名 人 伝
「剣の達人ってぇのはよぉ、名人の域に達すると刀を使わずに斬れるらしいんだぜ」
居間の長椅子に寝転がってウイロウを丸かじりしながら、漫画雑誌を読んでいた銀時が、ふと、思い出したようにそうつぶやいたのは、けだるい午後のことだった。
「それって、弓の話じゃなかったでしたっけ? 弓の道を極める余りに、弓の使い方を忘れるほどになった・・っていう」
「戦国時代の剣豪も同じようなこと言ってたんだよ・・斬りあいでのし上がれた時代から、泰平の世の中に移り変わろうという頃によ」
「オマエらバカあるカ。剣が無かったら剣の達人じゃないアルよ。バットなくてバッターボックス入ったらバッターじゃないヨ。ルール違反ネ」
「神楽ちゃん、そんな実も蓋もないこと言っちゃ、駄目だよ」
「いんや・・神楽の言うことも正しい」
「銀さんっ! あんた自分で言ったこと自分で否定してどーすんの!?」
「だってそら、おめぇ・・糖尿になっても、砂糖を使わずに糖分が摂れるようには、なれねぇもんなぁ」
「剣の達人と糖尿を同列に扱わないでくださいよぉ! つか全然関連性無いし!」
「あ、でも、ションベン甘いかも・・自給自足ってやつ? アリたかるんだよね。試してみようかな・・おい、新八ィ、俺のションベン飲んでみろ」
「だぁああああっ! だっ、だれが飲尿プレイなんかすんだよぉ!」
「冗談だ。つか、赤くなるな、青少年」
「ホモ。ヘンタイ。キショクわるいゾ、メガネ」
「ちょっ・・言い出しっぺは銀さんでしょう!? なんで当たり前のようにふたりして僕を蔑んだような目で見るんですかぁああああっ!」
・・などと騒いでいる内に、剣の話がうやむやになってしまった。せっかく銀さんが剣術について語ってくれようとしている、珍しい機会だったのに・・と、新八が我に返ったのは、話題がどうしようもなく彼方に飛んでしまった後だった。
そろそろ晩ご飯の準備をしないと・・と、台所に立った新八は、肩を寄せあわんばかりに並んで、ノンキにテレビを視ている銀時と神楽の後ろ姿に仄かな殺気を覚えたものだが、それは嫉妬というよりは、グータラなふたりに対する正常人の至極真っ当な憤り・・だと、新八は信じている。バカバカしい。やってらんないよ。
「ちょっと、卵がきれてるから、買って来るね」
「おー・・行ってこい」
「その前に銀さん、お金」
「卵代ぐらいあるだろ」
「給料払ってから、そーいうことを言ってください」
「ねーのか。しかたねぇなぁ。卵ぐらい我慢しろ」
「我慢しろって・・あのねぇ、そもそも銀さんがケーキ作るのに全部使っちゃったのが悪いンですからね! 卵がなくって、どうやって親子丼作れっていうんだよぉ」
「俺は鳥丼でも構わねぇぜ? 俺ァ、蛋白質よりもむしろ、糖分が摂れなくなる方が問題だからな。親子丼よりもケーキに使った方が、有効利用だと思っているぜ」
「それが胸はって言うようなことかぁ!?」
「銀ちゃあん、アタシ、親子丼食べたいアルヨ。親子断絶は悲しいヨ。岸壁の母の息子は実は生きてテ、南国に妻子もってヌクヌク暮らしてたって聞いたヨ」
「仕方ねぇなぁ。おい、新八、10個入り1パック160円以上なら諦めろよ」
「なに、その微妙な金額のボーダーライン・・というか、神楽ちゃん、それ時代考証完全に間違ってるから!」
「うるさいメガネ。時代考証なんて、このジャンルにハナから無いヨ。そういう楽屋オチ的展開は打ち切り寸前の徴候なんだヨ、ボケ」
「いや、打ち切りって・・この小説、商業じゃなくて一個人の創作だし、第一、連載じゃないし!」
「商業じゃなくてモ、打ち切りはあるヨ。このサイトの管理人のきさとさん、時々煮詰まって、書きかけデータ山のように放り出したまま失踪するアルネ」
「うわー・・フォローのしようがねぇぐらいの楽屋オチだな、そりゃ」
銀時が呆れ返りながら、作務衣のあちこちをゴソゴソと漁り、ポケットに入っていた小銭を取り出す。
「おー・・あったあった。500円でジャンプ買って、お釣りの160円」
「160円って、そーいう基準かよ! つか、100円どっか消えてるし!」
「100円はその、なんだ。俺の貴重な糖分になったわけだよ」
「えーえー、そうでしょうとも。そうだろうと思いましたよ」
喚きながらもしっかり手を出して、小銭を受け取る新八であった。
まるで「初めてのおつかい」のように160円を握りしめて、スーパーマーケットに向かった新八は、そこでマヨネーズを大量に買い占めている男を見かけた。誰かと思えば、真選組の山崎退だ。頭がアフロじゃない上に、小道具のラケットも手にしていないために、一瞬だれか気付かなかった。
「土方さんのおつかいですか?」
「ああ、新八君・・そうだよ。あれだけ毎食、大量に塗りたくるからね。特売の日に買っておかないと」
「今日は特売日なんですか? だったら、卵も安いといいんだけど」
「卵は・・今日は165円だったかな」
「げっ」
「1パックで165円・・安い方だと思うけど?」
「5円・・足りない・・くっ」
たかが5円、されど5円・・今の新八にとってはその5円の価値は、1億円にも等しい手の届かない存在であった。あまりの己の情けない状況に、がっくりと床に手をついてしまった新八が哀れになったのか、山崎が「良かったら、うちのを少しわけてあげるよ」と言い出した。
「ほら、うちは大所帯だから、基本的に食材は、野菜も肉もキロ単位で仕入れてるんだよね。マヨネーズぐらいだよ、こういうふうに不意に切らしたとか言って、スーパーに買い出しに来るのなんか」
「すっ・・すんません、恩に切ります」
「じゃあ、マヨネーズ持つの、手伝ってくれるかな?」
レジで会計を済ませると、マヨネーズではち切れそうな買い物袋をぶら下げて、ふたりは屯所に向かった。
歩く道々「そういえば、山崎さんは剣術の腕前って、どの程度なんですか?」と、新八はなにげなく尋ねていた。
「え? 僕? いや、全然・・いつも間近で副長や沖田さんの剣を見ているからね、自信なくしちゃうよ。別に剣術がヘタだから密偵やってる・・ってわけでもないんだけどね・・どうして?」
「どうしてって・・その・・いや、今日たまたま、剣の達人の話になって」
「へーえ?」
「剣の達人は刀を使わずに斬れるんだって、銀さんが言い出して」
「ああ、そうもいうねぇ」
「それを神楽ちゃんが、剣術の達人が剣を使わないのは変だって、まぜっ返して」
「あはははは」
屯所の正面からではなくお勝手口から入ったのだが、身をかがめるようにして小さな木戸をくぐるや否や「なんで万事屋が一緒なんだ」という不機嫌そうな声が飛んできた。
「ああ、土方さん。ちょっとスーパーで逢ったもんだから」
どうやら、マヨネーズが待ち切れなくて、山崎の帰りをイライラと待っていたらしく、土方の足下には煙草の吸い殻が散乱している。山崎は苦笑すると自分が提げていた袋からマヨネーズのボトルを1本抜き出すと、土方に差し出した。
「はいどうぞ。でも、1日1本にしないと身体壊しますよ?」
「けっ、そんなにヤワなつくりはしてねぇ。もう1本寄越せ」
「駄目です」
「ちっ、山崎のくせに生意気な」
そう凄みながらも、土方はマヨネーズを受け取ると、くるりときびすを返す。
「えっ、何その新婚夫婦みたいな会話!? というか、1日1本でも十分に身体壊すよ! 一体、アンタ日頃どんだけマヨネーズ摂取してんだよ! 油分とカロリーが過剰摂取だよ!」
「大丈夫だ。カロリーハーフだ」
「全然、大丈夫じゃねーよ! ノンシュガーだから大丈夫とか言いながら、サッカリン大量摂取してる銀さんと同じぐらい、ダメダメだよ!」
「あん・・銀さん? あいつと俺が同じだというのか、貴様」
ぴたりと土方が歩みを止めた。ちろりと振り向いてこちらを睨む視線に、新八がゾクッと肩を震わせる。
「そらぁ、似たもん同士って奴でさぁ。同族嫌悪の一種なんでやしょう?」
そこに間延びした声がかぶさってきて、その土方の殺気を削いだ。
「やぁ、万事屋の眼鏡クン。旦那やチャイナ娘は一緒でねぇんで? ああ、土方さん、局長があっちでお呼びでしたぜい」
土方は何か言いたそうであったが、局長のお呼びとあらば仕方ないという態で、渋々、殺気立った視線を新八から逸らせると、荒々しい足音を立てて出て行った。それを見送ってから、沖田はつまらなそうに「そうか、眼鏡クンひとりか」とつぶやいた。
「すみませんね、神楽ちゃんが一緒の方が良かった?」
「いや、あんな小娘、鬱陶しいから居なくてせいせいでさぁ・・して、眼鏡クンは何の用で?」
「ああ、僕が呼んだんです。スーパーで偶然逢って、マヨネーズ運ぶのを手伝ってもらったから、そのお礼にうちの食糧庫の卵、少し持って帰って貰おうかと思って」
それは微妙に事実関係が食い違う説明ではあったが、それは新八を庇ってのことだということは、すぐに知れた。沖田は苦笑しながら「そいつぁ・・ご苦労なこって。じゃ、俺からも、茶の一服もご馳走しやしょうか?」と言ったものだ。
本当なら、早々に卵を受け取って帰るべきなのだろうが、ついつい誘いに乗って座敷に上がり込んでしまったのは、真選組でも最強の剣の達人という沖田に、刀が無くても斬れる・・という話をして、意見を聞いてみたいと思ったからだ。だが、沖田は思いがけず真顔でそれを受け止めた。
「そいつぁ・・難しい話ですぜい。つまり、剣術ってぇのの本質って奴でさぁ」
「剣術の本質?」
「何のために剣を振るうのかって話さね。剣は本来、ただの対人武器でしかねぇところを、平和ぼけした侍が武士道ってぇ道徳美学で飾り付けた。修身の教材や、肉体の鍛練のための道具としてなら、そらぁ、抜き身の剣はいらねぇでしょう。刀を使わず、凄まじい気組みだけで物が斬れるなんてぇ芸当も、やってやれねぇ技じゃねぇ・・でもよう、チャイナ娘が言う通り、剣がなくちゃあ剣術とはいわねぇ。ちげぇますかい?」
「う・・うん、思うよ。僕もそう思うけど・・でも、廃刀令が・・」
「うちの大将も単細胞でさ、やっぱり腰に大小たばさみてぇって思った訳でよ。そうでなくっちゃ、剣術の意味がねぇって・・そんで、帯刀が許される職場ってんで、警察長官の松平様に拾ってもらってできたのがこの真選組でさぁ」
そこまで一気に語ると、沖田は自分の分の湯飲みを両手に包み、一口啜る。その間の沈黙が、やたらに長く感じられた。
「・・っていうのが、土方さんの言い分でしてね」
「えっ・・?」
「剣の世界を取り戻そうって足掻いた攘夷志士と俺らの心根は、実際んとこ、なんら変わりねぇのかもな。ただ、正面切って刃向かった攘夷の連中はそれに失敗し、裏から取り入った俺らは帯刀を許された・・ってだけの違いでさ。俺に言わせりゃあ、所詮は人殺しの武器・・って言い方が悪けりゃ、ただの道具。何か目的があって振るうもんじゃねぇかって。でもいつの間にか、剣そのものが目的になっちまっているような気もしやすね。信仰とか思想のシンボルと言ってもいいかもしれねぇな。ねぇ、そう思いやしませんかい? あんたぁ、何のために剣術を習ってた? あんたのオヤジさんは何の為に剣術を教えてた? でも俺ぁ、土方さんブチ殺すにゃあ何も剣にこだわらず、バズーカーでも毒薬でも呪術でも、なんだって構いやしませんや」
「は・・?」
いつの間にか論旨をすり替えられて、真面目に聞いていた新八は、湯飲みを抱えて唖然としてしまった。
「あははははっ! 冗談でさぁ。眼鏡クンが真剣な顔をしてるから、ちょいとからかってみたんでさ」
沖田は唐突に笑い出すと、すっくと立ち上がって、中庭を望む縁側への障子をカラリと開けた。窓の向こうには夕闇が迫ってきており、空を覆う雲はうっすらと赤みを帯びていた。
「からかった?」
「そうでさぁ。だってその話、坂田の旦那がしてたんでやしょう? 旦那は真剣じゃなく木刀でものを斬れるそうじゃねぇか。多分、ご自分が名人だと自慢したかっただけですぜい」
「・・あっ、そうか、そういえばそうだっけ」
「早く帰って、自称名人に、卵でも焼いてあげなさせえ」
そう言うと、沖田は上機嫌に縁側に出ると、家猫のように軽く伸びをして「本当は、俺ぁ、ただ単に誰よりも強くなりたいだけでさ。いや・・もしかしたら、一緒に稽古をする仲間が好きなだけなのかもしれねぇや」と独り言のようにつぶやき、ペタペタと音を立てて歩み去った。狐につままれたようにキョトンとしている新八の肩を、山崎が軽く叩く。
「そうだ、随分と長々引き止めちゃってたね。卵、卵・・食糧庫はこっちだよ」
ビニールのレジ袋に生卵を入れて帰るのは、相当神経が要った。
途中で誰かにぶつかったり、転んだりしたらアウトだ。しかもそういう時に限って、通り道は自動車の往来がやたら多かったり、事故でもあったのか人だかりが出来ていたりと、障害物競争さながらの困難が次々降り掛かる。
「わっぱ・・確か、銀時のところの・・新五殿か?」
「新八ですよ・・桂さん」
ほら、またしても新手の障害物が登場だ。黒髪を長く垂らした托鉢僧が、巨大なアヒルもどきを連れている。
「八か・・惜しいな」
「惜しくなんかないですよ」
「ってことは、お兄さんが七人居るのか?」
「居ません。末広がりで縁起がいい数字だから、八なんです」
「ほほう。なるほどな。俺は長男だから小太郎なものでな。真選組の副長も兄が十三人居ると思っていたんだが」
「どんだけ子沢山なんですか。犬の子じゃあるまいし」
「犬な。あいつらは幕府の犬、天人の犬だからな。あり得る話よ」
「訳わかりませんっ・・というか、僕、急いでるンで失敬」
こんなのと関わっていたら、絶対に卵が割れちゃう・・と、新八は一礼して桂の隣をすり抜けて小走りに逃げ出したが、桂は「まぁ、待て」と鷹揚に言いながら、のこのこと着いて来る。そこから万事屋までの数町分の距離が、新八には銀河の果てよりも遠く困難な道のりに思えてならなかった。
「遅ぇぞ。どこまで買いに行ってたんだ、あぁ? しかもきょうびバラ売りかよ。まさか、雌鳥のケツ見張りながら、10個産むの待ってたんじゃねーだろうなぁ」
「はいはい、親子丼すぐ作りますから、待っててくださいね」
「そんで? ヅラまで連れてきて・・飯食わすのか」
「ヅラではない、桂だ」
「いや、途中でばったり逢ったら、ついて来ちゃって」
「済まないな、不肖桂小太郎、ご相伴つかまつる」
「いや、ご相伴なんて、して要らないから。というか、うち貧乏だから余分な食材無いから」
新八はつとめて冷酷な声を出しながら台所に入り、卵を3個ボウルに割り入れると、残りを冷蔵庫の卵受けに並べる。鶏肉と玉葱は買い物に出る前に、既に炒めてある。ここに味醂と醤油とダシ汁で軽く伸ばした溶き卵を流し込み、半熟程度で丼に盛った白飯の上に乗せて、仕上げに揉み海苔でも散らせば出来上がりだ・・と、ガス台に向き直った新八は、空っぽのフライパンとご対面してしまう。
「ちょ・・・えっ、何っ!? 食べちゃったの!? ここにあった鶏肉、食べちゃったのっ!? 誰ッ!」
「おう、腹すいてたまんねーって、神楽がよ、そのまま飯に乗せて食っちまった」
「新八、親が無くても子は育ついうネ。親子といえども所詮は他人、生きるって厳しいことあるヨ」
「訳わかんねーよ! だったらこの卵、どーすんの!?」
「牛乳とバニラエッセンスと一緒に、ミキサーにかけるよろし。食後のデザートにミルクセーキあるネ」
「もうとっくに醤油混ぜちゃったよ! 卵だけご飯にかけて食えっていうのかよ、ちくしょう」
思えば、自分が真選組の屯所で長居をし過ぎていたのが一因のような気もするので、それ以上は強い態度に出れない新八は、仕方なくネギと油揚げを冷蔵庫から取り出して刻むと、それをあらためて炒めて、卵丼に仕上げた。
「銀さんは食べたんですか?」
「俺はまだ」
「じゃあ、ふたり分ですね・・良かった、米飯は辛うじて残ってますね」
「済まんが、俺とエリザベスの分は」
「新八、アタシの分は? 無いのカ? アタシはノケモノか? ネグレクトは立派な虐待あるヨ」
「あんたらの分なんてありませんよっ! 神楽ちゃんは、鶏肉食べたんでしょっ!?」
喚きながら銀時に丼と箸を放るように寄越すと、自分の分は台所で立ったまま、かっ喰らった。のこのことあっちの部屋に持って行けば、絶対に神楽かあの不思議生命体に奪われて食われる。その程度のことは、過去の経験から学習した新八であった。
食べ終わってひとり皿を洗いながら・・自分以外の四人・・というか、三人と一匹が雀卓を囲み始めた気配に、新八は再び遣る瀬ない殺気を覚えていた。
「銀さんが達人・・? あり得ねーよ・・確かにめっぽう強いけど、木刀で玉葱みじん切りにできるぐらい凄いけど、流派も型もない、ただの無茶苦茶じゃないか」
そりゃあ、銀さんはいつだったか、目の前の大事な者を守るための剣だと言っていたけれど。でも、いつも話をはぐらかしちゃう銀さんのこと、どこまでが本音でどこからが冗談なんだか。
「わっぱ。手伝おうか?」
不意に話し掛けられ、新八はビクッとして手を滑らせた。新八の悲鳴と共に、泡だらけの皿が豪快に床に叩きつけられる。
「ひっ・・かっ・・かかかかっ・・つらさんっ!?」
「つらさんではない。桂だ」
「あんた、あっちで麻雀してたんじゃ無いのォ!?」
「いや、さっきまでしてたんだがな。あぶれた」
「はぁ?」
覗いてみれば、サングラス・・もとい長谷川がなぜか上がり込んでいて、当たり前のような顔をして麻雀に参加している。
「うぁああっ! マダオさんがいつの間に、うちにぃっ!」
「ふむ。確か、パチンコの借りがどうとか言ってたな」
「それ、微妙に噛み合ってない回答だけど、ニュアンスはよく伝わりました。あのダメオトナ・・まぁだ懲りずにパチンコ行ってたのかよ」
ぶつくさ言いながら、新八が割れた皿を片付けて、皿洗いの続きを始める。その隣でシュッと袈裟の袖をたすきで抑えた桂が、布巾を取り出して皿を拭き始めた。
「料理屋で何度か皿を洗ったことがある」
「へぇ、バイトか何かしてたんですか?」
「ふむ。エリザベスと2人分だ」
「・・あ、無銭飲食して、その分働いて払えってヤツですね」
「そうとも言う」
そういうことは何度も経験しているのか、危惧していたよりはスムーズに食器を拭いて片付けて行く。思えば、刀などという危険物を日頃取り扱っているわけだから、そうそう不器用でもそそっかしくもないのだろう。
「そうだ・・あの、桂さん」
「うん?」
「桂さんにとって、剣って何ですか? その・・今日はそういう話をあちこちでしてたものですから。そして・・銀さんにとっては何だったと思いますか?」
質問の後半が、小声で囁くようになったのは、隣室を気にしてのことだ。銀さんって、人の話ゼンゼン聞いてないくせに、ヘンなところで地獄耳なんだから。
桂は一瞬、ポカンとしていたが、グラスを食器棚に片付けると、思案げに腕を組んだ。
「剣は・・俺ら武士の時代の象徴だったな。そりゃあ、敵を倒すだけなら、爆弾やバズーカーの方が威力があるし、効率的だ。しかしこの先時代が変わったとしても、爆弾やバズーカーは、武士の刀のような魂にはなり得ないだろうな」
「どう違うンですか?」
「それは天人の技術だからさ・・そもそも、天人共は・・」
「ストップ。攘夷論を語りだしたら、桂さん、長くなりそうですから・・で? 銀さんは?」
「あん? 銀時か? あいつは昔から、何考えてるか分からん奴だからなぁ。攘夷戦争の時には白夜叉と恐れられたほどの剣の冴えだったが・・剣術が特に好きだった訳でもないだろうし、武士道に通じている訳でもない。かといって高杉のように、単に殺戮や破壊衝動に酔っていた訳でもないし、戦場の緊張感を楽しんでいた訳でもない。戦争が終わるや一転、早々に剣を捨てたような顔をしながら、腰が寂しいのか今なお木刀をたばさんでいるところを見ると、心から剣を捨てきれた訳でもなさそうだ。いくら付き合いが長い友人の俺にも、あいつの腹の底はよく分からんよ。直接尋ねてみたらどうだ?」
「そんなん・・どうせ茶化されて、まぜっ返されるのがオチですよ。だから、桂さんに聞いてみたんです」
「ふむ・・」
桂はふっと真顔になり、視線を宙に泳がせる。
「何か記憶に引っかかっておるのだが・・腹が減ったな・・何か食ったら、思い出せるかもしれないが」
「あー・・もう、ハイハイ。具なしのオムレツで良かったら作りますよ、まったく」
「すまんな」
オムレツを食べ終え、懐紙で口許を拭った桂が「そういえば」と語りだしたのは、こんな話だった。
今振り返ってみれば敗走間近だった頃のこと。
根城にしていた寺で休んでいたところ、偵察に行っていた銀時が戻ってくるや「侍を見た」などと言い出したのだ。
「侍なんぞ、ここにいくらでも居ろうが」
桂がそうツッコむと、銀時が「ばぁか、ここに居るのは侍というより、落ち武者の群れじゃねーか」とまぜっ返す。
「まぁ、なんにせよ、銀時が無事に帰ってきたということじゃき。どうやらその様子、天人も見かけんかったのじゃろ?」
坂本が、掴み合い寸前のふたりの間に割って入ってそう言うや「銀時ぃ、おまんの別嬪な顔に傷がつかなくて幸いじゃあ」などと両手に銀時の頬を挟んで頬ずりをする。
「ぐぁっ! なぁあああああにをするっ! セクハラ野郎っ! 見ろ見ろ、サブイボが立ったぞっ!」
「むー・・つれないのぉ」
「つられてたまるかっ!」
今度は、銀時が坂本に掴み掛かり、一発殴ろうかという頃合に、銀時の手首を抑えたのは、高杉だった。
「・・で? 何を見たって?」
呆れ返ったような、乾いた声で尋ねられ、銀時は我に返って「おお、それなんだがよ」と思い出したように言ったものだ。
「きょうび、剣道場がまだあるらしくってな。素振りをしてるガキを見かけたんだよ。強くなりたいんだと。もう、世の中から剣なんて無くなるかもしれねぇっていうのにさ」
「剣は無くなりはせんさ、そのために俺らは戦っているのだぞ」
「ヅラァ、そうカッカすんなって。アンネの日か?」
「ヅラではない、桂だ、いい加減にそのニックネームはよせ、銀時。そして俺にはアンネの日もフランクの日も無い」
「なんだよ、そのフランクの日ってのは。毎週金曜日のそせじ部活動の日か!?」
「だから、そもそもそんなもの、無いといっているのだ!」
その会話を聞いていた坂本は、なにやら思うところがあったらしく、鳥の巣頭を片手で掻き回して苦笑していた。この頃にはもう既に、坂本も敗戦を覚悟して、商人への転向を密かに構想していたのかもしれない。
「いや、つまりさ、俺らのこの刀ってぇのに、魂はあると思うか? 天人の血でずいぶんと穢れちまったような気がすらぁ」
「さぁ・・俺なんかは逆に、天人の血を吸えば吸うだけ、この刀が気高く美しくなっていくような気がするぜ?」
「高杉、おめ、趣味悪りぃぜ?」
「まぁまぁ・・銀時の言いたいことは、分からなくもないぜよ」
「坂本、貴様・・銀時口説こうとして、ひとりでイイ子ぶるなよ」
「まぁ、銀時ば口説きたいちいうのは否定しないが・・」
「ちょっ、ちょっと待て、バカモト! それは否定しろ! というか頼むから、否定してくれ!」
「まぁまぁ・・真剣抜いて凄むんはやめちょくれ。わしの血を刃に吸わせても、天人の穢れが落ちるわけでもなければ、剣が気高くなるわけでもないぜよ・・銀時ィ、やっぱり疲れて気ィたっとるのか? 桂ァ、茶ァ煎れてやれ」
「・・というところで、俺は銀時に茶を煎れてやるために、その場を離れたんだが、な」
新八はどう受け答えをしていいのか、分からずに茫然としていた。
いつものことだが、その頃の白夜叉と呼ばれた銀時という男と、いつも一緒にいる銀さんが重ならないのだ。だがもちろん、その片鱗を垣間見ることはある。その煌めきがあるからこそ、日頃グータラなダメオトナの銀さんにいくら振り回されようとも、新八はその側を離れられないのだから。
「それで・・坂本さんは、銀さんの言いたいことはどういうことだって、言ってたんですか?」
「さぁな。だから、俺はそこでその場を離れたって言ったろう? だが・・今思えば多分、剣のために戦っていたつもりでも、いつの間にか、剣が生き延びるための手段というか、道具というか。そんなものになっていたのかもな。死にものぐるいで、ただ、剣だけを支えに生きていたというか。型も流儀もない、ただ相手を殺して自分が生き延びるためだけの剣・・そんなのはもう、剣術とは呼べないんじゃないかと・・いや、だからこそ逆に、その域こそが真の剣術・・なのかもしれないがな」
「そういうの・・銀さんはあんまり話してくれないから、よく分からないンですけど・・前に銀さんは、何かを守るために、剣を取るんだと言ってました」
「ほう? それは・・」
だが、ゆらりと銀時が台所に入ってきたために、ふたりの会話は中断されてしまった。別に、自分の噂話をされていると勘付いて闖入した訳ではなさそうで、ブツブツと「糖分、糖分・・」とつぶやいている。
「脳みそを使うと、糖分の減りが早ぇよな・・ブドウ糖がねーと、シナプスが動かねーんだ・・そうだ、そうに違いねぇ。糖分をとれば、あれぐらいの負け、すぐに取り返せるに違いない・・」
「あれぐらいって、どれぐらいっ!? というか、賭け麻雀なの? 誰にどんだけ負けてるのっ、銀さんっ!」
「エリザベスは結構強いぞ。賭場荒らしができるほどだ」
「ふーん、だ。糖分さえあれば、銀さんは宇宙生物なんかに負けないもんね。糖分、糖分・・新八、そこどけ。まだ冷蔵庫に、高杉の土産のういろうが残っていたはずだ」
「高杉・・来ていたのか」
「あのういろう、高杉さんのお土産だったんですか? というより、京都に潜伏している高杉さんが、何故、名古屋名物のういろいをお土産に?」
それには答えず、銀時は冷蔵庫から四角い箱を取り出すとヒョイと放り上げ、木刀を抜く。鮮やかに剣筋が閃くと、箱がパラリと斬られて剥き身になったういろうが落ちて来た。銀時は、丸で猟犬のようにそのういろうに食らい付き、一気に口の中に押し込む。
「ういろうの一気食い・・って、見てるこっちの血糖値が上がりそうだよ」
「うし、これで勝てる気がするぜ! 見てろ、怒濤の快進撃を!」
銀時が、ぐっと拳を握りしめる。
「ああ、そういえば・・銀さん、毎度の事ながら、木刀でよく斬れますよね」
「あん? 何を今さら」
「いやほら・・今日、銀さん、言ってたでしょう。剣の達人は名人の域に達すると刀を使わずに斬れるって」
「あー言った言った。今日読んでた漫画にそーいうネタがあってよ。そっか。俺って名人だったのか。よし、これで麻雀の負けも挽回できるに違いないという気がしてた。つか、しないとヤバイ」
けろりと言い放つや、銀時が台所を出て行った。
「なっ・・なんなんだよ! 元ネタ、漫画かよ! ひとが真面目に考え込んだっていうのに!」
「ああいうヤツなのだよ、銀時は。長い付き合いの俺らですら、あいつの腹の底は分からん」
桂が苦笑混じりに、ういろうの箱の残骸を拾い上げて、ゴミ箱に捨てる。
「もし分かろうとするのなら・・斬りあうしかないのかもしれんな」
「へっ?」
「そういうものなのだよ、剣の同志というものは。剣で語らうとでもいうのか」
もしかしたら、一緒に稽古をする仲間が好きなだけなのかもしれねぇや。
どこか似ている。いや、似ているのは見かけだけで、まったく違うのかもしれない。新八にはその真偽や差違を見分けられなかった。そして、それが分からない自分が部外者であるかのような、疎外感をも感じずにはいられない。
「僕が・・僕が物心ついた頃には・・もう、廃刀令が施行されてましたし、真剣で渡り歩くような経験もなければ、そんな機会すらなかったんです。そんな僕には・・実際に戦っていたあなた方や、今も剣に従事してる真選組の人達のような、そんな境地はとても理解できませんよ」
「なるほど・・では、天人を打ち払い、武士の世の中を取り戻すために、共に戦おうではないか」
「そ・・それはちょっと勘弁してください」
「そうか? 残念だ」
がっくりと項垂れている新八を、桂はきょとんと見下ろしていた。隣室では、快進撃の雄叫びなのか、それとも追い討ちをかけられた阿鼻叫喚の悲鳴なのか、銀時が喚いているのが聞こえる。桂はそれを聞いて、エリザベスの勝ち具合はどの程度かなと、ふと気になった。まぁ、銀時やあのオッサン相手では、実際にとれる金額もタカがしれているだろうが、な。
「まぁでも、アレだな、わっぱ」
ふと、桂が振り向く。
「なんだかんだ言って、俺達だって・・剣に対して、そう難しいことを考えてた訳じゃない。根っこはただ単に・・その銀時が見かけたガキとやらのように、強くなりたいって思ってただけかもな」
強く。
ただひたすら、強く。
強くなりたいと、その一念で。
何のために?
なにかを護るため?
新八の脳内で、もやっとした思考が何かの形を象りそうになっていたが、桂はそれ以上は何も言わずに台所を出て行った。
それはきっと・・銀時の側に居れば、いつか掴むことができるだろうから。
「銀ちゃん、腎臓売ってカネつくるヨロシ!」
「できるかぼけぇえええっ! ただでさえ糖尿病寸前で虚弱になっている腎臓切り売りしたら、死んじまうだろうがぁああああっ!」
・・ま、普段はこんな奴だがな。
新八もどうやら同じことを考えたらしく、背後でプッと吹き出したと思うと、桂の脇をすりぬけて雀卓の間に飛び込むや「もう、しっかりしてくださいよ、銀さん、名人なんでしょぉ!?」と、元気良く叫んでいた。
【後書き】今回はエッチなしのオハナシです。土方×銀時の伏線代わりに、剣のオハナシを・・と思って、武士道や剣について色々盛り込んで、各キャラに語らせたら、おっそろしく長くて、コムヅカシイ話になってしまいました。その代わりに、ギャクも山盛り。書いてて楽しかったけど、エロなしはやっぱりちょっと寂しい・・ので、坂本にセクハラさせてみました(何やってんだか)。
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