愛の経典


 麗らかな日差しの下、後宮の中庭に、桃花の微かに甘い香りがどこからともなく漂ってくる。
 こんな昼下がりには、二胡の切なくも艶やかな音色に優しく抱かれて、午睡でも貪りたいと思わせるところだが、代わりに響いてきたのは「いやぁあああああ!」という、少女の絹を裂くような叫び声であった。



「そんな聞き分けのない事をおっしゃっては、困ります」
 それに重なったのは、意外や、おっとりと落ち着いた女性の声であった。
「礼儀作法も弁え、教養も詰んだ深窓の令嬢ともあれば、こちらも不作法であってはなりません。それぐらい、賢明な紅貴妃様なら、ご理解して頂きませんと」
「そうは言っても、ダメなものはダメなの。頭では分かってるの。こうやって、くわえながら首を傾げて、見上げるんでしょ? そうしたらカワイイんだろうなとか、色っぽいんだろうなとか、それぐらいは私だって分かってるの。胡蝶姐さんに聞いたこともあるの。でもダメなの」
「紅貴妃様」
「こう、なんていうの? 男に媚びるっていうの? そーゆー仕種を全身全霊が拒否するのよぉ! 大体、なんだってこんなことしなくちゃいけないの? 汚らしいったら! あーん、もうダメッ!」

 そう喚いて、見事な彫刻が施された象牙の張型を放り出し、天蓋に帷を巡らせた寝台に、バーンとひっくり返ったのは、紅貴妃こと紅秀麗。政ごとを顧みない昏君・今上国王、紫劉輝の教育係として、霄太師に請われ金五○○両で後宮入りした、名門・紅家の娘であった。
 だが、どんなに「私は単なる教育係だから、媾合なんて関係ない」と、本人が頑なに主張しようとも、さらに主上が、いくら彼女の意志を尊重して「余は、秀麗に無理強いするつもりはないぞ。秀麗がその気になってくれるまで、いつまでも待ち続ける」と庇おうとも、主上の妃としての役割、即ち床入りが公的に免除された訳では、決してない。
 むしろ、それは貴妃として当然の義務であり責務であって、この一点をもって「紅貴妃は職務怠慢である」との誹りを受けても、致し方ない。実際に、口に出さずとも「何故、紅貴妃様は、主上と床入りせぬのか」と不審がり、不満に思う者はいくらでもいるだろう。それが悪評となって広まることがないのは、秀麗自身の素直で愛嬌ある人柄と、後宮の女共を束ねている珠翠の手腕に他ならない。
 だからこそ、こうして日も沈まぬ内から、珠翠自ら教育係として猛特訓に取り組んでいるのだが。

「紅貴妃様」
 貴妃ともあろう身分の娘が、十六にもなってここまで初心な少女だとは、天上天下、お天道様もご存知あるまい……珠翠はもう何百回めになるか分からない、深いため息を吐いた。
「いや、もう無理よ、珠翠。私には、こういう才能は無いの。無理だったら無理よぉ」
「才能云々じゃありません。修練あるのみです。所作の作法が苦手でしたら、先に別の課題に取りかかりましょう」
「別の課題? まだあるっていうの?」
「そりゃあもう、いくらでもありますよ。閨房の営みというものは、教養がないものが行えば禽獣も同然の下衆の行為ですが、正しい知識と作法に乗っ取って行われれば、天上の仙女の舞いにも匹敵するものです。その領域に達し、主上の寵愛を得るために、後宮三千人が、日夜どれだけ努力していることか、お分かりですか」
「うん、それは、胡蝶姐さんも言ってた。胡蝶姐さんと一晩を共にするのは、天国に勝るとも劣らないんだって」
「そんな素晴らしいお手本がお近くにいらしたというのに、紅貴妃様は、どうしてこのようなことが苦手でいらっしゃるのでしょうね」
 珠翠は、ため息まじりに白魚の手を差しのべ、少女の手首を……後宮住まいには相応しくない、労働に明け暮れる日々を送っていたことを現す、やや骨張って肌理の粗いその手を……掴むと、これまた「刺繍針より重たい物を持ったことがない」後宮の女とはとても思えぬ、凄まじい力で引き上げた。彼女もまた、この後宮に入る前には波乱万丈の人生を歩んでいたのだ。それは、秀麗はもちろん、周囲は毛筋ほども知らぬ事実であるが。
「うわっ、しゅ、珠翠?」
「お次の課題は、身体の鍛練ですよ。房中の行為は姫君といえども寝転がっているだけというわけにいきません。殿方を満足させるには、充分な体力が必要です。それには腹筋と脚力、柔軟性、そして持久力です」
「むむっ。それだったら、なんとかなりそうね。これでも私、結構チカラ持ちなのよ」
 なにを勘違いしたのか、秀麗がムンッと腕に力を込めて、無邪気に笑みながら二の腕の筋肉を示した。
「労働に使う筋力とは、若干、種類が違うのですが。まぁ、いいでしょう。運動できるよう、袴服に着替えてくださいね」
「はーい」
 パタパタと元気一杯、着替えの為に隣室に駆け去る秀麗の背中を見送り、珠翠はもう、苦笑するしかなかった。



 秀麗とて木石でなし、男女の営みとはどのようなものであるかという知識が無い筈もなかろう。花街とはなんぞやということも知らずに技楼の賃仕事をもらった幼女の頃ならいざ知らず、貴陽一の妓女に可愛がられていたのだから、戯れにでもそのような話を聞かされる機会は、いくらでもあった。
 それでも、秀麗がそれらを己の生活に関わりのあることとは思わずに、この年齢まで暮らしていけた理由は、唯一の肉親である父に、愛妻の没後も妻一筋のせいか、経済的観念および蓄財能力の欠如のせいか、いずれにせよ、後妻を娶ったり愛人を囲うなどの、女っ気が全く無かったことが、まずひとつ。
 もうひとつは、秀麗の恋人としては年齢、性格、容姿ともに申し分なく、互いに少なからず憎からず思っているであろう家人の静蘭が、彼自身の倫理観、貞操観念および忠誠心に邪魔されて、そのようなことを彼女に意識させぬように、必死で振る舞い続けていたせいだろう。
 可愛い秀麗に、そんな醜い肉欲の世界を垣間見せまいとする、保護者ふたりの涙ぐましい努力は、いわば見事なまでに実を結んだという訳だが、それにしてもこれは極端に過ぎるだろう。
 世の男性諸君は何にも染まっていない無垢の処女を好むというが、何事にも限度というものがあるし、実際のところ、それは単なる幻想でしかない。そちらの方面への充分な知識と教養を貯え、実技にも通じていてなお、それを微塵も感じさせない清楚さ、気品を兼ね備えていることこそが、大切なのだ。それは、毎夜異なる男に抱かれながらも、まるで俗世の汚れを知らぬ仙女のような、澄み切った気高さを保っている胡蝶を例に挙げるまでもなかろう。

「珠翠も、こういうことは誰かに習ったの?」

 豪奢に結い上げた髪をおろし、ひらひらした裳裾(スカート)から、袴服(ズボン)に履き替えた格好で、美しく生え揃った浅黄色の芝生の上に尻を据えた秀麗が、そう問いかけてきた。珠翠は柔軟体操のために秀麗の背中を柔らかく押してやりながら、返事に困ったように柳眉を寄せる。その質問に、珠翠が正直に答えようとすれば、彼女自身の暗い過去にも言及せざるを得ないだろう。
「後宮で習った訳ではありませんがね。一応、嗜みとして」
「ふうん?」
 だが、秀麗はそれ以上深く追求してくることもなく「よっ」という元気な掛け声と共に、深く上体を折った。若さゆえに、ある程度までは難なく曲がるが、さすがに胸までべったり地面につくようなこともない。たちまち「いたたたたたっ!」と賑やかに騒ぎ始めた。
「珠翠っ、背中押さないで、手ぇ離してっ! これ以上は曲がらないわよぉ!」
「はい、息を止めないで、自然に呼吸をなさってください。勢いをつけて曲げるのではなく、じわじわと。股関節の柔軟性は、赤様を産む際にも重要になってまいりますから、しっかり鍛えましょうね。ほら、もう少し両腿を広げて」
「だから、無理だってーの! 痛いってばぁ!」

 ぎゃあぎゃあ喚いているのを聞き付けたのか、ひょっこりと劉輝が顔を出した。

「秀麗、体操か? 余も一緒にやる」

 何のための体操をしているのか知ったら、さぞや仰天することだろう。知らないということは、幸せなことだ。劉輝はニコニコを笑みを浮かべて、長い髪をくるくると巻き上げて束ねると、秀麗の隣に座って真似をし始めた。
「いやぁあああ! なっ、なんだって、アンタと一緒にやらなくちゃいけないのよ! 冗談じゃないわ、イヤよ、あっち行ってよ」
「なにを怒っているのだ? 絳攸にしごかれて、いつも机にかじりつく羽目になっているんだ。健康の為に、体操ぐらいしたっていいだろう」
「健康の為にするんなら、なにも、ここで私と一緒にやることないじゃないの!」
「秀麗と一緒の方が楽しい」
「私は楽しくないのよぉ!」
「珠翠、秀麗は何故、怒っているんだ?」
 これには、さすがの珠翠も事情を説明することができず、思わず頭を抱えてしまったものだ。



「はぁ……とんだ災難だったわ。なんだってあのバカ殿と並んで、体操する羽目になったんだか。珠翠も止めさせてよね。あのバカ殿に足首を掴まれて、腹筋させられるだなんて、嫁入り前の娘にあるまじきことよ。もう、お嫁にいけないわ」
「お嫁に行くどころか、とうに国王の妃でしょうに」
「あ、そうだっけか。いや、そうだとしても、よ!」
 結局、劉輝は最後まで、秀麗の『体操』に付き合ったのであった。
 武術の準備体操として宋太傅に扱かれている、おなじみの柔軟や腹筋だけではなく、鶴や熊を模した姿勢をとったり、それに呼吸法を組み合わせる『導引』なるものが含まれていたことも、劉輝を面白がらせた一因だろう。
 本来なら、それは天地の陰陽の気を身体に取り込み、それを胎内で巡らせるという内気功の秘術であるのだが、その緩慢で奇妙な動きが、劉輝の目には単なる美容体操か、なにか面白い遊びにでも映ったのだろう。のんきに「明日もやるのなら、余も付き合うぞ」と宣言して、上機嫌で戻って行ったのであった。
「主上と一緒に修練ができるなんて、この上もなく光栄でお幸せなことじゃないですか。そんなに文句をいうものではありません」
「そういうものなの?」
「そういうものですとも」
「あーあ、これで何のために、あの体操をしているのか知られたら、私、あのバカ殿になんて言われるんだろう?『おお、秀麗が、余のために、日々鍛練をしていたとは!』なんて、熱烈に感激されちゃったりするんだわ。ああ、やだやだ。ぞっとする!」
 秀麗が、劉輝の口調を身ぶり手ぶりも交えて、大袈裟に真似てみせると、それがよほど似ていたのか、小言を言うつもりだった筈の珠翠が、プッと吹き出してしまった。



 それでも、秀麗が逃げ出すこともなく、どちらかといえば大真面目に、房中術の講義を受け続けたのは、秀麗自身の向学心の為せる業なのだろうか。あるいは、良人である劉輝に対して、それなりに好意を抱いているせいかもしれないと、珠翠はその程度に考えていた。それ以上の理由には、思い当たらなかったと言い換えることもできよう。
 珠翠が、最初に房中術を習ったのは、殺人の手段としてだった。標的の心を蕩かし、警戒心を解き、時には秘密を聞き出すための手段として。剣や槍や毒を扱うのと変わらない、単なる技術として教わり……そんなことをせずとも、任務を全うできるように、いつも気を配ってくれたのが『あの方』だった。
 暗殺集団・風の狼を解散して、各々の身の振り方を定めた時に、珠翠に後宮入りを勧め、殺すためではなく、愛されるために男に抱かれることも覚えなさいとも、言ってくれた。もちろん、あの方に抱かれたことはなかったのだけれども。

 邵可様。

 その娘が後宮入りして、自分が房中術を教える立場になろうとは、珠翠はよもや思わなかった。いや、邵可自身だって思いも寄らなかったことだろう。
「珠翠になら、安心して任せておけますねぇ」
「そんな、のんきなことをおっしゃって」
「いえいえ、本心ですよ。珠翠もずいぶん、笑顔が優しくなりました。好きな男性でもいるのですか?」

 嗚呼、ここにも、無知が幸いしている人物がいるのか。
 
 珠翠は唖然として、その発言にどう返したものか、本気で途方に暮れてしまった。私の好きな男性はあなたですと答えたら、この人はどういう顔をするのだろうか。いや、多分、いつも変わらない笑顔で「私も、珠翠のことは好きですよ」と答えることだろう。
 それは、多分、珠翠の望まない意味を込めて。
「大体、こういうことを習っていると聞いて、平然としている父親というのも、どうかと思いますよ」
「ですから、珠翠が教師なら安心だと言ってるんです。秀麗のことをよろしくお願いしますね」
「そういう問題ですか?」
「そういう問題ですよ。いくら教育熱心でも、こういうことを、私が教える訳にもいかないでしょう?」
 それもそうですねと、納得してしまうのは、単に言いくるめられているだけなのだろうか。それにしても『教育不熱心』がすぎて、秀麗がまっさらに過ぎるのだが。珠翠は苦笑しながら、邵可が煎れてくれた『父茶』を気合いで飲み干したものだ。



「さて、今日の課題は……実技なのですが、殿方の役目は、私が代わりを勤めさせて頂きます。途中でお加減が悪くなったりしたら、いつでもおっしゃってくださいね?」
 この頃、劉輝が毎夜のように秀麗の寝室に入り浸るようになり、房中術の講義もピッチをあげざるを得なくなっていた。いくら劉輝が無理強いしないと約束しても、若い男女が臥床を共にするのだ。いつ『実戦』を迎えるか分からない。「はい」と答えた秀麗の顔も、さすがに心なしか青ざめていた。
 日中に行われる絳攸の政事の講義と、劉輝が寝室に訪れるまでの、僅かな間を縫うような、夕暮れのひとときであった。
 こういうことは好きだからとかそういうことじゃなくて、特別なの……劉輝にそう主張していた秀麗が、この実技講習をどう捉え、どう理解しているのかは、珠翠には分からない。いや、あえて考えたくないという方が、正確なところか。
「まずは、殿方のお召し物を緩めます。帯を解いて、殿方を寛がせたところで、秀麗様もお脱ぎになります。いきなり、全部脱ぐような、はしたない真似をしてはなりません。帯を緩め衿を広げて、徐々に肌を露にします」
 そう説明しながら、珠翠は己が身に纏っている男物の衣の帯に、秀麗の手を導く。秀麗の手が震えているのか、帯留めに提げている璧の飾りが、カチカチと神経質に鳴った。
「怖いですか?」
 秀麗は小さな顎を軽く引いて頷いたが、やめますか? という問いには、首を横に振った。
「珠翠が相手をしてくれるのなら、大丈夫だと思うわ」

 その言葉の真意を問う前に、珠翠の帯が解け、微かな衣擦れの音と共に、水晶の床にわだかまった。ごわついた騎服が女の撫で肩を滑り落ち、瑞々しい珠翠の乳房が、弾みながらまろび出た。秀麗が、引き込まれるようにその果実に触れる。
「秀麗様。私の胸は、お気になさらないでください」
「でも、なんか、つい……柔らかい」
 早くに母親を亡くした秀麗には、大人の女性の胸乳は、母性を連想させるのだろうか。頬をすり寄せようとする秀麗の滑らかな頬を両手に挟むと、少しだけ上を向かせた。
「秀麗様。私を殿方と思って接してください。失礼しますね」
 そう囁くと、そっと唇を寄せる。恋人を持ったことのない秀麗にとっては多分、初めての接吻だろう。両手の中で、秀麗が小さく身じろぎしたのが感じられた。軽く触れあっただけで一度そっと離れて、顔を覗き込む。秀麗の頬が赤く染まっていたが、目元は逆に、青ざめているようだった。
「おいやではありませんか?」
「珠翠が相手だから、平気。今のは、ちょっとビックリしただけ」
 もう一度、唇を重ねてやり、今度は舌を割り入れる。
 殿方との接吻はこのようにするのだと、座学では、一応、教えているが、実際に体験すると想像を絶していたようだ。今にも泣き出しそうな、くぐもった悲鳴が漏れた。だが、文献で知ることと実戦とで差があるというのは、なにも房中術に限ったことではないのだ。

 帷の向こうには、夕闇が迫っている。薄暗い視界の中で、秀麗は身体を硬直させていた。
「秀麗様? ほら、ただされるがままになっていてはいけませんよ。秀麗様の方からも、腕を回して、服を緩めて」
「わ、分かってる……でも、なんだか、緊張してしまって」
「最初から完全にはできません。だから、こうして練習しているんです。落ち着いて。練習ですから、失敗してもいいというぐらいの、楽な気持ちでなさってください」
 秀麗がこっくりと頷く。寝台に座らせてそっと抱き寄せると、珠翠の乳房の間に顔を埋めるようにして、もたれかかってきた。秀麗の気持ちが落ち着いた頃合を見計らって、珠翠は秀麗の上衣の衿から、そっと手を差し入れる。その手の冷たさにビクッと肩が震えるのが感じられたが、小さな胸を手中に包み込んだ時に、それを拒む気配はなかった。
「くすぐったいわ、珠翠」
「それでいいんですよ。それが次第に、よくなりますから」
 そのまま押し倒すように横たえて、衿をはだけさせた。寝転んでいるせいもあるが、秀麗のなだらかな胸は、少年のように膨らみに乏しい。しかし、掌に吸い付くように柔らかな肌だった。
 その先端の突起をちらと舌でなぞると「ひゃぁん」と嬌声にもならない、幼い奇声が漏れる。
「そうです。我慢なさらず、声を出されるとよろしいです。殿方は、その声を喜びますから」
「そっ、そんなことを言っても、恥ずかしいわ、あ、あんっ」
 胸乳を吸われる慣れない感触に、秀麗の身体がガクガクと震えて、反応し始める。まだ早すぎるだろうかと迷いながらも、珠翠は片手を秀麗の下肢の方へと這わせた。
「だめ、珠翠、変な感じがするの、私、なんか変よぉ」
 未体験の感覚がもどかしいのか、足をばたつかせる余り、裳裾はとうにめくれ上がり、下帯が露わになっていた。
「おやおや、秀麗様。これはいけませんね。はしたないですよ。お召し物を脱ぐのは少しずつ、上品に、です」
「そ、そんなことを言ってもぉ!」
「どこが、変な感じなのですか? ここですか?」
「ひっ……!」
 珠翠の手が、秀麗の太股に触れる。辿り着いたそこは、年齢不相応に幼く、胸乳同様に幼女のようだ。かろうじて感じられる谷間を指先でさすってやると、秀麗が小さく悲鳴をあげ、無我夢中で、珠翠の肩にかじりつくようにしてすがった。
「ここで、殿方を受け入れるのですよ」
「いや、いや、そんなのいや。無理、無理よぉ!」
 半べそをかきながら悶えているその表情が愛おしく、珠翠は涙を浮かべている秀麗の目蓋にそっと口付けると、指先で、ぷっくりと膨れ始めている先端をなぶり、その奥の、濡れた花弁を押し広げた。
「いやぁああ……やめて、抜いて、珠翠、こ、怖い!」
「怖くありませんよ。しっかりと私に掴まっていてください」
 甲羅のように堅く口を閉ざしていた蜜壷だが、その内側はぎょっとするほど熱く、とろけているかのようにぬめり気を帯びていた。指を抽迭させると、派手に水音が鳴る。
「この前、導引でお教えしましたように、ここから頭頂へと、全身の気が昇って抜けていく様を、思い浮かべてください」
「いやぁ、恥ずかしいよぉ。もうやめてよぉ、珠翠!」
「もう少しですから、我慢なさって」
「いやいや……あああ、あああん、いああああ……」
 もう、秀麗にはまともな言葉を紡ぐ余裕もなくなったのか、ただ指先に翻弄されるがままに身をよじらせて、何かが押し寄せる感覚に耐えている。やがて、宙を掻いていた脚が、引きつるように震え、爪先まで力がこもった。
「あ……だめ、珠翠、お、おしっこが出ちゃう……!」
「大丈夫です。多分、違いますから、楽になさってください」
「いやぁああああ……だめ、出ちゃうぅ!」
 もうひと押しと軽く乳首を吸ってやると、ぶるっと、秀麗の丸い尻が震える。熱い汁が、真っ白い絹の布団の上に飛び散った。



「珠翠、軽蔑してる?」
 抱き枕に顔を埋めるようにして、荒い呼吸を鎮めながら、秀麗が長い沈黙を破って囁いた言葉が、それだった。
「軽蔑なんて、とんでもない。秀麗様はよく頑張りました」
「だって、あんなに喚いて、お漏らしまでして」
「初めてにしては上手に、気をやりましたよ。あれならば、主上といつお床入りをなさっても、大丈夫です」
 珠翠は懐紙を取り出して、まだそぼ濡れてひくついている少女の下腹部を、甲斐甲斐しく拭ってやる。
「今日はお疲れでしょうが、慣れたら、殿方の分もこうして、始末して差し上げるのですよ。ただし、あまりガサガサ音をたてると、興醒めですから、あくまでさりげなく、です。さぁ、今日の講義はここまで。お夕食までは身体を休めてください」
「珠翠……私……」
「……はい?」
「……なんでもない。今日は、うちでご飯を食べたいわ」
 多分、さっきまでの体験に圧倒されて、頭の中が整理できないのだろうと、珠翠は解釈する。可哀相だが、後宮の女性として立派に勤めを果たすためには、修めておかなくてはならないことなのだ。珠翠は己の服の乱れを直すと、秀麗の素肌の肩に衣をかけて、包んでやった。その頃には、陽はとうに落ちていた。



 今日、お嬢様が帰って来るとは思わなかった。前もってそうと知っていたら、もう少しましなお食事を用意したのに。食が進まないご様子なのは、男所帯の大雑把な味付けが、お嬢様の口に合わなかったのかもしれない……と、静蘭が台所で、片付けものをしながらやきもきしていると、すっと秀麗が入ってきた。
「ああ、お嬢様……お嬢様は結構です。私がしますから。お嬢様の手肌が荒れてしまいます」
「静蘭は、好きな人、いるの?」
「はぁ? まぁ、いると言えばいると言いましょうか、その」
「静蘭は、その人を抱きたいと思ったことはある?」
「えっ、いや、その……」
「私、好きっていうことと、そういうことって、違うって思ってた。もっと別のことだって、考えてたの」
「はぁ、そうですね。それは等しいことでもあり、また、違うことでもあるというか、その……お嬢様、何かあったんですか?」
「私は、静蘭のこと、好きよ」
「おっ……お嬢様っ?」
 静蘭は、動揺して手を滑らせ、ガシャガシャと茶碗を落してしまったが、いつもの秀麗なら「茶碗ひとつ買うのも、お金が要るのよ、もったいない!」と喚くところを、この時に限っては、ちらと視線を割れた陶器に注いだだけだった。
「おっ……お嬢様っ!」
 己の胸元に滑り込み、胸板にそっと頬を乗せてきた、その華奢な肩を抱くべきか否かと、忠実な家人は真剣に悩んだ。力みすぎた指がわきわきと宙を掴み、心臓が口から飛び出しそうになる。
「……でも、やっぱり違うみたい」
「はっ?」
 秀麗がすっと身体を引き、静蘭の手は見事に空振りした。
「好きにも色々あるのね」
「はぁ、まぁ、そりゃあ、その」
「抱いてほしいっていう好きが、一番好きなのかしら?」
「そっ……それは、そうとも言い切れませんよ」
「そうね、そうかもしれないわね。ありがとう、静蘭」
 秀麗は、にっこりと気丈に微笑んでみせると、台所を出ていった。静蘭は茫然とその背中を見送っていたが、やがて「あの昏君か? あいつ、お嬢様に何かしたのか?」と拳を震わせたものだ。

 私は、父様が好き。亡くなった母様も好き。優しい静蘭も好き。劉輝も好きだし、香鈴も、絳攸様も、楸瑛様も、みんな大好き。
 だから、珠翠も好き。それはひどく当たり前のことだと思っていたのに、その感情が、いかに不確かで曖昧なものなのか、思い知らされたような気がする。
 私は、珠翠に抱かれたように、劉輝に抱かれることができるのだろうか? 珠翠は「これなら、いつでも床入りできます」と言っていたが、自分ではそんな気がしない。多分、劉輝よりも好きの量が多いと思う静蘭が相手でも、あのまま、身を任せることは、とても不可能だと思った。でも、それは多分、静蘭が嫌いになったとか、珠翠よりも好きじゃないとか、そういう理由ではなく。

「好き……って、難しいのね」

 勉強なら、大好き。そのために徹夜をしても、構わない。
 仕事も好き。どんなに辛いことでも、それで得るもの……お金だけでなく、人々の笑顔とか、やりがいとか、そういったもののためなら、どんな辛いことでも頑張れる。
 お料理も好き。自分で食べて美味しいのも楽しいし、人に喜んでもらうのも嬉しいから。
 そういう「好き」ならとても簡単なのに、どうして、人を好きになるということは、こんなにも難しいのかしら? 

 愛。仁。慈しむこと。
 それは簡単な言葉なのに。秀麗は書簡の上にパタリと突っ伏した。



 このまま帰って来ないのではないかと珠翠は不安に思っていたが、秀麗は翌日、ニッコリ笑って戻ってきた。
「珠翠、ただい……わっ、なによ、アンタ!」

 アンタ呼ばわりされたのは、子犬のように秀麗に抱きついた劉輝である。ぺちんと頭を引っ叩かれて、へしゃげてしまった。
「淑女にいきなり抱きつくなんて、劉輝、礼儀知らずよ!」
「余と秀麗の間柄なら、礼儀など必要ない」
「そんなことないわよ。こっちは一生懸命、礼儀作法を覚えてるんだから、アンタだって、それ相応にねぇ……」
「秀麗は、充分に礼儀作法に通じてるが? まさか夜の作法を?」
「なっ、なによっ、そんないやらしい目をして! そんなことを考えるようだったら、今度、夜中に眠れなくなっても、二胡を弾いてあげないんだから!」
「それは困る」

「ああ、こんなところに居ましたか、主上」

 感激の再会の場に、ひょっこりと割り込んだのは、楸瑛であった。優男の外見に似合わぬ武官の力で、劉輝の襟髪を掴むとずるずると引きずっていく。
「主上が講義をサボるから、絳攸が怒り狂ってましたよ。それから静蘭も機嫌が悪いようでしたが、秀麗殿に何かしたんですか?」
「余は、秀麗には何もしていない。したいのは、やまやまだが」 
「何も、ねぇ?」
 毎晩、ひとつ屋根の下で寝ていて、今だって白昼堂々、抱きついたりしてたくせに、何もしていない、ねぇ。この人だって、一応、童貞でもないんだろうに……『蟹は、己に似せて穴を掘る』ということわざがあるが、楸瑛も自分を基準に考えたのか、無実を訴える哀れな君主の潔白を信じることは、到底できなかった。



 楸瑛と劉輝が出ていって数拍の間、秀麗と珠翠は茫然としていた。やがて、顔を見合わせてプッと吹き出す。
「改めて、ただいま、珠翠」
「お帰りなさいませ、秀麗様」
 こうしてみると、劉輝が飛びついてきたのが、かえって良かったのかもしれない。そうでなかったら、昨夕の講義の影響で、ふたり気まずい思いをしたかもしれない。
「昨日、私、言えなかったことがあるの。私は、やっぱり、珠翠のこと、好きよ」
「ありがとうございます」
「多分、珠翠が相手だったから、いいやって思ったの」
「秀麗様」
「分かってる。本当は、劉輝が一番でないと、いけないのよね」
「秀麗様、まだ少し、混乱なさっているようですね。今日の講義はお休みにしましょう。御髪も貴妃に相応しく結い直しますね?」
 珠翠が秀麗の髪に触れた。自分で束ねたのだろう髷を解き、するするとほどける黒髪に指を通すと、秀麗の肩が小さくわなないた。
「珠翠は、私のこと、好き?」
「そりゃあ、もちろん、私も、秀麗様のことは好きですよ」


私も、珠翠のことは好きですよ。


 珠翠は、幻聴が聞こえた気がして、思わず手を止めてしまった。それは、あまりにも現実味を帯びた、残酷な響き。
「でも、秀麗様は、私よりも、もっと愛さなくてはいけない、大切な人がいるじゃないですか」

 あの人が、薔薇姫を愛したように。

 その熱烈な思慕を知って、妬み、怨み、苦しみ、もがき、あがき、そして憎悪に溺れそうになりながらも、ようやくそこに……嫉妬するのではなく、逆にあの人の愛する薔薇姫ごと、あの人を愛していこうという結論に、流れ着いたように。

 私の声は、震えはしなかったろうか? 秀麗に動揺を悟られ、見透かされたりはしていないだろうか? 珠翠はめまいがしそうになるのをぐっと踏み止まり、何事もなかったように、櫛を操った。
「珠翠は、私が好きだから、昨日、ああいうことを教えてくれたのよね? もし私じゃない貴妃が相手でも、教える必要があったら、同じように抱いた?」
「それは分かりません。お側付きとしての仕事で、必要があれば、そうしたかもしれませんが、私は秀麗様にお仕えする身ですから」
「もし、よ。私じゃなくて、別の名家のお嬢様のお側付きになっていたとしたら、珠翠はどうしていたと思う?」
「そんな仮定の話をされても、困ります。現に私は、秀麗様の……」
「私だけって言ってよ。この際、紅家の娘だとか劉輝のお気に入りだということも抜きにして、私自身だけだって。私は、珠翠が相手じゃなかったら、怖くてとても耐えられなかったわ」
「困りましたねぇ。では、そうだとお答えしましょう」
 答えれば答えるだけ、まるで逆に、邵可様が昔の私自身を宥めて、慰めているような錯覚がする。
「私は、私の仕える人が愛しく思う人を、心置きなく愛することができるように支えるのが、勤めなのです。それが生き甲斐なのです」

 ずっと、そう自分に言い聞かせてきたから。
 邵可様と、邵可様の愛した薔薇姫と、その愛の結晶を。

 気付くと、秀麗がこちらを向いていた。
 いつの間にか、珠翠は涙ぐんでいたらしい。すっと手を伸ばして、その涙を袖で拭われる感触で、珠翠はそれに気付いた。
「珠翠、どうして泣くの?」
「うまく説明できません」
「珠翠。私ね、昨日からずっと、好きっていうことが、いかに難しいか、考えてたの。私は珠翠が好きで、珠翠も私が好きなのに、どうして泣いているの? 私は、どうしたらいいの?」
「そうですね。私も秀麗様が好きです。ですから、少しの間、抱き締めていてください。多分、すぐに落ち着きます」
 秀麗はこっくりと頷くと両手を広げた。その小さな胸は、しかし、すでに大海原のような包容力を秘めて、珠翠を包み込んだ。

 その温もりに、珠翠の中で長年張り詰めていた、何かが弾けた。

 突然、大の大人の珠翠が幼子のように声をあげて泣き出したことに秀麗は驚いたが、多分『好き』という感情は奥が深くて、時には、そんなに苦しいこともあるのだろうと、珠翠の背中を撫でながら、ぼんやりと考えていた。劉輝は、実に簡単なことのように「好きだ好きだ」を連発するけれども。
 やがて、珠翠のしゃくりあげる声が聞こえなくなり、恥ずかしそうに上げた面は、目元の白粉が剥げ落ちていた。
「私、ひどい顔をしているでしょう。化粧を直してきます」
「いいえ、きれいよ、珠翠」
 袂で顔を隠して逃げようとする珠翠の首に、秀麗はとっさに両手を回して抱き寄せ、その涙の跡に口付けていた。
「珠翠、人を好きになるということは、本当に難しいことなのね。もっと教えてくれる?」
「秀麗様がお望みならば」
「私、愛典の勉強も、柔軟体操も、珠翠が教えてくれるのなら、頑張るから」
「はい。私の方こそ、よろしくお願いしますね、秀麗様」

「珠翠、大好きよ」
「私もです」

 涙が、胸の底のわだかまりを溶かしたのか、今度は心から言えた。もう一度、軽く掠めるような接吻を交わす。

「秀麗、今日は腹筋運動はしないのか? 余も体操をする」
 再び講義を逃げ出してきたのだろうか、劉輝のそんなのんきな声が、扉の向こうから聞こえてきた。
 秀麗と珠翠は、視線を絡めて笑いあうと「今、行きます」と、大きな声で答えていた。

(了)

【後書き】天色屋の七さん主催の秀麗総受けアンソロジー『好き好き秀麗』(R18)に張回名義で寄稿させて頂いた小説です。この作品の他に、頭の弱いオジサマの漫画も描かせて頂いています。
手元に原作を置いていなかった&後になってから発行された原作で判明した等の理由で、実は珠翠の後宮入りを邵可が知らなかったとか、細かい設定上原作と異なってしまった点が多々ありますが、出来には満足していますのであえて訂正せずにサイト収録させて頂きました。
収録本発行:07年06月03日
サイト収録:08年07月12日
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