Lemon Candy


「今日もお疲れ様でした。あの、疲れた時は甘いものがいいって、親に持たされちゃって」

石高への出稽古の翌日。帰り支度を済ませた三ツ橋が、照れ臭そうに笑いながら、手の平を差し出した。黄色い包み紙が何個か乗っている。

「優しそうだしな、三ツ橋んとこのお母さん。じゃ、遠慮なく」

屈託無くそれを一個拾い上げたのは、部長の小関信也だ。ふと、もう一個取ると「監督もどうぞ」と振り向き、辻桐人に差し出した。

「お、おう」

考え事でもしていたのか、辻は飴玉を前に目をパチクリさせ……かなり気まずそうにそれを受け取って包み紙を剥くと、口に放り込んだ。

「甘いってか、えらく酸っぱいな」

そう呟いたのが聞こえたのか、三ツ橋が「レモンですけど、ダメでした?」と、オドオドと尋ねる。

「いや、悪くない。疲労回復にレモンの蜂蜜漬けとかあるぐらいだしな」

「そ、そうですか」

三ツ橋が、ホッと安心したように息を吐く。その表情に、こんなことまで叱ったりはしないのにな。嫌われ役は慣れてるけど……と、辻は苦笑いした。

「なんじゃ、部長。飴か? ワシも食べたい」

辻の横をすり抜け、その小関にじゃれついたのは潮火ノ丸だ。

「俺のじゃないよ。三ツ橋君の」

「ワシも食べたいんじゃ」

「ハイハイ……三ツ橋君、もう一個もらえる?」

その三ツ橋の代わりに「あ、ねーわ」と答えたのは、國崎千比路だった。全部一気に口に放り込んだらしく、バリバリと派手な音を立てて噛み砕いている。

「あ、そういえば、ユーマさんの分もなくなっちゃいました。スミマセン」

「いや、俺はレイナに貰うからいい」

レイナ? と一同が振り向くと、部室の窓から覗いていた顔が、ピュッと引っ込んだ。五條佑真がゆっくりとその窓に近づき、コンコンと窓枠を叩くと「火ノ丸の分と、ふたつな」と言った。

「一応、あるけど……なんであのチビの分まで?」

「仕方ねーだろ、國崎が全部食っちまったんだから」

だが、潮は「部長のと同じのがいい」と、おとなげなく拗ねた。辻はそんな潮を見慣れていなかったのか、珍しく動揺して「あ、悪い。俺、食うんじゃなかったな。すまなかった」と、筋違いな謝罪をした。まだ手にしていた包み紙を、気まずそうに弄り回している。

「へっ? いや、それはお前が貰った分じゃから、それはそれで構わんのじゃが」

「そ、そうなのか?」

辻に対する態度から察するに、潮はただ単に、小関に絡みたかっただけのようだ。

「そうじゃ。部長、まだ蛍と帰り道に、公園で四股踏みしとるんか?」

「いや、一緒には帰ってるけど、毎日の特訓でヘロヘロで、そこまでの余力はないよ」

「なら、今日は、ワシが部長と一緒に帰るぞ。腹が減ったから、途中で何か食べに行かんか? それで手打ちじゃ」

飴が欲しかったんじゃないのかよ。なんなんだよ、もう……とは思うが、確かにここ最近は「潮は、監督や相撲部屋に任せているから大丈夫だろう」と、放置気味だったかもしれない。背丈の割におとなびているように見える潮だが、実際には、相撲のこと以外では年相応に、いや、むしろ幼い面があるようだ。

「じゃ、俺がお姫様をエスコートしとくから、部長は火ノ丸とデートしとけ」

「ちょ、やめてよ。イヤな言い方しないでくれる?」

國崎におちょくられて小関は顔をしかめたが、潮は満更でもないらしく、極めて上機嫌であった。





なぜか五條に「不良とかに絡まれてもケンカするなよ。繁華街とかウロチョロしないでまっすぐ帰れよ。ついでにゆーと、帰ったらちゃんと勉強しろよ」と、懇々と諭されてから解放された。

「不良に絡まれてもって、五條本人が不良じゃんか、なぁ?」

國崎がむくれながら三ツ橋に同意を求めたが「あはは」という乾いた笑いが返ってきただけだった。

「明日、もうちょっと多めに持って来なくちゃ。稽古の相手をしてくれている子供達にも配ってたら、皆の分、なくなっちゃって」

「そんな余計な気を使わなくていい。てめーは、相撲だけ一生懸命やってたらいーんだよ」

「そ、そうなんですかね。相撲だけ、じゃ全然足りないから、何か皆の役に立てたら……って思ったんですけど」

「まわしもタダじゃねーんだし、打ち身擦り傷の治療費だってかかるんだ。要らんカネ使うことねーだろ」

経済的負担が気になるのは、あまり裕福でないうえに兄弟の多い、國崎らしい心配の仕方だ。さらに、並んで歩いていると、自然と三ツ橋が歩道側に追いやられている。

「皆さんに守ってもらってばかりですね、僕」

ポツリと三ツ橋が呟く。國崎はその三ツ橋の頭をワシワシと撫でながら「一応、後輩だしな」と答えてやった。

「石上高校でも、部長に庇われちゃったんですよ。あの、石上高校ってすっごい重たいタイヤをトレーニングに使ってるんですけど、それが転がってきて、僕、転んで轢かれそうになっちゃって……そしたら部長が体を張って止めてくれて。150キロもあるんですよ、150キロ」

「150キロかぁ。俺なら体を張らなくて片手でヨユーだったかもよ。ヘヘッ。あーあ。俺も石高、行きたかったな」

「部長のだって凄いって、皆言ってたんですから」

「ハイハイ」

もっとも、國崎が同行していたら、あの柔道野郎と対戦することはなかったろうから、結果オーライだ。それでも、三ツ橋が手放しに小関を讃えるのは、何故かちょっぴり面白くなかった。

「國崎さんのことだって、頼りにしてますよ、僕」

唐突に何を言いだすんだと訝ったが、その言葉が心地良く響いたことも、確かであった。

「えっと。お前んち、この辺りだっけか」

ボロい市営団地にぎゅう詰めで育った國崎にしてみれば、この辺りのいかにもセレブ御用達な雰囲気の高級住宅街は、いささか尻が落ち着かない。さすが子供の頃からフルートなんぞを習わせるようなお家柄だ。そんな家の子が相撲をやりたいと言い出して、毎日泥だらけ傷だらけになるのを、よくぞ許してるなと心配になる。

「ええ、この近くです。お腹すいてるんなら、ウチで何か食べていきます?」

「いいや、だいじょ……」

うぶ、と言い切る前に、腹の虫が元気よく返事した。
三ツ橋が「ほら」と笑って、人差し指を國崎の腹に押し当てる。あれだけキャンディをバリバリ食べたのに、もう足りなくなってしまったらしい。

「いや、帰って食うよ。今日はねーちゃん来てて、メシ作ってくれてる筈だから。ねーちゃんのメシ残すと『せっかく作ったのに』って、カカト落とし炸裂すんだぜ」

「そ、そうなんだ?」

「そそそ。肉体言語の激しい家系なんだわ、ウチ」

ニッと笑って、三ツ橋の白い頬を摘む。思ったよりも柔らかい感触で、ふにっと餅のように伸びた。

「い、いひゃぃ」

「お、わりわり」

女の乳……いや、ねーちゃんの赤んぼを触らせて貰ったような感じだな。もっと触りたいという衝動に駆られたが、あまりに帰りが遅くなったら、さらに関節技も加わるなと、思いとどまった。

「じゃあな。気をつけて帰れよ」

「ハイ。ありがとうございます」

ぺこりと会釈した三ツ橋の頬には、ほんのり桜色に指の跡がついていた。





そんなに強くつねった覚えはないんだけどな。
翌朝、船上の四股踏みにきた三ツ橋を見て、國崎は頭を掻いた。引くどころか青あざになっていて、昨日よりも目立つ。
ごめんな、と声をかけようとしたら、一瞬早く小関が駆け寄り「どうしたの、大丈夫?」などと言いながら、三ツ橋の頬を撫でていた。

「ええ、なんでもないです。ちょっと肌が弱いだけで」

そこに五條も割り込んで「殴られたのか? 誰にやられた? いつぞやの連中か?」と、目を吊り上げている。さらに船端に腰を下ろしていた辻が、面倒くさそうに立ち上がって三ツ橋の顔を覗き込み「どうやら、打撲じゃないみたいだな。腫れてる様子もない。指の痕?」などと呟いた。

「ほらね。だから心配ないんですってば。ね?」

心配性の仲間の追及を逃れるように、三ツ橋が國崎の後ろにくるんと隠れた。このタイミングで「実は、俺がやりました」と言える由もない。國崎は気まずそうに「お、おう」と呻いた。
数日後、三ツ橋の秘密兵器『八艘飛び』の特訓で「俺が練習台になろうか」と、国崎が手を挙げたのは、そんな小さな罪悪感もあったのかもしれない。

「最初は、もっと小さいものを飛び越える練習からした方がいいんじゃないかな。飛び損ねたら足がぶつかるわけだし、転んだら危ないし」

辻が難色を示したが「最終的には、俺よかもっとデカいヤツでも飛び越えなきゃなんだろ? チンタラしてる時間は俺たちにはねぇぜ」と説き伏せた。





「いわんこっちゃない」

辻は呆れ返っていたが、あちこちアザだらけになった國崎は「まぁ、こんなもんだろ」という認識であった。弟や甥っこと遊んでいたら、この程度の打撲は日常茶飯事だ。

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい」

「へーきへーき」

「だ、だって、ここなんて、すごく青くなってて」

「姉貴のローリングソバットに比べたら、軽い軽い」

「そ、そうですか」

おどおどしながらも「あの、もう一丁、お願いできます?」と、三ツ橋が上目遣いで尋ねてくる。

「おうよ」

仕切りの形に入り、握った拳を地面に寄せる。はっきよい、と声を出した次の瞬間、またも飛び損ねた三ツ橋の足が、豪快に肩を打った。

「ご、ごめんなさいっ!」

「もう一丁?」

「す、すみませんっ!」





練習を終えて着替えていると、五條が呆れたように「チヒロ、お前、Mなの?」と尋ねてきた。

「む?」

「だって、ホタルのアレ。カントクのいう通り、タイヤかなんかで代用すりゃいいのに、わざわざボコボコにされてさぁ」

「タイヤよか、人体の方が分かりやすいだろ。な?」

振り向くと、三ツ橋が「す、すみませんっ」とぺこぺこ頭を下げた。その三ツ橋の臑も、あざだらけになっている。

「でも、後半はちょっと掴んできた感じだったよな」

「え、ええ。おかげさまで、多少」

遠慮がちに笑みを浮かべた三ツ橋の顔を、國崎が両手で挟む。じっと顔を覗き込んで「そういや、あざ目立たなくなったな。良かった」と囁いた。

「あ、あの?」

そこに小関が「じゃあ、明日は僕が三ツ橋君の練習台になろうか?」と声をかける。

「いいんですか? じゃあ」

お願いします、と続けようとした三ツ橋の口を、國崎がとっさに手で塞いで「いや、俺がやんよ」と遮った。なぜ、そうしたのかは、自分でも分からない。あえて言葉にするなら小関に「盗られる」と思ったから、だろうか。
掌に感じる三ツ橋の唇の感触が柔らかくて、妙な気分になりそうだ。ゆっくりと手を離し「あ、えーと。そういえば今日は、飴持ってきてんのか、飴」と、話を逸らして誤摩化した。





レスリング部にいた頃、正直言って、弱いヤツは足手まといだから嫌いだった。それなのに今、三ツ橋に手を差し伸べたくなる理由は多分、弱くて守られてる己の現状に、満足していないからだろう。
弱っちいくせに、強くなろうとか役に立ちたいとか数合わせ要員じゃなく一緒に全国を目指そうとか、なんだか健気なこと言っちゃって。百年はえーんだよ、百年。

「ちゃんと歩けるか、ホタル。足痛ェんだろ」

三ツ橋なりにバレないように気を使っているようだが、痛い部分を庇ってヒョコヒョコとおかしな歩き方になっている。脛は、弁慶の泣き所っていうぐらいだしな。

「おぶってやろうか」

「そんな、申し訳ないですよ。そっちだって疲れてるのに」

「一種の負荷トレーニングみてぇなもんだと思えば、楽勝楽勝」

「そ、そういうものなんですか?」

恐る恐る背中におぶさってきた三ツ橋の体は、やや熱っぽくて柔らかかった。柔軟剤の匂いなのか、石鹸の匂いなのか、なにやらフローラルな香りと汗の匂いが混ざって、心地よく鼻をくすぐる。國崎は乱暴に三ツ橋を揺すり上げると、鞄も両脇に抱えて「最強ォーッ!」と吠え……次の瞬間、全力ダッシュで走り出した。





「……何なんですか、訳わかんない」

やがて國崎が息を切らし、大きな公園で立ち止まると、三ツ橋は涙目でボヤいた。

「絶対、クラスメートに見られた。しかもチヒロさんなんかずっと叫んでるし……もう、恥ずかしくて死ねる」

「もう既に、相撲部でケツ丸出しを披露してんだから、今さら恥ずかしいも何もねーだろ」

「そういう論点ですか?」

だって叫びでもしないと変な気分になっちまうからよ、とは言えない。三ツ橋を下ろした背中が、妙にスースーしていた。

「顔、真っ赤ですよ。少し休みます? お茶でいいですか? それともスポドリ?」

「飴でいいよ」

「さっき、部室で全部食べちゃったでしょ」

「じゃ、ポカリ」

ベンチにドカッと座ると、自販機でスポーツドリンクを二本買ってきた三ツ橋が、隣に腰を下ろした。

「お、わり。払うわ」

「いいですよ、明日も付き合って貰うんだし」

「付き合ってねぇ、まぁ、付き合ってるか」

相撲の稽古を、ね。
分かっていても、ベンチに二人並んで同じドリンクを飲んでいるのは、妙な気分だった。毎日のようにほぼ裸の状態を見ているせいで逆に意識しないけど、こうして服を着込んでたら、華奢な体格といい、整った顔といい、女の子みたいだもんな。小さい頃から女の子みたいだってからかわれるのが嫌で、強くなりたいから相撲を始めたって。

「少なくとも、俺、お前んこと好きかもな」

「へっ?」

キョトンと見上げる表情が可愛らしくて、つい、抱き寄せて頬ずりしていた。欲情したというよりは、姪っ子に対してするような感情が近かったが。

「これなら、痕つかないだろ?」

いかにも得意げに言われて、三ツ橋は怒る気にもなれず「はぁ」と苦笑いした。このひと、天然だと思ってたけど、本当に天然なんだな。多分これも、國崎ルールの「肉体言語」なのだろう。

「キスされるかと思って、ドキッとしました」

「いやぁ、姉貴が日頃『虫歯菌移るから、キスしたら殺す』って凄むからさぁ」

「赤ちゃんじゃないから、キスしたって大丈夫ですよ?」

「は?」

「……冗談です」

國崎が手にしているペットボトルが既に空になっているのを見て取り、三ツ橋は「それ、捨ててきましょうか?」と、手を差し出した。

「お、おう」

つい、見つめ合う形になり、なんだか雰囲気がおかしくなりかけたところで。

「あーいたいた。道草くってねーで、さっさと帰れっつったろ!」と、自転車に乗った五條に声をかけられた。

「は? 五條、不良のくせに、なに今さら風紀委員ぶってんの?」

「ガッコの近くで雄叫び上げてたろ。目立つんだよ、ボケ。アホなことしてっと相撲部の評判に関わるからなんとかして来いって、カントクに言われて追いかけてきたの!」

怒鳴り合っている二人の陰で、三ツ橋は「調子に乗って、キスとかしてなくて良かった」と、ホッと胸を撫で下ろす。

「オイ、三ツ橋。コイツに妙なことされそうになっても、ちゃんと断れよ?」

急にやり玉に上げられた三ツ橋は動揺して「えっと、その、大丈夫です。僕も國崎さんのことは好きですから」などと、口走ってしまった。

「は?」

「えーと、相撲部の仲間として」

「なんだ、そうか。やめてくれよ、心臓に悪い。三ツ橋、家までチャリで送ってやろうか?」

五條が、自転車の荷台をチョイチョイと指差す。
三ツ橋はどう返事したものかと國崎の方をパッと見上げ……視線があった。

「いや、俺が送ってく」

「そうか? 送り狼になるんじゃねーぞ。さっさとオウチに帰って、赤点とらねーように勉強しろよ。風呂入れよ。歯ァ磨けよ」

「オカンか!」

嵐のように五條が去り……國崎と三ツ橋が顔を見合わせた。

「えーと。んじゃ、帰るか。足、大丈夫か? おんぶしなくていいか?」

「あ、ハイ」

というか、アンタのおんぶはもう二度とゴメンです、とは敢えて言わない。その代わりに「明日も持ってきますね。レモンキャンディ」と笑いながら、差し出された逞しい手を握り返していた。

(了)

【後書き】タイトルはCHARAの『レモンキャンディ』より。岡村靖幸が作曲してたなんて知らなかったさ。そういえば岡村っぽい……かな? と思いながら繰り返し聞いていたら、ふっと思いついたお話なので、深い意味はありません。
國崎がすっかりダーリンしてるなぁと、原作読みながら思ったものだからね、ついね。
初出:2015年09月19日
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