斉木楠雄の倒錯
玄関を開ける前から、扉の向こうに待ち構えていた人物がなにやら感極まっていたのは読み取っていたが、まさかこの年齢になって抱きつかれるとは思っていなかった。
「あひゅぅ〜く〜ちゃぁ〜ん」
はいはいはい。
勢いに押されて玄関先に尻餅をついた格好で、胸に転がり込んできた母親の背中をポンポンと叩いてやる。まったく、いくら若作りだからって、いい年齢をしておとなげないひとだ。今日は何を食べられたんだ? プリンか? プリンなのか?
「プリンはプリンでも、プリン違いのプリンなのよぉ」
は? 本人もかなり混乱しているようなので、テレパシーで頭の中をのぞいても、全く状況が理解できない。仕方なくそのままおとなしく泣きじゃくるに任せていると、そのうちぽちぽちと(くーちゃん、いい匂いする〜ぅ)などと、のんきな思念が浮かんできた。
いや、いい匂いもなにも、多分それはアンタが洗濯してくれてる柔軟剤の匂いだと思う。こちとら、育ち盛りで新陳代謝しまくりの健康な男子高校生なんだから、汗臭いことはあっても体臭が芳しいということはなかろう。というか、そろそろ落ち着いたんなら、どうしてこういう状況になったのか説明して欲しいんだけど。
「自分の子供の匂いって、なんかホワホワして落ち着くのよねぇ。くーちゃんあったかいし。くーちゃんの匂いクンカクンカしてたら、なんか、どーでもいい気がしてきた」
全然よくない。こっちが何がなんやらだよ。いつまでたっても自主的に立ち上がってくれないので、諦めてお姫様だっこの形に抱き上げた。
「きゃあ、くーちゃん逞しくなったのねぇ」
手を滑らせて怪我させても困るから、多少、超能力は使ってるけどな。つーわけで、はしゃぐな、落ち着け。足をバタつかせるな。びちびち跳ねる本マグロを抱えているような状態で廊下を渡り、なんとか無事に、リビングのソファにおろしてやる。で、なんなんだ、一体。
冷蔵庫から麦茶を出して、自分の分と母さんの分とふたつ、グラスに注ぐ。麦茶を飲ませて、ようやく「実はね、パパがね」と話し始めた。もちろん、一般的な女性の話術のご多分に漏れず、情緒不安定かつ論旨が支離滅裂なので、声に出している部分と併せてテレパシーを読み取る必要はあったのだが、要するに、ウチのバカ父親が女子高生(それもとびっきりの美少女)と、なにやら立ち話をしているのを、近所の人が見かけたのだという。
そりゃあ、何かしら用件でもあれば立ち話のひとつぐらいすることもあるだろうに。それに、どう考えてもあのひとに女子高生を口説くほどの甲斐性(※金銭面含む)もあるまい……とは思うのだが、旦那様大好きな母さんにしてみれば「まさかパパが援交!? 不倫!?」と心乱されてしまったのだろう。
「そうよねぇ、アハハ。あのヒトに限って、無いわよね。そんなこと。気にしすぎて、損しちゃった」
でも、念のために確認しておいた方がいいかもしれない。誰しも意外な一面を持っているのが、人間というものだ。万が一のことを考えて、母さんは家から出しておくか。何か良い口実は無いかな……あ、学校の帰り道で、カラオケの割引券を配ってたんだっけ。道端で捨てるのはマナー違反だからと、カバンに突っ込んでおいたのが役に立ちそうだ。
「まぁ、駅前の? そうね、ここ最近暑いからってずっと家に引きこもってたから、気分が鬱々してたのかも。ありがとう、ちょっとだけ歌って息抜きしてくるわ。晩御飯、お惣菜でもいいわよね? 宅配便が来る予定だから、それだけ受け取っておいて」
母さんは、エプロンを外してよそ行きのストールを羽織ると、るんるん気分で出て行った。
さてと。
バカもそろそろ家に帰り着くようだな。少なくとも、テレパシーが読み取れる範囲200メートル圏内には入ったようだ。ご近所の方が見たという疑惑について、どうやって聞き出したものだろうか。あるいは問答無用で、テレパシーを駆使して脳内を調べてやろうか。
「女子高生? ああ、こないだ声をかけたよ。なんか、サイキ君、サイキ君って、大声で呼んでたから」
帰って来た父さんは、悪びれることもなくあっさりと白状した。確かに数日前、自他共に認める完全美少女、照橋心美(てるはし・ここみ)に繁華街で付きまとわれ、仕方なくテレポートで逃げたことがあったんだっけ(第13χ『ψ色兼美!照橋心美』)。
雑踏の中で気付かなかったが、あのとき近くに仕事中の父さんやご近所の人がいたのか。そういえば、あの場に燃堂も居たんだよな。世間は狭い。
「私も斉木だけど何か用かい、って声をかけたら、なんか首まで真っ赤になっててね。可愛い子だったなぁ。顔だけじゃなくて、髪もさらっさらのストレートでキレイだったし、スタイルもね、ミニスカートからすらーっと伸びた足とか、スリムなくせに、こう、ボリュームのある胸とかね。いや、その子の名前までは聞いてないけど」
うん、予め母さんを追い出しておいて良かった。そんなふうに鼻の下を伸ばしている姿を見たら、逆上して般若になっていたところだろう。
「その子はたまたま私服だったんだけどね。聞いたら、オマエと同じ学校だってさ。確か、オマエんとこのガッコ、女子生徒はセーラー服だったよな。その子も普段はセーラー服なんだよなぁ、きっとよく似合うんだろうなぁ、って思ってさ。セーラー服っていいよねぇ、あの独特のシルエットがさ。こう、すごく色っぽくて」
なに浮ついたことを口走っているんだ。色っぽいなんてホザいてたら、世界中の水兵さんから魚雷撃たれるぞ、オマエ。大体、元は軍服なんだから、誰にでも合うように出来ているんだ。なにも彼女に限ったことじゃない。
「いや、可愛いじゃないか、可愛いだろ? セーラー服。なんかもう、ムラムラしちゃって、つい買っちゃった」
は? ちょっと待て。つい買っちゃったって、何をだ? コトと次第によったら般若じゃ済まないぞ? と睨みつけると、父さんは己の台詞から何を連想されたのか察したらしく「違う、違う」と、両手を振り回しながら喚いた。
「買ったのは、女子高生本体じゃなくて、その、ガワというか外見というか」
あたふたとアタッシェケースを広げて、中身を引っ張り出す。包装紙を解く前に、透視で中身が一応見えてはいたが、実際に広げるまでは僕自身、己の目を疑っていた。というよりも、床に広げられて肉眼で確認しても尚、それが見間違いであることを、僕は心から願って止まなかった。
父さんが『ムラムラしちゃって、つい買っちゃった』という代物は、なんとセーラー服だった。実際の学生服でなく、量販店で売っている安っぽいコスプレ用衣装であるらしく、パステルピンクの衿やスカートはテラテラしたポリエステル生地だし、本体部分の縫製もかなり雑だ。
なるほど、これを母さんにでも着せて、コスチュームプレイでもしようっていうのか?
「いや、さすがにアラフォーのオバサンに、セーラー服のコスプレはないだろ。無理無理」
じゃあ、どうすんだコレ。
「自分で着るんだ」
いや、オッサンはもっとダメだろ。むしろ犯罪だろ。捨てて来い。
「えーもったいないよぉ」
いいから捨てて来い、バカ。オマエにそんな趣味嗜好があるなんて知れたら、家庭不和の素だろうが、バカ。
「そんなにバカバカ言わなくても……楠雄が女の子だったら良かったのに」
バカだからバカと言ってるんだ、ホームラン級の大バカ。
例え僕が女の子だったとしても、オマエに性的な視線で見られるのなんて、真っ平ゴメンだ。つーか、娘のセーラー服を『すっごく色っぽい』とか『ムラムラする』なんて口走った日には、修羅場なんて生易しいもんじゃないぞ。母娘のタッグマッチで八つ裂きにされるぞ。
「分かったよ、捨てるよ。でも、せめて一回ぐらいは……そうだ、楠雄がこれを着て見せてくれよ」
死ななきゃ治らないか!? いい加減にキレそうになったが、僕が多少我慢することでコトが納まるのなら協力してもいいか、と無理やり自分を納得させた。
「ほらほら、カツラもあるし!」
いやいや、僕の頭部にはジョイスティック状の制御装置がついているのに、どうやってかぶれというんだ。
「ちょっと外すぐらい大丈夫じゃないかな、うん、ちょっとだけだって、ちょっとだけ」
オマエのしょーもない好奇心と人類の命運を秤にかける気か。脳の血管がぷちぷち千切れそうになるのを堪えて、シャツを脱ぐとセーラーブラウスを被った。スカートの腰まわりが危ぶまれたが、元々オッサンがコスプレで着ることを想定していたせいか、ウエストゴムが入っていて難なく履けた。
「おぱんちゅは? 縞パンあるけど」
調子に乗んな。視線に殺気を込めると、さすがに肩をすくめて諦めたようだった。ジョイスティックが外れないように苦労しながら、なんとかウィッグを被る。化学繊維の人造毛がチクチクして不快極まるが、なんとか地毛を押し込めた。ばさつく髪を手で撫でつけながら、部屋を見回して鏡を探し……パッと視界に飛び込んできたのは、不機嫌そうに眉をしかめた長髪の少女と、その背後でぽかんと口を開けている中年男であった。
「楠雄、おまえ、ママ似なんだな」
まぁ、アンタの間抜けヅラには似てないな。自慢じゃないが、これでもちょくちょく女子にはモテるんだ。自分でいうのもナンだが、照橋さんほどではないにしても、そこそこの美少女には仕上がったと思う。どうだ、これで満足したか、スケベオヤジ。
「ニコッと笑ってみてくれないか? その、首をこう、傾けて。うわぁ、ママが若かった頃にそっくりだなぁ」
ブチ殺したろうかと腹の底で思いながらも、超能力で顔の筋肉を微調整して、笑顔を作ってみせた。
超能力を持たないために、表面的なものしか見えずテレパシーで裏腹な内心の声が聞こえて幻滅することもない一般人は幸せだな、とも思う。いや、このバカはそれ以下か。
「うわぁ、たまらないな。なんつーか、こう、ちょっとだけ、ちょっとだけ、いいかな」
不意に肩を掴まれた。
そのまま強く押されたが、ベッドに倒される前にサイコキネシスで弾き返していた。テメェ、息子相手に息子をイキり立たせてんじゃねーよ。いくら外貌が好みにド・ストライクだったとしても、いくら「先っちょだけ」だとしても、許されるものではない。
壁に叩き付けられ、気絶した父親の襟首を掴み、ベッドに放り捨てる。さて、着替えるか……と思った途端、玄関のインターフォンが鳴った。
そういえば宅配便、受け取っておかなくちゃいけなかったんだっけな。
父さんの頬をぺたぺた叩いてみたが、起きる気配がない。僕もこんな女装を晒すのは不本意だが、いくら超能力でも、どこぞの触手体のように高速で着替えるような器用な真似はできない。超能力というものは、決して万能ではないのだ。どうせ荷物を受け取るだけだし、なんなら(この客は全然、不自然じゃない。普通、普通)というテレパシーを宅配便のニーチャンに送って、誤魔化すという手もある。鏡をのぞいて、ウィッグがズレていないのを確かめると、服の乱れをササッと直して部屋を出た。
シャチハタ印片手に扉を開け……呆然と立っていたのは、燃堂であった。
「おっ? ここ、相棒んち……だよな? 相棒って一人っ子だったよな?」
その後ろでは、照橋心美が目を真ん丸くしている。
どうやら僕を追い駆けるために、燃堂をそそのかして自宅を教えさせたに違いない。
「ちょっ……誰アンタ! 斉木くにお君の姉妹じゃないんなら、アンタ、くにお君の何なのよ! どうして家ん中に居るの!?」
それだけ熱烈に追い回すんだったら、せめて名前ぐらい正確に覚えて欲しいんだが。
慌てて扉を閉めようとすると、照橋さんが凄まじい形相でガッと靴を挟み込んできた。なにそれこわい。
「アタシの方が可愛いのに、アタシの方が美少女なのに、アタシの方が愛されるべきなのに、なによ、なんなのよアンタ」
ぎりぎりと扉をこじ開けてくる。
日頃は己の美貌と演技を駆使して周囲にチヤホヤされ、我がまま気ままに振舞うのが当たり前になっているため、突然現れた『謎の美少女』の存在が認め難いのだろう。仕方ないので、超能力で照橋さんのスカートの下につむじ風を起こし、豪快にスカートを捲り上げた。大抵はこれで「きゃっ!」とか言って、服を直すのに必死になって戦闘不能に陥ってくれるのだが……照橋さんはパンツ丸出しでもめげずにぐいぐいと膝まで割り込ませようとしてくる。しばらくそのまま膠着していたが、不意に己の格好に気付いたらしく「いやぁーん」という奇声を上げてドアから手を離してくれた。
女相手ということで多少気が引けたが、緊急避難措置とばかりに侵入していた少女の生足を蹴りだして、ようやくドアを閉じる。
「アンタ生意気よぉ! どこの女よぉ、斉木君を返してよぉ!」
返すも何も、僕は最初から君のものにはなってないぞ?
うぁあああ! と、身も世もあらぬていで号泣し始めたが、さすがの念堂も空気を読んだのか「なんか、今は相棒居ないみたいだから、とりあえず出直すことにして……ラーメンでも食いに行こうぜ? お?」などと宥めてくれたようだ。
「ラーメンなんて下品な食べ物イヤよ。でも、パフェなら」
「じゃあ、パフェでもいいぜ。こないだ相棒と食いに行った店、美味かったんだぜ」
「斉木君と行った店? じゃあ、行く」
二人が遠ざかるのを感じて、やれやれと溜息を吐く。
やがて入れ替わりに、今度こそ宅配便の配達員の気配が近づいてきて、インターフォンを押した。扉を開けて、差し出された伝票にハンコを押して荷物を受け取る。何かと思ったら、母さんの化粧品か。確かに母さんは子持ちとは思えぬほどの自他ともに認める若作りだが、それにも密かな努力の積み重ねあってのものなのだろう……これでミッション終了だな、と息を吐いたところで(さっきの騒ぎ、何?)(今の女の子、誰かしら?)(あそこの旦那さん、誰か連れ込んだのかしら)などという、ご近所さんの思念が脳内に流れ込んできた。どうやら、照橋さんが大騒ぎをしたため、思った以上に周囲の耳目を引いてしまっていたようだ。
これでは、確実に父さんはシメられるだろう。僕は……巻き込まれずに済むだろうか? とりあえず、急いでこの女装を解こう。急いで父さんの部屋に戻り、セーラー服を脱いでいると、玄関から「パパーッ! ご近所さんから聞いたけど、女の子連れ込んだってどういうことーっ!」と喚く声が聞こえてきた。
やべぇ、超タイミングやべぇ。慌てて自分のシャツとズボンを引っ掴むと、地球の裏側へとテレポートして逃げていた。
そういえば、脱いだスカートとブラウス、とっさに父さんの顔面に放り投げてしまったな。ただでさえ女子高生疑惑でカリカリしていたのに、そんな姿を見せてしまったら、タダじゃすんでいないだろうな……と気付いたのは、リオデジャネイロに着いてからだ。さすがにフォローしてやりたいが、テレポーテーションは一度使うと、その後三分間は使えない。えーと、その、なんだ。
コルコバードの丘にそびえる巨大なキリスト像が、朝日に包まれて白く輝いている様を眺めながら、僕は「アーメン」と呟いていた。
(了)
【後書き】第13χ『ψ色兼美!照橋心美』をジャンプで読んだ直後に思いつき、むしろ、漫画で書きたかったかもしれないネタです。
いや、だって母親似だよね、斉木君。そしてダメンズ好きも母親の血筋だよね……いつかマジで女装ネタやってくれないかなぁ……そして、照橋さんが「斉木くにお」と名前を間違え続けているので、いつパパンと勘違いするネタをするんだろうと、ものすごく楽しみなんですが……あるんですかね?
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