※当作品は、第45χ『今度こそψ会!蝶野雨緑』の前に
書かれたため、念堂と蝶野は顔見知りではない設定です。
人体復元能力の設定も原作と異なります。ご了承ください。

斉木楠雄の逆流


「師匠ってネコのケがあったんスよね。正直、意外っした。初対面ん時、正座してる相手に対して椅子に座って見下しながら応対する態度が物凄くSっぽいんで、てっきり師匠はタチだと思ってたんすよ。でも、そういうギャップも萌えだって、注目の的なんす、あっちの世界では!」

どっちの世界だ。つーか、また突然ウチに押し掛けてきて、一体何の話かと思ったら。
もっとも、霊能力者・鳥束零太(とりつか・れいた)は幽霊と会話できるので、幽霊からそういうハナシを聞いたのだろうことは想像するにしくはない。こっちは幽霊が見えないというのに一方的に見られまくっている……うえに、コイツにいちいちチクられている状況は、不愉快極まるがな。

「でも、師匠がどっちの性癖があろうと、僕は気にしません。というか、師匠には隠し事が通じないので正直にぶっちゃけると、僕は自分さえ気持ちよかったら、相手のことなんてどうでもいいッす!」

うわぁ。
確かにウソをつくのはよくないことだし、僕に通じないことも事実だが、例え本音であろうとも、そこまで清々しいクズっぷりを曝け出す必要はなかろうに。というか、いくら僕が超能力で、この世界を『同性愛に多少寛容な世界』に改変してしまったとしても、元はかなりの女好きのスケベ野郎だったんだから、まずは無難に異性からアタックしておいて欲しい。僕に迫るのは70億番目ぐらいでいいじゃないか。なんならテレパシーを応用した好感度メーターを使って、オマエに好意を持っていそうな女子を探すのを手伝ってやってもいい。

「ええっ、手伝ってくれるんすか? じゃあ、照橋さんでオナシャス!」

照橋心美(てるはし・ここみ)はウチの学校でも有名な絶世の美少女だが、コイツをオトすのは無理だぞ。いかにも脈ありげに振る舞っているのは、単にモテまくってちやほやされている状況を楽しむためだから、誤解するなよ。唯一可能性があるとしたら……完全に無視してやることぐらいかな。そういう扱いを受けることに慣れていないから、逆に「なんとしても振り向かせてやる」とムキになるようだ。というか、前にそんなことがあったんだ(第13χ『ψ色兼美!照橋心美』)。

「ええっ、無理っす。自分は照橋さんを無視するなんて出来ないっす。というか、それって師匠の体験談っすか? ズルいっす。照橋さんの体は隅々まで楽しんだうえに、心まで弄ぶなんて」

人聞きの悪いことを言うな。ともかく、あの娘は性根がネジ曲がってるうえに難易度も高いから、ヤメトケ。

「照橋さんがダメなら、特にカノジョとかじゃなくてもいいっす。単にヌきたいだけだし」

いくら単なる『処理』のためと割り切って『気持ち』は一切期待していないとしても、こんな調子では微塵も相手にする気になれない。膝でいざりながら擦り寄ってきた鳥束の頭を、僕は椅子に座ったまま足蹴にして押しのけた。

「ちょ、師匠、そういうプレイっすか? 女王様プレイっすか? じゃあ自分、下僕でいいっすか? 師匠のスリッパの裏とか舐めていいんすか?」

うおい。うちのバカ親父と同じ性癖か。つーか、父さんでもさすがにリアルに舐めるのは靴の甲までだぞ。

「ダメっすか。じゃあ、ここ踏んでください」

鳥束が先は己の股間で、しかもズボンが高々とテントを張っているうえに、その頂点がじんわりシミを作っている。こういうとき、見たくなくとも屹立しているモノが透けて見えてしまう、己の透視能力が憎い。踏むの? それを? そんなのことしてキモチイイの? なにそのプレイ……もう勘弁してください。
相手にするのも面倒くさくなったので、コイツと同価値であろう何かとトレードして、この場から放り出すことにした。テレポート&アポート能力だ。人間の場合は基本、肉体だけでは無価値なので、正確に言えば身につけている服の価値で換算する。鳥束の場合は、着古した作務衣とゴムの伸びたトランクス、汗臭いバンダナは無価値と見なしてノーカウント。首と手首に巻いている数珠で換算してみると……意外と高価だな。

「師匠、なに企んでるんですか? どんなプレイでs……」

その言葉を最後まで聞かず、適当に価値が一致したものと交換してみた。
鳥束の代わりとして転がったのは、見かけは派手だが良く見るとチープな装飾が施された箱と、玩具のノコギリだった。なんだこの安っぽいガラクタ……そうだ、人体切断マジックのセットだ。つーかコレ、こんなに高額な代物なのか? そういえばストリートマジシャンの蝶野雨緑(ちょうの・うりょく。本名:中西宏太)が、このセットを欲しがっていたが、こうして実物を見ると、正直ボられてるとしか思えない。
むしろ、コレ、蝶野がようやく買ったセットを取り上げちゃったんじゃないだろうか。だったら返してやらなくちゃな。極薄の手袋を外した素手で触れてサイコメトラーで見れば、今までの所有者が誰だったのかはすぐ分かるが、あの能力は疲れるうえに見たくないものまで見えるクソ能力だから、極力使いたくない。もし蝶野のものじゃなかったとしてもくれてやるつもりだから、結果は同じことだ。
箱を紙袋に詰めて、部屋を出る。

「あら、くーちゃん、いまからお出かけ? あの糞エロガ……こほん。お友達は?」

かーさんにも抱きついてたのか、あの煩悩小僧。
ああ、ヤツは出て行ったよ。それはそうと、ちょっと野暮用で、そこの公園に行って来る。

「もう暗いけど大丈夫? って、くーちゃんならお空が暗かろうと明るかろうと、無敵よね。でも、あんまり遅くなるようだったら、ちゃんと連絡するのよ」

物分りのいい母親で良かった。息子が外出するんだったら、今宵はパパと二人でラブラブだわ、とかなんとか考えているのもバレバレなのだが、そこは敢えて気付かなかったふりをしてやるのが、思春期の息子の務めというか、超能力者のエチケットというか、武士の情けというか。




紙袋を抱えて公園につくと、すぐにブルーシートが目に入った。
『公園で野宿をしないでください』という立て看板のすぐ隣なのは、悪い冗談なのか、取り締まる側と取り締まられる側が互いに意地になっているのか。目指す人物が段ボールハウスでうたた寝しているのは、テレパシーと透視で前もって分かっていたので、入口付近にでも置いて即刻立ち去ろうとしたのだが、あいにく助手の老人、イケさん(本名:池見華寿弥)に見つかって「ああ、いつぞやの兄ちゃん。こんばんわ」と声をかけられてしまった。

「それ、もしかして蝶野のダンナにプレゼントか何かで?」

騒ぐな、気付かれる……と制する間もなく、ごそごそと蝶野が段ボールハウスから這い出してきた。仕方なく、持ってきた紙袋を差し出すと、蝶野の顔が子供のようにパァッと明るくなった。

「え? これ? いや、僕のじゃないけど……くれるの? ありがとう、師匠、愛してる!」

そういえば、オマエも師匠呼びだったんだよな。ウザい。

「あ、ハニーって呼ぶ方が良かった?」

イヤじゃ、ボケ。
それにしても、これが蝶野のモノじゃなかったのなら、一体どこから持ってきてしまったんだろう。交換された鳥束が盗人扱いされているだろうことは容易に想像がつくが、僕だって狙ってそんなものをチョイスしたわけじゃない。恨むなら、そんなちょうどイイ値段の数珠を掛けていた自分を恨んでほしい。

「師匠、すぐ帰るの?」

このセットを渡しに来ただけだしな。それに、鳥束のやましい思念も目一杯浴びて微妙に影響されているうえに、今更だが色々と気まずい。だが、蝶野はこっちの困惑などお構いなしに、僕の手を握るとニッコリ笑い「せっかくだし、ご飯でも食べに行こうよ」などと誘ってきた。
そんなことを言われても、家に帰れば晩ご飯が待っている筈なんだが……しかし、かーさんのあの様子だと、あまり早く帰っても迷惑がられるかもしれない。焼肉みたいなガッツリ系じゃなく、ドリンクとスイーツぐらいなら付き合ってやってもいいか……って、我ながら呆れるぐらいダメンズに弱いのは、多分、かーさんの遺伝だろうな。

「えっ? 弱いって、誰が? 誰に?」

いやいや、こっちのハナシ。気にすんな。
それよか、その薄汚くて汗臭いスウェットとは一緒に歩きたくないから着替えてくれ。手品の衣装も目立つから嫌だ。スーツじゃなくていいから、フツーの格好で頼む。




リーズナブルなせいか、学生客やマルチの勧誘などが席を占領して騒がしいファミレスで蝶野はハンバーグ定食を頼み、僕は季節限定のパフェをスプーンで崩していた。

「これね、サングラス。僕さ、こないだテレビに出ただろ? ファンとかに騒がれたりしたら困るからさぁ。ほら、あっちのテーブル席のふたり連れもこっちをチラチラ見てコソコソ話してるだろ? もしかして気付かれちゃったかな、僕がイリュージョニストの蝶野雨緑って、ひょっとして気付かれちゃったかな。ほら、ウェイトレスもこっち見てる。参ったなぁ、今はプライベートなのに」

あー…そういえば出てたな、テレビ。その後番組のドラマが見たいからチャンネル点けっぱなしにしてたけど、一回きりの出演だろ。日頃はホームレスのくせに、自意識過剰だ。あの客は借金の相談なんかしているから声を潜めているのだし、チラチラお前を見ているのは、サングラスが全然似合ってないからだ。そんな変なものかけている方が変に目立つぞ。ウェイトレスだって、その前菜のスープを提供してから、どのタイミングでメインをテーブルに運ぼうかと見計らっているだけだ。

「あの番組、視てくれてたんだ。どうだった? 良かったでしょ、脱出イリュージョン」

良かったというか、どう見ても失敗すると思ったぞ。あまりに危なっかしくて、事故でも起こされてドラマ枠が潰れたら困ると考えて、こっそり現場にテレポートした……などとは、とても言えないがな(第14χ『いまさらψ会!蝶野雨緑』)。

「ハラハラした? ねぇ、ハラハラした? 演出としては成功だけど、師匠を心配させちゃったのは、やり過ぎだったかな? ゴメンねぇ」

ひとの頭を気安く撫でるな、ジョイスティックに触れるな。魂が抜けるなんて迷信を信じているわけじゃないが、甚だしく不快だ。だが、それを表情に出して睨みつけても(師匠ったら、照れちゃって)などとポジティブに変換しやがる。そうじゃないと力説すればするだけ「またまたぁ、素直じゃないなぁ」などといなされてしまう泥沼に陥りそうだ。
この扱いもパフェ代に込みだと思って我慢するか。スプーンを舐めながらそう自分に言い聞かせていると、メインのステーキとライスが届けられた。

「わーい。久しぶりの肉だぁ」

本当に嬉しそうだな。欠食児童かよ。つーか、そんな生活をしてたってことは、カネ無いんじゃないのか? 食い逃げダッシュはごめんだぞ? いや、僕一人なら逃げるのは余裕だがな。
蝶野もそれに思い当たったらしく、ナイフとフォークを放り出して尻ポケットを探り始め、やがて奥歯にものが挟まったような口調で「ゴメン、師匠。言いにくいんだけど……払ってくれる?」などと言い出した。

は?

「デートといえば、まず食事……って、何も考えずにご飯食べに来ちゃったけど、よく考えたらお金なかったんだ。前んときは、テレビのギャラが出た直後だったから払えたんだけどさ。その、ごめん」

いやいやいや。
燃堂だって、てめぇのラーメン代は自分で払うぞ。いつぞや財布が盗まれたときも、僕が立て替えてやろうとしたら「すぐに家から持ってくるから、相棒は財布出さなくていい」って言って、店員に付け払いの交渉をしてたぞ。あのキモいバカに懐かれ付きまとわれて久しいが『あのバカの方がマシだ』と心底思える情けない事態に陥るなんて、考えたこともなかったわ。幸か不幸か、僕の財布は数日前にこづかいを充填したばかりなので、これぐらいの支払いに支障はない。

「払える? さすが師匠。じゃあ、追加頼んでいい?」

追加だと? ひとの金で? 良くないわ。自重しろ。
睨みつけると「冗談だよ、冗談」と、蝶野が肩をすくめたが、テレパシーで相手の本音が見えてしまう僕相手に「冗談(と、いう言い訳で相手の怒りをそらす小手先のテクニック)」は通じない。コイツ、一回り以上も年齢が違う子供相手にタカろうなんて、どこまで情けないヤツなんだ。
で? 食事の後はどうすんだ。当初、ファッションホテルに行くつもりだったのはテレパシーで分かっているが、その財政事情じゃ無理だろう。僕だって、そこまでは払えないし、あったとしても払いたくないぞ。

「そ、そうだよね。どうしよう。僕んちに来る?」

僕んち? あの、さっきのホームレス御用達の段ボールハウスのことか? そんなダニや南京虫が湧いていそうな場所には行きたくない。特に段ボール紙のヒダヒダには、あのGが卵を産みつけるんだぞ、Gが。僕は虫が苦手なんだ。

「そう? 結構、キレイにしてるつもりなんだけど。シャワーは無いけど、公園の水飲み場で体も洗えるしさ……ほら、この時間だから、屋外でも見られることはないから」

人のハナシを聞いているか? 虫はイヤなんだ。夜の公園なんか、外灯の惹かれた蚊だの蛾だのワケのワカラナイ虫けらがうようよ飛んでるじゃないか。そんなところで脱げと? 虫ダメ絶対。

「外はイヤ? じゃあ、屋内ね、屋内……そうだ、あそこの公園にうってつけの場所があるよ。もちろんタダさ。水も使えるし。ふふふ、分かるかな?」

そのたぐいの質問は、僕に対してはまったく無意味だ。
蝶野が思い浮かべているのは、公園の中にある、赤レンガ壁の小さな建物だった。こじゃれたコテージ……が、無料である由が無い。それが何か思い当たった途端に、食欲が失せた、どころか食べたものが逆流しかけた。口を覆って席を立つと、トイレに駆け込み、個室のドアを開け放つ。この切羽詰った状況でもテレポーテーションを使わずに、ちゃんと自分の足で移動したことは褒めてほしい。いや、店のトイレが使用中だったら、自宅かどこかのトイレまで躊躇せず飛ぶつもりだったけどさ。
水に濡れた床のタイルが視界に飛び込み、さらに吐き気が強まった。なにしろ、あの建物は……公衆便所だったからだ。しかも、くすんだ壁は筆跡も内容も薄汚い落書きで埋まり、便器には汚れがこびり付いて、床のタイルはべたべたしているうえに、アウトオブ便器したアンコントローラブルな置き土産までぶちまけられ、それに群がるハエやムカデが……と、こんな情景がリアルに目に浮かんでしまって、食事が続行できる由がない。
個室の扉を閉めるだけの余裕もなく、洋式便器を抱え込むようにゲロを吐いていると、心配して付いてきたらしい蝶野が「ちょ、師匠、大丈夫? つわり?」と、声をかけてきた。

んなわきゃねーだろ。単為生殖しろとでもいうのか。もっとも、人類とは別の生き物に進化してしまった僕が、実際に既存の人類と交雑できるのかどうか定かではないので、もしかしたら超能力で単為生殖できるのかもしれないけど……少なくとも今はそんなもの腹に抱えていないし、この嘔吐はそういう理由じゃない……と、激しくツッコみたいところだが、それどころか逆にこっちが背中をさすられている体たらくだ。
それにしても、なんでこんなおぞましい場所を、とびっきりの笑顔で提案したんだろう。まさかとは思うけど、このひと見かけによらず、スカとかトロとかの趣味があるんだろうか。

「違う違う。ほら、あそこってそういう趣味の人の人気スポットだっていうから」

そういうってどういう意味だと聞くまでもなく、テレパシーで正解が分かってしまう自分が嫌だ。

「この前は、変にAVなんかを参考にしたから嫌がられたんだよね。だから、師匠に喜んでもらえるように、今度はちゃんとそっち系のガチムチな本とかビデオとか見て、研究したんだ」

誇らしげに言うな。つーか、そんなくだらないことに金使ったから食事代が足りなくなったのかよ。

「くだらないなんて酷いなぁ。師匠を喜ばせてあげようと、努力したんだよ。ちゃんとそれっぽい台詞を練習したり。あと、胸毛とか」

激しくイラネェ。
というか『胸毛とか』って何? 別に僕はガチホモ好きでもなければ、胸毛スキーでもないぞ。大体、胸毛なんざ燃堂のを毎日見飽きるぐらいに(透視能力のせいで、見たくなくても見えてしまうので否応なく)見ているから、今更そんなもの見せられても嬉しくもなんともないぞ。いや、見せるもなにも透視で見えてしまうんだけど、オマエ、胸つるつるじゃんか。努力って何をしたんだ。育毛剤でも塗ったのか? ホームレスの分際で意味不明な浪費するんじゃないよ、まったく。

「ええっ、せっかく青いツナギも買ったのに」

な ん の コ ス プ レ だ 。
やり場の無い怒りで、肩がプルプル震えた。唇を噛みしめて、周囲のガラスやら壁やらをぶっ壊したい衝動を必死で堪える。燃堂もいちいちバカだが、三十路手前になった身で、それを上回るアホっぷりを晒してどうするんだよ。オマエ、実際んところ会社をクビになったから嫁に逃げられたんじゃなくて、前々からその頭の弱さに呆れられてたんだろ。多分、クビを回避したとしても、何か別の理由で逃げられたに違いないぞ。

「大丈夫? 顔真っ青だけど。洗面台のペーパータオルでよかったら、口拭く?」

大丈夫もなにも、元はと言えばオマエのせいだと喚き散らしたいところだが、胃液が上がってくるほどに吐いたせいもあってひどく消耗した僕は、情けないことに蝶野の胸にもたれたまま、されるがままに口を拭われていた。
ここがファミレスのトイレなんかじゃなかったら、介抱されているうちに妙な気分になってしまったかもしれない。安っぽいAVなんかでは、このままイカガワしい行為に雪崩れ込みそうなものだが、現実はそういう訳にもいかない。

「お客様、大丈夫ですか? その、何かおかしなものが入ってましたか?」

ほらね? 異変に気付いたらしい店員が、恐る恐る声をかけてきた。
店としては、客の健康状態が気になるというよりも、提供した商品のせいで食中毒をが出てしまえば営業停止にされてしまうし、ノロなどの他の病気なら周囲を徹底的に洗浄・消毒しないと、これまた衛生管理が問われてしまう、というところが本音だろう。それは至極当然のことなので、別に気にはならない。むしろ、食べ物のせいじゃないし、病気でもないと伝えて安心させてやりたかったが、この場合、なんと説明すれば一番無難なんだろう。
適当にゴマかしてよと、蝶野を見上げると、どうやらAV的個室プレイを企んでいたらしく、店員の登場にパニくった様子で「えーと。つわり? みたいで、その」などと、あらぬことを口走りやがった。

「は? つわり?」

もっと有り得ないだろうが、このバカめが。だが、実際のところを説明するのもダルかったので(男の子がつわりでもおかしくない)というテレパシーを店員に飛ばして、無理やり納得させることにした。

「つわりなら、仕方ありませんね。お大事に」

ピンクの髪にジョイスティックの触覚を生やし、緑色の眼鏡をかけた僕が不自然に思われず、むしろ地味にすら受け取られるのも、この超能力の作用だ。ただでさえ体調がすぐれない状態で無理めな設定をゴリ押しするのはかなりシンドかったが、この場を収めるにはこうするしかなかろう。

「大丈夫? 歩ける? 抱っこしようか?」

いや、そのナヨナヨした腕じゃ無理だろ。腕力があったとしても、そんな格好で抱き上げられるこっちが恥ずかしくて嫌だ。せめて肩を貸す程度にしてくれ。支えてもらいながら洗面台で口を濯いで、テーブル席に戻ったが、それ以上食事を続ける気にもなれなかった。ドリンクバーのジュースすら、胃が拒絶している。

「ん、じゃあ、とりあえず出ようか」

そこに僕の財布があるから、会計しておいてくれ。くれぐれも余計なことは考えるなよ、まぁ、僕相手にそんなこと企んでも無駄なわけだが。




「で、次はどうしよう」

どうしようもなにも、オマエの第一候補のハッテン場で発展するプランは全力で却下だからな。
そもそも奮発してホテルにチェックインできたとしても、この体調では『そういうこと』を致す気にもなれない。じゃあ体調が良かったら致してもいいのかと言われれば……ちょっと悩ましいな。

「そうだよね。すぐそこに公園があるから、ベンチかどっかで、ちょっと横になる?」

夜の公園のベンチは大抵、外灯に照らされて誘蛾灯状態になっているからイヤなんだけど……と思いながらも、いい代案が浮かばないので反対しにくい。
再び肩を借りながら、公園に辿り着く。ベンチが汚いな、と思っていたら、それを察したのか蝶野が上着を脱いでその上に広げた。ふむ、こういうところは感心するな。さっきは燃堂の方がマシだと思ったが、燃堂にはこんな心遣いは逆立ちしてもできない……って、なんで僕はいちいち燃堂を引き合いに出してるんだろう。あのキモいバカのことなんて一瞬一秒でも思い出す価値なんてないのに。
上着の上に転がると、頭の側に蝶野が座った。その太腿に頭を乗せると、猫にでも懐かれたかのように、しれっと髪を撫でられた。こんなことをしている姿を誰かに見られでもしたら恥ずかしいが、幸い、少なくとも半径200メートル以内には誰も居ないようだ。いや、幽霊は居るのかな。霊感のない僕には、幽霊なんか防御しようがないから、とりあえず無視する方向で。

「師匠、かわいい」

オマエは何を口走ってんだ。図々しいな。気分が悪い。
振り払おうと片手を近づけると、なにやら勘違いしたらしく、その手指を掴まれた。ふわっと指が絡み合う。長くてしなやかな指に、きれいに磨かれた桜色の爪。手先が注目されることの多いマジシャンだけに、ホームレスの身でもここだけは入念に手入れをしているのだろう。その滑らかな肌と触れ合うのは、不本意ながらも心地よかった。体調は万全ではないけど、少しぐらいなら、相手をしてやってもいいかな。どこか良い場所はないだろうか……と考えるぐらいには。だが、そんな気になった途端に脳内に飛び込んできたのは(そういや彼女、どうしてるんだろ)と呟く、蝶野の思念であった。

(昔、こんなふうに、ふたりでゴロゴロしながらテレビみてたっけな)

彼女って……ああ、奥さんのことか。リストラされた亭主を支えることもせずに、通帳かっさらって出て行った鬼嫁。まだそんな女に未練があったんだ。というか、人体切断マジックのセットを買ったら帰ってきてくれるに違いない、とか言ってたっけ。遂に、念願かなって人体切断マジックのセットが手に入ったわけだが、彼女は戻ってくるのかね。
心の中で誰を想おうと、誰に重ねて見ようと、それは個人の内心の自由だということぐらい、とっくに僕は悟っている。そんなのを勝手にのぞいてしまうのは僕の超能力の問題だ。聞きたくなくても聞こえてしまうのは仕方ないし、本音が聞こえたからといっていちいち気にしてたら神経が持たない。そう重々承知しているつもりだが、単なる失言じゃなく、心の奥底からの偽らざる本音だと分かっているだけに、やりきれなかった。もっとも、僕だってこんなやつに心底好かれたいとか惚れられたいとか考えているわけじゃないし、色々割り切っているつもりだ。それでも、やっぱりちょっと、このタイミングでこれはキツいな。

「あれ? もう帰るの? 体調、良くなったの? 顔色まだ少し悪いけど、大丈夫?」

体調も気分も全然大丈夫じゃないが、そんなこと口に出して同情されるのも、真っ平だ。
立ち上がろうとする肩を両手で掴まれた。タコのように突き出した唇が僕の顔目がけて近づいてくるのを察して、とっさに避ける。

「なに? 師匠、照れてんの? もう、僕と師匠の仲じゃな……」

いか、と言葉を結ぶ前に、蝶野の体が吹っ飛んで、地面に叩き付けられた。僕がとっさにサイコキネシスを暴走させてしまったのかと、慌てたほどの勢いだった。

「相棒、もう大丈夫だぞ。怖かったか?」

振り向いた先に居たのは、燃堂だった。誇らしげに拳を握った右の腕をぐるぐる回している。
そういえば、コイツだけは頭の中が読めない。というか、バカすぎて何も考えてないために、読みようがないというべきか。そのために、僕のテレパシー受信範囲内にズカズカ踏み込んで来られても、まったく察知できなかった。
いつ、どこからどう見られていて、僕らがどういう状況だと理解したのか知らないが、燃堂的には、僕を痴漢から救ったつもりらしい。

「ちょ、待ってよ、誤解だよ。僕は、その子と…」

「俺の相棒に手出しするんじゃねぇ!」

それはそれで、無用の誤解を招く発言だな。というか、ソッコーで(え、なに? 師匠、こういうの、衿から胸毛がのぞいているようなタイプが好みなの? やっぱ胸毛? 胸毛生えてなきゃダメなの!?)なんていう心の声が聞こえてきてるし。

「分かりました、師匠。この場は男らしく潔く引きます。でも、待っててください! きっと素敵な胸毛イリュージョンをお見せしますから!」

そんな薄汚いイリュージョン、凄まじく要らねぇ。
蝶野が去って行くのを見送りながら、燃堂がふと思い出したように僕を見下ろして「相棒、どうした暗いツラして。腹でも減ってんのか? ラーメンでも食うか?」と、肩に触れてきた。触れられた辺りからザワッと鳥肌が全身に広がるのを感じるが、そこは敢えてぐっと堪えて(コイツには裏表なんか無いし、僕に100%懐いているし、このツラにこの人望だから他に想い人がいる可能性なんてのも無いし、なによりテレパシーで本音が聞こえてくることも無い。どうせ人間、皮一枚剥がしたら美女も醜男も変わりはないんだから、それだったらいっそコイツで……)などと、己に強引に言い聞かせてみた。
生理的嫌悪感すらもよおす燃堂にあのバカの代理が務まるかどうかは分からないが、誰でもいいから誰かで上書きして、このくだらない感傷を消してしまいたかったのだ。それにほら、いやよいやよもナントヤラかもしれないし……って、それは自分でいう台詞じゃないか。

「お? じゃあ、早速行こうぜ、相棒。その前にちょっと便所。あそこのさ、赤いレンガの……」

だが、僕はその台詞を最後まで聞くことが出来ず、脊髄反射的に地球の裏側サンパウロまでテレポートしていた。




「師匠、ヒドいっすよ、あんな倉庫に飛ばして。幽霊に頼んでポルターガイストを起こしてもらって、なんとか存在に気付いてもらったからいいものの、あのまま餓死しちゃうかと思いましたよ。それはそうと霊から聞いたんですが、師匠って、こないだ公園で膝枕……」

余計なことを喋ろうとした鳥束を、全力でシメて無理やり黙らせたのは、それから数日後の話。

(了)

【後書き】蝶野、華麗に再登場です。
前回、蝶野絡みで書いた時には、まだ0巻だけの登場だったので、本編にも出ないかなー出て欲しいなー難しいかなーと思っていたのに、まさかのテレビ出演(爆)!
ありがとう! 麻生先生ありがとう! 斉木君のダメンズウォーカーっぷりが加速するよ! とりあえず今回はR展開なし、ということで。
初出:12年11月18日
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