草の蛍
「自信、ねぇ。いっぺんでも勝てさせりゃいいんだろうけど。ソレ以外で男が自信を持つったら、アレだ。ドーテーを卒業させてやるとか、かなぁ?」
ユーマに相談した自分が馬鹿だったと、小関信也は部室の片隅で肩をすくめた。
初日で辞めるかと危ぶまれた一年生の新入部員、三ツ橋蛍の件だ。新人戦まで一週間切っている現状では、もう腕力や脚力はどうしようもないし、付け焼き刃の小手先の技が通用するとも思えない。せめて気合いというか、自信だけでもどうにかしてあげられないかと考えあぐねた結果なのだが……かといって、チヒロからは「んなもん、気合いだ、気合い」ぐらいしか返ってこないのは目に見えてるし。
「そんなの卒業させてあげるにしても、相手が思いつかないよ。ユーマさんは経験あるの?」
札付きのワルをやってたんだし、さぞやブイブイいわせていたんだろうなと思ったが、意外や「あー…いや。その」という歯切れの悪い返事が返ってきた。
「ウチにゃ、うるさいのがいるから、近づいてくる女は皆、潰されるっていうか、その」
「うるさいの」が誰かは知らないが、確かに道場を占領していた頃も、取り巻きは野郎ばっかりだったなぁと、そこは妙に納得してしまう。
「つーか、チヒロはどーよ? ファンクラブとかあったんじゃねーの? 得意だろ、寝技」
あっと止める間もなく、五條佑真は部室に入ってきたばかり國崎千比路を巻き込んでしまった。
一年生はまだ(内容までは知らないが)学年集会をしているはずなので、噂の当人はまだ来ないと分かっているのが、不幸中の幸いだ。
「む? 寝技か? 女相手じゃ鍛錬にならないからなぁ」
「いや、寝技ってそういう意味じゃなく。つーか、てめーは本気でベッドで技かけてそうで怖いわ! そーじゃなくて、あのモヤシのハナシなんだけど
よォ」
他に相談相手と言っても……潮は論外だな。そんなのに目をやっている暇があったら、四股のひとつでも踏んでいたろうし。その四股を踏むのすら覚束ない、華奢な新入部員の力になってやりたいと思う感情は、部長として当然の配慮のつもりだが、脱ドーテーとなるとハードルが高過ぎる……と、小関は頭を抱えた。
「あ、そろそろ一年生がやって来る時間だね。二人とも、さっきのハナシはくれぐれも内緒にしてね」
「おう」
「小関さんって、ホント身体柔らかいですよね。触っていいですか?」
散々土俵でぶつかって触れているだろうと断ることもできたが、三ツ橋蛍の無邪気な口調に、小関は「イヤ」とはとても言えなかった。
「身体が硬いと、怪我しやすいからね。柔軟性だけじゃなくて、筋肉をほぐしてやるっていうか」
「こんなに柔らかいのに、力をこめたら鋼のように硬くなるんですよね。不思議です」
それは多分、きちんと鍛えている國崎の筋肉も同様に、普段は触ればしなやかで柔らかいはずだが……見た目から連想するギャップは、自分の方があるか。小関は二の腕だの胸だの腹だのを揉みまくられて苦笑しながら「三ツ橋君も頑張ったら、これぐらい筋肉はつけられるよ」と答えてやった。
「っていうか、ちょっとくすぐったい」
「あ、す、すみません!」
美少女のような整った顔が真っ赤になるのを見て、小関は唐突に「脱ドーテー」の話を思い出した。ホント一体、どうしたものかな。これが相撲なら、いくらでも胸を貸してやることはできるけど。それとも胸を貸して……やればいいのか、僕が? いや待て、何を考えてるんだ。ぐだぐだ考えている小関の背中で、何かがばちんと派手な音を立てた。
びっくりして振り向くと、潮火ノ丸が片手を挙げていた。どうやら、小関の背中に平手打ちをかましたらしい。
「部長、ワシとやらんか」
「あ、でも三ツ橋君の相手もしてあげないと」
「四股踏みとか摺り足とかてっぽうとか、一人で出来る稽古はいくらでもあるぞ。たまにはいいじゃろ」
あれっ、と思ったのは、潮の表情がいつもよりも子供っぽく、駄々っ子のように見えたからだ。
「僕の実力じゃ、胸を貸すどころか、逆に借りる資格もないぐらいなんだけど。ユーマさんやチヒロは見ててあげなくていいの?」
「ワシは部長としたいんじゃ」
頑なに言い張るのに負けて、小関はハイハイと土俵に上がった。
「部長、分かっとるとは思うが、土俵の上で考え事は厳禁じゃぞ。ワシと取り組んでる間は、ワシのことだけ考えてくれ」
「分かってるよ」
拳を土俵につけて、仕切りの構えに入る。
潮の言葉、まるで愛の告白だな、という感想がチラリと脳裏を過ぎった次の瞬間「ハッキヨイ!」という絶叫と共に、鳩尾に猛烈なぶちかましが入ってきた。さすがに我に返ってその場は踏みとどまったが、国宝級にまわしを掴まれては、小関ごときが五秒と保つ由がなかった。
フーゾクって手があるなと、部活を終えて汗を拭きながら言い出したのは、國崎であった。
土俵周りを片づけている三ツ橋と潮に聞こえないよう、小関は慌てて指を口元に立てながら「で、でも僕ら学生だし。特に三ツ橋君は、いくら誤魔化しても18歳には見えないよ」と答えた。
「む? ああ、そうか」
いささかデリカシーに欠ける國崎も、さすがに小関の意図には気づいたらしく、声をひそめながら「実は、レスリングやってた時には、飯だの何だの奢ってくれたスポンサーがいてよ。そんときに紹介された“嬢”がいるんだ」と、続けた。
近年、高校野球部で騒がれた「栄養費」か。伝統的な相撲の世界でいえば、タニマチというやつだ。そこまで周囲に期待されてたのに、一転、相撲(それもウチのような弱小部)に転向してくれたのかと思うと、國崎の決意がありがたい反面、申し訳なさでいっぱいになる。
「さっきアイツの写メ送って、童貞だって教えたらカノジョ、ノリノリでよ。無料で何試合でもしてくれるとさ」
「そ、そうなんだ」
「そいつのメアドと写メ送っとくわ。ホタルが行く気になったら、メールしてやって」
「はー…どうも」
「元々、フルートしてたってんなら肺活量は一定以上ある筈だし、本人も言うようにそこそこガッツもあるみてーだから、ここでひと皮剥けたら、少しはマシになるだろ」
その会話を聞いていたらしい五條が「それ、俺もあやかりたいんだけど、無理かな。ナァ、無理かな」と絡んできた。
「カノジョ、ホタルみたいのがタイプみたいだったから、五條じゃどうかなぁ? 正規料金払ったら、お仕事してくれると思うけど」
「そ、そんなカネある訳ねーだろ! バイトしてねーんだし、臨時収入もなくなったし!」
臨時収入……不良時代のカツアゲのことだろうなぁ。ツッコむのは止めておこう、と小関が思った矢先に、國崎がスマホを弄りながら、ポロリと「臨時収入って、カツアゲ?」とこぼす。
「なっ……んだとコラァ」
「け、けんかは良くないよ、ユーマさん。落ち着いて、落ち着いて」
「ぐっ……わ、分かってらぁ、けんかはもうしねぇよ、畜生! チヒロ、土俵にあがれ!」
小関は五條の剣幕にハラハラしたが、國崎はキョトンとして「えー? もう着替えちゃったよ。ユーマ、また脱ぐの?」と返した。この男、レスリングが国体レベルなら、天然っぷりも最強クラスのようだ。
「あー……そっか。じ、じゃあ明日な! 明日、俺のキレッキレのツキを見せてやるかな!」
「む? アンダスタン」
やれやれ。小関は國崎からメールが届いたのを確認すると、制服の尻ポケットに突っ込んだ。
夜の公園での四股踏み残業(?)に付き合っていたらすっかり遅くなったので「ウチで晩御飯を食べて行きませんか」と誘ったのは、三ツ橋の方であった。
息子に幼少からフルートを習わせるだけあって、三ツ橋の自宅は洋館風の大きな屋敷で、シンプルだが品のいい調度品に囲まれている。これは、嬢が見たら狂喜乱舞するだろうな。デキ婚に持ち込まれないように、足技には気をつけろと言ってやるべきだなと、小関が柄にもない妙な心配をしてしまう程だ。
蛍は母親似なんだろうなと分かる、ほっそりした美人の三ツ橋母が「うちの蛍がお世話になっておりまして」と深々と頭を下げ、突然の訪問にも関わらず「部活が楽しいらしくて、食が細かった蛍が、最近ご飯をたくさん食べてくれるの」と、嬉しげにカフェ飯ふうのオシャレな晩御飯を勧めてくる。
歓待してくれるのは嬉しいが、小関は逆になんだか落ち着かず、尻が妙にむず痒くなった。食後のお茶でもと勧められ、三ツ橋が「僕の部屋で貰うよ」と答えた時には、正直ホッとした。少なくとも、この母親の前で、フーゾクの話はできるわけがない。
ティーポットとカップ、お茶請けのクッキーまで載せたお盆を手に、三ツ橋の自室に逃げ込んだ。踏み込むと足が沈むのが感じられる毛足の長い絨毯が敷き詰められ、学習机とシングルベッドの他に、寝転がれる長さのソファまで置かれている。
「すごいお家だね」
恐る恐る、白いレースのカバーがかかっているソファに腰を下ろす。ずっぽりと身体が包み込まれるように沈み、やがてじんわりとスプリングが効いて尻を押し返してきた。三ツ橋は学ランの上着を脱ぐと、ウォークインクローゼットのハンガーにかけながら「すごい……のかな? ところで部長さん。今日、僕、何かありました? チラチラ視線を感じたんですけど」と、尋ねて来た。
本人に気付かれていたとは迂闊だった。いや、どう切り出したものか悩んでいたから、逆に向こうから話をふってくれたのはありがたいが。えいやとばかりに、小関が國崎から嬢を紹介された件まで一気に語ると、三ツ橋は間髪を入れずに「ご好意はありがたいけど、ちょっと無理です」と断った。一応、携帯電話のディスプレイに嬢の写真を表示させて差し出してみたが、チラリとも見ずに押し返す。
「先輩方にそこまで甘えるのは気が引けますし、オネーサンにも失礼です」
いや、多分オネーサンはノリノリだと思うけど……それ以上勧めても受け入れそうもないと悟り、小関は携帯電話をパタリと畳んだ。
「余計なお世話だったかな。ごめんね、変な話しちゃって」
「いえ、いいんです」
そこで何と返していいものか分からず、会話が途切れた。
重苦しい空気の中に、壁時計だろうか、カチカチという音が神経質に響く。目を合わせるのも気まずく感じて小関が俯いていると、三ツ橋は思い出したように立ち上がって「そういえば僕、小さい頃からフルートをしてたんですよね」と、呟いた。
「う、うん。そう言ってたよね」
「だからこの部屋の壁、防音がきいてるんです」
するするとドアに歩み寄り、後ろ手でノブを探っている三ツ橋の口元には、なんともいえない色気が漂っていた。
「それと昔から、女の子みたいって、からかわれていたって話もしましたよね?」
「う、うん。前に聞いたよ」
「正確に言うと『女の子扱い』されてたんです。意味、分かりますよね? ずっと、イヤでした。でも、部長さんが相手なら、いいや」
ガチャリ、と錠がかかった音がした。
「えっ、いやいや、そういうつもりじゃなくて、その」
非力な三ツ橋を押し返すことなど、片手でも雑作もない筈なのに、なぜか振り払うことができなかった。視界が暗くなり息苦しくなったのは、唇で口を塞がれたからだと気付くのに、数秒かかった。
頭の中に霧がかかったようにぼんやりしていた小関が我に返ったのは、生温い感触の中で自分が「やらかした」のを知覚したからだった。慌てて見下ろすと、ズボンのベルトが外され、太股が見える程ずり下ろされていた。その中央に、三ツ橋の小さな頭が埋まっており、ちゅくちゅくと微かな水音を立てている。
「あ、その、俺もしかして、君に……?」
「ンッ、大丈夫です。汚してませんよ。全部、飲みましたから」
「はあ? 飲んだって、えっ、あのっ、まさかアレ?」
会話の意味が掴めず唖然としていると、三ツ橋が手の甲で口元を拭いながら顔を上げた。なぜか、ニッコリと笑っている。
「さすがアスリートですよね。たっぷり出たのに、まだこんなに硬いや。これなら、少しほぐしたら、すぐに入れられそう」
「ちょ、ちょっと待って、待って、その、そういうつもりじゃなくて」
三ツ橋の華奢な指から、まだぬらぬらと濡れ光っている息子を取り返して、パンツに突っ込む。まだ興奮が冷め切っていないソレは、布をピンと突っ張っている状態で、ズボンのファスナーがなかなか上がらなかった。
「これじゃ、僕まで君を『女の子扱い』してることになるじゃないか。そうじゃなくて、逆に、なんていうのかな、君をオトコにしてあげたかった筈、なんだけど」
「先輩が、させてくれるんですか?」
「いや、それもちょっと……ああ、どうしたらいいんだろう?」
やはり、ここは自分が胸を貸してやるべきか?
同性だということへの嫌悪感は、なぜか湧いてこなかった。膝の上に乗りかかって来る三ツ橋を抱きとめて、肩甲骨の形がくっきりと手の平に伝わって来るほど筋肉のない背中を撫でてやる。自分は部活帰りで露骨に汗臭いのに、同じように汗をかいていた筈の三ツ橋の髪や肌からは、ほんのりと甘い香りがした。
うん、大丈夫だ。彼相手なら、なんとかできそうだ。体格差的にも、こっちがのしかかったら潰してしまうに違いないけど、逆なら問題ないだろうし。てめえの尻穴の耐久性なんざ未知数だが、多分、失礼ながら三ツ橋のサイズなら、なんとか……と、小関が悲壮な決意を固めたのを察したのか、三ツ橋がポツンと「いいんです。その気持ちだけで、嬉しいです」と、呟いた。
「え、あ……そう、なんだ?」
過去に彼はどんな目に遭って、どんなふうに『女の子扱い』されたのだろうか。多分、胸くそ悪くなる話だろうから、小関は聞きたいとも思わなかった。そんなデリケートな悩みをおいそれと相談できるような雰囲気の両親でもないことから、彼がずっと一人で抱え込んで苦しんでいたことも、容易に想像がつく。
「そこまでして頂かなくても、ただ相撲に触れさせてくれるだけでも、僕は『あそこ』から這い出せると思うんです。こんなひ弱なカラダじゃ、ゆっくりとしか進めませんけど」
見つめ合う顔が、やたらと近くにあった。三ツ橋の赤い唇がまだ濡れているのが妙に艶かしく感じられ、吸い込まれるようにその唇を吸っていた。ふと「だから、三ツ橋を女の子扱いしたらダメだろ、俺!」という自己嫌悪が沸き上がったが、三ツ橋は嫌がる素振りをみせずに、ねっとりと舌を絡めて応えて来た。
「僕がどんなに弱くても、見捨てないでください。僕、頑張ってついていきますから。足を引っ張ることもあると思いますけど、なるべくご迷惑をおかけしないようにしますから」
「大丈夫、絶対見捨てたりなんかしないよ。こちらこそよろしくね」
「僕が皆さんのお役に立てることなら、何だってしますよ。相撲部の皆さんが相手なら僕、肉便器にだってなれます」
「こら。そんなこと、冗談でも言うもんじゃないよ」
ぺちん、と軽く頭を叩くと、三ツ橋は「……ですね」と笑って肩をすくめ、ぺろりと舌を出した。その桃色の舌が可愛らしく見えてしまうのだから、始末が悪い。小関は赤面しながらぼりぼりと頭を掻いた。
「あ。紅茶……すっかり冷めちゃいましたね。淹れ直します?」
「いいよ、そのままで。それを頂いたら、そろそろおいとましようかな」
「昨日、チェリー君から連絡が来ない来ないってカノジョが大騒ぎしてたんだけど、どっか他所で調達したのか?」
國崎が部室に入ってくるなり、まわしを締めていた小関を突付いた。
「調達したというか、その、まぁ」
「そっか。ま、元々ホタルが気に入ったら、ってハナシだったしな。でも、彼女、メール来るの、楽しみにしてたみたいだから、結構、なだめるの大変だったんだぜ」
そう言いながら、國崎もガバッと上着を勢いよく脱いで、上半身裸になる。
「そ、そうなんだ。その……申し訳ない」
「いーってことよ。ホタルの側にだって、選ぶ権利があることだしよ。で、どこで調達したんだ?」
「ちょ、大関! それ、俺も知りてぇ」
國崎と五條に迫られた小関が、困りきって三ツ橋に視線を向けると、三ツ橋は会話の内容を察したらしく「内緒でーす。僕と部長だけの秘密でーす」と、ニッコリ笑って見せた。
「なんだよ、てめーら。ラブラブだな」と、國崎に小突かれても、三ツ橋は「えへへー」とへらへらするばかりで、否定するでも肯定するでもない。
いいのかな、これで……と、仕度を終えた小関が頭を抱えていると、背後で「なんじゃ、なんじゃ、皆して蛍ばっかり!」と喚く声がした。振り向くと、部室に着いたばかりらしい制服姿の潮が、棒立ちになって両の拳で目元を覆っていた。
「え? どうしたの? 潮?」
潮の肩に触れようとした小関の手がパシッと弾かれ、その時に飛んだ雫で、潮が泣いているらしいと分かった。さらにしゃくりあげながら「もう、いい。部長は、もう、ワシが要らんのじゃろ」と、吐き捨てる。
まさか拒絶されるとは思っていなかったため、それ以上どうしていいのか分からず、固まってしまった小関の代わりに、五條が「どうしたよ、チビ。ウチの部のエースが要らなくなるわけねーだろ?」と言いながら肩をポンポンと叩いてやる。それが逆にトリガーになったのか、潮はワーッと大声を上げて泣き出してしまった。
「ちょ、おい……てめーは子供かッ」
「どうせ、ワシは子供じゃ。背丈も小学生並みじゃ!」
「んなところで居直るな! つーかホタル、そもそもおめーが発端なんだから、なんとか言え!」
「なんとかって……ホタルじゃなくて、ケイです」
「そこじゃねぇええええ!」
ぎゃーぎゃー騒いでいる五條らを少し離れて見ていた國崎が、ふと思いついたように「五條、そのまま火ノ丸をハグしてやれ、ハグ。ラブ&ピースだ」などと言い出した。
小関が「確かに、人肌のぬくもりで落ち着くっていうのも、一理ありそうだけど……そんなことしたら、余計ややこしくならない?」と危ぶんでいる間に、五條が「え? ハグって……こ、こうか?」と潮の小柄な身体を抱きかかえた。
それに応えるように潮の両腕が五條の首にゆるりと巻き付いた……次の瞬間、五條の体が宙を舞い、あっと思う間もなく豪快に地面に叩きつけられる。
「いってぇえええ! 腰打った、腰!」
「あ、すまん。まわしを取られたような気がして、つい、投げてしもうた」
「ふぅむ。見事な首投げだな。まわしを取らない鬼車破型、完全に会得したとみえる」
「完全静止状態からの、あの回転力。潮さん、さすがですね」
「てめーら、感心してる場合か! つーか、なんで俺がこんな目にっ!」
「でも、おかげで火ノ丸は泣き止んだじゃねーか。結果オーライ」
自分のやらかしたことに呆然と立ちすくんでいる潮の頭を、國崎が大きな掌でわしわしと撫でてやり、ついでに小関に押しやった。小関は、自分も投げられやしないかと危ぶみながら、小さな体を恐る恐る受け取る。ついつい、まだ手の平にうっすら残っている三ツ橋の華奢で薄い体の感触と比べて(筋肉、分厚いな)などと考えてしまう。
「えーと、その……う、潮?」
「すまん。ワシもおとなげなかった。部長が離れてしまったら、またワシはひとりになってしまうって、ひとりになるのはもう嫌じゃって、そう思ったら、なんだか止まらなかった」
「そ、そっか。僕、ここ最近、三ツ橋君ばかり構ってたものね。寂しかった? ごめんね?」
むーぅ、と小さく唸りながらも、小関の胸の脂肪にぽふりと顔を埋めた潮は、おとなしく頭を撫でられるがままになっている。
「それに、日本一は僕たち全員の目標なんだから、僕が潮から離れるなんてこと、あり得ないだろう? 第一、三ツ橋君も入ったからこそ、ようやく人数が揃ったんじゃないか」
「そ、そうじゃな。ワシもそれは分かってた筈なのに、どうかしてた。すまん」
制服に染み付いているらしい垢じみた体臭と雄くさい匂いのせいか、三ツ橋に感じたような甘い感情や庇護欲が刺激されることはなかったが、いつもはむしろ頼りになる存在の潮も、なんだかんだ言って自分より後輩で、いわば守ってやらなければいけない存在なんだと、小関は今さらのように実感できた。
「なんだなんだ、三角関係か?」
「土俵でもライバルになれるように、ボク、精進します」
國崎と三ツ橋が、お互い分かったような、分かってないようなビミョーな会話をしている一方で「つーか、俺ひとり、投げられ損じゃねーか!」と喚いている五條は、まだ腰が痛むのか、立ち上がれないでいた。
(了)
【後書き】どこにも需要がないと分かっていても、書かずにはいられなかった相模ネタ。蛍きゅんと大関が百合百合してるようにしか見えない自分が、もうダメです。ヨダレ女記者以下です、分かってます。だってこの二人ってば、やたらスキンシップ多いんだもん!
タイトルは「蛍」の別名を探してたら「腐草(くちくさ)」という語がありまして……成虫になったら餌を食べない蛍は、草が腐って発生したんだろうかという、いわば自然発生的な発想ですね。これはこれで面白いなと思ったんですが……蛍って腐ってるのか、そうか、ただでさえ腐ってるのにな、というわけで没。でも、実は蛍って、幼生時代はバリバリに肉食なんだぜ!?
ついでに壁紙も「夏草と蛍」にさせていただきました。
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