いちしの花〜思うはあなた一人/下


「副長? 目を覚まされましたか?」

一瞬、土方は何がどうなっているのか理解できなかった。
目の前で自分の手を握っているのは、トッシーではなく山崎だった。そしてここは、あの暗い洞窟の底の牢などではなく、自分の部屋で。それでもなお、夢の続きのような気がした理由は。

「うわっ、くせっ! なんだこの匂いっ! くせぇっ!」

反吐が出そうな、排泄物の匂いが立ちこめている。

「臭いって、アンタのじゃないですかっ! だから今、布団捨てに行くところだったんですよ! なのに、戻って来いなんて、唐突に喚くから!」

「アンタのって……え、俺の?」

「お体拭って、寝巻きと布団、替えてありますから、ご心配なく」

山崎はしれっというと手を離して立ち上がり「匂い、やっぱり漏れてます? なんか鼻が慣れてバカになってきちゃって」とぶつぶつ言いながら、部屋の隅においていたゴミ袋の口を縛り直した。

「まさかとは思うが……それ、俺が寝てる間に垂れたってことか?」

「えーと、そうですね。簡単に言えば」

「で、オマエは、それを見てた?」

「ええまぁ……思いやりとか言っても、具体的に何していいか分からなくて。とりあえず、傍についていたものだから」




自分自身だから、他人じゃないからと思っていたからこそ、耐えられたのに。




土方の頬がカッと紅潮した。起き上がるや床の間の刀掛けに駆け寄り、太刀を掴む。

「テメェを殺して、俺も死ぬっ!」

「ちょっ、落ち着いてくださいっ! そんな、排泄シーン見られたぐらいで」

「ぐらい、じゃねぇ! 万死に値するじゃねぇか! そんな姿見られるだなんて……っ!」

そこで、全身の力が抜けてしまった。自分自身だからこそ、軽蔑されることも見捨てられることもないと思っていたのに……最後に一本だけ残っていた命綱のようなものがふっつりと切れ、両手で顔を覆う。その体がふわりと温かいものに包まれた。

「別に、俺はなんとも思いませんよ? そりゃ確かに、ちょっとはビックリしましたけど……考えてみりゃ、アンタが酔ってゲロ吐いてるのを始末したことだってありますし、将来、副長が寝たきり老人になったら、俺がオムツの介護してやりたいし、その……」

「だからって、だからってこれはねぇだろ。さすがに引くだろ」

喚く声が詰まったかと思うと、しゃくりあげていた。まさか鬼の副長が泣き出すとは思っていなかった山崎であったが、ここまでくるとさすがに「毒食らわば皿まで」と居直った。
軽く背中を撫でてやりながら、耳元に甘い口調で囁く。

「引きませんよ。こんぐらいでドン引くような奴、副長を愛してないんです。俺は副長のものだったら、ウンコでも平気です。むしろアナタのウンコだったら、九皿は食えます」

「は?」

パッと見上げた土方の長い睫毛には、大粒の雫が宿っていた。その宝石のような水滴が、やがてぽろんと転げて頬を伝っていく。

「食えるって……いやいや、無茶するな」

「無茶じゃないです。愛してるっていうことは、醜いところも汚いところも、全てひっくるめて受け入れてこそ、なんだと思うんです。だから、副長のウンコも俺にとっては愛しいものなんです」

「ちょ、この感覚はなんだろう……すっげぇ愛の告白をされてる筈なのに、殺してぇぐれぇにムカつくのは、どうしてなんだろう」

ただ、その正視に耐えられない姿を目撃していながら、それでもなお、彼が甲斐甲斐しく身支度を整えてやり、こうして抱きしめてくれているのは、現実なのだ。

「ムカつきますか? でも、副長への愛の深さは俺が一番だと思いますよ。少なくとも、ウンコ食えるって断言できるの、俺ぐらいだと思いますもん」

「オマエ、スカトロ趣味があったのか」

「ありません。副長の、だからです。てゆーか、副長の以外は嫌です。ダメ、絶対」

「意気込みは認めるが、そんだけ熱烈に愛してくれても、俺ァ、オメェのウンコは食えそうにねぇぞ。せいぜい……そうだなぁ、ケツの穴舐めてやるぐれぇが限界か?」

「舐めてくれるんですか!? え、それなんて前立腺プレイ!? ちょ、お願いしますよ! 副長があんあん啼きながら悶えてるのをずっとお預け状態で指くわえて眺めてた俺を、ねぎらってくださいよ!」

なにげなく土方が呟いた言葉に、異様に興奮した山崎が、勢いよく土方を押し倒す。

「ちょっ、てめっ、調子に乗るんじゃねぇっ!」

蹴り飛ばした股間は硬くなっていた。その手応え(足応え?)に、蹴った土方自身が『相当痛かったろう』と申し訳なく思ったほどだ。
山崎は顔面蒼白になってブチ倒れ、土方はにじり寄って「オーイ、大丈夫か? タマぁ上がっちまったか?」と呼び掛ける。脂汗を浮かべてそれに返事をすることもできないらしいのを見てとると、土方はその腰をぽんぽんと叩いてやった。





「そういえば、戻って来いって……俺を呼んだ訳じゃなかったんですよね。いったい、誰の霊だったんですか?」

痛みが治まって、ようやく落ち着いた山崎がまず尋ねたのは、そんなことであった。蹴り飛ばされて勃起が収まり、冷静な判断力が戻ってきたらしい。

「霊というか……トッシーだよ。あの、ヘタレたオタクの。てゆーか、あの布団早く捨てて来い。くせぇ」

「だから、アナタのだってゆーのに」

文句を言いながらも、山崎はよいしょと立ち上がり、そのゴミ袋を抱え上げた。

「じゃ、戻ってきたら聞かせてください」





ひとり副長室に残された土方は、部屋の中央にあぐらをかいて「トッシー、聞いているか?」と声に出して呟いてみた。

「外の世界も、他の連中も存外、捨てたもんじゃねぇみてぇだぜ?」

少なくとも、俺が失うかも知れないと恐れていたよりは。
おもむろに、土方が煙草盆を引き寄せた。いつもの仕草で一本抜き出し、ライターで火をつける。深く吸い込んで吐き出すと、たゆたうその紫煙の向こうに『彼』の気配が、確かに感じられた。




「副長が元に戻ったって?」

障子の向こうで喚く声が聞こえた。それと共に、ドタドタと大勢の足音。

「ちょ、テメェら!?」

「トシぃいいいいいい! 良かった、目ぇ覚ましてくれて! オメェが無事ならウンコでも構わねぇよ!」

「副長ぉおおお! よくぞ、ご無事で!」

「俺は構いますぜイ。ウンコたれなんて、真っ平ごめんでさぁ」

「そんなことを言うもんじゃありません、総悟! オメェはまだ若いから理解できねぇかもしれねぇがな、人を愛するということは奥が深くてだな! 俺はお妙さんのものなら、ウンコでもダークマターでも食えるっ!」

わっと取り囲まれ、口々に勝手なことを口走っているのを聞いているうちに、土方の顔色がスゥッと蒼白になり、やがて一気に耳まで紅潮する。

「やっ、やぁまぁざぁきぃいいいいいっ! テメ貴様、しゃべりやがったなぁああああ!」

「だっ、だぁって! あんなでっかいもん捨てようとしたら目立ちますもん! しかも匂いますもん!」

「うるせぇっ! そんなもんバレないように処分してこその監察筆頭だろうがぁ!」

「無茶言わないでくださいよぉ!」

人の群れを掻き分けて、山崎の小柄な身体を掴むと、八つ当たりがてらぶん殴ろうと拳を振り上げる。その腕を、近藤がやんわりと掴んだ。

「まぁ、トシ。俺も我慢しきれずにワントラップかけたことぐらいある。生理現象なんだ、気にするな」

「アンタと一緒にすんなっ! つーか気にするわ!」

「でも、オメェだってウンコたれた俺を変わらずに慕って支えてくれているだろう。ウンコぐらいで引くような浅い友情じゃねぇんだよ、俺たちは」

「ちょ、アンタ今、感動的なこと言ってるつもりかもしれないけど、内容ウンコだからな」

「ウンコのひとつも愛せずして、恋のハンターを名乗る資格などないのだよ」

「いや、ウンコだから。別にウンコ愛さなくても人を愛することはできるから」

「ウンコをしない人間など居ない。そうじゃないか!」

「いや、実際にそうだが、なんでそんなにウンコに固執してるんだよ。なにそのウンコへのこだわり! いいから、分かったからウンコの話題から離れてくれ、近藤さん。頼むから。スコッティひと箱やるから」

なんだかもう、ばかばかしくなってしまって、土方は泣き笑いのような表情を浮かべるしかなかった。
あんなに、嫌われたらどうしようとか、軽蔑されるのではないかとか、そんな張り詰めた中で、痛みと恥辱に塗れて……そんな触れれば壊れそうな精神世界とは違って、現実はかくもタフでしたたかなものなのか。



だったら、叶えてやれるかもしれない。
土方十四郎という、今まで自分が築き上げてきた己のイメージを破壊することになろうとも、魂ある限り付き合ってくれる仲間たちと……恋人が居るのならば。
そしてそれは、俺が掴みたいものとどこかで繋がっているのだと、今ならば理解してやれる。



「トッシーはオタクの頂点に立ち、己の存在を世に知らしめたいと思っていたんだ」

土方は、ゆっくりと区切るようにしながら、そう説明し始めた。

「地に落ち、汚泥に塗れて、そこから這い上がって掴み取るそれは、修羅の道になるだろう。今までの俺の存在、俺の姿、俺の在り方、それに一片の甘い幻想でも抱いていた奴には、理解してもらえないかもしれない。それで俺に幻滅して立ち去るものが居れば、立ち去ってくれていい」

「大丈夫だ、トシ。ここに居る皆はおめぇのウンコだって……」

「ウンコの話題はやめてくれというんだ……ええと、なんだっけ、ともかく俺の覇道について来てくれるか?」

「へーい。この際、土方ウンコヤローでもついて行きまさぁ」

「だから、ウンコはもういいっ!」





それから『トッシーオタク道計画』を話し合って一同は解散したのだが、沖田と山崎は副長室に残っていた。正確に言うと沖田が室内に、山崎は沖田が帰るのを待って、縁側の廊下に控えている形だ。

「なぁ、土方さん。トッシーがおとなしくなったんだったら、それでいいじゃねぇですかイ。なんだって、そこまでして、そいつの願いを叶えてやんなきゃいけねぇんですか?」

不満そうにそうぶちまけ、甘えかかろうとする。

「別に今さら、どんな痴態晒そうと、俺がアンタを捨てるわきゃあねぇんだから。スカトロプレイがしてみたかったんだったら、今度、注射器用意しておきまさぁ。えーと、牛乳って1リットルで足りますかねイ?」

「いらねぇよ。もう二度としたくねぇ。こりごりだ」

「だって、そのオタク道計画がダメならって、そーいうプレイしたんでやんしょ。そっちにも願望あったってことじゃねぇんですかイ。だったら、今度俺が付き合って……」

「んなわきゃねーだろ。つーか、もうアレは忘れてくれってんだ」

「なぁんだ。ホントに願望無いんですかイ? 俺ァ土方さんのウンコは食えねぇが、アイツに負けてるつもりはねぇのに」

「だから、ウンコを基準にするなっていうのに」

見下ろした沖田が心底悔しそうにしているのに苦笑して、頭を撫でてやる。

「俺ァ、ぜってぇ負けてねぇからな。なぁ、聞いてるか山崎」

「聞いてますよ。負け犬はせいぜい吼えていてください」

「うっ、ウンコで負けたからって、悔しくなんかねぇからなっ!」

「だぁああもう、いい加減にしろ、てめぇら! 今度ウンコウンコって連呼したら、斬るからな!」

土方が太刀を掴んだのを見て、沖田はひらりと身をかわした。廊下に転がり出ると、子供のように「斬ってみなせぇ、この土方ウンコたれー!」と喚いて、己の尻ぺたを叩いてみせてから、駆け去った。

「てんめぇえええええ!」

脳の血管がブチ切れそうに逆上していた土方だったが、山崎が腕に触れてそれを押しとどめた。

「実は、俺も同意見ではあるんですけどね。トッシーのために、なにもそこまで、って」

そう囁いて、背中から抱きつく。殴られるかと覚悟しながらだったが、土方は胸元に這った山崎の手の甲を、優しく撫でただけだった。

「いや、トッシーは俺自身でもあるんだ」

「それがアナタ達の、本当の望みなんですか?」

「えっ?」

「口に出して言う望みと、本当の望みは一致しないものだって、拝み屋が言ってました。だから、本当はオタクの頂点に立つことそのものじゃなくて、もっと奥深い……そこに突き進む姿を見せ付けることで、何か別の目的を果たそうと、あるいは何かを試そうとしてるのかもしれない、そんな気がするんです……でも、それが何であろうと俺、最後まで付き合いますから」

「山崎……」

そのけなげな言葉にほだされて、土方は振り向いていた。抱きすくめて口付けようとする。だが、唇が重なる前に聞こえた山崎の台詞がいけなかった。

「それにほら、副長にケツの穴舐めてもらう約束だし!」

熱い抱擁は、堅い拳骨にとって代わられたのであった。



【後書き】08年12月08日に発売された少年ジャンプ(09年01月08日号)掲載の『第二百四十訓 友達がケガしたらすぐに病院へ』を読んで、ソッコーで翌朝未明に仕上げたSSが『序』に相当します。
明らかにスカトロネタ突入なのに周囲に妙に好評だったため、調子に乗って10日には大筋で仕上げたりして。AKIさんが漫画を書いてくれたり、嫌悪感なく読めたとお褒めの言葉を頂いたりと、本当にありがたい限りです。

尚、タイトルの『いちしの花』は一説によると彼岸花の別称で、花言葉は「悲しい思い出」「想うはあなた一人」「 また会う日を楽しみに」。
某SNS内先行公開:2008年12月10日
加筆修正&サイト収録:同月14日
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