もう夕飯だよ? うどんはどうするの? 月見うどんだよ! 後で食べるの? 残しておく?」
「ぴちぴちで美人で親切なお嬢さん。お心遣い、痛み入ります」
無精髭は大げさな仕草で一礼すると、厨房を出て行った。
メシの支度ができたぞー…と艦内放送をかけようと、来島がインカムを取り上げたところに「阿伏兎、来なかった? 阿伏兎」 と喚きながら、神威が厨房に飛び込んで来た。
「あれ、まだ探してたの?」
「うん、ずっと探してた。阿伏兎、見なかった? 阿伏兎」
「アブトってヒトかどうかは知らないけど、夜兎族のヒトは、ちょっと前に来てたっスよ」
「眠そうな目で、もじゃもじゃ頭に無精ひげの?」
「ああ、そんな感じの」
「どこに行ったの?」
「さぁ……誰かに食べさせるみたいなこと言って、お団子持っていったけど」
「誰か? 誰かって誰? 俺って言ってた?」
「いや、団長さんとは言ってなかったっス」
小鳥のように首を傾げていた神威だったが、何かに思い当たったのか、丸い大きな目がぎゅっと吊り上がった。
「もしかして、阿伏兎お気に入りのメガドライブ? もうOWEEの時代なんだから、そんなポンコツ、捨てちゃえばいいのに」
「え?」
来島には何のことやら分からなかったが、神威の中では合点がいったらしく、猛烈な形相で赤い髪を逆立て、火の玉のように厨房を飛び出していった。
「だからもう、夕飯だって……要らないんスかね。まぁ、どうせ夜兎のヒトはうどんぐらいじゃ足りないだろうし、後でテキトウにどうにかしてもらおうっと」
「逢引きか?」
誰も居ないと思っていた阿伏兎は、直接それには答えず「うおおっ」と雄叫びを上げていた。半ば物陰に隠れるように壁に凭れていたのは、派手な着物の上に黒いドテラを羽織った、小柄な男であった。
「逢引きっていうか、その、面会というか、その」
正面切って尋ねられ、柄でもなく顔を赤らめてしまった阿伏兎であったが、相手は興味なさそうに「ふーん」と呟いただけであった。
「そういうアンタは?」
「別に。一服してるだけさ。居住エリアじゃ吸えねぇからな」
「はぁ、そうっすか」
確かに宇宙空間じゃ換気できないから、基本、禁煙だしな。攘夷志士過激派の首領といえどもホタル族か、切ないねぇ……と、妙に納得をしながら通り過ぎようとして、ハッチに手をかけた。
あれ、引くんだったかな、押すんだったかな、と阿伏兎がガチャガチャやっていると、男が面倒くさそうに「鍵」と呟いた。
「鍵?」
「風紀上問題があるから、だとさ。出入り自由にしとくと、女にちょっかいをかけるバカが出かねないからな」
「はぁ」
俺ら海賊やテロリストが風紀云々を気にするのは滑稽なんじゃなかろうか、と思わなくもなかったが、参謀がフェミニストだというハナシだから、それもアリなのだろう。
春雨に引き渡された華蛇は、鬼兵隊が拾った時には既にあの廃人のような状態だった、鬼兵隊は別に虐待などしていない……という説明はウソくさいと今まで考えていたのだが、案外、事実なのかもしれない。
「別にヤマシイことが目的じゃなくて、俺は単に、差し入れを届けたいだけなんだがな」
それは偽りない本心だ。
昔、それなりに好意を抱いていたというのも事実だが、そうでなかったとしても、あのような姿を晒していた女に同情を感じずにはいられなかったろう。そんな面倒見の良さが、我がままで気まぐれで残虐で人でなしの神威に心底呆れつつも、長年腹心として付き従い続けていられた要因のひとつであるのだろう。
小柄な男は隻眼でじっと阿伏兎を眺めていたが、ふと、紫煙を長々と吐き出しながら「そこだ」と、煙管で壁の端を指した。物入れになっているのだろうか、腰ほどの高さの小さな扉がある。促されるままに近づいて開いてみると、そこには操作パネルのようなものが設置されており、その下に鍵束が掛けられていた。
「お、これだな。ご親切にどうも……ああ、そうそう。メシだってよ。月見うどん」
「もう一服したら戻らぁ。ついでだから教えておく。その機械(からくり)は触るなよ。船底の掃除のために外壁を開けるヤツだ。リアルでお月見する羽目になるぜ」
一瞬、ギョッとした阿伏兎であったが、小柄な男がニヤついてるのを見て『なんだ、脅しか』と肩をすくめた。
扉を開けた向こう側は、非居住区ということで照明は控えめであった。倉庫としての使用がメインであるらしく、鉄格子が嵌っている『牢』のエリアはすぐに見つけることができた。ひとつひとつ、中を覗いて歩く。無人のスペースがほとんどであったが、先の阿呆提督への反乱に伴って収監したらしい連中も数名、押し込められていた。
「阿伏兎じゃねぇか。ここから出してくれ、退屈で気が狂いそうだ」
「俺ら、人体実験の材料にされるって噂なんだが、マジかよ」
「なんだそれ、食い物か? 一口くれよ」
各々、勝手なことを喚きながら、毛むくじゃらの腕や甲殻に包まれた前肢、フック状の義手などを、格子の隙間から伸ばしてくる。その訴えを無視しながら最奥までざっと見てみたが、求める人物は見当たらなかった。まさか見落としたのだろうか、それともここには居ないのだろうかと、来た通路を戻る。
結局、一番手前にあった、無人だと思われた牢に華蛇は居た。あまりにやつれて体のボリュームが薄くなっているため、それを人体とは認識できず、単にゴミが放り込まれていると勘違いしたようだ。
痩せてサイズが合わなくなった着物の衿は、大きくはだけていた。かつては豊かな膨らみを見せていた胸乳やふっくらした腹の肉は失われ、その名残りは皮膚の皺となってアバラ骨にへばりついているのみだ。食事は一応与えられているらしいが、すぐに皿や椀を引っくり返してしまうようで、ほとんど床にぶちまけられている。思ったよりも残飯や排泄物による悪臭が発生していないのは、倉庫エリアのため室温が比較的低いからだろう。
「いくら丈夫な戦闘種族でも、食わなかったらさすがに死ぬぜ。そうでなくても、寒いとこに居りゃ、消耗が激しいんだ」
多少、他の囚人に遠慮しながら、抑えた声で阿伏兎はそういうと、鉄格子の前にしゃがみ込んで、手招きした。だが、檻の向こうの女はそのジェスチャーの意味を理解できないのか、ぼんやりと焦点の定まらない目でどこか宙を見たまま「丁じゃ、わしの勝ちじゃ」と、ケラケラ笑っているだけだ。
「飯の食い方は忘れても、賭け事のことは忘れないってかい。大した勝負師だよ、アンタは」
ポケットに片手を突っ込んで鍵束を引っ張り出す。このうちのどれか1本が、この檻のものの筈だ。チャラチャラと鳴る金属音に、華蛇の視線が動いた。
「そこから出たいのか?」
だが、鍵の音に反応したのは、そういう意思の表れではなかったようだ。試行錯誤の後、重い鉄の扉が開いたが、華蛇はむしろその扉の動きに怯えたように後ずさりした。
「出ねぇのか。しゃあねぇな」
のっそりと身を屈めて、阿伏兎の方が鉄格子をくぐる。
これだけやつれ果てていては、硬いものや消化に悪いものは体が受け付けないだろう。この団子で正解だったな、と思う。
「あーん、で食わせてやろうか?」
さじで一玉すくって差し出したが、華蛇は顔を引きつらせてイヤイヤとかぶりを振った。
「いや、変なクスリは入れてないから、心配すんな。一服盛ってイタズラしようってつもりもねぇから。疑ってるのか?」
少し考え込んでから、自分でさじを口に運んで食べてみせた。華蛇の視線が、その口元に吸い付いている。
「ほら、大丈夫だろ? うまいぞ。口開けろ」
もう一玉差し出してやると、今度はおずおずとながら、顎を緩めた。かつての瑞々しいふっくらした姿は見る影もなく、無残にひび割れた唇の間にさじを突っ込み、団子をシロップごと注ぎ込んでやる。か細い喉がかすかに動いたが、うまく飲み込めなかったのか、口元を押さえて咳き込み始めた。
「おいおい、大丈夫か?」
抱き寄せて、背中をさすってやった。やせ衰え、骨がごつごつと飛び出して骸骨のようになっている。
「大丈夫か? 鼻かむか?」
鼻紙とかあったかなと、阿伏兎はポケットを探る。
神威と行動を共にしている時には、トイレに行っても手も洗わず、目に付いたヤツの生皮を剥がしてソレで鼻をかみかねない彼のために、なるべく持ち歩くようにしているのだが、あいにく今はオフだ。
「ちょいと汚いけど、これで勘弁してくれや」
己のマントの端を掴んで、華蛇の鼻を覆ってやる。
「ほれ、ちーんって。遠慮せずちーんってやっちまえ」
かつての美貌と高慢な態度を知っている身としては、促されるままにおとなしくクシュンと鼻を鳴らしているみすぼらしい姿が哀れでならない。
「よしよし、落ち着いたか? まだ食えそうか? なんだ、自分で食うのか?」
取り落としたりしないように容器は支えたまま、さじだけを華蛇に手渡す。華蛇はおぼつかない手つきで団子をひとつ掬うと、阿伏兎の口元にやった。
「いや、俺はいいよ。オマエさんの分だ。さっきのは毒見だから」
それでも頑なに阿伏兎に食べさせようとするので、仕方なく口を開けた。さらにもう一口食べさせようとするので、阿伏兎はさじを取り上げた。
阿伏兎がさじを差し出すと、今度は素直に、雛鳥のごとく口を開ける。つまり、相手に食べさせるルールだとでも思ったのだろう。途中でさじを取ってお返ししようとするのを押し留め、シロップも舐めさせる。
「ほうれ、最後の一口、な。また今度、なんか持って来てやるから」
そう囁いたときに、耳の奥がツン、と鳴ったのを感じた。
急に肌寒くなり、風が吹き込んでくる。いや、空気が吸い出されているのか。とっさに華蛇の長い髪がなびく先に視線をやった。
牢の壁の一部が開いて黒い空間が見える。それだけではなく、積まれていたコンテナや、他の囚人らしい影が、次々と吸い出されていく。囚人とはいえヒトが居るブロックの外壁を開けるなんて、どこのキチガイの仕業だ……というか、そんな非常識なことをやらかしそうな心当たりは一人しかいない。
このままだと真空と宇宙線で粘膜がやられかねないと、華蛇の体をマントに巻き込んで生身の腕で抱きかかえ、牢から転がり出る。鉄格子や鋼鉄製の壁の光が当たる部分は急激に熱せられ、日陰は凍りつき始めており、うっかり肌に触れると、その部分の肉が焦げて、あるは凍りついて、ごっそりと持っていかれた。
さらに、視界が白く霞み始めている。俺の眼球もヤバいな、呼吸もそろそろ限界だ……と危ぶみながら、隣のブロックへ通じるハッチに手を伸ばした。一瞬、開きそうな手応えがあったのに、向こう側で誰かが抑えている。阿伏兎の死に物狂いの腕力を、さらに上回ることができる馬鹿力の持ち主は、この広い宇宙でもそうそう居まい。
ふざけんな、マジで殺す気か、こんのクソガキ、と怒鳴ってみたが、空気が薄くなっているせいか声が出ない。むかついて思い切り扉を殴ると、ぐしゃ、と義手が潰れた。それでも、体格差に任せて体当たりをすれば、あるいは勝ち目があるかもしれない。一か八か……いや、丁か半かというべきか。
二、三歩ほど後ずさり、華蛇の体をしっかりと抱きかかえ直した。
深呼吸のひとつもしたいところだが、肺の中にもう空気は残っていない。そのまま、スクラップになった義手を掲げて駆け出した。
衝撃は感じなかった。
一瞬、頭の中が真っ白になって状況が分からなくなったが、気付けば、適度な温度の空気に満たされた空間に転がって、体を丸めながら激しく咳き込んでいた。眼球も傷ついたのか、刺すように痛む。
「お月様、見れた?」
「んなもん見れるかクソガキ。女は?」
「なんで、そこでまずアレの心配なんだよ、阿伏兎のバカ」
「バカはアンタです。なにがお月様ですか。こっちゃ、マジで死に掛けましたよ……つーか、実際、他の連中は全滅ですよ」
「一緒に死ねばよかったのに」
んだとコラ、と阿伏兎がカッとして顔を上げると、神威がぼそりと「この女」と続けた。
「もう春雨としては用済みなんだし、公開処刑するだけの価値も無いし、別に無理して生かしておく理由は無いじゃん。どうして助けようとするの?」
「それでも、生きてるモンをわざわざ殺す必要はないだろ」
無理やり目を開けようとすると、涙すら目にしみる。生身の拳で目元を拭うと、手の甲の皮がずるりと剥けるのを感じた。お構いなしにごしごしと目蓋を擦り、ようやく視覚を取り戻した。いつものヘラヘラした笑顔を浮かべている神威と、その足元にボロ布のように倒れている華蛇。
あっと思う間もなく、神威は無抵抗な女の腹を蹴り飛ばした。
「だってこの女、阿伏兎と間接キスしたんだもん」
「はぁ? キスぅ? ああ、さじを使い回しにしたことを言ってんですか」
「ずるいよ。死んじゃえば良かったのに」
甘えかかってくる神威を押し退けて、華蛇を抱き起こす。ぐったりと首を垂れてはいたが、痩せた胸が微かに上下して呼吸していることを示していた。マントに包んでいたのが幸いしたのか、外傷は無いようだ。
いや、それでも常識的に考えれば、死んでいてもおかしくない状況だったろう。さすがは夜兎、荼吉尼と並ぶ戦闘種族・辰羅族というべきか。
「分かりました。今度、団長にも『あーん』で飯食わせてやりますから」
「ホント? 絶対だよ?」
「ハイハイ」
仕方なく神威の頭も撫でてやっていると、華蛇の牢とは反対側の方向から、鬼兵隊の連中が「こちらの外壁が開いたようですが」と小走りに駆けてきた。
「スミマセン、うちのバカ団長がやらかしました。向こうの荷物も囚人も……こいつ以外は全滅ですわ」
阿伏兎はそういうと、神威を撫でていた手で、そのまま頭を掴んで下に押し下げた。
「ひどいよ、俺は悪くないよ」
「どういう理屈で、アンタが悪くないって結論になるんすか」
「阿伏兎が、俺を構ってくれないから悪い。兎は構ってくれないと死んじゃうんだよ」
「団長、申し訳ありませんが、通じる言葉でお願いします」
「阿伏兎が、女なんか構うから悪い」
ダメだこのヒト、言葉が通じない。
阿伏兎がガックリ脱力していると、マントがツンツンと引っ張られたのに気付いた。団長いい加減にしてくださいと怒鳴ろうと振り返ってみると、華蛇であった。言葉は出てこないようだが、おろおろと何かを訴えている。
「ん? いや、この傷はアンタのせいじゃないから、心配すんな。そうじゃないのか? 何だ? 何か欲しいのか? 失くした? さっきの団子の皿なら、しゃあねぇから気にすんな。違うのか?」
「サイコロが欲しいんじゃない?」
まさか、と鼻で笑おうとしたが、食べるという本能すら忘れたのに、ツボ振りの真似事は繰り返していた華蛇の姿を思い出して、阿伏兎の顔が引きつった。
「操作パネルを間違って弄ったんですね。この様子だと、どこかの星に着陸するまで、あちらのエリアには立ち入ることもできませんね。まぁ、倉庫とはいっても、そうそう重要なものも置いてませんでしたし、囚人も使えるものは使った残りでして、むしろ始末に困ってたぐらいですから、別に構いませんが……その女はどうします?」
武市の問いに阿伏兎が「預かる」と答える前に、神威が「貰っておく」とケロリと言い放った。
「俺も師団の連中も長旅で退屈してるから、ちょいと遊ばせて貰おうっと。生かしておくつもりなら、それぐらいの利用価値があってもいいだろ? 多少壊れてても、穴さえありゃじゅうぶん楽しめる」
「団長」
「阿伏兎が怒るから、殺したりはしないよ。餌もちゃんとやる。それとも、そんな目に遭わせるぐらいなら、いっそ殺した方がいい?」
あまりのことに口をパクパクさせている阿伏兎を尻目に、神威が華蛇の髪の毛を掴んで、顔を上向かせた。
「俺らと遊んでくれたら、ご褒美にサイコロをあげるよ? どうだい? 欲しいだろう?」
サイコロと聞いて、己の運命を露ほども知らず、華蛇の目が無邪気に輝く。
それを庇うこともできぬ無力さを覚えながら、阿伏兎はふと、あのヒトガタのことを思い出していた。
了
【後書き】当初は七夕の予定で書いていましたが、期日までに仕上がらなかったので、十五夜に合わせて大幅改定。前半と後半はまったく違うハナシとして書き始めたのですが、もったいないのでドッキングしました。
なお、阿伏斗好きの友人が楽しんでくれればいいかなーと思い、エログロ成分少なめの後半部のみ、某SNSにて先行公開しています。 |