酢 昆 布 の 下 で
その祭は天人の風習らしいが、新しもの好きの江戸っ子気質も相まって、徐々に江戸の町にも浸透しつつあった。もちろん、真選組の頓所の中庭にも、松の枝にえれきてる玉だの短冊だのをぶら下げた、即席のツリーが登場する。
「ねぇ、マヨラ13様、あれ・・あたくしが雑誌で見た“くりすとますつりい”は、ちょっと違うでありまする」
上司の娘・・父親の妨害工作が実った今年の聖人祭は、独り身で過ごすことになったらしい松平栗子が、頓所に遊びにきて隊士が飾り付けた“つりい”にそんな無邪気なクレームをつけた。
「そうけぇ・・おう、山崎。それらしく見える飾り、調達して来い」
「無茶言わないでくださいよ、副長。ホンモノのつりいがどんなんか、知らないってのに」
「いいから、とっとと探して来い。下手するとあのバカどもが、口から出まかせに適当なガラクタ売りつけに来そうだ」
土方が紙巻き煙草の尻を噛み潰しながら、苦々しくそう言っているそばから、沖田が「適当なガラクタって、これですかイ。つりいには、酢昆布の空き箱を飾るんだと聞いて、大量に買っちまいやした」などと言い出す。
「なにせ、その空き箱の中にひとつだけ、中身が入っている酢昆布を混ぜておいて、その下に立っている人間の命は、自由に奪っていい・・という風習だと聞きやしたのでね」
「馬鹿かテメー、ぜってぇ馬鹿だろ、どこの星の風習だよ。いっそ帰れよテメー。故国のサディスティック星に帰ってしまえ・・まぁ、テメェが自腹で何を買おうと勝手だがな」
「自腹? 俺がそんな馬鹿なことにカネを使いますかい。あ、馬鹿なことって言っちゃった。馬鹿なことって・・組の経費ですぜい」
「てめっ、そんなカネ、経費で落ちるか、馬鹿」
「落ちなかったら、土方さんの給料から差っ引いてくだせぇと、会計方には言っておきやしたから、安心しなせえ」
「できるかぁ、ボケェ! 上等だ。抜けぇ、総悟っ!」
額に青筋を立てた土方に、真剣を喉元に突きつけられても、沖田はケロリとしたものだ。
「ヌくんですかい。土方さん、毎晩あんだけアンアン啼かされて、まだ足りねぇんですかい。まぁ、夜まで待ちなせぇ」
「なっ・・なななっ・・・!?」
「トシ、お、おめぇっ!?」
「副長、沖田隊長とそんな仲だったんすかっ!?」
「マ、マヨラ13様?」
「ごっ・・誤解だぁっ! てめっ、総悟っ! そこへ直れ! 斬るっ!」
すたこら逃げ出した沖田と、瞳孔が開いた鬼の形相でそれを追いかける土方が、嵐のように駈け去ってしまい、残された連中はポカンと口を開けているしかない。
「多分・・命を取るのが自由なんじゃなくて、その下に居る者に接吻をするのが自由・・という風習の間違いではないかと思いまする」
長い長い沈黙の後、ポツッとそう言ったのは、栗子だった。
どうやら、純情可憐な乙女としては、土方と沖田がそういう仲かどうかという問題よりも、くりすとますのその奇習の方に、心を奪われていたようだ。
「せっ・・接吻ですと!? 自由に接吻ができるということですか、栗子お嬢様! と、ということは、その酢昆布の下にお妙さんがいたら、お妙さんにもせっ・・せせせ・・・接吻できるということですか!」
局長の近藤勲が、ハァハァと鼻息も荒く確認するのを、こっくりと顎を揺らす仕草も可愛らしく、栗子が肯定してみせる。
「酢・・酢昆布を、酢昆布の箱を屯所中に吊るせ! そして、くりすとますぱーちーを開いて、お妙さんを招待するのだ! これは局長命令だ!」
皆がせっせと酢昆布の箱を屯所に飾り付けている間、何かを思い出したらしい栗子が、チョイチョイと山崎をつついた。
「あの・・つりいの飾り・・用意するんですよね? アナタ、マヨラ13様にそう言われてございまするよね」
「え? ああ、確かに、副長がそう言ってましたね」
山崎とて、上司の命令を忘れていたわけではないが、どうせ調達したところで「こんなんじゃねーだろ」と殴られることは目に見えていた。だったら調達するだけ時間と労力の無駄だ、殴られて済むことなら、適当に殴らせておけばいいや・・という妙な居直り方をしていたところであったので、栗子にそう話しかけられるまで、その件は忘れていたのだ。
「つりいのてっぺんには確か、星型の飾りがあったのでありまする」
「星型の飾り?」
「ええ、それがぴかぴか光っていたのでありまする」
「ぴかぴか光る星型の飾り・・ですか」
「多分、えれきてる仕掛けなのではないかと思うのでありまするが」
木のてっぺんに星が光っているなんて珍妙なものは、見たことがないし想像もつかない。さすが天人の文化は、人間には理解しがたい・・だが、お嬢様がそう言うのなら、それでいいのだろう。土方は「なんだこりゃ」と罵るかもしれないが、お嬢様が満足しさえすれば、全ては丸く収まるわけだ。
「えれきてる仕掛け・・はぁ、分かりました、お嬢様。なんとかしてみますね」
「ふふ。楽しみでありまするわ」
安請け合いしてしまったかな、と軽く後悔しながらも、山崎は「約束ですわ、指きりげんまんしてくださいまする?」と栗子が屈託なく笑いながら差し出した白魚のような愛らしい小指に、己の小指を絡めていた。
神楽が酢昆布の空箱を大量に売り付けて稼いだ直後、さらに新八に儲け話が転がってくるとは、本当に珍しい日だ。こんなときは大抵、銀さんがパチンコでボロ負けして、結局は帳尻が合うようになっているのかもしれないが。
「えれきてる仕掛けの飾り・・ね。心当たりに頼んで作ってもらいますけど、仲介料は頂きますからね?」
「頼むよ。江戸一番のからくり技師・平賀源外が居さえすれば、良かったんだろうけど」
いや、僕がお願いする心当たりってのも、その平賀のオッサンなんだけどね・・と、新八は笑顔の下で舌を出す。平賀源外は、過去にからくりを用いた将軍暗殺テロを企てたとの罪状で、現在は指名手配中だ。仮にも警察組織に所属している山崎に、直接会わせる訳にはいかないのだ。
「えっと・・山崎さん、予算とかあります?」
「一応、機密費の名目で、ある程度の金額は融通がきくから、大丈夫だよ」
サラッと言われると腹が立つが、このあたりの金銭感覚の違いが、万年金欠の万事屋稼業と幕臣との差なのだろう。
「じゃあ、制作費として材料費に工賃をこのぐらい上乗せして、仲介手数料に1割でどうでしょう?」
新八が、嬉々として算盤を弾いて見せたが、山崎はさすがにそれ以上はノせられずに「1割? 待って。仲介料でそれは高いよ。3分(ぶ)にしてくれない?」と押しとどめる。
「そんな。うちの売上げが3分じゃ酷ですよ。せめて5分!」
「3分5厘」
「4分」
「分かった。それでいいよ・・材料費で水増ししないように、ちゃんと領収書つけておいてね。万事屋名義はだめだよ。なんでもかんでもツケそうで危ないから。その人の名前を出すのがイヤなら、真選組の名前で領収書切ってもらっていいからね」
「ちぇ・・しっかりしてるなぁ」
源外は、新八の依頼に苦笑した。自分を追い回している真選組のお遊びのために、仕事をしろというのか。
だがまぁ・・それがオンナノコのためだというのなら、引き受けてやってもいい。男の浪漫とはそういうものよ・・と、機械油で汚れた手で鼻をこする。
「それにまぁ、なんだ。木のてっぺんに星型の飾りをつけたら、くりすとますけぇ・・そうさな、ついでにうちの近所の木にもつけてやっか。ガキどもがびっくらこくぜぇ」
「無茶言いまして、すみませんね、お願いします」
「こういう遊びも人生にゃ必要さ。おゼゼも貰うこったしな。なぁに、こんなからくり、2時間もありゃあ仕上げてみせるぜ。ああ、それとな、新の字。こないだ銀の字のバイクを修理してやったんだがな・・それの代金を貰ってねぇんだ。おめぇ、今回の仕事、仲介料とかぬかして金抜いてやがるだろ。それ寄越せ」
げぇっ・・と叫んで絶句した新八を見て、源外がカッカッカッと笑った。
「だがまぁ、近所のつりぃの飾り付けを手伝ってくれたら、チャラにしてやらぁ」
薄暮が近づいている中、一抱えもある大きな星の張りぼてを担いで松によじ登るのは、いくら山崎が隠密行動に従事しているために、ある程度は身が軽いとしても、難儀な仕事であった。しかし、梢にそれを取り付け、電源を入れたのを見上げた栗子が、無邪気に「まぁ。美しゅうございまするね」などとにっこり喜んでくれたのなら、苦労した甲斐もあったというものだ。
いや、つりいは、松ではなくモミの樹木だったような・・と気付きつつも、あえて指摘せずに「これでほんに“くりすとますつりい”らしゅうなりましたでございまするわ」と笑いかけたのは、栗子ならではの優しさだろう。
「そりゃあ・・お嬢さまと約束しましたからねぇ」
樹のてっぺんから手を振って山崎がそういうと、栗子も「ほんに。指きりげんまんの効果テキメンでございまするね」と応えて、小指を立てた右手をひらっと振ってみせる。
その隣に立っていた土方が、ふっと眉を曇らせた。
「指きりげんまんだぁ?」
「ええ、ご存知ありません? 指きりげんまん。こうして指を絡めて、約束するんでございまするのよ」
「いや、そういう手遊びは知ってるがな・・なにもわざわざ、山崎と指を重ねる必要ねぇじゃねぇか」
「まぁ、マヨラ13様、ヤキモチをお焼きになってますの?」
「ヤ、ヤキモチだぁ?」
俺と山崎はそんな仲じゃねーぞと返そうとしたが、一瞬早く栗子が頬を染めて「妬いてくれるだなんて、栗子、うれしゅうございます」と呟いたため、誤解に気付いた。やべー・・危なかった。思わず自爆するところだった。
まさか上司の娘相手に「なぁに自惚れてんだ、ませガキが」と罵るわけにもいかず、ただチイッと舌打ちひとつして、踵を返そう・・として、目の前に黒い大筒がヌッと突き出ていることに気付いて、驚く。なんと松平片栗粉が、土方のすぐ背後でバズーカー砲を構えていたのだ。
「うわっ、とっつぁん、何してやがんだ!」
「オジサンはな。可愛い娘に悪い虫を付かせるために、職場に遊びに来させたんじゃねーんだよ。栗子がつりいを見たいというから、害虫どもがウヨウヨしてる下界よりはマシだと思って連れて来てるんだよ」
「俺はあんたのお嬢さんとはナンでもねーよ・・つか、栗子お嬢さんと指きりしたっつーのは、山崎で・・」
慌ててフォローしたつもりだったが、生憎と怒りの鉾先が土方から山崎に向かっただけであった。
「なにぃ!? 指きりげんまんだぁ? あのヤロー! 平隊士の分際で、栗子の指に触れたというのか。栗子と指を絡めたというのか」
「お、おい、だからってバズーカー砲は・・!」
「オジサンですら愛娘と手を繋ぐこともままならないというのに、図々しく触れやがって。おかげでオジサンの可愛い娘に雑菌がついたじゃねーか。栗子の健康が害されるじゃねーか。まかり間違って妊娠しちまったらどーすんだ。オジサンが一足飛びにオジーチャンじゃねーか。夜の帝王まっちゃんがオジーチャンって呼ばれるんだぞ、ド畜生め。その落とし前はキッチリつけてもらう。まっちゃんバズーカーエネルギー充填・・発射用意ッ!」
「オイコラッ!・・山崎ッ、逃げろッ!」
バズーカー砲が、火を噴いた。
気付くと、布団に寝かされていた。枕元に誰かが座っているが、心配して山崎を見下ろしているわけでもなく、そっぽを向いて煙草なぞ吸っているようだ。見上げた天井は、見覚えがあるようで、ないようで。
「ドジ。カス。マヌケ。ようやく起きたか、ボケが」
愛情の欠片もない口調で罵られて、それが土方であること、ここが副長室であることに、ようやく気付いた。
「あれ・・俺、なんで・・?」
起き上がろうとしたが、頭の奥がズキッと痛む。
副長室ってことは、これ副長の布団かな。だったら、もう少し寝かせてもーらおうっと。山崎は、両腕で掛け布団を抱え込み、その匂いを肺一杯に吸い込む。
「そっか、俺、松の木の上に居て・・落ちたんすか?」
「とっつぁんがトドメ刺すって言って、聞かなかったんだぜ。手間かけさせやがって。バカが」
「トドメ?」
「オジョーサンに触れたとかなんとかの咎で、な」
「そんで、副長の部屋に?」
「別に、平隊士用の大部屋に放り込んでおいても良かったんだがな。そこだと、とっつぁんに追撃されかねんし」
「・・はぁ。つまり副長、俺を庇ってくれたんですか。嬉しいな」
へらりと笑った脳天に、土方の鉄拳が降って来る。おかげで山崎は『目から星が出る』という漫画的慣用句を実体験するという、実に貴重な機会に恵まれたのであった。
「そんな減らず口が叩けるんなら、とっとと起きて、出ていけ」
「殺生ですよ、副長・・ただでさえ頭痛いのに、追加ダメージ食らわせておいて、出てけなんて」
「うるせー・・ほれ、起きろ」
「いやですー! せっかくなんだから、もう少し寝かせてくださいよぉー!」
「なにがせっかくだ!」
無理矢理布団から引っぺがそうと抱き起こされ、また殴られそうだなーと思いつつ、こてんと頭を土方の胸に落とす。
「んだぁテメー・・ホントに調子悪ィのか? 脳挫傷で吐き気とかしてんじゃねーだろーなぁ。よせよ、使える部下が減る」
「部下が減るって・・そーいう論点っすか。たまにはそれ以外の視点で見てもらいたいもんすね」
「そんだけベラベラ喋れるんなら、脳に支障はなさそうだな・・大体・・てめーだって」
何かを言いかけた土方が、ふいっとそっぽを向いてしまう。
なんだろう、副長、顔赤い・・だが、下手に追及して放り出されてもイヤなので、黙って見上げているだけにしていた。その視界の中で、何かが揺れている。
天井に、赤い小箱が幾つかぶら下がっていたのだ。
一体、誰が副長の部屋にまで酢昆布の箱なんぞを吊り下げたのだろう・・命知らずにも程がある。局長の天然か、沖田隊長のイヤガラセか、栗子お嬢様の純情か・・あるいは、何も知らない新人隊士の失態か。なんとはなしに眺めていると、内1個の揺れが他の小箱と微妙に異なっていることに気付いた。
あれ、もしかして中身の入っているヤツかも。
「副長・・あれ」
「あン? なんだァ? 人の部屋に、勝手にガラクタ吊りやがって」
「そうじゃなく、ほら、1個だけ揺れがヘンでしょ? 中身の入ってる箱の下では、ね」
キスしても、いいらしいんですよ。
そう囁こうとしかけた時、土方が山崎を抱えたまま、その場を飛び退いた。
「・・うぁあっ! お、沖田隊長!?」
「ちっ・・仕留め損なったか・・せっかく、切り捨て御免の酢昆布の下だというのに」
沖田が舌打ちひとつして、刀を鞘に収める。土方らが居た辺りは、容赦なく布団も畳みもまっぷたつに斬られていた。多分、ふたりまとめて一閃するつもりだったに違いない。
「総悟ォ・・ふざけやがって・・表へ出ろォ!」
「望むところでぃ」
土方が瞳孔全開の凄まじい勢いで、床の間の刀掛けから愛用の和泉守兼定を掴み、それを見た沖田は、寧ろ舌舐めずりしそうな表情で迎えた。これこそが、この鬼神の正しい愛し方だと言わんがばかりに。
「ちと待ってろ、山崎。あのガキャあ、叩き斬ってくるわ」
「あ、あのっ・・副長?」
「あン?」
「さっき、何か言いかけたでしょ。なんです? 大体てめーだって・・の後」
「ああ・・あれか。てめーだって、肩書きでしか呼ばねぇだろって、よ」
「えっ?」
その意味を理解するのに数秒かかり、その間に土方は鯉口を切るや、鞘を捨てて縁側から中庭に駆け出ていた。星形のえれきてる灯にうっすらと照らされながら、和泉守兼定と菊一文字がぶつかり合い、夜闇に火花を散らす。その真剣勝負に、他人の入る余地はない。
「あー・・やっぱ、沖田さんなんかなー・・」
がっくり肩を落としながら、その斬り合いを眺めている。
ふと気付いて、棄てられた鞘を拾いあげた。それとも・・いつか肩書きでない呼び方ができるようになったら、変わるのかな。
やがて、ちらちらと雪が舞い降りて来た。
遠くの方で・・女性のものらしい気組みのかけ声と、局長のものらしい悲鳴も聞こえた。
【後書き】ブログにて『たとえば、そんなクリスマス』と題して、先行公開したものです! 山土です! 沖土です! 酢昆布です! なんか頭の悪さ爆発です! 大体、なんですか、SSのつもりだったのに、またもや物凄い長さになってしまって。
Merry Xmas!
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