ローマのクロトナにいたミロンって運動選手にちなんでるなんて
そんなトリビア覚えるぐらいならもっと大切なこと記憶してください
「副長、おはよーございまーす。今日は何の日か、御存知ですか?」
その日の朝、山崎は満面の笑顔でそう尋ねたが、土方は切れ長の目をちろりと部下に走らせただけでニコリともせずに「海苔の日」と答えていた。全国海苔貝類漁業協同組合連合会が全国海苔漁民の総意として定めたというもので、大宝律令の内容の一部にちなんでいるという。
「それがどうした? それにかこつけて、海苔問屋がイベントでもするのか? そんな警備の予定は入ってなかったはずだが」
「いや、そうじゃなくて」
「じゃあ、ブログの日か。サイバーテロの予告でも入ったか?」
「仕事絡みじゃないです」
「そうか……あ、おまえ、今日は神田ビルの見張りな。尾形と交替して来い」
土方はつまらなそうにそう吐き捨てると、文机に向き直ろうとした。
山崎は、慌てて「だから、その、今日なんですが……公式な記念日とかじゃなくて、こう、もっとささやかなモノです。何かが生まれた的な?」と、すがりついた。
「あん? 何かが生まれた? ああ、確か日本初のトルコ風呂が、近江に開店したのが、二月六日だったな」
「ハァ!? なにそれっ! そんな、キャバ嬢相手に披露したらウケそうなトリビアとかじゃなくて!」
「違うのか? だったら、南の島のマオリ族が……」
「もういいですっ!」
いやね、分かってるけどね。俺の誕生日なんていちいち覚えててくれている訳ないってことぐらい、重々承知してるけどね。でもなんだって、海苔の日だのトルコ風呂誕生の日だのは覚えてて、俺の誕生日ってのは出てこないんですか。それともイヤガラセ? 手の込んだイヤガラセですかコンチクショー!
半べそになってバタバタと出て行く山崎を唖然と見送って、土方は傍らに居た沖田に「俺、何かアイツに悪いこと言ったか?」と尋ねていた。
「土方さん、アンタ、大変なことを忘れていなさる」
「そうなのか?」
「二月六日といやぁ、ホレ、紀伊国で御燈祭が行われる日でさぁ」
「いや、それは絶対に違う」
土方は首をひねりながら、文机の上から革の手帳を取り出してパラパラとめくる。ふと、視線が止まって「あ」と呟いた。
朝のテンションがぐっと下がった山崎は、同僚に「どうした、下痢でもしたのか?」と訝しがられながら、張り込み現場に向かった。梅の季節とはいえ、まだまだ朝晩は冷え込むために、コンビニに立ち寄ってホットコーヒーでも買うことにした。
なぜか、ミロが視界に入る。
そーいえば、伊東のクーデターの直後、俺の葬式でなんでミロが仏前に備えられていたんだろう。俺とミロが結びつくような出来事ってあったんだろうかと記憶を探って……思い出した。確か、去年も誕生日忘れられてたんだよな、俺。
日付が変わる直前にそれを思い出したらしく、突然「夜食でも買いに行くぞ」とコンビニに連れ出され、出来合いのケーキと飲み物を買って。その時に、コンビニで商品入替の在庫処分だかいう理由で、ミロをサービスしてもらったんだ。いや、レジ前で値引きしてたんだっけか。よく覚えてないけど。
持ち帰って、ふたりでもっさもっさとケーキを食って、余ったミロは持って帰った。副長に祝ってもらった記念に、飲まずに大切にとっておくつもりだったからだ。
「あれ、それ何? ミロ? 懐かしいなぁ、きょうび見ないよね、それ」
大部屋に戻って、それを枕元に置いてニヤニヤしていると、ちょうど湯上がりなのか濡れた髪に首に手拭いをかけた浴衣姿の篠原が、ひょいと戻ってきてそれを見咎めた。
「ああ、今日、副長と誕生日パーティしたときの余り。へへへ。いいだろ。副長のおごりだぜ? おまえ無いだろ、そーいうの」
土方を巡る恋のライバルに大いに差をつけた嬉しさに、山崎はここぞとばかりに自慢してやった。篠原はしばらく無表情にそれを見下ろしていたが、不意にそれを取り上げるや、プルトップを開けて一気に煽った。
「……ごちそうさま」
「なっ、ななな……なにしやがんだ、てめぇええええええっ!」
一瞬、何が起こったのか理解できずにぷるぷると震えていた山崎であったが、我に返ると殴りかかっていた。
「ちょっ、山崎さん、落ち着いてっ!」
「今のは、しのが悪い」
「なんだなんだ、ミロの取り合いか?」
「そんなにミロが好きだったのか、あいつら」
尾形や服部などが身体を張って止めに入ったが、逆上しているふたりは手に負えなかったようだ。山崎の寝巻きは破けて諸肌脱ぎになっているし、篠原が浴衣の下に着ていたTシャツは衿が伸びてへろへろになってしまったが、それでも掴み合いは止まらない。
しまいに、誰か(多分、吉村に命じられた芦屋あたり)が土方を呼びに行ったらしい。山崎と篠原は、ふたり仲良く並んで正座させられ、拳骨を喰らったのであった。
「別にミロなんて、好きでも何でもないけどね」
そう呟きながらも、山崎はついついそれを買っていた。ただ、あの日、土方が祝ってくれたことが嬉しくて、それを踏みにじったアイツがムカついて。それだけの理由だったのだが、客観的にみるとミロの取り合いで喧嘩したことに変わりはなく。
缶を両手で包んで、そのぬくもりを感じながら、現場近くに停めてある覆面パトカーの窓ガラスを叩くと、尾形はコンビニおにぎりを頬張りながら、なにやら缶入りの飲料を飲んでいたところであった。
山崎は、とりあえず助手席に座った。
「あ、お疲れ様です。一晩見てましたが、あのビルには誰も出入りしてません。おかしいすね、あのヘンなイキモノを連れているんだったら、とうに姿ぐらいは見かけていそうなものなのに……あそこに脱獄した桂が潜伏しているという噂は、ガセだったんでしょうかね」
「さぁ? もう一日二日見張って、動きがなかったら、中止するか突入してみるか、考えるって言ってたけど。あれ、尾形、それミロ?」
「え?」
尾形はなぜか一瞬、車窓の外に気を取られたようだ。山崎も何かが居たのかと、その視線を辿ったが、すぐに勘違いに気付いた。
「見ろ、じゃなくて『ミロ』。その缶」
「あ、すんません」
「なんでそんなモン飲んでるの?」
「あーいや、現場入る前にコンビニ寄った時に見かけて。篠原さんが昔、これ巡って山崎さんと喧嘩したことあるなぁって思い出して、そんなにコレ好きだったのかなって思うと、ちょっと懐かしくて」
「いや、アイツの場合も、別にミロが好きなわけじゃなかったと思うんだけど……まぁ、いいや。墓前にでも添えてやれよ」
「そうします」
引継ぎを終えて尾形が帰ると、山崎は運転席側に移って、ハァとため息をついた。
だから、ミロが好きな訳じゃないんだけどね。
今となっては、もう誰もあのクーデターを振り返ることも滅多にないというのに、篠原に一番苛められていた筈の尾形が、今でも彼を偲んでいるというも妙な話だが、そこは人情の機微の不思議というものだろう。
「俺は誕生日すら覚えて貰えてないのに」
しかも、当たり前のように任務を与えられて。多分このまま、寂れたビルをこそこそ見張りながら、終わるんだ。なんだか虚しくて、甘ったるい筈のミロが妙にしょっぱいような気がした。
そのまま終わってしまうかと思っていたら、夜も十一時を回った頃、車窓をコツコツと誰かに叩かれた。見れば、吉村だった。
「交替だ」
「ちょ、手ぶらかよ。フツー差し入れとかあるだろうが」
誕生日プレゼントが欲しいなんて贅沢をいうつもりは無いが、せめてメシぐらいはフツーに食べさせてくれ……血涙が出そうな山崎の心境を察しているのか居ないのか。
吉村は眉筋ひとつ動かさずに隣に座ると、引き継ぎ報告書に目を通しながら、ボソッと「んなもん食ってるヒマねぇだろ。ダッシュで屯所に帰れ」と呟いた。
「ダッシュで? あ、まさか副長んとこ?」
「ゴミは持って帰れよ」
その言葉を肯定と受け取った山崎は、ゴミを詰めたレジ袋を握りしめるや、自動車から転がり出た。
「ふくちょうおーーーーーーーっ! 山崎っす! ただいま戻りましたァア!」
誕生日だというのに空腹で寒空の下を全力疾走だなんて、あんまりといえばあんまりな仕打ちだが、これも愛しの副長の許に帰るためだと思えば、ちっとも辛くない。スパァーンと勢いよく障子を開けると、まだ残業して書類を片付けていたらしい土方が振り向いた。
「おう、戻ったか。それな」
殊更に無関心を装って、足元に置いている箱を顎で差し示す。
『Happy Birth Day』とプリントされた可愛い包装紙に包まれ、リボンまでかけられているが、箱のサイズがやけにデカい。土方がくれるプレゼントなのだから、こう、バレンタインデーの義理チョコのようなものだと思っていたのだが……いやいや、これが本当の俺に対する愛情の大きさですか、そんなに俺のことを愛してくれちゃってるですね、もう、この照れ屋さんめ……と思いながら「ありがとうございます」と受け取ろうとした。
ズシリとした重量感。だが、それと同時に「ガラン」という金属音がした。箱を振れば、微かにタプタプという液状の質感も感じられる。
「あのう、まさか、これって?」
「ここで開けてもいいぞ。いや、なぜかどこの店も売り切れになっててな。吉村がようやくさっき、一箱見付けてくれて」
「吉村が?」
それで、さっきの妙につれない態度も理解できる。吉村にしてみれば、いくら土方の頼みとはいえ、山崎のために一日そんなことで潰されては、機嫌も悪くなろうというものだ。
しかも、これは。
「……ミロ、ですか」
それも、段ボールで。一ケースだから二十四本か。
一本でも微妙なのに、そんなにたくさん貰っても……いや、土方が何かくれるだけで奇跡的僥倖なのだろうが、それにしても、ミロだ。
「好きだろ。これの取り合いで、篠原と喧嘩までしてたものなぁ」
土方は平然と言い切る。去年のことを覚えてくれて(いや、正確にいうとすっかり忘れていたのを思い出してくれて)、嬉しくない訳ではなかったが、それでも、何回も言うようだがミロが好きな訳じゃなくて。
口に出して主張するのも疲れて、山崎は畳に手をついて項垂れてしまった。
ついでに言うと、今日、ミロが品薄だった理由は、尾形が篠原追悼のためにごっそりと買い占めたからに違いない。どこまで人のジャマをしやがるんだ、あの化け猫め。
「そんなに感激したのか」
「感激というか、その」
祝ってもらえるだけで、良しとしなければいけないのかもしれないな、そう諦めて箱を担いで戻ろうとすると、土方が立ち上がって衣紋掛けからコートを外した。
「どこかに行くんですか?」
だが、土方はその問いには直接答えず「おめぇ、晩飯食ったか?」と言った。唐突な話題の転換に山崎は一瞬、その意図が読み取れなかった。
「え? いえ……晩どころか、昼も抜きましたが」
でも、こんな時間なら、食堂のご飯はとうに片付けられているだろうから、ミロでも飲んで寝ます……と、続けようとしたら「ファミレスで良けりゃ、奢ってやる」という言葉に遮られた。一瞬、唖然としていた山崎だったが、徐々に状況を理解して表情が弛んでくる。
「それとも、好物のミロの方がいいか?」
「いえ、行きます! 是非ともご相伴させてください!」
「誕生日は終わっちまったがな」
「男山崎、感激の極みでありますっ!」
山崎は思わず土方に飛びつき、唇を押し付けようとする。
「馬鹿、てめぇ調子に乗るなァ!」
そして、今年も山崎の脳天には鉄拳が振り下ろされたのであった。
Happy Birth Day!
(了)
【後書き】山崎お誕生日企画小説。携帯でぽちぽち書ける程度のSSをと思っていたのですが、気付いたらこんな量になってしまいました。それにしても、なんだって、ミロなんでしょうね?
- 海苔の日:1966年制定。大宝律令で定められた租税のひとつに海苔があったことから、律令制定の日を海苔の日にあてた。
- ブログの日:2007年に語呂合わせで某大手IT企業が日本記念日協会に申請、受理された。
- トルコ風呂:1971年、滋賀県に日本初のトルコ風呂が開店。
- マオリ族:1840年、ニュージーランド北島のマオリ族とイギリス政府が「ワイタンギ条約」を締結
- 御燈祭(おとうまつり):和歌山県新宮市の神倉神社の例祭。勇壮な火祭りとして知られる。和歌山県無形民俗文化財
以上、ウィキペディアを参照しました。
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