Railroad
川人高校・相撲部の大河内がそのファッションビルのスポーツ用品店にふらりと立ち寄ったのは、地元の店には無いトレーニンググッズがあるかもしれないと、ふと思いついたからだ。
新人戦で軽々と放り投げられたのを反省して、闇雲にウエイトを増やすのではなく、ぐっと踏ん張れるだけの脚力もつけたかったのだ。脚力増強で簡単に思いつくのは足首に巻きつけるおもり・パワーアンクルだが、過去に痛めた膝に負担がかかるようでは困るし……と、ダンベルやアレイが並んでいる棚をじっくり眺めていると、ふと、誰かにぶつかった。
「あ、申し訳ない」
すぐ隣にいたのに視界に入らなかったのも道理、相手はかなり小柄で華奢だった。サイズがあっていない大きめのパーカーの袖から、手指が辛うじてのぞいている。
「いえ、こちらこそ、すみませんでした」
「君も、何か探してたの?」
最近は、ダイエットのためにウエイトトレーニングをする女性もいるからな。もっとも、目の前の人物はダイエットが必要な体型には見えないけど。いや、逆にバストアップ目的かもしれないな。
「探しているっていうか……あれっ? もしかして、川人高校の……ええと、大河内さん?」
「えっ? 僕を知ってるの?」
見上げてくる大きな目を覗き込みながら(こんな女の子、いたっけ?)と、大河内は首を傾げた。
ボーイッシュなショートカット。過去に一度でも会っているのなら記憶に残っていそうなものだが……もしかしたら、前はロングヘアだったのかもしれないな。さらに『川人高校の』と断るからには、他校生の可能性がある。それなら心当たりがなくても、仕方ないかもしれないが。
「だってほら、こないだの新人戦に出てたじゃないですか」
ああ、なるほど。新人戦を観に来ていたのか。
それなら納得だと、大河内は指先でクィッと眼鏡のブリッジを押し上げた。
「運悪く初戦で負けてしまったけどね。まさか相手がレスリングの国体王者だとは知らなくて、つい油断してしまったんだ……それに膝がね、うん、昔痛めた、膝の違和感がね……あれさえ無ければ、レスリング野郎はもちろん、あの横綱の息子にだって引けはとらないつもりだ」
「ええっ、久世さん相手にも? それはスゴイですね」
「もしかして君、相撲、好きなの?」
「ハイ、大好きです」
ニッコリと笑った顔が、不覚にも可愛いと感じてしまった。
なにしろ相撲というスポーツは、一般的に女性ウケが悪い。日本人横綱が強かった時代には、それなりに人気があったらしいが、それも今は昔、だ。
相撲部というだけで「ダサッ」と瞬殺でフラれたことが一度や二度ではなかっただけに『相撲が大好きと即答する少女』が、大河内には天使のような存在に見えた。
「その、新人戦の結果は不本意だったが、僕は中学時代には、県代表で全国大会に出たこともあるんだよ」
「県代表ですか! お強いんですね」
うん、天使だ。きっとそうに違いない。
イマドキの女子高生には珍しくノーメイクで、付けまつ毛どころか眉の手入れすらされていないが、そんな素朴さも悪くない。透けるような白い肌にふっくらした頬はやわらかそうで、つい触れたくなるほどだ。
「あの、君の名前を聞いていいかな?」
「ミツハシです。ミツハシ、ケイ……ホタルっていう字を書くんですけど」
小さな己の掌に、ほっそりした指で字を書いてみせる。その名前にどこかで聞き覚えがあるような気がしたが、短く整えられている爪が淡い桜色で、ゴテゴテと飾られたイマドキのデコ爪とは比べ物にならないほど、あまりにも清楚かつ可憐だったせいで、そんな疑惑などすっ飛んでしまった。
「ああ、蛍雪の功、のケイだね。蛍の光、窓の雪……の」
「わぁ、大河内さんって、強いだけじゃなくて、博識なんですね。すぐにその故事が出てくる人に会ったの、初めてかも。そうやってコツコツ努力するひとになりますように、ってつけられたんです。だから、ちょっと変な名前だけど、今は嫌いじゃないんです」
「いや、全然変じゃないよ。すっごくいい名前だよ。え、えーと、じゃあ、ケイさん、って呼べばいいのかな。それとも、ケイちゃん?」
「ケイ、でいいですよ」
いきなり呼び捨てオッケーとは!
これはもう、運命でなくてなんだろう。
「その、もし時間があるんなら、スタバでもどう? 良かったら、奢るよ」
「えっ? いいんですか?」
ぱぁっと表情が明るくなるのを見て、思わずギュッと抱きしめたい衝動に駆られた、その瞬間。
「おお、居た居た。どこに行ったかと思えば……ホタル、誰だ、そいつ」
唐突に、思い出したくもない男がヌッと現われた。
新人戦で自分をあっさりと葬り去った、レスリング国体王者、國崎千比路そのひとだ。
「えっ? 君、アイツと知り合いなのか?」
「知り合いも何も、同じ部活です。別件で集まったんですけど、チヒロさんが好きな味のプロテインが、ここにしか売ってないから、ちょっと寄りたいって言い出して」
「同じ部活って……えっと、相撲部、だよね? マネージャー?」
「やだなぁ。僕もこないだの新人戦、出場してましたよ。あっさり初戦敗退でしたけど」
「えっ、ええっ?」
状況が飲み込めず、大河内が口をパクパクさせていると、國崎の背後から、見覚えのある連中がぞろぞろと現われた。そうだ、他のメンバーのインパクトが強すぎてすっかり忘れていたが、そういえば大太刀高校にヒョロいのがひとり居たっけ。そいつの名前が確か、三ツ橋蛍……と思い当たった瞬間、大河内はショックで膝から崩れ落ちそうになった。
「『誰だ、そいつ』って、チヒロさん忘れたんですか? ご自分が対戦した相手でしょう」
「あの長髪ヤローしか、記憶に残ってねぇ。次はぜってぇ、倒す」
「もう、チヒロさんったら……でね、大河内さんがスタバ奢ってくれるんですって」
え、いや、僕が奢ろうと思ったのは、この子だけで、つーか女の子だと勘違いしたからで……と、大河内が言い訳をする前に「えっ、マジで? あざーっス!」と(しかも、寄りによって、憎っくき國崎に)大声で言われてしまった。
「スタバって、このビルの一階にある、ハイカラなコーヒー屋じゃろ。ワシ、うまく注文できる自信ないから、チヒロと同じのでええよ」
さらにトドメをさすように、サラリとそれに便乗したのは、その前の地区予選大会にて屈辱的な『電車道』で大河内に土をつけた、潮火ノ丸であった。
「なぁ、大関。さっきのアレ、フツーにナンパされてたよな、ホタル」
五條佑真がボソッと呟くと、小関信也が「だよね」と頷いた。
國崎が嬉々としてプロテインの棚を漁っている間、ごついトレーニングマシーンの類いが物珍しかったのだろう三ツ橋が「ちょっと見て来ていいですか?」と、売り場をフラフラしていたのだが……ここは、面倒くさがって「少しの間ぐらいなら大丈夫だろう」と放牧せず、例え過保護であろうと、誰かが一緒に行ってあげるべきであった。
「三ツ橋もビミョーに紛らわしい格好してたんだし、相撲を理解してくれる女の子がいたら嬉しいっていう気持ちは、なんとなく分からなくもないな。なんだか気の毒だから、せめてタカるのはやめさせようよ」
「いーや、うちの部員に手ェ出そうとした不届き者を、不問に付するわけにはいかねぇ。ケジメだ、ケジメ。だが……そうだな、俺らも鬼じゃねぇ。スタバじゃなく、ハンバーガーあたりで勘弁してやろうぜ」
「おう! それなら、ワシでも自分で注文できるぞ!」
いや、そのパターンは絶対にスタバよりも高くつくだろ。お前ら食べまくる気満々だろ。勘弁してやるというよりも、むしろ完全な嫌がらせだろ……と、小関は大河内(と、彼の財布)に深く同情した。
(了)
【後書き】現在WJ連載中(2014年48号時点)の「新人戦」の後。チヒロは草介に破れた……という設定(先読み?)で書いています。いや、だって解説席第5回での「大河内君のドヤ顔からの電車道」にぷるぷるして、沸き上がる妄想を我慢できなかったんだもんwww
タイトルは、大河内君を象徴する(?)『電車道』を英語で……なにしろ勢いで書いたもんだから、他に思いつかなかったんです。
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