斉木楠雄の仮想
あれ、鳥束だと思ったんだがな。
新発売のゲームを楽しむためだったとはいえ、不用意にゲルマニウムリング填めたままにしておくのは、不用心この上ない。いや、今これを外すわけにはいかない。ご近所のニートも同じゲームを買ったらしく、昼夜問わずぐいぐいプレイし進めては、ネタバレ思念をバンバン飛ばしているのだ。
「たまたま、近くに寄ったんだ。その、これ、ゲーセンで取った景品なんだけど、良かったら」
休日の昼下がり。気まずそうに口ごもりながら、巨大かつブサイクな縫いぐるみを差し出してきたのは、元不良のクラスメート、窪谷須亜蓮だった。どうやら、クレーンゲームでゲットしたのはいいものの、ヤンキー両親のいる自宅に持ち帰るのが恥ずかしくなり、処分に困って立ち寄ったのだろう。テレパシーが使える状態だったら、全力で居留守を使ったところだ。
「あら、くーちゃん、お友達? まぁ、可愛い。これ、マーフィー君よね!」
可愛いか? どう見てもキモチワルイ、土偶っぽい瀕死のクマなんだが……母さんが喜ぶなら、まぁ、いいか。
「うわぁ、嬉しい。どこに飾ろうかしら。リビングでいい?」
食欲が失せそうだから、ご飯を食べる時に僕の視界に入らない場所なら、どこでもご自由にどうぞ。
窪谷須は、不要品が処理できて露骨にホッとしたようだったが、そこで(例えば鳥束のアホのように)「んじゃ、もう用はないんで、帰るっす!」などと失礼なことは言えないのが、窪谷須の人柄なのだろう。
いや、さっさと帰ってくれていいんだがな。とりあえずカルピスでも入れるから、適当に飲んで、適当に帰れ。
「お邪魔します」
礼儀正しく靴を脱ぎ揃えて、窪谷須が上がり込む。
彼がウチに来るのはこれが初めてではないのだが、相変わらず部屋の隅に突っ立ったまま、カルピスのコップを受け取っても、座ろうとしない。いや、それはそれで失礼じゃないかと思ったら、窪谷須も同じように考えているらしく、やたらと居心地が悪そうな表情をしていた。
仕方ないな。僕も座ったらいいのかな。だが、僕の部屋にソファは無いし、窪谷須の性格からして、床に座布団無しで座るのも抵抗があるだろう。ベッドでいいかな。いや、ベッドはベッドで遠慮するかもしれないな。本当に面倒くさいヤツだ。これが鳥束なら、放っておいても勝手に胡座をかいてるわ、ベッドに上がり込むわ、やりたい放題なんだがな。
「あ、その、失礼します」
うん、別に失礼でもなんでもないが、それ飲んだらさっさとカエレ(・∀・)!! ……と、正直に伝えてしまうほど、僕も意地悪ではないので、ニッコリ笑いかけながら、窪谷須が妙に礼儀正しく背筋を伸ばしてカルピスを啜っているのを見守った。飲み終えたのを見届けてコップを受け取り、机の上に載せていた漆塗りのお盆に返す。
さて、この後はどうやって間を持たせたものかな。今やってるゲームは対戦式でないから、一緒にプレイするような種類のものでもないし……と、ボンヤリ考えていたら、不意に背後から抱きかかえられた。
念堂相手じゃあるまいし、なんで僕が背後を取られるんだ? いや、なんでって、ゲルマニウムリングをしているから、だな。考えてみれば、日頃からテレパシーを使うのに慣れきってしまっている分、テレパシーなしで周囲の気配を察する動物的な『能力』は、あまり発達していないのかもしれない。ベッドの上に転がされる形になり、さすがにムッとして、見上げると、窪谷須もビミョーに困惑している様子だった。
一体何を考えているんだ。テレパシーを使えないと、本当に不便だな。一般人は、こういうときどうやって問題を解決しているんだか、僕にはまったく想像もつかない。
こうなったら、ネタバレがイヤだなどと言っている場合ではなかろう。幸い、両腕がバンザイの形で頭の上に放り出されていたので、そのままの姿勢でそっと、ゲルマニウムリングを緩めてみる。
『あれ、違ったのかな。ベッドに誘い込むってことは、そういうことだと思ったんだけど』
途端に、窪谷須の思念が流れ込んできた。
それに一瞬遅れて、テレパシーの受信範囲・約半径200mのにいる全ての人間の思念が、怒濤のごとく脳内に押し寄せ、うわーんと耳鳴りがした。
『前のガッコの牝犬相手だったら、これで正解だったんだけどな。普通のガッコの子だと、違うのかな』
うん、違う。めっちゃ違う。違うったら違う……が、そこで『もしかして、誘い慣れてなくて恥ずかしいのかな。これがいわゆるウブってやつか? 不良の世界には無かったぜ!』という結論に至るあたり、コイツの思考回路は理解し難い。
「大丈夫、大丈夫、怖くねーよ。俺、慣れてっし、ケツの方も経験あるし」
ふむ、なるほどな。生まれて16年オンナには目もくれず……とか言ってた気がするんだが、不良の世界って乱れてんだな。よく、DQNほど繁殖力が強いと言われるけど、納得だ。
そこで、勘違いを訂正するのも面倒だし、気まずくなってフォローするのも手間だから……と、流されておくことにした僕も、大概アレなのかもしれない。でも、慣れているというのだから、任せておいても大丈夫だろう。
僕はそれ以上考えるのも億劫になって、再びゲルマニウムリングを指にはめ込んだ。途端に、ウワーンと頭の中に響いていた大量の思念が、フッと消え去る。
「えーと、ゴム、ゴム……財布に入れておいてんだ」
いつでもスタンバイオッケーか。さすが元不良だな。でも、そんなもの財布に入れておいて、大丈夫なのか?
「どういうことだ? あっ、なんかパリパリしてるっ! えっ、なんで?」
10円玉で劣化したんだろ。銅はゴムの劣化を促進させるからな。今までそれに気付かなかったのは、多分、昔は劣化させる間もなく、せっせと使ってたからだろうな。
「お前、持ってない?」
残念ながらそんなもの所有していないな。テレポート&アポートで、薬局などから直接取り寄せることは可能だが、目の前で超能力を披露するわけにもいくまい。
「ちぇ、しゃーないな。じゃ、これな」
え、なんで僕に? 窪谷須がネコ側なのか? と首を傾げたが「布団、汚れるだろ」と説明されて納得した。なるほど、これが気遣いってやつか。今まで、無神経なダメンズばかり相手にしてたからな……と、自分で言ってて情けなくなる。
ズボンの前を緩め、ちょっとパリパリカサカサしてフィット感に欠けるソレを、なんとか装着し終えると、それを見計らったのか、窪谷須がふわりと両腕を広げて抱きしめてきた。キスされるのかと思って口を緩めたが、相手の唇は顔を逸れて、首筋に落ちた。
相手が何を仕掛けてくるのか分からないという状況には、どうも慣れないな……シャツをめくりあげた胸元でゴソゴソしている窪谷須の髪を撫でると、金髪をわざと黒く染めているのか、指に黒い染料がうっすらとついた。
「眼鏡、外さねーの?」
確かに邪魔だが、この眼鏡を外して直接見た相手は、石化してしまうんだよな。細かいことは気にしないでおいてほしい……そして、ふと気付いた時には、ズボンの中に手が差し込まれていた。
やれやれ、いつの間に。本当にコイツ、こういうことに慣れてるんだな。
「んじゃ、力抜いて? 大丈夫?」
こっくり頷くと、それまでの緩やかな愛撫とは一転して、一気に押し入ってきた。さすがに声が漏れそうになり、慌てて目の前にある窪谷須の肩……全身傷だらけなのを隠すためなのか、シャツを着たままなので、その布地に……噛み付いて堪える。しゃにむに突き上げて来るので、必死で……というか、常人離れした腕力で肋骨を砕かない程度に加減するのに必死になりながら、両腕を背中に回して、その胸にしがみつく。
「イきそう? いいよ、イっても」
余裕ぶった口調だが、向こうもそれなりに限界が近いらしいことは、内側でひくついている感触で分かる。見上げると、額から伝い落ちた汗の滴が、僕の頬に当たった。
どうせなら、一緒に。
両手で、相手の両頬を挟むように包むと、そっと引き寄せた。唇が重なり……舌を絡めたのは、僕から、だった。
やはり、劣化したコンドームは使うもんじゃない。
窪谷須の分は中で破けてしまったようだし、僕のもきっちりフィットしていないせいで、吐き出したものが溢れ出て、酷い状態になっていた。ふたりして間抜けだとは思うが、下半身丸出しのまま、箱ティッシュを掴み出して、後始末に追われた。ついでに、母さんにゴミ箱をチェックされないように、こっそり時空系の超能力を使って、ゴミを亜空間の彼方に捨てておく。
ひととおり落ち着いて、ようやくズボンを履き直したところで、窪谷須が「実は、キスは初めてなんだ」などと、とんでもないことを言い出した。
はい? でも、それ以上のことは、さんざっぱらヤってるんでしょ?
「いや、その。キスだけはしないで、って言われるもんだから」
あっ……(察し)。
あえて聞かない方がいいかもしれないけど、それって合意だったのか? 確かに、脱童貞はしてても、カノジョがいた気配は無さそうな。もしかして金銭の授受が……いや、あえて聞かないでおくけど。ちょっとだけかわいそうな気がして、ベッドに腰掛けた状態で気まずそうに俯いている窪谷須の顎に、片手を伸ばした。そっと指をかけて、振り向かせる。顔を近づけて……そこに「あーーーーーっ!」という声が重なった。
「斉木さん、ちょ、酷いっすよ! 俺というものがありながら! つーか、俺にはろくにキスしてくれないくせに!」
ああ、そういえば鳥束が遊びに来る約束だったんだっけな。例のゲームの攻略本を買ったっていうから、念写で写させてもらうつもりで。
「えっ? この人とはどういう……」
無関係だ(キリッ)。
「ひ、酷いっすよ、斉木さん! 俺とあーんなことやこーんなことしておいて!」
知らん、忘れた。
つーかお前だって、日頃はオンナの尻追いかけ回してんだろーが。
「アレぇ? 妬いてんすか、斉木さん。大丈夫っすよ、カラダの関係があるのは斉木さんだけっすよ! まぁ、ヤらせてくれんのは斉木さんだけ、っつーだけなんですがね」
ふざけんな……と、さすがにキレそうになった瞬間、鳥束の体がすっ飛んで、豪快に壁に叩き付けられた。あれ、衝動的にテレキネス使ってしまったんだろうかと焦ったが、隣で仁王立ちをしながら、額に血管を浮かび上がらせている窪谷須の鬼の形相を見て、彼が鳥束を殴ったのだと悟った。
「テメェ、ひとのスケに手ェ出すんじゃねぇ」
え。
いつの間にそんなポジションに。
時系列の把握に多少の破綻を感じるが、虫除けに便利だから、いっそ、このまま『そういうコト』にしておこうかな。いや、やっぱり面倒くさいな。申し訳ないが、忘れてもらおう。机にそっと歩み寄り、お盆からコップを下ろし……それを振り上げた。鳥束の口がぽかんと開いたのは、悲鳴をあげるつもりだったのか、それとも「危ない」とでも言うつもりだったのか。だが、声帯が震えるよりも早く、僕はそれを全力で振り下ろしていた。
「殺しちゃうかと思ったっす」
いや、殺しても良かったんだがな。そのまま、コイツに関する記憶を消すように、周囲の人間を強制的に洗脳すれば……そうだ、お前もそうやって始末すればいいのか。
「真顔で恐ろしいこと言わないでくださいよ!」
通常のお盆ではなく、ちょっとばかり超能力で硬化させてぶん殴ったおかげか、窪谷須は一撃でストンと気絶していた。この状態から目覚めるまでの間、強制テレパシーを浴びせかけて、先ほどの出来事は夢だった、と思い込ませておくことにする。
ついでに、お前もぶん殴って洗脳しておくか?
「だから、こえーですって、斉木さん! 冗談に聞こえないっす!」
冗談なものか。本気に決まってるだろう。
鳥束に向かってお盆を振り上げた途端、窪谷須が「ううっ」と呻き始めた。ふむ、思った以上に、頑丈にできてるんだな。取り急ぎ指輪を外して「カルピスを飲んでから、コップを返そうとして、足を滑らせて転んで、頭を打った」という偽の記憶を注ぎ込む。物証というか、財布のコンドームが2個無くなってしまっているのだが、そこは適当に数え間違ったことにでもしておけ。
「ん……斉、木……? あ、あれ?」
どうした、夢でも見たのか。
「……夢? そ、そうだな、多分、夢、だな」
よし、これで洗脳完了……かな?
ご近所のニートが目を覚ましたのか、ぼつぼつと心の声が届き始めたので、ゲームのネタバレを含むテレパシーが本格的に流れ込んで来る前にと、ゲルマニウムリングをしっかりと指に填め直す。
「あ、そうそう。斉木さんが読みたいって言ってた本、これっス」
そのようだな。これで、お前にもう用はない。カエレ。
「えーっ、そんなぁ。せっかく来たんだから、ついでに、斉木さんと一発……」
一発、なんだ? 人前でそんな話してみろ、声帯えぐりとるぞ……と脅すよりも一瞬早く、窪谷須が鳥束のみぞおちに拳を叩き込んでいた。
「てめぇ、人のスk……アレ?」
ちげーよ。
「あの、その、えーと……ダ、ダチ! そうそう、俺のダチに何しようってんだ!」
あれ、テレパシー送信が足りてなかったかな。まぁ、このぐらいだったら、別にいいか。
洗脳やり直すにしても、今日はもうゲルマニウムリング外すの、イヤだし。
「ちょ、全然良くないっすよぉ!」
「なーんか、ムカつくなコイツ。なんでかは知らないけど、妙にムカつく。なんでだろ? とりあえずシメておこうか? つーか、処す? 処す?」
うん、処しておいて。
窪谷須が、泣き喚いて抵抗する鳥束の襟首を掴んで、無慈悲に引きずって行くのを見送ってから、パソコンの電源を立ち上げた。起動画面を眺めている間、ふと、無意識に指を己の唇に触れさせていたことに気付いたが、あえて気にしないことにする。
そう。どうせ全部夢、なんだ。さてと……ゲームでもするか。
(了)
【後書き】第65χ『夜露死苦!!アウトψダー』での窪谷須亜蓮の登場に「なにこれ、腐強化のテコ入れ!?」と、素で思いましたが、なにか?
で、今回あらためて原作を読み返したんだけど、窪谷須が斉木君に呼びかけてるシーンが無いような気がががが。海藤とは「舜」「亜蓮」って呼び合ってるのに……まぁ、いいや←
ちなみに、マーフィー君とは、ギャグ漫画日和の「奥の細道」に出て来るアレです。少年コニャックのキャラから拝借しようかなーとも思ったんですが、マスコット的なのがいなかったので、適当に。
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