【7】ぼくらはみんな生きている。
話は少し、遡る。
近藤は、江戸城から局長室へ戻ってくるなり「明日の朝、アレを片付けるぞ」と告げて、脱いだ上着を無造作に、土方に放って寄越した。
「片付けるぞってなんだよ。殺すのか。つーか、それ、とっつぁんの命令か?」
「いんや。俺らが勝手にやらかしたことになるんだとよ」
「んだよ、それ。あの色ボケ古狸ジジィ、暗にアンタに泥被れってことか? どーしてそーいうのアッサリ呑んでくるんだよ、アンタは。それだから、アンタはいつまで経っても、そーいう損な役回りなんだよ」
受け取った近藤の上着を衣紋掛けにかけながら、まるで古女房のような小言を吐く土方を、近藤は「わーってるーわーってるって。今度は気をつけるからよ、今度は」と、こちらも万年ダメ亭主のような口調で受け流す。
「大体、あのゴリラ女の弟だからって保釈させるだのなんだの、余計なことすっから、結局、万事屋全員出すハメになったんだろ。まぁ、あいつらにあんな高官のコネがあったなんて予想外だったから、しゃーねぇといえば、しゃーねぇんだがよ。とりあえずぶち込むだけぶち込んでおいて、ホンボシを泳がせておくっていう方法もあったろうに……アレか? 替え玉作戦が失敗したから、件の化け物をぶっ殺すことでウヤムヤにしちまおうってことか?」
「お妙さんの弟は、俺の弟も同然だからなぁ」
「そういう論点じゃねぇ。近藤さん、報告書読んだか? 江戸城の行き帰りの駕篭で読めって渡しておいた筈だが」
「面倒だったから読んでねぇ。三行で頼む」
「バカ、ケツ毛、ゴリラ」
「いや、罵倒じゃなくて、要約を頼む」
「あのカエルはご禁制の品。地球は通過点で、よそで売りさばくつもりだった。圧力をかけてきた高官と黒幕は別、以上」
「別? 確か、クサいと言われてたのは、入国管理局の関係者だったよな」
「そっちは、ご禁制の品が通過するのを見逃していた失態が発覚するのを恐れて、何が何でも揉み消したかったらしい。バラストに紛れ込んでいたという船のオーナーも調べたが、こっちはただのシッパー(運送業者)で、バラストなんぞにそんなものを仕込まれていたというのも知らなかったらしい。知ってたら、そんなヤバいもんが入った水を、安易に上空で捨てようとはしないわな」
「で? ホンボシは」
「分からずじまいさ。それにしても、とっつぁんの意図が分からねぇな。なんでアレを殺せなんて言い出したんだか……まさか入国管理局に義理立てしてるとは思えねぇし」
土方が首を傾げ、近藤もそう言われて引っかかったらしく「そうだなぁ。上層部に睨まれる、って言ってたけど……入国管理局ぐれぇが相手だったら、とっつぁんの方が立場が上だしなぁ。大体、それで万事屋三人を出しちまったのを許してもらったような流れだったからなぁ」と、考え込む。
「とっつぁんが、俺らにそんな難しい謎かけしますかねイ? 要するに、俺らが暴走してアレを殺せばいいんでしょ。それもご禁制の品だ、貴重な動物だっていうのを全く知らず、化け物扱いしてるっていう『設定』でさァ」
それまで黙っていた沖田が、あっけらかんとそう言い切った。
設定、という単語に何を感じたか、土方と近藤がきょとんと沖田の顔をのぞき込む。いつも何を考えているか分からない野郎だが、時折、天才的な勘が冴え渡る。それは努力型の人間では到底、辿り着けない神域だ。
「総悟、続けろ」
「ン。とっつぁんにだって使える手駒はいくらでもあるのに、わざわざ俺らに頼んだってことはつまり、派手にやれってことでやんしょ。ちょうどマスコミもまだ取り囲んで注目してる訳だし」
「確かに。うまくやりゃ、報道を見て俺らを止めようと、ホンボシか、それに繋がるヤツが燻し出されてくるかもしれねぇな。よし、マスコミ対策してる連中に、明日の未明にでも襲撃をかけるって、リークさせておくか」
土方がそう呟くと、内線電話を取り上げた。
そういう訳で、沖田率いる一番隊を中心に精鋭部隊で化け物がうずくまっている一角を囲み、交代で仮眠を取りながら、空が白みかけてくるのを待っていたのだが。
不意に、地響きのようなものを感じたかと思うと、周囲に黒い壁が立ち上がったのだ。それは、化け物がいる区画を含んだいびつな円形で、マスコミがスタンバイしている土手の向こうからは隔離されていた。
「おいおい、なんだコレは。せっかくの殺戮ショーの生中継ができねーだろ」
「そういう論点じゃないでしょう、土方さん。俺らも閉じ込められてんですぜイ、コレ」
「そうだなぁ、近藤さんを念のために置いて来て正解だったな」
「それだったら、俺も近藤さんと一緒に残って、土方さんだけ来させて見殺しにすれば良かった」
なんとも物騒な会話だが、それも隊士達を動揺させないための芝居のようなものだ。上司が浮き足立つと、部下の士気にも関わる。
「化け物が相手なんだから、何が起こっても不思議じゃねぇだろ……って、あれ、万事屋か?」
わずかな星明かりも無くなって、発電機に頼ったサーチライトが唯一の光源になっている状況だが、万事やの白髪頭に白い着物はよく目立っていた。
万事屋が絡んでいるのなら、尚更、何が起こっても不思議ではないな、と土方は納得する。
「総悟、隊士共には予定通り、殺るって下知しとけ」
そう言い残して、土方は万事屋一行に歩み寄り、声をかけたという次第。
「何って、その。ぶっちゃけて言うと、君らの包囲を強硬突破して、動物虐待を力づくで阻止する過激な動物愛護団体的な活動っていうか?」
「ほーう? 公務執行妨害だな?」
なんでこんな面倒なヤツらが方円陣の内側にいるんだよと罵りたいところだが、肝心の化け物を陣の外に出してしまうと意味が無いため、それを取り囲んでいる連中ごと包む結果になってしまったのは不可抗力というものだろう。土方が刀を抜いたため、銀時も木刀を構えるしかなかった。たちまちつば迫り合いになる。
「銀ちゃん、銀ちゃんの犠牲は忘れないアル!」
「勝手に殺すな! とりあえず、先に行っとけ!」
力任せに押し返しながら、銀時が喚く。
打ち合う白刃から火花が散ったため、一度身を引くが、互いに中段に構えたままで、とてもじゃないが「ほな、サイナラ」と逃げられそうにはない。お互い、コイツとはいつか決着をつけてやると内心思っている仲だけに、闘争心に火がついてしまっている、という理由もある。土方が紅い舌をちらりとひらめかせ、爬虫類の仕草で己の唇を舐めた。
「じゃあ、五芒星で封じ込め作戦ね。あの化け物に近づいたらプレイボールよ」
薄笑いすら浮かべているクリステルの言葉に怯えた小狐が、身を躍らせて逃げ出した。
だが、何をトチ狂ったのか、件の化け物がいる……つまり、真選組が包囲している一角に向かって、まっしぐらに駆け出す。
「ちょっ、待ちなさい!」
その正面には、沖田がお約束のバズーカー砲を構えている。
「はーい、そこの一般市民、土方さんの暗殺……もとい、お巡りさんのお仕事の邪魔だから、どきなさーイ。撃ちますよー? ついでに、その後ろのでっかいのもブチ殺しますよー?」
「させないアル!」
神楽がその正面に飛び込み、砲身に回し蹴りを食らわせた。ついでに沖田の顔面にも蹴りを入れようとするが、これは足首を掴まれて阻止された。勢い余って地面に叩き付けられるが、そのまま掴まれた足を車輪のごとく振り回して相手の体勢を崩し、よろけたところを見計らって、拳を振るう。
「新八ィ! ここはお前が引き止めるから、お前に任せてワタシを先に行かせるアル!」
「ちょ、それ、逆! てゆーか無理ィ! 僕が沖田さんと素手でやりあって引き止めるとか、絶対無理だから!」
それでも小狐の疾走は止まらない。それに釣られるように弁慶も全力で這いずり、いつのまにか新八とクリステル、外道丸は弁慶の後ろを追いかける形になる。
「あれ、副長? 沖田隊長? うわっ、ばっ、化けモノぉ!」
訝しげに顔を出した山崎が、弁慶の姿に怯えてミントンラケットを振りかざしたが、それを振り下ろす直前に、何か白い塊が山崎の顔面に直撃した。白い塊は「こーん」と鳴いて、山崎の頭を踏みつけて駆け去っていく。その勢いに押され、よろけて尻餅をついたところで『化け物』の巨体がのしかかってきた。押し潰され、ぬるぬるした感触と生臭い匂いに圧倒されて、山崎の意識が遠くなる。
「ザ、ザキさん!」
「ザキさん……こ、この化け物め! ザキさんの仇ィ!」
騒ぎに気づいた隊士が次々と飛び出して来て、弁慶を追いかけようとしたが、追いついた外道丸が巨大な金棒を一閃させると、百戦錬磨である筈の隊士らが、紙人形のように吹き飛んでしまった。それでも起き上がって反撃しようという骨のある奴も居たが、人外のスピードとパワーに敵う由もなく、あっさりとぶちのめされる。
「うわー……外道丸さん……凄いですね」
「これぐらい、朝飯前でやんす」
シレッとそう言って、金棒を担ぎ直す外道丸は、呼吸一つ乱していない。
「さて、邪魔者は片付けやしたが……あとは、どうしなさるんで?」
「さぁ。銀さんも考えてないって言ってたし」
新八が途方に暮れて見やった先では、弁慶がサーチライトの機材を一つ二つと KEEP OUT と書かれた黄色いテープをなぎ倒していた。その中央の土の塊が、むくりと動く。神楽がいうところの『ブラザーズ』であった。いくつもの巨大な目玉がぐるりと動き、正常な姿に成長した弁慶を見据える。
オーン……という、恨めしげな声が響いた。弁慶はまだ鳴き声が出せないのか、まん丸い目をくるんと動かすだけだ。全長も、ブラザーズの方が数匹分を併せているだけに圧倒的に大きかった。弁慶がどういうつもりで兄弟の元に来ようとしたのか、真意は分からないが、新八はとっさに「弁慶、無理しちゃダメだよ、食べられちゃうよ!」と叫んでいた。
「そう、彼らは食い合いをしようとしてるでやんす」
外道丸がボソリと呟く。
「恨み憎しみに囚われ諸蠱と化した彼らを解放してやるには、より大きな力を持つ蠱に食わせるしかありやせん。その強大な力は、食らった側に引き継がれ、決して無駄にはなりやせんから」
「そうなの? それじゃ、あいつらがあんまりにも可哀想じゃないか」
「あの姿のまま徒らに生き続けても、ただ苦しむだけでやんしょう。早く楽にしてやる方が、親切というもの」
確かにその通りかもしれないが、神楽が聞いていたら納得しなかったろう。幸い、神楽はまだ沖田とのバトルに熱中している様子だ。
「あとはもう、あっしらは見守るしかありやせん」
「そんな」
小狐は、弁慶とブラザーズを囲むように、ぐるぐると狂ったように駆け続けていた。巻き込まれても危ないとは思うのだが、すばしっこくてどうにも捕まりそうにない。
のそり、とブラザーズが弁慶に歩み寄った。胴体に何カ所も『口』があって、くぱぁっ、くぱぁっと動いている。カエルという本性のせいか牙こそないものの、その口腔に舌のようなものがぬらぬらとうごめいているのは見えた。あわや弁慶に覆いかぶさろうという瞬間、弁慶が後ろ足で跳ね、逆にブラザーズの頭の上に飛び乗った。だが、ブラザーズの体にはしっかりした骨格が無いのか、弁慶の体重を支えられずにぐにゃりと凹んだ。さらに、その腹の下から触手のような腕が何本も這い出したかと思うと風呂敷で包むように、弁慶の体に絡み付く。
「弁慶! ちょ、あれじゃ負けちゃう……なんとかできないんですか、外道丸さん、結野アナ!」
「そうね。じゃあ、あの小狐を捕まえてくださる? もう一度、験力を込めるから、キャッチボールでも」
「いや、それもちょっと」
完全に弁慶の体が包み込まれてしまった。数拍ほど、動きが止まる。
だが、再び「おーん」という地鳴りのような鳴き声を上がったかと思うと風呂敷の一部がはち切れた。その穴から、弁慶が顔を出している。ブラザーズの触手を銜え込んでおり、ずるずると麺のように啜り込んでいる。
「ヴォルフガン坊=弁慶=アマデウス! ブラザーとケンカしちゃダメアルよ! オマエもブラザーを助けてやるって言ってたアル!」
それに気づいた神楽が、悲鳴に似た声を上げた。
「おーい、チャイナ。余所見してる余裕はねぇゼ」
だが、ここで畳み掛けずに一瞬でも攻撃の手を緩めたのは、いくらバカ強いとはいえ(そして、これまでさんざっぱら全力で戦っているとはいえ)、相手は一応女の子だという、沖田なりの配慮だろう。
「分かってるアル、今は、お前の相手をしてる場合じゃないネ。一気にカタをつけるアル!」
神楽がそう叫んで、沖田に躍りかかろうと……する直前に、背後から誰かに掴まれた。見れば、顔面にいくつも赤い筋を作った銀時であった。一方、沖田もほぼ同時に、土方に羽交い締めにされていた。
「銀ちゃん、大丈夫カ、それ、ニコチン野郎にやられたカ。そんな傷モノにされて銀ちゃん、妊娠しないカ、大丈夫アルカ?」
「こんなんで妊娠なんざするか。オーグシ君の子供なんざデキたら、慰謝料と養育費タカって一生遊んで暮らすわ。あれ? じゃあ、孕んだ方が得なんかな」
「孕むかボケ、野郎が孕んだらビックリだわ。学会に発表して、見せ物小屋にでも売り飛ばして、一儲けするわ。あれ?」
「ねぇ、やっぱりその方が得じゃね、オーグシ君?」
「嫌じゃ、ボケ」
一方の、土方も目や頬に大きな青あざを作っている。いや、単に顔だから目立っているだけで、多分ふたりとも服を脱げば、全身が打撲傷だらけになっていることだろう。
「旦那ァ、どうしてトドメさしておかなかったんですかイ。もうちっと狙えば、ドタマかち割ってやれたでしょうが」
「うっせーよ、そのつもりだったんだよ、オーグシ君がちょこまか逃げるから。で、新八。高畑君とブラザーズって、一体どうなってんだ。説明しろ。三十一文字以内で」
「無理です」
「逃げ回ってたのはてめーだろ。士道不覚悟ったらねぇ。ところで、ここの包囲網を守っていた隊士もことごとくくたばってるようだが、なんだって、こんな非常事態をおっ放り出してチャイナとイチャついてたんだ。説明しろ、総悟。三十一文字以内で」
「死ね、土方」
「お前が死ね」
土方が沖田を締め上げている腕に力を込めた。さすがの沖田も肩関節を固められて「いだだだ」と喚く。存分に痛めつけたところで手を緩め、よろけた沖田の尻を蹴り飛ばした。
「ともかく、明け方にはアイツを一気に襲撃……と思ってたんだが、隊士がこの有様じゃ、作戦変更しなくちゃなんねぇだろうな。まぁ、このワケの分からんドームに驚いて、マスコミの連中、外で派手に報道しているようだから、こっちの目的は半分、達成したも同然だがな」
そう言って、背後を親指で差し示す。確かに、半透明のドームの向こうから、何度も派手なフラッシュ光が浴びせられているのがかすかに透けて見えた。
「結野アナ、向こうからも、こっちは透けて見えてるの?」
銀時が思い出したように尋ね、クリステルは首を振る。土方は「その女、確かアナウンサーの?」と、怪訝な表情を浮かべた。
「あの壁は、ねーちゃんが作ったのか。オイ、どういうことか説明しろ、万事屋。ことと次第によっちゃ、今度は峰打ちじゃすまねぇぜ」
「すまねぇって、どういうことだよ。こっちこそ、今度はまともに足の小指にジャストミートさせっぞ。足の小指を打ったら、すんげーいてぇんだからな。涙チョチョ切れるんだからな」
またもや睨み合いになったところで、新八が「そんなことでモメてる場合じゃないですよ、弁慶が」と銀時の腕を叩いて促す。
「弁慶? ああ、高畑君ね」
そう呟いて、振り向いた先では弁慶の体に、ブラザーズがタコのように巻き付いた格好になっていた。先ほどまで口の端にブラザーズの一部を銜え込んでいたのだが、締め上げられて苦しくなったのか、吐き出している。体格差からいっても明らかに劣勢になっている様子だ。みるみる、弁慶の体がブラザーズに包まれてしまう。
「あれ、大丈夫? 弁慶が食われたら、余計に厄介なことになるんじゃね? 助太刀した方がいい?」
銀時が木刀を抜いたが、外道丸が片手を出してそれを遮った。
「まだ、決まっていないでやんす」
ブラザーズの胴体が、内側から突き上げられた。
ぼこ、ぼこ、とあちこちが不自然に盛り上がっては凹む。やがて、一カ所に穴が開いて、ずるずるとそこから、ゴムの玉を裏返すかのように、全体がその穴に引き込まれていった。一体何が起こっているのか分からぬまま見守っていると、内側からブラザーズを吸い込んだ弁慶が、いびつに膨らんだ腹を必死で両腕で抱えるように立っている姿が現れた。自分よりも遥かに大きなブラザーズを取り込んだために、腹の皮はいまにもはち切れそうだ。胎内でブラザーズが激しくのたうっているのが、薄く伸びきった皮から透けて見える。
勝負あったというよりも、その異様な光景に圧倒されて、一同は数拍の間、声が出なかった。いや、腹の中のブラザーズの動きを見るに、このまま再び攻守逆転するのではないか、とすら思えた。
「おい、そこのチビ、巻き込まれる、こっち来い」
不意に銀時が叫んだのは、弁慶の足元に例の小狐がいるのに気づいたからだ。
小狐は走り疲れたのか舌をダランと垂らしていたが、呼びかけられて驚いたのかぴょんと跳ね上がり、銀時の目掛けて駆けて来た。弁慶が邪魔で、一目散に、というわけにはいかない。ぐにゃりと曲がった線を描いて、最後に銀時の足元に辿り着いた頃にはヘロヘロになっていた。ぺたりと尻餅をつき、額に掛かれた星を歪めた情けない顔で、クスンクスンと鼻を鳴らす。
「ああ、よしよし、怖かったな。もう大丈夫だ」
銀時が苦笑いしながらも、泥だらけになったボロ雑巾を抱き上げた。何卒よろしくと葛葉に頭を下げてお願いされているのだから、無事に帰してやる義務がある。
「……って、お前一体、何しにここに来たんだよ」
確か、少しは助けになるやもしれんとかゆーて預かった筈なんだけどなぁ……などと銀時がボヤいていると、弁慶の居る方向から、強い光が湧き上がった。光は地面から噴出して、弁慶を中心とした円を描いている。弁慶は眩しそうに前足で己の顔をくるりと撫でた。
「走りながら、方円陣を描いてたんでやんすね。最後の一筆で巴紋が仕上がったという訳でやんす。巴紋も陰陽道に基づく図形で、黒が陰、白が陽。それが循環して太極五行、連環の理を表していやす」
外道丸がボソボソと呟き、またもや新八が「センセー、神楽ちゃんがまた、授業についていけなくて、寝ちゃってます」と、混ぜっ返す。
「まぁ、生意気な。そんなことをしなくても、あたしがキャッチボールで五牟星を描いてあげたのに」
クリステルがちろりと視線をやると、小狐はぷるぷると震えながら首を振った。
「お言葉ですが、我が主様。ここは敢えて巴紋で良かったのかもしれやせん。巴とは循環。己の尾を咬む蛇、ウロボロスをも意味していやす」
「なーるほど。つまり、蛇に睨まれたカエルってことか」
懐の小狐を撫でながら、銀時が呟く。
その視線の先で、弁慶の姿が縮んでいった。萎むとか、干上がる、という感じではなく、単純に縮尺が小さくなっているかのようだ。それと比例して、クリステルが張った方円陣が上部から徐々に薄れ、消え始めていた。
ぽっかりと上空に空いた穴から旋回している報道ヘリが見え、耳をつんざく音が聞こえ始める。知らぬ間に夜も明けていたのか、巴陣よりも眩しい朝陽が差し込む。
「ヴォルフガン坊=弁慶=アマデウス!」
一同、呆然と立ち尽くしていたが、その影が握り拳ほどの大きさになった頃に、神楽が我に返ったように駆け寄る。
「神楽ちゃん、危ないよ」
そう言いながら、新八も飛び出す。
近づいてみれば、弁慶はやや大きめの蝦蟇ほどの大きさになっていた。まだ幼体の特徴を残している尾がぼろぼろで千切れかかっているのは、先ほどの戦いの名残りだろう。不意に、弁慶がウェッと妙な声で鳴いたかと思うと、口を大きく開けた。どろどろした、泡や泥混じりの粘液のようなものを吐き出す。だが、その中にはぴちぴちと跳ねるオタマジャクシが含まれていた。
「ヴォルフガン坊=弁慶=アマデウス、やっぱ良い子だったアル。ブラザーのこと、食べちゃわなかったアル」
歓喜して掬い上げようとする神楽を、新八が「神楽ちゃんがやると、また潰しちゃうよ」と制した。
「なんか、水を入れる容器ありませんか? 弁慶の兄弟達が」
「はぁ? ヨーキ?」
銀時は一瞬、新八の言葉が理解できなかったのか、クリステルや外道丸をキョトンと見やった。一方、土方は事情を飲み込めたらしく「んなもん、あったかな」とボヤきながら、パトカーに戻ろうとした。
「土方さんが死んで、頭蓋骨でも提供したら、いいサイズのボウルができますぜイ」
「なんで俺」
「副長の座は俺が引き継ぎますから、心置きなく逝ってくだせぇ」
「そんな理由で死ねるか。お。いいところに居た。オイ、山崎」
外道丸に討たれて地面に転がっていた隊士のひとりを見咎めて、土方が革靴で蹴り飛ばした。
ううーんと低く唸って目を覚ましたところで「おめーの頭蓋骨よこせ」と、ぶっきら棒に言い放つ。
「ズガイコツ……? 何? 頭の骨のこと? 俺の? ちょ、俺に死ねっていうんですか!」
「水を入れる容器が要るんだとよ。頭蓋骨が無理なら、バケツかなんかでいい。クルマに積んでなかったか?」
「え? バケツっすか? あ、首級の運搬用の桶ならありますけど。いや、ちゃんと洗ってますから、匂いとかはしない筈です」
まだ意識が朦朧としているのか、微妙に物騒なことを口走りながらも、山崎は蹴られた頭を撫でつつ、パトカーのトランクを開けた。首級とは「くびじるし」といい、罪人の身元を照会するための生首のことなのだ。
木製の柄付き手水桶を取り出し「これでいいッすか?」と尋ねる。
「すみません、お借りします」
受け取った新八は川の水を汲むと、その中に弁慶とオタマジャクシ達を放った。オタマジャクシらは、最初ぷくんと力なく腹を見せて浮かび上がったが、やがて水の冷たさに正気に戻ったようで、ぶるぶると尾を振って泳ぎ始めた。
「一件落着だな。このサイズならウチで飼ってもいいし、海老名のオッサンところに預けても文句言われないだろ」
桶を覗き込んで、銀時もホッと息を吐く。
その背中に「実にご苦労であった。その蟲の価値についてうぬらは知らぬようだが、実は宇宙的にも貴重な動物でな。我らが良きに取り計らう故、その桶をこちらに寄越したまえ」と、居丈高な声がかけられた。声そのものも、イコライザーを通したかのように、どこか不自然に甲高い。
「そーいう寝言は、お空の上で言うべきだったな」
土方が、振り向きざま背後の男の青い肌の腕を掴み、その手首に手錠をかけた。
上空は天人らの治外法権だが、一度、江戸の土に足をつけたなら、そこは真選組の管轄だ。
「ニュースで殺されると聞いて、慌てて回収に駆けつけたんだろう。いや、お前さんはお偉いさんに命じられただけの、事情もよく知らねぇ下っ端だろうさ。さすがに黒幕直々にお出ましになるなんて、おめでてぇこたぁ、俺らも思っちゃいねぇ。なぁに、難しいことじゃない。ちぃとばかりウチまでお付き合い頂いて、上司のお名前を聞かせて貰うだけでいいんだ」
「ぶっ、無礼者っ!」
喚きながら振り払おうとした天人の背中に、ぴとり、と何かが突きつけられた。沖田が刀を抜いて、白刃を押し当てているのだ。
「なぁ、土方さん。こいつをふんじばったら、近藤さん、褒めてくれやすかイ?」
「ああ、チューパットを分けてくれるだろうよ。それも、長い方」
「土方コノヤローの手伝いは癪だけど、近藤さんのためなら仕方ねぇな」
そういうや、刀を振り上げたかと思うと、チャッと音を立てて刃の向きを変え、次の瞬間、天人の首筋に猛烈な峰討ちの一撃を食らわせたのであった。
「怪物と思われていた巨大動物は、宇宙船に紛れ込んでいたものが逃げ出したそうです。今朝未明、武装警察によって無事捕獲、保護されました。絶滅寸前の貴重な動物であることも判明し、故郷の星に還されることになりました。なお、動物を縮小化させた術ですが、幕府天文方幹部の見解によれば、故郷の星に到着するまでは、効果があるだろう、とのことです。彼らが故郷の星で、のびのびと元気に暮らしてくれるといいですね。以上、現場から結野がお伝えしました」
にっこりと笑みを浮かべて、カメラマンの後ろで現場ディレクターが「はい、オッケー」と合図をする。あのカエルの正体や、それをこっそり持ち出して高額で売りさばこうとしたことや、その黒幕に繋がる天人系高官が逮捕されたことは一切、報道規制されることになったようだ。
「しゃあねぇだろ。あいつらも故郷にいる方が、幸せなんだ」
しゃがみ込んでべそをかいている神楽の頭を、銀時が撫でる。
「分かってるけど、寂しいアル。いっぱい頑張って、いっぱい世話したのに」
「おにーたまが、しばらくしたら元のサイズに戻っちまうって言ってたろ? そうならないフツーのオタマジャクシならともかく、あのでっかいのは無理だから。無理だって神楽だって分かったろ? 海老名のオッサンに迷惑ばかりもかけてらんねーし」
「フツーのオタマジャクシなら、飼ってもいいアルか?」
目に涙を溜めながら、神楽が顔を上げる。
銀時は『しまった、失言した』と、顔をしかめたが、今更、前言撤回もできない。
「あー…うん、まぁ、ちゃんと自分で最後まで責任もって、面倒看ろよ」
「分かったアル。じゃ、銀ちゃん、オタマジャクシ採りに行こ?」
「バァカ、俺を巻き込むな。そんなのは子供同士で行け。つーか、おめぇには定春がいるだろ。定春の世話、責任もってしてるか?」
「あ、定春のご飯! 忘れてた! 昨日から食べてないヨ! 定春、お腹空かせてるヨ!」
神楽が立ち上がって、駆け出した。
銀時が「やれやれ」と呟いて、腰を上げた。隣にいた外道丸に、懐の小狐を手渡す。
「これ、おにーたまに……あと、結野アナに、今度こそ写メ、ツーショット撮らせてくださいって、言っておいて」
「畏まりやした」
「頼むわ。おーい、新八」
土方や沖田は、例の天人をパトカーに押し込んで、なにやら忙しそうだ。
他の隊士も、現場の立ち入り規制だの、報道陣の相手だのでバタバタしているが、ふと、山崎がチラリとこっちに視線をやったので「んじゃ、俺ら、けぇるわ」と手を振ってやった。
了
【後書き】某SNSでのキリ番リクエスト小説。お題は「万事屋で」。SNS内公開ということで、全年齢対象ほのぼのネタで……短編のつもりがやたら長くなりました。
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