ぱんどーらのねじ/下
ようやく辿り着いた最終ステージ・ダンジョンの奥で待ち構えているのは、あのヘンテコな黒タイツ軍団の親玉……王冠を被った出ッ腹のオッサンの筈だった。だが、代わりに現れたのは、どっかで見たことがあるような二枚目であった。いや、その姿も獏の擬態なのだろう。
銀時にとって一番神経を逆撫でる、ムカつく姿……黒づくめの衣装、白い肌に通った鼻筋、やや瞳孔が開き気味の切れ長の瞳、色彩のアクセントは血のように赤い唇で、そこに煙草が挟まれていないのがむしろ、不思議なぐらいであった。
「ここまでよく来たな。わざわざ来ずとも、ちゃんと殺してやるのに」
ククッと喉の奥で笑う仕草はしかし、どこぞの副長というよりは、生き方を違え道を分かつた幼馴染みを彷佛とさせた。
「死ぬのはテメェだ。いい加減に、このふざけた冒険ごっこから解放させて貰うぜ!」
銀時は源外特製つまようじを握り直した。イケ好かないヤツだった白血球王も剣を構える姿が頼もしい。背後で、新八と神楽が芙蓉を庇うように立ちはだかるのを気配で確認した後、銀時と白血球王は弾けるように獏に斬りかかった。
「情報のソースで、メタボになって死にやがれ、マヨ野郎!」
「徹底的に殺菌消毒して、分子レベルで分解してくれるわ!」
だが、獏は巨大なマヨボトルを担ぎ上げると、その入り口をふたりに向けた。赤いキャップが外れるが、その星形の絞り口からマヨネーズが吹き出す代わりに、逆に凄まじい勢いで周囲のあらゆるものを吸い込み始めた。その勢いは、燭台や壁を飾るレリーフ、大理石の円柱をも砕きながら飲み込んでいくほどだ。銀時の手からつまようじが弾き飛ばされ、それもマヨボトルに消えていった。
「じーさんのつまようじが!」
だが、その過剰情報を巨大マヨボトルに吸い取ってもなお、獏は平然としていた。
「これでおしまいか? この程度で俺をパンクさせるつもりだったのか?」
「ちぃっ! やっぱりあのジジー役に立ってねぇっ!」
「引っ込んでろ、雑菌。俺が浄化してやる!」
どさくさまぎれに銀時を雑菌呼ばわりしながら、白血球王が突っ込んで行く。その剣を、獏は平然とマヨボトルで受け止めてみせた。
「なかなか良い情報を貯えている。その姿が、ここの主の好むイメージなのか?」
身を翻し、第二波の攻撃を仕掛けようと高く飛んだ白血球王に、再びマヨボトルの口が向けられた。宙空ではその攻撃を回避することができない。凄まじい吸引力に、さしもの白血球王の身体がよろめき、そして吸い込まれた。
「はっけっきゅうおう!」
「白血球王さんっ!」
芙蓉らの悲鳴が聞こえる。だが、銀時は身体が動かず、声も出なかった。味方を失ったというよりも、イケ好かない野郎が消えてセイセイした、という感情が込み上げて来て、そのこと自体に戸惑っていた。今は、そんなことを言っている場合じゃないだろうと己を叱咤してみるが『むしろ獏、グッジョブ』と賞賛する黒い感情が拭えない。
いや、違う。
銀時は自分の胸元に黒い染みが浮いているのに気付いた。
そうだ、あの夜。
芙蓉に擬態したウィルスに遭遇して、鳩尾を打たれて昏倒し……俺はどうなっていたんだっけ?
何ごとも無かったかのように目を覚ますと、隣に皆がいて。あの時から既に、俺はこのウィルスに蝕まれていたのか。
胸元から広がって行く虚無感は、銀時の記憶をぼろぼろと風化させていく。
「銀さんっ! しっかりしてください!」
喚いている子供は……名前、なんていったッけ、新一?
「誰が新一じゃぁ、ボケェええええ!」
「オイコラ、天パ! アタシは覚えてるカ!? 歌舞伎町の女王を忘れたとは言わせないアル!」
その背後に立っている女性の姿も、揺らぎながら形を失いつつあった。
「たまさんっ! ちょ、たまさんのドット数が少なくなっていってるっ!」
「消えちゃうヨ! たまが、ただの四角になっちゃうヨ! デッパリ刺さらないお子様にもやさしいユニバーサルデザインだけど、これじゃたまじゃなくて箱アルヨ!」
どうして、この子らは喚いているんだろう?
キョトンとしていると、子供らがじれたようにつまようじを振りかざして、獏に突っ込んで行き……あっさりとマヨボトルに吸い込まれていった。
「セキュリティの要・白血球王がなくば、さしもの超高度な機械人形・芙蓉零號も他愛なかったな。もう少し、歯ごたえがあるかと思ったが」
ククッと笑いながら、獏は立ち尽くしている銀時の横を悠然とすり抜け『ただの四角』になってしまった芙蓉を抱え上げた。それは既に、獏の両手に乗る程度のサイズまで縮んでしまっている。
「ついにこの『種』を手に入れることができたか」
感慨深そうにそう呟いて懐にその箱をねじ込むと、その呆気ない幕切れを、幼児のようにあどけない表情で眺めている銀時に向き直った。形のいい唇の端を上げて笑うと、ひたひたと銀時の頬を叩く。
「ああ、心配するな。オマエまでは吸い取らない。俺は、この身体から抜け出なければいけないからな。再び電脳情報の海へ還る。『種』を手にした、正真正銘のナンバーワンウィルスとして、な。そのためにお前が必要だ」
「俺が?」
「そうだ。次の宿主を見つけるまでの『橋』として重宝してやる」
獏の白く長い指が、頬から顎へ、そして首筋へと滑り落ちて行く。その指の冷ややかな感触に、いつかの夜、白血球王に刻まれた傷跡が疼くのを感じた。いや、傷つけられた皮膚だけではなく、身体の芯まで火照リ始めていた。そのくせ、背筋がやたらとぞくぞくする。
「だが……貴様には、それ以外の愉しみ方もありそうだ」
その言葉の意味を理解するだけの思考力すら、銀時には残っていなかった。誘い込まれるように目を閉じ、獏に促されるまま身体を横たえていった。
己の名前すら思い出せない朦朧とした意識の下で、なぜかあの夜の悪夢のような記憶だけが何度も鮮明に蘇り、繰り返していた。自分と同じ姿形をした男がどのように自分をねじ伏せ、身体を押し開き、辱めていったのか。その肌を滑る指の感触、耳元に呼気と共に吹きかけられた言の葉、擦り合わされる粘膜がたてる水音すらも。
腹ばいに逃げようとして、肘が掻き分けた腐葉土の冷たさやその湿った匂い、頬に当たる小枝や落ち葉、耐え切れずに漏れた嬌声のために、微かに開いた唇から入り込んだ砂利と、それを吐き出そうと口の中をのた打ち回った舌、そして微かな羽音を立てながら、藪蚊が耳元を掠め飛んだっけ。どれも不快で忌まわしい記憶の断片だというのに、他の思い出が風化しても尚、脳裏にへばりついて離れず、脳内にのさばる。
いつの間にか、自分がそのための人形になってしまったかのように、その行為のことしか考えられず、機械的に腰を揺らし、単調な声とお約束めいた淫語を繰り返し再生し続けていた。
魂の無い、人形のように。
いや『人形』であるだけ、自分はまだマシかもしれない。芙蓉は小さな箱になってしまった。
もがく銀時の手が偶然、獏の胸元に触れた。
獏は着物の下帯を緩めただけの姿であったから、その懐にはまだ、芙蓉の箱が収められている。その固い感触と、中に入っている何かが転げた金属音に、銀時の意識が一瞬、水面へと浮かび上がった。
ころん。あれは多分、ネジの音。
ああこっちの型も捨てがたいどっちが似合いますかお客さんひょっとして婚約ネジをおさがしですかなそのネジはねかの豊臣秀吉が寒い冬信長の足を気づかい草履を温めた電子レンジそれをつくった機械をつくった機械についてたネジなんだよねじ買って頂きありがとうございましたポンコツでもお側に置いてくださいますかブッ壊れてネジ一本になっても置いといてやんよそんぐれぇになったらいっそ持ち歩けるサイズだしな財布にでも入れておいてやらぁ
ころん。
その音に刺激されて、芥子粒のように小さな種が芽生え、次の瞬間、爆発的に枝葉を伸ばした。揺らぐ小枝のさざめきが、全身に脈を打って伝わり根幹をもうねらせ始める。
銀時の指先に力がこもった。その箱を掴み、獏の胸元からもぎ取る。そう、ネジ一本になっても、側に置いてやると約束したのだから。
「何だと? こやつの情報は吸い尽くした筈、何故動ける? 何故笑う?!」
「笑う?」
右手に芙蓉の小箱を抱え込んでいるので、銀時は左手で己の顔に触れる。頬の筋肉が盛り上がっているのが感じられた。そうか、これは笑い顔か。自分は笑っているのか。
「笑うとしたら、そうだな。情けねぇテメェ自身を笑っているんだろうよ」
記憶の樹の周囲に、それまで認識していなかった色彩が広がっていくのが感じられた。その色はやがて洞窟の天井を突き破り、岩をも溶かしながら、薄暗い鉛色の空を蒼く染めていく。差し込む太陽の光を受けて、獏の姿が褪せ始めた。
「どうした? この色も光も、全部吸い尽くしてみろや」
獏の姿が、風船のように膨らんでいく。下手に二枚目に擬態していただけに、その変貌は滑稽なほど醜かった。銀時が足を振り上げ、獏の腹を蹴りつける。踵が腹の皮を踏み破り、その胎内に溜め込まれていた情報が、一気に逆流した。光が交差し全ての色が塗り重ねられて、世界が真っ白に輝いた。
意識を光に奪われていたのは、ほんの数秒の出来事だったらしい。
のた打ち回る黒い塊に、一条の光が当てられていた。
その光源を視線で辿って、銀時は目を見開く。そこには、芙蓉が元の姿でパーの鏡をかざしていた。
「おめぇ、ネジになっちまったんじゃ」
「一緒に旅をしていたのは、私の複製です。最初にそう申し上げた筈ですが」
「そういえば、そうだったっけか」
獏と名乗っていた黒い塊は光に焦がされ、やがて燃え尽きて白い灰になり、サラサラと崩れ始めた。完全に形がなくなるのを見届けてから、芙蓉は周囲に光を当てて回る。崩れた洞窟の壁や瓦礫に見えていたものは、次々と新八や神楽、白血球王の姿を取り戻した。
「しばらくしたら、目を覚ます筈です」
芙蓉はこの世界の女王然とした態度で、そこに居た。
「たま」
銀時は、自分が何を言いたくて呼び掛けたのか分からなかった。
芙蓉がゆっくりと視線を巡らせ、銀時を見つめる。
「ネジ。ありがとうございました」
「えっ?」
「ネジは、機械達の心の象徴なんです」
いつぞや同じ台詞を聞いた覚えがある。あの、道端で300円で買ってやったネジのことか。それにしてはずいぶん昔の話を蒸し返すと、銀時は首を傾げた。
「護ってくれると、信じていました」
それを聞いて、自分の手の中にある小さな箱の存在を、今さらのように思い出した。いや、これを取り戻したのはただの偶然なんだと、気まずい思いをしながら、銀時はその小箱を芙蓉に差し出す。
「護ってやったのがあの王子さまじゃなくて、俺みたいなグータラ男で悪かったな。ああいう男が好みなんだろ?」
つい、口調に棘が混ざった。
芙蓉の抱くイメージの中の『最強の戦士』……姿こそ瓜二つだが、性格はまるで異なる白血球王。自分はあの男にねじ伏せられただけでなく、あの男のように最後まで獏に立ち向かうことができなかった。俺は、あいつに負けたんだ。それを思うと、再び胸の奥から黒いものが溢れ出してきそうだ。
だが、芙蓉はその皮肉にも鈍感に、花が綻ぶような笑みを浮かべてみせた。
「白血球王は私のセキュリティシステムであり、いわば私のしもべ。そして、銀時様は私の大切な友達……いいえ、マスターです」
「だから、違って当然だ、って? 泣けるねぇ」
そうと知らされていたら、自分は異なる対応をしていたのだろうか? あのコシャクな白血球王の挑発に乗らず、乗ったとしてもねじ伏せられることなく、そして、獏をこの手で倒していたのだろうか? 今となっては分からない。
「最後に残ったのは希望……そういうオハナシがありましたね」
「希望? ただのネジだろ。パンドラの箱とでも言いたいのか?」
芙蓉がこっくりとうなづく。
やれやれ、お伽噺がRPGになって……神話にまで発展したか、壮大なこった。どうせだから、王子様のキッスのハッピーエンドで終わらせてくれやと、銀時が芙蓉の肩を抱き寄せようとした途端。
「貴様ァ! 雑菌だらけの顔をたま様に近づけるなと、何度言ったら分かるっ!」
銀時は思い切り、自分と同じ顔の男に頭をぶん殴られていた。
了
【後書き】09年2月9日発売のWJ(2月23日号)掲載の第二百四十七訓『なめらかなポリゴンは人の心もなめらかにする』を読んで、銀時×芙蓉に萌えていたら、周囲は次の週に登場した「白血球王×銀時」で盛り上がっていた……ので、試しに書いてみたのが「上」の部分です。
「続き書かないの?」とせがまれて「お断りします」とか言っていたのですが、結局、ベタベタの銀時×芙蓉エンドだったら書いてしまったりとか。ドンマイ。
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