有明の月/下
俺ァ、近藤さんをそういう対象として見たことは、無いはずなのに。
「ンッ……さん、近藤さん、近藤さ……ッ!」
自分の声に煽られて、高ぶっていく。
たまらずに、片手を己の下腹部にやって、触れられもしていないのに、下腹を打たんがばかりに屹立しているモノを握り込む。その指の間から先走りの露が溢れて、ほたほたと滴った。
「……さ……ン」
だが、猛りを放とうとするその根元を、一回り大きな掌がギュッと掴んで来た。妨げられて、逼迫した悲鳴があがる。
「くっ……やッ、苦しッ……」
涙を浮かべて、首を打ち振って訴えるが、その苦悶の痙攣すらが銜え込んでいるものを悦ばせるのか、その指の力は一向に緩めてもらえない。
「ンぉ……サ……ん、も、俺……ッ」
そのまま徒らにさらに追い込まれ、背後から突き上げられるたびに、頭の中のネジが弾け飛んでいくような気がした。思考が真っ白になり、何も考えられない。触れられている肌と受け入れている内壁の感覚だけが、五感の全てになっていき、壊れたように声だけが機械的に漏れた。唇の端から唾液が溢れて顎を伝う。うまく飲み込むことができないのか、二、三度咳き込んだ。
やがて、クゥッ……と一際高く啼いたきり、声が出なくなる。
「おーい、トシ、生きてるか……大丈夫か? トンだのか?」
さすがに不安になったのか、腰を引いて抜き取ると、土方の身体をひっくり返す。握り込んでいた手を離してやると、堪えに堪えさせられていた猛りは、ピークを越したせいか、迸らずにだらりと溢れ出ただけだった。
枕に半分埋っていた顔を上向かせて、軽くぺちぺちと頬を叩いた。半眼の目は虚ろで、意識があるかどうかまでは分からない。
「そうか、そんなにヨかったか。いい子だ。次は、当初の企画通り、俺のをヨくしてくれよ?」
ともかく呼吸はしているようだと安堵の息を吐くと、わしわしと無造作に頭を撫でてやってから、朦朧としている土方の腿を抱え上げた。まだ絶頂のわななきの中にあるのかひくついているその入口に、そそり立っているモノを押し当てる。その感触に、ようやく我に返ったらしい。
「ふぁっ、ちょっ……待って、まだ……っあっ、あああっ!」
怯えたように喚いて拒むが、無防備に腹を晒している体勢ではどうしようもできない。だが、猛るそれを呑み込んで、うねりながら放たれるものを最奥で受け留めた頃には、腕を回して唇を吸いにきたのはむしろ、土方の方だった。
「あのゴリラ野郎が羨ましいな」
絡み合った姿勢で互いの体温と重みを感じながら、長らく荒い息を吐いていたふたりだったが、沈黙を破ったのは、佐々木の方だった。
その言葉の意味が分からず、土方が黙っていると「ドカタ君は本当に、あいつが好きなんだねぇ」としみじみ呟いて、髪を撫でてくる。
「だから、俺とあのひとは、そういう仲じゃねぇよ」
「武士の忠義と恋情は紙一重かもしれんよ。少なくとも、精神的な面においては……どちらもを相手に尽くし、恋い慕い、時には命まで投げ打つのだからね。私にも多くの部下がいるが、いやはや、ここまで深く想ってくれるヤツが、どれほどいることやら」
「忠義……でもねぇな」
「ほう?」
「俺とあのひとは、仲間……さ」
だが、そう吐き捨てた語尾が微かに震えていたのに気付いたらしく、佐々木は苦笑するとかすめるように唇を触れ合わせた。
「さっき、ちょっとの間、気ィ失ってたときに……思い出した」
土方がボソッと呟いたが、佐々木はあえて「何を」とは尋ねなかった。
代わりに、身体を退いて、土方の隣にあらためて寝転がる。腕を土方に差し伸べると、思ったよりも素直にすり寄って来た。その仕種は、六尺近い体躯とは思えぬほど、いとけないものに感じられた。
そうだ、あの日の曙の空にも、白い月が浮んでいた。
道場に置いてくれた、いわゆる『一宿一飯の恩』だけでなく、あのチンピラ共相手にトラブったときに加勢してくれたことも併せて、どう礼をしていいのか考えあぐねて。当時の自分が差し出せるものは、カラダしか無かったから。
「はぁ? いや、礼なんていらねぇよ。別に貸し借りでもなんでもねぇ」
自分に迫られて断れるヤツが居るだなんて、男であろうと女であろうと、存在するとは思わなかっただけに、むしろだらしなさそうな若き次期道場主にそう言い切られて、土方は唖然とした。
「見かけに寄らず、ストイックなんだな」
「見かけに寄らず、は余計だ。なんだ、おめぇも俺がゴリラそっくりだっていうのか?」
「いや、ゴリラは……確かに似ているが、別にまだそう言ってねぇ」
「言った、今言った、言いましたぁ!」
調子が狂ってしまって『夜這い』を諦めた土方は、苦笑しながら衿を引っ張り上げて、はだけさせていた肩を隠すと、おろしていた長い髪をかきあげて背中へ払った。組紐はどこにやったっけか……懐を探ってから、思い出して袖のたもとから取り出すと、手早くいつものように括り上げる。
土方が身なりを整えると、近藤はようやくひと心地ついたらしく、ため息混じりに「なぁ、トシ。俺らの間で礼とか義理とかなんとか、そんなもん気にしなくていいんだからな」と、諭すような口調で呟いた。
「気にしなくていいって言っても、なぁ」
「だって、仲間じゃねぇか」
「いつンなもんになったんだよ、勝手に決めるな」
「ん? 違ったのか? 俺ァそう思ってたけどな。道場で同じ釜の飯食って、剣の修行して、ケンカも一緒にやってんだ。とうに仲間だろ」
「そんなもんなのか?」
「そんなもんさ」
誰とつるむでもなく、剣術と己の身体のみを頼りに放浪していた土方には、近藤が言わんとするその感覚は到底理解し難かったが、近藤の屈託ない笑顔を向けられると『そういうのも悪くないかな』という気がしてきた。
「だから、気兼ねしねぇで、ずっと傍に居ていいんだからな。これからも、いくらでも俺を頼ってくれていいし、なんでも相談してくれていいし……たまにはワガママのひとつぐれぇ言ってくれてもいい。遠慮はいらねぇよ。俺ら、仲間なんだからな」
「なんか、すげぇ熱烈に口説かれてる気分だな」
「そんなんじゃねぇよ。俺ァ、そっちのケはねぇんだ」
まぜっ返されて、近藤は真っ赤になり頭をがしがしと掻く。
「そっちのケどころか……俺さ、オンナ相手にすらヤったことねーもん。その、せっかく迫られても、どうやって応えたらいいのか、分からねぇというか」
「……なんでぇ、そうなのか」
土方は吹き出してしまった。
仲間だなんだ言ってカッコつけてたけど、要するにそういうコトか。心配しなくてもこっちで腰振ってやろうか……と言おうとした矢先に、近藤が思い出したようにポンと手を打った。
「そうだ。どうしても礼……とか言うんだったら、いっぺんフーゾクってヤツに連れて行ってくれねぇ? 俺、ああいうとこ一人で行けなくって」
「は? まぁ、馴染みの妓もいるから、紹介ぐれぇしてやれるけど。そんなんで良けりゃ、いくらでも」
それで、数日後、連れ立って飯盛宿に行ったんだっけか。
すっかり忘れていたけれど。いや、無意識の力が強引に消去していたのだろう。
「そうだった、最初の最初で、近藤さんにフラれてたんだな、俺」
だから、あのとき以来、そんな対象としてあの人を見たことなんて無かったのに。ただひたすら、仲間として、同志として、あの人を支え続けてきた。それ以上踏み込むこともなく。
「……ヤベェ、俺、明日から近藤さんに、どんな顔して逢ったらいいんだろ」
あんな行為の最中に名を呼んで、姿を重ねて、そして達して。妄想の中で穢してしまったような罪悪感で、目の前が真っ暗になる。
「別に、今までと同じでいいだろ。アレと何かやったわけでもないんだから、あえて無理に態度を変える必要もないじゃねぇか」
「そうは言っても、近藤さんとはヤってなくても、アンタとはああいうふうにヤっちまった訳だし」
「俺とのことは、割り切れるだろ」
「そりゃまぁ、そうだけど」
「だったら、近藤君とのことも割り切れよ」
「いや、それは……無理」
今までずっと、忘れていたのに。
封じ込めていたのに。
「もし気まずくなって、真選組に居られなくなったら、いつでもウチに来いや。現実的なところ、いきなり副長待遇は無理だが、それ相応の待遇はさせてもらうよ」
「いや、そういう問題じゃねぇし」
佐々木の突飛な提案に、土方は苦笑した。
そんな些細な理由で真選組を飛び出せるぐらいなら、とうの昔に袂を分っている。
「だったら……とりあえず、シャワー浴びて来ようか」
そう言われて、風呂に入る前に『寝て』しまったことを思い出す。丁度良い温度設定の空調と、肌触りのいいシーツのおかげで、汗はすっかり引いてしまっていて、つい忘れるところだった。
「腰ダルい、起きあがれねぇ」
「そうかい? ま、別に朝風呂浴びたっていいんだしね」
「じゃあ、寝かせてくれねぇか? それに、このまま眠ってしまえば、さっきのは夢でしたってオチで、終われそうな気がする」
そう、もう一度、閉じてしまえばいい……まだ間に合いそうな気がした。せめてより深い眠りにつけるよう、男の胸に頬を押し付けて目を閉じる。
近藤のものと同じと思われた整髪料の匂いが洗い流され、ホテル備え付けの安っぽいシャンプーの匂いに置き換わっている。肌身の匂いも、あらためて吸い込むとそんなに似ていないような気がしてきた。
結局、一晩、土方の姿を江戸中の花街に探し回ったふたりだが、ついに発見することもできないまま、白々と朝を迎えていた。
「入れ違いで屯序に戻ってるってェ可能性は無ぇ……よな」
「何回か、監察仲間に電話かけて尋ねたけど、帰ってきてはいないみたいだね」
「どこぞに泊まった……のかねイ?」
「オンナノコを持ち帰って? それだったらそれで、聞き込みをしてたときに、情報が入りそうなものだけどね」
「まさか、ビジネスホテルを選ぶなんて、悪知恵が回ったわけじゃあ……」
実際には、その『まさか』なのだが、今さらそれに気付いたところで、この時間では手遅れだろう。ガックリ疲れて戻ると、急に腹の虫がギュウギュウと、デュエットし始めた。晩飯を食いかけだったことを思い出して食堂に戻ってみると、ふたりの夕食のトレイの上に布巾がかけられ、そのまま残っていた。
「助かったァ」
「ありがてぇな……でも、すっかり冷めちまってらぁ」
「そんなもの、チンしたらいいんですよ」
「そうだな、便利な世の中になったもんでイ。天人サマサマでさぁ」
妙な連帯感が生じたのか、電子レンジに茶碗をセットすると、ふたり並んで箱の中をぐるぐる回っている様子を見守る。
「なんか……妙な匂い、しません? 飯に何か混ぜてません?」
「その、納豆で食ってたから」
「ちょっ、そんなもん温めたらッ!」
山崎が慌てて電子レンジを止めて、扉を開けた。だが、その時には既に遅しで、毒ガスよろしく猛烈な臭気が溢れ出してきた。
泣き疲れたような、妙に空疎な気分の目覚めだった。
「ベッド……片方、使わなかったな。ヘンに思われねぇかな」
「まぁ、ゴミ箱片付けたら、セックスしてたぐらい、すぐ分かるだろうし、分かったところで、どうとも思わないだろうよ。ベッドメイキングし直す手間が省けて、ラッキー……ってぐれぇで」
「そういうもんかよ」
それに、昨夜はドカタ君が大声張り上げてたから、とうにバレバレだろうし……とは、いくら無神経な佐々木でも、指摘しない。代わりに「それに……昨日は、悪い夢でも見てたんだろ?」とわざと快活に言うと、軽く肩を叩いてやって起き上がった。
熱いシャワーを浴びて、さらに備え付けの冷蔵庫に入っていたビールの缶を(佐々木の呆れ顔に見守られながら)片っ端から空けて気合いを入れる。それでも、屯所前で朝帰りを待っていた近藤らを見付けた時には、怯んで足が止まりかけた。
無理矢理にでも引きずってこれたのは、佐々木ならではの体格と腕力のおかげだろう。
「ああ、済まないな、佐々木殿。トシのやつ泥酔したのか? 酒くせぇ」
「そうみたいだなぁ。ちょっと飲ませすぎたようだ」
佐々木はしれっと言うと、妙にぐったりしている土方の体を、近藤の方へ押しやった。
「接待の筈が、逆に佐々木殿のお手を煩わせて申し訳ない」
社交辞令を述べながら、土方の体を抱き取る。その肩がビクッと小さく震えたのだが、近藤はそれに気付かなかったようだ。意識は佐々木との対話に向いたまま、すがりついている土方の背を、大きな掌でぽんぽんとおざなりに叩いている。
一緒に居た沖田と山崎は、近藤の手前、何も言えずに切歯扼腕といったところだ。
「鬼の副長といえども、そういう姿はカワイイもんだな」
「あン? まぁなあ、トシは酒に弱くてなぁ……本当なら俺がご相伴するところだが、なにせ俺には、お妙さんという、心に決めた女性がいるのでなぁ」
「なるほど。それはお羨ましい。いやしかし、ドカタ君とはじゅうぶん楽しませてもらったよ」
「そうかね? そうだったら良いのだが……どのような女性と? いや、こんな事を聞くのも野暮なオハナシだが、佐々木殿の首筋に嚼み痕があるところを見ると、相当熱烈だったようで」
佐々木の目が細められた。チラッと土方に視線が流れたのを、気付いたものがいたかどうか。
「そうさぁな……すらりとした上背に、濡れ羽色の髪が白い肌によく映えていてね。睫毛が長くて柳眉のきりりと整った美人だったよ。気性は荒いが、それだけに一度手の中に落ちたら、実に可愛らしくてねぇ。そうそう、啼く声がまた、なんとも」
佐々木はぬけぬけと言い放ち、それを真に受けた近藤は「ほーぅ、それはそれは」とため息を漏らす。
「次、江戸に来たときには是非、また一緒に遊びに行きたいものだな。なぁ、ドカタ君?」
土方は、人見知りする子どものように、近藤の胸元に顔を埋めたまま、振り向きもしない。
知らぬが仏の近藤は、その様子に「トシ、宿酔いか? 仕方ないヤツだなぁ」と苦笑しながら、代わりに「是非とも、また連れ出してやってくれ」などとノンキなことを言っていた。
土方の自室までは、近藤が肩を貸すようにして連れていった。
「えらく、ぐでんぐでんだな。まぁ、今日は昼までは寝てていいから」
「いや、ちょっと休んだら大丈夫だ……ああ、これ、預かってたヤツ」
すっかり薄っぺらくなった封筒を内ポケットから取り出して返すと、近藤が「それだけ飲んで、カネ足りたのか。さすがだなぁ」と妙な感心をする。
「てゆーか、アンタが日頃、あの女の店でボられ過ぎてんだよ」
「違いますぅ、ボラれてませぇん! お妙さんはウブだから、貢ぐという、目に見える形で表現してあげないと、気持ちが伝わりにくいだけですぅ!」
「はん、そうけぇ」
当たり前のことながら相変わらずの近藤の様子に、ホッとしたような、肩すかしを食らったような、複雑な気分になった。
隊服のまま畳に転がると「おいおい、上着、皺になんぞ。脱いでおけ?」と、近藤が傍に膝をつき、隊服を脱がせようとする。もちろん妙な意図は無いのだが、土方はギョッとして反射的にその手首を掴んで、押しとどめていた。
「トシ?」
「あ……いや、その……すぐに起きるから」
「そうか? 妙に顔色悪いぞ。午後からはちと、俺が上との会議に出る代わりに、おめぇに屯所に詰めて貰わねぇとなんねぇんだから。それまではなんとか治せよ」
そういうと、わしわしと土方の頭を撫でて、返事も聞かずに部屋を出ていった。あの人はずっとあの調子で、俺もずっとそれに合わせていて。それでいいんだ……触れられた髪に自分の指を絡めて、その余韻でも味わおうかという頃合に、スパーンッと障子を勢い良く開けて、沖田と山崎が押し掛けて来た。
「副長ぉおおおおお! 昨日はどこにいらしたんですかっ!」
「土方コノヤロー説明しやがれ!」
正直、今は関わり合いたくない。というか、相手をしてやるだけの精神値が残ってない。土方は舌打ちすると、布団を頭から引っ被った。
(了)
【後書き】近藤←土方ベースのお話を書きたいと思いついたものの、近藤はやはりお妙さん一筋で……という考えがあったので、近藤の面影を誰かに重ねるという構想で書き始め、裏ブログにて先行公開したもの。サイト収録に当たって、大幅に加筆しました(タイトルは『白牡丹月夜月夜に染めてほし』)。
珍しく土方から慕う話なので、自分で書いてて、なんだか素直で可愛い土方が、妙にキモかったです(爆)。
なお、今回敵方にしたのは、見廻り組の組長・佐々木只三郎(オリジナル、史実上も同名)。大柄でちょっと大らかな性格も、史実そのままを採用しました。悪いオトナという感じで、憎まれ役もできそうで……なにかと使いやすいキャラなので、今後もちょいちょい利用することになりそうです。
|